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「ねえ、ゲンナイさん。まだナノモンのピラミッドにつかないの?」
日も暮れだした、オレンジ色に染まる空。
広大なサーバ大陸の3割ほどを占めている砂漠の上空に、なっちゃんはいた。
正確には、ゲンナイが操縦するメカノリモンの手のひらに座っていた。
メカノリモンというデジモンは、デジモン初の乗り物型デジモンで、自ら戦う力のないデジモンが操縦して戦うように作られた、自分の意志で行動することが出来ないマシーンデジモンである。
デジモン達と同じような、データの塊の存在ではあっても戦闘能力は全くないゲンナイにとっては、大切な移動手段でもあり、戦闘手段でもあった。
しかしメカノリモンは成熟期であるために、戦闘能力はたかが知れている。
だからゲンナイにとってメカノリモンは対峙した相手に目くらまをし、逃走するための手段でしかなかった。
「落ち着きなさい、なっちゃん。あと数十分もすればピラミッドに着くよ」
目を瞑っても運転できるぐらいに操縦しなれているゲンナイは、メカノリモンの手のひらに座りながら、足をブラブラさせている女の子……ハニーブロンドの髪に瑠璃色の目をした“なっちゃん”に、微笑みながらそう言った。
「だって、やっと大輔に逢えるんだもん。待ちきれないよ」
「……そうだな」
わくわくとした表情を浮かべるなっちゃんに、しかしゲンナイは何処か浮かない顔だった。
操縦桿を握りしめるゲンナイの手に、変な力が入る。
「……ゲンナイさん、これから大輔達はどうなるの?」
「……どうなるんだろうな。もうだいぶ“予定”から外れているみたいだし……」
そんなゲンナイに気づいてか、なっちゃんは先ほどまでの嬉しそうな表情を引っ込めて、少しだけ悲しそうにした。
なっちゃんの質問に対し、ゲンナイは右手を操縦桿から離し、服の懐に手を突っ込む1冊の古い本を取り出す。
少々草臥れた様子のその本は、何度も何度も読みこんでいることが伺えた。
メカノリモンの手動操縦を自動操縦に切り替える。
パラ、と適当にページを開き、パラパラと目的のページまで適当に捲る。
目的のページを見つけると、捲るのを止めてそのページを優しくなぞった。
“ピラミッドの支配者”
そのページにはそう書かれていた。
“あの時”の自分は敵の策略にはめられ、身体の自由を奪われ、子ども達をサポートすることが出来ずに、色々と後手後手に回っていた。
子ども達には大変申し訳ないことをしたと、今でも思っている。
でも今は違う。
パタン、と本を閉じて本を懐に仕舞った。
自動操縦を手動操縦に切り替える。
「……もう遅れは取らない。もう二度とヘマをしないし……失くしたりしない」
きっとこれは、自分の無力を言い訳にして、全て子ども達に押し付けたツケなのだと、ゲンナイは思っている。
だからこそ、“この世界”では完璧にサポートしてみせる。
“世界の安定を望む者”の手足として、一介のエージェントに過ぎない、人間味も感情らしい感情もなかったはずのデータの塊でしかなかった彼の目には、人間と同じぐらいに強い意志を秘めた色を浮かべていた。
「おい、一体どうなってるんだよ!」
『ダイスケは!?ブイモンは無事なの!?』
『少し黙れ!今やっている!』
メインコンピュータールームは、パニックに包まれていた。
子ども達が全員並んでやっと届くほどの幅がある、大きなモニターはブラックアウトしており、ナノモンは忙しなく両手を動かして、キーボードを操作している。
そのモニターには、紋章を手に入れるために3人と3体だけで小さなトンネルの向こうへ姿を消した、最年少とそのパートナー達が映し出されていた。
たった3人と3体だけで行ってしまった最年少達を心配した上級生達のために、ナノモンが内部の監視カメラをモニターに映してくれたのである。
太一の治療も同時進行させようとしたのだが、ヒカリを心配して梃子でも動かんとモニターに張り付いていたので、仕方なく治療設備をここに移動させてモニターが見えるようにしてやり、問答無用で診察台に寝かせてやったのは、記憶に新しい。
終盤直前までは順調だった。
仕掛けがあると言っていたから、何処かの床石を踏んだり壁の一部を押したりと罠が作動するのかと思っていたのだが、そうではなかったのである。
最初は、川渡りパズルと呼ばれる論理パズルだった。
こちらの声は届かずとも、向こうの声を聞くことはできたし、壁に書かれていた文字も判別することはできたので、上級生達も問題文を読むことが出来た。
なぞなぞとしてはとても簡単な部類だったようで、治はもちろん、光子郎、空、丈はあっさりと解いてしまった。
ミミも光子郎に説明してもらって理解できたようなのだが、我らがリーダーの太一さんは大輔と同じく頭よりも身体を使う遊びの方が好きなので、治と空が2人がかりで説明しても理解してもらえず、空は早々に諦めてしまった。
治だけは何度も何度も、あの手この手で太一に説明するという根気強さを見せてくれたので、空も丈も素直にすごいなぁと感心してしまう。
デジモン達にも一緒に説明して、モニターで最年少達が上手く池を渡ったのを見て、太一はようやく理解してくれたようだった。
妹のヒカリちゃんはあっさりと解いて大輔に説明していたのに、本当にこの男はサッカーすることしか頭にないのである。
次は、所謂宝探しだった。
台座の窪みにぴったりとはまるものを探す、という内容で、最年少3人とパートナー達があれでもないこれでもないって地道に探し回っているのを、上級生達はやきもきしながら見守っていた。
その内ブイモンがヒントを見つけ、3人と3体は出口の扉に集まって中心に書かれているらしいヒントを見るために背伸びをしていた。
残念ながら最年少達の身長では足りなかったようで、踏み台になるものを引きずって、その踏み台に乗って覗き込んでいた。
ナノモンに頼んで、大輔が覗き込んでいる部分をズームしてもらうと、そこには英文が書かれていた。
英語が読める治が読み上げてくれたが、マザーグースに馴染みのない子ども達はピンと来ていない。
更に英文の下にもう1文書かれており、そこには“春が来るよ。ハッピーイスター!”と言う英語が書かれていたらしい。
勿論、キリストのお祭りであるイースターのことなんか知らない子ども達が、意味を知るわけもない。
そもそも今は夏なのに、何で“春が来た”なんだ、と太一が至極当然の疑問を口にしたが、誰も答えることはできなかった。
大輔は知っているようなので、戻ってきたら聞いてみようという結論に至り、子ども達は再度見守る。
卵型の宝石をヒカリが見つけ、3体のデジモンを進化させて、力を合わせて取り出し、台座の窪みにはめると扉が開かれた。
最後の問題で、上級生達はぎょっとなった。
何故なら、画面の向こうに自分達の姿があったからだ。
ナノモンに尋ねると、ここに到着した際、太一達上級生6人の姿をスキャンするように、とゲンナイから頼まれていたようなのだ。
最後の問題で、大輔達に分かりやすくするために、ということしか聞かされておらず、言われたからやっただけ、としれっと言い放ったナノモンに、頭を抱えたのは言うまでもない。
それだけでなく、最年少達が壁に書かれていたらしい問題文を読み上げた直後に左右と後ろの壁から砲撃が襲い掛かってきたのだ。
パートナー達が対処したものの、命を脅かすような仕掛けはないと聞いていたのに、これはどういうことだとナノモンに詰め寄ると、あれは勢いだけで殺傷能力はほぼないそうだ。
現にエンジェモンに砲弾が当たってひっくり返ったが、特に怪我をしている様子は見られなかった。
曰く、これから世界を救ってもらう救世主を、みすみす怪我させてしまうようなことするか、とのことだ。
どちらにしろこれぐらいのことも自分で対処できないのなら、これから先に待ち受けているであろう様々な危機を乗り越えることすらできないだろうな、とナノモンは密かに思った。
モニターの向こうの賢はエンジェモンが倒れた時に一瞬だけ目を見開かせて、絶望の色を浮かばせていたが、大輔とヒカリが何かを言って我に返ったらしい。
何かを決心したような表情をすると、ホログラムの太一達をもう1度見て何かを考えこみ……パートナー達を呼んで、大輔達を先導するように走り出した。
壁に書かれていたであろう文章は、こちらも最年少達が戻ってから聞くとして、ナノモンにカメラを切り替えてもらう。
そこは、真っ白な部屋だった。
正面の壁と左右の壁に、形の異なる紋章が彫られていた。
大輔達がそれぞれのデジヴァイスが反応を見せている紋章の前に立ち、デジヴァイスを掲げると紋章は壁から離れて小さくなっていきながらデジヴァイスに収まる。
異変が起こったのはその時であった。
紋章がデジヴァイスに収まった直後、部屋中を包み込むほどの白い光が突如として発せられ、上と下から押しつぶされるように1つの線になって映像が途切れてしまった。
上級生やそのパートナー達はもちろん、ナノモンとロップモンも驚愕していたので、想定していたことではないのだろう。
現にナノモンは先ほどからキーボードを忙しなく叩いて、カメラを復旧させようとしている。
しかし結果は見ての通りだった。
『……くそ、これではあの子達をこちらに誘導できん。仕方ない、ロップモン。緊急用の通路があるから、そこから子ども達を迎えに行ってこい』
『分かった!』
やられたのは監視カメラだけで、他のシステムは無事らしく、ナノモンは別のキーボードを操作して、大輔達が入っていった入り口とは違う場所に入り口を作り、ロップモンを行かせた。
穴の向こうに消えていったロップモンを見送り、ナノモンは再びキーボードをたたき、システムの復旧を急ぐ。
何が起こっているのか分からないまま、子ども達はただロップモンが最年少達を連れて帰ってきてくれることを祈ることしか出来なかった。
ロップモンはパタモンのこともプロットモンのことも“知っている”。
ずっとずっと昔から、どれぐらい昔かもう思い出せないぐらい昔から、パタモンとプロットモンのことを知っていた。
友達だった。大事な友達だったのだ。
再び巡り会うために、ロップモンは途方もない時間を過ごしながらずっと待っていた。
パタモンもプロットモンも、ロップモンのことは忘れてしまっていたし、ロップモンも悲しくはあったけれど、寂しさはなかった。
2人ともロップモンのことは覚えていないかもしれないよ、とゲンナイからは聞いていたし、何となくそんな気はしていたから、心の準備はできていた。
例えパタモン達が覚えていなくたって、自分が覚えている。
楽しかったことも悲しかったことも、全部自分が覚えている。
いつから待っていたのかは忘れてしまっても、3人で作った想い出は絶対に忘れない。
最年少の子ども達が通るのがギリギリなぐらいの高さのトンネルを一心不乱に走りながら、ロップモンは物思いにふける。
灰色に染まっているトンネルのずーっと向こうにある白い光を、無心で目指す。
ものの数分で白い光に辿り着き、紋章を保存していた部屋に辿り着くと、最年少の子ども達が集まって何やら騒いでいた。
それは、紋章を手に入れた歓喜の騒ぎなどでは、決してなかった。
「ブイモン!しっかりしろよ、ブイモン!」
「ねえ、ブイモン!どうしたの!?」
「起きてよ、起きてってば!!」
痛みにも似た悲鳴。ロップモンは嫌な予感がして、最年少の3人……大輔と賢とヒカリに駆け寄る。
『どうしたの!?』
『っ!』
大輔達は取り乱していて気づかない。
代わりに、いつの間にか退化していたパタモンと、成熟期を維持しているテイルモンが反応した。
びくり、と肩を震わせて、恐る恐ると言った様子で振り返ったパタモンとテイルモンがロップモンを見つめてきた目は……先ほどまでとは全く違っていた。
『……ロップ、モン』
『………………』
『……何かあったの?』
もしかして、という期待が一瞬湧いたが、大輔達の喚いている声がそれどころではないとロップモンを引き戻す。
再度尋ねると、パタモンとテイルモンは互いの顔を見合わせ、徐に首を横に振った。
『……紋章を、手に入れたと思ったら……ダイスケ達の様子がおかしくなって……』
『どうしたのかしらって思って、声をかけようと思ったの……でも……』
直後に、ブイモンが急に苦しみだしたらしい。
頭を抱え、目を見開き、背を仰け反らせながら喉が破れそうなほどの悲鳴を上げ、そしてそのまま後ろに倒れてしまったのだそうだ。
ロップモンはパタモン達から目を離し、ブイモンを取り囲んでいる子ども達の隙間から覗きこむ。
全身に変な力がかかったように小刻みに震え、赤い目に光はなく、涙がとめどなく流れていた。
様子がおかしいのは一目瞭然なのだが、何があったのかを尋ねることは難しそうだ。
ロップモンは唇をきゅっと結んだ後、取り乱してブイモンを無理やり起こそうとしている大輔達に1発ずつ、その大きな耳でお見舞いしてやる。
その痛みと衝撃で、大輔達はようやく我に返った。
「え、あ、ロップモン……?」
『しっかりして。何があったのかは知らないけど、とりあえず戻ろう。君達が紋章を手に入れたのは、監視カメラで見てたから……』
上級生達も心配している、と言えば、呆然としながらも大輔達はブイモンを背負って、ロップモンの後について行く。
正規の出口は紋章を手に入れた後に作動する仕掛けになっていたはずなのだが、監視カメラがやられたときにそのシステムもダウンしてしまったようだ。
メインコンピュータールームの方は異常がなかったため、この部屋のシステムだけがやられてしまったのだろう。
それに関してはナノモンの領分だから関与することではないとして、問題は……。
『……あ、戻ってきた!』
ロップモンに導かれ、緊急用の暗く狭い通路を来た3人は、上級生達とそのパートナー達に迎えられる。
しかし3人の顔は、紋章を手に入れた歓喜ではなく、どちらかと言うと憔悴しきっていた。
3つの仕掛けを無事潜り抜けて紋章を手に入れたことを褒めてやろうとした上級生達は、拍子抜けした。
上級生達が紋章を手に入れるたびに羨ましそうにしていたから、てっきり喜んでいると思っていたのに。
理由はすぐに分かった。
ロップモンが、ナノモンが太一のために用意していた診察台に、ブイモンを寝かせるように大輔に言ったからだ。
ブイモンは大輔に背負われている。
初めて進化を果たした後に、1週間近く眠ってしまった時のようだったので、最初はまた進化をしたことで寝てしまったのかと思ったのだが、様子がおかしい。
その目は完全に閉ざされておらず、薄らと開かれている紅い目には涙が零れており、全身も小刻みに震えている。
何があったんだ、と太一が代表して尋ねたが、大輔達も理由が分からないらしく、3人で顔を見合わせた後、静かに首を横に振るだけだった。
『……どうした?何があった?』
その時、システム制御室に行っていたナノモンが戻ってきた。
どうだった、とロップモンが尋ねると、やはり紋章を保管していたあの部屋のシステムだけ落ちていたらしい。
幸い深刻なエラー等は出ておらず、ロップモンが大輔達を連れて行った直後ぐらいにシステムが復旧したそうだ。
そっか、と納得したロップモンは、ナノモンの先ほどの質問に答える。
と言っても、ロップモンもちゃんと答えることはできない。
何故ならロップモンが駆けつけた時には、既にそうなっていたからだ。
『どきなさい』
診察台に寝かされているブイモンを心配して、群がっている子ども達を押しのけ、ナノモンはブイモンを診る。
『………………』
「ナノモン、ブイモンどうなっちゃうんだ……?」
感情のない目で、じっとブイモンを見下ろしているナノモンに、パートナーである大輔が今にも泣きそうな表情を浮かべながら尋ねるが、ナノモンも何とも言えないと言った様子だった。
再度大輔達に何があったのか尋ねても、紋章を手に入れた直後にブイモンが苦しみだしたと言うだけで、他に原因が分からない。
一瞬紋章のせいか?と思って大輔のデジヴァイスと太一のデジヴァイスを借りて比べてみたが、調べる限りその線もなさそうだ。
ナノモンはすっと目を細める。
「失礼、応答がなかったから勝手に邪魔させてもらったよ」
聞き慣れた声が聞こえて、子ども達とデジモン達の耳に届く。
は、と全員が一斉にそちらを見やると、そこにはこの世界にはいないはずの成人男性。
映像越しに何度か逢った、子ども達をサポートしてくれている頼もしい存在。
「ゲンナイ、さん……?」
代表してその名を呟いたのは、太一である。
その声は何処か緊張しており、穏やかではなくとも味方のデジモンに保護されて幾ばくかリラックスしているであろうと思っていたゲンナイは、緊迫した空気に包まれている空間を不思議に思い、首を傾げた。
「ヒカリッ!」
「っ、なっちゃん……」
そのゲンナイの後ろから、これまたここにいるはずのない人間の女の子が現れ、花が咲くような笑顔を浮かべながら走ってきたかと思うと、ヒカリに抱き着いてきた。
ぎゅーっと抱きしめる女の子に見覚えがなく、太一達は誰だって目で女の子を見つめる。
「……ナノモン、何があったのか説明してくれるかい?」
『……私に聞くよりも、小さき子ども達に聞く方が早いかと……』
まるで葬式のように暗い雰囲気を察したゲンナイは、ここの守護及び3つの紋章の保管を頼んだ、ナノモンに尋ねると、ナノモンも事態を把握しきれていないらしく、3人の最年少の子ども達……大輔と賢とヒカリの方を横目で見やった。
ナノモンの視線の先を辿ったゲンナイは、ふむと小さく息を吐くと、悠然とした足取りで3人の子ども達の前に立つ。
「こんにちは」
「………………」
久しぶりに見た大人の男性に怯えているような3人に、ゲンナイは努めて優しく微笑みかけ、その場に膝をついた。
ヒカリに抱き着いていた女の子は、ゲンナイが近づいてきた時に離れて、ヒカリに寄り添うように彼女の肩にそっと手を置いた。
「初めまして、になるのかな。画面越しでは何度か逢ったけれど、こうやって対面するのは初めてだね。私がゲンナイだよ」
「………………」
「何があったのか、教えてくれるかな?」
大輔とヒカリ、賢は互いの顔を見合わせたあと、困ったような表情を浮かべながらその顔を伏せた。
話してくれた内容は、パタモンとテイルモンがロップモンに話したことと同じで、大輔達も詳しいことは分かっていないようだった。
それを聞いたゲンナイは優しかった表情を潜めて立ち上がり、診察台に寝かされているブイモンを見下ろす。
様子は先ほどと何ら変わりなく、幾ら呼びかけても起き上がる様子はない。
薄く開いた目から流れる涙、ぐったりとした身体。
……ゲンナイは見覚えがあった。
──……まさか!
ゲンナイの目が見開かれるが、子ども達に背を向けていたために彼の異変に気付くことはなかった。
心の奥底から湧き上がってくる焦燥感から、無意識に右手の人差し指で唇を撫でる。
まさか、そんなはず、しかしこの反応は……。
どうする、ゲンナイは考える。
何故ならゲンナイは、ブイモンがこうなったであろう原因に心当たりがあるからだ。
だが、それを子ども達に言うのは時期尚早だとも思っている。
“これ”は、子ども達が背負うには重すぎるのだ。
「……ゲンナイ、さん……ブイモンは……」
「……心配いらないよ。私とナノモンで何とかしてみせるから」
心配そうに、ゲンナイの服を掴んで見上げてくる大輔に、ゲンナイは安心させようと笑みを浮かべて、彼の頭を優しく撫でる。
今にも泣きそうになっているその顔は……ゲンナイもよく知っていた。
──君は相変わらずだね、大輔。
自分がよく知る者と何ら変わりない、優しい心の持ち主に、ゲンナイは目を細めて大輔を見下ろした。
もう一度、ブイモンを見下ろす。
……今度は失敗しないと誓ったのだ。
必ず、助けてみせる。
ゲンナイはナノモンに目配せをし、その意図をくみ取ったナノモンは小さく頷いた。
『……子ども達よ、もう夜だ。ここにいる限り安全だから、今日のところはもう寝なさい』
「っ、でも……」
『お前達がここでブイモンを看病しても、事態が好転するとは思えない。お前達にはこの世界を救うという使命があるのだから、身体を壊しては元も子もないぞ。ロップモン、子ども達のために用意した寝室に案内してやれ』
『はぁい。さあ、みんな。こっちこっち~』
子ども達が反論する隙もなく、よどみなく正論を叩きつけてきたナノモンは、子ども達の意見は聞かないと言わんばかりにメインモニターの前に移動して、キーボードを操作し始めた。
頼まれたロップモンは場違いなほどに明るく返事をして、子ども達を後ろから押すようにその部屋を追い出した。
大輔は断固拒否してブイモンの傍に居ると主張したのだが、ロップモンに笑顔で却下される。
この部屋に入ってきた時の階段があった方向、先ほどは気づかなかったが、横に逸れた通路があり、そこには複数の扉があった。
子ども達がサーバ大陸に上陸したその日に、ゲンナイに言われて用意した寝室だそうだ。
ピラミッド内部はナノモンが普段籠っているメインコンピュータールームが地下深くにあるせいで、外の様子は分からないのだが、どうやらもう夜になっているようだった。
「………………」
ブイモンを心配してだんまりになってしまった大輔を気遣って、ヒカリと賢、それからアタシも一緒に行くと言ってついてきたなっちゃんは、彼に寄り添っている。
しかし2人の顔色もいいとは言えなかった。
パタモンとプロットモン、大輔以外でブイモンが触れられても平気な2人だから、2人もブイモンが心配で仕方ないのだろう。
しかしナノモンの言っていることも事実で、これ以上子ども達が出来ることなどきっとない。
「賢」
「っ!!」
治が声をかけてやると、憔悴していた弟は大袈裟なぐらい身体を跳ねさせて、兄を見やる。
「……お、にい、ちゃん……」
目を見開き、1つ1つの単語を噛みしめるように、治を呼ぶ。
そんな弟を不思議に思いながらも、きっとブイモンのことで頭がいっぱいになってぼーっとしていたのだろうと判断した治は、賢を安心させるように微笑んだ。
「……大丈夫だよ、きっと。何があったかは分からないけれど……きっとすぐに戻るさ。だから今は休もう?」
気休めにもならない言葉は、弟を慰めてくれないことぐらい分かっている。
それでも、このまま放っておけば兄達の目を盗んでブイモンの下へ行ってしまいそうな気がしたので、治は半ば強引に賢を納得させ、パジャマに着替えさせてベッドに放り込んでやった。
賢の本当の心情など、露ほどにも想像しないまま。
ぴ、ぴ、ぴ、と規則的な電子音が、静まり返った空間に響き渡っている。
頭に怪我を負った太一のために出していた診察台に寝かされたブイモンの頭には、コードが沢山ついたヘルメットが被せられていた。
灯りが落とされている空間の光源はモニターから放たれているブルーライトで、普通の人間ならば間違いなく視力を落としているであろうが、そのモニターを見つめているのはマシーン型のデジモンであるために、その心配は無用であった。
モニターには心電図のような波形を描いている動画や、ピラミッドの外部に着けられている監視カメラからの映像、文字の羅列が映ったウィンドウなど、いろんなものが画面いっぱいに映っている。
ナノモンの隣では、ゲンナイが忙しなくキーボードを叩いていた。
「…………ゲンナイ、さん」
「っ!」
画面に集中していたゲンナイは、突然かけられた声に驚いて、一瞬肩を跳ねさせる。
振り返ると、そこにはなっちゃんがいた。
なっちゃんだけではない、パジャマ姿の大輔とヒカリ、それから賢が立っていた。
「どうしたんだい?」
ゲンナイは怖がらせたり不安がらせたりしないように微笑む。
もしかしたら、ブイモンが心配で、全く眠れないのかもしれないと思い、そう言われたら大丈夫だよと言ってやるつもりだったが、そうではなかったみたいだった。
「……ヒカリ達が、話があるって」
「話?ブイモンのことなら……」
ゲンナイの言葉を遮るように、3人は一斉に首を横に振る。
それから、ちらちらとナノモンの方を見た。
どうしたんだい、って聞いても、3人はちらちらとナノモンを見て、それから3人で顔を見合わせて、口を開きかけたり閉じたり、指をもじもじさせるだけで何も言おうとしない。
ゲンナイは察した。
「……ナノモン、少し席を外してもいいかい?どうやら君には聞かれたくないようなんだ」
『構いませんぞ。先ほどとちっとも様子が変わりませんからな。何かあったらお呼びします』
「すまないね」
そう言うと、ゲンナイは子ども達が眠っている寝室がある廊下へ向かう。
更に奥にも部屋があるので、ゲンナイは3人をそこに連れて行った。
そこは会議室のようなところで、ベッドではなくテーブルとイスがあった。
3人を椅子に座らせ、3人の正面に自分も腰を下ろし、なっちゃんには寝室に戻るように言ったのだが、大輔がそれを引き留めた。
「……なっちゃん、にも……聞いて、ほしい、から……」
ヒカリと手を繋いでいたなっちゃんは、目を見開いて驚いた。
“今”の大輔は、なっちゃんを“知らないはず”だ。
面識があるのはヒカリだけなのに、大輔の声色はずっと前からなっちゃんの名前を読んでいたように、心が籠っていた。
そして……なっちゃんを見つめる“目”が、知らない者を見る目ではなかったのだ。
懐かしむような、嬉しそうな、悲しそうな……色んな感情が交わった目。
「なっちゃんは……“なっちゃん”、なんだろう?」
「………………」
「……俺がニューヨークで、ミミさんとウォレスと、チビモンとグミモンと逢った……あの子なんだろう?」
「っ!!」
なっちゃんは驚愕のあまり息を飲む。
彼女だけではない、ゲンナイも驚きで目を限界まで見開かせていた。
あまりの衝撃に、なっちゃんとゲンナイの口からは空気しか出てこない。
そんな2人を知ってか知らずか、ヒカリが口を開く。
「……大輔くんから聞いたことあるよ、なっちゃんのお話。“思い出した”の。貴女だったんだね、なっちゃん」
「……ヒ、カリ……」
「寂しくて、悲しくて……パートナーが欲しいって、大輔くんにパートナーになってほしいって言って、チビモンと喧嘩しちゃったって……」
「………………」
「なっちゃん……今もチビモンが、ブイモンが嫌い?」
「……好きだよ。大好き。だって私は大輔が大好きだもん。だから大輔のことが大好きなブイモンのことも、大好き」
「………………」
「ヒカリのことも大好きよ。だって大輔が大好きで、大輔のことを大好きって思ってるから」
「な、なっちゃん……!」
なんてこっぱずかしいことを平然と言ってのけるのだ、この子は。
ヒカリは顔を真っ赤にさせて、隣に座っているなっちゃんに物言わぬ抗議をする。
なっちゃんは笑った。
「私は賢のことも大好きよ」
「……僕と君は、逢ったことないのに?」
「大輔が大好きな人、大好きなもの、大輔のこと大好きな人は、みんな大好きなの」
「……変なの」
そう言いながら、賢の表情は穏やかだった。
「……ゲンナイさん」
ほのぼのだった空気が一変する。
賢の、ゲンナイを見つめる目は真剣と懐疑に彩られていた。
「“僕達”はどうなったんですか」
質問の意図が分からないほど、大輔もヒカリも“子ども”ではない。
2人の目は、賢と同じだった。
ゲンナイは目を閉じる。
だって、思い出したのだ。
彼らは遠い未来に生きていた、かつての“選ばれし子ども達”だった。
本宮大輔、一乗寺賢、そして八神ヒカリ。
かつて世界を救った12人の“選ばれし子ども達”のうちの3人だったのだ。
「どうして、“僕達”はここにいるんですか」
賢の声が震えている。
声だけではない、手も足も、全身が震えていた。
「答えてください」
3人は、ここにいるはずのない、イレギュラーな存在だった。
“最初の冒険”は、7人だった。
八神太一、石田ヤマト、武ノ内空、泉光子郎、太刀川ミミ、城戸丈、そして高石タケル。
この7人に、後にここにいる八神ヒカリが加わって、デジタルワールドを冒険し、世界を救った。
賢は1年後に、そして大輔は3年後に選ばれたために、ここにいるはずがないのである。
何故大輔がいて、ヒカリがいて、賢がいるのに、ヤマトとタケルがいないのか。
どうして亡くなったはずの賢の兄・治がいるのか。
何故、自分の苗字が一乗寺ではなく母の旧姓なのか。
……どうして、自分達はここにいるのか。
「教えて、ください」
膝に乗せた賢の手がズボンを握りしめ、振り絞るように紡がれた言葉は、今にも泣きだしそうな色を帯びていた。
ゲンナイは、閉じていた目を開いた。
その顔は……デジモンと同じようなデータの塊であり、人間らしい感情すらプログラムされていないとは思えないほどに、悲しみに満ちた笑みだった。
「……今話すと長くなってしまうね。だから……そうだな。明日、みんなに見てもらいたいものがあるから、その後で話そう」
ゲンナイは、決めた。
明日、全てを話そうと。
太一達が選ばれた意味と理由と、ブイモンがあのようになってしまった原因も、全て。
本当なら太一達が選ばれた理由だけを教えるために来たはずだった。
“以前”の自分は、身体を思うように動かせず、仲間も自分を残して消えてしまったため、色んなものが後手に回っていた。
今は“以前”の知識のお陰もあって、沢山のデジモンを仲間にして、完璧とは言い難いが子ども達のサポートも出来た。
もう失敗はしない。
世界のためだけではなく、子ども達のために。
遮るものが何もない、広大な砂漠。
昼はじわじわと嬲り殺してくるように熱いのに、夜は寂しいほどに肌寒い。
その光景を見ていたのは、夜空に浮かんで煌めいている星々と、その星々を優しく包み込む月だけだった。
『はあっ、はあっ、はあっ……!』
部下のガジモン達はみんな殺された。
しゅうしゅうと黒煙を上げながら周りが抉れている砂地に、上半身や下半身、または身体の一部を失ったガジモン達が、大量に横たわっている。
そこに立っているのは、満身創痍のエテモンだけだった。
『何なのよ……!アンタ、一体何なのよ!!』
ご自慢のトレーラーは、どてっぱらに穴を開けられ、無残な状態になっている。
そのトレーラーを引っ張っていたモノクロモンは、とっくのとうにデータの粒子になって、風に乗って何処かへと流されていた。
エテモンと対峙している、毒々しいピンク色のデジモンが、何処からともなく飛んできていきなり攻撃してきたのだが、その時にやられたのだ。
『このアチキが……!この世界を支配するスーパースターたるこのアチキが!!得体の知れないアンタごときに勝てないなんて、そんなわけないでしょぉお!!』
手のひらに闇のエネルギーを集め、相手にぶつけるダーク・スピリッツ。
敵の戦意を喪失させるラブ・セレナーデ。
その技で、今まで沢山のデジモンを屠り、ひれ伏させ、力を蓄えてきた。
サーバ大陸中に張り巡らされているダーク・ケーブルも、自分の意のままに操って、強い奴を葬ってきた。
もうこの世界に自分より強いデジモンはいない。
この世界はアチキのものよ!
そう信じて疑っていなかったエテモンだったが、目の前のデジモンには自分の技を何度繰り出しても通用しない。
涼しい顔をして、避けることも弾くこともせず、ただ放たれている技を平然と受け止めているのである。
ダメージを受けている様子もない。
どうして、どうしてよ、何でなのよ!!
焦燥感ばかりが募って、エテモンの目を曇らせる。
『………………』
じっとエテモンを見つめていたピンク色のデジモンだったが、やがて無暗に攻撃してくるだけのエテモンに飽きたのか、ふ、と風が吹くように目の前から消えてしまった。
拍子抜けするエテモン。
『……ふん、何よ。アチキのタフさに腰が引けたって訳?ふっふーんだ、そうはいかないわよ!アチキを虚仮にしてくれたこと、後悔させてあげ……あぎゃっ!?』
どす、と背中の辺りに衝撃が走る。
直後に、痛みと熱がじわじわとその箇所から身体中に広がっていった。
『あが……あ、ぎ、あ……』
背中を刺されたのだと気づいた時には、遅かった。
痛みと熱が広がるのと同時に、びりびりとした痺れが全身を襲ったのである。
その痺れは身体の自由を奪うだけでなく、痛みから逃れようとする考えも溶かしていった。
何も考えられない。脳みそを直接掴まれて揺さぶられているような感覚に襲われ、視界が赤く染まっていく。
自分が、自分でなくなっていく。
身体の中身がドロドロに溶かされて、作り替えられていくような感覚。
『あ゛……バ……』
深い闇の底から伸びてきた幾つもの手が、エテモンの意識を引っ張って闇の中に誘って行く。
『………あ゛』
とぷん、と。
エテモンの意識は闇に沈んで溶かされた。
《………………………………………………………………………………キシッ》
何処かで闇が、嗤った気がした。
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