苦手な方はご注意ください。
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重い身体を引きずりながら、太一はようやく帰宅をした。
妻と息子は一足先に帰宅していて、とっくに喪服から普段着に着替えていたのだが、2人の顔色はよくないし表情も暗い。
おかえりなさい、という小さい頃の自分によく似た、でも性格は妻に似て穏やかな息子が声をかけてくれたのだが、太一はそれに返事をする余裕がなかった。
時刻は、夕方の5時近く。
妻は夕飯の準備をしており、息子もその手伝いをしていた。
しかし太一はご飯が喉を通るとは思えず、今日は夕飯はいらないとだけ言って夫婦の寝室へ直行してしまった。
背中を向けていたので、そう言われた妻と息子の表情までは知らない。
冷たくあしらうような言い方をして申し訳なかったなぁとぼんやり思ったが、太一の心情はそれどころではなかったのだ。
妹のヒカリが死んだ。
その日は、太一達にとってとても大切な、初めてデジタルワールドに召喚された記念日だった。
何でもない、1年に1度の普段よりちょっと特別な日になるはずだった。
去年のキャンプは、悪意ある完全体5体ほどに襲われた以外特にトラブルもなく、太一とヤマト、大輔と賢の主戦力4人があっさりと退けてくれたお陰で、その後はずっと平和だった。
一昨年のキャンプでも、うっかり気性の荒いデジモンの縄張りに大輔が突っ込んでしまって、みんなで追いかけられたが、それもいい思い出だった。
3年前のキャンプも、4年前のキャンプも、何かしらのトラブルに見舞われていたが、みんなそれを楽しんでいた。
31年前の何のサポートもない冒険と比べれば、1泊2日のキャンプなんて何てことはないのだ。
だから今年のキャンプも、何かしらの面白いトラブルがあればいいなあなんて、呑気な事をみんな思っていたことだろう。
突如として現れた高エネルギー反応を察知した光子郎からの連絡を受けた太一は、外務省を出て帰宅をしようとしていた時である。
8月1日は世界的な祝日ではあるものの、外交官という仕事上休みという概念は殆どない。
だからその日も普通に仕事だった。
ただいつもと違って午前中だけで帰るところだった。
1度家に帰ってキャンプの道具を持って、自宅からデジタルワールドに行こうとしていたのである。
普段ならキャンプ道具を職場に持って行って、仕事が終わったら職場のパソコンからデジタルワールドに言っていたのに、どういう訳か今年に限って行動パターンを変えてしまったのだ。
例年通りにしていれば、もしかしたら結果は違っていたかもしれないのに。
でも何度後悔しても、考えても、もう遅い。
妹は死んだのだ。それは紛れもない事実なのだ。
妹だけではない、後輩も、その親友も。
ほんの紙一重の時間であった。
デジタル研究所の所長である光子郎と、ビデオ通話で連絡を取り合いながら高エネルギー体の正体を突き止め、他のメンバーにも連絡して急いで駆けつけた。
でも間に合わなかった。
日本に着いたばかりのヤマトに無理を言って、アグモンとガブモンをオメガモンに進化させて、一足先に行ってもらった。
でも、間に合わなかった。
高エネルギー体は急速にエネルギーを膨張させ、周りを巻き込むように爆発した。
その爆発に巻き込まれて、ヒカリと大輔と賢は亡くなってしまったのだ。
ヒカリは逃げ損ねた幼年期を助けようとして、大輔と賢は急に引き返してしまったヒカリを助けようとして。
妹らしいなぁ、と誇りに思うと同時に、その幼年期がちゃんと逃げていれば、なんて嫌な気持ちにもなる。
まだ幼年期Ⅰの赤ちゃんデジモンで、自力で逃げられなかったのだから仕方ないじゃないか、と何度も何度も自分に言い聞かせていても、少し油断すると心の奥底から蝋燭の火に炙られ、紙が焦げるようにその考えが太一の耳元を掠めてくる。
太一は何度も頭(かぶり)を振ってその考えを打ち払い、ベッドに身を沈めた。
──どうしてこうなってしまったのだろう。
枕に顔を埋めると、目尻に浮かぶ涙を枕が吸ってどんどん湿っていく。
今日は、妹と後輩とその親友の、合同葬式だった。
3つ並んだ遺影には、まだ若い3人の眩しい笑顔が場違いなほどに輝いていた。
確か、去年の8月1日に撮った全員集合の時の写真だった。
真ん中に座った自分と後輩、自分を挟んで後輩の反対側には親友のヤマトとその妻・空、後輩の別の隣には後輩の親友とその妻が。
残りの6人は自分達の後ろに立って、パートナー達はそれぞれ抱えたり足元にいたり肩車をしたりして、一緒に写真を撮ったのだ。
それ以外にも色々写真はあるのだが、横顔だったりブレていたりして、遺影に1番向いていたのがその集合写真だったのだ。
……まさかその写真が、最期の写真になるなんて夢にも思わなかった。
次の年も同じように面白いトラブルに見舞われながらキャンプをすると信じて疑っていなかった、去年の記念日が懐かしい。
大人になってからみんなそれぞれの夢や仕事で忙しくて、なかなか会う機会がなかったのだが、その日だけは絶対にみんなで集まろうと決めていたのだ。
来年からどうすればいいのだろう。
楽しい記念日は、悲しい日に塗り替えられてしまった。
妹が死んだ。後輩が死んだ。その親友が死んだ。
3人の大切な仲間をいっぺんに失ってしまった。
そんなの、もっと先の話だと思っていたのに。
外交官として世界中を飛び回り、何年も何十年もかけてデジタルワールドと現実世界をよくしていって、身体にガタがきたら鍛え上げた後輩や部下達にその役目を譲って、その後は仲間達と大騒ぎしたり、妻とのんびりした余生を過ごして、子どもや孫に看取られながら永遠の眠りにつくと思っていたのに。
人生どうなるかなんて分からないよ、と、そんな人生プランを口にするたびに、1つ上のおっちょこちょいで責任感のある先輩に苦笑されていた。
分かってますよ、ってその度に返していた。
分かっていなかった。
分かっていなかったから、今こんなにも悲しいし、哀しい。
葬式の間、母親はずっと泣いていたし父親も泣きたいのを堪えて唇を噛みしめていた。
妹の息子で、太一の甥っ子は、妹のパートナーをずっと抱きしめていた。
後輩の両親も、そしてあれだけ憎まれ口叩いて、大人になってもしょっちゅう喧嘩をしていたお姉さんも、息子で弟の突然の訃報に放心していた。
後輩の親友の両親なんかは、見ていてこちらが苦しくなるほどに泣いていた。
泣きじゃくっていた。
大声を上げ、ほぼ錯乱状態になりながら、息子の遺体にしがみついていた。
火葬の時なんかは、見ていられないほど取り乱していた。
当然だ、何せ彼らは既に息子を1人亡くしているのである。
その子は天才少年だった。まだ10歳だった。
交通事故で、車にはねられて、当たりどころが悪くてその子は死んでしまったらしい。
だから僕は、兄さんの分まで母さん達に親孝行するんだ、と眩しい笑顔を浮かべながら言っていたのは、何年前だったか。
でも残った息子まで、両親の手をすり抜けて逝ってしまった。
孫達がおばあちゃん、と呼んで慰めようとしていたが、男の子の孫の方は息子に生き写しであるため、ますます泣き声が激しくなってしまっていた。
彼女の夫が引きずるように火葬場を後にしていたのを、ぼんやりと見送ったのは覚えている。
そこから先は記憶が曖昧だった。
死んだ妹は、後輩は、その親友は、呆気なく焼かれて骨になってしまった。
彼らを焼いた炎の煙は、煙突から空へ吸い込まれていくように立ち昇っていった。
次に気づいた時には、もう納骨は終わっていて、食事会が開かれていた。
でも何かを食べる気になんてなれなくて、ずーっと座りっぱなしだった。
隣で親友の声がした気がしたが、言葉は全て通り抜けていくばかりで、脳内で変換を拒否していた。
もう何を言われても、太一の心には響いてこなかった。
妹は死んだ。妹は死んだ。妹は死んだのだ!
『お兄ちゃん』
妹の声が、鮮明に脳内で再生される。
でも、数年すればもう妹の声は思い出せなくなるだろう。
人の記憶は、声から失われていくらしい。
数年後に妹の姿が映っている記録を見たとしても、ヒカリってこんな声だったっけ、なんて薄情なことを思ってしまうであろうことに、寒気を感じた。
愛しい妹。可愛い妹。何があっても護りたかった妹。
最愛の人を見つけて、兄の庇護から旅立った彼女を護ろうとしたのは、昔妹に好意を寄せていた後輩だった。
その後輩も、親友と共にヒカリを護ろうとして、3人とも逝ってしまった。
「………………」
徐に起き上がる。枕に顔を埋めていたせいで涙は枕の布に吸い込まれて湿り、顔についた水分でぐしゃぐしゃになっていた。
大輔、ヒカリ、賢。
この3人は記念日の前に逢いに来たり、電話をかけにきていた。
あと数日もすれば記念日出逢えるにも関わらず、だ。
その時は珍しいな、としか思っていなかったが、今になって思う。
きっとあの3人は、記念日に太一と逢うことはできないと分かっていたのだと。
大輔と賢は知らないが、妹のヒカリに“そう言った力”があったのは、周知の事実である。
幼い頃は自分には見えないものを見たり聞いたりして、怯えた妹が自分にしがみついてくることがよくあったのだが、成長するにつれそう言ったことが少なくなっていき、恋人を作った頃にはもうそう言ったことを聞かなくなっていた。
大人になると子どもの頃に持っていた不思議な力は失われていくと聞いたことがあったし、ヒカリの恋人にそれとなく聞いた時もそのような素振りは全く見せていなかっていなかったようなので、ヒカリもてっきり大人になったことでそう言った力がなくなったからだと思っていた。
そうじゃなかった。
取り繕うのが上手になっただけだったのだ、きっと。
誰にも見えないものを見たり聞いたりしても、それを面に出すことがなくなっただけだったのだ。
もう太一には会えないと察してしまった妹は、一体どれだけの恐怖を抱えていたことだろう。
逃れられることが出来ない運命の糸に絡めとられてしまった妹は、どれだけ泣いたことだろう。
気づけることは出来たはずなのだ。
普段はSMSで済ませているのに、電話をかけてきた時点で気づくべきだったのだ。
受話器を置いて、妻と息子に断りを入れて、妹の住んでいる部屋まで行けばよかったのだ。
どうしたんだって、何かあったのかって。
たったそれだけの行動で何が変わったのか、そう聞かれたら答えることは出来なくとも、妹を安心させてやることぐらいはできたはずだ。
それが出来なかったのなら、妹が折れるまで問いただせばよかったのだ。
取り繕うことが上手なくせに、何かあったとしても隠したがるくせに、聞いてほしい、気づいてほしいと言いたげに太一を見てくる。
あの電話も、もしかしたら気づいてほしくてしてきたのかもしれない。
そう思ったら、あの時あっさり電話を切った自分を殴りたくなった。
「……ヒカリ」
妹の名を呟く。そうしたら妹がひょっこり現れて、小さなころから変わらない笑顔を浮かべて、なあに、お兄ちゃんって返事をしてくれる気がして。
そんなことあり得ないのに。
「ヒカリ」
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
例えば4歳、初めて“デジモン”という存在を知ったあの日の姿。
例えば小学2年生、初めてデジタルワールドを冒険したあの日の姿。
例えば小学5年生、2度目に選ばれたあの日の姿。
例えば中学生、例えば高校生、例えば大学生、例えば、例えば……。
様々な年代の妹が、水の底から泡のように浮かんでは消えていく。
でも、もう妹はいない。
「ヒカリ……っ!!」
何度ヒカリの名を呟いても、ヒカリから返事は来ないし、来るわけがない。
だって妹はもうこの世にいないのだから。
「ヒカリィ……!!」
乾きかけていた涙が再び溢れた。
水の玉が目尻から次々溢れて、ボロボロと零れていく。
ぼた、ぼた、と水を吸って湿っている枕の布に水の玉が落ちて、新たな染みを作り出していった。
妹はもういない。
妹だけではない。
「大輔……!賢……!!」
自分に懐いていた後輩、その後輩の親友。
妹と同じぐらい、大切だった2人の仲間も、もう何処にもいない。
何処にも、いないのだ。
生まれたての世界は、とても狭かった。
その狭い世界で、ブイモンは生きていた。
緑が生い茂り、その緑にたわわに実った果物があって、太陽を反射して煌めく湖、色とりどりの花々からは鼻腔を擽るいい匂いが風に運ばれて世界を包み込む。
世界は、そんなシンプルなもので出来ていた。
その頃のブイモンは、その世界に生きる沢山のデジモンのうちの1体に過ぎなかった。
同族や、他の似たような仲間達と協力しあって、時々小競り合いをして毎日代わり映えのない日々を過ごしていた。
そうやってこれからを過ごしていくんだと、ブイモンは何の疑いもなく思っていた。
きっと他の同族たちも同じ気持ちだったはずだ。
その日ブイモンは、同族数体と、他種族であるホークモン数体とアルマジモン数体と遠出をしていた。
自分達の集落にはない、珍しい果物が生っている樹があって、それを持って帰ってみんなと一緒に食べるためだった。
両腕いっぱいに抱えたそれを時々落っことしそうになりながら、ブイモンは上機嫌で先頭を歩く。
待ってくださいよ、ってホークモンの種族で1番仲のいいホークモンが駆け足で追いかけてくる。
腹減った~、ってアルマジモンの種族で1番仲のいいアルマジモンが、籠に入っている果物を背負いながら、のんびりと歩いている。
他の同族達はそんな仲のいい3体を苦笑しながら、後ろから見守っている。
いつもの光景だ。
いつもの光景のはずだった。
それは唐突に訪れた。
先程まで聞こえていた喧騒が、突然止んだ。
『?どうかし』
た、という言葉は紡がれなかった。
振り返ったブイモンの目の前に、“首がない同胞の身体が突っ立っていたから”だ。
時が止まる。息が止まる。
喉の奥に空気の泡が張り付いて、言葉も出てこなかった。
何が起こっているのか理解できなくてフリーズしているブイモンとホークモンとアルマジモンを尻目に、首がなくなった同胞の身体は、上から重量のあるものに圧し潰され、同胞の身体を構築していたデータの粒子が血のように飛び散り、同胞は目の前で“死んだ”。
同時に、遮るものがなく太陽に照らされていたはずのブイモンとホークモンとアルマジモンを、影が覆った。
ブイモンは、恐怖心に負けて恐る恐る顔を上げる。
その顔は逆光のせいなのか、黒く塗りつぶされたようによく見えなかった。
──ぞわり
一瞬にして大量の汗が噴き出た。
逆光で見えないはずの顔を見た途端、上から押さえつけられるような、腹を空かせた蛇が首をじわじわと絞めているような圧迫感を覚え、ブイモン達は抱えていた果物を落としてしまう。
は、は、と短い吐息が連続的に吐き出され、上手く呼吸が出来ない。
ばく、ばく、ばく、と心臓の鼓動が早まり、脳が警鐘を鳴らして早く逃げろと急かしてくる。
しかしその足は動かない。
同胞の中でも速いと評判のその足は、地面を蹴ろうとしない。
それどころか、上から押さえつけてくる圧迫感にあっさりと負けて、その場にへたり込んでしまった。
ぎらり
顔が見えないデジモンが背負っている太陽の光を反射し、振り上げた爪が嘲笑うようにぎらつく。
ああ、きっとあの爪で同胞の首を撥ねたんだ。
何処か他人事のように、ぼんやりとした眼差しで振り上げられている爪を見つめる。
ぶん、と振り下ろされた爪がブイモンに迫る。
ガギィイイイイイイン……!!
硬い金属性の物がぶつかり合う音がした。
同時に浮遊感を覚え、ブイモン達は強く叩きつけてくる風の中、空を泳いでいた。
『死ぬなよ、×××!!』
『お前こそな、○○○!!』
そんな軽口が叩かれているのも意識の向こう側で、ブイモンは何が起こっているのかさっぱり理解できなかった。
眼下を見下ろす。
自分達がいたであろう場所からぐんぐん遠ざかって行き、襲い掛かってきたデジモンはいつしか豆粒みたいに小さくなっていた。
だからあのデジモンが一体何だったのか、未だに思い出せない。
上を見上げる。黄金が、自分達を包んでいた。
自分と同じ紅い瞳と青の身体。
黄金の鎧に包まれているそれは、何処か懐かしい匂いがした。
『だ、れ……』
『喋るな、舌を噛むぞ!』
じわじわと侵食していた恐怖心が払拭され、ブイモンはようやく声を出したが、黄金の誰かはぴしゃりと制した。
びょおびょおという風の音が、ブイモンの耳元を掠っている。
『っ、もう追ってきたか……!』
やがて、何かに気づいた黄金の誰かは舌打ちをして、高度を下げていった。
そこは、森に囲まれた拓けたところだった。
その近くには盛り上がった岩の丘があり、黄金の誰かはそこに降り立った。
辺りを忙しなく見渡すと、盛り上がった岩の丘に駆け寄り、ブイモン達を片腕で抱えたままもう片方の腕で岩肌をくり貫くように、穴を開けた。
更に奥へと掘ってブイモン達を放り投げるように押し込め、くり貫いた岩肌で蓋をするように、3体を隠そうとした。
『っ、ま、待ってください!一体何が……!』
我に返ったらしいホークモンが、外と簡易な洞窟を遮断しようとしていた黄金の誰かに縋りつく。
怖い。空のように澄んでいる瞳は、そう物語っていた。
隣にいるアルマジモンも、流石の事態に普段ののんびりとした性格は鳴りを潜めて、同じように黄金の誰かを縋るように見つめている。
何が起こったのか、何が起こっているのか、分からないまま暗闇に放り込まれようとしていることに、ブイモンも恐怖を感じていた。
『………………』
しかし黄金の誰かは答えない。
見つめてくる3対の瞳は、すっかり怯え切っている。
それでも、これ以上長居はできない。
説明している時間もないのだ。この子達を護るためにも。
だから、
『……俺がいいと言うまで出てはいけない』
黄金の誰かは、振り絞るように言った。
『見つかったら……』
間が空く。目を逸らす。低く、唸るように言い聞かせてやる。
『……殺されるよ』
ひゅ、と3体は息を飲み、がっちんという音が聞こえてきそうなほど震えながら硬直した。
今にも泣きそうになりながら、否、目尻に水の玉を浮かべながら口を両手で隠し、必死に頷いた。
“見つかったら、殺される”
後にその言葉が深く、ブイモン達の心を傷つけ、抉ることになるのか、黄金の誰かは知る由もない。
『……いい子だ』
黄金の誰かは、笑った。
それが、ブイモン達が見た誰かの“最期”である。
ずずず、という音がして岩肌の蓋が閉じていく。
光は遮断され、完全な暗闇が支配する。
もう自分の輪郭さえ、暗闇に奪われて分からない。
聴覚も嗅覚も触覚も正常だが、視覚が奪われただけで不安で押し潰されそうになる。
声を出すまいとして、無意識に呼吸まで抑えながら、口元を両手で覆い恐怖でこぼれ出そうな悲鳴を必死で押しとどめる。
匂いでホークモンとアルマジモンがすぐ近くにいることは分かっているのだが、極度の恐怖心と緊張のために指一本動かすこともできなかった。
“見つかったら、殺される”
黄金の誰かの口から放たれた言葉は、呪いのようにブイモン達の心をじわじわと削っていく。
“見つかったら、殺される”
どうして?
“見つかったら、殺される”
分からない。意味が分からない。
“見つかったら、殺される”
殺されなきゃいけないようなこと、していないのに。
自分達はただ、ここで生きていただけなのに。
見つからないように口元を押さえて声を押し込んでいる両手が見えなくても分かるほどに震え、目尻に浮かんでいた水の玉が1つ、ぽろりと零れた。
それがきっかけになって、次から次へと水の玉が溢れては押し出して、零れていく。
『っ……っ……!』
しゃくりあげる声すら出すのが怖くて、身体を丸めてその声を喉の奥に押し込む。
すぐ近くでホークモンとアルマジモンが自分と同じように涙を零しながら、声を押し殺しているのを気配で感じ取る。
でもそれだけだ。
慰めることも声をかけることも出来ず、ただブイモンはそこで震えていることしか出来なかった。
どぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
『ひっ!!』
『っ!!』
『!?』
たった数分だったのに、自分の姿も友達の姿も見えない暗闇の中でブイモン達の精神も恐怖心も限界を迎え、極限に達しそうになっている。
そんな時だ、外と簡易な洞窟を隔てる、頼りない岩の蓋の向こうから爆発するような音が聞こえたのは。
極限状態にあったブイモン達は、突然の音で驚き、飛び上がりそうになった。
短いものだったが、ブイモンは思わず悲鳴を上げ、慌てて口元を押さえる。
全身が震え、ただ祈るように心の中で譫言を繰り返した。
来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで、来ないで
祈る。必死に祈る。
目尻に浮かぶ水の玉が次から次へと溢れてくる。
バキッ!!
何かを殴りつけたような音。
ギャンッ!!
金属同士が叩きつけられる音。
外で誰かが戦っているんだと、やっと理解した。
『………っ!ば……め…!』
『お………す………ない……!』
声が聞こえる。頼りない岩の蓋に阻まれてよく聞こえないが、1つは自分達をここに匿ってくれた黄金の誰かだろう。
もう1つは?黄金の誰かと戦っているのなら、間違いなく自分達を殺そうとしていたあのデジモンだ。
そのことに気づいた時、ブイモン達の恐怖は一気に膨れ上がる。
黄金の誰かが倒れたら、もう自分達を護ってくれる者はいない。
そうなったら、自分達はどうなる?
ここはどうなる?
もしも……ここに隠れていることがバレたら?
岩の蓋の向こうから絶え間なく聞こえてくる音に誘(いざな)われるように、ブイモンは口元を押さえていた手を離し、そっと地面についた。
震える両手と両足を何とか動かして、外と簡易な洞窟を隔てている岩の蓋にそっと手をかけた。
僅かに差し込んでいる光は自分達を照らすほどにはならないが、外の様子を伺うには十分だった。
それが、間違いだった。
『死ねぇっ!!』
やけにはっきりと聞こえてきたのは、相手の死を願う言葉。
斬!!
肉が断ち切れるような嫌な音がした。
動いたブイモンの気配につられたホークモンとアルマジモンも、その様子を見てしまった。
『あ……』
ホークモンの声がした。
『ああ、あ、あ、い、いや、いや、だ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!』
ホークモンが喚く声が狭い洞窟内に響き渡る。
まるで丸いガラス玉にひびが入り、バラバラに砕け散っていくように呆気なく、極限状態だったホークモンの精神は、崩壊してしまった。
ブイモンには暗闇に包まれてしまって見えないが、ホークモンは頭を抱えて見開いて光を失い、濁った空色の目から沢山の涙が溢れていた。
それを聞いたアルマジモンもつられるように、丸いガラスの精神にひびが入る。
『………………あ゛』
崩壊する。ホークモンと違い、アルマジモンは短く呻いただけだった。
『………っ………』
ブイモンの両腕がわなわなと震えている。
中途半端に上げられた腕は、頭を抱えようとしているのか、目や耳を塞ごうとしているのか、それはブイモンにも分からなかった。
それすら分からないほど、ブイモンの精神は崩壊しかけていたのだ。
──どうして?
見開かれた紅い目には絶望の色が浮かんでいた。
──何で?
──何でこんなことになっちゃったの……?
──……俺達を、助けた、から……?
ガラリ、と、ブイモンの精神も崩壊を始める。
紅い目は曇りガラスのように濁っていった。
震えは止まり、中途半端に挙げられていた腕はゆっくりと下ろされていく。
どうしてこんなことになってしまったのか、ブイモンは知らないし分からない。
きっとこれからも、知ることはないだろう。
でもこれだけは確実だ。
あの黄金の誰かは、ブイモン達を助けたために命を散らせてしまったのだと。
ぐらりと傾いた黄金の誰かの身体。
力なく地に伏したその身体を、そのデジモンは何を思って見下ろしているのか。
隙間から垣間見える光景を、ブイモンは光を失った目で呆然と見つめる。
そのデジモンは右足を振り上げたかと思うと、物言わぬその身体を思いっきり踏みつける。
デジモンは死ぬとデータの粒子となって消えてしまうのだが、その黄金の誰かはデータ量が多いのか、さらさらとしたデータの粒子が空中に漂いながらも、その身体はなかなか消えない。
その身体を、尊厳を踏みにじるように、そのデジモンは何度も何度も蹴りつけるように踏みつけた。
ぐしゃ、ごしゃ、ぐちゃ……
強く強く、何度も何度も踏みつけているせいで肉が抉られ、削られていく。
生々しい音が嫌に響き渡っていた。
崩れ落ちる肉片もデータの粒子になって消えていく。
ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ……
蹴る、蹴る、何度も蹴る。
その度に肉片が抉れて、べちゃ、べちゃ、と生肉が辺りに飛び散る音がする。
もう手のひらぐらいの肉片しか残っていない。
黄金に輝いていた鎧はとうの昔に砕け散っていた。
自分達を助けてくれたあの眩い黄金は、もう何処にもいない。
ぐしゃ……
目が合った。
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