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「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
ミミの悲鳴が部屋中を反射する。
彼女の喉をぶち破るほどの声量は、普段ならきっと子ども達は顔を顰めながら耳を塞ぐだろう。
しかし今の子ども達に、そんな余裕はなかった。
「いやああああああああああああああああ!!もういや見たくない聞きたくない!!もうやめてぇええええええええええっ!!!」
耳を塞ぎ目を閉じ、頭を何度も振りながら蹲ってしまった。
きつく閉じた目からはボロボロと幾つもの涙が零れている。
空は女の年長者としてしゃがみこんでしまったミミに寄り添ったが、彼女も放心してしまってミミを抱きしめたままその場にへたり込んでしまった。
光子郎と丈はすでに映像が終わって真っ黒になっているモニターから目を離せずにいた。
「………どういう、こと、だよ、ゲンナイさん」
ミミの嗚咽だけが響いている空間に、太一の震えている声がはっきりと聞こえた。
握っている拳は目に分かるぐらいに震えている。
ゆっくりと、ゲンナイの方を振り向いた太一の表情には怒りが滲んでいた。
ゲンナイは何も言わない。言わなくても、理解できるだろうと言いたげな表情しか浮かべていなかった。
翌日、ゲンナイは寝不足気味な子ども達をメインコンピューター室に集めて、改めて自己紹介をした。
ブイモンは、まだ目を覚ましていなかった。
昨日ほどの震えではなかったものの、まだ若干震えており、薄く開かれている瞳から流れている涙は未だ乾いておらず、赤く腫れている下眼瞼が見ていてとても痛々しかった。
心配そうな表情を浮かべながらブイモンを見つめる子ども達に、ゲンナイは口を開いた。
「子ども達よ、心して聞いてほしい……私は、ブイモンがこうなってしまった心当たりがある」
「っ!?」
大輔達を含めた子ども達は、目を見開いて硬直した。
「……聞きたいか?」
「っ、当たり前だろ!」
「一体ブイモンに何があったんですか?」
太一と治が代表してゲンナイに詰め寄る。
大輔はずっと診察台に横たわっているブイモンに寄り添って、ずっと手を握っているし、ヒカリと賢となっちゃんは大輔にぴったりくっついて離れない。
ゲンナイは目を閉じてゆっくりと深呼吸をすると、決心したように目を開き、子ども達をぐるりと見渡した。
「……君達には辛いものになるかもしれないよ。それを背負う覚悟はあるかい?」
神妙な表情でそんなことを聞いてきたゲンナイを不思議に思いながらも、太一は勇ましく返事をする。
でもそれは子ども達を代表したものではなかった。
何故ならゲンナイがそう言った瞬間、太一以外の子ども達はたじろいだからだ。
辛いものになる、という言葉はまだしも、背負う覚悟はあるかなんて言われるとは思っていなかったようで、ざわついてこそいないものの顔を見合わせて迷っていた。
これから自分達は何を聞かされるのだろう、という不安がありありと浮かんでいる。
そんな子ども達の不安を感じ取った太一も、仲間達の方を見て黙り込んでしまった。
「……聞きたいです」
「っ、大輔……」
静まり返った空間に響いたのは、大輔の声である。
は、と子ども達は一斉にそっちを見た。
診察台に寝かされているブイモンの手を握って、真っ直ぐゲンナイを見つめている。
「……俺は、ブイモンのパートナーだから、だから、どんなことがあったってブイモンは俺のパートナーだから、ブイモンに何か辛いことがあったって言うんなら、俺、ちゃんと、聞きたいです……!」
「……分かった」
唇をぎゅっと結んで、強い意志を秘めた目でゲンナイを見つめる大輔。
ヒカリと賢も顔を見合わせて頷き合い、同じような眼差しでゲンナイを見つめた。
そんな最年少達を見て不安を抱いていた上級生達も、不安を払拭させてゲンナイを見やる。
覚悟を、決めたようだ。
「……口で説明しても、きっと想像しにくいだろう。だから記録で見せるよ」
そう言うとゲンナイは手のひらを上に見せるように翳す。
ぽう、と手のひらの上に浮かんだ青く丸い光。
ナノモンは部屋の電気を消し、ゲンナイからその光を受け取るとキーボードが並んでいる台にある窪みに、その光を置くように収めた。
その結果が、これだ。
ミミは未だに耳を塞ぎ目を閉じ、泣きじゃくってへたり込んでいるし、空はそんなミミに寄り掛かるように抱きしめたままだ。
彼女も放心から帰ってきておらず、ぼーっとしている。
光子郎と丈もぼんやりと突っ立ったままだし、治はどっかりと座り込んで両手で顔を擦るように覆っていた。
太一はずっとゲンナイを睨みつけている。
あれはゲンナイに対して怒りを抱いているのではなく、少しでも気を抜くと情けない表情になりそうだからだ。
ゲンナイもそれを分かっているようで、太一のその態度について敢えて何も言わなかった。
それよりも、とゲンナイは最年少3人の方を見やる。
診察台に寝かされているブイモンの手を握って、光子郎や丈と同じように暗くなったモニターを呆然と見ていた。
え、なに、あれ、うそ、しらない、あんなの、そんな、しらないしらない、うそだそんななんでどうしてしらないしらないしらないしらないしらないしらない!!
大輔の頭の中は大混乱である。
当然だ、“前世”でも今でも、ブイモンの過去なんて知らなかった。
興味がなかったと言ったら嘘になるが、1度だけ聞いた時にずっと寝てたから覚えてない、とあっけらかんと言い放っていたから、覚えていないのなら仕方がないとそれ以上言及しなかった。
こんな、こんな酷い過去を、ブイモンは背負っていたの……?
「う゛ぇ……!」
嘔吐くように息を吐いたヒカリが、とうとう座り込む。
なっちゃんが慌ててヒカリを支えようとしたが、ヒカリより1センチぐらいしか高くないなっちゃんではヒカリを支えきれず、2人とも尻餅をついてしまった。
賢は……大輔とほぼ同じような反応で、根が張ったように動かない。
「……どういう、ことなんですか、ゲンナイさん」
太一はもう1度、ゆっくりと噛みしめるようにゲンナイに問いかけた。
ゲンナイは、今度は口を開いた。
「……ブイモンはね、太一。君のパートナーであるアグモンや、治のパートナーであるガブモン、他の子ども達のパートナーとは、少し違うんだ」
「……違う?」
「そう。アグモン達はいわゆる“現代種”と呼ばれているデジモンでね。そうだな、君達の世界で言うライオンとかゾウとか……今の時代に生きているデジモンなんだが、ブイモンだけは違うんだ。ブイモンは大昔、気が遠くなるぐらいの大昔に生きていた種族のデジモンなんだよ」
「……大昔、の?」
衝撃的な映像を見せられて、未だにショックから抜け出せない大輔は、何処か他人事のようにゲンナイと太一のやりとりを聞いていた。
「授業とか、テレビで見なかったかな?大昔は人間じゃなくて、恐竜が地球を支配していた時代があっただろう。だが恐竜は巨大隕石の衝突によって絶滅してしまったね」
「………………」
「だから今では恐竜は何処にもいない。ブイモンはそういうデジモンなんだ」
「……つまり……ずっとずっと、昔に生きていて、絶滅してしまったデジモン、という、ことです、か……」
『オサム……』
ダメージからいくらか回復した治が、会話に参加する。
ガブモンが心配そうに寄り添うが、ガブモンも顔色はよくなかった。
それでも、立ち上がって太一の隣へ移動した治を必死に支えながら一緒に歩いた。
ゲンナイは目を細めながら頷く。
「今はもう、ブイモンという種族は大輔のブイモンだけ、この世でたった1体しかいない、絶滅危惧種なのさ」
大輔のブイモンがまだ残っているから、絶滅種ではない。
しかしブイモンと同じ時代に生きていたデジモン達は、先ほどの映像に映っていた謎のデジモンにより、ブイモン他数十体ほどだけを残して全て滅んでしまった。
「……少し、休憩しようか」
すっかり憔悴しきってしまっている子ども達を見て、ゲンナイがそう提案すると、空はピヨモンとパルモンを伴ってミミと共に寝室に引っ込んでいった。
ずっと黙り込んでいた光子郎と丈も、それぞれのパートナーに連れられて同じく寝室へと向かう。
彼らの足取りはとても重く、ショックの大きさを物語っていた。
「………くそっ!!」
『あ、タイチ……』
悪態を吐いて、太一も寝室の方に戻って行った。
慌てて追うアグモン。
治も、顔を俯かせながら僕も休むと呟き、その呟きを拾ったガブモンに支えられながら部屋を出て行った。
パタモンとテイルモンは、互いの顔を見合わせた後ロップモンを連れて同じく部屋を出て行く。
──残っているのは、大輔とヒカリと賢、なっちゃんである。
「……ゲンナイ、さん」
「……君達も休むかい?私が言うのもなんだが……酷い顔色だ」
大輔は首を横に振る。
「……ここにいたいっす」
「……そうか」
大輔の気持ちは痛いほどに分かる。
ゲンナイはナノモンに目配せをして、一旦この部屋から出てもらった。
今なら、他の子ども達もデジモン達もいない。
「……ゲンナイさん、あれ、は……あれって……」
「……本当のことだよ。嘘を教えるわけがないじゃないか」
「……そうじゃ、なくて……」
ゲンナイはこの部屋の入り口に目を向け、他の子ども達が来ないことを確認すると、へたり込んでいる大輔達の前に座った。
「今なら太一達もいないから、気にしなくていいよ」
「………………“前”のブイモンも、そうだったんっすか」
「うん?」
「……“前”のブイモン達も、ああいう風にみんないなくなっちゃったんですか……?」
「……そのことなんだがね」
ゲンナイはとんでもないことを口にした。
「ここは君達が、そして私達がいた世界ではないんだ」
「……は?」
「“君達”が生きていた世界とは、違う世界線の世界なんだよ」
「え……あ、ま、待って、ください、どういう、こと……」
「大丈夫だ、きちんと順序立てて説明するから落ち着きなさい」
ゲンナイは、話してくれた。
「まずは前提の話をしよう。パラレルワールドというのは知っているかな?」
パラレルワールド、というのは日本語で平行世界、決して交わることのない2つ以上の異なる世界のことだ。
それはつまり、現実世界とデジタルワールドのことである。
だが世界は現実世界とデジタルワールドの、2つだけではない。
世界と言うのは選択肢の数だけ存在しており、また選択肢が増えるたびに世界も増えていくのである。
通常は交わることなく、一定の距離と空間を保って、同じ時間が流れていくものなのだが、例外なのが大輔達がいる世界とデジタルワールドだ。
この2つの世界は引き離すことが出来ないほどに密接に絡み合っており、一方の世界に異変が起きるとその異変に引っ張られるようにもう一方の世界にも異常が起こる。
今デジタルワールドで起こっている異変が、現実世界に異常気象という形で現れているように、だ。
その異変を解決するために、デジタルワールドは現実世界から太一達“選ばれし子ども達”を召喚したのである。
それは、大輔達の“前世”でも同じだった。
違うのは、ヒカリが選ばれし子どもとしてデジタルワールドを冒険したタイミングと、大輔と賢が選ばれた時期だ。
ヒカリは風邪を引いてキャンプを休んでしまったために、太一達と一緒にデジタルワールドを冒険することはできなかったし、パートナーであるプロットモン、基テイルモンもゲンナイのミスではぐれてしまっていたせいで、出逢うタイミングが遅かった。
賢が選ばれたのは2000年、太一達の冒険の1年後だった。
大輔は3年後、2002年に選ばれ、とある事情で洗脳されていた賢を元に戻し、デジタルワールドに生じた歪みを正すためだった。
だから、本来なら3人ともここにいるはずがないのだ。
まだこの場にいるはずがないのである。
「……もしもここが君達が生きていた世界線の、過去の世界であるなら、当然君達がここにいるはずがない。時間は改竄を許しても、歴史は改竄を許さない。歴史の修正力は侮ってはいけない」
それは、正史から横道に逸れようとすると元に戻そうとする世界の力。
大輔達がいた世界では、大輔達が歩んできた歴史が“正しいもの”だから、未来から過去に渡って歴史を改竄しようとしても、決まっている未来に辿り着くために及ぶ力なのである。
未来で死に、過去に飛んできたのなら、修正力が働いて大輔達がここにいることは決してない。
しかし大輔達はここにいる。
もう少し後で選ばれるヒカリは、2000年と2002年に選ばれる賢と大輔は、ここにいる。
だからゲンナイは早々に悟った。
この世界は彼らが作った未来とは別の未来に向かおうとしている、異なる世界なのだと。
「……兄さんが、いるのも……“世界”が違うから……?」
賢の言葉が重く大輔達に伸し掛かった気がした。
賢の兄、一乗寺治は故人だ。
賢が9歳の時に、治は交通事故で亡くなったのだが、この世界は彼らがいた世界とは違う世界線のために、“交通事故で死ぬ”という歴史にはならなかった。
歴史を変えたわけではない。
ゲンナイの言葉を借りるなら、“治が死なずにデジタルワールドを冒険する”というのが、この世界の正史なのだ。
兄が生きている。生きて、共に冒険している。
それだけでも賢の目頭に熱いものがこみ上げてきた。
もう二度と逢うことは叶わないと思っていた、憎くて大好きだった兄。
でも……。
「……ゲンナイさんは、どうしてここに?」
“前世”のことを思い出した時、自分達をずっとサポートしてくれていたゲンナイは“ゲンナイ”だと確信した。
何故なら、本来この時のゲンナイは敵の策略により、自身を老人化していたからだ。
太一達が初めて会った時のゲンナイは、お爺さんの姿をしていたと太一達からも聞いていた。
大輔達がここにいるはずがないのと同じように、若い姿のゲンナイがいるはずがないのである。
“前世”のことは思い出したが、“今世”のことだってちゃんと記憶には残っていた。
“ゲンナイ”が初めて子ども達の前に姿を現したのは、アンドロモンの工場にて、アンドロモンに促されてみんなで輪になってみんなのデジヴァイスを中心に向けた時。
録画データのゲンナイは確かに若かったし、デビモンを葬った後に再び赴いたアンドロモンの工場で、録画ではなくリアルタイムでの映像に映っていたゲンナイは、老人の姿ではなかった。
そして何より、“前世”の記憶を思い出した昨日の夜、ゲンナイと話をした時に彼は何の疑問も持たずに会話をしていた。
それはすなわち、彼も大輔達と同じように未来から過去へ飛んできた存在ということだ。
彼の場合はデータだから、死ぬという概念はないしどうやってこの世界に辿り着いたのかも疑問だが、尋ねればゲンナイは基本的にちゃんと答えてくれる。
今回も、ゲンナイはちゃんと教えてくれた。
「……その前に聞きたいのだが、3人とも覚えているのは何処までだ?」
「何処まで、って言うと……死んだ時のこと、っすか?」
「うん、まあ、そうだね。何処まで覚えてる?」
「……死んだ時のこと、は、覚えてないです。ただ、死ぬ直前ぐらいまで、なら」
「なら、死ぬ直前にとあるデジモンと戦ったことは覚えているね?」
頷く3人。
“前世”で大輔達は、彼らと共に選ばれた元子ども達と一緒に、8月1日の記念日にキャンプをするために、デジタルワールドに来ていた。
キャンプ地を探そうとしていた時に、ゲンナイからメールがあった。
高エネルギー体が次元の壁をぶち破ってこようとしているから、現場に行って正体を見極めてほしい、という旨のメールだったはずだ。
現場に駆け付けた大輔達が見たのは、見たこともない、水晶の中に閉じ込められたようなデジモン。
光子郎が30年近くかけてかき集めた世界中のデジモンを登録したデータベースにもヒットしなかった、正体不明のデジモンだった。
しかし“前世”を思い出したと言っても、その記憶は虫食いのように断片的であるために、その前後が曖昧になっていた。
そう正直に言えば、ゲンナイは大丈夫だよと言ってくれた。
「君達はあのデジモンが起こした爆発で死んだんだが……その爆発で空間に穴が開いて、あのデジモンはそこから別の次元に逃げたんだ。そして君達のデータ……君達の世界で言うと魂や心の一部、または大部分が、あのデジモンが逃げた勢いに巻き込まれて、引っ張られた。そうして辿り着いたのが、この世界なのさ。それだけなら、この世界の私に任せればいい。別の世界に干渉するのはルール違反だからね」
「……そのルールを破ってでもゲンナイさんがここに来たのは……あのデジモンの存在に関係しているんですか?」
「流石だ、賢。その通りだよ。実はあのデジモンを追ってきた、別の世界の子どもが迷い込んできて、丈が保護していたんだ」
「えっ」
「その子から聞いたんだが、あのデジモンは存在するだけで空間や因果律を無理やり捻じ曲げてしまうほどのエネルギーを持っているらしい。おまけに異次元を移動する能力も持ち合わせているらしく、これまでも沢山の世界を渡ってきたそうなんだ。その子どもはあのデジモンを止めるために、あのデジモンの後を追って沢山の世界を渡ってきて……その先々で世界が歪んでしまったのだと、話してくれたよ」
「………………」
「そこで最初の、大輔の質問だ。ブイモンの過去……あの悲惨な過去は、我々の正史ではあり得ない歴史だ。我々エージェントが生まれたのは古代種達が滅んだずっと後のことだが、きちんと記録として残っているよ。ブイモン達古代種は時代の波に押されて、変化していった環境に対応できずに、緩やかに絶滅の一途を辿った。君達の世界で絶滅した生物と同じようにね」
「……ま、さか」
ゲンナイの話を聞くうちに、徐々にだがショックから抜け出せた大輔達は、さあっと顔を青ざめさせた。
「……君達が考えている通りさ。あのデジモンが逃げた先は、平行世界のデジタルワールドの過去。つまり“ここ”だ。あのデジモンの影響で因果律が捻じ曲げられて……古代種達はあんな形で絶滅させられたんだ」
「………っ!!」
胡坐をかいた大輔の膝の上に乗せられている両の拳が、ぶるぶると震えるぐらいに強く握りしめられている。
その顔には見たこともないような、怒りに満ちた形相が浮かんでいた。
怒る時は一瞬で、その怒りも持続しない大輔にしては、珍しいぐらいに怒っている。
でもそれは当然のことだろう、ブイモンは大輔のパートナーだ。
大切なパートナーが、あのデジモンのせいでとても辛い目にあったのだから。
訳も分からず殺されそうになって、間一髪助けてくれたデジモンもブイモン達を護ろうとして目の前で死んでしまった。
どれだけ怖い思いをしたことだろうか。
映像を見ただけのミミも、髪を振り乱して泣いていたぐらいだ。
当事者であり、その恐怖の中心にいたブイモンの心境はいかほどに。
「……ブイモン、私達と一緒にいた時、全然そんな話してなかったよね?」
「……きっと忘れちゃってたんじゃないかな」
最年少達とそのパートナー達でひと塊になって、ずーっとお喋りをしていた3人と3体だったが、ブイモンからそんな話は聞いたことがなかった。
いつも自分達のことばかり知りたがって、ブイモン達のことを聞いたことがなかったと、今になって思い出す。
聞かなかった自分達も悪かったが、あんなに辛い過去を抱えていた素振りを全く見せなかったから、ヒカリは至極当然の疑問を口にし、それに答えたのは賢であった。
「あれだけ怖い思いしたら、心にかかる負担は想像できないよ。だから……心を護るためにブイモンは“忘れた”んじゃないかなぁ」
つまり自己防衛反応だ。
ブイモンは生きるために、あの辛くて怖かった出来事を、全部忘れることで自分の心を護ったのである。
忘れることにしたから、自分の記憶からあの出来事を全部消したから、ブイモンはそんな素振りを見せなかったのだ。
賢が確認するようにゲンナイを見やると、その意図を察したゲンナイは恐らく、と言って小さく頷いた。
「……俺、ゲンナイさんに聞きたかったことがあったんです」
「うん?」
「デビモンを倒した後、アンドロモンの工場で、太一先輩達が色々質問してましたよね」
「そうだね」
「それで、俺もブイモンが全然目を覚まさないって質問しましたよね」
「ああ。今だから言うが、アンドロモンが検査したところ、デジコアの消費が激しかったそうだ」
まあ、当然だな、とゲンナイは何でもないように言った。
“前世”で、大人になった頃に聞いた話を、朧気ながらに思い出す。
ブイモン達古代種は現代種と比べると感情の起伏が激しく、データの書き換えを意味する“オーバーライト”が荒々しいために、寿命が極端に短い。
まだデジモン達が生まれたばかりの古代という時代に生きていたために、進化の幅も狭く成熟期に進化するのがやっとで、その成熟期に進化するのにも命がけだった。
通常の古代種が進化をすれば、たった1度の進化が命とりとなり、最悪の場合死に至るのだが、ブイモン、ホークモン、アルマジモンの場合はパートナーデジモンであるという制約のために、進化にかかる負担をパートナーである子どもや、媒体となるデジヴァイスが請け負う形で軽減され、進化と退化を繰り返すことが可能になった。
今回も、ブイモンは大輔のパートナーであるが故に、古代種であっても進化にかかる負担は大輔とデジヴァイスが軽減してくれるはずなのだが……。
「……恐らく、デジヴァイスの容量を超えていたのだろうね。そのデジヴァイスでは、ブイモンの進化にかかる負担を軽減しきれなかったんだと思う」
正史では今から3年後、デジヴァイスの形状が変わる。
D-3という名のデジヴァイスなのだが、旧式のデイヴァイスにはなかった機能が備えられており、データ容量も更に増えたことで、できなかったことが出来るようになった。
それが、アーマー進化とジョグレス進化だ。
アーマー進化は古代種が生きていた時代、進化の幅が少なかった古代種達の主流であり、進化にかかる負担が殆どなかった、古代種にとっては容易に進化をするためのアイテムだった。
その利便性を危惧した者達によって、様々な制限が駆けられたうえに、古代種のデータを持っていなければ使用することもできないために、古代種の数が減るにつれて廃れていった進化である。
とある事件によりデジモン達は通常進化が出来なくなったために、デジタルワールドの安定を望む者達によって、デジメンタルと共にその存在を復活させられたのが、大輔のブイモン、京のホークモン、そして伊織のアルマジモンである。
更に、古代種のデータを因子として持っていたタケルのパタモンとヒカリのテイルモンがいたことにより、その2人も新たに選定されたのだが、その話は今は置いておこう。
今聞きたいのは、それではないのだ。
「ホントは、別のこと聞こうと思ってたんです。ブイモンの奴……パタモンとテイルモンと、それから俺とヒカリちゃんと賢以外の人やデジモンが触ると、すっげー怖がること。何でだろうって思ってて、でもブイモンも何でか分からなくて、どうしようもなくて……ゲンナイさんなら知ってるかなって思ってたんすけど……」
「……確証はないが、推測はしている。確信がないから断言はできないのだが……」
「それでもいいです」
「……助けてもらったことが原因なのではないか、と私は見ている。詳しいことはまた今度話すが、実は私となっちゃんがあのデジモンを追って辿り着いたのが、丁度古代種達が絶滅させられた直後辺りでね。ブイモン達を保護したのは私なんだが……その時既にブイモンは触れられることを拒絶していた」
ショッキングな出来事を目撃して、精神が崩壊寸前にまで追い詰められていたブイモンは、ゲンナイ達が保護しようと伸ばした手を見て、悲鳴を上げて拒絶したのだそうだ。
可哀想なぐらいぶるぶる震えて、ボロボロと涙を零して、自分の存在を消すように身体を小さく丸めて怖がっていたらしいのだ。
「……忘れたと言っても、それは心の記憶だけで、身体の記憶は覚えていたのだろうな。触れられることを今でも怖がっているのは、恐らくそういうことだと思っている」
身体の記憶というのは、身体に染み込まれた習慣のようなものだ。
毎日毎日、同じ動作を繰り返すことで、意識せずともその動きが自然にできるようになる。
ブイモンは強烈な恐怖を体験したことで、それが身体に染みついてしまったのだろう。
“自分を助けたデジモンが死んだ”という恐怖が、“自分に触れたら相手が死ぬ”という恐怖に変換されたのだ。
だが新たな疑問が浮かぶ。
「……大輔はともかく、何で僕と八神さんは平気なんでしょうか」
賢がその疑問を口にした。
触れられることを怖がるブイモンが、大輔が触っても平気なのは納得できるとして、何故ヒカリと賢までも平気なのか。
そして何故パタモンとテイルモンも平気だったのか。
するとゲンナイは困ったような表情を浮かべて、後頭部をがしがしとかいた。
「ヒカリと賢が平気な理由は分からないが、パタモンとテイルモンが平気な理由は……私の口からは言えないな」
「……何か知ってるんすか?」
「ああ。だが私の口から語るべきではないだろう。本人達に直接確認するといい……パタモン達も恐らく、“思い出した”だろうからな」
意味深な言葉を発したゲンナイは、さて、と言って両膝に手をつきながら立ち上がった。
「少し休憩しようか。1度に情報交換をしても、整理しきれないだろうしね」
「え、あ、でも……」
「喉も乾いただろう。何か取ってくるよ」
「あ、アタシも行く!」
そう言うとゲンナイは、黙り込んでしまっていたなっちゃんと一緒に子ども達の寝室として用意されていた廊下へと消えていった。
まだ聞きたいことがあった賢は、中途半端に伸ばした手を引っ込め、座り直す。
大輔を挟んで反対側にいたヒカリと目が合った。
「………………」
「………………」
言葉はない。否、何も言えないのだ。
ゲンナイの言う通り、受け取った情報量の多さに、2人の脳が処理しきれていないのである。
ただでさえ“自分達は既に死んでしまった人間である”ということを思い出して、混乱が収まっていない状態なのに、ゲンナイから聞かされた情報で更にオーバーヒートしてしまいそうだった。
「……僕達、これからどうすればいいのかな」
「………………」
“前世”の記憶があるとはいえ、大輔も賢もヒカリも、この冒険に最初から参加していた3人ではない。
しかし全てを知らないわけでもない。
この冒険の行く末、結末、自分達が得るもの、失うもの。
辿り着く道が同じなら、自分達はどうすればいいのだろうか。
知らない振りを通して、これまで通り上級生達の後をついて行くべきか。
それとも……。
どぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
運命の女神は、更なる試練を子ども達に課す。
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