ナイン・レコード   作:オルタンシア

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いまとみらい

.

 

 

 

 

 

約束したの、ずっと一緒にいるって。

 

 

 

 

 

これを見てくれ、とゲンナイは子ども達にモニターに映った映像を見せる。

そこには、2つのよく似た球体があった。

何ですか、これ、って治が聞くと、これは君達の世界とデジタルワールドだと教えてくれた。

 

「同一多重空間というのを知っているかな?」

「全く同じ場所にありながら、決して交じり合うことのできない空間、のことですか?」

「そうだ。君達の住む現実世界と、デジタルワールドがまさにそう言う空間なんだ。君達はこの世界を隣り合った別の世界だと思っているようだが、少し違う。デジタルワールドと現実世界は、全く同じ空間にありながら、決して干渉することが出来ない、そんな世界だった」

 

だが暗黒の力が増大したことにより、今現実世界とデジタルワールドはその境界が曖昧になっているのだそうだ。

現実世界で起きている異変は、それが原因らしい。

 

「つまり……どういうこと?」

「世界というのは幾つもあるものだが、それらは全て隣り合っているもので、時間の流れも同じなんだ。だが、君達の世界とこのデジタルワールドは、他の世界と違って全く同じ場所にある。地球の裏側、内側、そういうもっと踏み込んだ深い場所に、この世界は存在している」

 

パネルのキーを操作すると、地球とデジタルワールドに幾つもの線のようなものが現れる。

それは、それぞれの世界のネットワークで、2つの世界を重ねるとピッタリと一致した。

球体の大きさも、ネットワークの位置も、全て。

 

「ここはパソコンなどの電子機器を通してくることが出来る世界……。分かりやすく言うと、コンピュータの中に出来た世界が独自に発展した世界ということだ」

「……僕と光子郎の仮説は当たっていたのか……」

 

ここに来る前に通った洞窟の中で、治と光子郎は、ここは実態のないデータだけの世界だという仮説を立てた。

アンドロモンの工場と、洞窟の中にあった見たことのない文字、通称デジ文字を消したり書いたりすることで、様々なことが出来る。

コンピュータに書き込んだプログラムで、コンピュータを自在に動かすことが出来るように。

だから自分達は、今はデータの存在であると。

だがそれを否定したのは、太一だった。

情報の授業を受けた時に治が言っていた、コンピュータは命令されたことしか出来ないということをちゃんと覚えていた太一は、自分が額に大怪我を負って死にかけたことも、そのことでコロモンがすごくすごく傷ついてわんわん泣いたことも、全部データとして決まっていたことなのかと。

コンピュータは、命令されたことしか出来ない。

それはゲームも同じだ。

エンディングが決まっているものも、エンディングが複数あるものも、道を選ぶことはできても結局辿り着く場所は同じなのだ。

それは、ゲームを作っている人達が決めたエンディングで、誰も書き換えることはできない。

 

「……そうだね、太一の言う通りだ。確かにここは、治、光子郎。君達の仮説通りコンピュータの中にある世界だけれど、全ての事柄が初めから決まっているわけじゃない。ある程度のルールは存在しているが、行く末を決めるのは神や現実世界の人間達じゃなく、ここに生きているデジモン達だ。だからそう言った意味では、デジモン達も人間と同じさ。色々と例外はあるがね」

 

その話はまた今度することにして、とゲンナイは話を戻す。

パネルのキーを操作し、モニターに映っていた球体は消えて、代わりに白い背景と赤い点が現れた。

一定のリズムで点滅している点は、ゆっくりと動いている。

 

「……いつまで経っても太一のデジヴァイスの反応が、狭間からデジタルワールドに現れる気配がないし、それどころか先ほどよりも動きがまた遅くなっている。十中八九、太一達は現実世界の方に引き寄せられているな」

 

ゲンナイの言葉に、子ども達は安堵するやら不安がるやら、様々な反応を見せていた。

 

「現実世界に着いた時、太一がパソコンに近寄ったりすればコンタクトを取ることはできるが……何度も言った通り、現実世界とデジタルワールドでは時間の流れが違う。太一がコンピュータに近づくまで、こっちの時間がどれだけ流れるか……」

「……太一もそう莫迦じゃないから、日付が変わっていないことにさえ気づけば、何とかしようとはすると思いますが……」

 

治の言葉に、ついうっかり知っていると言いそうになったゲンナイは、苦笑をして誤魔化した。

未来では光子郎の次ぐらいに、一緒に仕事をしていた期間が長いのだ。

彼の性格は熟知している。

 

 

何故こんな話になったのか、話は2時間ほど前まで遡る。

 

 

襲撃してきたエテモンを倒すために、ピラミッドの外に飛び出していった太一とアグモンは、紋章が正しく作用されたことでメタルグレイモンへと進化を遂げた。

その圧倒的な力は暗黒の力に飲まれ、理性と知性を失い本能がままに暴れていたエテモンを簡単に押さえつけたのだが、その後が問題であった。

駆けつけた治が目撃したのは、謎の歪みに吸い込まれてその姿を消した親友とそのパートナーの捻じれた後ろ姿だった。

太一とグレイモン、基メタルグレイモンを飲み込んだ歪みは、2人を巻き込むともう用はないと言わんばかりに綺麗に消え去った。

まるで無理やり捻じった部分が、手を離した瞬間反発して元に戻ったように。

治はガブモンを連れて太一が消えた辺りまで駆けつけ、腹の底から太一の名を呼んだが、辺りは戦闘の名残が漂っているだけで親友の返事は何も来ない。

最悪の事態が頭を過り、治の心に絶望の火が灯った時、背後から声をかけられた。

ゲンナイだった。

壊れかけ、スクラップ同然のナノモンを抱えながら、ゲンナイは言う。

 

「治、まだ希望を捨てるのは早い。運が良ければ太一は無事だ」

「……運が、よければ……?」

 

ゲンナイは慰めのつもりで言ったのだろうが、その言葉は絶望に沈みかけている治を引っ張るには至らなかった。

それどころか加速していった。

運がよければ、なんて、それじゃあ運が悪かったら、太一は……!

ゲンナイはそんな治に気づかず、背を向けてピラミッドの方に戻る。

呆然としている治を、ガブモンが何とか引っ張ってゲンナイの後を追った。

 

 

ゲンナイは知っている。

太一がとんでもない強運の持ち主だということを。

ゲンナイは確信している。

世界線が違ってもほぼ同じルートを辿っているのなら、太一は間違いなく現実世界にいると。

 

 

ナノモンをメディカルルームに放り込んで修復作業をしている間、ゲンナイはナノモンの代わりに大きなモニターの前に陣取ってキーボードを操作していた。

 

「君達と直接会ったら言おうと思っていたんだが、実は君達が持っているデジヴァイスには様々な機能が備わっていてね」

 

デジモンを進化させるだけなら、デジヴァイスという媒介は必要ない。

何故なら大輔とヒカリと賢が、デジヴァイスなしでボタモンをコロモンに進化させたからだ。

デジモンを進化させることが出来る能力を持つ子どもなら、一定期間触れ合っていればデジモンは進化する。

しかしそれは飽くまでも“進化させるだけ”ならという条件でだ。

デジモン達は想いの強さで進化を果たし、感情が高ぶることで規定以上の強さを発揮するのだが、それは諸刃の剣でもある。

想いや感情に負が交わっていると、力が暴走してしまい理性を失う。

スカルグレイモンに進化してしまった時が、いい例だろう。

あれは目の前で太一が倒れ、太一をちゃんと護ることが出来なかったという負の感情にグレイモンが飲まれ、負けてしまったからだ。

進化しても暴走することなく、己の持つ力に飲まれることなく戦えるように、デジヴァイスという制御装置を必要とするのである。

もしも選ばれたのが大人だったら、行動する前に考えてブレーキをかけるから、デジモン達を暴走させずに進化させることはできるだろう。

しかしそれが故に、“立ち止まってしまう”。

大人になるにつれ色々なことを経験するからこそ、できることが増えていくがそれと同時に子どもの頃に出来たことが出来なくなってしまう。

思ったことを後先考えず口にする、できもしないなんて夢にも思わずに突っ走る、こっぱずかしい台詞を躊躇なく吐き出す。

だから“子ども”が選ばれる。

有り余ったエネルギーを、まだ汚いものを見たことがない輝く瞳を、現実を知らない夢を持っている子どもが、デジモン達を進化させる糧として選ばれるのである。

そして子ども達の強すぎる想いを制御するのがデジヴァイスだ。

大輔とヒカリと賢がその昔光が丘に迷い込んだボタモンを進化させたことだけを伏せ、ゲンナイはモニターから目を離さずにデジヴァイスの役割を子ども達に話してくれた。

そしてもちろん、デジヴァイスに備わっている機能はそれだけではない。

 

「デジヴァイスを持っている者の居場所を探知する機能と、結界を張る機能だ。結界を張る機能についてはまた今度話すとして、まずは居場所を探知する機能だな」

 

ポン、ポン、ポン、とゲンナイは手際よくゲンナイの手のひらほどあるキーを次々とタッチして、操作していく。

ぱ、とモニターが切り替わり、真っ白なモニターに赤いマークがぽつんと点滅していた。

 

「ゲンナイさん、これは……」

「太一が持っているデジヴァイスを追跡している。もしも先ほど太一とメタルグレイモンを飲み込んだ歪みがこの世界の別の場所に繋がってしまっても、デジヴァイスを持っている限り太一の居場所は何処にいたって分かるんだ」

「そうですか……よかった……」

 

ゲンナイの言葉を聞いて安堵する子ども達。

まあ恐らく、と言うかほぼ確実に太一とメタルグレイモン基コロモンは現実世界にいるだろうが、それはお口にチャックだ。

 

 

 

そして案の定。

 

何時間経っても太一を示しているデジヴァイスの赤い点滅が、何処か別の場所に現れる気配がない。

それどころか徐々にその点滅が移動するスピードが落ちていっている。

間違いなく、太一は現実世界へと向かっていた。

 

「どうしたんですか」

 

自分の予想が当たっていたことでにやけそうになっている口元を隠すために右手で口元を覆っていたのだが、子ども達にはそれが深刻なものに見えたようで、丈が代表して尋ねてきた。

ゲンナイは説明する。もしかしたら太一はここではなく現実世界に向かっているかもしれないと。

そして、冒頭に至る。捩れに巻き込まれ、吸い込まれた太一とメタルグレイモンが、どうして現実世界に戻っていっているのか、子ども達は当然疑問として口にした。

幾ら隣り合ったとても近い世界だとしても、次元の狭間に放り込まれた太一とアグモンが、元の世界である現実世界に帰るなんて、本当に奇跡や運がよかったとしか言いようがなかった。

太一はそれで納得していたが、知りたがりの光子郎がそんな非科学的なことで納得できるはずもなく、賢や丈、ゲンナイを巻き込んで理由を探ったことを思い出して、ゲンナイはしょっぱい表情を浮かべたが、子ども達に気づかれることはなかった。

 

「……いずれにせよ、太一が現実世界に戻ってパソコンに気づくなりなんなりしてくれなければ、こちらからはどうすることもできない。先ほどのこともあるし、君達は少し休みなさい。太一とアグモンのことは私に任せて。それとも何か食べるかい?」

 

時刻は昼過ぎ。いつもならみんなで昼食を取っている時間だが、流石にそんな気になれないようだった。

子ども達は顔を見合わせる。確かに、全員の顔は見ていられないぐらい青白かった。

無理もない、診察台で眠っているブイモンの悲惨な過去を見てしまい、暗黒の力に飲み込まれたエテモンに襲撃され、そして子ども達の中心とも言える太一とアグモンが一時離脱してしまっているのだ。

子ども達の心のダメージは計り知れない。子ども達は素直に頷き、デジモン達に伴われるように重い足取りで部屋を出て行った。

 

勿論、大輔となっちゃん、賢とパタモン、ヒカリとテイルモン、それからロップモンはその場に残って。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

3人とも押し黙っている。

響くのはゲンナイが操作しているパネルのキーを叩く音だけだ。

ブイモンはまだ目覚める気配を見せず、薄く開かれた両目から溢れる涙は止まらない。

大輔は何度もその涙を乱暴に手で拭うが、涙は次から次へと溢れていた。

見かねたなっちゃんがもうやめるように進言するも、大輔はなっちゃんの声など届いていないようで涙を拭う手を止めない。

 

『……ねえ、ヒカリ』

 

どうすればよかったんだろう。

どうしたらよかったんだろう。

ブイモンの過去は変えられないとは分かっているのに、ヒカリはずっとその考えが頭の中を駆け巡っている。

……いや、違う。変えられないのではない、変えてしまったのだ。

あの日、あの正体不明のデジモンを自分達が逃がしてしまったせいで。

あのデジモンが逃げた先が、自分達がかつて生きていた世界とは異なる世界、つまり自分達が今生きている世界だった。

いつだったか1度だけ聞いたことがあった、ブイモン、ホークモン、アルマジモン達古代種の最期。

迫りくる時代の波に抗うことが出来ず、古代種達はゆるりとその姿を消していった。

でもそれは、種としては当たり前のものだった。

変わりゆく時代に適応できないのなら、種族として滅んでしまうのは仕方のないことであった。

デジタルワールド創世記という途方もない昔に生きて、進化の幅も少なかった古代種が、新たな力を手に入れた現代種に追いやられてしまうのも、自然の流れだった。

それが、本来の歴史、正しい歴史である。

しかし自分達があのデジモンを逃がしてしまったせいで、この世界は本来の歴史からずれてしまった。

 

どうすればよかったんだろう。

どうしたらよかったんだろう。

 

ヒカリの頭の中は、ずっとそれだけが占めている。

だからテイルモンが呼びかけてきたことに気づかず、テイルモンに軽く揺さぶられて我に返った。

 

「っ、あ、ご、ごめん、テイルモン……考え事してた……何……?」

『……考え事?』

 

うん、とヒカリは小さく頷く。

テイルモンに声をかけられたことで思い出した。

さっきゲンナイと話し合っていた時には、パタモンもテイルモンも、そしてロップモンもいなかった。

だから知らないのだ、大輔達は未来で死に、魂だけが過去に戻ってきたことを。

今はみんなもいない。だからヒカリは賢に言ってパタモンとテイルモン、ついでにロップモンにも自分達のことを言おうと思ったのだが、テイルモンの方が早かった。

 

『言わなければならないことがあるんだ』

「え?」

『ケンも聞いてほしい。出来れば……ダイスケも』

「え……僕?」

「………………」

 

ずっとブイモンについて離れない大輔をぼんやりと見守っていた賢は、自分を呼ばれるとは思っていなかったようで、何処かに飛んでいた魂が突如引き戻されたように、大袈裟に跳ねながらテイルモンの方を見やる。

大輔はずっとブイモンの方を見ているが、テイルモンの声はちゃんと届いたようで、ブイモンの涙を拭っていた手を止めた。

なっちゃんはどうしようかと大輔達を見回していたが、ヒカリと目が合ったのでその場に留まることにした。

テイルモンの決意に満ちた目を見て、パタモンは悟る。

賢の隣から、テイルモンの隣に移動し、それからロップモンもテイルモンを挟んでパタモンとは反対側に立つ。

そして、衝撃の事実が、3体の口から語られた。

 

『……ヒカリ、ワタシ達は、昔ね──』

 

 

 

“天使様”だったの……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い煙が煙突から立ち上っている。

タケルはそれを外からぼんやりと眺めていた。

黒い服は結婚などのめでたいものではなく、仲間だった者達への弔いの服。

今日は、大輔と賢とヒカリの、合同火葬の日だった。

 

 

世界を救ったかつての英雄のうち、3人が謎のデジモンが起こした爆発により亡くなったことは、瞬く間に世界を駆け巡った。

世界中のお偉いさんが、彼らの親族に労りやお悔やみの言葉をかけるために電話をしてきたり、メールを送ってくれたし、世界中の選ばれし子ども達が葬式に参加したがった。

全員が参加できる余裕はないので、そこは遠慮してもらい、選ばれし子ども達とその家族だけの、ひっそりとした葬式が行われた。

葬式は、酷いものだった。

酷いもの、というのはめちゃくちゃになったとかそう言う意味ではなく、家族の悲しみが響き渡ったという意味で、だ。

特に一乗寺家の母親の憔悴ぶりは、見ていられないものだった。

既に息子を1人亡くしているのだ。

その亡くした息子の分まで大切に愛すると決めたのに、残った息子まで彼女の手元からすり抜けてしまった。

賢が死んでから今日まで、彼女はずっと泣き喚いていた。

けんちゃん、けんちゃん、お願いだから貴方まで私達を置いて行かないで。

ずっとそれだけを口にしていたために、お通夜も告別式も、彼女の夫によって外に連れ出されて最後まで参加できていなかった。

いよいよご遺体を焼く、という時がピークで、発狂したように泣いて、賢が収められていた棺に縋りついて喚いていた。

でも誰も、そんな彼女を止めなかったし、何も言わなかった。

みんな同じ気持ちだったからだ。

大切な人が亡くなった気持ちは、世界共通のはずだ。

虚無感、焦燥感、悲しみも苦しみも、心と喉の奥から吐き気のように沸き上がってきて、内臓にじわじわとした痛みが広がる。

八神家も本宮家も、一乗寺家の母親のように外に出さないだけで、きっと心の内は黒く激しい感情の嵐が吹き荒れていたことだろう。

家族ではない自分が、こんなにも苦しいのだから。

 

「タケル」

「っ、兄貴……」

 

口元が寂しいのを誤魔化すように煙草を吸っていたら、ぽん、と肩を叩かれた。

大袈裟に跳ねて振り返ると、そこには自分と同じ髪色をした兄が片手をあげて挨拶をした。

少し離れたところには父と母がいて、何かを話している。

離婚してから数年は顔を合わせようともしなかった両親だったが、あの夏の冒険から何か思うところがあったのか、定期的に4人そろって食事をしたり何処かに出かけるようになっていた。

再婚にまでは至らなかったものの、離婚する前ぐらいには仲良しになってくれたので、これはこれでいいかと満足したのが、もう十数年も前。

 

「お前、煙草なんて吸ってたのか」

「うん、本当にたまに、だけど。小説のネタやストーリーに行き詰った時とか」

 

携帯用の灰皿に煙草の灰を落としながら、タケルは言った。

妻は身体に毒だからやめろと何度も口を酸っぱくして言ってくるのだが、考え事がごちゃごちゃになって思考が乱雑になると、気が付いたら吸っているのだ。

若い頃はカフェに入り浸ってコーヒーを飲みながら何時間でも居座りながら小説を書いていたのだが、最近はもっぱら煙草を吸っていることが多い。

子どもからも臭いが嫌だと不評だし、これを機に禁煙でもしてみようか。

ゆっくりと息を吸って煙を貯め、深く吐きだす。

ヤマトは漂ってきた煙の強さに、眉を顰めた。

 

「そんなに強いの吸っているのか?」

「あれ、兄貴もしかして煙草だめ?」

「俺はもっぱらワイン派なんだよ」

「何それ、お祖父ちゃんみたい。あんなに苦手って言ってたのに」

「俺が苦手なのは飽くまでもあの軽いノリであって、趣味や嗜好に罪はないだろう」

「罪って」

「お前も少しぐらいワインとか嗜んでみたらどうだ?ますます親父に似てきたって、母さんが愚痴ってたぞ」

「え、マジで?」

 

見た目だけならヤマトの方が父親に似ているのに、何故か趣味嗜好はタケルの方が父親に近いらしく、母はたまに嘆きの電話をヤマトにしていたらしい。

タケルは気まずそうに煙草を携帯用の灰皿に押し込めた。

その時である。

夫に支えられながら、賢の母が引きつけを起こしたみたいにぐったりして、火葬場に戻ってきたのは。

 

「………………」

「………………」

 

その顔は放心しており、足にも力が入っていないようで彼女の夫は彼女の両肩をしっかりと掴んで、引き摺るように彼女を連れてきていた。

賢の妻であり、彼らの義娘でもある京がまだ3歳の息子を長女に預けて駆け寄っていくのが見えた。

京の目元も、賢の母に負けず劣らず真っ赤に腫れていた。

その光景だけで、胸の痛みが増す。

携帯用の灰皿を持っていた手に、無意識に力がかかった。

最初の彼は、仲間ではなく敵だった。

あの世界を自分の物にするために、デジモンカイザーと名乗ってせっかくタケル達が築き上げた平和と調和を乱す存在として。

そのせいで通常の進化ができず、デジタルワールドは新たな進化の可能性を持った子どもを選定した。

それが、大輔と京、伊織、そして自分とヒカリであった。

賢も元々選ばれし子どもとしてデジタルワールドの危機を救ったことがある1人なのだが、敵の策略によりデジタルワールドに災いをもたらす者に成り果ててしまったので、彼を止めるために5人が選ばれたのだ。

紆余曲折を経て賢は仲間に加わったが、彼を受け入れるまで様々な苦悩もあった。

デジモンカイザー時代のことは、気分がやたらハイになっていたようであまり記憶にないらしいのだが、あの恥ずかしいコスプレ感満載の衣装のことだけは覚えていたようで、今でも思い出すと恥ずかしさのあまり地面に穴を掘って埋まりたくなる、と酒を飲む度に遠い目をしながら語っていた。

小説に書きたいんだけど、あの時の衣装あんまり覚えていないんだよね、イラストに描いてくれる?って爽やかな笑顔で言ったら、何故か目を逸らされた。

……大人になってから、だいぶ普通に話せるようになったと思っていたのに、彼はもう空の上だ。

立ち上がる気力すら失ったらしい彼の母親の、廃人のような姿がとても痛ましい。

 

「……太一さん、何処?」

「……あそこだ」

 

そう言って兄が親指で指し示した方向には、階段に腰かけて項垂れている太一がいた。

その周りには、彼の両親と息子、それから彼の妹の夫と息子。

自分の兄に負けず劣らずのシスコンな彼に、いつもの覇気など微塵もなかった。

彼女が結婚すると、今の夫と一緒に挨拶に来た時だって、あそこまで落ち込んでいなかったと思う。

結婚というめでたいものと、人の死を比べること自体がおかしいが。

思えば彼女とは昔から距離が近くて、将来は何となく結婚するんじゃないかぁ、とぼんやり思っていた。

彼女もそうだったようで、いつだったか、私タケルくんと結婚すると思ってたと言われた。

実際、お付き合いみたいな関係になったことはあった。

でも何かが違った。違和感が凄まじかった。

高校に入った頃には自然消滅していて、別の恋人が出来ていた。

その恋人とは違和感のようなものがなかったから、やっぱりヒカリは自分にとって“女の子”ではないのだと確信した。

そう、彼女は“姉”とか“妹”とか、もっと近いものだったのだ。

最初の冒険の終盤で、兄や上級生達が敵の罠にかかって次々とその姿を消して、最後に残ったのがたった2人と、自分のパートナーだけになった時、自分がヒカリを護らなくちゃと必死だったあの気持ちの、延長だったのだ。

護られてばかりで、兄や上級生達から目を覆われて耳を塞がれて、戦いから遠ざけられていた最年少は、終盤になってやっと自分も世界を救う者の一員なのだと自覚したのである。

自分よりも少しだけ背の高かった、同い年の女の子を護るために奮闘した時のあの気持ちを、恋だと勘違いしてしまったのだろう。

だから違和感が凄まじかったのだ。

きっとその違和感に気づかないふりをして、蓋をしていたら2人ともダメになっていただろうな、と彼女の恋人を紹介された時に思ったことは、誰にも言っていない。

彼女とお付き合いをしていた期間は本当に短かったし、兄達も気づいていなかった。

それぞれ結婚してからの何度目かの集まりで、そう言えば僕とヒカリちゃん付き合ってたねって何かの拍子で零した時、全員から驚かれたし。

 

……何があっても護ると決めた女の子を、護ることが出来なかった。

 

タケルは俯く。

あの日誓った想いは、今でも胸に宿っている。

自分は妻子ある身だし、優先すべきはもちろん自分の家族ではあるけれど、それでも“護らなければならない女の子”であったことに、変わりはなかった。

それなのに、自分は何もできなかった。

彼女を護ろうとしたのは、自分をライバル視して突っかかっていた、リーダーの意志を強く受け継いだ彼と、彼の親友だった。

そう言えば彼の家族は何処にいるんだろう、と視線を動かすと少し離れたところに本宮家はいた。

彼の妻と息子、それから両親とお姉さん。

出逢った頃から険悪な仲で、行く先々で互いの悪口を漏らしていた姉弟だったが、それでもやはり心の奥では互いを思い合っていたらしい。

彼の姉が結婚した時は、姉貴を倖せにしないと許さねぇからなと、酒を飲んでグダグダになりながら、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら管を撒いていたのは、今でもみんなで集まると話題に上がっていた。

彼の姉も、彼の結婚式で涙をボロボロ流していた。

何だ、やっぱりお姉さんのことが大好きなんだね、と言うと胸倉掴んで殴り掛かってきたことがあったっけ、と思い出して苦笑していたタケル。

今は、もうそんなやり取りもできない。

 

火葬が終わったのは、その数十分後だった。

係の人達が、淡々とした口調で告げに来て、親族や仲間達はのそのそとした動きで火葬場に戻って行った。

焼却炉から取り出された3人の遺体は、真っ白い灰と骨だけが残っていた。

 

──ああ、本当に死んじゃったんだ。

 

ぽつり、とタケルの目尻から雫が浮かんで、頬を伝って落ちていく。

 

「……タケル、大丈夫か?」

「……大丈夫なわけ、ないじゃん」

 

何を当たり前のことを、とタケルは咎めるように兄を見つめる。

そうだよな、ってヤマトは失言を謝罪した。

大丈夫ではないことは明白なのに、大丈夫かと尋ねてしまうのは日本人としての性(さが)だ。

分かっていて尋ねてしまうぐらい、タケルが消沈していることに、ヤマトは気づいていた。

ヤマトと会話をしている時はいつも通りに振る舞っていたけれど、それでもじわじわと滲んでくる気持ちには抗えない。

姉であり妹だったヒカリ、自分をライバル視してよく突っかかってきた大輔、そしてそんな大輔を窘めて代わりに謝ってくれた賢。

かけがえのない3人の仲間が、タケルの目の前でその命を落とした。

亡くなった直後は何があったのか、理解できずにずっと放心していた。

お通夜の時は、3人が亡くなったことが信じられなくてずっと俯いていた。

そして、今日の火葬。

3人の遺体が収められた棺が、3つの焼却炉に入れられ、燃やされた。

もう3人の器は何処にもない。

爆発の衝撃で彼方此方傷ついていた身体には、痛々しく包帯が巻かれていた。

大怪我を負って眠っているだけにしか、見えなかった。

その内パッチリ目を覚まして、おはよーなんて呑気に欠伸をしながら起き上がるんじゃないかって、火葬の直前まで思っていた。

そんな淡い期待、叶うはずがないって分かっていたのに。

デジタルワールドから“希望”という概念を与えられた元選ばれし子どもは、足元がガラガラと崩れ去っていくような感覚に陥る。

ぽつ、ぽつ、ぽつ、次から次へと珠のような水が目尻から溢れて流れていく。

じわじわと足元を侵食していたものが、一気に身体中を覆って、心の中に根を張った。

 

「お父さん……」

「貴方……」

 

そんなタケルの手を、そっと握ってくれたのは息子と妻である。

妻は、タケルがヒカリに抱いていた特別な感情を知っていた。

好きとか愛しているとか、そんなものを超越した気持ちを、理解してくれていた。

分かっているから、妻はタケルに寄り添った。

そんな心遣いに嬉しく思いながらも、それでも涙は止まらなかった。

ヒカリの代わりなど、いなかったからだ。

誰もヒカリの代わりなどなりえなかったから、妻の心遣いも息苦しさしかない。

 

「……ふっ……」

 

ぽたり、また雫が落ちる。

 

「う、っく……っ、ひ……」

 

しゃくりあげているせいで、肩が跳ねる。

それをきっかけに、仲間達や親族からすすり泣く声が聞こえてきた。

 

──ああ、本当に、

 

「死んじゃったんだ、なぁ……!」

 

震える手で口元を押さえながら、嗚咽を漏らしたタケルを妻は黙ってみていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつだって、僕達は自分のことばかりだった。

 

 

 

いつだって、自分のことしか考えていなかった。

 

 

 

 

本当に悲しかったのは───だったのに。

 

 

 

 

 

 

.

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