ナイン・レコード   作:オルタンシア

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スワンプモン

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窓がない部屋の光源は、ランプを模したオレンジの優しい光だ。

心地よい眠りに誘うための灯が部屋を優しく照らしている中に、最年少の3人はいた。

時刻は、8時を過ぎた頃。

大輔のお姉ちゃんから借りた約束の証である、金色の懐中時計の蓋を閉め、賢は顔を上げる。

隣には大輔、大輔を挟んで反対側にヒカリ。

正面のベッドには固く目を閉ざしているブイモンと、寄り添い合うように眠っているパタモンと、テイルモンとロップモンがいた。

ロップモンの寝相が酷くて、パタモンが潰されているが賢はそれを苦笑してスルーする。

とっくに起きている上級生達は、ようやく全快したナノモンにこき使われて、メインコンピュータや他の部屋をばたばたと行き来しているのが、閉じたドアからでも聞こえてきた。

 

 

太一とアグモンが歪みに飲み込まれて7日、治とガブモンが太一に追いつかんと修行の旅に出てから6日。

当面の間は安全と言っても、世界の危機が去ったわけではない。

しかし子ども達は、未だピラミッドに留まっている。

大輔のパートナーであるブイモンが、辛い過去の出来事を思い出してしまって目を覚まさないために、先に進むことが出来ないから、と上級生達は言っていたが、最年少の3人は気づいていた。

自分達を引っ張ってくれていたリーダーと、そのリーダーを支えていたサブリーダーが不在となってしまった今、行くべき道を見失ってしり込みしてしまっているというのが、本当の理由だということに。

太一がいたから、自分達の行くべき道が見えていたのだ。

治がいたから、自分達がやらなければならないことが分かっていたのだ。

今でも分かっている、行くべき道もやらなければならないことも。

しかし頭で分かっていても、感情や心がついてきてくれないのである。

がむしゃらに前だけ見ていた頃は、やるべきことがはっきりしていた時は、何も考えずに真っすぐ進めていたのに、今では何を目指していたのか分からない。

前世でもそうだったと、聞いていた。

先輩達から聞きかじっただけ、希望の申し子が朧気な記憶を頼りに書いた本を読んだだけだったけれど、太一のアグモンがメタルグレイモンに進化し、エテモンと対峙した際に生まれた歪に飲み込まれて、太一とアグモンはデジタルワールドの時間で2か月以上もの間、行方不明扱いされていた。

その時の子ども達は、デジタルワールドと現実世界の時間の流れが違うということも、太一達が現実世界に戻っていたことも知らなかった上、その時の敵の策略によって全員がサーバ大陸中のあちこちに散ってしまうという事態に陥っていた、らしい。

太一とアグモンがデジタルワールドに戻ってきたことで、子ども達は再び使命のために1つとなったのが、あの時はどうしようかと思った、と太一が苦笑する度に他の先輩達が気まずそうにしていたのを、今でも覚えている。

 

今は、どうだろうか。

 

治とガブモンが修行の旅に出た2日後、エテモンによってスクラップ寸前にまで追い詰められていたナノモンの修復がようやく終わり、ナノモンは通常の業務に戻っている。

ゲンナイは1週間の間に、ピラミッドの内部でナノモンの手伝いをしたり、時折ピラミッドの外に出て調査をしたりなどして、子ども達がいつでも旅に出られるように準備を進めていてくれていた。

そんなナノモンやゲンナイを見て、上級生達は未だに1歩が踏み出せないながらも、何かをしなければと思っているのか、ナノモンの手伝いを買って、ばたばたと走り回っている。

ゲンナイから何か聞いているのか、ナノモンも子ども達に使命を果たすようにせっつくようなことはせず、子ども達の申し出を素直に受け入れてくれた。

緩やかでも確実に、暗黒の魔の手が迫ってきて、蝕んでいる状況を考えたら、今すぐにでも旅に出たほうがいいのは分かっていても。

 

「……俺さぁ」

 

ぼすん、とブイモン達が眠っているベッドに上半身を預けるように倒れこみながら、大輔は口を開いた。

 

「太一さん達と冒険したかったなって、ずっと思ってたんだ」

「………………」

「太一さん達はさ、俺達みたいに行ったり来たりが出来なくて、俺達みたいにまともなサポートとかなかった中で、デジタルワールドを冒険してたんだろ?そりゃ、京や伊織や、タケルやヒカリちゃんや賢と冒険するのも楽しかったけど……」

 

不満があったわけではない。

でも太一達から聞かせてもらった話や、タケルがまとめた小説を読む度に思ったのだ。

 

自分もその輪に加わりたかったと。

 

きっと京と伊織も、同じ想いを抱いていたに違いない。

当事者にしか分からないような話をしている太一達を見る度に、京も伊織も羨ましそうに彼らを見ていたのを知っていた。

最年少で当時の記憶は朧気だったと苦笑していたタケルと、太一達の冒険には途中参加だったヒカリでさえも、時折6人の中でも2人だけに伝わる空気を醸し出していたのだから、大輔は猶更羨ましかった。

勝手にライバル視をしていたタケルと、憧れの気持ちを隠さなかったヒカリが、小学2年生の時に壮絶とも言える冒険を経験したのだ、同い年である大輔がそう思うのも無理はなかった。

人間界に侵攻してきたヴァンデモンに囚われていた自分とは違い、2人は幼いながらもヴァンデモンに立ち向かうべく奮闘していたのだから。

 

でも……。

 

「でも、こんな形でなんて、望んでなかったんだよなぁ……」

 

振り絞るように出された声は、少しだけ震えていた。

確かに、太一達と一緒に冒険したかった。

ズルいズルい羨ましいってタケルに絡んで苦笑いされ、ヤマトにいい加減にしろって小突かれたことも度々あった。

でもそれは叶わぬ望みだということも、ちゃんと分かっていた。

幾ら望んだところで時間は巻き戻せないし、過去にも戻れない。

だからなのか、今のこの状況を大輔はどうしても喜べないようだった。

 

それは、とヒカリは小さくため息を吐く。

 

ヒカリも同じだった。

太一達と一緒に冒険をしたと言っても、ヒカリは途中参加だ。

本当なら太一達と一緒にキャンプに参加して、太一達と一緒にデジタルワールドに飛ばされて、太一達と一緒に冒険するはずだった。

しかし風邪を引いてキャンプを断念せざるを得なかった上に、ヒカリのパートナーであるテイルモンは様々な不幸が重なり、アグモン達と待っていることが出来なかった。

例え風邪を引かずに太一と一緒にキャンプに参加して、デジタルワールドに飛ばされたとしても、パートナーがいない状況ではみんなに守られるだけの足手まといにしかならなかっただろう。

テイルモンと一緒に冒険した期間はとても短かったから、最初から最後までずっとパートナーと一緒だったタケルを羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。

前世ではよく大輔達にいいないいなって羨ましがられていたが、太一達と一緒に冒険をしたかったと夢を見ていたのは、ヒカリも一緒だった。

こんな結果を望んでいなかったことも、もちろん。

 

「……これから、どうすればいいのかな」

 

ぽつりと落とすように呟いたのは、賢だ。

ベッドに突っ伏していた大輔も、そんな大輔をぼんやり眺めていたヒカリも、一斉に賢の方に視線を向ける。

賢は、ロップモンに押しつぶされて唸っている自分のパートナーを見つめていた。

前世とは違う冒険、前世とは違うパートナー、そして前世とは違う人生。

賢の心情と戸惑いは如何ほどに。

 

「……どう、って?」

「僕らは3人とも、この冒険に参加してたわけじゃない。タケル君の小説を読ませてもらっていたから、ある程度の進行は分かるけれど、それでも僕らの知っている道筋から少しずつ逸れていってる」

 

天真爛漫だった賢からはかけ離れた、前世でもよく見た少し陰のある表情を浮かべる賢に、大輔もヒカリも唇を真一文字に結ぶ。

賢の言いたいことは、その言葉だけで理解できた。

ゲンナイから聞かされた話によれば、ここは自分達の前世ではなく、謎のデジモンが過去に飛んだ影響で生まれたパラレルワールドである。

既に行先が決められている世界の過去に飛んだとしても、大輔達が太一達と一緒に冒険することは絶対にできない。

パラレルワールドだからこそ、大輔達はここにいるのだ。

しかしそれと同時に、世界は大輔達が知っている未来とは別の未来を歩み始めている。

当然だ、前世の冒険ではいなかった大輔達がいるのだから。

たったそれだけの違いで、と思う者もいるかもしれないが、道端の石ころを蹴るか蹴らないかだけで、その先の運命が変わってしまうものだ。

デビモンと死闘を繰り広げたエンジェモンが、その命を散らせてデジたまに戻ったり、太一とメタルグレイモンが、エテモンと戦った際に生み出された歪に巻き込まれて現実世界に帰ってしまったり、と前世と変わらない出来事もあったことから、子ども達にとってターニングポイントになりそうなイベントには大きな変化はないだろう。

だがそれまでの道のりは、何が起こるのか全く予想が出来ない。

自分達が関わることで、自分達が動くことで、前世になかった出来事が起こったり、前世であったことがなかったことにされたりするかもしれない。

そう思うと、上級生達ではないが、1歩踏み出すことがどうしても出来ないのだ。

 

「未来は変わり始めてる。僕らの記憶も思い出も、役に立たなくなっている。僕らが進むべき道は……何処にあるのかな……」

 

賢の弱気な発言を聞いて、ヒカリも俯いてしまう。

大好きで、頼りになる兄は、ここにはいない。

助けてほしくとも、どうしたヒカリ、って微笑んでくれる頼もしい兄は、前世と同じなら現実世界に帰っているはずなのだ。

いつだって自分達の行く先を見つけて、指し示してくれた兄。

前世での最初の冒険でも、2度目の冒険でも、リーダーの才を遺憾なく発揮してくれていた。

兄がいたから、いてくれたから、自分達は迷わずに済んだのだ。

でも、兄は今、ここにはいない。

頼るべき上級生達も、太一がいないことでガタガタになってきている。

治は自分がやるべきことを見つけたから、自分の足で歩き出せたけれど、もし上級生達がこのまま立ち止まって現実から目を逸らし続けてしまったら……。

前世の二の舞は避けられないだろう。

そうなったら、自分達はどうすればいいのだろうか。

他の上級生達についていくしか、ないのだろうか。

少なくとも、大輔は他の上級生達と一緒か、最悪ここに残るしかない。

ブイモンは悲しみと寂しさに負けて、押し潰されてしまって、戦う力もないのだ。

 

(お兄ちゃん……)

 

俯くヒカリの視界に、硬く握りしめた自分の手が映る。

幾ら兄を呼んでも、答えてくれる兄はいない。

現実世界とデジタルワールドでは時間の進み方が違うから、6日を過ぎた程度では太一もコロモンも行動すら出来ていないだろう。

所々の違いは出ていても、大まかなところが変わっていないのなら、太一とコロモンが戻ってくるのは約2か月後だ。

たった2ヵ月、されど2ヵ月。

幼い頃からの夢を叶えて就職し、結婚するまで職場近くのアパートメントで1人暮らしをしていた時は、忙しくて数ヵ月も会えない、ということはざらだったはずなのに、たった6日、兄の姿がないだけでこんなにも不安になるなんて……。

 

(お兄ちゃん)

 

再度、心の中で兄を呼ぶも、やはり返事はない。

溜まらずヒカリは、ブイモン達が眠っているベッドに突っ伏した。

兄の声が聴きたい。兄の力強い言葉を聞きたい。

でもその兄は、今はいない。

 

(……お兄ちゃん)

 

いつしか、ヒカリの意識は深い闇の底に引きずり降ろされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其れは、最初から“其れ”ではなかった。

いつの頃から“其れ”が存在していたのか覚えていない。

其れに形なんてものはなかった。何も、持っていなかった。

空間と空間の狭間、一定の速さで流れる時間の中に身を任せながら、其れは長い瞬間(とき)を過ごしていた。

上も下も右も左も、何処を見渡しても色々な世界が、様々な歴史を紡ぎながら水のように流れていくのを何度も見た。

いい方向へ向かった世界も、終焉や破滅へと転がり落ちた世界もあった。

しかし其れはそんな世界を覗いても、何の感情も浮かんでこなかった。

其れは、ただ“見ていただけ”だった。

その世界が救済されようが、終焉へ堕ちようが、其れにとってはどうでもよかったのだ。

だって其れはどう頑張っても、その世界に参加することが出来ないのだ。

その世界に入って、その世界の住人として歴史を刻むことが出来なかったのである。

ただ流れていく世界を、歴史を、眺めているだけ。

当事者にも傍観者にもなれない立ち位置など、一体何が楽しいというのだろうか。

いや、そもそも其れに、感情などあったのだろうか。

いつ生まれたのか、いつから存在していたのか、気が付いた時にはすでに“其れ”として確立していた其れは、自分が何者なのかも分かっていなかった。

分かりようがなかったのだ。

何も持っていなかった其れは、自分が世界や歴史に参加できないことを羨むという感情を抱くことすら出来なかった。

 

ただ1つ、分かっていることは、其れは決して許されない罪を一生背負って過ごしていかなければならない、ということだけだった。

 

その罪が何だったのかすら、其れは忘れてしまったのだけれど。

 

──それを“虚しい”ということすら知らなかった頃だ、其れが出会ったのは。

 

いや、“アレ”を出会いと呼ぶには少々状況が特殊だろうか。

とにもかくにも、其れは出会った。

無限の空間と無数の時間が重くのしかかるこの狭間で。

 

最初は、好奇心すら持っていなかった。

他の世界を覗き見るのと同じように、その世界の観客であった其れは、どういうわけか他の世界のようにさっさと離れていくことができずに、目が離せなかったのである。

幾つもの世界で覗き見た人間と呼ばれている存在の姿、“自分”と同じような不思議な生命体と仲睦まじくしている様子、時に笑って時に泣いて、其れには備わっていない“感情”を出して、喧嘩をしたり和解をしたりしながら成長していく子ども達。

何処か懐かしくて、何処か羨ましくて。

つきん、と胸の奥に痛みのようなものを感じながらも、目を逸らすことが出来ずに其れは随分長い時間、その世界を眺めていた。

流れていく時間に身を任せながらその世界を見ていたら、あるシーンが映し出された。

大人と呼ばれる身体の大きな人間が6人と、それに付き従っている不思議な生き物が6体、そしてそんな人間と不思議な生き物に立ちはだかるように佇んでいる、謎の水晶。

世界の狭間から覗き見ているにも関わらず、その謎の水晶から発せられている悍ましい“何か”が漂ってくるのが分かる。

 

──何だ、“コレ”は。

 

色んな世界を見てきた。色んな世界の結末を見守ってきた。

しかしこれまで見てきた世界とは、何かが根本的に違うと其れは思った。

今までだって科学技術が発達した世界や、魔法に特化した世界など色々と垣間見てきたし、この世界のように人間に使役する不思議な生き物の存在だってあった。

世界を支配せんと企む悪しき存在を倒すべく、使役している不思議な生き物とともに立ち向かっていった世界は、他にもあった。

だがあの世界にいる“アレ”は、どの世界の理にも当てはまらないと、其れは直観した。

 

──“アレ”は……まずい……!

 

白い騎士が乱入してきたのが見えた。

両手は不思議な生き物の頭部になっており、右手の頭部から長い剣が飛び出していた。

その剣が謎の水晶に突き刺さった時、意識の奥がムズムズした気がした。

それが胸騒ぎと呼ばれるものだと知るのは、ずっと後のこと。

 

ピシリ

 

突き刺さった剣から、水晶が雷のような罅が広がっていく。

同時に、悍ましい気配が突如として増幅した。

意識がざわつく。悍ましい気配がどんどん膨張していって、様子がおかしいと気づいた人間達はその場から逃げていくのが見えた。

しかし何故か、6人のうちの1人が何を見つけたのか急に引き返した。

引き返した陰に気づいたもう2つの陰が、その陰を追いかけて引き返している。

眩い光が辺りを包み、其れが覗いていた窓が閉じた。

 

ぐにゃり

 

──っ!

 

目の前のパステルが捻じれる。

ギョッとなった其れは慌ててその場から離れた。

捻じれはどんどん大きくなっていき、そこをぶち破ろうとしているように尖っていく。

ぶちり、という音が幻覚で聞こえた気がした。

 

ぶわ、

 

捻じれた個所が、花が咲くように開かれる。

捻じれながら開かれた箇所の向こうから、罅が入った水晶がぬっと這い出てきた。

想定していたよりもずっと大きなその水晶の中に蠢く不気味な陰を見た其れは、目の前を通り過ぎていく水晶から目が離せなかった。

感情は備わっていなくとも、本能は持っている。

その本能が、其れに警鐘を鳴らしている。

 

“アレ”は、関わってはいけないと。

 

何故なら狭間を漂っている其れでさえ、流れていく世界に介入することが出来ないのに、あの水晶は空間の壁をぶち破って狭間へと逃げ込む術を持ち合わせているような“化け物”だ。

通り過ぎて行った軌跡も(ひず)んでいることから、恐らく“アレ”は存在するだけで空間を、理を捻じ曲げてしまうような、其れと同じ“存在してはならない存在”だ。

だが其れの力では“アレ”をどうこうすることは出来ない。

戦ったことなど1度もないが、それだけは言える。

そもそも自分は世界に参加することを許されない、咎人なのだ。

どの世界の住人にも当てはめられない自分が、“アレ”をどうこうしてはいけない。

 

ふわり……

 

“化け物”の行く末から目を逸らし、ぶち破られた穴に目を向けると、パステルの狭間でも目立つ光を見つけた。

あの水晶と違って嫌な感じなどせず、誘われるように光に近づいていくと、水晶が作り出した(ひず)みに引っ張られるようにその後を追って漂っている。

 

ピンクと、黒と、それから金色。

 

パステルの空間に、嫌に目立っているその光は、何処か懐かしい匂いと雰囲気をまとっており、其れは知らず知らずのうちに近づいていた。

光は、近づいてきた其れを弄ぶようにふわふわと周りを漂った。

 

《……あなたは誰?》

 

声が聞こえた。

辺りを見回してみたが、其れ以外の存在など、何処を見渡しても見当たらない。

 

《ねえ、あなたは誰?》

 

はっきりと、今度は聞こえた。

気のせいではない。もう1度辺りを見回して、声の主を探したのだが、幾ら見渡したところで狭間に其れ以外の生命が存在できるわけがない。

しかし声は、確かに聞こえてきた。

ふわり、と其れの前にいたピンク色の光が舞う。

そこでようやく気付いた。

先ほどから聞こえてきた声は、この光から発せられていたのだと。

 

──……ソレこそ、何だ。

 

《……私は、“光”。世界の、“光”であり、“命そのもの”》

 

其れが訪ねると、一拍置いてピンクの光がそう告げてきた。

光は、“光”と名乗った。世界の“光”で、“命そのもの”という、なぞなぞにも似たような返答だった。

意味が分からずに沈黙を貫いていると、今度は黒い光がすいっと前に出てくる。

 

【「   」が“光”なら、僕は“優しさ”かな】

 

──やさしさ、

 

【そう。世界に溢れている慈愛の情、真心、愛しさ。そう言ったものが全部詰め合わさったもの】

 

金色の光が跳ねる。

 

〈じゃあ、俺は“奇跡”だ。勇気と友情、炎と氷、前に突き進むための道しるべ。それが俺だ〉

 

それで、と“奇跡”と名乗った金色の光が言葉を紡ぐ。

 

〈……お前は、誰だ?〉

 

──……分からない。

 

其れには何もないのだ。其れは、何も持っていないのだ。

名前も形も身体も、過去や未来でさえも。

持っているのは、罪を犯したという事実だけ。

咎人であるという(しがらみ)だけ。

世界に参加することを許されず、ただ救済を、終焉を覗き見ることしかできないだけ。

 

……この3つの光は、どうしてはっきりと自分の存在を疑わないことが出来るのだろうか。

 

──……ソレは、何なのだ。

 

其れが訪ねると、3つの光は何も言わずに其れの周りをゆらゆらと舞いながら、ある場所へ誘導する。

それは、其れが先ほどまで覗き込んでいた場所だった。

 

《……私達はあそこにいたの》

 

“光”は先ほどと違って、声のトーンを落としながら囁いた。

数分前に起こった出来事の、続きの映像のようだった。

女と呼ばれている人間が1人と、男と呼ばれている人間が2人、ぐったりとしている。

それを男と女が1人ずつ、抱き上げたり声を張り上げたりしながら、3人の人間に声をかけていた。

残りの1人は茫然としている。

不思議な生き物達も、それぞれ何かしらの反応を見せていた。

白い騎士が跪いている。

それから、場面の端から更に人間と不思議な生き物が走ってきた。

人数は同じ6人。合計12人の人間と、12体の不思議な生き物がそろった。

……そのうちの3人は、まるで糸の切れたマリオネットのようにピクリとも動かなかった。

 

【あれが、僕達】

 

黒い光が、ピンクの光と同じように声を落としながら呟いた。

金色の光は何も言わない。

 

《私達は、死んでしまったの》

──……死。

 

それは、其れには全く馴染みのない言葉であり、何度も目撃した現象であった。

沢山の世界を見てきた其れは、当然“死”という現象も知識として知っている。

あくまでも知識として、なのだが。

 

──何故?

〈見てたんだろう?だったら、知ってるはずだ〉

──……あの悍ましい力を発していた水晶か

 

金色の光は肯定の意味を込めて沈黙する。

そう、見ていた。其れは見ていた。

あの水晶が闇の力を増幅させて爆発を起こした、あのシーンを。

 

【……あれは、あれだけは、放っておいちゃいけない。もう二度と命を奪わないと決めた僕らだけれど……あれは何が何でも止めなきゃいけない】

 

黒い光が静かに言い放った。

 

【あれは、きっと僕達にしか止められない。他の世界に割り込めば、きっとその世界はねじ曲がった理に耐え切れずに崩壊してしまう。だから、僕達が何とかしないと……】

──ソレは“アレ”が原因で世界の理から外されたのに、か

 

狭間に放り出された魂がどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。

沢山の世界を垣間見てきた其れは、命の巡りもたくさん見てきた。

天国と呼ばれる場所がある世界、輪廻転生というシステムがある世界。

この光がいたあの世界のシステムがどうなっているのかも知らないが、狭間に放り出された魂があの世界に再び組み込まれることは出来ないだろう。

悍ましい水晶が作り出した穴はとうに塞がれているし、通り道は未だに(ひず)んでいる。

 

《それでも、私達がいかなきゃいけない》

 

“光”は、そう言って其れから離れていく。

作り出された(ひず)みを辿って、“アレ”の後を追おうとしていることをすぐに理解した。

 

〈どうなるかなんて、誰にも分からない。勝てるかもしれないし、負けるかもしれない。それでも、やりたいんだ〉

──……やりたい?

〈そう。これは俺達が決めたこと。俺達がやるって決めたこと。それは誰にも止められないし、止めることはできない〉

【それが、僕達がいた世界のルール。理】

《辿り着く先の未来が決められていたとしても、道は選べる》

──………………。

 

其れには分からない。其れには、何も分からない。

使命があるわけでも、目的があったわけでもなく、ただこの狭間を漂っているだけの存在である其れは、何も持っていないのだ。

何かを感じることも、何かを思うことも、何かを考えることも、其れはしなかったし出来なかった。

それでも……そのまま見送ることが出来なかった。

 

──………………

 

(ひず)みを追いながら狭間を漂い、其れから離れていく光。

 

──……待て

 

気が付いたらそう言い放っていて、3つの光の後を追って(ひず)みの道を泳ぐ。

 

──ここは狭間。時間と空間の狭間。生身ではないとはいえ、いずれ押しつぶされて、ソレらの目的を果たす前に消滅する

《………………》

──“此れ”には何もない。沢山の世界を垣間見た。その結末も終焉も、全て見てきた。“心”というのも“命”というのも“感情”というのも、知識として知ってはいても分からなかった

 

何もなかったから、例え沢山の世界を覗き見ていたとしても、何も感じない。

ただ情報として記録されていくだけの光景と知識だった。

 

──初めてだ。“知りたい”と思ったのは。確かに此れの奥から湧き上がってきているはずなのに、此れにはこれを何と言うのか分からない。でもソレといれば、それが分かるかもしれない。

 

初めて会った相手に何の警戒心も抱かず、それどころか会話を試みてきた。

狭間に迷い込む人間など滅多におらず、いたとしてもその重さに耐えきれなくて一瞬でぺしゃんこになってしまうために、命の触れ合いなどしたことがない其れは、3つの光が何を考えているのか理解できなかった。

 

だから、“知りたい”と思った。

 

“知りたい”と思ったことに、驚いた。

驚いたことに、驚いた。

何もなかったはずの其れに、何かが芽生え始めたのである。

本人は全く自覚がないのだけれど。

 

──此れは知りたい。知りたいから、ソレとともに行くことにする

【………………】

──此れに見せろ。此れに教えろ。ソレを、この狭間の重さから守る代わりに

 

それを聞いた“光”の声が少し高くなった。

 

《……ありがとう。優しいのね》

──此れに感情はない

〈それはこれまでの話だろう?これからは違う〉

──………………

【知りたいんでしょう?色んなものを、色んなことを。教えてあげるよ】

 

でもまずその前に、とピンク色の“光”が其れの周りを舞う。

 

《名前を付けてあげる》

〈そうだな、名無しは不便だもんな〉

【どんな事象にだって出来事にだって存在にだって、名前は必要だものね】

 

思ってもみなかった提案に、其れは何も言えなかった。

そうだね、そうだな、黒と金色も賛成して、本人を置いてけぼりにして楽しそうに笑いあっている幻覚が見える。

それらは光の塊だから、顔なんか見えないのに。

其れには何もないのに。

 

《名前はね、つけられて初めて意味を成すものなのよ》

【名前のない君は、何処にもいないのと同じ】

〈何処にもないこの空間と同じ〉

──……咎人に名前など、必要なのか?

《咎人であろうとも、貴方は“アナタ”》

【存在しているのなら、君は“キミ”だよ】

〈何もなくたって、お前は“オマエ”さ〉

 

其れを置いてけぼりにして、3つの光は其れを取り囲むようにふわふわと回る。

どれぐらいの時間が経っただろう。

一瞬だったかもしれないし、何年、何十年だったかもしれない。

 

【……スワンプモン】

 

黒い光が、囁いた。

 

【誰でもない、何にもなれない君は、スワンプモンだよ。どう?】

 

其れに変化が訪れたのは、その瞬間である。

パステルカラーの斑に彩られた空間で、其れはひときわ強い光を放った。

にゅるにゅると光が形を変えていく。

光が4つの方向に伸びていき、蠢きながら細かいところまで形作られていった。

やがて其れを包み込んでいた光は、ぽおん、と沢山の光の粒になって弾けて、雪のように舞い散る。

ふと、違和感のようなものを覚えて視界を認識すると、そこには見慣れないものが移った。

何だこれは、と思っていると、わきわきと動いたので、其れはびっくりして思わず後ずさる。

クスクス、と3つの光は慌てふためいている其れを笑っている。

わきわきと動いていたのは、“手”というものらしい。

沢山覗いた世界にいた、“人間”が持っていたものと同じなのだと知った。

手だけではない。見下ろせば足もある。胴体もある。

顔はどうなっているのだろう、とまだぎこちない両手を動かしながら顔があるであろう部分に持っていくと、つるりとした感触。

 

──これ、は……

〈はは、“スワンプモン”か。お前らしいなあ、“──”〉

 

“奇跡”と名乗った光の、最後に呟いた言葉は何故かノイズがかかって聞こえなかったが、其れにとってはそんなものどうでもよかった。

それよりも、“其れ”という概念でしかなかった其れが、名前を付けられただけでその姿を変え、概念まで変わったのだ。

其れは……スワンプモンは身体の奥で何かが揺さぶられたような気がした。

 

“心”を知らなかった虚ろの中に、何かが芽生えた。

“命”を知らなかった空っぽの中に、何かが生まれた。

“感情”を知らなかったがらんどうの中に、何かが沸き上がった。

 

──今日から、此れはスワンプモン。これより先の未来永劫、ソレのためにこの存在を肯定しよう

 

何でもなかった其れに、何にもなれなかった其れに、何もなかった其れに、意志が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

《……つくづく、貴方方とはご縁があるようですね》

 

横並びにちょこんと座っている3人の幼子達の後頭部を見下ろしながら、スワンプモンは苦笑した。

風に乗ってお菓子のように甘い匂いが漂ってくる。

周りにはパステルカラーの花が一面に咲いており、空には綿菓子のような雲がふわふわと浮かんでいた。

レリーフが彫り込まれたアンティーク調のテーブルには、イギリスのティータイムで使われているようなティースタンドと、琥珀色の液体が入ったカップが置いてある。

それを手に取って、水晶で出来ている頭部に傾けるが、口などあるはずがないので飲めているのかも分からなかった。

不思議だなぁ、と賢はぼんやりとスワンプモンを見つめる。

 

《まさか貴方方が前世の出来事を思い出してしまうとは、流石のワタクシも予想外でした。ゲンナイ様も驚きになったでしょうねぇ》

「……?スワンプモン、ゲンナイさんのこと知ってんの?」

《ええ、存じておりますとも。ゲンナイ様となっちゃんもまた、ワタクシの導きによってこの世界、この時代に流れ着いたのですからね。ただ貴方方と違って偶発的に破れた壁ではなく、無理やりな形で破ったものだったため、もう少しで狭間の理を壊してしまうところだったのですが》

 

なかなかにシャレにならないことをシレッと言い放ったスワンプモンに、大輔達はギョッとした表情を浮かべたが、スワンプモンは気づかないふりをした。

 

 

 

大輔とヒカリと賢は、夢を見ていた。

いや、夢にしては意識が妙にはっきりとしているから、“夢”という定義には当てはまらない“夢”だった。

太一のアグモンがスカルグレイモンへと進化を果たしてしまった日の夜に見た、あの場所、あの景色、あの香り。

そこはスワンプモンの縄張りで、居場所で、牢獄だと3人は知らない。

絵具が水に滲むように、宙に映し出された映像を、大輔達は見ていた。

それは、自分達が“自分達”になる前の出来事。

スワンプモンがスワンプモンとして確立したきっかけ。

あの頃のスワンプモンは何も知らなかった。何も持っていなかった。

そんな自分にこの姿と名前をくれたのは、世界から弾かれた3つの光。

情報としてしか知らなかった心も、意志も、感情も。

がらんどうの存在には、まだ心も意志も感情も十分には満たされていないものの、あの頃と比べればだいぶ生き物としての存在が増してきた、と思う。

それでも世界から弾かれてしまった存在であることに、変わりはなかったけれど。

 

《……ワタクシに、意味などなかった。ただ流れていく時間と広がっていく空間の狭間で、与えられた役目は罪を償うことだけでした。数多ある世界に参加することも出来ず、ただ育まれていく命や紡がれていく歴史を、ただ傍観することしか許されなかった。貴方方がいなければ、ワタクシは今でもただの概念として狭間を漂っていたでしょう》

 

名前を与えられたから、意味を持った。

意味を持ったから、命に成った。

命を持ったから、感情が芽生えた。

 

だから、少しだけ。

 

 

ほんの少しだけ。

 

 

《欲が出てしまいましてねぇ》

 

欲?と3人は首を傾げる。

前世の記憶を持っているとはいえ、今は子どもの身である大輔達がほぼ同時に、同じ方に同じように首を傾げたので、もしも自分に表情があったら吹き出してしまっていただろうな、とスワンプモンは思った。

 

《貴方方のことはずっと見ておりましたよ。何せワタクシは犯罪者であり傍観者。貴方方が無事使命を果たすその日まで、何があっても見守っていようと思っていいたのですが……》

 

どんなに子ども達がピンチに陥ったとしても、その試練は子ども達自身で乗り越えなければならないことだ。

行く当てもなく彷徨っていた時も、デビモンの恐ろしい力でファイル島が分断され、子ども達も離れ離れになってしまった時も、デビモンとの最終決戦の時でさえも。

助けてやりたい気持ちを必死で抑えて、ただただ傍観に徹していた。

だがあの時だけは、駄目だと思った。

 

「あの時?」

《……賢、初めて“アレ”に会った時、どう思いましたか?》

「アレって……?」

《“アレ”は“アレ”です。凡そ他の生きとし生けるモノ達とはかけ離れたモノ。闇よりも深い闇を宿した、存在してはならぬモノです。“アレ”は度々貴方方の前に現れては、貴方方を惑わした。命を命とも思わず、あろうことか貴方方を手にかけようとした》

 

だからあの時、咄嗟とは言え手を出そうとしてしまったと、スワンプモンは笑った。

スワンプモンが何を言っているのか、何故笑っているのかよく分からない3人は首を傾げる。

 

《ああ、すみません。何のことか分からないですよね。大輔、賢。コロモンの村でパタモンのデジたまを探していた時のことを覚えてますか?》

「………………おう」

「………………うん」

 

コロモンの村にいた時と言えば、2人がパタモンのことで喧嘩をしてしまい、仲たがいの真っ只中だった。

その時のことは2人にとって黒歴史確定の出来事なので、あまり思い出したくないのだが、反応しないわけにもいかないので、2人はしょっぱい顔をしながら小さく返事をした。

 

《その時に遭遇したでしょう。いや、賢はそれ以前にも遭遇していたでしょう。あの悍ましい闇を漂わせた存在と》

「え、あ……え?」

 

スワンプモンに言われて、賢は思い出した。

パタモンのデジたまを探している最中と、それ以前で遭遇したものと言えば、あいつしかいない。

闇すらも飲み込んでしまいそうな、濃厚な暗黒の気配を漂わせていた、あの毒々しいピンク色のデジモンのことだ。

大輔も思い出したようで、顔を引きつらせている。

その時ヒカリは体調不良を訴えてテントで休んでいたため、そのデジモンと遭遇することはなかったものの、その後丈の紋章を探して立ち寄ったコロッセオでそいつを見ている。

大輔がそのことを説明すると、顔を青くさせて口元を手で覆った。

 

《“アレ”は、明らかに貴方方を狙っていた。亡き者にしようとしていた。ワタクシは貴方方を助けたいと願い、そして……貴方方の世界に現れることが出来た》

 

想定していた姿形ではなかったものの、そのデジモンのプレッシャーに圧されて身動きが取れなくなっていた大輔達を引き離すことには成功したし、そのデジモンもスワンプモンの姿を見るなりその場から消えたらしい。

 

「……も、しかして……あの時現れた、あのドロドロしたやつって」

《はい。ワタクシですよ》

「えー!?あれスワンプモンだったのかよ!?」

 

あのデジモンのプレッシャーに押し潰されそうになっていた時、突如として現れたのは蠢くヘドロだった。

意思をもった泥人形は、全身のヘドロを地面に落としながら緩慢な動きで大輔達に歩み寄ってきていた。

その衝撃で我に返った2人と1体は、悲鳴をあげながらその場をダッシュして逃げたのだが、まさかそのヘドロの正体がスワンプモンだったとは!

 

《世界に参加できない罰を受けていたワタクシは、貴方方から戴いた名の通りの姿となって、現世に現れることが出来ました。“アレ”を屠ることも出来ればよかったのですが、それをしていれば恐らくワタクシの存在そのものが消えていたでしょうねぇ》

 

スワンプモンの名前は、1987年にアメリカの哲学者が考案した思考実験に登場する、スワンプマンが由来となっている。

ハイキングに出かけた男が突然落ちた雷により命を落とし、更に別の雷がすぐ傍にあった沼に落ちた際に化学反応を起こして、死んだ男と同一の姿、意識、記憶を持って生成された。

それがスワンプマン、沼男という意味だ。

この世界にむりやり己の存在をねじ込ませたスワンプモンは、名前の由来通りの姿となって大輔達の前に現れたのだ。

 

大輔達を助けるために。

 

《それが考慮されたようで、新たな罰を受けずに済みましたよ》

 

スワンプモンは笑った。

咎人で、世界に参加することを許されない身でありながら、大輔達を助けるためにそれを破ってしまったのだから、相応の罰を受けると思っていたのだが、待てども待てどもその罰が下ることはなかったらしい。

どうやらスワンプモンに罰を与えた存在にとっても、あの襲撃は予想外だったようで、大輔達を助けたことでそれは不問になったようだ。

ただきっと、2度目はないだろうとのことだった。

 

《これは貴方方が描く物語。貴方方が紡ぐ地平線。傍観者(どくしゃ)であるワタクシが出来るのは、貴方方を見守ることだけ。世界の行く末を決めるのは貴方方なのですから。そうでしょう、“選ばれし子ども達”?》

 

3人はぐっと唇を噛みしめる。

“選ばれし子ども”と言う言葉の意味を、重みを、3人は誰よりも分かっているから。

 

《……少しお喋りが過ぎてしまいましたね。そろそろ夢の時間は終わりですよ》

 

スワンプモンがそう言うと、周りの景色がぼやけて、意識が遠のいていく。

夢の時間は終わりだ。

 

《これより先、ワタクシと貴方方が再び相まみえることが出来ても、貴方方の手助けをすることは叶わない。ですので、最後に1つだけ》

 

滲んで浸食していく白い背景の向こうに消えつつあるスワンプモンは、口元の辺りに人差し指を添えながら言った。

 

《“アレ”を追いなさい》

 

あのデジモンを追えと。

 

《“アレ”は恐らく、貴方方が探している歪みと関係している。“アレ”とあの歪みの気配が、全くの同一のものでした》

 

ずっと見ていたから、スワンプモンは分かっていた。

それを視ていたから、スワンプモンは知っていた。

空間の壁をぶち破り、時間を遡って逃げていったあの歪みと、濃厚な暗黒を纏っていたあのデジモンが、同じ気配をしていたことを。

大輔は、賢は、ヒカリは何か言いたくて口を開くが、言葉が喉から吐き出されることはなかった。

 

《世界に平和を。世界に安寧を。貴方方なら出来ると信じていますよ。貴方方がくれた、心から》

 

白い海に沈むように飲み込まれる3人。

後に残されたのは、パステルカラーの花畑に、ポツンと佇むスワンプモンだけとなった。

 

《………………》

 

また1人になってしまった。

でも寂しくはない。

大輔も賢もヒカリも、スワンプモンのことを覚えている。

に参加することが出来ない、ただの傍観者(どくしゃ)だとしても。

 

《ワタクシにできるのは、貴方方の行く末を見守ることだけ……》

 

思い描いた未来を現実のものにするために、今何をすればいいのか。

咎人であるスワンプモンに、そこに参加する資格はないが、見届ける義務はある。

あの世界の終焉を、あの世界の結末を。

予定調和の未来から外れ、本当の意味で自分達で描かなければならない未来へ歩まなければならなくなった彼らを。

再び椅子に腰を下ろし、左手を持ち上げると、何もない空中を撫でるようにすっと横に動かした。

スワンプモンが手を動かすのと連動して、空中に映像が映し出された。

パステルカラーの花畑とは正反対の、無機質な人工物に囲まれている人間の子どもが数人映っていた。

彼らは、これからあの世界の、これからの未来を描いていくために奮闘しながらも、誰にも知られることがない、世界を救う英雄達だ。

“予定外の”というのが頭につくが。

 

『……本来なら生まれるはずではなかった世界、紡がれることのなかった歴史、予定調和を外れた未来……。この物語の終焉も、結末も、貴方方が望んだ通りに書き記されるとは限りませんよ』

 

それもまたよろし、とスワンプモンはくつくつと愉快そうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコン、と控えめなドアのノック音が響く。

しかし返事はない。

ミミとパルモンは互いの顔を見合わせ、申し訳ないと思いながらそっと寝室の扉を開ける。

等間隔に並んでいるベッドの合間の壁に設置されているランプが、優しいオレンジ色に灯っていた。

横並びの9つのベッドは、今は昼頃の時間帯であるため、ドアの正面にある1つのベッドを除いて、当然誰も眠っていない。

ミミとパルモンは、その正面にあるベッドに歩み寄った。

ベッドには、数日前に悍ましい記憶を思い出してしまい、壊れてしまったブイモンが、未だに硬く目を閉ざして横たわっていた。

そんなブイモンを護るように、パタモンとテイルモンとロップモンが、そしてそのベッドの周りに、大輔とヒカリと賢が顔を伏せて寄りかかるように眠っていた。

ミミはそんなブイモン達を、唇を噛みしめながら見下ろした。

手袋をはめた手を握りしめたために、ギリ、と革が鳴った。

 

『ミミ……』

 

その僅かな音を間近で聞いたパルモンは、困ったような表情を浮かべてミミを見上げた。

上級生達はナノモンに扱き使われている合間を縫い、寝室に閉じこもる形で出てこない大輔達の様子を、代わる代わる見に来てくれていた。

声をかけるだけの人もいれば、様子を見に来たと言う名目でサボりに来る人もいた。

ミミは、後者だった。

そして、ミミは頻繁に大輔達の様子を見に来てくれていた。

ナノモンの人使いの荒さに、お嬢様気質のミミが付いていけなかった、というのもあるが、積極的にナノモンの手伝いをしている上級生達のお陰で、ミミのやることが少ないのだ。

……その理由を、ミミは分かっている。

子ども達をこれまで引っ張ってくれていたリーダーとサブリーダーの不在、そして深く傷つき、硬く目を閉ざして目の前のベッドで横たわっているブイモンの過去を垣間見たせいだ。

戦争を、争いを知らない子ども達には、見るに堪えない映像だった。

長い間平和が保たれていた日本に生まれた子ども達にとって、戦争などテレビの向こうの出来事でしかない。

遠い国の、自分達には関係のない事象なのである。

そもそも子ども達はサマーキャンプに来ただけの、ただの子どもだ。

争いのことなど何も知らない子ども達が、突然世界を救ってほしいと異世界に連れてこられ、右も左も分からないまま、ただがむしゃらに、ここまで来た。

この世界を救えば、お家に帰れる、それだけを信じて、それを糧にして頑張ってきた。

……その仕打ちが“コレ”なのかと、子ども達の消沈ぶりは目も当てられない。

その上、真っ先に自分を取り戻したリーダーは時空の歪に巻き込まれて現実世界に戻され、サブリーダーもリーダーの言葉に後押しされるように、子ども達の下から離れて修行の旅に出てしまった。

後に残されたのは目標を、行先を見失った上級生と、途方に暮れている下級生の3人だけだ。

 

「………………」

 

ミミが下級生の“お姉さん”を出来ていたのは、5年生が中心となって子ども達を引っ張ってくれていたからだ。

疲れてもへこたれても嘆いても、大丈夫?って声をかけてくれていたから、ミミは安心して上級生に甘え、下級生達の面倒を見てきた。

でもその上級生達は、未だに迷っている。

ゲンナイもナノモンも、それに関しては何も言ってこない。

 

……しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 

だって自分達はこの世界を救うために呼び出されたのだ。

この世界を救わなければ、お家に帰れないのだ。

このままここにいれば、確かにもうこれ以上傷つかなくて済むかもしれない。

ミミはまだ4年生だ。

お友達と喧嘩をするのはよくないこと、喧嘩をしてしまったらごめんなさいをして、仲直りをしましょう、って大人達に言い含められる年齢だ。

そうでなくとも、ミミは争いも傷つけ合いも好きではない。

思っていることをズバズバと言って、お友達に哀しい顔をさせてしまうことは多々あるが、きちんとごめんなさいが出来る子でもある。

 

でも、それが通用しないことがあるのは、知らなかった。

 

ブイモンを傷つけたあの出来事は、決してごめんなさいで済む問題ではない。

だってブイモンは殺されかけたのだ。お友達を目の前で殺されたのだ。

失った命は2度と戻らないことぐらい、ミミも知っている。

命をかけてデビモンを倒したエンジェモンは、デジたまになって賢の下に戻ってきたけれど、ブイモンは違う。

ブイモンはずっとずっと昔のデジモンで、もうブイモン以外のブイモンはいないとゲンナイも言っていた。

それはつまり、ブイモンのお友達は皆、賢のパタモンのようにデジたまになって戻ってくることが出来なかった、と言うことだ。

ごめんなさいって頭を下げても許されないほどに、残酷なことだ。

そんなずっとずっと昔の出来事が、今繰り返されようとしている。

 

《……もしこのままエテモンと戦わずに、次の進化も出来ずに負けちまったら……またああなるんだろう?》

《また……ブイモンみたいに、犠牲になるデジモンが、いっぱい増えるんだろう……?》

 

失踪する前、エテモンと戦うために飛び出そうとした太一の言葉が、ミミの脳裏に過る。

ミミ達がこうして迷い、留まっている間にも、ブイモンのように罪のないデジモン達が傷つき、その尊い命を散らしているかもしれない。

 

……そんなの、絶対に、いやだ。

 

「……パルモン、アタシ、やっぱり決めた」

『……何を?』

 

傷つけるのは嫌だ、傷つくのは嫌だ。

 

でも傷ついた誰かを見捨てるのは、もっと嫌だ。

 

ベルトに引っ掛けていたデジヴァイスが、薄らと黄緑の光を放った気がした。

 

 

 

 

 

 

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