.
よく寝たー、というミミの掛け声により、彼女らの1日は始まる。
昨日は夜更かしをしてしまったせいで、いつもより起きるのが遅れてしまった8時半。
すっかり硬くなってしまった身体を解すように、両手を上に突き上げる。
パルモンも真似をしながら身体を伸ばしていると、いい香りが漂ってきた。
おはよう、ミミちゃん、って声をかけてくれたのは、簡易キッチンに立っていた空だった。
修行の旅に出てから2週間程、その間、空は軽食を毎回作ってくれていた。
食事はゲンナイが用意してくれたミニパソコンのデータからでも取れるのだが、何だかありがたみを感じない、という理由で食材としてのデータも追加してもらったのだ。
精製されているお米や、容器に入ったお味噌、お店で売っているような野菜や果物、調味料などを入れてもらい、それらを使ってお母さんに教えてもらった通りの料理を披露した。
母親の趣向で洋食が多いミミだが、和食も大好きだ。
特に納豆が好きとのことなので、朝食には必ずご飯とみそ汁と納豆を出してくれる。
いつもいつもそうやって、ミミが起きる前に起きて朝食を用意してくれたり、修行に夢中になっている間に昼食や夕食も作ってくれるのだ。
たまには自分が空さんのために、自分の好きなものを作ってあげたいと思うのだが、ミミは低血圧の気があるせいで朝があまり強くなく、最近は朝から晩まで修行三昧の日々を過ごしているせいで、夜は気絶するように深い眠りに陥ってしまい、結果空よりも早く起きられた試しがなかった。
「いっただっきまーす!」
『まーす!』
両手を合わせて空と食材に感謝を込めながら、ミミは朝食を食べる。
今日も1日、強くなるための修行を熟すため、朝ご飯はしっかりと食べなければ。
美味しい美味しい、ってパルモンと言い合いながら食べている上機嫌なミミとは裏腹に、空の心は晴れないままだった。
箸を持つ手はのろのろとしていて、口に運ぶご飯も、ちびちびとしたもの。
時々箸を休めてはぼんやりとしていて、ピヨモンが空を呼んだ時には、ミミもパルモンもピヨモンも食べ終わった頃だった。
我に返り、1人と2体の視線が自分に向けられていたことで、自分がまだ食べ終わっていないことに気が付いた。
『ソラ、大丈夫?何だか元気ないよ?』
『具合でも悪い?』
「あ、う、ううん!大丈夫!気にしないで!さぁて、御片付けして、少し休憩したら、修行始めよっか!」
お母さんが見たら確実にはしたないと苦言を呈してくるであろう、流し込むようにご飯を掻っ込み、みそ汁も一気に飲み干して、てきぱきとミミ達が食べ終わった食器をシンクに持っていく。
わざとらしく鼻歌を歌う空に、ミミの表情は何処か心配そうだった。
──…昨日のこと、まだ気にしてるのかな
眠れなくて、少し夜風にでも当たろうかなと思ってテントの外に出たら、まだ空が起きていたから、眠たくなるまでお喋りをしていたのだが、その時から空は様子がおかしかった。
いつも穏やかで、優しくて、でも誰かが危ないことをしたり悪いことをしたら心配してくれたり、叱ってくれたりしてくれる、お母さんみたいな、お姉さんみたいな空さん。
お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかなって、ミミは空に憧れめいた気持ちを抱いていた。
パルモンが初めての進化を果たした時から、ミミは下級生に対してお姉さんぶっていたのだが、それは全部空の真似っ子である。
空が上手にお姉さんをやっているのを見て、ミミも真似っ子をしているのである。
見本がよかったのか、ミミは上手くお姉さんを担ってくれたので、空はこれまでの旅で“お母さん”で“お姉さん”を兼任せずに済んでいたのだが、ここにきてその“お母さん”役も重荷になっているようだった。
昨日のお喋りでほんの少しだけ吐露された、空の気持ち。
自分はお母さんに愛されていないなんて、どうして空はそんなことを言いだしたのか、ミミには分からなかった。
だって空は間違いなく“お母さん”だった。
太一が無神経なことを言ったりやったりすれば りつけてくれてたし、治や丈のフォローも上手だったし、自分や光子郎にも気を回してくれていたし、下級生達が我慢をしていると大丈夫?ってすぐに察して声をかけていたし。
ミミの母親は少ーし天然なところがあって、父親と毎日甘い空気を醸し出して、ミミがほったらかしにされていることもあったが、基本的にはちゃんと母親をやっている。
ミミがちょっとでもぐずれば、どうしたのミミちゃん、ってニコニコしながら撫でてくれるし、仕事が上手くいかなくて落ち込んでいる夫を慰めたり、お料理も掃除もミミや夫のために毎日頑張っていた。
何度もお手伝いをしたことがあるから分かる、家事というのはとても重労働だ。
愛する子どもと夫のためとはいえ、毎日やれば気が滅入るし、毎日の献立を考えるのだって大変なのである。
空はこの2週間、毎朝作ってくれる朝食だって、簡単なものだなんて言っているけれど、あれだって絶対お母さんが空に教えてくれたものだ。
ご飯の水加減も、お味噌汁の味噌や具材も、ミミのお家のものとは全く違う。
ご飯は少し硬め、お味噌汁は赤みそで、具材は豆腐だけでなく根菜類も少し入っている。
小さい空が踏み台を使って、お母さんの隣で一緒にお野菜を切る姿が、安易に想像できた。
……どうして、空は愛されてないだなんて、そんな淋しいことを言ったのだろうか。
料理や作法1つとっても、きちんとしている空が愛されていないだなんて、ミミにはどうしても考えられない。
『ミミ?』
食器を片付けている空の後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、パルモンに呼ばれた。
慌てて足元の方に目線を向けて、なぁにって答えたら、パルモンが不思議そうな表情を浮かべてミミを見上げていた。
『ずっとソラのこと見てるけど、どうかしたの?修行の準備とかしなくていいの?』
いつもは朝起きて、朝食を取ったら少し休んでいる間に修行の準備をしたり、髪を整えたりしているのだが、いつまで経っても行動に移さずに、ただじっと空の背中を見つめていることを疑問に思ったようだ。
は、とデジヴァイスの時計を見れば、もうすぐ9時半をとっくに過ぎている。
ミミは慌てて鏡台の前に座り、身支度を整えるのだった。
「さぁーあ!今日も頑張るぞー!」
髪とお肌を整え、身支度をし、何やかんやとドタバタして、時刻は10時を20分ほど過ぎた頃。
テントをミニパソコンに仕舞い、少し歩いて開けた河原に辿り着いたミミとパルモンは、空とピヨモンと対峙する。
今日も今日とて、互いのパートナーを進化させて、経験値を積んでいく修行だ。
空とミミはデジヴァイスを構えて、パートナー達に合図を繰り出した。
デジヴァイスから漏れる、進化の光。
ピヨモンとパルモンの身体を包み込んで、バードラモンとトゲモンが生まれてくる。
真っ先に飛び出していったのは、トゲモンだった。
先手必勝、と言わんばかりに赤いグローブがはめ込まれた拳を、バードラモンに叩きつけようと振るうも、紙一重で飛び上がることで躱した。
ばさり、と広げた翼から、幾つもの炎の雨を降らせる。
トゲモンは慌てず、それらを総て拳で打ち込み、掻き消してやった。
最初こそ苦手な炎ということで逃げ回って回避していたトゲモンだったが、最近は慣れてきたのか少し焦げたぐらいでは騒がなくなった。
炎の雨を総て打ち消してやると、お返しとばかりにトゲモンは必殺技である無数の棘を、身体を高速で回転させながらバードラモンに向けて放った。
バートラモンも負けてはいない。
旋回するようにそれを躱し、急降下してトゲモンに襲い掛かる。
トゲモンはそれをギリギリまでひきつけ、避けながらパンチを食らわせた。
少々よろめいたが、危なげなくバランスを取り、上昇していく。
連日の特訓のお陰なのか、バードラモンもトゲモンも体力はついてきているようで、1時間ほど成熟期の姿を保持しているが、疲れている様子は見られない。
……しかし、やはりと言うか、決定打に欠けていた。
2週間以上特訓を重ねているが、空の紋章もミミの紋章も、光る兆候は全く見られない。
デジモン達は人間達の想いの力で強くなる、と言っていたから、想いの力が足りないのだろうか、と思い、ミミはデジヴァイスを両手で掴みながら強く強く念じてみるが、紋章もデジヴァイスも、何の反応も見せなかった。
もう1つの条件である、パートナーの子どもがピンチになった時の方がいいのだろうか、と考えたが、子ども達の目的は世界を覆う闇を祓い、救うことであって、敵を殺すことではない。
発動条件が分からないのに、片っ端から野良デジモンに喧嘩を売るのも何か違う気がして、目下の目標は体力づくりとなっている。
何が足りないんだろう?何が必要なんだろう?
太一さんはどうやってグレイモンを進化させたんだろう?
自分の紋章を見下ろしながら、ミミは考える。
ピコデビモンは、ミミの紋章は“純真”だと言っていた。
“純粋”なら分かるが、“純真”とは何だろう?
丈に聞いたら、心に汚れ(穢れ)がないこと、邪心がなく清らかなことだと言っていた。
要するに、心が綺麗な人のことだよ、と言われた時、ミミはよく分からない、と思った。
ミミにとって心が綺麗な人、と言うのは、アメリカでも有名な長編アニメーションに出てくる、お姫様のような人達だ。
幼い頃に繰り返し見た、綺麗なドレスを着て、どんなに辛いことがあっても、いつかきっと幸せになれると信じて辛い日々を堪え、王子様に見初められるような美しい人達。
彼女達はその辛い境遇も、意地悪な人間も恨んだり妬んだりすることなく、ただただ必ず訪れるであろう未来の倖せのために、健気に頑張っているあのお姫様達のような人達のことを純真と言うのであって、自分が当てはまるイメージが湧かなかった。
あれがしたいこれがしたい、あれ欲しいこれ欲しいってパパやママに言って、自分の欲しいものもやりたいことも我慢しない、やりたくないことはなるべくやらない我儘なお姫様な自分を自覚しているから、そんな自分の紋章が純真だと言われても、いまいちピンとこない。
やはり紋章のことを考えるのは後にして、まずはトゲモンの体力向上に専念すべきだろう、とミミはデジヴァイスを握り直し、バードラモン相手に奮闘しているトゲモンに目を向けた。
空は空で、デジヴァイスを見下ろして思考の海に沈んでいる。
トゲモンに声援を送っているミミの声など、意識の彼方に追いやられており、感覚は総てシャットアウトされていた。
まるで真っ暗な闇の中に佇んでいるように、今の空は何も聞こえていないし、何も見えていない。
それほどまでに、空は思考に没頭していた。
だって分からないのである。
幾ら考えても分からないのである。
ジュンは言った、私が貴女の母親なら同じことを言っていたと。
ミミは言った、空のような優しい人が、愛されていないなんてことはあり得ないと。
ジュンはどうしてあんなことを言ったのだろう。
お母さんに直接言われた空は、お母さんがどうしてそんなことを言いだしたのか全っ然分からなかったのに、空からの話を聞いたジュンは、お母さんが正しいと言ったのだ。
サッカーが大好きな弟がいるから、ジュンなら気持ちを分かってくれると思っていたのに、ジュンは空の味方をしてくれなかったのである。
ミミが空に憧れているように、空はジュンに憧れていた。
自分の“好き”を貫き通し、教師のお小言もどこ吹く風と受け流し、間違っていることは間違っているとはっきり指摘する、あのサバサバとした性格は、空だけでなく学校中の女子の憧れだ。
4つも離れた弟がいるからか、小さい子達の扱いやあしらい方も上手く、まるで学校のアイドルなのである。
少々日本語が不自由という弱点はあるものの、英語の発音は完璧で、いつだったか道に迷っていた外国人に、姉弟揃って英語で案内してあげていたこともあった。
意地悪な男子や教師にも怯まず、よく回る口で撃退したこともしばしばだ。
女子がサッカーなんて、と陰口を言われた時も、ジュンは相手を莫迦にしたように見つめながら、むしろアメリカじゃサッカーは女子のスポーツですけど?と言い返してくれたこともあった。
ここは日本だ、という返し文句にも、じゃあ何で西洋のスポーツやってんのよ、とぐうの音も出ないような反論で相手を黙らせてくれた。
女子の自分がサッカーをやるのはおかしいのかって悩んでいる空を莫迦にしていた男子は、みんなジュンが追い払ってくれた。
あんなのに負けるなって、空ちゃんは空ちゃんのやりたいことをやればいいって、ジュンは応援してくれた。
それ以来、女子がサッカーをすることに難色を示してくる奴には、ジュンが言っていた言葉をそのまま返して黙らせた。
ジュンのお陰で、女子でもサッカーをしていいんだって自信がついた矢先のことだ、脚を怪我してしまったのは。
サッカーをしている女子は人口が少ないから、空が所属していたチームだって1人も欠けてはいけないぐらい、人数が少なかった。
だから無理をしてでも試合に出なければならなかったのに、お母さんはそれを許してくれなかった。
試合に出たい、サッカーをしたいって言う空の気持ちを、全く汲んでくれなかった。
家を飛び出して試合場まで行ったのはいいものの、試合はとっくに終わっていたし、出られなかった悔しさとお母さんに対する怒りで、感情がぐちゃぐちゃになっていたところに、憧れの人からのトドメの一言。
──アタシは、どうすればよかったの?
幾ら考えても、答えは見つからなかった。
「空さんっ!!」
ミミの切羽詰まったような声で、空はようやく身に迫っている危機に気づく。
思考の海に沈んでいた空の意識は急激に引き上げられ、詰まっていたらしい息が一気に吐き出された。
視界がオレンジ色に染まりつつある。
バードラモンだ、と気づいた時、パートナーと目が合った。
『くっ……!』
風圧に押し流されたバードラモンは、無理やりその巨体を捻って、立ち竦んでいる空を紙一重で避ける。
びょお、とかき乱された風が空を襲った。
咄嗟に腕で顔を庇い、目を瞑る。
「空さぁんっ!」
『バードラモン!!』
「ミ、ミミちゃん……一体何が……?」
ミミとトゲモンが慌てて駆け寄ってきた。
思考に耽っていた空は、何があってバードラモンが吹っ飛んできたのか、状況が読めなかったため、ミミに訊ねるしかない。
するとミミは泣きながら空にしがみついて、ごめんなさああいって涙声で謝罪してくる。
どうやら急降下してトゲモンを突風で巻き上げようとしたらしいが、トゲモンのパンチが急所に当たってしまったようで、そのまま吹っ飛ばされたらしいのだ。
ごめんなさいごめんなさい、って退化したパルモンとともに、ミミが必死になって頭を下げてくるが、空はそれどころではない。
慌ててバードラモンの方を見れば、河原の岸に埋められているような、大きな岩に身を預けていた。
ぶつかった衝撃か、ピヨモンに退化している。
「ピヨモンッ!」
遠目からでもぐったりとしているのが分かったので、空は顔を真っ青にさせながら駆け寄る。
「ピヨモン、しっかり!」
『っ、ソ、ラ……っ、あ゛あ゛あ゛っ!!』
苦悶の表情を浮かべているピヨモンをそっと抱き起こそうと、その身体に触れた時だった。
今まで聞いたことがないような悲鳴をあげるピヨモンに、空とミミはギョッとなる。
ぶるぶると右の翼を震わせながら、ぐったりとしている左の翼に添えた。
その表情はまるで激痛を堪えているように顰められている。
は、とパルモンがピヨモンの傍で膝をついた。
『ピ、ピヨモン……まさか、岩にぶつかった時に翼……』
「っ!」
それだけ聞けば、ピヨモンの異変に気付かない空ではない。
ミミも口元を両手で覆って、ピヨモンを見下ろしている。
ピヨモンは恐らく、岩にぶつかった衝撃で退化をしたのではない。
岩にぶつかる前に退化をしてしまい、風圧を殺しきれなかったせいで、強く岩に身体をぶつけてしまったのだろう。
この様子では、翼が折れているかもしれない。
空に触れられたことで全身を襲う激痛に見舞われ、身体が硬直してしまっている。
息をするのも苦しいのだろうか、ずっと短く吸っては長く吐いて、というのを繰り返していた。
──アタシのせいだ……
空は歯を食いしばる。
ギリ、と歯ぎしりの音がするほどに強く食いしばり、顔に影を落としながらピヨモンの翼にそっと手を添えた。
アタシのせいだ。修行中なのに、相手が仲間とは言え技の打ち合いをしていたのに、進化をしながら戦っていたのに、バードラモンのことをちゃんと見ていなかった、アタシが悪いんだ。
相手がミミちゃんじゃなかったら、次の敵だったら、ピヨモンはきっと骨折なんかじゃ済まなかった。
ちゃんとバードラモンを、相手を見て、どう動かなきゃいけないのか指示をしてやらなきゃいけなかったのに。
サッカーと一緒だ。
サッカーは自分1人ではできない。
仲間が、対戦相手がいるから成り立つのだ。
考え事をしていたから、ボールを追いかけられませんでした、なんてサッカーの試合だったら激怒ものである。
監督から喝が飛び、仲間から非難される。
戦いとサッカーは比べ物にはならないかもしれないが、それでもチームが一丸となって戦わなきゃいけないのは同じなのに……。
「…………ミミちゃん、残念だけど……修行は中止しましょう」
ゲンナイから救急セットはもらっていたが、それは飽くまで応急処置用、擦り傷や切り傷を手当するためのものだ。
ゲンナイも流石に、骨折は想定外だったのだろう、救急セットにもミニパソコンにも骨折を処置するようなアイテムはなかった。
治療のしようがない、と項垂れる空に、ミミとパルモンは何も言えなかった。
ここでまだやりたいなんて言う奴は、ただの莫迦か薄情者だ。
『ソ、ソラ……!アタシ、なら、だいじょう、ぶ、だか、ら、い゛っ!』
「何言ってるの!折れてるかもしれないのよ!?そんな身体で修行なんか続けられるわけないでしょ!ミミちゃん、申し訳ないけど、ピヨモンの腕ぐらいの長さの棒、探してくれない?添え木にするから」
「は、はい!パルモン、行こう!」
『うん!』
まだやると言い張るピヨモンを一喝した空に頼まれ、ミミはパルモンを伴って森の方へと走る。
手頃な枝が落ちていないだろうか、と辺りを見回すも、数分すると溜息を吐きながら項垂れてしまった。
『ミミ?』
「……ごめんね、パルモン。アタシが無茶なこと言ったから……ピヨモン、怪我させちゃった……」
『ミミは悪くないわ?アタシだってパンチする時、変に力入れずぎちゃって……後でソラとピヨモンにもう一回謝らなきゃ……』
「………………」
『ミミ?』
「……空さん、やっぱり……修行、嫌だったのかなぁ」
もう1度、溜息。
思い出すのは、昨日の夜の出来事。正確には、深夜を回っていたから今日の出来事だが、空は初めての形で自分の気持ちをミミに対して吐露した。
自分は母親に愛されていない。他人のことだって、どうだっていい。だから自分が何故愛情の紋章を与えられたのか分からないと。
ミミだって、何故自分が“純真”と言う紋章を与えられたのか、分かっていない。
だからこそ、この修行で何かを掴みたいとミミは思っていたのだが、空は違うのだろうか。
空も同じ気持ちだと思っていたけれど、本当は修行をしたくなかったのだろうか。
「……やっぱり、駄目ね、アタシ」
言いたいことを言えるのは、ミミの長所だ。
でも時々、思っていることをそのまま言うせいで、お友達とちょっとしたいざこざになることもある。
ミミちゃん言い過ぎ、ってお友達に窘められたことも、両手で数えきれないほどだ。
長所は、短所である。
自分の気持ちに正直になりすぎて、相手の都合や気持ちを蔑ろにしてしまうことも、よくあるのだ。
思ったことを言っただけだもん、と悪びれないこともあったし、確かに言い過ぎたかも、と反省することもあった。
最近は最年少達のお姉さんを頑張っていて、自分の気持ちを全面に押し出すことが減っていたから、長らく忘れていたようだ。
今ここに、お姉さんをやらなきゃいけないための最年少達はいない。
基本的に甘えん坊のミミが、お姉さんをやらずに済む年上の人がいるのなら、それに寄りかかって甘えてしまうのは当然の結果である。
心配してついてきてくれたからと言って、少し甘えすぎたかなってミミは反省する。
そんなことない、って否定してくれるのは、いつだってパルモンであった。
『だってミミは前に進もうとしていたじゃない!タイチとアグモンがミミ達の世界に飛ばされちゃって、オサムとガブモンは修行の旅に出て、他のみんなはどうしようどうしようって悩んでた中で、強くなりたいって次に行動したのはミミよ!もうブイモンみたいに、哀しい思いをするデジモンが増えて欲しくないって!アタシだってそうだもの!ずっとずっと、ミミを待っていた間一緒に待ってた仲間のこと、アタシ何にも知らなかった。アタシ達と一緒だって、ずっと思ってた。でも違った!ブイモンはずっとずっと昔の、もういなくなっちゃったデジモンの生き残りで、あんな辛くて哀しい過去があったなんて!アタシもどうすればいいのか分からなかったのに、ミミはちゃんと前を見ようってしてたじゃない!ミミは駄目なんかじゃない!そりゃ、最初は大丈夫かなって、ちょっと不安だったけど……』
「パルモン……」
そうなのだ。
心の拠り所を2人も一気に失って、停滞していた子ども達の中で、真っ先に立ち上がったのは最年長の丈でもお母さんの空でもない。
素直で我儘なお姫様だった、ミミだ。
あの時、ブイモンの悍ましい過去を知った子ども達の中で、真っすぐにブイモンの気持ちを受け止めてしまったミミなのだ。
悩まなかったわけではない。自分の気持ちに正直で、思ったことはすぐに口にしてしまって、時には相手を傷つけるような言葉を紡いでしまう女の子は、それでも暴力や争いは嫌いだった。
出来ることなら耳を塞いで、目を逸らしたかった。
自分じゃなくて他の誰かがやればいいのにって、思ったこともあった。
それでも無理やり折り合いをつけて、お家に帰るために世界を救おうって、それまでは頑張ろうって思っていた。
自分が傷つくのも、お友達が傷つくのも嫌だったお姫様は、知ってしまったのだ。
悪意というのは、子ども達の気持ちなんか無視して、突然襲い掛かってくるのだって。
奇しくも最年少で、パートナーが誰よりも遅く進化した賢が、ファイル島での最後の戦いで悟ってしまった状況を、ミミはその時思い知ったのである。
それまではお家に帰りたいって言う気持ちが先行していたのに、ブイモンに襲い掛かった悪夢を、デジタルワールドを覆いつくそうとしている悪意を目の当たりにしてしまったお姫様は、ようやく悟ったのである。
だから決めたのだ、だからこそ決めたのだ。
沈んでいた最年少達を見て、ミミは決めたのである。
「……そうよね、これぐらいでへこたれちゃダメだわ。戦うって決めたんだもの、アタシ。パルモンのいるこの世界を、ブイモンみたいに哀しい思いをしたデジモンを護るんだって」
へこみかけていた気持ちが、再浮上してくる。
甘えるのも愚痴を吐くのも、全部終わってからにしようと決めていたのだ。
よし、とミミは頬を両手で軽く叩き、気を引き締めた。
よかった、とパルモンは元気になったミミを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「さて、空さんにも頼まれたし、木の枝探しましょっか。添え木にするって言ってたし、なるべく頑丈そうなのがいいかな?それとも何本か持ってった方がいいのかしら」
『とりあえず良さそうなのを何本か持ってって、ソラに見てもらったら?』
「うん、そうする」
気持ちを改め、ミミとパルモンは空に頼まれた添え木用の木の枝を探そうと、地面に目を落とした時である。
『覇王拳っ!!』
何処からか聞こえてきた声と共に飛んできたのは、鬼の顔のような紫色の衝撃破。
バキバキ、と言う何かが折れる音と、凄まじい風圧で、ミミとパルモンの身体は吹っ飛ぶように転がっていく。
きゃあ、と悲鳴をあげながら、何とか身体を起こし、風圧が飛んできた方角を見やった。
『ガハハハッ!今のはほんのご挨拶だっ!』
「だっ、誰!?いきなり何するのよ!」
下品な笑い声と共に現れたのは、緑色の巨人である。
銀混じりの白く長い髪に、口から見える大きな牙、頭から生えた角、手に持っている棍棒は何かの骨だろうか。
ギラギラと獲物に狙いをつけた水色の目は、真っすぐミミとパルモンを見つめて逸らさない。
パルモンは立ちはだかるように、そいつを睨みつけた。
『ミミ!あいつは、オーガモンよ!』
「オーガ、モン?」
『強いデジモンと戦うことを生きがいにしてて、弱い者虐めもしてる、悪いデジモンなの!』
「わ、悪いデジモン……まさかっ!」
『ガハハハハッ!』
ブン、と手に持っていた棍棒を振り下ろすように、先端をミミとパルモンに向けるオーガモンは、高らかに宣言する。
『ヴァンデモン様の名の下に、テメェら選ばれし子ども達を総て抹殺してやる!覚悟しな!』
「…………ヴァンデ、モン?」
聞き慣れぬ名前に、ミミはその名を繰り返すように呟いたが、オーガモンがそれに答えることはなかった。
大地を蹴るように走り出し、一気に距離を詰めてパルモンにその棍棒振り下ろそうとする。
パルモンはミミを護るべくトゲモンに進化をし、迫ってきたオーガモンに向かって拳を繰り出した。
バキ、とトゲモンの拳が、オーガモンの振り下ろした棍棒に当たると、ミシリという音がして棍棒がしなる。
それを聞き逃さなかったオーガモンは、バックステップでトゲモンから離れる。
『ガハハハッ!思ってたよりやるじゃねぇか!』
『当たり前でしょ!』
『この棍棒はスカルグレイモンの骨から作ったもんだぜ?普通は拳の方が砕けるもんだが、テメェはなかなか鍛えているようだな!』
スカルグレイモン、と聞いたミミの肩が跳ねる。
それは、その名は、自分達を常に導いてくれていたリーダーのパートナーが、1度だけ見せた姿。
不幸な事故により大怪我を負った太一を見て、心に生まれた闇が暴走してしまった果てに進化をした姿だ。
パートナー達は愚か、ただの人間でしかないミミ達でさえ、スカルグレイモンから発せられるオーラに圧倒されたのを、ミミは決して忘れないだろう。
パートナー達が全員で対処しても、歯が立たなかったあの恐ろしいデジモンの骨で出来たのが、あの棍棒だとオーガモンは言う。
それはつまり、このオーガモンは怯むことも恐れることもなく、スカルグレイモンと戦って、勝利したということだ。
自分達ですらスカルグレイモンが力尽きるのを待つしかなかったのに、スカルグレイモンに勝った相手と戦って、勝てるのだろうか。
一瞬だけ、ミミの心に迷いが生じる。
しかしそんな迷いを吹き飛ばしてくれたのは、他でもないパートナーであった。
『ミミッ!』
「っ!」
『大丈夫よ、ミミ!アタシはこんな奴に負けないっ!』
「……うん、うんっ!そうよ、アタシ達だって修行してたんだもの、負けたりなんかしないわ!」
ミミはデジヴァイスを握りしめる。
デジヴァイスはミミの想いを受け止めて、更に強く光り輝いた。
そこから伝わってくるミミの想いに、トゲモンは両手のグローブをバシバシと打ち合わせる。
『行くわよっ!』
『望むところだっ!』
オーガモンはスカルグレイモンの骨で出来た棍棒をポイっと放り投げると、ファイティングポーズを取る。
強いデジモンに喧嘩を売るのが好き、というトゲモンの言葉通り、オーガモンはトゲモンを強敵と認めたようだ。
棍棒による攻撃よりも、素手による攻撃の方を好むオーガモンは、好戦的な笑みを浮かべると拳を後ろに引く。
『覇王拳!』
『ココナッツパンチ!』
オーガモンが繰り出したのは、先ほどの紫のオーラだ。
トゲモンは右の拳を突き出して、それを相殺する。
『まだまだ!覇王百連拳!!』
『こっちだって!マッハジャブ!』
今度は両方の拳を交互に打ち出しながら、幾つものオーラを放ってきた。
トゲモンは慌てず、冷静に攻撃を見極めて、素早く何度も拳を打ち出してオーラを掻き消している。
すごい、ってミミは祈るようにデジヴァイスを握りしめながら、圧倒されていた。
この2週間、バードラモンを相手にしていた修行の成果が出ている。
バードラモンの必殺技であるメテオウィングは、両翼から幾つもの火球を打ち出す技だ。
トゲモンはそれを総て、パンチで打ち消すと言う修行を何度も行っていたため、オーガモンの技にも対処できたのである。
頑張れ、ってミミはデジヴァイスを握る力を強めた。
技を打つのが煩わしくなったのか、オーガモンは大きく舌打ちをするとオーラを打ち出すのをやめ、トゲモンの顔を殴りつけた。
身体に生えている棘を物ともしなかったその拳に、一瞬だけトゲモンは怯んだものの、常時流れ込んでくるデジヴァイスからのミミの気持ちを受け止め、すぐに体勢を立て直し、負けじとアッパーを食らわせてやる。
まともに受けたオーガモンは、しかし楽し気な表情を崩すことなくボディーブローを仕掛けてきた。
カウンターを食らわせるように、ほぼ同時にオーガモンの頬を殴りつけるトゲモン。
ファイル島でもんざえモンと繰り広げた、あのラッシュを彷彿とさせるバトルだった。
ドカ、バキ、と殴りつける音が鳴り響く。
ミミの顔が、どんどん泣きそうな表情に歪められていく。
戦うのも傷つけあうのも、本当は好きじゃない。
でもここでオーガモンを何とかしなければ、河原には怪我をして動けないピヨモンが待っているのだ。
だから頑張って、ってミミは心の中で強く強く願う。
誰かを思いやる、強い想い。
空を護りたいというミミの気持ちが伝わり、トゲモンの二の腕が一瞬だけ盛り上がる。
『ココナッツパーンチ!!』
ミミの想いと自分の気持ちを乗せた拳を、オーガモンに食らわせてやれば、溜まらずオーガモンは吹っ飛ばされる。
砂埃をあげながら地面を滑っていくオーガモンに、ミミは勝ったのだと思ってトゲモンに駆け寄ろうとしたが、トゲモンはそれを鋭い声で止める。
トゲモンは、ファイティングポーズを解いていなかった。
『……ガハハハッ!やっぱり強いなぁ、テメェ!俺様の見込んだ通りだぜ!』
濛々と立ち上っていた砂煙が晴れる。
殴りつけられた頬を撫でながら、オーガモンが立っていた。
『……テメェの強さに免じて、俺様も本気で相手をしてやる!』
ニヤリ、と嗤ったオーガモンの手には、いつの間に握られていたのか、オーガモンの手と同じぐらいの大きさの、水晶が在った。
何あれ、と呟くミミとは裏腹に、トゲモンの警戒心は頂点に達する。
ビリビリとした痺れるような空気。
スカルグレイモンとは違った、悍ましい“何か”を、その水晶から感じ取った。
アレは、まずい。
本能的に察したトゲモンは、あの水晶を壊そうとしたが、オーガモンの方が早かった。
水晶を掲げる。真っ黒な光が、水晶から放たれた。
眩さはなかったものの、その悍ましいオーラに、トゲモンは咄嗟にミミを庇って光から目を逸らす。
それは、一瞬だった。シュウシュウと白い蒸気のような煙が発せられ、辺りに広がっていく。
トゲモンは恐る恐る、と言った様子でミミから離れ、そして、見た。
オーガモンがいたはずの場所に、オーガモンではないデジモンがいるのを。
『さあ……第二ラウンドと行こうぜ!』
高速で回転する右腕のカッターが、ミミとトゲモンの希望を打ち砕くように唸っていた。
.