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『しまったぁああああああああああああああああああああああっ!!!!』
灰色の雲が空を覆い、じめっとした空気が漂うそのエリアは、支配しているデジモンが張った結界のせいで、ウイルス種以外が立ち入ることが出来なくなっている。
ただでさえ世界を侵食し始めている暗黒の気配で、多くのデジモン達が怯えたりピリピリとした空気を放ったりしている中で、そのエリアだけが“異様”で“普通”だった。
結界のせいでウイルス種以外のデジモンは弾き出されてしまい、そのエリアに逃げることも避難することも出来ない。
しかし隣接しているエリアから、そのエリアを伺うことは出来る。
ウイルス種に対抗できるワクチン種のデジモンが、結界ギリギリの箇所まで近づいたところ、ウイルス種のデジモン達は、“普通”にそのエリアをうろついていた。
他のエリアは、いつ暗黒の勢力がその手を伸ばしてくるか分からないから、知性のあるデジモンは物陰に隠れたり、警戒心の強いデジモンは仕切りに辺りを伺ったりしながら移動しているのに、そのエリアに住み着いたウイルス種達は、“いつも通り”なのである。
呑気に餌を食べたり、同種のデジモンと縄張り争いをしたり、暗黒の影響なんて全く受けていませんっていう日常を送っているのである。
ただでさえウイルス種しか入れないエリアということで、気味悪がって近づくものは皆無なのに、そんな状態を聞かされれば、ますます近づくものはいなくなる。
そんなエリアに、つい最近になって異変が起きる。
他のエリアからたあっくさんのウイルス種達が、まるで甘い蜜に誘われる蜂のように、集まり出したのだ。
強そうな者から、癖のありそうな者まで、多種多様なデジモン達が、そのエリア目掛けて移動しているのが目撃されている。
そして、そのエリアに足を踏み入れたウイルス種は、殆どのデジモンが再びそのエリアから出てくることはなかった。
何故ならそのエリアでは今、とある計画が秘密裏に動いていたからだ。
綿密に、たっぷりと時間をかけて練られたその計画のために、このエリアは封鎖されたのである。
誰にも邪魔をされるわけにはいかない、と言いながら、特定のエリアを封鎖するように結界を張って、特定のデジモンのみを受け入れている時点で、光の守護者達の知られるところになるのだが、そのデジモンは邪魔なんか入るはずがないと確信していた。
現に今こうしている間にも、1度も光の守護者達が乗り込んでくる気配はなかった。
光も差さないほどに分厚い雲に覆われ、昼でも夜のように暗いそのエリアのほぼ中心に鎮座するのは、そのエリアに相応しい程に美しい純黒の城である。
積み重なった煉瓦は歴史を感じさせるほどに古く、そのエリアに充満している闇を吸ったかのように黒々としていた。
そんな闇の城に集められたデジモン達が、一瞬でざわついた。
エリアから出て不在にしていた闇の城の主でもあるヴァンデモンが、帰ってきたのだ。
馬ではなくデビドラモンと呼ばれる、邪竜型の使い魔デジモンによって引かれた馬車は、ヴァンデモンの移動手段だ。
何処へ行くにもその馬車に乗り、数日帰らないということが多かったため、ヴァンデモンの姿を数日見ないのも突然帰ってくるのもいつものことだったから、部下達は何とも思わなかったのだが、いつもと様子が少しだけ違った。
馬車が正面入り口から、扉をぶち破るように飛び込んできたのだ。
広いエントランスをうろついていたデジモン達は、派手な音を立てながら突然飛び込んできた馬車に驚き、その場で硬直した。
全員の目が馬車に釘付けとなり、次第に混乱に包まれた。
この城の主らしからぬ帰還方法であった。
と言うのも、ヴァンデモンは城を出る時も帰ってくる時も、正面玄関ではなく自室にあるバルコニーを使う。
だから下っ端のデジモン達ほど、ヴァンデモンの姿を見たものはいないし、幹部と呼ばれる古参のデジモン達も、主らしからぬ行動に驚いていた。
幹部の筆頭であるピコデビモンが慌てて飛んできて、馬車の中にいるであろう主に声をかける。
ガコン、と馬車が傾き、飛び込んできた衝撃で扉が外れた。
そこから落ちるように現れたのは、表情を顰めて悔しそうにしているヴァンデモン。
普段はきっちりとオールバックにしている髪はぐしゃぐしゃに乱れており、高貴なマントも少し襤褸になっていた。
口元が切れているのか、血が垂れており、腹の辺りを抑えているところから、そこを負傷しているのだろうと言うのが分かる。
ずるり、と傾いた馬車にもたれかかりながら出てきたヴァンデモンに、ピコデビモンを筆頭とした幹部達が、ヴァンデモンを支えようと駆け寄るが、ヴァンデモンは鬱陶しそうにそれを振り払い、私に構うなと吐き捨てた。
『し、しかし、ヴァンデモン様……』
『構うなと言っている!』
それでも気遣わし気に、ヴァンデモンに声をかけるデジモンがいたが、ヴァンデモンはそんな気遣いすらも踏みにじる。
腹を抑えている手とは反対の手を振り上げれば、襤褸になったマントが翻る。
不気味な声をあげながら、大量の蝙蝠が生み出され、ヴァンデモンに声をかけたデジモンに襲い掛かった。
『ぎゃあああああああああああああああっ!!』
まさに、断末魔。
城中に響き渡るほどの絶叫をあげながら、そのデジモンの命は蝙蝠達に一かけらも残さず食い尽くされた。
ピコデビモンは、他の幹部達は、そして偶然その場に居合わせた雇われデジモン達は、その光景を目撃して息を飲む。
何体かは顔を真っ青にさせていた。
誰も、何も言わない。
言った結果が、先ほどの惨劇だ。
『くそっ……忌々しい、選ばれし子どもめ……っ!このままでは済まさんぞ……っ!』
吐いた悪態は、選ばれし子どもへの呪いの言葉。
気配を消してピコデビモンの背後に現れたウィザーモンが、恐らくいずれかの選ばれし子どもと接触し、勝負をしたが相打ちにでもなったのだろう、とピコデビモンに耳打ちしてきた。
……日に日におかしくなっている、とピコデビモンは唇を噛みしめる。
闇を愛し、闇に生きる存在ではあるものの、ピコデビモンが敬愛していたヴァンデモンはここまで冷酷ではなかった。
気高い振る舞いをいつでも忘れず、圧倒的な力でデジモン達を従えるところはあるものの、失態を犯したデジモンに対して死をもって償わせるほど、残忍な性格ではなかったはずだ。
それは、長年仕えてきた幹部達ならよく知っている。
そんなヴァンデモンを、ウイルス種らしいと妄信する者もいれば、困惑する者もいる。
ピコデビモンは当然後者だ。
ゲンナイのためにダブルスパイという危険を犯し、子ども達の手助けをしているところからも分かるだろう。
このままでは、ヴァンデモンは本当にこの世界から粛清対象として、光の者達から排除されかねない。
長年ヴァンデモンに仕え、慕っているピコデビモンにとって、それだけはどうしても避けたい事態だ。
──それでも、覚悟はしておいた方がいい。
ゲンナイに仕え、ヴァンデモンを助けると決めた時、ゲンナイにそう言われたことを、ピコデビモンは思い出す。
どれだけ手を尽くしても、届かない思いはある。
ピコデビモンが幾らヴァンデモンを思って行動したのだとしても、それがヴァンデモンに届くとは限らないのだ。
それほどまでに、ヴァンデモンは深い闇に取り込まれ、暗黒に魅入られて、目も耳も閉ざされている。
だからどんな結果になっても、それを受け入れ、誰も恨まないと決めていた。
……それでも、出来ることは最後までやり切りたい。
それだけしか、ピコデビモンには残されていないのである。
手が伸ばせるギリギリまで手を伸ばして、ヴァンデモンを救いたいのだ。
世界が闇に覆われ、破滅の道を辿っていることは知っているし、ピコデビモンもそれは望んでいない。
でもそれと同じぐらい、ピコデビモンにはヴァンデモンが大事なのだ。
ゲンナイに咎められる覚悟も、子ども達に非難される覚悟も承知の上で、危ない橋を仲間達と共に渡っている。
痛みに耐え、よろめきながらも奥へ消えていく主人を見送り、ピコデビモンは唖然と突っ立っている幹部や雇われデジモン達に、仕事に戻るように促した。
ショッキングな光景を目撃してしまったデジモン達は、ピコデビモンに声をかけられたことで我に返り、その場から逃げるようにそそくさと仕事に戻っていく。
『……どうするんだ、ピコデビモン』
他のデジモン達が散開していく中、気配を消していたウィザーモンが静かに声をかけてきた。
どうする、と言うのは恐らくヴァンデモンのことだろう。
ヴァンデモンは、自分こそがこの世界の王たる資格を持つと自負している。
王に相応しいかはともかくとして、強いのは確かだ。
選ばれし子ども達には特別な力があるとはいえ、子ども達のデジモンは進化を始めたばかり、まだヴァンデモンと同じレベルには至っていないはずだ。
それがヴァンデモンを退却させる程に力をつけ始めている子どもがいる……。
『……出来ることを、やるだけさ』
世界は救いたいが、ヴァンデモンに死んでほしくないし、子ども達に殺させたくない。
裏切り者と蔑まれようとも、ピコデビモンは決めたのだ。
ウィザーモンは溜息を吐きながら、根を詰めすぎるなよとだけ呟き、煙のようにその場から消える。
まだ混乱が残る城のエントランスで、先ほどの騒ぎを知らないデジモン達が、仕事に戻っていくデジモン達に何があったのかと訊ねているのが聞こえた。
幾らウイルス種とは言え、先ほどの光景はなかなか堪えたようで、口を噤む者ばかりだった。
ピコデビモンはそれを咎めることなく、喧噪を縫うように飛び去って行った。
そして数日後、冒頭の絶叫に至る。
主たるヴァンデモンの怪我は既に完治しており、再び何処かへと出かけて行ってしまった。
雇われデジモン達や幹部達は来るべき日のために、今日も今日とて準備に忙しい。
数日前の騒ぎなどなかったかのような、いつも通りの光景の中で聞こえてきた絶叫。
何事かとデジモン達は作業している手を、何処かへ向かおうとしている足を止めて、忙しなく辺りを見回している。
スパイとして潜入している他の仲間達は、ピコデビモンが何かやらかしたのかと察した。
代表してウィザーモンが様子を見に行くと、自室として宛がわれた部屋の中で、頭を抱えてぶつぶつと呪詛のようなものを呟いているピコデビモンの姿が。
……何か失態でもやらかしたな、とウィザーモンは半目になる。
『おい……』
『ハッ……!ウィ、ウィザーモン……』
扉をそっと閉め、声をかけてやればウィザーモンが入ってきたことすら気づいていなかったピコデビモンは、大袈裟なぐらいに身体を跳ねさせてウィザーモンの方を見やる。
羽と一体になっているマスクのせいで顔色は分かりにくいが、黄色い目に浮かんでいる絶望とか焦燥で、やっぱり何かやらかしたと悟った。
『……一応聞いてやるが、何をした?』
『俺が何かやらかしたのが前提かっ!!いやそうだけども!』
普段の口調が崩れてしまうほどに取り乱しているピコデビモンは、ウィザーモンに話しかけられたことで、一周回って冷静になったのか、深いため息を吐きながら項垂れた。
『………しまった』
『は?』
『間違えてしまった……!』
『何をだ?』
振り絞るような声で、要領を得ないことしか言わないピコデビモンに、優しいウィザーモンは根気よく訊ねる。
『……子ども達に送り込むデジモンを……間違えた』
『はぁ?』
『だからっ!デジモンを間違えたんだっ!』
『落ち着け!声を落とせ!間違えたというのはどういうことだ!?』
ピコデビモンの声量がどんどん大きくなっていることに焦り、ウィザーモンは慌ててピコデビモンを宥めた。
ピコデビモンの声を、ヴァンデモンの手下が聞きつけたりすれば、ウィザーモンもピコデビモンもタダでは済まない。
とりあえず扉を少しだけ開けて、誰もいないことを確認してから、再度ピコデビモンに訊ねれば、羽を器用に使って両目を覆い、衝撃の事実を口にする。
『……ジョウという子どもとゴマモンの下に送る予定だった、我々の同志と、ヴァンデモン様の下についていたデジモン……間違えたんだ』
『はあっ!?』
ウィザーモンは先ほどピコデビモンに忠告したことも忘れて、大声を出してしまった。
『どうしたら間違えるんだ!?と言うかそいつに我々のこと、バレたのでは!?』
『いやっ!我々の同志の方には既に声をかけていたんだ!だからバレてはいない!ヘマはしていない!』
『結果的に送るデジモンを間違えたのだから、ヘマをしたことに変わりはないだろうっ!』
『おっしゃる通りで!』
思わず持っている杖でピコデビモンをどついてしまった。
魔法の杖を物理に使うな、というツッコミは誰からも入らない。
『もう一度聞くが、何故間違えたんだ?』
『送り込む準備をしていた時に、通りかかった奴と間違えた……』
『莫迦なのか?』
『煩いっ!』
ながら作業をしていたために、転送装置から離れて遠隔操作をしていたピコデビモンは、ちょうど監視用の鏡に映ったそのデジモンを、送り込むデジモンと間違えて転送装置を作動させてしまったらしい。
その後にやってきた、送り込む予定だったデジモンが監視用の鏡に映ったことで、間違いが発覚したということだ。
『莫迦なのか?』
『二度も言うなぁっ!ああ~、どうしたものか!間違えたデジモンは知性はあるが、意志疎通が出来ない……間違って子ども達を傷つけてしまったら……!』
最悪の事態を想定して、ピコデビモンは蹲る。
世界のために、敬愛するヴァンデモンのために、そして子ども達に強くなってもらうために、こちら側の勢力を敵として送っているが、それは飽くまでもピコデビモンやウィザーモンと志を同じくしている者、つまりゲンナイや子ども達の味方達だ。
ヴァンデモン側の勢力、つまり正真正銘の敵を間違いとは言え、子ども達に送り込んでしまえば……。
ウィザーモンは目を細め、ピコデビモンの頭部にポン、と手を乗っけてやる。
『……信じよう。子ども達の力を、強さを。それしかあるまい』
自分達は何も出来なかった。
迫りくる闇に抗う力など、なかった。
だからこそ、世界は子ども達を呼んだのだ。
だったら自分達は最後まで、子ども達をできうる限りサポートするだけだ。
『………………そう、だな』
力なく、しかしピコデビモンはウィザーモンの言う通りだと思って、それだけ返事をした。
どぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!
突然の爆発音とともに噴き上がった黒煙に、丈とゴマモンはギョッとなってその場に立ち竦む。
方角を見れば、あれはレストランの方だ。
ベジーモンが丈とゴマモンのためにサンドイッチを作ってきてくれて、少し世間話をして、それから世話をしているという赤ちゃんデジモン達をレストランに連れて帰ったのが、2時間ほど前。
まだ先は長い、と丈とゴマモンが修行を続けていた時のことだ。
異変を察知した丈とゴマモンは、急いでレストランの方に向かう。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
レストランに近づくにつれ、見えてきたのは長く赤い巨体、蛇のように顔をもたげながら暴れているのは。
『あっ、あいつ、ワルシードラモン!?』
ゴマモンが叫ぶ。
ワルシードラモンとは、ファイル島で出会ったシードラモンが、闇の力を使って進化した姿だと言う。
シードラモンは成熟期、だからワルシードラモンは完全体だ。
そう聞いた丈の足が一瞬止まる。
修行をしているとはいえ、ゴマモンはまだ完全体に進化出来ない。
そして完全体に進化するための、紋章の意味も丈はまだ理解できていない。
勇んで駆けつけたのはいいが、あの大きなワルシードラモンと対峙して戦わなきゃいけないのか……?と丈の顔が青くなっていく。
しかしその考えを、丈はすぐに振り払った。
『ああ~!お、お店が、お店がぁ~!』
何故ならデジタマモンが、破壊されていくレストランを見上げながら嘆いていたからだ。
ベジーモンが言っていたことを思い出した丈は、怖気づいていた心を何とか叱咤して、ワルシードラモンを睨みつける。
「頼むよ、ゴマモン!」
『おう!』
そうだ、何もワルシードラモンを倒す必要はない。
何か理由があって暴れているのなら、大人しくさせればいいんだ。
まずはレストランから引き離さないと……。
丈のデジヴァイスから光が漏れ、ゴマモンを包み込む。
分解され、再構築され、大きくなったイッカクモンは湖に飛び込み、レストランを襲っているワルシードラモンに体当たりした。
『ギシャアアア……!!』
『そら、こっちだ!』
攻撃されたことで、ワルシードラモンの標的がイッカクモンに移り、くるりと方向転換してイッカクモンを追いかけて行った。
今のうちに、と丈はレストランの方に向かう。
完全体であるワルシードラモンの攻撃を受けたせいで、レストランは今にも崩れそうだ。
ここにいては崩れた瓦礫に巻き込まれてしまう、と思った丈は、茫然と立ち尽くしているデジタマモンに、離れるように言おうとして、はたと気づく。
「ベジーモンは……?」
ベビー達にご飯をあげる、と言ってレストランに戻っていたはずのベジーモンがいない。
レストラン内にいたのなら、デジタマモンと一緒に外に出ていると思っていたのに。
丈のつぶやきを聞いて我に返ったらしいデジタマモンは、そう言えばと辺りを見回し、それからさっと顔を青ざめさせた。
『ま、まさかまだ中に……!?』
「!」
『あ、おい!待ちなさい!』
屋根の部分は半壊しており、残っている部分も今にも崩れそうだ。
だが丈は、デジタマモンの言葉を聞いた瞬間、反射的に駆けだしていた。
扉の機能は最早果たしていないので、崩れている壁から丈はレストランの中に入る。
煉瓦に足を駆けた途端、ガラリと崩れてこけかけたが、何とか踏ん張った。
崩れた屋根の瓦礫で食堂は滅茶苦茶になっている。
垂木と呼ばれる、野地板を支える木の棒が床に突き刺さり、木片が飛び散っている。
コンクリートに埋められた鉄筋が飛び出て折れ曲がっていた。
「ベジーモン!?ベジーモン、いる!?」
粉々のコンクリートに足を取られそうになりながら、丈は中に残っていると思われるベジーモンを呼ぶ。
がら、と目の前で屋根の瓦礫が落ちてきたので、あまり時間をかけていられない。
不安定な床を慎重に、しかし急いで歩きながら丈はベジーモンを探す。
がらがら、と細かい破片が降り注ぐ中、僅かな呻き声を丈の耳が拾った。
「ベジーモン!?」
『ああ……ニ、ニンゲンのお方……』
呻き声が聞こえた方へ向かえば、崩れた瓦礫の下敷きになっているベジーモンがいた。
ピィピィと泣いているのは、ベジーモンが連れて行ったベビー達だ。
恐らくベビー達がいたために、素早く動けなかったのだろう
ベジーモンが文字通り身体を張ってベビー達を護ったようで、ベビー達は多少砂埃を被って汚くなった程度で、見たところ怪我をしている様子はない。
そのことにホッとしつつ、丈はベジーモンの方を診た。
蔦のような手は所々細かい傷が出来ており、頭部の部分から黒い液体のようなものも流れている。
これは人間でいうところの血、だろうか。
血を見ただけで気絶しそうになる丈だが、崩れそうになっている家屋で気絶をしてしまっては洒落にならない。
何とか踏ん張って堪え、丈はベジーモンを救出しようと崩れた瓦礫をどかし始めた。
『あ、あの……!ニンゲンの、お方……!ワタシは、いいので……!この子達を……!』
「君だけを置いていけないよっ!」
ベビー達だけでもと懇願してくるベジーモンだが、丈は瓦礫を退ける手を止めない。
目の前で助けられる命があるのに、それを放っておくなど、医者の息子として出来るはずがなかった。
しかし崩れかけている屋根の欠片は絶えず丈の上から降り注いでおり、いつ瓦礫が丈を押し潰すか分からない。
そうなれば必然的に、ベジーモンとベビーにも被害が出る。
ベジーモンは弱いとはいえ成熟期だが、ベビー達は幼年期Ⅰ、コロモンやプカモンよりも小さく弱い存在だ。
うるうるうる、とつぶらな瞳を潤ませながらベジーモンに縋りつくベビー達を見て、ピラミッドに置いてきた最年少の3人を思い出した丈は、ぐっと唇を噛みしめる。
「……必ず、戻るから!」
ベジーモンからベビー達を受け取り、丈は後ろ髪を引かれる思いをしながら、その場を後にする。
先ほどよりも落ちている瓦礫が多く、足場が悪い。
両腕もベビー達を抱えて塞がっているので、入ってきた時よりも時間をかけて外に出た。
『ベジーモンはっ!?』
デジタマモンが慌てて駆け寄ってくる。
丈は切れかけている息を整えて、ベジーモンを助けに再びレストランへ入るために、ベビー達をデジタマモンに預ける。
ピィピィと泣き喚くベビー達に困惑するデジタマモンを無視して、丈が立ち上がった時だった。
ばしゃんっ!!
「うわっ!?」
白くて大きなものが、畔に波を生み出しながら叩きつけられる。
イッカクモンだと気づいたのは、ワルシードラモンが首をもたげながら、イッカクモンを意地悪く見下ろしているのを見た時である。
「イッカクモン!」
『だい、じょうぶっ!ジョウは、離れてて……!』
「あ、ああ……」
何とか体勢を整え、イッカクモンはワルシードラモンに技を放とうとしたが、ワルシードラモンの方が早かった。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
一際大きい咆哮をあげると、ワルシードラモンの周りに大量の氷の塊が生み出される。
ワルシードラモンの必殺技の1つ、イビルアイシクルだ。
びゅん、と風を切り、沢山の氷の塊がイッカクモンに降り注がれる。
イッカクモンは丈を護ろうと、その大きな身体で丈を隠す。
ビュンビュン、と絶えず空気を裂き、大量の氷の塊がイッカクモン達に襲い掛かる。
「あ……」
どごぉ、と氷の塊の1つがレストランの屋根に直撃する。
それを見た丈は、ほぼ反射的に、レストランの中へと走り出した。
『ジョウッ!?』
イッカクモンが呼び止める声も聞かず、丈はレストランの中へと消えていく。
しかし氷の塊で崩れた壁のお陰で、何故丈がレストランの中へ入っていったのかが分かった。
瓦礫のせいで身動きが取れないベジーモンが、いた。
先ほどの攻撃で足場は更に悪くなっており、丈は瓦礫を乗り越えたり、穴を避けて遠回りをしたりしながら、ベジーモンの下へと駆け寄っていく。
がらり
は、とイッカクモンはその音を聞きつけて、レストランの上部を見た。
屋根が、崩れる。
がら、がらり
折れた垂木がまるで鋭い鋩のように尖っており、それが真っすぐ、下に向けられている。
がらり
ずる、と垂木が下にずり落ちる。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアッ!!』
ワルシードラモンが再びイビルアイシクルを放つ。
『やめろぉっ!!ハープーンバルカンッ!』
イッカクモンは角から何発もの技を放つが、ワルシードラモンが生み出した氷の塊に追いつかない。
幾つもの氷の塊がイッカクモンやデジタマモンに襲い掛かり、その幾つかがレストランに当たり、破壊していく。
ずる、
ぶつかった衝撃で、少しずつずり落ちていた垂木を支えていた瓦礫が、一気に崩れる。
丈がベジーモンの下に辿り着き、救出しようとその場にしゃがみ込む。
鋭い鋩が真っすぐ落ちていく。
“丈の首筋に向かって”。
『ジョウッ!!』
イッカクモンが叫んだ声で、丈は自分の身に迫る危険に気づいた。
目を見開く丈。
しかし彼は逃げなかった。
瓦礫に埋まって身動きが取れないベジーモンに覆い被さったのである。
あのまま逃げれば、確かに丈は助かるかもしれない。
しかしベジーモンは確実に、その垂木に貫かれるだろう。
そのことが一瞬で脳内を過った丈は、医者の息子としての使命を全うすることを選んだ。
いや、きっと丈はそんな崇高なことなど、考えていない。
ただ助けると、必ず戻るとベジーモンと“約束”したのだ。
その命を見捨てるなど、丈には出来なかった。
『うああああああああああああああああっ!!』
想いは、進化する。
丈のピンチに、イッカクモンはワルシードラモンと対峙していたことすら忘れて、その巨体でレストランの残った壁をぶち壊すように丈の下へと急いだ。
身体が白い光に包まれる。
床に突き刺さっていた瓦礫が、ゆっくりと浮かび上がる。
重力が反転したのではなく、イッカクモンを包み込んでいる光のエネルギーが凄まじく、その余波で吹き飛ばされているだけだ。
丈とベジーモンに襲い掛かった垂木の鋭い鋩も、イッカクモンが放つ凄まじいエネルギーで粉砕するように消滅する。
膨れ上がっていく光。
その光を突き破って生まれたのは、巨大な甲羅。
落ちてきた瓦礫を受け止め、レストランの屋根を完全に破壊した。
『……ジョウ』
「………………へ?」
ぎゅ、と目を瞑り、次に来るであろう衝撃を覚悟していた丈だったが、いつまで経っても痛みが襲ってこない。
恐る恐る、と目を開けたと同時に、頭上から声が降ってきた。
間の抜けた声をあげながら上を見上げると、甲羅を背負い、長い牙と角を持ち、発達した筋肉に金属のハンマーを持ったデジモンがいた。
「ゴ、ゴマモン……?」
『今はズドモンさ。ジョウ、オイラ達とうとうやったんだ!』
ゴマモン、基ズドモンが嬉しそうに丈を見下ろしながら言ってくる。
そのやんちゃそうな笑顔は、ゴマモンの時と何も変わっていなかった。
あれだけ悩んで、あれだけ迷っていたのに、あっさりと完全体に進化できたことにポカン、と言葉を失くして見上げていたが、危機は去ったわけではない。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
咆哮が響き渡る。
ズドモンは、その咆哮を聞いて背後の方を睨みつける。
巨体故に動きは少しゆっくりとしていたが、襲いかかってきた氷の塊をものともしなかった。
『おりゃああっ!!』
それどころかその氷の塊の雨の中を突き進み、ワルシードラモンに向かって行く。
右手に持ったハンマーを振り上げ、ワルシードラモンの長い身体に叩きつけた。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
発達した筋肉によって振り下ろされたハンマーの威力に、ワルシードラモンは溜まらず悲鳴をあげる。
イッカクモンが進化をしたのなら、ズドモンはワルシードラモンと同じ完全体だ。
だったらワルシードラモンに負けるはずがない。
ズドモンが進化したエネルギーの余波で、ベジーモンに伸し掛かっていた瓦礫も吹き飛ばされているので、丈はベジーモンを抱えてデジタマモンの下へと走った。
急ぎすぎて足が縺れ、デジタマモンの前で顔面から思いっきりずっこけてしまったが、そんな痛みに構っている暇もない。
ズレた眼鏡を直しながら、丈は自身のパートナーを応援すべく、声を張り上げた。
「頑張れぇええええええっ!!ズドモォオオオン!!」
『おうよっ!!』
デジヴァイスを握りしめれば、紋章の力を得て黒くなったデジヴァイスから更に強い光が漏れる。
丈の強い想いがデジヴァイスによって変換され、ズドモンに更なる力を与える。
もり、とズドモンの腕の筋肉が盛り上がった気がした。
『ギシャアアアアアアアアアアッ!!』
叩きつけられたハンマーの痛みで、怒りのボルテージが上がったワルシードラモンは、その場で輪を描くようにぐるぐると回り出す。
黒い風が生み出され、引っ掻き回され、大きな竜巻となる。
ワルシードラモンを構成している闇の力から生み出された、ダークストロームという技だ。
並みのデジモンなら呆気なく吞み込まれ、鋭利な風の刃で身体をもみくちゃにされ、切り裂かれていただろうが、ズドモンはクロンデジゾイド製のハンマーを振り回すために腕の筋肉も、大きな身体を支えるために足の筋肉も発達している。
ズドモンに襲い掛かった竜巻は、ズドモンの巨体を飲み込んでも吹き飛ばすまでの威力はなかった。
『おらああっ!!』
強力な風の渦にズドモンは顔を顰めたが、それも一瞬のこと。
竜巻の向きとは逆の向きにハンマーを持っている手を振り回して、竜巻を打ち消した。
『ギシャッ!?』
『今度はこっちの番だ!』
バチバチ、と電流が走るハンマーを振り上げた。
『ハンマースパークッ!!』
ブン、と空気を裂いて地面に叩きつけるように振り下ろすと、そこから雷が発生され、ワルシードラモンに向かって走っていく。
秒速15メートルの速さで落ちると言われている雷から、逃れる術はない。
雷はワルシードラモンに直撃し、全身を包み込んだ。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
空気が震えるほどの咆哮。
やがて雷は消え、黒焦げになったワルシードラモンは、力なく倒れる。
ばしゃあんっ!!とその巨体が叩きつけられた湖は、大きな水しぶきと波が立ち上がり、畔にいた丈達を飲み込もうと襲い掛かってきたが、ズドモンが盾になったことで津波が左右に割れ、丈達はびしょぬれにならずに済んだ。
ぶくぶくぶく、と大量の泡が浮かんでは消え、ワルシードラモンの巨体が湖に沈んでいく。
暫くの間、ズドモンと丈は動けなかった。
ワルシードラモンが目を覚まして、再び襲い掛かってくるかも、と思うと、迂闊に喜べなかった。
しかし数分経っても、数十分経っても、ワルシードラモンが目を覚まして、湖から這い出てくる気配がない。
もう危機は去ったのだろうか?
丈とズドモンは顔を見合わせる。
『……どうする?』
「……とりあえず、湖から離れようか」
『だな』
無難だが、確実な提案である。
ズドモンは大きな掌に丈とベジーモン、デジタマモン、それからベビー達を乗せ、湖から離れていった。
『………………』
そんな彼らの後ろ姿を見送り、湖に沈んでいったワルシードラモンを引き上げて、何処かへと連れ去った魔法使いと小悪魔がいたが、彼らの知るところではない。
『ほんっとーに!ありがとうございました!』
「も、もういいってば!お礼ならさっきも言ってくれたじゃないか!」
『そーそー!』
湖から離れた、森の拓けた広い場所。
ベジーモンが耕して、美味しい野菜が生っている畑に、丈とプカモンはいた。
畑に着いた途端、気が抜けたのかズドモンは一気にプカモンまで退化して、その場にへろへろとへたり込んでしまった。
成長期から成熟期に進化する時も、大量のエネルギーを消費していつもより食いしん坊になるのだ、完全体ともなれば消費量はいつもの比ではないだろう。
無事だった荷物からミニパソコンを取り出し、大量の食べ物と飲み物を取り出して、全員で分け合って食べた。
怪我をしたベジーモンには、医療キットを取り出して消毒液や絆創膏、包帯をつけてやる。
漸く一息ついて、皆ではぁ~!って一息を吐いた時、ベジーモンとデジタマモンは土下座の恰好で丈とプカモンにお礼を言った。
気にしないで、と苦笑いしながら言うが、ベジーモンとデジタマモンは止まらず、結局プカモンが食べ終わるまで何度も何度もお礼を言ってきた。
「それで、これからどうするんだい?」
レストランはあんなんなっちゃったし、と丈はデジタマモンに訊ねる。
主な原因はワルシードラモンだが、ズドモンもその一角を担っているから、丈も少々罪悪感を抱いていた。
弁償しろ、と言われたらどうしよう、と思っているのだが、気になってしまったことを誤魔化すのが許せない丈は、口にせざるを得ない。
ドキドキ、と心臓が激しく鼓動を打っているが、それは杞憂に終わった。
『そうですね……少なくなったとはいえ常連さんはまだいますから、営業は続けたいとは思ってますが……機材がないことには……』
幸い湖から離れたところにある畑は無事だ。
調理するためのキッチンや道具があれば、後はどうとでもなるだろうが、あの様子ではキッチンも破壊されてしまっているだろう。
何とかしてやりたい、と腕を組んでうんうん考え込んでいたら、デジタマモンは突然立ち上がった。
『まあ、くよくよしていても仕方ないです!これまで稼いだ金は一応別のとこでも保管していますし、使えるものも残っているかもしれませんし、とりあえずやれることをやっていこうと思います。さあて、行くぞ!ベジーモン!』
『ええっ!?オ、オーナー!もう少し休んでも……!』
『ダメダメ!明日には営業再開するんだ!金は残っているとはいえ、再建できるまでのお金じゃあない!とにかく稼がないと!』
『オーナー!』
ダーッ!と止める間もなく、デジタマモンは卵から出ている2本の逞しい足を動かして、走り去っていってしまった。
足がないベジーモンはぴょこん、ぴょこんと身体をはねさせてデジタマモンを追う。
まるで嵐のようだ、と置いてけぼりを食らった丈とプカモンは、砂埃が舞い上がる目の前の光景を、ポカンと見やったのだった。
『……ふぉれはら、もむもむ、ほうふんの?』
「口にもの入れたまま喋るんじゃない」
ぐう、と未だになる腹の虫を宥めるために、食事を再開させたプカモンは丈にそんなことを訊ねる。
お家でやったら絶対父に叱られるようなことをしたプカモンを叱りながら、丈は空を仰いだ。
「そうだなぁ……とりあえず当初の目的だった進化は果たしたし、まだ時間も残ってるし、後はプカモンが完全体に慣れるまでは、もうしばらく特訓とかしてた方がいいかな……」
『んむんむ。タイチとアグモンもいつかえってくるかわかんないし、それまではちからをつけておきたいのは、オイラもさんせーかな!』
先に旅立った治が、ゲンナイと設けた約束の期間が2ヵ月。
丈はそれよりも10日ほど遅れて修行の旅に出た。
治が帰る期間に、丈もピラミッドに戻ろうと思っているから、まだまだ時間はある。
それまではプカモンと、体力づくりを中心に完全体のパワーに慣れるための特訓をするのがいいだろう、と丈とプカモンは決めた。
ところで、
「どうして進化できたんだろ……?」
『んあ?』
紋章は次の段階に進むための増幅器である、とはゲンナイ談である。
そして紋章の形は人それぞれであり、その人に相応しい形をしていると言う。
丈の紋章は誠実、正しい人、誠の人という意味だが、丈はいまいち理解できていなかった。
自分は正しい人間なのか、誠実という言葉に相応しい人間なのか、それが分からなくてさっきまで悩んでいたと言うのに、何故あんなにあっさりとイッカクモンを完全体に進化させることが出来たのか。
あの時は、ただベジーモンを助けたくて一心不乱だった。
あのレストランで働くのが夢だったと、ウイルス種特有の少々意地の悪い顔をキラキラさせながら夢を語ったベジーモンを、死なせたくないと思っただけだ。
理不尽な暴力で夢を奪われることが、あってはならない。
自分のようにただ周りに流されて夢を決めたのではなく、ベジーモンは自分で決めた夢を叶えようと努力をしていた。
それを護りたかっただけだ。
そうプカモンに告げると、何故かプカモンはニヤニヤしだした。
「何、その顔……」
『べっつにー?』
プカモンはあーん、と大きく口を開けて、サンドイッチを頬張る。
キョトンとしている丈からの視線も何のその、プカモンは鼻歌でも歌いだしそうなほどに上機嫌だ。
──やっぱりオイラのパートナーはサイコウだな!
丈が気づかなくてもいい。
誰も気づけなくてもいい。
だからこそ、自分は進化できたのだと、プカモンは食べかけのサンドイッチを口の中に放った。
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