ナイン・レコード   作:オルタンシア

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探究者

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泉光子郎は、泉政実・佳江夫妻の、本当の子どもではない。

 

それを知ったのは、本当に偶然だった。

ある日の夜、尿意を覚えて眠い目を擦りながら、トイレに起きたのは誰しもが経験のあることだろう。

しかしその帰りで、たまたま両親の部屋の扉が開いていて、たまたま隙間から灯りが漏れていて、たまたま覗き込んでしまったことで、光子郎の心に決定的な傷を与えてしまったのは、正に不運としか言いようがない。

1人っ子で、1人部屋に憧れを抱いていた光子郎は、集合住宅と言う形状の家だったこともあり、早いうちから1人で寝ていた。

それまでは母である佳江が専業主婦だったこともあって、両親と一緒に寝ていたのだが、今のマンションに引っ越してきてからは、1人で寝るようになったのだ。

どうして引っ越したんだっけ、と言う疑問が頭を過ったけれど、それも霞みの向こうに追いやられる。

あの日、トイレに起きなければ、両親の部屋を覗き込まなければ、両親の部屋から漏れた灯りを素通りしていれば、きっと今の光子郎はここにはいなかった。

扉越しから見た両親は、光子郎に背を向ける形で座り込んでおり、寝ている光子郎を起こさないように最低限までトーンを落とした声で、真剣に話し合っていた。

いつ光子郎に本当のことを言おうか、と悩む母。

もう少し、あの子が“自分”と言うものを確立するまで待とう、と言った父。

光子郎に聞かれているなんて微塵も思わず、両親は話を進めていく。

これ以上聞きたくなくて、光子郎は喉の奥からせり上がってくる悲鳴を飲み込もうと口元を抑えながら、足音を立てないよう慎重に自室へと戻り、何もかもを拒絶するように頭から布団を被って夜を過ごした。

 

 

 

それ以来、光子郎は父と母とどう接すればいいのか、解らなくなってしまった。

それまではそれなりに子どもらしく甘えたり我儘を言ったりしていたのだが、それもどうしていたのか思い出せない。

母が穏やかに話しかけてきても、父が優し気に語り掛けてきても、光子郎は余所余所しい返事しか出来なかった。

他人に対しても、自分の境遇を誰かに知られてしまうのでは、という猜疑心から口調もぎこちなくなり、誰に対しても敬語で話すようになった。

何も知らない人からすれば、丁寧に話すことが出来るなんて賢い子なんですね、と泉夫妻を褒めるだろう。

だがその実、敬語と言うのは相手を敬うだけでなく、“貴方と親しくなるつもりはありません”、という一種の拒絶だ。

普通は親しくなればなるほどに、口調というのは砕けていくものだが、年上だけでなく年下や同級生にまで敬語を使うのは、不自然な光景である。

だが子ども時代をとうに卒業した大人達は、そんな異様な光景に気づけない。

気づいたのは、泉夫妻だけだ。

突然の息子の豹変に、母は狼狽えた。

父の方は何かを察したようで、余所余所しい態度を取る息子を咎めることはなかった。

そのせいで親子の溝は、ますます深まっていく。

光子郎がパソコンにのめり込んでいったのは、丁度その頃だ。

元々デジタル機器には興味があったし、オタク気質なことも手伝って、あっという間にハマった。

元からあまり我儘を言うような子ではなかったから、夫妻は光子郎にねだられるがままに、パソコンやデジカメ、携帯などのデジタル機器を買い与えてやった。

そうすることで、何か悩んでいる様子の息子の気が楽になるなら、と小学生には高額すぎるものを与えることに、何の疑問も抱かぬまま。

父は、光子郎が興味を持つだろうと、社会人用のプログラミングの教材も買ってくれた。

父母との会話が気まずくて、逃げるようにのめり込んでいたデジタル機器は、いつしか光子郎の趣味となり、空っぽになりかけていた光子郎の人格を形成していく材料となる。

独学で学んでいくには限界があったので、担任の教師にパソコン部を作ってもらおうと思ったのだが、パソコンが一般家庭に普及し始めた頃だったために、パソコンを扱える人も少なかった。

情報の授業では、家にパソコンがある教師が担当となっていたが、その教師もネットサーフィンや資料作成のためと言う程度にしか使えない。

独学だったとはいえ、パソコンのことなら光子郎の方が詳しかったが、その時の光子郎は今の大輔やヒカリぐらいの年齢だったために、教師からの許可が下りなかった。

新しいクラブを作りたいのなら、最低でも5人の部員を集めて、5年生か6年生の生徒に、クラブの代表となってもらう必要がある。

しかし人見知りのせいで、クラスにすら親しい友人がいないため、まず人数集めで躓いてしまった。

担任の教師も、光子郎がクラスの輪に入ろうとせず、単独行動を好むことを知っていたので、これを機に友達を作ったらどうだと苦笑しながら言われた。

光子郎にとっては余計なお世話だったが、言い返す度量もなかったので、はあ、と気の抜けた返事を返すことしか出来なかった。

 

 

 

さて、光子郎が通うお台場小学校は、生徒達はいずれかのクラブ活動に所属することは必須である。

人見知り故に、集団行動やチーム競技が苦手な光子郎にとって、運動部などは最早苦痛でしかない。

だからこそ、団体行動を必要としないパソコン部を作りたかったのだが、年齢と部員数が達しないことを理由に却下されてしまった。

どうしたものか、と悩んでいた光子郎を、太一と治がサッカー部に誘ってくれたのは、去年の夏である。

去年の子ども会でも光子郎はパソコンを持って行って、大人達の目を盗んで1人で没頭していた。

なるべくひと気のいない、木陰で涼しい場所を選んでパソコンを弄っていた光子郎の下に転がってきた、1つのサッカーボール。

パソコンのディスプレイから顔をあげて、キョトンとしながらボールを見つめていたら、悪い悪い、って言う全然悪びれていない声がかけられた。

特徴的な爆発頭をヘアバンドとゴーグルでまとめている青い服の男の子と、その子ほどではないがボサついた藍色の髪に眼鏡をかけた男の子。

お台場小学校でも有名な、光子郎よりも1つ上の4年生達だ。

学校中の生徒が知っているほどの有名人で、名前は確か八神太一と一乗寺治、だったはず、と思いながら光子郎は膝に乗せていたパソコンをすぐ横に置いて、ボールを手に取ると太一に渡した。

サンキュ、とボールを受け取り、太一は治を伴ってその場を離れようとしたのだが、その前に治が光子郎に話しかけてきた。

 

「それ、君のかい?」

 

そう言って指さしたのは、ボールを渡すために地面に置いておいた、光子郎のパソコンだ。

太一はボールのことばかり考えていて気付かなかったようだが、治の目は光子郎のパソコンに釘付けだった。

心なしか目が輝いている、ような気がする。

はい、と気の抜けた返事をすれば、治は興奮したように捲し立ててくる。

ポカン、としている太一を尻目に、治は専門用語も交えながら話しかけてきたから、光子郎は自分が人見知りであることも忘れて、治と会話した。

公立の小学校に通いながら、中学レベルの受験や、高校の全国模試で高得点を取り、英会話もネイティブ並み、どのスポーツも卒なく熟すほど運動神経も抜群。

先生達からの受けもよく、年齢に似合わぬ大人びた表情を見せることが多い治が、まるで年相応の子どもみたいに目を輝かせながら、光子郎とのパソコン談義を楽しんでいる。

独学とは言え、大人顔負けのパソコン知識を持っている光子郎の話に、ついてこられる人なんかいないと思っていたから、光子郎は夢中になって治と話し込んだ。

が、それも途中で止められる。

 

「おい、治!パソコンの話が出来て嬉しいのは分かるけどよぉ。外でまでそんな話しなくていいじゃんか!外だぞ、外!今は走り回る時間!」

 

太一だ。

難しい専門用語のオンパレードで、ついてこられなくてポカンとしていた太一だったが、ようやく我に返って治と光子郎の会話に割って入ったのである。

あ、と間の抜けた声を出して、治は申し訳なさそうに頭を掻きながら、太一に謝罪をした。

先ほどまで2人でサッカーをして遊んでいたのに、太一をほったらかしにして、パソコンを持った後輩と話し込んでしまったのだから、太一が拗ねるのも無理はないだろう。

 

「お前もさぁ、せーっかくのキャンプだってのに、なぁーんでパソコンなんか持ってきてんだよ。こんなとこでパソコン弄ってないで、サッカーしようぜ、サッカー」

「え、あ、ちょ」

「おい、太一!」

 

え、え、って光子郎が混乱している間に、太一は光子郎の腕を取ってずんずん進んでいく。

治は置いてけぼりにされそうになった光子郎のパソコンを持って、慌てて太一の後を追った。

そこからはもう、あれよあれよと勝手に話が進んでいく。

訳が分からぬまま、光子郎は太一と治の2人だけだったサッカーに参加して、ボールを蹴り合っていた。

サッカーよりも野球の方が好きなせいで、ボールを上手く蹴れない光子郎を太一が時々揶揄って、治がそれに対して窘めたり、光子郎をフォローしたりして、親睦を深めていく。

こんなに笑ったのも、誰かと会話をしたのも、久しぶりだった。

太一はキャンプにまでパソコンを持ってくる光子郎を揶揄っても、深く踏み込んでこない。

治も、パソコンに詳しい光子郎を褒めることはあっても、不躾な質問はしてこない。

自分が置かれた状況を誰かに知られることを極端に恐れて、他人と距離を置くようになってしまった光子郎にとって、2人の傍はとても居心地がよかった。

キャンプ中はずっと2人にくっついていたし、キャンプから帰ってからも暇さえあれば太一と治とサッカーをしていた。

夏休みが開けると、早速サッカー部に入部した。

ずっと自分の殻に閉じこもっていた息子の、予想もしなかった行動に、両親は呆気にとられていたものの、それでも外に出て笑顔も見せるようになった息子の変化を、2人は喜んだ。

中途半端な時期に入部したせいで、自分より年下の子達よりも技術は拙かったし、試合でもベンチにいることが多かったが、それでも光子郎はたっくさん練習をして、技術を磨いていった。

4年生になれば試合にも少しずつ出られるようになったし、母は光子郎の好物をたっくさん詰め込んだお弁当を持って、父は有給を取って2人で応援に来てくれた。

まだ両親と話すのはぎこちないし、周りと自分をシャットアウトするためにのめり込んだパソコンも、立派な趣味になっていたから、止めるつもりもない。

 

それでも少しずつ、前のように両親と話が出来るようになってきた頃だ。

太一と治のお陰で、前よりも少しだけ周りを見る余裕を持てるようになった光子郎が、何度目かの試合に出た時のことである。

その日は、1年生と2年生、3年生と4年生でチームになって、近隣学校のサッカー部と試合をした。

最初にやるのは3年生と4年生のチーム。

前半で相手チームにリードを許してしまい、お台場小の3年生と4年生のチームは少し焦っていた。

低学年のチームのように和気藹々としたものではなく、かと言って上級生のようにピリピリとしているものでもない。

しかし技術が上がって、自信もつけ始めた頃だ。

結果が思うように出せなくて、焦るのも無理はないだろう。

応援に来ていた5年生や6年生が、焦る3年生と4年生を叱咤したり励ましたりしている。

結局後半でも巻き返すことは出来ず、結果は2対3で負けてしまった。

惜しかったね、とか次頑張れ、と言う労わりの言葉をかけられた3年生と4年生と入れ替わりに、1年生と2年生がコートに出る。

身体も小さく、まだ技術も追いついていない中、1人だけ動きが違う子がいた。

小さい身体を一生懸命動かして、ボールを追いかけている男の子。

顔からずっこけても何のその、泥だらけになって膝に血を滲ませても、歯を食いしばって走り続けているのは、尊敬する太一と治が一等可愛がっている後輩の、本宮大輔だ。

喜怒哀楽がはっきりしていて、相手が年上でも自分の主張を忘れないし、曲げない。

1年生の時にアメリカから帰ってきた帰国子女で、4つ離れたお姉さんは転校間もなく、学校中の生徒や教師を恐怖のどん底に陥れた事件を引き起こした張本人でもある。

当時3年生だった光子郎にとっては全く関係のない事件ではあったものの、光子郎もその事件の全貌を聞いて、顔を真っ青にさせたものだ。

大輔のお陰で他の子達よりは交流のある太一や治も、ジュンの名を聞くと一瞬身構える程である。

そのお姉さん、本宮ジュンが、弟が出る試合の応援に来ているのが見えた。

母が持ってきてくれたスポーツドリンクで喉の渇きを潤しながら、1年生と2年生の試合をぼんやりと見つめていたら、一際大きな声援が聞こえたのだ。

声がする方を見たら、大輔とよく似た顔立ちの、太一以上に爆発した髪型の、年上の女の子がいた。

口元に両手を添えて、負けたら承知しないわよーなんて物騒な言葉が聞こえてくる。

光子郎の傍にいた太一と治は、そんなジュンを見て苦笑している。

前半が終了し、点数は0対0の引き分け。

まだ体力がない1年生と2年生のチームは、後半はチームを全員入れ替えて試合を続行させる。

点数を1点も稼げなかったことが悔しかったのか、大輔は泥だらけのまま姉の下に突進していった。

待って待って汚い汚い、とジュンは抱き着いてこようとした大輔を阻止し、用意しておいたらしい濡れタオルで顔の泥を拭いてやっていた。

悔しさを全身で表現しながらぎゃあぎゃあと喚いているのを、ジュンは苦笑しながらうんうんって聞いていた。

その時である、大輔とジュンの下に2人の男女が駆け寄ってきたのは。

顔立ちが大輔とジュンに似ていたから、恐らく姉弟の両親だろう。

駆け寄ってきたと言うことは、2人の両親は何か用事があって試合を最初から見られなかったのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えながら、何となく目を離せなくて、そのまま一家の団らんを見つめて……光子郎はギョッとなる。

 

大輔の顔が、感情が全て抜け落ちたような表情になっていたからだ。

 

感情が服を着て歩いている、と治がよく大輔をそう表現するほど、感受性の強い大輔の顔に、何も浮かんでいなかったのだ。

お姉ちゃんの応援で張り切っていた大輔なら、両親が来てくれたことでますます張り切るのだろうなって思っていたのに、両親が話しかけても大輔はうんともすんとも反応しないのである。

代わりにジュンが両親に何か返事をしていたが、ジュンの表情も心なしか悪い。

目が泳いでいるし、口元も引きつっている。

本宮夫妻の表情は、こちらに背を向けているせいで見えないが……気づいていないはずがないだろう。

大輔は取り繕うともせず、両親を視界に入れないためか、ずっとそっぽを向いているのに、夫妻はそんな大輔を咎めることも叱ることもしようとしない。

……何だ、“アレ”。

 

「……光子郎?どうかした?」

 

ぼんやりと何処かを見つめている我が子に気付いた母が、キョトンとしながら光子郎に声をかけてきた。

その声で我に返った光子郎は、慌てて何でもないですと返した。

そう?と母は心配そうに光子郎を見やるが、光子郎は本当に何でもないですから、と笑顔で取り繕いながら、母が作ってきてくれたお握りを頬張った。

納得のいっていない表情を浮かべる母だったが、これ以上は問いかけても無駄だろうと判断してくれたのか、何も聞いてこなかったので、ほっと胸を撫で下ろした。

母にバレないように、こっそりと本宮一家の方に目線を向けた。

大輔はいつの間にかチームメイトの方におり、その表情もいつもの大輔に戻っていた。

あれは見間違いだったのか?と思う程に、いつも通りだったのである。

だが両親と一緒にいるジュンの表情が、未だ引きつっているところから、気のせいではなかったと知った。

 

──どうして

 

光子郎は分からない。

大輔は、どうして両親に対してあんな表情を見せたのか。

ジュンは、何故あんなに表情を強張らせているのだろうか。

そして両親は、何でそんな態度を取る2人について、何も言わないのか。

知らず知らずのうちに、光子郎の眉間にしわが寄る。

自分と違って本当の両親の下で、姉と一緒に何の不自由も何の柵もなく暮らせているはずなのに、そんな両親に対してどうしてあんな態度を取れるのだろう。

1度気になった疑問は幾ら振り払おうとも離れてくれず、考えれば考えるほどモヤモヤとした思考が脳内を占めてくる。

何故、何故、何故?

自分は両親の本当の子どもではないと知った日から、両親とも他人ともまともな会話が出来なくなってしまったのに。

信じていた両親の、実質的な裏切りで、何を信じていいのか分からなくなったのに。

 

「光子郎?」

 

沈んでいきそうになった思考が、急激に浮上する。

母ではない、別の誰かの声。

太一と治が、立ったまま光子郎を見下ろしていた。

 

「どうかしたのかい?」

「すっげー難しそうな顔してたぞ」

「……いえ。さっきの試合が悔しくて……」

「ああ、うん。まあ、気持ちは分かるよ」

「だなぁ。お前らも、なかなかいい動きしてたぞ。光子郎のスタミナも、前よりぐんと上がってたし」

「そうだな。ただボールを相手から奪った時の動きが、ちょっと慢心してたな。奪ったからって油断しちゃだめだぞ」

「は、はい……」

 

咄嗟に嘘を吐いたのだが、上手く誤魔化せたようだ。

いや、あながち嘘でもない。

太一と治からみっちり扱かれたお陰で、中途半端な時期に入部しても、他のチームメイト達の動きについていけたのだ。

しかしサッカー部で2TOPを任されている太一と治に仕込まれたにも関わらず、それが相手に通用しなかったのだから、悔しいという気持ちは事実である。

でもそれ以上に、目に映ってしまった後輩一家の、異様な光景が気になって仕方がなかった。

本当の両親の庇護の下にいながら、両親を拒絶するようなあの態度は、一体何なのだろう。

 

 

 

……だが光子郎は結局、大輔にそれを訊ねる事は出来なかった。

考えているうちに、気づいたのだ。

大輔の性格を考えたら、何か悩み事があるのなら、絶対に誰かに相談しているはずだ。

しかしあの後、太一や治にさりげなく大輔の両親のことを聞いてみたが、特に気になる事は言っていなかった。

太一と治が大輔を可愛がっているのと同じように、大輔も太一と治に懐いていた。

そんな2人すら知らないと言うことは、大輔は両親に関することを誰にも打ち明けていないということである。

両親との間に溝があることを、知られないようにしているのである。

両親と上手くいっていないのは、自分も同じだ。

そんな自分も、太一や治にすら悩みを打ち明けていないのに、自分は大輔の悩みを暴こうとしている。

 

──それは、本当にやっていいことなのだろうか?

 

誰にも言えなくて自分の殻に閉じこもった自分が、そんなことをしていいのだろうか?

そう考えると急に申し訳なさが沸き上がったので……忘れることにした。

あの時の光景を、見なかったことにした。

太一達に相談してみようかとも思ったけれど、治はともかく太一は気になったら即行動するタイプだ。

光子郎が打ち明ければ、たちまち太一は場所も周りも考えずに、大輔に直球で質問を投げかけただろう。

それで治と喧嘩になったり、大輔との仲が気まずくなったりするのは、本意ではなかった。

気になることは何でも調べなければ気が済まない光子郎だったが、もしも大輔が自分と同じように、両親のことで悩んでいるのなら、それは触れるべきではないのだ。

誰にも悩みを打ち明けられなかった自分が、大輔の隠している悩みを剥きだしにしてはいけないのだ。

 

──いつか、いつか僕がちゃんとお母さんやお父さんと向き合える日が来たら……

 

その時までは、せめて太一や治のように、“サッカー部の先輩”の1人として在り続けよう。

ちゃんと両親と向き合って、心の整理がつけば、同じような悩みを抱えていた先輩として、接することが出来るかもしれない。

太一にも治にも言えない、言わない、光子郎の密かな決意は、胸の奥で燻り続ける。

 

 

 

 

 

『やあ、始めまして。君達がコウシロウとテントモンだね?ゲンナイ様から話は聞いているよ。何でも、この世界の成り立ちや歴史について知りたいそうじゃないか。そう言うことなら、ここはうってつけだ。何せ古代デジタルワールド期に作られた遺跡があるからね。ただ大分古いし、貴重なものだ。全てを解読したわけでもないから、不用意に触れないでくれると助かる。ああ、申し遅れた。私の名前はワイズモン。ここの守護デジモンであり、管理デジモンでもある』

 

よろしく、と差し伸べられた手を、ど、どうも、と口籠りながら取って握手をする。

ワイズモン、と名乗った目の前のデジモンの足元には見開かれた本があり、その中から浮かび上がるように民族衣装に似たものを着た人型のデジモンが浮かんでいる。

顔は目深に被っているフードのせいで全く見えないが、その奥から覗く、怪しく光る目は何処か穏やかだ。

こっちだ、とワイズモンは宙を浮かぶ本に乗ったまま、滑るように移動していく。

光子郎とテントモンは、慌ててワイズモンの後を追った。

 

 

この世界の成り立ちや歴史を知りたい、という探求心は、この世界に来た時からあった。

乗り気がしなかったキャンプに来たのは、単にサッカー部の先輩や後輩が参加していたからで、必要な時以外は持ってきたパソコンで暇を潰すつもりだった。

季節外れの雪、猛吹雪に見舞われて、運悪く子ども会の集団から離れていた他の8人の子ども達と共に連れてこられたのは、見たこともない世界。

自分が知っている知識や常識が当てはまらない、見たことのない植物や、聞いたこともない生き物。

デジモンと名乗るその生き物と共に世界を巡れば巡るほど、深まっていく謎。

仲間達も、デジモン達も、目の前にあるものがそのままの形として存在しているとして受け入れているが、光子郎はそうではない。

聞けば聞くほど、知れば知るほど、見れば見るほど、謎は解決するどころか増していくばかりで、光子郎の好奇心は刺激されっぱなしだ。

自分達が異世界に飛ばされ、遭難しかけていることも忘れるほど、光子郎はこの世界にのめり込んでいた。

 

だからこそ……この世界が見舞われた悲劇に、胸を痛めた。

 

この冒険が終わったら、世界を救えた暁には、ゲンナイに頼んでこの世界のことをもっとよく調べたいと考えていた。

デジタルワールドと現実世界では時間の流れが違うという話だったから、もし叶うのなら夏休みを利用してデジタルワールドに留まり、この世界の謎を解き明かしたい。

そのために、疑問に思ったことや、仲間達が零した何気ない一言、デジモン達から聞いた知識を全てパソコンにメモしておいた。

……そんなワクワクとした好奇心が、握りつぶされたのは数日前。

ここはゲームの世界ではない。

一瞬の油断が命取りになる、まさにサバイバルの世界なのだ。

自分達の世界と同じように、紡がれてきた時間の中で起きた暴力と殺戮の歴史。

その歴史の生き証人とも呼べる、後輩のパートナーデジモンであるブイモンは、未だ目を覚まさない。

 

──だからこそ……僕達は知らなければならない……

 

パソコンを背負っているバッグの、ショルダーハーネスを握る手に力が籠る。

子ども達が見たのは、飽くまでも“ブイモンの視点から見た歴史”だ。

だからブイモンに襲い掛かってきたものが何なのか、ブイモンを助けたものが何なのか、光子郎は愚か現代種であるテントモン達も知らない。

ずっとずっと昔の出来事で、記録にすら残っていないのだ。

それが分かれば、今この世界を覆いつくそうとしているという闇のことも、何か分かるかもしれない。

……ゲンナイに関する疑問も。

 

『さあ、着いたよ。ここだ』

 

思考の海に沈んでいた光子郎を引き上げたのは、ワイズモンの妙に明るい声。

は、と顔をあげれば、目の前に聳え立つ、所々朽ち果てた形跡のある遺跡。

ファイル島で見つけた、あの遺跡よりも規模が大きくて、古そうだ。

 

ここは子ども達がいたピラミッドのある砂漠のエリアから、1週間ほど歩いて辿り着くことが出来る森林のエリアである。

富士の樹海や熊野古道、屋久島の杉の森を彷彿とさせるような、自然と共に生きる少年と、山犬に育てられた少女の交流を描いたアニメに描かれていたような、神秘的な雰囲気を漂わせる森だった。

土の中の水分を吸い取って吐き出されているせいなのか、空気が冷たく歩くだけで空気中の水分がじんわりと肌に纏わりつく。

地面も所々でこぼこしており、サッカー部で鍛えているとはいえ、同年代と比べると背が低いために光子郎は歩くのに少々手間取ってしまった。

案内人であるワイズモンを何とか見失わないように、時々湿った土に足を取られて転びそうになったりしながらも、光子郎とテントモンは目的地に辿り着いた。

それが、目の前の遺跡だ。

ここに来れば光子郎の知りたいことが分かるかもしれない、と教えてくれたのはゲンナイである。

ブイモンの記憶から垣間見た通り、謎のデジモン達によって古代種達は殆どその姿を消してしまった。

だがその時のことを記録として残していたデジモンがいた。

ゲンナイがそれを知ったのは、子ども達を呼ぶ少し前のこと、子ども達のために暗黒勢力の目を搔い潜りながら、沢山のデジモンに声をかけていた時だったらしい。

誰からも忘れ去られたような、原生林の奥の奥。

自然豊かなはずのそのエリアには、デジモンは1体も住んでおらず、そのエリアに立ち入ってくることもない。

そんな場所に、この遺跡は鎮座していた。

その遺跡を守護しているのが、ワイズモンなのである。

 

『ここはちょっと特殊なエリアでね。来る途中でも、1体もデジモンを見なかっただろう?大規模なデジモン避けがされているのだよ。その昔、とあるデジモンがこのエリアにかけた大魔法のお陰なのさ。そのお陰で遺跡も、朽ちてきてはいるものの、完全な破壊は免れている。最も、そのせいで私はこのエリアの外に出ることは叶わないのだがね』

 

ゲンナイがこの森に足を踏み入れることが出来たのは簡単な話、彼はデジモンではなくエージェントだからである。

デジモン避けの魔法は施されていたが、デジモンではないゲンナイは当然その対象ではない。

味方になってくれるデジモンを求めてサーバ大陸を隅から隅まで走り回っていたゲンナイは、そのお陰でワイズモンと言う昔を知るデジモンと出会うことが出来た、と言うわけだ。

そんなことを語りながら、遺跡に近づいていくワイズモンの後を、光子郎とテントモンはついて行く。

近づくにつれ、鮮明になってきたのは、遺跡に描かれた壁画。

ブイモンは勿論のこと、ブイモンの記憶にいたホークモンと呼ばれる鳥型のデジモンと、アルマジモンと呼ばれたアルマジロのようなデジモンも、そこに描かれていた。

かつては色鮮やかな建造物だったのだろう、少し塗装が剥げて、石が剥きだしになっている箇所が多くみられる。

こんな時でなければ、きっと光子郎は大喜びで遺跡に触れ回って、パソコンを開いて分析や解読をしていただろう。

でも今はそんな時間はないし、そう言う場合でもない。

光子郎がここに来たのは、遺跡の調査をするためではなく、ワイズモンから話を聞くためなのだ。

遺跡の中に入る。

朽ち果て、崩れかけている入り口には、上から降ってきたであろう石の塊がごろごろと転がっており、光子郎はそれらを跨ぎながら入った。

中は、空洞だった。

遺跡ハンターが目を輝かせるようなお宝があるわけでも、黄金で出来た壁があるわけでもない。

遺跡を荒らす不届き者を追い払う罠があるわけでもない。

壁にはミミズが走ったような線が、幾つもびっしりと書き込まれており、テントモンが進化をしてカブテリモンになっても、余裕で飛び回れるぐらいの空間となっている。

辺りを興味深そうにキョロキョロと忙しなく見回す光子郎に、テントモンがツンツンと肩を突いた。

何、とおざなりに訊ねれば、ワイズモンの方に爪を差す。

空間のほぼ中心で、ワイズモンは立ち止まっていた。

ぽう、と光源がないのに、ワイズモンを光が照らした。

 

『それでは始めようか……この世界の歴史の授業を』

 

何処からともなく風が吹き、ワイズモンの足元にある本が、風で捲られていった。

 

 

 

 

 

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