ナイン・レコード   作:オルタンシア

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誰も知らない物語

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デジモン、即ちデジタルモンスターの起源とは、一体何なのだろうか。

デジタル、とついている以上、パソコンが普及し始めた頃に誕生したのは間違いないはずだ。

パソコンの大元とも言えるコンピュータの起源は、1643年にフランスのブレーズ・パスカルが作った機械式加算機である、パスカリーヌであると言われている。

元々コンピュータは計算やデータ処理を自動的に行う装置全般のことで、計算をする作業者を指す言葉であった。

つまり、コンピュータの元々の仕事は計算機であり、今のように資料作成や動画作成を目的としたものではない。

転機が訪れたのは、1970年代である。

それまでコンピュータと言えば、研究所や企業などで1室を丸々占有するほど大きく、個人で所有するには高価で、一般人にはとても手が出せないものだったが、アメリカのMITSという会社がAltair8800という小型の個人用コンピュータを開発・販売した。

世界初のパーソナル・コンピュータである。

スペック的には従来のコンピュータを大幅に下回っていたものの、それが起爆剤となってパソコンはどんどん進化していった。

一般家庭に普及され始めたのは、1995年以降のことである。

それまでパソコンと言えば、ブラウン管のテレビのようにモニターが分厚く、持ち運ぶなどとてもではないが不可能だった。

パソコンの元祖を生み出したとされるアメリカでも、当時のデスクトップ型パソコンは重いという評価だった。

それを持ち運びできるように開発したのが、我が国日本の某企業である。

1986年には既に試作機が出来上がっていたそうだ。

販売されたのは1989年、光子郎が生まれた年である。

1996年以降は更に小型化され、サラリーマン等の限られたユーザーから誰でも使えるようになった。

今は1999年。パソコンが一般家庭に普及され始めたばかりと言っても過言ではない。

それ故、パソコンを扱える人は多くはなかった。

 

 

 

コンピュータウイルス、と呼ばれるプログラムがある。

マルウェアと言う、コンピュータに被害をもたらすプログラムの一種で、まるで生物学的なウイルスのようにコンピュータを破壊することから、コンピュータウイルスと呼ばれている。

1940年代にはその発想はすでに存在しており、1970年代にセキュリティテスト用として作成された「The Creeper」が、世界最初のコンピュータウイルスだ。

デジタル機器にのめり込んでいる光子郎も、当然コンピュータウイルスのことは知っているから、怪しいサイトは開かないようにしているし、知らない人からのメールも開かないようにしていた。

セキュリティも常に最新のものを更新して、ウイルスが侵入する隙を与えないようにしていた。

しかしセキュリティが向上すればするほど、悪質なハッカー達はその裏をかいたり、より強力なウイルスを作成してばら撒いたりしていく。

正にイタチごっこだ。

そんなある日、ネットワーク上に謎のウイルスが広まった。

ウイルスは周りのデータやバグを吸収しながら、変化を続けて行った。

まるで生き物のように次々と増殖していきながら、ネットワークを通じて被害をもたらしていった。

いつ生まれたのか、どうして生まれたのかは定かではない。

しかしパソコンのスペックが向上してく度に、そのウイルスも同じように進化をし続けて行った。

人類の歴史と共にパソコンが高性能になっていくと、やがてネットワークの中で独自の世界が作り出されていった。

パソコンの中のデジタルな世界でありながら、誰にも知られることなく、その世界は繁栄していった。

コンピュータウイルスから始まった命は、その世界と同じように独自の生命体を作り、増やしていった。

それがデジタルモンスター、デジモンの起源だ。

ネットワークの向こう側の世界と言うこともあってか、人間の世界の影響を強く受けながら、デジモンの数はどんどん増えて行った。

デジモンの最初の起源である、ウイルス種。

そのウイルスに対抗するために作られたプログラムが元になった、ワクチン種。

パソコン上のデータがそのままの形となった、データ種。

その3種は、まるで三竦みのような関係で成り立っており、ウイルスはワクチンに弱く、ワクチンはデータに弱く、データはウイルスに弱い、と言った関係だ。

基本的にデジタルモンスターは、その3つの属性に分かれているのだが、それに当てはまらないデジモンがいる。

大輔のパートナーデジモンであるブイモンのような、『古代種』のデジモンで、それらはフリー種と呼ばれていた。

 

『確かに古代種は滅ぼされた。私の“本”にも記録されているから、それは間違いない。だが全ての古代種が滅ぼされたわけではない。あの惨劇から辛うじて逃れられた古代種デジモン達が、その時の悲劇を残すために、この遺跡を作ったのだ』

 

物語は、ページの始まりへ。

古代種のデジモン達は現代種と比べると潜在能力こそ高いが、感情の起伏が激しく、データの書き換えと言う意味のオーバーライトも荒々しかったために、寿命が極端に短い。

そのために、古代種のデジモンの多くが、成熟期以上に進化をすることが出来なかった。

そんなある日、デジタルワールドに大破壊の危機があった。

古代種達を滅ぼした出来事よりも、ずっとずっと前の出来事だ。

その危機を救うべく、奮闘したデジモン達がいた。

 

『それがロイヤルナイツ、と呼ばれるデジモン達だ。詳細などは残っていないが、これらは“最初の究極体”と言われている』

「……究極、体?」

 

聞き慣れない言葉に、光子郎は繰り返すように言葉を紡ぐ。

ワイズモンは小さく頷いた。

 

『進化を超越した進化、完全を凌駕するデジモン。それが究極体だ』

「完全体よりも更に強いデジモン、と言うことですか?」

『そうだ』

 

光子郎は、きゅ、と唇を結ぶ。

完全体を超えた存在である、究極体。

テントモンはまだ完全体に進化することが出来ないのに、その先の進化を聞くことになるとは、夢にも思わなかった。

否、光子郎は、子ども達は何の説明もなくデジタルワールドに連れてこられたせいで、デジモンのこともデジタルワールドのことも、何も知らないのだ。

完全体と言う存在は、ファイル島で出会ったアンドロモンで何となく分かっていたが、こうして自分の身に降りかかると実感が湧かないものだ。

ゲンナイからは詳しく聞けなかったから、ワイズモンに色々聞きたいのだが、今は目の前のことに集中しなければ。

 

『デジタルワールドが危機に瀕した際に、それを防ぐべくロイヤルナイツは完全を脱し、究極の存在となった。これにより、デジタルワールドは救われた』

「なるほど……」

『しかしなにぶん、大昔の出来事でな。資料があまり残っていない。分かっているのは、デジタルワールドの危機を救った後、“神”と呼ばれる存在に仕え、その後デジタルワールドの平和を護った、と言うことだけだ』

 

しかし話はそこで終わらない。

 

『その平和を、彼奴等は自ら壊したのだ』

 

それは、世界の危機が訪れたのと同じぐらい、突然のことだった。

世界が危機に瀕したことがあることを、知るデジモンが殆どいなくなり、ロイヤルナイツの役割も形骸化してきた程の、長い間続いた平和を、自ら崩した。

それが、ブイモンの記憶の出来事だ。

 

『自ら築き上げた平和を、自ら壊し、そしてその時代に生きていたデジモン達の命を、残らず狩りつくそうとした。成熟期以上の進化を果たせない古代種達は、ただ蹂躙されるがままだった』

 

そう言うと、ワイズモンはすーっと移動を始めた。

慌てて追いかけると、入り口から向かって正面の壁の方に向かう。

広い広い空間だったため、少々時間がかかった。

壁の数メートル手前で立ち止まると、静かに両腕を広げる。

光源もないのに光が灯り、正面の壁を照らした。

それは、壁画だった。

テレビの特集で見たような、エジプトやメキシコのマヤ文明のように、絵が描かれていた。

向かって左に騎士のような姿をしたデジモンらしき絵が2つ、そして右には10体のデジモン。

壁一面に描かれているお陰で、1体1体の姿を細かく認識することが出来た。

長い時間のせいで劣化してしまっているが、辛うじて色がついていることが分かる。

左の騎士のようなデジモンは、1体がピンク色で、もう1体が白かった。

光子郎は慌ててデジカメを取り出し、それらを記録する。

 

「ワイズモン、これは……?」

『これは、戦いの記録だ』

 

ワイズモンは言った。

 

『古代種はその性質から、確かに成熟期以上の進化を遂げるのは難しい。しかしだ、コウシロウ。難しいだけで、出来ないわけではないのだ。何故ならロイヤルナイツもまた、古代種のデジモンだからだ』

 

大昔、まだ古代種達が暮らしていた時に、デジタルワールドに大きな危機が迫っていた。

ならば当然、その危機を食い止めるために進化をしたのは、古代種達だ。

そして古代種のデジモン達は、現代種と比べると気性が荒く、闘争本能も強い。

条件が同じなら、追い詰められた古代種達が取る手段は1つである。

 

『生き残ったうちの10体の古代種が、ロイヤルナイツに対抗すべく、同じ究極体に進化をして戦った様子を描いたのが、この壁画だ。この10体は、後に十闘士と呼ばれることになる』

「十闘士……」

『聞いたことおまへんな……』

『無理もない。何せ古代デジタルワールド期のデジモンだからね。現代種の君が知らないのは、当たり前だ』

 

壁画を熱心にデジカメで撮影する背後で、テントモンも興味深そうに壁画を見つめている。

自分の話を聞いてくれる存在が嬉しいのか、ワイズモンの声は少し弾んでいるように聞こえた。

ワイズモンは、話を続ける。

 

『この十闘士と言うのは、それぞれ10の属性を司るデジモンでね。火を司るエンシェントグレイモン、光を司るエンシェントガルルモン、風のエンシェントイリスモン、木のエンシェントトロイアモン、水のエンシェントマーメイモン、氷のエンシェントメガテリウモン、雷のエンシェントビートモン、土のエンシェントボルケーモン、闇のエンシェントスフィンクモン、そして鋼のエンシェントワイズモン』

 

え、と光子郎とテントモンは、ワイズモンを見やる。

フードの奥から光っている黄色い目は、何処か誇らしげだった。

 

『このエンシェントワイズモンは、私のご先祖なのさ』

「そ、そうだったんですか」

『そう。私のご先祖と仲間達が、この2体のロイヤルナイツと戦ったんだ』

 

この時の光子郎は知らなかったのだが、デジモンに交尾と言う概念はない。

そもそも雄と雌という性別が存在しない。

デジモンはデジたまと呼ばれる卵から生まれるが、雄と雌が交尾をして卵を産むわけではない。

データの塊であるデジモンは、死ぬ間際に自分のデータをコピーして、デジたまとなり、生まれ変わるのである。

ワイズモンはその転生を何度も繰り返しながら、この遺跡を守護していた。

ご先祖という言い方をしていたが、ワイズモンはエンシェントワイズモンそのものでもある。

そして、デジモンは転生をする度に違うデジモンへと生まれ変わるのが常なのだが、このワイズモンはエンシェントワイズモンの時から記録・保存したデータを後世へと繋いでいくために、ワイズモン以外の進化を拒んでいたのだ。

しかしデジモンにとっては当たり前の、常識的な概念とルールであるために、ワイズモンもテントモンもそのことを光子郎に伝えることはなかった。

それよりも、伝えなければならないことが沢山あるからだ。

 

『……さて、私のご先祖と仲間達は、平和を取り戻すべく、このロイヤルナイツ2体と勇敢に戦ったのだが……そう簡単に事は上手く運べなかった』

 

ワイズモンの声が曇る。

視線を落とすと、足元にあった本が浮かび上がり、ワイズモンの目線の位置で止まった。

両腕を前に伸ばすと、ワイズモンの足元から上に渦を巻くように風が吹き、ページが勢いよく捲れて行った。

 

「ワイズモン、それは……?」

『これはご先祖がエンシェントワイズモンになった際に、後世に語り継ぐために残した日記であり、記録媒体だ』

「記録媒体……」

 

捲れていたページが止まる。

ワイズモンは本を掴むと、右手の指でなぞるように、文字を追って行った。

もう何度も読み返して、何度も脳裏に過った記憶だ。

フードで隠れて分からないワイズモンの表情が、人知れず曇る。

 

『確かに我がご先祖、エンシェントワイズモンとその仲間達は、ロイヤルナイツと戦った……しかし力の差がありすぎた』

「力の差、ですか?」

『左様。幾ら完全を超越した究極の力とは言え、我が先祖達は進化をしたばかり。対するロイヤルナイツは究極体となってから沢山の月日が流れている。その間に蓄積された経験や、強大な力に振り回されぬように鍛錬された精神、精練された技、どれをとっても我がご先祖達は足元にも及ばなかった……この、忌々しい2体の攻撃を防ぐことで、精一杯だった』

 

崩れた平和を取り戻すために、奪われた命のために勇敢に戦った十闘士達だったが、1体、また1体と破れてしまい、残ったのは火と光を司った古代の戦士達と、ワイズモンのご先祖だけだった。

 

『私のご先祖は、戦闘向きとは言えなかった。究極体となる前も、対抗する力はなく、逃げることしか出来ないと嘆いていた。友であった2体が勇敢に立ち向かっていくのを見て、何もせずにはいられなかったのだが、所詮は戦う力も持たない頭でっかちだ。他の仲間達のように死に損なったものの、最早ただの足手まといでしかなかった……絶望すら、抱いたよ』

 

それでも残った2体は、諦めなかった。

腕をもがれようが、脚を切り落とされようが、技を防がれようが、決して挫けることを良しとしなかった。

何故なら、2体の背後には護らなければならない命があったから。

ロイヤルナイツの魔の手から何とか逃れ、生き延びた同胞達がいたから。

ここで負けるわけにはいかない、平和を託して消えて行った仲間達に示し合わせが付かないと、2体は無我夢中で相手に切りかかった。

そして……気が付いた時には、ロイヤルナイツの2体の身体には、大量の傷がつけられていたらしい。

 

「え?」

『どういうことでっか?』

『残念ながら、ご先祖の記録には残っていない。死を覚悟していたご先祖がほんの一瞬意識を手放した後、ロイヤルナイツの2体は、傷を負わされていたのだ』

 

地に伏して見上げていた、空での戦い。

傷の痛みで一瞬だけ気を失っていた、僅かな間に起こった異変。

それを確かめる術はもうない。

その戦闘が元で、火は消え、光は星となったのだから。

 

『だが、退けることには成功した』

 

そう言って、ワイズモンは本を捲る。

 

『火と光は力を使い果たしてしまったが、ロイヤルナイツの2体もまた、致命傷を負った。そのまま飛び去ってしまったが、彼奴等がこの地に現れることは二度となかった』

 

平和は取り戻せた。

しかし失ったものはあまりにも多く、あまりにも大きかった。

 

『十闘士は我がご先祖を除いて、皆命を落とした。エンシェントワイズモンのように、辛うじて生き残った者もいたが、その戦いでデジコアを激しく消費してしまい、寿命が尽きてしまった』

 

エンシェントワイズモンは戦闘向きではなかったからこそ、力も命も他の十闘士のように消費することがなかった。

だがただ1体、残されてしまったエンシェントワイズモンの心境は、如何ほどに。

 

『彼奴等は退けたが、いつまた彼奴等が戻ってくるか分からない。彼奴等ではない、他のロイヤルナイツが襲い掛かってくるかもしれない。そう考えた我がご先祖は残った古代種達を護るために、この地に逃げてきた。そしてこの事を後世に伝えるべく、残った古代種達と共にこの遺跡を作り、この歴史を知るに相応しい探究者のために、このエリアに魔法を施して彼奴等に見つからないようにした……』

 

正に、悲劇。

どんな悲劇作家にだって書けないだろう、目を逸らしたくなるような惨劇に、光子郎の眉間に皺が寄る。

デジカメを持っている手に、無意識に力が込められた。

ゆっくりと、正面の壁画を見上げる。

ロイヤルナイツに対抗すべく進化を果たしたとされる、十闘士の存在。

残念ながらロイヤルナイツを屠るまでには至らなかったものの、それでも助かった古代種がいた。

その後、どのように過ごしたのかは知らないが、それでもつかみ取った平和の中で、静かな余生を過ごしたことだろう。

……その助けられた古代種の中に、ブイモン達は含まれなかった。

別のデジモン達に助けられたことで、命拾いはしたが、心に大きな傷を負ってしまった。

十闘士に助けてもらえれば、少なくとも平和な時間は過ごせたはずだ。

しかしそうなれば他の古代種と共に、ブイモンは絶滅してしまっていただろう。

あの黄金色のデジモンに助けられたからこそ、ブイモンは選ばれし子どものパートナーデジモンとして選定されたのだから、運命とは何とも皮肉なものである。

 

『…………と、ここまでが話の前提だ』

「え?」

 

ぼんやりと壁画を眺めながら、古代種に降りかかった悲劇を偲んでいると、ワイズモンから放たれたのは予想もしていなかった言葉。

これまで語られた物語を、ワイズモンは前提と言い放った。

同じく壁画をぼんやりと見上げていたテントモンと共に顔を見合わせ、目をパチパチとさせた。

その反応は予想していた、と言わんばかりに、ワイズモンはガシガシと頭巾で隠れた頭部をかく。

 

『ここまで長々と語ったんだが……まあ、何と言えばいいのだろうな……この本を見て欲しくとも、書かれている文字は古代で使われた文字だから、読むどころか理解することも出来ないだろう。だからこの本に書かれていることをそのまま読み上げるが……とりあえず、何も言わずに聞いて欲しい』

 

そう前置きをすると、ワイズモンは一旦本を閉じてから、裏表紙に手をかけ、開く。

ぱら、と捲られたのは、本の1番最後のページ。

何も書かれていないように見えたが、ワイズモンがページに手を置くと、ぽう、と柔らかい光が灯される。

するとじわじわと滲みながら浮かび上がってきた、ミミズが走ったような記号。

何度か見たことがあるデジ文字とは、形が違う。

これが古代デジ文字だ、とワイズモンが教えてくれた。

昔々、ブイモンやエンシェントワイズモンが生きていた頃に使われていた、古ーい文字だと言う。

先祖代々受け継いできた記録であるため、ワイズモンは読めるとのことだ。

 

『この本の最後のページに、とても見過ごせないことが書かれていたのだ……読むぞ』

 

真剣な声色のワイズモンに、光子郎は無意識に居住まいを直し、ゴクリと唾液を飲み込んだ。

 

《信じられないことが起きている。何が起こったのか、何があったのか全く理解できないし、想像もつかない。友が生きていたならば、何を莫迦なと一蹴されていただろう。疲れているのだと話も聞いてもらえないかもしれないが、私自身、私の身に今まさに起こっていることが信じられないのだ。私ではなく、他の友が同じような混乱と困惑で悩んでいても、恐らく友と同じことを言うだろう。それぐらい、信じられないことなのだ。そのためにも、このページだけは何としても死守せねばなるまい。私の魔力も、気力も、そして生命力さえも使い果たしてでも、このページだけは。だから私の“イシ”を継ぐものよ、遙か未来の私の子孫よ。どうかこのページを戯言とせず、後世の者達に何としても伝えてくれ。これは私達の存在すら揺るがす重大な出来事なのだ》

 

少し長かったが、そんな前置きが書かれていた。

少々大げさでは、と思ったが、それだけ後に控えている“重大な出来事”が大切な物なのだろう。

光子郎とテントモンが固唾を飲んで見守る中、ワイズモンは一旦読むのを止めると、小さく息を吐いた。

もう、何度も何度も、読み返したページだ。

最初から最後まで、この本を何度も読み返した。

何処にも矛盾はないし、おかしなところはなかった。

それだけに、最後のページに書かれていることが腑に落ちない。

だがこのページに強力な魔法が込められていることは事実だ。

ならばご先祖の言葉通り、このページに書かれていることを戯言と無視せず、目の前にいる探究者達に伝えなければならない。

ワイズモンはゆっくりと息を吸い込み、続きを読み上げる

 

《この本に書かれていることは、全て出鱈目だ》

 

その言葉を聞いた光子郎とテントモンは、目をパチパチとさせた。

 

《この本を読んでいる者も、そして私の子孫から話を聞いているであろう探究者も、本や語られた言葉を歴史の事実と信じるだろう。私の記録だけでなく、私の記憶まで、それを事実と認識し始めている。本来の史実を書こうにも、私の手が、記憶が、それを拒んでいる。生き残った仲間達まで、影響が出始めている。私の記憶が正常なうちに、それだけは書き記さねばならない》

 

ワイズモンの声以外、何も聞こえない静まり返った空間。

光子郎もテントモンも、息をするのを忘れた。

 

《ああ、駄目だ。思い出そうとすればするほど、闇の底に沈んでいくような感覚だ。今、これを書いている時ですら、私は何を書いているのだろうと文字を書く手が止まりそうになる。もう始まりの歴史ですら思い出せない。書き直そうとしても、これが本来の正しい歴史ではないかと、私ではない私が囁く。すまない、これ以上は書けそうにない。愚かな私を、弱い私を、抗えなかった私を許してくれ。だから結論だけを、書かせてもらおう。押し付けるようで申し訳ないが、君達に委ねるしかないのだ》

 

ここまで読むと、ワイズモンは一旦本から顔をあげ、光子郎とテントモンを見つめた。

フードの奥に隠された顔は、表情が見えない。

しかし黄色く光るその目は、真剣だった。

ここから先を読めば、もう後戻りはできない。

知らなかった頃には戻れない。

恐らく、とても信じられないが、とても残酷なことが書かれている。

それを知る勇気はあるかと、ワイズモンの目は語っているように見えた。

……愚問だ、と光子郎は目を伏せる。

知りたいから、ここに来た。りたいから、ここにいる。

何も知らぬまま突き進めるほど、この冒険も世界も甘くないのだ。

戻れないのなら、進むだけだ。

その先にある真実が、誰かを傷つけるものだとしても、光子郎は知らなければならない。

 

「……お願いします」

 

伏せていた目を開けて、真っすぐワイズモンを見つめる。

両親との確執のせいで、人付き合いが苦手になってしまった光子郎は、誰かと目を合わせることも怖がっていた。

見ないでほしかった。知られたくなかった。

自分は他の子達と違うのだと、思い知りたくなかった。

そんな光子郎が、真っすぐワイズモンを見つめて離さない。

光子郎の心情も人生も何も知らないが、その瞳に力強さを感じたワイズモンは、決心したように小さく頷き、再度本に目を落とした。

 

《信じられないと、君は戸惑うだろう。ありもしない妄想をと、君は怒るだろう。そんな莫迦なと、君は笑うだろう。私自身、同じ心境だ。しかし事実だ。だから心して読んで欲しい。────この世界は、書き換えられている》

 

長い長い前置きの、序章が始まる。

 

《事の発端は、私の記憶と記録の齟齬だ。私が経験し、感じた心をそのまま本に書き、いつかの子孫達にこのような歴史があったのだと、知ってほしかった。そのために書いた記録が、私の記憶と全く異なる言葉を綴っている。最初は何度も書き直した。しかし書き直した翌日には、また書き換えられていた。何者かが悪戯でもしたのかと思ったが、この本は私の魔力を注がなければ読むことすらできない、魔法の本となっている。だから何者かが書き換えられるはずがないのだ。そして最悪なことに、日を追うごとに私の記憶は、この本の記録に記された出来事に塗り替えられている。十闘士たる私が、超賢闘士と呼ばれた私が、何故、何故、何故》

 

読み上げているワイズモンの声に、感情が籠っている。

これまで信じてきたものが偽物なのかもしれないと知って、冷静でいられる者はいないだろう。

 

《私は考えた。日に日に書き換えられていく記憶と戦いながら、私は必死に考え、そしてある仮説を立てた。突拍子もない仮説だ。私自身、そんなことがあるはずないとその考えを振り払おうとしたが、振り払おうとすればするほど、その仮説は私の頭を占めていく。その仮説が、先ほど書いた“この世界の書き換え”だ。私自身の書き換えではないのなら、もうそれしかない。何者かが過去のデジタルワールドに飛び、歴史を書き換えてしまったのだ。私達が築き上げてきたこれまでの歴史を、希望を、光を、その者が台無しにしたのだ。あの忌々しい、ロイヤルナイツのように》

 

物語は、最終章へ。

 

《ああ、もうダメだ。もう何が本当で何が偽りなのか、思い出せない。恐らくここに書いた仮説も、本を閉じれば最後、忘れてしまうだろう。その前に伝えなければ。探究者よ、子孫よ。どうか真実を暴いてほしい。探し出して、白日の下にさらしてほしい。私はここから動くことが出来ない。書き換えられたとはいえ、ここは仲間達と過ごした大切な場所で、後世に伝えていかなければならない歴史を綴った場所だ。私の命が尽きるその時まで、私の“イシ”を継いだ者を繋いでいくため、ここに居なければ。身勝手な願いなのは承知している。しかし私は知りたい。知らなければならない。もう私はいないだろうが、私の“イシ”を継いだ者には、知る義務がある。どうか、どうかお願いだ。歴史に手を出した愚か者に罰を、私達が繋いできた命を、彼らが歩んできた道を、この世界が紡いできた光を、どうか──》

 

そこで、日記は途切れている。

 

 

 

 

 

少し休憩しようか、と本を再び足元に浮かせ、ワイズモンは何か飲み物を取ってこようと言って、その場から離れていった。

恐らく、しばらくは戻ってこないだろう。

ワイズモンはその名の通り、とても賢いデジモンだ。

そして、聡いデジモンだ。静かに話を聞いていた光子郎の顔色を見て、少し時間が必要だと判断してくれたのだろう。

そのことに感謝をしながら、光子郎はワイズモンから聞いた話を整理してみようと、パソコンを開いた。

テントモンも同じことを思ったのか、何も言わずに光子郎の隣に座る。

パソコンのメモ帳機能を開き、今しがたワイズモンから聞いた話を大まかにメモした。

詳細はまた後でワイズモンに聞いて改めてメモをするとして、重要なのは後半の部分。

何者かによって、歴史が書き換えられているかもしれない、という記述。

現実を生きている者ならば、歴史が書き換わっているなんて、そんな突拍子もないことを信じるわけがないだろう。

クラスの子達が、未来から来た猫型のロボットのアニメの話をよくしていたし、光子郎自身も、アニメの話と分かっていてもロボットや未来の秘密道具等は興味があったので、たまーにだが見ていた。

大冒険を繰り広げて、過去にも未来にも行っていた。

でもそれは、飽くまでも“アニメ”の話だ。

未来がそうなるとは限らないし、随分前に亡くなった漫画の神様が生み出した未来のロボットのお話も、2003年が舞台設定になっている。

今は1999年。かつての人類が思い描いていた未来とは、程遠い。

車は未だに地面を走っているし、パソコンだって普及し始めたばかりだ。

 

しかしここは、現実の世界ではない。

パソコンを通して渡る異世界で、光子郎が住んでいる世界とは常識が違うのだ。

自分の物差しは全く役に立たないのだから、それでこの世界を図ってはいけない。

ならばエンシェントワイズモンがあの本に記した、何者かが歴史に干渉し、書き換えたかもしれないという仮説を、莫迦莫迦しいと捨て置くことは出来ない。

しかし歴史が書き換えられたという痕跡があっても、その書き換えられた痕跡と言うのが何なのか、書き換えたのが誰なのかが分からなければ、仮説を立証することはできない。

 

──それから……ゲンナイさん……

 

これまで旅のサポートをしてくれた、この世界の安定を望む者と自称した、ゲンナイという青年。

彼には謎が多すぎる。

遠い遠い昔のデジタルワールド、エンシェントワイズモンに認知されず、黄金色の謎のデジモンによって救い出されたブイモン達の記憶から垣間見た、恐ろしい歴史の一幕。

子ども達の戦意は殺がれ、自分達の目的すら忘れてしまうほどの衝撃を受けた。

ゲンナイはそんな子ども達にも、申し訳なさそうにフォローしてくれたが、彼の正体が全くつかめない。

味方であることは確実だ。

それは信じている。だがよく分からない。

彼の口ぶりでは、黄金色のデジモンが死んでしまった後に保護したのがゲンナイのようだったが、その後のことは聞いていなかった。

訊ねる余裕がなかったと言うのもあるが、ある程度時間を置いて、パートナーを完全体にするために仲間達から離れたことで、考える余裕が出来てきた。

ブイモン達古代種が、謎のデジモン達によって滅ぼされた後、彼は何処で、どのように過ごしていたのだろう。

ブイモン達が生きていた、古代デジタルワールドとは今からどれぐらい前なのだろうか。

そんな昔から、ゲンナイは仲間と共にデジタルワールドの危機を察して、光子郎達のために準備をしていたと言うのだろうか。

考えれば考えるほど、沼にはまっていく感覚に陥ってしまい、考えが纏まらない。

 

『……ワテ、何も知らんかったんでんな』

 

歴史を書き換えたのが誰なのかという仮説と並行して、ゲンナイの事を考えていたら、それを眺めていたテントモンが口を開いた。

 

「テントモン?」

『ワテ、ずーっと、ずーっと。コウシロウはんらのこと、待っとったんや。あのファイル島で、コロモンやツノモンらと一緒に、ずっと待っとった。いつ来るんやろか、どんな子なんやろかって、コロモンらと話しながら楽しみにしとったんですわ』

「………………」

『コウシロウはんが来てくれはった時、ほんまに嬉しかったんですわ。夢やないんや、ホンマなんやって、嬉しくって嬉しくって……』

「………………」

『コロモンらも、同じや。ずーっと会いたくて、夢にまで見とったパートナーにやっと会えて、コウシロウはんらが何て思っとるかなんて、考えたこともあれへんかった』

「それは……あるかもね」

 

何と言っていいか分からず、莫迦正直に答えてしまってから、光子郎は後悔した。

何の説明も事前準備もなく、突然連れてこられた異世界。

そこで出会ったのは、何故か自分の名前を正確に呼び、パートナーだと言い張った不思議な生き物。

目を逸らしたくても、距離を取りたくても、頼れるものがない子ども達に、デジモン達は遠慮なく近づいてきた。

やがて諦めと言う名の受け入れで、デジモン達と仲良くなった子ども達に浮かび上がった、この世界の謎。

しかしこの世界に住まうはずのデジモン達は、よく分からないとか知らないとか、興味がないとか、そんな返事ばかりだった。

子ども達が知りたいことを、何一つ教えてくれなかった。

だってデジモン達にとって大事なのは、子ども達なのだから。

 

『……ホンマ言うとな。ワテ、コウシロウはんがおれば、ええって思とったんですわ。どうでもええって。コウシロウはんがデジタルワールドやワテらのこと訪ねてきても、何でそんなこと聞くんやろとしか、思てへんかった。ワテらにとって大事なんは、コウシロウはんらやったから……世界救う、言われても、ワテらもピンと来てへんかってん』

「………………」

『ずーっと一緒におったコロモン……アグモンらも、ワテにとっては友達やけど、せやけどアグモンとコウシロウはんやったら、ワテは間違いなくコウシロウはんを選びますわ』

 

息を飲む光子郎。

だがデジモン達にとって、パートナーデジモンとして選定されたテントモン達にとって、それは当たり前の感覚なのである。

アグモン達がいれば、テントモンの台詞にうんうんと深く頷いていたことだろう。

それほどまでに、パートナーデジモン達にとって子ども達は、大切な存在なのだ。

 

『……ブイモンのことかて、そうや。あの日までワテも、アグモンらも、ブイモンはワテらと同じや思とった。いやぁ、むしろそんな発想すらなかったですわ。ブイモンかて、誰かに触れられるん怖がる以外は、ワテらと同じように、ダイスケはんらのこと待っとったから……』

「……だったら、これから知っていこう」

『コウシロウはん?』

 

ずっと傍にいたのに、ずっと一緒に子ども達のことを待っていたのに、自分のパートナーのことばかり考えて、ブイモンが背負っているものに何も気づかなかった。

ブイモン自身がそのことを忘れていたのだから、それは仕方がないことである。

でももう、知らなかった頃には戻れない。

光子郎が、この世界の歴史の歪みを知ってしまった時のように。

ならば取るべき道は1つである。

 

「何でも知った気になって、それに胡坐をかいていちゃ、ただの頭でっかちになる。大切なのは、貯め込んだ知識をどうやって、いつ使うのかってことなんじゃないかと、僕は思うんだ」

『コウシロウはん……』

「僕の紋章は“知識”だ。何でも知っているって意味じゃなく、自分の人生をこれから先、彩るために必要な“知識”。このままパソコンみたいなデジタル技術がもっともっと進化していけば、人類は必ずこの世界の存在に気付くと思う。そのためにも、僕は知りたい。理解()りたい。この世界のことも、歴史のことも、デジモン達のことも……君のことも」

『……コウシロウ、はん』

「僕達は知らなきゃいけないんだ。何があったのか、どうしてこうなってしまったのか。この世界を巣食おうとしている闇とは何なのか。ロイヤルナイツのことも、歴史を書き換えた存在のことも……だから、テントモン」

 

一旦言葉を切り、光子郎は真っすぐテントモンを見つめる。

 

「……僕と、一緒に頑張ってほしい」

『……はいな!』

 

テントモンの表情は変わらないが、その声色は先ほどと違い、弾んでいた。

何も知らずに、のうのうと生きていた自分に打ちのめされかけていたテントモンだったが、これから一緒に知っていこうと言い放ってくれた光子郎に、テントモンは力強く頷く。

何も知らないまま、前に進むことは出来ない。

この世界の真実(ほんとう)の歴史を解明し、何が起きたのかを知らなければ。

そのためにも、まずは目の前の謎に取り掛かってしまおう。

ワイズモンがお盆に乗せたカップとティーポットを持って戻ってきたのは、その時だった。

 

『すまない、誰かにお茶を入れるなんて久しぶりだったから、少々手こずったよ……整理はついたかい?』

 

何の、なんて聞かなくても分かるだろう。

光子郎とテントモンは先ほどと打って変わって、目が輝いている。

目の前にぶら下がっている謎を、何としても解き明かしてやろうとする目だ。

知識を得る喜びを誰よりも知っているワイズモンは、自分とおなじような探究心を持つ仲間に優しく微笑んだ。

 

「早速なんですが、聞きたいことがありまして……」

『何だい?』

「色々とあるにはあるんですが、まず知っておかなきゃいけないなと思ってるのは……古代種を滅ぼした、2体のロイヤルナイツのことです」

 

仲間であり、後輩である大輔のパートナーの、仇とも言えるデジモン。

壁画に描かれ、十闘士のデジモン達と対峙している2体のデジモンの正体は、何なのか。

あの悲劇に心を痛めている子ども達も、パートナーデジモン達も知りたいはずだ。

ブイモンに一生消えない心の傷を負わせ、古代種達を蹂躙した、あの卑劣な2体だけは、絶対に許せないし許さない。

この世界を救うのが光子郎達の役目なのは分かっているが、それは冒険して行きながら情報を得ればいいのだ。

大昔に起こった出来事を知っているのは、ブイモン以外ではワイズモンしかいない。

ならば聞く機会は、今しかない。

今すぐどうこうできなくとも、いずれ対峙する時が必ずやってくるだろう。

少しでもワイズモンから情報を聞き出さなければ……。

それを悟ったワイズモンが頷き、その2体の名前を言おうと、口を開いた直後。

 

 

どぉおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!!

 

 

大地を揺るがす爆発音が、光子郎達を襲った。

 

 

 

 

 

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