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何処までも遠い縹色の空に、飛行機が一筋の飛行機雲を描きながら飛んでいく。
置いてけぼりにされたジェット音が、蝉の合唱と不協和音を奏でているのも気にならないほど、太一は狼狽えていた。
じわりと纏わりつくような重い空気、肌に突き刺さるように空から降り注ぐ太陽、蒸発した水分で歪む景色。
そして目の前に広がる、嫌に見慣れた人混みと喧噪。
耳障りな蝉の大合唱が、現実をこれでもかと突きつけてきた。
「……ここ」
『どこ……?』
茫然と立ち尽くしながら、太一とコロモンは呟いた。
大人や子ども、女性、男性、老人、様々な人間達が行き交っている目の前の光景は、間違いなく太一達の世界であると言うことを突き付けている。
太一達以外の人間を見たことがなかったコロモンは、大きな赤い目を更に見開かせて、ただただ目の前を通り過ぎていく人間達を見上げていた。
『に……ニンゲンばっかり……』
太陽の熱が籠った石煉瓦のせいか、日本特有の重い空気の夏のせいか、それとも知らない光景を目の当たりにしたせいなのか。
手足のないコロモンの顔には、大量の汗が流れていた。
振り絞るように出された言葉に、コロモンの今の気持ちが反映されているのが分かる。
今まで草木が広がる柔らかい地面だったり、見渡す限りの大海原だったり、突き刺すように冷たい雪原だったりと、自然の中で生まれて育ってきたコロモンにとって、ここは未知の世界だろう。
それは、太一達選ばれし子ども達が、初めてデジタルワールドに飛ばされた時の気持ちと、全く同じだった。
「……まさか」
じわりと滲み出た汗が頬を伝う太一の視界に、幼稚園ぐらいの子ども達が1列に並んで、保護者と思しき女性2人に挟まれて、よちよちと歩いているのが映る。
夏休みを満喫している大学生、汗だくになっているサラリーマンや、付近に住んでいると思われる小学生達、おめかししている女性、ベビーカーを押しているお母さん。
ほんの数週間前まで見慣れていた光景が、夢にまで見ていた懐かしい空間が、太一の前に広がっている。
「まさか……俺達、元の世界に戻ってきたのか……?俺達……やったのか……?」
辺りを見渡す。ここは、学校の友人達とよく待ち合わせをしている広場だ。
遠くには、カタカナのコの字を90度回転させたようなビル、テレコムセンターが見える。
建設中のビルに、大きなクレーン車が、蜃気楼で揺らめいていた。
ここは江戸時代、1853年にペリーが幕府に開国を要求し、それに脅威を感じた幕府の老中の命によって築造されたのが始まりだ。
元はペリーを追い払うために造られた埋め立て地は、明治時代に陸軍省の所管となり、大正や昭和の時代に民間人や東京都に払い下げられた。
平成の今に至るまで、埋め立てられては埋没し、というのを繰り返しながら、今なお開発中のその土地は“お台場”と言う、太一の地元であった。
「夢じゃ……ないよな……?」
デジタルワールドと言う、自分達の常識が何1つ通用しない世界に飛ばされ、やっと慣れてきたところだった。
人間は何処を探してもいないし、非力な自分達を簡単に捻り潰してしまうほどに大きな恐竜や虫が彼方此方いて、いつ自分達を襲ってくるか分からない恐怖に怯えて、少しも気が休まらない。
協力者によって衣食住は確保できたものの、何度目を覚ましてもそれが夢であったことなんてなくて、その度にがっかりしていた。
それでも世界は、そんな子ども達の心情などお構いなしに目まぐるしく過ぎていく。
世界を救うために召喚され、パートナーだと言う訳の分からない生き物達と一緒に、小さな島を冒険しながら進化と言う力を得て、島に巣食う闇を打ち払った。
その後、更に大きな闇を晴らすために大海原を渡り、大陸に降り立った。
紆余曲折あり、進化の先の進化を果たし、また1つ闇を消し去った。
しかしその闇は最初に戦った闇とは比べ物にならないほど巨大で、悍ましいもので、世界の空間に亀裂が入ってしまうほど、手に負えないものだった。
その歪に巻き込まれたことは覚えている。
気が付いたら、ここにいた。
ここに立っていた。
見慣れた景色のど真ん中、太一が恋しくて堪らなかった地元、故郷、居場所に、ぽつねんと立ち尽くしていた。
夢だろうか、などと呟いたが、肌に纏わりつく鬱陶しい空気や、耳元を通り抜けていく喧噪が夢ではないと太一をせっついてくる。
──本当に?自分は、本当に帰ってこられたのか?
それでも、つい数刻前まで文字通り命がけの戦いを繰り広げていた太一は、実感が掴み切れていない。
コロモンも、太一のそんな動揺と嬉しさが混じった複雑な気持ちが伝わってきたのか、少々戸惑ったような声で太一に呼び掛ける。
しかし、ボゴッ、という音と衝撃で、コロモンはうぎゃっと呻きながら吹っ飛んで行った。
ギョッとなった太一の視界に、転がっていくボールを受け止めるように拾った、ヒカリや大輔よりも小さな女の子が映る。
子ども用の、柔らかいゴムでできた軽いボールだった。
親らしき大人は見当たらなかったが、どうやら遊んでいた女の子が適当に投げたボールが、思いっきりぶつかってしまったようだ。
柔らかめのボールとは言え、コロモンとほぼ同じ大きさのボールがぶつかってきた挙句、すっかり気の抜けた状態であったのなら、吹っ飛ばされても仕方がないだろう。
我に返った太一は、コロモンを心配するよりも先に、女の子に話しかけた。
「ね、ねえ!ここ、何処?日本?それとも、デジモン達のいる世界?」
しかし女の子は、キョトンとしている。
突然見知らぬお兄さんが話しかけてきたのだから、当然の反応だろう。
目をパチパチとさせた後、女の子は太一の足元に目線を向ける。
『エテモンはっ!?ほかのみんなは!?』
女の子の視線の先にいたのは、ボールに吹っ飛ばされて頬が赤くなっているコロモンだ。
太一が心配をしてくれないよりも、ボールで吹っ飛ばされて痛いのよりも何よりも、聞きたいことがある。
しかし太一もコロモンも、失念していた。
本当にここがデジタルワールドではなく、太一の住む現実世界なのだとしたら、絶対にやってはいけないことがある。
元の世界に戻れたのか不安に駆られていた太一は、そんな初歩的なことに全く気が付けなかった。
「ねえ、答えてよ、お願い!」
「………………」
見知らぬお兄さんに、矢継ぎ早に質問されたことが原因か、それとも自分の手元にあるボールと同じぐらい大きい、見たこともない生き物に声をかけられたせいか。
女の子はみるみる涙目になり、表情を崩し、大きな声で泣きながら母親の下へと走り去ってしまった。
そこで、太一はようやく自分の失態に気づき、顔がさあっと青ざめる。
コロモンは、自分が原因だなんて露ほども思わず、顰め面をしながら太一を見あげた。
『タイチィ、なかしちゃダメだよぉ』
「莫迦っ!お前見て泣いてんだよ!」
大好きな太一の、思ってもいなかった言葉に、コロモンはギョッとなった。
更に、女の子が泣いたことによって、周りを行き交っていた人たちの注目が、太一とコロモンに集まる。
それまでそこに突っ立っていただけの、背景に同化していた太一とコロモンのことなど、微塵も興味を持っていなかったはずの無数の目が、太一達に向けられる。
女の子を泣かせた、と言う事実のみを目撃していた人達は、咎めるような眼差しを太一達に向けていた。
え?え?こわい?ボクこわい?こわいの?と戸惑うコロモンの口を慌てて塞ぎ、太一は突き刺さる視線を受けながら、コロモンを抱きかかえてその場を走り去った。
その間も、コロモンは拒絶された事実にショックを受け、太一や他の人間達に訊ねるものだから、太一はとうとうコロモンの柔らかい身体に拳骨を落とす羽目になった。
丸い展望台が特徴的な建物を見上げながら、太一は漸く一息つく。
ここまでくれば、女の子を泣かせた意地悪な男の子、として太一を見てくる人間はいないだろう。
湿気が酷い真夏の炎天下の中を走り回ったせいで、尋常ではない汗が全身から溢れて滴り落ちる。
何をしても収まらない、ボリュームのある爆発頭のせいで頭に熱が籠り、額から流れる大量の汗が目に入って、染みる。
服に汗が染みて、身体に張り付く。
溜まらず襟元を掴んでパタパタと引っ張って、中に空気を送り込むが、気休めにもならない。
近所にあるのに、1度も行ったことのない観覧車を遠目で見ながら、太一は日陰を求めて歩き出した。
登下校や、友達と遊ぶのに通い慣れた道が、これが現実であるとますます太一に突きつけられる。
「……お台場」
駅前にあるバスの停留所に書かれた文字は、間違いなく太一の見慣れたものだ。
「やっぱり間違いない。ここは俺ん家の近くだ!」
『タイチの?』
「帰ってきたんだよ、日本に!帰ってきたんだ!」
嬉しさのあまり、抱えていたコロモンを、頬ずりするようにきつく抱きしめる。
いたいいたい!とコロモンは抗議したが、太一は聞いていないのか、頬ずりをやめない。
「きっと、あの歪みに吸い込まれたからだ。お前がコロモンに戻っちゃったのも、そのせいだよ!やったんだ、俺達!」
本当のことを言うと、怖かった。
いつだって明るく、子ども達を引っ張ってきた太一だったが、そうしないと自分を保てなかった。
クラスでもリーダー役を引き受けることは多かったが、今までとは責任や重みが違っていた。
一歩間違えれば、誰かが死ぬかもしれないと言う、危険と隣り合わせの冒険だった。
子ども達の代わりにデジモン達が戦ってくれるとは言え、やることがないわけではない。
デジモン達は子ども達がいなければ、爆発的な力を得ることは出来ないし、進化することも出来ない。
だから子ども達はどうしたって、必然的に、前線に出ていなければならないのだ。
強い心の力でデジモン達を強くする。
言葉にすれば簡単だが、ただ強い心があればいいわけではない。
常に正しい心を持っていなければ、デジモン達はたちまち光から闇へと堕ちてしまう。
それは、とても気を張る作業でもあった。
少しでも怖がったり、諦めたりしてしまえば、デジモン達は力を発揮できない。
デジヴァイスと言う媒体が心の力を増幅させてくれるとは言え、毎日のように戦闘を繰り広げていれば、心は消耗していくだけだ。
でもそんな日々も、もう終わりだ。
『……よかったね、タイチ』
嬉しそうな太一を見て、コロモンもうっすらと笑みを浮かべる。
言葉に少しだけ間があったことに気づかないほどに、テンションが高い太一は再びコロモンに頬ずりをした。
遠くに見えるレインボーブリッジを懐かしく思いながら、太一はコロモンを抱えて歩を進める。
なるべく日陰があって、建物からクーラーの冷気が零れるような場所を選びながら歩く太一の足取りは軽い。
友達とよく立ち寄るコンビニや、お母さんの荷物持ちに駆り出されるチェーン店のスーパーマーケットを、足早に通り過ぎる。
先ほどのバス停から程なくして、太一はある建物の前で立ち止まった。
「コロモン、見て見ろよ。これが俺ん家だ」
太一達が先ほどまでいた江東区から、港区へと移る。
駅から徒歩1分、近所にチェーン店のスーパーマーケットがあるシーリア台場の五番街にあるマンションが、太一の実家だ。
コロモンはその大きな建物に目を丸くして驚いていたが、それは恐らくそのマンション自体が太一の家だと思ったからだろう。
と言うか、絶対そうだ。
だってコロモンはデジタルワールドの生き物だ。
これまで人工的な建物なんか殆ど見たことがないし、現実世界のルールや理なんか知ったこっちゃない。
目に映るもの総てが新鮮で、コロモンはその赤い目をずーっと丸くしながら、太一の腕の中にいた。
自分の功績ではないのに、得意げに笑った太一は、そのままマンションのエントランスに入る。
いつも見る管理人さんがいないが、気にすることではない。
意気揚々とエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。13階。
コロモンはわくわくとした気持ちを抑えきれなかったが、エレベーターが上昇していくにつれ、太一の心には不安が募っていった。
確かに、ここは現実の世界、太一の世界だ。
肌に纏わりつく夏の空気も、街を行き交う人々の喧騒も、風に乗って運ばれてくる海からの潮風も、ごちゃつく周りの景色も、そして流れ出た汗のせいで乾きを覚える喉も、五感の総てが太一に、ここは自分の世界だと訴えてくる。
それでも、確かにここは太一の世界だけれど、本当に“太一の世界”なのだろうか。
この世界の時間の経過は、どうなっているのだろうか。
チン、とエレベーターが目的の階に到着したことを告げる。
ゆっくりと開く扉を、太一は踏みしめるように歩き出した。
太一達の部屋は、最上階の奥の角部屋から2つ目、1306号室である。
ドアの前に立つ。
表札にはローマ字で“YAGAMI”と書かれていたので、間違いなくここに住んでいるのは“八神”の姓の人だろう。
八神なんてそうそう多い苗字でもない。
しかし部屋の前に立った時、太一は再び夢見心地にかられる。
五感の総てが、ここは太一の世界だと訴えてきていても、拭えない不安が付きまとっている。
サマーキャンプに遊びに行っただけの子ども達は、予想外の冒険を繰り広げることになり、デジタルワールドで少なくとも2ヵ月近くの時を過ごしていた。
その間、すっかり家を空ける羽目になってしまった太一を、両親はどう思っていたのだろう。
両親からしてみれば、子ども会のサマーキャンプに連れて行った我が子達が、突然行方不明になったのだから、パニック必須だろう。
太一達だけではない。
突然の吹雪に見舞われ、丁度その時他の子ども達や大人達から離れたところにいた、あのお堂に避難していた他の7人の親達もそうだ。
吹雪が止んで、先生や親達が点呼を取ったら人数が足りない、いないのは誰だ、探せ探せって大人達は躍起になって、他の子ども達も不安になって、それでも何処を探してもいなくて、きっと全員の顔は真っ青になっていただろう。
太一とヒカリのお母さんはお手伝いのために来てくれたけれど、他の子ども達の両親は忙しかったり、都合が合わなかったりで来られなかった人もいる。
子ども達の安全を護らなければいけなかった大人達は、一体どういう心境だっただろうか。
親御さん達に何と説明すればいいのだろう、と頭を抱えていたに違いないだろうが、こればかりは不可抗力としか言いようがなかった。
大事なお子さんが、突然の吹雪で行方不明になりました、大変申し訳ございません、なんて言葉では済まされない。
方々探し回って、それでも見つからなくて、警察に連絡をした後とかだったらどうしよう。
何処を探しても見つからなかった息子が、たった1人で、しかも変な生き物を抱えてひょっこり帰ってきた、なんて誰が信じられるだろうか。
今まで何処にいた、ヒカリは?他の子ども達は?
そう尋ねられるのは、絶対に避けられない。
何と答えればいい?
吹雪のせいで方向感覚が分からなかったとか?
それとも莫迦正直に、異世界に行って冒険してきたと言おうか。
間違いなく病院に突っ込まれるだろうから、流石にそれは出来ない。
考えなしの太一でも、それは理解できる。
そう思ったら、ドアノブに手を伸ばせない。
タイチ?ってコロモンが心配そうに見上げてくるが、構ってやれる余裕がなかった。
再度、表札を見る。
何度見ても、表札には太一の苗字である八神の文字が書かれているだけだった。
その下には、母が買ってきたアイスクリーム型の飾りがぶら下がっている。
父と2人でよく分からんセンスだ、と半目になったデザインだから、間違いなく、ここは太一の家だ。
……でももし、そうじゃなかったら?
子どもが2人もいなくなった両親が失意の末、ここにはいたくないと引っ越していたら?
東京に出たがっていた地方の親戚に、ここを譲っていたら?
『……タイチ?だいじょうぶ?』
そんなことをごちゃごちゃと考えていたら、コロモンが声をかけてきた。
我に返った太一は、それだけで安堵してしまった。
自分の世界のはずなのに、常識から外れた冒険と戦いを経験したせいで、1人ぼっちになってしまったような感覚に陥っていたが、コロモンがそれを否定してくれた。
少なくとも、ここに太一を知っている者が存在している。
大丈夫、自分はここにいる。
八神太一はここにいる。
太一は深呼吸をして、意を決してレバー型のドアノブに手をかけ……はたと気づいた。
「鍵……母さんが持ってた」
太一の両親は共働きだ。
だから普段は身に着けている家の鍵を、母と一緒だからとサマーキャンプに出掛ける時は置いてきてしまった。
小学生にとっては夏休みであっても、社会人の父に夏休みは存在しない。
サマーキャンプの当日だって、お父さんは寝坊して慌ただしく身支度をして、行ってきまーすって元気よく出て行った。
それはつまり、家は無人であるということを意味する。
お母さんがいるからいいや、って太一は鍵をポケットやリュックに入れずに、出かけてしまったのだ。
念のためレバーを下げようと試みるが、当然開くはずもない。
拍子抜けした太一は、とぼとぼとした足取りで、元来た道を戻っていった。
どうしたのタイチ、はいらないの、ってコロモンが心配する声に返答する気力もない。
あれだけ緊張していたのが莫迦みたいで、何も考えられなかった。
「……どうすっかなぁ」
エレベーターで下に戻り、エントランスを出て、マンションの敷地を繋ぐ階段に座り込む。
コロモンをクッションのように抱きかかえ、太一は深い深いため息を吐いた。
決心が呆気なく崩れ去ってしまい、途方に暮れる。
鍵がないのでは、家に入ることも出来ない。
そもそも時間が沢山経過していて、両親がそこにおらず他人が住んでいるのなら、鍵を持っていても不法侵入になってしまう。
自分達の世界に戻ってこられたのはいいが、ここが本当に自分の知っている世界なのかが分からない。
分からないから、確かめられない。
頭を抱えて黙り込んでしまった太一に、どう声をかければいいのか分からず、コロモンもしゅんとなるしかなかった。
「……太一くん?」
そんな太一に、声をかけてきた者がいた。
項垂れた太一は、自分の名前を呼んでくれる者がいたことに、弾けるように顔をあげた。
コロモン以外に、自分を知っている者がいる。
そのことに驚き、歓喜し、顔をあげてそれが誰なのかを確認した。
「……ジュンさん?」
数段上から自分を見下ろして呼びかけてくれたのは、自分を慕ってくれる後輩の姉で、1つ上の6年生の、本宮ジュンだった。
本宮家は八神家と同じ敷地にある、別の棟のマンションに住んでいる。
そのため、学校に行くときは敷地内で待ち合わせをして、一緒に登校するのが日課になっていた。
たまーに大輔と太一のどちらかが寝坊をして、時間通りに待ち合わせ場所に来た方が迎えに行く、と言うこともあり、互いの家の場所は知っていた。
ただ、大輔が太一達の家に遊びに来ることはあっても、太一やヒカリが大輔の家に遊びに行くことはなかった。
ヒカリが何度か大輔くんのお家に遊びに行きたいとお願いしていたのだが、その度に大輔は何かと理由をつけて八神家の方に行ったり、外で遊ぶことになる。
どうしてかなぁ?って首を傾げるヒカリに、お家のことは人それぞれよって母が苦笑していたのを思い出しながら、太一はジュンを見上げる。
「どうしたの、太一くん。何でここに?って言うか、あれ?サマーキャンプに行ってたんじゃ?」
「えっ、あっ、あの、えっと……」
まさか知り合いに会うなんて思ってもいなかった太一は、ジュンからの質問に答えることが出来ずに、ただあわあわするだけだった。
ジュンの疑問も尤もである。
だって今日、ジュンの弟は子ども会のサマーキャンプに参加をしていて、数時間前に行ってきまーすって家を出て行ったばかりだ。
朝ちょっとしたいざこざがあったものの、それでも大好きなヒカリちゃんと尊敬する太一先輩と一緒にサマーキャンプをする、っていう楽しみで、1ヵ月も前から指折り数えて今日と言う日が来るのを待っていたのだ。
ジュンは用事があってキャンプの参加は見送ったが、何故サマーキャンプに参加して、ここにはいないはずの太一がここにいるのか。
太一はしどろもどろになり、目を泳がせ、口籠らせながら、ふとあることに気付いた。
ぽろ、と膝に抱えていたコロモンを落としながら立ち上がり、太一はジュンに駆け寄る。
いて、と言いながらコロモンが階段を転げ落ちたのも、お構いなしだった。
「あ、あの、ジュンさん!今日って何年の何月何日ですか!?」
「……はあ?」
サマーキャンプに出掛けたはずの太一が何故かここにいて、しかも突然変なことを訪ねてくるのだから、ジュンのその反応も当たり前だろう。
しかし必死になってジュンに縋りついてくる太一の様子が尋常ではなかったため、戸惑いながらもジュンは答えた。
「せ、1999年の8月1日だけど……」
「時間はっ!?」
「12時20分……」
そして太一は、やっと思い出すのだ。
変異してしまったデビモンを、エンジェモンの命を犠牲にして、やっとの思いで倒した後のことだ。
ゲンナイに呼び出された子ども達は、アンドロモンがいた工場に行き、そこで初めてゲンナイと邂逅した際に色々と質問をした。
デジタルワールドとは何なのか、デジモンとは、何故自分達はデジタルワールドに召喚されたのか、デジタルワールドを覆う闇とは何なのか、それから……時間経過のことも。
──そうだ、ゲンナイさん言ってたじゃねぇか。デジタルワールドと俺達の世界じゃ時間の流れ方が違うって
デジタルワールドで幾ら過ごそうが、現実世界ではほんの数分しか経っていない。
それはつまり、太一のお家はこのマンションの1306号室のままだし、両親は何処にも行っていない、と言うことだ。
安堵から、太一はその場にへなへなと崩れ落ちてしまった。
太一くん!?とジュンは慌てて膝をつき、放心している太一の顔を覗き込む。
その時だ。
『タイチィ、おっことすなんてひどいよぉ』
「………………へ?」
「あ」
座り込んでいた太一のクッションをしてやっていたというのに、太一は突然立ち上がって落とした挙句、いたいよぅって嘆いているのに無視されていたコロモンが、抗議の声をあげた。
コロモンが怒るのも無理はないが、タイミングが悪かった。
ぷんぷんと可愛らしく怒りながら、ボールみたいな身体を跳ねさせて太一の下にやってきたコロモンを見て、ジュンは硬直した。
放心していた太一は、コロモンが話しかけたことによって我に返り、慌ててコロモンを抱きかかえる。
2ヵ月近くもデジモン達と共にいたことですっかり忘れていたが、本来コロモンはこの世界の生き物ではない。
暗黒に浸食されたエテモンに、巨大な力をぶつけたせいで歪みが生じ、巻き込まれる形で現実世界に飛ばされてしまっただけだ。
だから先ほど公園で幼児に泣かれてしまったのだし、行き交う人達からも不審な目で見られたのだ。
その時にちゃんと、人前では喋るなと言い含めておけばよかった、と後悔するがもう遅い。
コロモンが思いっきり喋っているところを、ジュンにばっちり目撃されてしまった。
どうしよう、何と言って誤魔化そうか……。
ぐぅうううううううううう……
不意に、低く空気が抜けるような音がした。
へ?と太一とジュンの目が点になる。
その音は、何かが爆発したり、崩れたりするような、深刻な音ではなかった。
何故ならその音は太一が抱きかかえているもの……コロモンから聞こえてきたからだ。
ぐぅうううううううううう……
『……おなかへったぁ』
「お前な……」
それは、コロモンの腹が鳴る音だった。
顔だけしかないのに腹が鳴ると言うのはどういうことだ、という疑問は置いておくことにしよう。
頭部のひらひらした触覚から力が抜け、弾力のある柔らかい身体が、アイスクリームが溶けるみたいにへにゃへにゃになる。
通常、デジモンは1度進化をすると滅多なことでは退化をしないのだが、選ばれし子ども達のパートナーとして宛がわれたデジモン達は、その特殊性から時間をかけずに一瞬で進化をすることが出来る。
代償として、長時間その姿を維持することが出来ずに成長期の姿へと戻ってしまい、更に膨大なエネルギーを消費することで通常よりも食欲が旺盛になる。
コロモンはつい先ほど、成熟期の更なる先である完全体と言うデジモンに進化を遂げたため、普段よりも更にエネルギーを消費してしまい、幼年期まで退化をしてしまった。
むしろ今まで腹が減ったと騒がなかった方がおかしいぐらいだ。
『ねぇ、タイチィ。なんかたべたいよぉ~』
「ちょ、待てって。今はヤバいって!さっきのこと、忘れたのか?」
『そんなこといったってぇ~』
太一は何とかコロモンを宥めようとするが、食欲魔人と化してしまったコロモンを大人しくさせることは不可能に近い。
おなかすいた~なんかたべたいよぉ~ねぇタイチィ~、ってコロモンはジュンの目も憚らずに、太一の胸にぐりぐりと身体を押し付ける。
どうしよう、今から誤魔化すには遅すぎる。
暑さから流れる汗とは違う汗が、額から流れてきた。
そんな太一を見て、目を点にしていたジュンは……ぷすりと吹き出した。
「うち、来る?」
「………………はぇ?」
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