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はい、と手渡されたのは、先ほどジュンが買ってくれたコーラだ。
ありがとうございます、って太一は受け取り、プルタブを起こす。
ぷしゅ、と言う空気の抜けるような音がして、薄い金属の蓋が開けられた。
口をつけて、一気に煽る。
ごく、ごく、と流し込めば、液体に混ざった泡が口の中で弾け、ピリピリとした刺激が喉を通っていく。
「……っ、ぷはあっ!はぁー、生き返る!」
久しぶりのコーラに、太一はようやっと一息つけた気がした。
お腹が減ったとごねるコロモンを宥めるためには、手っ取り早くご飯を食べさせるしかない。
しかし家の鍵は母が持っているし、その母は今キャンプ場にいる。
母が鍵を持っているから自分は持ってこなくてもいいか、と横着したせいで自分用の家の鍵は持ってきていない。
だから家に戻って、コロモンに何かを作ってやることが出来ない。
お金もないから、コンビニで何かを買ってやることも出来ない。
だからジュンが、家に来るかと聞いてきてくれたのは、とても有難かった。
今日の夕方から用事があるジュンは、子ども会のサマーキャンプに参加をしていない。
お姉ちゃんも一緒だったらよかったのに、とキャンプ場に行く途中のバスの中で、大輔がぼやいていたのを太一は思い出した。
夕方まで時間があるし、お母さんは大輔と一緒にキャンプ場に行ってしまったので、明後日までのご飯等はお母さんが買いだめしておいたものや、置いておいたお金で買ったりしておくようにと言われていたので、今日の昼はコンビニで済ませようと思い、外に出たところだったらしい。
渡りに船だ、と太一はこの偶然に感謝をした。
だから、代わりに昼食を作ることを提案した。
「え、作るって……太一くん、料理するの?」
「ええ、ほら、うち共働きなんで……今の大輔やヒカリの歳ぐらいから、目玉焼きぐらいなら作ってましたよ」
「はえー、つまりお母さんのお手伝いか。偉いねぇ。アタシもそのぐらいならするんだけどさ、面倒くささが勝っちゃって……」
「分かります。食材切ったり洗ったり、調理器具出したり、調味料出したりって面倒っすよね」
年上の丈にさえタメ口をきく太一が、少し崩し気味とは言え、ジュンに敬語を使って話している。
太一の性格を知っている人間なら、まず敬語を知っていたのかということで驚きそうだが、しかし相手がジュンだと分かれば納得するだろう。
何せジュンは、お台場小学校では知らぬものがいない有名人なのだ。
女子からは憧れの眼差しで見られ、そして男子からは恐れられ、遠巻きに見られている。
ジュン本人は全くそんなものを気にしていないし、太一も彼女の弟である大輔と顔見知りであるため、他の男子と比べれば耐性はある。
……それでも、彼女の“あんな姿”を目の当たりにすれば、誰だって無意識に背筋が伸びるだろう。
太一がジュンに対して崩した敬語を使うのは、そのためだ。
『タイチィ~』
「あーごめん、ごめん!ジュンさん、ちょっと急ぎましょうか」
「あはは、そうだね。でもコロモンくん、お店ついたら大人しくしててね。お家着くまでお喋り禁止」
はぁ~い、とジュンの言葉に、コロモンは素直に返事をした。
太一は、ほっと胸を撫で下ろす。
どうやらジュンは、コロモンを受け入れてくれたらしい。
先ほどの公園のように拒絶されたらどうしようと思っていたが、最初こそ目を点にして思考が停止してしまっていたようではあるものの、太一とコロモンのやり取りを見て、害はないと判断してくれたらしい。
この器の大きさは、流石は大輔の姉と言ったところか。
「ジュンさん、何か食いたいもんあります?」
「ん~、コンビニで済ますつもりだったから、これと言ってリクエストないなぁ……太一くんの得意な料理でいいよ」
それを言われると困る。
難しくないもの、一般家庭で作られるような料理なら一通り作れるし、お金はジュン、と言うより本宮家から出るので、好き勝手することは出来ない。
どうしたものか、と考えて……はた、と思い至った。
「ジュンさん」
「ん?」
「卵料理、平気ですか?」
本宮家の部屋は、同じ敷地内ではあるが、八神家とは別の棟のマンションにある。
だから学校から帰った大輔とヒカリは、ただいまーってランドセルを部屋に放って、とんぼ返りするように外に飛び出していき、しょっちゅう敷地内で遊んでいた。
サッカークラブの活動がある時は、太一と大輔がボールを追いかけるところを、ヒカリとジュンがお喋りをしたり、応援をしたりしながら観戦する。
大輔とヒカリの仲がいいから、太一とジュンの会話も必然的に多くなるのだが、こうして本宮家にお邪魔をするのは初めてだった。
別棟とは言え、同じマンションだから、部屋割りなどが違っているわけではない。
それでも、大輔は八神家にしょっちゅう遊びに来ているのに、太一やヒカリは本宮家には行ったことがない。
テレビゲームも嫌いではないが、どちらかと言うとアウトドア派の太一は、全く気にしたことはなかった。
大輔も太一と同じで、外で遊ぶ方が好きだし、太一の家に遊びに行っても少しゲームをしただけで、やっぱり外に行こう、というのがお決まりのパターンになっていたからだ。
チン、とエレベーターが到着の音を告げる。
エレベーターを降りて、左に曲がる。
八神家はエレベーターを降りて右に曲がり、奥から2番目の部屋だが、本宮家も同じ奥から2番目の部屋のようだ。
ビニール袋を揺らすジュンの後を追いながら、太一は初めて来る後輩の家に少しだけドキドキしている。
学校の先生の度肝を抜いたパンクファッションのパンツから、アクセサリーの鈴をつけた鍵を取り出した。
鍵穴に差し込み、90度捻ればカチリと言う音がした。
ドアを開ける。お昼を買うためだけに外に出たから、クーラーを消さなかったのだろう、ひんやりとした空気が一気に溢れてきた。
久しぶりの文明の利器に感謝と感動をしながら、太一はおずおずとした足取りで部屋に入った。
「お邪魔しまーす……」
「遠慮しなくていいよー」
食材が入ったビニール袋を揺らしながら部屋へ入っていくジュンの後を、太一はコロモンを抱えながら慌てて追いかける。
玄関から入ってすぐの左手には、カウンター型のキッチンがあり、左手には洗面所兼風呂場がある。
太一の家のものとは違うソファーと配置のリビングダイニング、その奥には太一の家だったらお父さんの書斎である部屋があるが、本宮家ではどうなのだろうか。
それから洗面所兼風呂場と同じ面に、ドアが2つ。
こちらはそれぞれ両親と、子ども部屋となっているのだろう。
ドアを閉め、鍵をかけて靴を脱ぐ。
家の時のように脱ぎ散らかしかけたが、ここは後輩とは言え初めて来るお家だ。
母に知られたら拳骨を落とされそうなので、きちんと揃えてからリビングダイニングに向かう。
ジュンはキッチンに向かうと、ビニール袋から食材を取り出した。
それからフライパンやサラダ油、ボウル等を取り出し、キッチンの入り口で佇んでいる太一に声をかけた。
「太一くん」
「うお、はい!」
「何、ぼーっとしちゃって。あ、そっか。太一くん、うちに大輔のこと迎えにきたことはあっても、遊びにきたことはなかったよね。どう?って言っても、同じマンションだから間取りとか同じだし、感動も何もないか。それより準備できたからさ、オムライス作ってよ。うちのお母さんもお父さんも忙しくて、そんな洒落たもん、なかなか作ってくれないんだよねぇ」
昼食は、オムライスになった。
家族の中でお母さんの次に料理が出来る太一の得意な料理は、卵料理だ。
初めて目玉焼きを作った時、お母さんもお父さんも妹も、美味しい美味しいって喜んでくれたのが嬉しくて、もっと喜んでもらいたくて卵料理を頑張った。
以前ファイル島で、冷蔵庫に入った卵を見つけた時も、その腕をいかんなく発揮し、更に太一以上に料理上手な治にも習って、レパートリーを少しだけ増やした。
そのうちの1つが、オムライスだ。
何度作っても卵がふわふわにならないし、形が崩れてしまう、と卵料理を作っていた時に治に愚痴ったら、コツを教えてくれたのだ。
あの時はオムライスのライスがなかったから作ることはできなかったため、今回がぶっつけ本番だ。
上手くできなかったらごめんなさい、と素直に謝りながら、太一はコロモンをリビングのソファーに置いた。
「すぐ作るから、ちょっとここで待っててな」
『はぁい』
パタパタパタ、と小走りでキッチンに向かう。
ジュンは太一の手伝いをするつもりらしく、キッチンでごそごそと何かをやっていた。
ぐぅうううううううううう……
本日何度目かの、腹の虫が鳴る。
キッチンでそれを聞いていた太一とジュンは苦笑しながら、もう少し待ってて~と言ってきた。
『………………』
ころん、とコロモンはクッションの効いたソファーを、手持ち無沙汰に転がる。
カツン、と軽い音が幾つか聞こえて、それからリズムよく何かをかき混ぜるような音もした。
パタパタと忙しなく歩き回る音。
しかしそれらに耳を澄ませてみても、コロモンの空腹は誤魔化せない。
膨大なエネルギーを消費しながら完全体への進化を遂げたせいで、成熟期の姿を維持できずに幼年期まで退化、失った分のエネルギーを補給したくて、コロモンの腹はひっきりなしにご飯をせがんでいる。
はやくたべたいなぁ、おむらいすっていうのがどういうのかよくわかんないけど、おいしいのかなぁ、って考えれば考えるほど、お腹の虫が激しく鳴り響く。
その度にジュンはクスクスと笑い、太一は恥ずかしそうに俯くのだが、ソファーからは死角になっているせいで、コロモンには分からない。
目を閉じて何とか空腹を誤魔化そうとしていたら、不意に甘い香りが漂ってきた。
パチリ、と大きな赤い目を開けて、何処からその匂いが漂ってくるのか見回す。
ベランダ側は一面がガラス窓になっており、向こう側にはレインボーブリッジと呼ばれる大きな橋が見える。
が、景色に興味はないので、コロモンはさっさと窓から目を離し、漂ってくる匂いの元を辿るように、くんくんと嗅いだ。
そしてコロモンは、ソファーの正面の2つある扉の間に、太一の腰辺りまでの高さがある棚と、その上に高さ45センチぐらいの、大人が抱えるのがやっとなぐらいの大きさの箱があった。
ただの箱ではなかった。
何かを仕舞う、と言うよりも祀るように両開きの扉があり、その中に座っている小さな人形のようなものと、黒い板、何かの絵、光子郎のパソコンから出てくる“ごはん”を入れている器に似たものが、色違いで2つ置いてあった。
でもコロモンは、その箱には興味がなかった。
それよりも興味を引くものが、箱の前にあった。
ぴょん、とソファーから飛び降りる。
腹が限界まで減っていたコロモンは、ここが何処なのかも我も忘れて、“それ”に飛びついてしまった。
ガシャーン!!
「はっ!?」
「え、何っ!?」
丁度3人分のオムライスが出来上がったところだった。
鶏肉のこま切れを焼くぐらいなら出来る、というジュンに鶏肉を任せ、太一は他の作業をする。
レトルトのご飯をチンして、ボウルに移し、ケチャップをかけてかき混ぜた。
冷凍のグリーンピースとコーンは、自然解凍をしている時間はないので、少し邪道だがこちらもレンジでチンをして、ケチャップライスに入れて混ぜ込んだ。
本当はちゃんとフライパンでやりたかったのだが、ここは他人の家だし、そもそも太一は現時点でここにいるはずがないので、仕方がない。
卵は2つずつ割って、慣れた手つきでかき混ぜる。
温めたフライパンに流し込み、取っ手を掴んで流した卵を広げるように、ぐるりと回した。
菜箸で適当にかき混ぜた後、火を止めた。
取っ手を再び手に取り、手前に傾ける。
取っ手を持っていた手の手首を、もう片方の手でトントンと叩く。
その振動で広がっていた卵が少しずつ寄っていき、オムレツが出来上がった。
鶏肉も、少しだけ焦げたが問題ない。
ジュンは舌をぺろっと出して誤魔化していたが、太一も昔はよくやったので、苦笑するだけにとどめておく。
出来たオムレツを、皿に盛りつけたケチャップライスに手際よく乗せ、中心に包丁で切れ込みを入れれば、オムレツが左右に広がり、ケチャップライスを包んだ。
それをあと2回、こちらも手際よく作る。
1回目よりも上手くいったので、これはコロモンとジュンさんにあげよう、とダイニングに持って行こうとした時に、それは聞こえた。
「……ぁあーっ!!何やってんだよ、お前!」
オムライスが乗ったお皿を持ったままキッチンから出てみれば、ソファーにいたはずのコロモンがいつの間にか移動し、棚の上にある小さな箱に飛びついていたのだ。
いや、正確には、その箱の前に置かれている、フルーツにかぶりついていた。
オムライスをダイニングのテーブルに置いて、慌ててコロモンのところに駆け寄る。
そして、コロモンのしでかしたことに気付き、さあっと顔を青ざめさせた。
「ばっか、お前!やめろっ!食うな!」
『だぁってぇ~もうおなかペコペコだよ~』
「だぁーっ!言いながら食うなっての!それは食っていいもんじゃねぇ!」
『んえ?』
「食うなっちゅうに!これはお供え物だ!お前が食っていいもんじゃねえのっ!」
『オソナエモノってなに?』
「神様とかにあげるご飯みてぇなもんだよ!食べたいんだったら、くださいってしなきゃいけないのっ!……ああ、リンゴ全部食っちまいやがって……ジュンさん、すみません……」
リンゴとバナナと桃が置かれていたのだが、コロモンはリンゴをペロリと食べてしまったようだ。
空腹だったところをほったらかしにしてしまったのは、申し訳なかったとは思うが、それにしたって他人のもの食うなよな、と言うと、なんで?と澄んだ目で返されてしまった。
だってそこに置いてあったのだ、だったら食べるだろう、とコロモンは至極当然のように言うので太一は面食らったが、よくよく考えたらデジタルワールドではそうやって過ごしていた。
ゲンナイから食べ物のサポートがあるまでは、そこら辺に実っていた果物や木の実を取っていたし、コロモンが人間界の理やルールを知るはずがないので、それは仕方のないことだったのだ。
だがそうだとしても、これはやってはいけないことであるので、太一はコロモンにこれ以上は食べるなとだけ言って、ジュンに謝罪する。
いいわよ、ってジュンは笑った。
「それ早めに食べなきゃいけなかったし、何か言われたらおやつ代わりに食べたとでも言っとくわ。もしオムライス足りなかったら、それも食べていいから」
『いいの!?』
「おっまえ、少しは遠慮しろっ!って、あー!しかもお前飛びついたから、仏壇もひっくり返っちゃってるじゃんか!ったくよー……」
よくよく見れば、その小さな箱は仏壇だった。
太一とヒカリのお祖父ちゃんお祖母ちゃん家にあるような、大きくて立派なものではなく、マンション用の小さな仏壇だ。
コロモンが飛びついたせいで仏壇にあった位牌とお鈴、それから写真立てが落ちている。
線香立てがひっくり返っていなかったのは、不幸中の幸いだった。
コロモンを放るようにどかして、ジュンと太一は2人で落ちた仏具と写真立てを拾う。
ジュンは位牌とお鈴を元の位置に戻し、太一は写真立てを手に取ったが、再びカシャン、という落ちた音がした。
コロモンが落とした表紙に、写真立ての押さえが緩んでしまったようで、バラバラになってしまった。
ひらひらと舞った写真を慌てて手に取る。
ぱし、と何とか掴んで写真立てに戻そうとして……書かれている文字に気付いた。
“ジュン 1歳”
太一は硬直する。
通常、仏壇に写真が飾られているということは、その写真は故人のものということを意味する。
生きている人間を仏壇に飾ることは、まずありえない。
フルーツに目が行っていたコロモンは当然、写真など興味がなかったし、太一も写真立ての表の部分が床に面していたため、写真に写っている人物を見ていない。
大輔の近親者が亡くなったのを飾っているのだろうな、程度にしか思っていなかったのだが、裏に書かれているその名前は、間違いなく隣にいる彼女の名前だ。
──どういうことだ?
狼狽える太一に気付いてコロモンが声をかけてくるが、太一は聞いていない。
す、と手に持っていた写真が消える。
いや、消えたのではない。
誰かにとられたのだ。
誰に?ここにいるのは太一とコロモンと、もう1人しかいない。
太一はゆっくりとした動作で顔を動かし、隣にいる人物を見やる。
その人……ジュンは、何でもないように写真立てを拾い、写真を仕舞って仏壇に収めた。
その写真には、ジュンや大輔が赤ん坊の時こうだったのだろうな、と思うぐらいそっくりな女の子が、笑顔で写っていた。
「……さ、オムライス冷めちゃうよ。食べちゃお」
お鈴を鳴らし、両手を合わせて軽く挨拶をして、ジュンはまた何でもないように立ち上がる。
びっくりするぐらい、いつも通りのジュンだった。
ジュンに声をかけられたことで我に返った太一は、コロモンを引っ掴んで慌ててダイニングのテーブルに向かい、ジュンの向かい側に座る。
無作法だが、コロモンの姿では椅子に座って食べられないので、テーブルに置かせてもらった。
大きな大きなオムライスに、コロモンの目が輝く。
いい?いい?たべていい?って涎をダラダラ垂らしながら見上げてくるその姿は、パニックに陥りかけた太一を正常に戻すには、十分だった。
「んじゃ、いただきまーす」
『まーす!』
「……いただきます」
言うなり、コロモンはオムライスにかぶりつく。
ご飯や卵が飛び散るぐらいかぶりつくものだから、太一は落ち着いて食えと苦言を呈した。
そんなコロモンが、まるで弟と重なって見えたのか、ジュンはいっぱい食べなとおおらかに言いながら、オムライスを一口食べた。
「……ん!おいっし!え、やば。お母さんやお父さんが作るのより、美味しんだけど!」
「え、そ、そっすか?よかった。実はあんだけえばってたけど、オムライス作んの初めてで……」
「えー、うっそ!初めてでこんな上手にできんの?はー、やっぱ年季からして違うわねぇ……」
言いながら、ジュンはパクパクとオムライスを食べ進めていく。
顔を綻ばせながら食べるその様は、いつものジュンだ。
お休みの日にお昼を忘れてみんなで遊んで、太一のお母さんに時々ご飯を食べさせてもらう時と、同じ顔だ。
美味しい美味しいってあまりにもいつも通りで、太一は拍子抜けする。
『……タイチ、たべないの?』
あまりにもぼーっとしていたからなのか、コロモンが手つかずの太一のオムライスを見ながら、そんなことを聞いてきたので、太一も慌ててオムライスを食べた。
ちぇ、って残念そうな舌打ちが聞こえた気がしたが、無視をしておく。
スプーンで掬い、口の中に入れる。
ふわふわの卵と、ケチャップが絡んだご飯が絶妙に混ざり合い、我ながら美味い、と自画自賛したいところだ。
……でも今日は、どうしてもそんな気になれない。
ヒカリやお母さんがいないから?
自分の家じゃないから?
いや、どれも違う。
理由は、解っている。
「………………」
「……別に、聞きたいなら聞いてもいいよ?」
スプーンを咥えたまま黙っている、というとても分かりやすい太一の態度に、ジュンは苦笑しながらそう言ってきた。
ビクリ、と太一は大袈裟な程に跳ねながら、何で、とかどうして、とか口籠っている。
何故自分の考えていることが分かったのだ、とでも思っているのだろう。
知り合ってまだ1年しか経っていないが、太一の人となりを知るには十分の年月だ。
オムライスを食べる手を止めず、お母さんがいたら絶対叱られるポーズをとるジュンに、太一は意を決して訊ねた。
「……あの、写真の子どもは……ジュンさん、じゃない、ですよね」
「当たり前でしょ。仏壇に飾ってあるんだから。あれは、アタシと大輔のお姉ちゃん」
パクリ、とオムライスを一口。
え、って太一とコロモンはジュンを見やる。
「生きてたら中学2年生かな。アタシの2個上だから。でも死んじゃったの。お姉ちゃんが1歳の時に」
「………………」
「原因は、よく分かんないや。なんか乳幼児にはよくあることだったみたいなんだけど、お母さん、自分が目を離したせいだってすっごい自分を責めちゃって。それだけならまだいいんだけど、普段全く絡まない親戚連中が、こぞってお母さんのこと責めてね。お父さんも頑張ったんだけど、お母さん、どんどんダメになっちゃってさ」
「………………」
「立ち直るのにすっごい時間かかったんだけど、ある日妊娠してることが分かって。それで、今度こそ死なせない、死なせたくない、何があっても護ろう、って思って、それで死んだ子の名前を次の子につけたの」
それがアタシ、とジュンはあっけらかんと言い放った。
ぱく、ともう一口入れ、噛みしめるように咀嚼する。
「笑っちゃうでしょ。アタシの名前は、アタシのものじゃないの。アタシが持っているものも、お母さんやお父さんに買ってもらったものも、アタシのじゃないの。全部全部、お母さん達が“ジュンお姉ちゃん”にあげたかったものなの。お母さんがアタシにしてくれることは、全部“ジュンお姉ちゃん”にしてあげたかったもの。アタシのものは、何1つないの」
ジュンがそれを知ったのは、去年の今頃だったそうだ。
お母さんに頼まれて、仏壇の掃除をしていたのだが、掃除のためにどかしておいた位牌と写真立てを、肘にぶつけて落としてしまったらしい。
その時、大輔はヒカリとだったか、他の友達とだったかと遊びに出かけていていなかった。
怒られないうちに片づけてしまおう、と慌てて拾い上げた時、同じように写真立ての蓋が外れてしまい、写真がひらりと舞い落ちた。
そしてジュンは、自身に隠された秘密をその時知ってしまった。
「………………」
太一は、何と言ったらいいのか分からなかった。
こう言う時、何と声をかけるのが正解なのだろう。
1年以上も付き合いがあって、一緒に遊ぶことも多かった友人の、知られざる一面を垣間見てしまった心情を、どう伝えればいいのだろうか。
太一は自分で作り、一口しか手を付けていないオムライスを見下ろす。
タイチ?って心配そうに声をかけてくるコロモンの言葉も、太一には届かない。
「……大輔、は、そのこと……」
「知ってるわよ。教えるつもりはなかったんだけど……」
自分の秘密を知ってしまったジュンは、お母さんやお父さんに問いただす勇気はなく、かと言ってこれまで通り接すること難しくなった。
どうしたらいいのか分からなくて、ぐちゃぐちゃになってしまった気持ちを発散することも出来ずに、大輔を連れて衝動的に家出をしてしまったことがあったそうだ。
もう夜になると言う時間帯、夕飯の支度をしていたお母さんの目を盗んで、こっそりマンションを出て行ったジュンと大輔は、何処か知らない遠くに行くことも出来なかったので、近くの公園の遊具の中に隠れていた。
娘と息子がいなくなったことに気付いたお母さんが、慌ててお父さんに連絡をして、お父さんが急いで帰っている間、1人で探し回った。
2時間後、空腹に耐えかねた大輔がジュンに訴えたことで、家出は終わりを迎えたのだが、探し回っていたお母さんと、急いで帰ってきたお父さんに、これでもかと叱られた。
その時に、ぐちゃぐちゃになっていたジュンの気持ちが爆発して、ぶちまけてしまったのだそうだ。
その場に大輔もいたのに、大輔は何も知らなかったのに。
ジュンがこんな思いをしているのは、全部全部お母さんとお父さんのせいなのに!
叱られたことを理不尽に思ったジュンは、怒鳴るようにぶちまけた。
大輔が姉の苦悩を知ったのは、その時である。
「……ふう、ご馳走様。美味しかったわー。満足、満足!」
最後の一口を放り込み、ニコニコと本当に倖せそうに微笑みながら、空の皿にスプーンを置いて、両手を合わせた。
一息つくようにコップの水を煽る。
「……太一くん、食べないの?コロモン狙ってるけど……」
結局、太一は自分が作ったオムライスを完食することは出来なかった。
食べ足りないコロモンは、口の端から涎を大量に垂らし、太一のオムライスに目が釘付けになっていたので、太一は茫然としながらもコロモンにオムライスを与える。
空気が読めていないコロモンは、わーいと言いながらオムライスに飛びついた。
よく食べるねぇ、とジュンは苦笑しながら、オムライスにかぶりついているコロモンを見つめる。
「………………」
コロモンの咀嚼音以外、聞こえてくるのは窓で軽減された蝉の声だけだ。
ジュンは、オムライスを食べた余韻に浸っているのか、小さく鼻歌を歌いながら、水を少しずつ摂取している。
クーラーの効いた空間はとても快適で、つい数十分ほど前まで生死をかけた戦いを繰り広げていたとは思えないほど、平穏に包まれていた。
コロモンがオムライスを平らげた頃、太一はようやく口を開く。
「……大輔が、俺達を家にあげないの、って、それが関係してるんですか……?」
「んー?多分?」
コップを置き、ジュンは振り返って仏壇を見やる。
太一もつられて、そちらに目をやった。
ようやく満腹になったコロモンは、満足そうに息を吐いて、またぐてーっとなる。
大きな口を開けて欠伸をしたから、恐らく眠いのだろう。
食べたら寝る、なんて赤ん坊のようだとジュンは笑った。
「大輔さ、アタシの名前が本当はお姉ちゃんの名前って聞いた時、すっごい怒ったのよ。普段の癇癪なんか目じゃないぐらい。酷いって。お姉ちゃんが可哀想だって。そんなわけで大輔はお父さんもお母さんも、嫌いなのよね」
それ以来、大輔はお母さん達とまともに会話もしなくなったらしい。
事務的な会話と、うん、とか、ふーん、とか、冷たい反応ばかり返すようになった。
それまでは、お姉ちゃんの仏壇にも毎日手を合わせていたのに、それもしなくなった。
仏壇にいるのは、確かに大輔のお姉ちゃんだけれど、それでも大輔のお姉ちゃんは今ここで生きているジュンだけだ。
お姉ちゃんが大好きな大輔は、それ以来ますますお姉ちゃんにべったりになった。
お姉ちゃんを護れるのは自分だけだと思っているのか、お母さんやお父さんがジュンに話しかけると睨みつけるようにもなった。
お母さんもお父さんも、そんな大輔を諫めることはしなかった。
「うちに連れてきたら、お母さんとお父さんのこと嫌ってるの、バレちゃうでしょ?そうなったら絶対、理由を聞かれる。言える?太一くんなら。死んだお兄ちゃんの名前をつけられたんだって」
「………………」
「アタシは大輔じゃないから、本当のところはどうか知らないけど、まああいつのことだし、概ね間違ってないと思うわよ」
ジュンはコップの水を一気に煽ると、ふう、と一息ついた。
「太一くん、水のお替りいる?」
「え、あ……じゃあ、お願いします」
「はいよー。ついでにお皿片づけちゃうね」
「あ、あの、俺も……」
「あー、いいって!座ってていいよ。太一くん、お客さんなんだから」
オムライスまで作ってもらっておいてなんだけどさ、とジュンは笑う。
立ち上がりかけた太一は、ジュンの言葉に圧されるように、脱力しながら再び椅子に座り込む。
視界に映ったコロモンは、完全に寝入っていた。
苦笑する余裕は、今の太一にはない。
今しがたジュンから聞いた事実に、頭が追いつかないのだ。
アメリカから帰ってきた本宮家と知り合って、まだ1年しか経っていないが、それなりにジュンと大輔のことは知っているつもりだった。
2人ともアメリカで育ったからか、思っていることは総て口にしなければ気が済まず、間違っていると思ったら相手が誰だろうが食って掛かる。
日本語はちょっぴり苦手だが、それをからかったりすれば英語で捲し立てられるので、今では誰もネタにしない。
好き嫌いがはっきりしていて、嫌いな相手には話しかけもしないところも共通している。
誰とでも仲良くなる人懐っこいところも、そっくりだ。
4つも歳の差があるのに、対等に喧嘩をするところも、よく目撃されている。
サッカー部で、上級生達に混じってちょこまか動き回る大輔を、ジュンはヒカリと一緒によく見学していた。
違うところも、勿論ある。
大輔は勉強が苦手だが、ジュンは成績は上位の方だ。
大輔がヒカリと一緒にお勉強会をしているのを、ジュンが時々からかいながら面倒を見ている。
服装も、大輔は動きやすくてシンプルなTシャツ短パンなのに対し、ジュンはパンクファッションを好んでいる。
それを着て登校してきたのを見た先生の度肝を抜き、職員室に呼ばれたこともあったが、ジュンはそんなものどこ吹く風、と言った態度で先生の説教も右から左へ受け流していた。
パンクファッションと言っても、髪を染めたり剃ったり、本格的なものではなく、Tシャツに髑髏が描かれていたり、肩をちょっと出している程度のものでもあったので、先生達も最近は諦めているらしい。
こうやって思い返せば、大輔とジュンのことについて知っていることは、沢山あった。
でもそれは飽くまでも、ある一定の方角から見ていた2人に過ぎないのだ。
だって学校での2人はよく知っているけれど、家での2人は何も知らない。
ジュンの名前が、2人の死んだ姉からそのままつけられたことも、大輔が両親を嫌っていることも……。
大輔は1度だってそんな素振りを、太一達の前では出さなかった。
(……本当に、何も知らないんだな、俺……)
きっと信頼していなかったわけではない。
大輔は太一によく似て、嘘とか人を騙すことが苦手だ。
誤魔化すのも下手で、態度や顔に出やすいのだ。
だから大輔が太一のことを、本当は嫌っている、というのは絶対にないだろう。
太一もヒカリも両親が大好きで、昨日はお母さんが手作りのケーキを作ってくれたとか、今度のお休みはお父さんが遊びに連れて行ってくれるのだとか、そんな他愛のない話をクラスメートとよくしている。
それが普通だと思っていたし、一緒に話をするお友達も、そう言う会話でよく盛り上がっていたから、両親を嫌う子がいるなんているはずがないと思っていた。
いや、両親を嫌う子がいるという発想すらなかった。
もしもジュンから話を聞かずに、何かの拍子で大輔が彼の両親を嫌っていると知ってしまったら……きっと酷いことを大輔に言ってしまっていたかもしれない。
「太一くん、スイカ食べる?」
ジュンは、先ほど買ったスイカを皿に盛って、キッチンから出てきた。
その顔は、いつも太一が見ているジュンの溌剌とした笑顔そのものだった。
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