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はい、と満腹になったコロモンと、意識が沈みかけていた太一の前に差し出されたのは、先ほど買ったばかりで、ジュンが切ってくれた小ぶりのスイカと、氷で冷やされた水。
オムライスを2つも平らげたはずのコロモンは、目を輝かせながらいただきまーすとスイカにかぶりついた。
完全体に進化を果たしたことで、体力の消耗が著しく、成長期の姿を保てなくなってしまっていることは分かっているのだが、それにしたって遠慮をしなさすぎだ、と太一はコロモンを軽く小突いた。
いたいよう、と言いながらも瑞々しいスイカの美味しさに気を取られて、痛みなどすぐに忘れてしまった。
食い意地の張ったパートナーに溜息を吐きながらも、足りなくなったパワーを補うために、いつもよりも食欲を増すのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
『ハイヒィ!ほれ、ふっごくおいひい!』
「口にもの入れながら喋んなっての」
何言ってるか分かんねぇよ、と太一は自分でもよくやってお母さんに注意されていることを、コロモンに言い返してやる。
しゃぐしゃぐと夢中になってスイカにかぶりつくせいで、コロモンの大きな口の周りはスイカの汁やら果肉やらで、べっとりとしていた。
ティッシュを数枚拝借して、口の周りを乱暴に拭いてやる。
ありがとー、って言いながらコロモンは2切れ目のスイカにかぶりつく。
口の周りが再び大惨事となったので、太一は半ば諦めた。
パキ、パキ、パキ
掃除機で吸い込むような勢いでスイカを食べるコロモンが、3切れ目に突入した時、台所の方から何か音が聞こえてきた。
まるで薄い薄いガラスの板を折っているような音で、太一は気になって立ち上がり、台所へと向かう。
「……何してんすか?」
「あ、ごめん、煩かった?」
台所に戻ったはずのジュンの姿がない、と思ったら、何故かしゃがんでいた。
右手に調理用の鋏を持ち、左手には空っぽになった卵のパック。
半透明のプラスチックバッグに、細かく切った卵のパックを切り落としていく。
総て切り終えると、ジュンは鋏をスタンドに引っ掛け、卵のパックや鶏肉が入っていたパック、レトルトご飯のパック、それから空になった冷凍野菜の袋をまとめてプラスチックバッグに入れて、持ち手のところをぎゅっと結んだ。
それを自分の部屋に持っていくジュンに首を傾げていると、ジュンは何でもないように笑った。
「証拠隠滅よ。オムライス作ってみたって言い訳は出来ても、太一くんやコロモンの分は言い訳できないっしょ?」
お母さんに追及されるのめんどいし、とジュンは自室へと入っていく。
確かに卵を3つ程使ったオムライスを3人前、10個入りの卵パックを丸々1つ使ってしまったのは軽率だったかな、と太一は思った。
親子仲があまりよろしくなくとも、最低限の会話ぐらいは交わすはずだ、これどうしたの、と聞かれても上手い言い訳は思い浮かばないので、何事もなかったかのように、証拠を隠滅してしまった方が手っ取り早いだろう。
それならば、コロモンがかぶりついているスイカの皮も隠した方がよさそうだ。
あれも、ヌイグルミのふりをしていたコロモンが、美味しそう美味しそうって目を輝かせて飛びつこうとしたのを阻止するために、ジュンが買ってくれたものである。
ダイニングに戻ると、3切れ目を食べ終えたコロモンが4切れ目に取り掛かっているところだった。
まだ食うのか、と太一はコロモンを再び小突いて、綺麗にしゃぶりつくされたスイカの皮を重ねて、ジュンのところに持って行ってやる。
「ジュンさん、スイカの皮、どうしたらいいっすか?」
「明日燃えるゴミの日だから、それは三角コーナーのとこに捨てていいよ。明日出しちゃうわ」
「はーい」
ぼさ、と無造作に捨てて、軽く手を洗ってからダイニングに戻る。
残りの皮はまた後で捨てよう、と太一は椅子に座って出された水を一気に飲み干した。
証拠隠滅のためにプラスチックのゴミを一纏めにして、自室に放り込んできたジュンが戻ってきたのは、その時である。
「……それで?」
「へ?」
ぼんやりとコロモンが6切れ目のスイカにかぶりついているのを眺めていた太一に、ジュンは話しかけてきた。
「へ、じゃなくて。どうすんの?キャンプ場に戻るの?」
「……え、と」
「何があったか知らないけど、太一くん今お金ないんでしょ?どうやって戻るの?ってか小母さん、太一くんがこっちにいること、絶対知らないっしょ。何て言い訳するつもり?」
「………………」
考えていなかったわけではない。
ただ知らない世界から自分の居るべき場所に帰れたことが嬉しくて、頭からすっぽ抜けていたことは事実だ。
あの出来事が夢ではなかったことは、コロモンがここにいることで既に理解している。
しかし実際問題、太一は今この瞬間、ここにいてはいけない存在だ。
暑い夏の最中、自然豊かなキャンプ場にて、季節外れの猛吹雪に巻き込まれた太一は、他にも吹雪で迷子になった子ども達と共に、大人達の助けを待っているということになっているはずなのだ。
それが何の手違いか、デジタルワールドと言う異世界に無理やり連れてこられ、世界の救世主として祀り上げられ、デジタルワールドを巣食っている闇を払うために、頼るものが何もない状態での大冒険を強いられているのである。
最初の戦いで尊い犠牲を出しながら辛くも勝利し、次の戦いでは自分の使命を改めて思い知り、それを覚悟の上で強敵に立ち向かった。
お陰で相棒は更なる進化を遂げたが、強大な力がぶつかり合ったせいで歪みが生じてしまい、太一とコロモンはそれに吸い込まれる形で、デジタルワールドから放り出されてしまった。
そうして辿り着いたのが、ここお台場である。
つまりは不可抗力なのだ。
デジタルワールドに飛ばされた時の場所なら、元のキャンプ場に戻れたかもしれないが、冒険を強いられた太一達は彼方此方巡っただけでなく、ホエーモンでも5日泳ぎ続けなければならない程の距離まで離れた大陸にまで、足を運ばなければならなかった。
移動した場所で異次元へと放り出されたのだから、キャンプ場に戻るはずがない。
むしろあれだけの距離を移動したのに、同じ日本の圏内で、しかも実家近くに飛ばされたのは、余程運がいいとしか言いようがないだろう。
しかし話はそれだけでは済まないのだ。
どうしよう、と太一は今更ながらに自分の立場の危うさに気付いて項垂れる。
両肘をテーブルにつき、両手で頭を抱える。
戻る?何処に?
キャンプ場?デジタルワールド?
どうやって?
キャンプ場に戻る金はない。あったらジュンに奢ってもらっていないだろう。
デジタルワールドにはそもそも、向こうから引っ張られる形で行ったのだから、行き方が分からない。
と言うか、キャンプ場からデジタルワールドに行ったのだから、どちらにしてもキャンプ場に戻らなければ、行くことも出来ないのかもしれない。
……そもそも、他の子ども達はどうなっているのだろう?
治は?空は?光子郎、丈、ミミちゃん、賢、大輔、そして……ヒカリ。
みんな戻ってきているのなら、一体何処にいるのだろう?
妹のヒカリも、同じ敷地内のマンションに住む大輔も、こっちに戻ってきた時に傍にはいなかった。
もしかしてみんなバラバラの場所に戻されたのだろうか。
それとももうみんな自分の家に戻ってきているのだろうか。
1度連絡をした方がいいか……いや、それは駄目だ。
太一は今、自分の家ではなく本宮家にお邪魔している。
自分の家ならまだしも、他人の家から治達の家に電話をかけて確認するのは、流石に気が引けた。
もしもみんなまだ自宅に戻っていなかった時、迷惑がかかるのは本宮家だろう。
キャンプ場に行ったはずの子どもから電話がかかってきて、しかもお宅の息子さん娘さんいますか、なんて尋ねたら、親は心配するに決まっている。
そうなればキャンプ場にいる子ども会の大人の誰かに、確認の電話を入れるだろう。
そして吹雪ではぐれた、キャンプ場の何処かにいるはずの我が子が、本宮さんのお家から電話をかけてきたことが、キャンプ場にいる母にも知られるはずだ。
戻った時にどういうことなの、って問いただされるのは目に見えている。
そもそも、治達もこちらに戻ってきている保障もないのだ。
だってあの歪みに巻き込まれたのは、自分とコロモンだけ。
ピラミッドの中でゲンナイ達と待機しているはずの仲間達がどうなったのか、太一には分からないのだ。
キャンプ場には行けない、デジタルワールドにも戻れない。
抱えていた頭をあげ、太一はコロモンを見やる。
スイカを食べ終わって、倖せそうにゲップを吐き出しながら、コロモンは仰向けに寝転がっていた。
それを半目で見下ろす太一。
コロモンがデジタルワールドへの行き方を知っている、という可能性は0だろう。
初めての出会いでも、コロモンはさっぱり要領を得ない話しかしてこなかった。
ここは何処だ、お前は誰だって聞いても、ここはデジタルワールドで、ぼくはコロモン、という答えしか返ってこなかった。
デジタルワールドはデジタルワールド、デジモンはデジモンと言う、最早哲学かと問いかけたくなるような返答に、光子郎や治が頭を抱えていたのは、記憶に新しい。
太一は再度頭を抱えることしか出来なかった。
「……うん、まあ、ゆっくり考えな」
百面相を浮かべる太一に、色々と察したジュンは苦笑いしながら立ち上がり、ダイニングと一体になっているリビングに向かう。
足の低い長方形のテーブルの上に、無造作に置かれているリモコンを手に取り、赤い電源ボタンを押す。
お留守番の心細さを誤魔化すためにBGMとしてつけていたテレビだったが、特に面白いものをやっていなかったから、11時頃には消してしまっていたのだ。
お昼ご飯を買いに出る前まで、ダラダラと漫画を読んだり、夏休みの宿題に取り掛かっていた形跡が、テーブルに残っている。
後で片づけよう、と未来の自分に丸投げして、ジュンは食べそこなったスイカの残骸を片付けようと、リモコンを置いて、テーブルに戻った。
棒付きのアイスがあったはずだから、それでも食べようとスイカの皮を三角コーナーに放り投げる。
皿についたスイカの汁のべたつきは、水で洗ったぐらいでは取れないので、面倒だが洗剤で洗おう。
ジュンは先ほど使ったばかりのスポンジを手に取り、洗剤を付けた。
《……8月1日、お昼のニュースです》
夏休みとは言え、それは子どもの権利であって、働いている大人達には関係ない。
子ども達が退屈しないように、昔のアニメを流したり、心霊特番を放送するのは、テレビ局に勤めている大人達の仕事だ。
また、1日中子ども達のために番組を流すわけにはいかないので、子ども達が宿題をしていたり、遊びに行ったりしているであろう時間帯に放映されるのは、当然報道番組だった。
いつもならBGMにもならない番組だが、その時だけは様子が違った。
何故ならオムライス2人前と、小ぶりなスイカを1玉近く食べて、満腹で寝こけていたはずのコロモンが、突然ガバリと起き上がったからだ。
近くで項垂れていた太一は勿論、洗い物をさっさと済ませて証拠隠滅を図ってリビングに戻ってきたジュンも、コロモンの挙動に驚いた。
「うわっ!急になんだよ、コロモン!」
『………………』
太一の抗議を無視して、コロモンはじ、とテレビの方を見ている。
実家で飼っている猫のミーコがたまにやる仕草によく似ていたから、太一は何となく嫌な予感がした。
テレビを見やる。休日のお昼の時間帯で、よく見る男性アナウンサーが映っていた。
男性アナウンサーが話しているのは、連日放送している世界の異常気象についての内容だった。
「あっ!」
「え?」
太一は声を上げる。
テレビに映っていたのは、東南アジアの、とある地域の水田だった。
カラカラに枯れて、網目のような罅が走っている大地に佇む陰を、太一は見てしまった。
全身が炎に包まれた人影が、膝をついてそこに佇んでいる。
しかしその場所を映しているはずのカメラマンを始め、男性アナウンサーさえもそれに気づかずに、そのままニュースは続けられる。
中東のある国では水害のせいで建物が崩壊したようで、壁やガラスに罅が入って倒壊しかけていたのだが、水害だけが原因とは言えない状況を垣間見た。
何故ならそこには、暴れているシードラモンが映っていたからだ。
泥水の中から顔を、身体を起き上がらせた影響で泥水が巻き上げられ、津波のように周りを飲み込んでいく。
本宮姉弟が生まれ育った国、アメリカの都市部では、真夏にも関わらず雪が降っている。
そこに映った雪だるまは、まるで子ども達が降り積もった雪で作ったように可愛らしかったが、太一はそれがただの雪だるまではないことを知っていた。
総て太一があの世界で出会って、戦ったことがある存在だ。
どうして、と茫然とする太一に、ジュンの悲鳴が叩きつけられる。
「は、え?ちょ、ちょっと、何あれ!?何なの、あれ?」
「っ、ジュンさん?」
「え、太一くんも見たよね?炎の巨人みたいのとか、おっきな蛇みたいのとか!」
「……ジュンさんも、見えるんですか?」
「え?ってか普通に映ってたじゃん!すぐ消えちゃったけど!何でアナウンサーもカメラマンも、何も言わないわけ!?」
今年の夏は、地球全体がおかしかった。
東南アジアでは全く雨が降らず、水田が枯れ、中東では大雨による洪水が発生。
アメリカでは記録的な冷夏となった。
サマーキャンプにいた太一達は、何も知らなかった。
それが、誰も知らない世界での、冒険の始まりになることを。
でも今は違う。太一は、知っている。
あれは、あの生き物は、自分達とは異なる世界で、確かに存在している。
夢や幻なんかでは、決してない。
だって太一のコロモンは、ここにいる。
2人前のオムライスを完食し、小ぶりなスイカを1玉近くペロリと平らげ、先ほどまでご満悦で寝転がっていた、勇ましい相棒はここにいる。
つまりテレビに映り込んでいた“在れ”も……デジモン達も、いるのだ。
太一とジュンとコロモン以外に見えていない、という条件ではあるが。
「あれは……メラモンと、シードラモンと、ユキダルモン、です」
「メラ……え?」
「こいつ……コロモンと同じ生き物です。デジモン。デジタルモンスター。デジタルワールドって言うところに住んでいる、俺達と同じ、生き物です」
「……太一くん?」
「行かなきゃ……」
「え?」
「俺、行かないと。デジタルワールドに、戻らないと」
ニュースを見て、太一は理解した。
まだ終わっていないのだ。
デジタルワールドを巣食う闇は、まだ晴らせていないのだ。
そうだ、ゲンナイさんも言っていたではないか。
デビモンもエテモンも、デジタルワールドを覆っている闇のお零れを、頂戴しただけに過ぎないって。
光を、闇すら飲み込まんとする強大な暗黒から零れ落ちた力を、利用しただけだって。
元凶たる暗黒がまだ蔓延っているのに、こんなところでぐずぐずしている暇はないのだ。
ズボンにつっかけていた白い機械、デジヴァイスを手に取る。
見下ろす。うんともすんとも言わないデジヴァイスに導かれて、太一達はデジタルワールドへと旅立った。
どうやって行けばいいのか、皆目見当もつかないが、このデジヴァイスがキーになるはずだ。
『タイチ……』
「コロモン、何とかデジタルワールドに戻る方法を考えようぜ。早いとこ皆と合流しないと……」
あそこには、まだ妹もいるのだ。
パートナーのテイルモンがいるとは言え、まだ幼い小学2年生。
治や空が護ってくれているとしても、自分の妹は自分で護りたい。
「考えろ……考えろ……どうやってデジタルワールドに行く……?ここからじゃキャンプ場は遠いし……」
『ぼくがしんかして、つれてったげようか?』
「それは駄目だ。ここじゃあデジモンって言う生き物は、間違いなく怪物扱いされる。こんな都会のど真ん中で進化なんかしたら、大騒ぎどころじゃない。俺もお前も捕まっちまうぞ」
『じゃあどおするのぉ~』
「それを今考えてんだよ!」
くそっ、治がいてくれたら、すぐにいいアイディアを提案してくれるのに、と太一はその場をぐるぐる回りながら、必死に考える。
自分が何処にいるのかなんて、太一の頭からはすっぽーんと抜けていた。
「……パソコン」
「え?」
数分程経った頃だろうか、そんな言葉が聞こえてきたのは。
コロモンと2人で声がした方を見れば、困惑気味の表情を浮かべながらも、真っすぐ太一を見つめているジュンがいる。
「よく分かんないけど、コロモンも、あのテレビに映ってた怪獣も、デジモン……デジタルモンスターって言うんでしょ?で、そのコロモン達はデジタルワールドってとこに住んでる……デジタルって言うぐらいだし、パソコンが何か関係してるんじゃない?」
「……それだ!」
言われて思い出した。
確かゲンナイさんは、デジタルワールドはパソコンを介して現実世界と繋がっている、と言うようなことを言っていたはずだ。
太一はジュンにパソコンがあるかどうかを尋ねると、こっち、とだけ言ってテレビの横にある扉を差す。
八神家の間取りなら、父親の書斎がある部屋だ。
ジュンに案内されて通された部屋は、八神家と同じく本宮家の父親の書斎になっていた。
買ったばかりと思われる、埃を被っていないパソコンの電源を、ジュンは慣れたようにつける。
時々学校の宿題で調べものをする際に、父のパソコンを拝借することがあるので、ある程度の知識はあるそうだ。
幾つかのアイコンが並ぶモニターを覗き込む。
……ここからどうする?
太一は再度硬直する。
根っからのアウトドア派の太一は、パソコンなんて学校の授業で、しかも治や空が隣にいる状態でしか操作をしたことがない。
父親のパソコンは父親の許可が下りて、ネットサーフィンをすることしか出来なかった。
光子郎はケーブルとデジヴァイスを繋げて、何やら操作していたが、機械音痴で物をぞんざいに扱ってぶっ壊す名人の太一では、どうこうすることも出来ない。
早速詰んだ、と太一は頭を抱えかけて……は、と何かに気付いた。
それまで物言わぬガラクタとなり果てていたデジヴァイスが、突如として動き出した。
ピコピコピコ、と独特の電子音を響かせ、小さなディスプレイにデジ文字の羅列が次々と表示されていく。
何だ何だ、とコロモンとジュンと呆気にとられていると、今度はパソコンに異変が起こった。
白い光を数秒ほど発すると、青緑色だったモニターに人の顔が映し出されたのである。
《太一!?》
「っ、ゲンナイさん!!」
モニターに映っているのは、父親と同年代程の青年。
協力者であり、自分達をあの世界に呼び寄せた元凶の、ゲンナイだった。
太一の無事を知ったゲンナイは、目を見開かせ、そして安堵の表情を浮かべている。
《どうやら無事だったようだな》
「ゲンナイさん!俺、今俺達の世界にいて、何とかそっちに戻りたいんだけど、でもどうすりゃいいのか……!」
《落ち着いて。大丈夫だ。デジヴァイスは持っているね?それをパソコンにかざすんだ。少し無理やりだが、ゲートをこじ開けてこちらに繋ぐことはできるから》
「そ、か。戻れるんだな?ならいいや」
『ねえねえ、ゲンナイさん!』
《おお、コロモンか。メタルグレイモンに進化したのだから、そりゃいつもよりパワーは消費するな。怪我とかはしていないかい?》
『ぼくならだいじょうぶだよ!それよりゲンナイさん。そっちどうなってるの?エテモンは?ガブモンたちはぶじ?』
《ああ、エテモンなら君達のお陰で、時空の歪に飲まれて消えてしまったよ。今頃デジタルワールドでも人間界でもないところを、彷徨っていることだろう。君達は運が良かった。下手をしたら日本どころか、地球でもないところに飛ばされていたかもしれなかったんだから》
「おい、おっさん。聞いてねぇぞ、そんな話」
《おっと、失言だったようだ。さて、こちらは何とかゲートを開いたよ。準備はいいかい?》
「今の話聞いた後で飛び込みたくねぇんだけど……」
「……太一くん」
は、と太一とコロモンは硬直する。
ゲンナイとコンタクトを取れた安堵感で、またもやジュンのことが頭からすっぽ抜けていた。
デジモンとデジタルワールドのことは軽く説明したが、緊急事態だったために本当に触りの部分しかジュンに説明できていないのだ。
キャンプに行ったはずの後輩が、生きている変なヌイグルミと共に戻ってきて、ご飯を作ってくれたかと思ったら、デジモンだのデジタルワールドだの、大輔やヒカリのような下級生がギリギリ許されるような、メルヘンチックな言葉を口にして、パソコンを貸してくれと血相を変えて詰め寄ってきたのだから、ジュンとしては訳が分からないだろう。
コロモンのことをあっさりと受け入れてくれたから、今更隠すのも何だかなぁと唸っていると、やがてジュンの方から、ふう、という溜息が漏れたのが聞こえた。
「……君が何をしようとしてんのか、そのコロモンとか、さっきのデジモンとかデジタルワールドだとか、色々聞きたいことはあるけど、今はやめとくわ。何か緊急事態みたいだし。だからさ、これだけ教えて」
大輔は、無事?
ジュンは真っすぐ太一を見やりながら、そう尋ねてきた。
「アタシはキャンプに行ってないんだから、何があったのかなんて知らないし、知る由もないわ。でも、それ。コロモン。喋るヌイグルミで誤魔化せばいいのに、太一くんはホント嘘つくの下手だよね」
「あ、いや、えっと」
「ま、誤魔化したところで、あの食欲じゃあすぐにバレてたかもだけど」
「うぐ」
痛いところを突かれた太一は、しょっぱい顔を浮かべるしかない。
仕方ないだろう、コロモンに人間の世界のことなんか教える暇もなく帰ってきてしまったのだし、自宅に戻る気満々だったし、そもそも家に入れなかったし。
それを差し引いても、ジュンの順応性は高すぎだろうとは思うが。
「今日はキャンプ1日目で、今頃みんなで作ったカレー食べてる頃のはずでしょ?サッカー部で大輔や治くんと話題にするぐらい、太一くんも楽しみにしてたのに、そんなキャンプほっぽって家に帰ってくるとは思えないし。忘れ物したってんなら、まあ分からなくもないけど、この時間に取りに帰ってくる?ってか小母さんなら、忘れ物したーなんて言おうもんなら、自業自得だって返すでしょ」
「………………」
「それでも太一くんがここにいるってことは、何かあったって考えた方が自然じゃない?」
違う?とジュンは笑った。はあ、と太一は溜息を吐いた。
完敗である。1歳しか違わないとはいえ、この短時間でそこまで見抜かれてしまっては、もう誤魔化しようがないだろう。
そもそもコロモンのことがバレた時点で、詰んでいるのだ。
あの場で追及されなかったのは、ジュンが色々と察して空気を読んでくれたからである。
大人には内緒にしておきたいことがあるのなら、子どもなら考えることは一緒だ。
このコロモンはどう見ても、大人には言えない代物だろう。
それならば、言及すべき点は、それだけだ。
「全部言わなくていいわよ。でもこれだけは聞いておきたいの。大輔は無事なのかどうか。太一くんなら分かるでしょ。もし逆の立場だったら、ヒカリちゃんが無事かどうか、知っておきたいでしょ?アタシはこれでも大輔の姉ちゃんなんだから」
「……ズルいなぁ、ジュンさん」
そう言われてしまっては、仕方がないではないか、と太一は自嘲する。
ジュンの言う通り、自分がサマーキャンプに行かずに、ジュンがコロモンを連れて帰ってきていたら、まず真っ先に何かあったのか考え、ヒカリの安否を問うだろう。
自分の知らないところで、ヒカリが知らない世界へと旅立っていたら、太一なら自分も連れていけとジュンに無茶を言うに違いない。
ならば、ちゃんと言おう。
総てを打ち明けるには時間が足りないが、これからのためにも、ちゃんと言っておいた方がいいに決まっている。
……どう頑張ったって、ジュンは“あっち”には行けないのだから。
「とりあえず無事、ですかね。今ちょっとはぐれちゃったんで、何とも言えないんですけど。少なくとも護ってくれる奴はいるんで」
「このコロモンみたいなの?」
「……分かるんですか?」
「分かる、って言うか……まあ、少なくとも只者じゃないでしょ、この子」
動物図鑑にも載っていなさそうな、不思議な生き物。
まるでボールに入れば、ポケットサイズになっちゃうモンスターみたいな見た目なのだ、ただただ可愛いだけではないのは何となくジュンにも分かる。
「とりあえずって言う言い方が何か気になるけど、まあ言及はしないでおこうかしらね。大きな怪我してないんなら、それでいいわ」
太一の言葉で色々と察してくれたジュンは、これ以上の言及はしないでくれた。
ジュンにとって大切なのは、弟が無事なのかどうか、それだけなのだ。
どうやら太一と弟には、何か大きな使命があるようだし。
「……大輔のこと、よろしくね」
今のジュンでは、大輔に何があっても駆けつけて助けることが出来ない。
護ってやれない。
太一とコロモンと、モニターに映る男性との会話で、自分は駄目なのだと思い知らされたのだ。
自分ではどうすることも出来ないのだ。
何とかしてくれるのは、今のジュンが頼れるのは、目の前にいる1つ下の後輩だけなのである。
悔しいけれど、ジュンはぐっと我慢した。
唇を噛みしめて、自分も連れていけと言い出したい胸の内を必死で抑えながら、ジュンは振り絞るようにそう言った。
太一には、痛いほどにジュンの気持ちが分かる。
本当ならデジタルワールドに、一緒に連れて行ってやりたい。
大輔の無事を、ジュン自身で確認させてやりたい。
でもそれは出来ない。
ジュンは選ばれし子どもではない。
デジヴァイスもなければ、パートナーデジモンもいない。
大輔を護る術がないのだ。
大輔も、今自分自身を護る術を持たない。
パートナーであるブイモンは、昔の恐ろしい記憶を引っ張り出され、心が壊れてしまい、戦うことが出来なくなってしまった。
一緒に飛ばされた仲間達がいるとは言え、仲間のデジモン達が最優先すべきは、自分達のパートナーだ。
いつでも大輔を護ってやれるとは限らない。
「…………はい」
それでも、誰かがやらねばならない。
身を護る術がない大輔を護り抜き、ジュンの下に返してやらなければならない。
きっとそれができるのは、太一だけだ。
大輔の先輩として、ジュンと同じく護るべき妹がいる兄として……そして、ジュンとのこの約束を果たすため、太一は唇を引き締めながら頷くこと以外、許されなかった。
「すみません、ジュンさん。突然来て、ご飯奢ってもらっちゃった上に、何も説明できなくて。お金は帰ってきたら払います」
「別に気にしなくていいよ?」
「そうはいかないっすよ。殆どコロモンが食べちゃったんだし」
何の遠慮もなくお昼ご飯を食べさせてもらったが、そのお金を払ったのはジュン、本宮家のお父さんが汗水たらして稼いだお金だ。
のっぴきらない理由があったとは言え、ジュン1人分のお昼と誤魔化すにはお金を使いすぎた。
ジュンは自分のお小遣いから誤魔化しておく、と言ったが、それでは太一の気が済まない。
だから、無事に冒険を終えて帰ってきたら、必ず返すと一方的に約束をさせてもらった。
「……俺が帰らなきゃいけない理由ができました。ジュンさん、待っててください。大輔は俺が必ず無事に連れて帰ってきます」
「……うん、よろしく」
デジヴァイスをパソコンに向ける。
目も開けられない程の眩い光が、パソコンのモニターから発せられた。
光が消え、ジュンが眩む視界から復活した時には、もう太一とコロモンの姿はなく、パソコンのモニターも通常のものとなっていた。
「……行ってらっしゃい」
祈るような言葉は、太一にはもう届かない。
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