ナイン・レコード   作:オルタンシア

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狭間の世界

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ぽーん、と空に放り出されたみたいな感覚だった。

本宮家のパソコンから無事、デジタルゲートを潜れた太一とコロモンは、突然の浮遊感に狼狽える。

え、何、まさかデジタルワールドの上空に投げ出されたんじゃないよな?って、白い光で眩んでいた目を開ければ、眼前に広がるのはパステルカラーのマーブル模様。

え、と太一とコロモンは硬直する。

放り出された勢いのまま、重力も風圧も何も感じることなく、太一とコロモンはマーブル模様の空間を泳ぐように飛ばされていく。

止まりたくとも太一とコロモンの身体は落ちることもなく、真っすぐ飛ばされていくせいで、どうにもならない。

何とかならないかと両手足をジタバタさせるが、飛ばされながら身体が回転するだけで抵抗にもならなかった。

タイチィ~!って情けない声を出しながら、コロモンの丸い身体は太一の倍の速さで回転している。

 

「どうなってんだよ!ってかここ何処だよぉ!」

 

初めて飛ばされた時とは、何か様子が違った。

あの時は虹色だったり真っ暗だったりと、とにかく不思議な空間ではあったが、こんなパステルカラーではなかったはずだ。

てっきり初めての時のような空間に飛ばされていくものだと思っていた太一は、訳が分からない。

とりあえずこのままだとコロモンとはぐれてしまいそうなので、回転しているコロモンを掴もうと必死に手を伸ばす。

上下も左右もない空間で、何処をどう向けばいいのか分からなくなったコロモンは、ただ回転していることだけは理解して、ピンクの顔を青くさせながら、おええええとか言っていた。

ここで吐くなよ、と祈りながら伸ばした腕は、悪戦苦闘しながらも何とかヒラヒラの触覚を掴み、引き寄せる。

持ち前の運動神経で何とか体勢を整えた太一は、目をぐるぐる回しているコロモンをその腕に抱きながら、空間を泳ぐ。

 

「コロモン、ここ何処だ?」

『わかんない~……』

 

コロモンに問いかけるも、まだ目をぐるぐるさせているせいなのか、自分が何処にいるのか分かっていないコロモンは、質問に答えることが出来ない。

頼りねぇなあ、と苦笑しながら見下ろしていたら、目を回していたコロモンが突如として正気に戻り、赤い目で正面を睨みつけた。

コロモン?と太一が声をかけると同時に、コロモンは太一の腕を飛び出し、アグモンへと進化する。

進化をして、身体の面積が広くなった抵抗力なのか、進んでいたアグモンの身体が漸く止まった。

後ろにいた太一も、アグモンの背中に受け止められる形で止まる。

本宮家でオムライス2人前と、小ぶりのスイカ1玉を平らげたお陰だろうか。

だが翠に変化したその目は、鋭く前を見据えたまま逸らさない。

もう2ヵ月近くもアグモンと一緒にいたから分かる。

これは、敵意を持った者が近づいている証拠だと。

パートナーの子ども達を護るためにいるデジモン達は、子ども達に敵意や殺意を向ける者には容赦がない。

敵が近づいてきているのだと悟った太一は、デジヴァイスを握りしめ、アグモンと同じように前を見据える。

ほぼ同時に、前方から高エネルギーの球体が飛んできた。

危ない、とアグモンは後ろにいる太一を横に突き飛ばし、その反動を利用して自分もその場から離れる。

ひゅーん、と高エネルギーの球体は、太一とアグモンの間を通り過ぎていく。

何だ、と思う間もなく、前方から幾つも同じ球体が飛んでくる。

避けることが出来ないぐらいに飛んできた球体に、アグモンの身体が再び光った。

 

『メガフレイム!!』

 

大きな炎の球体が、飛んできた球体を丸呑みにする。

しかし総てを葬ることは出来ず、幾つか取りこぼした球体が、スピードを緩ませずに迫りくる。

グレイモンはその巨体で、咄嗟に太一を庇い、球体を受け止めた。

幾つもの爆発を起こしてぶつかった球体は、グレイモンの巨体を後退りさせる。

 

『ぐっ……!』

「グレイモン!大丈夫か!?」

『ああ……!』

 

よろめいたグレイモンだったが、背後にいる太一を護るべく、(かぶり)を振って気を引き締める。

攻撃を受けて分かった。このエネルギー体は、完全体レベルのものだ。

何者かが明確な殺意を持って、グレイモンと太一を狙っている。

ぐるる、とグレイモンは殺気を抑えずに唸り、前方を睨みつけた。

 

『ほーっほっほっほっほ!』

 

嫌に耳につく高笑いが聞こえたのは、その時だ。

来るか、とデジヴァイスを握りしめた太一の眼前に現れたのは、下半身に幾つもの長く太いコードに絡ませ、上半身は猿の着ぐるみのような姿をした、太一達の敵だったもの。

 

『ここが何処だか、教えてあげましょうか?』

 

何で、と太一とグレイモンの目が見開かれる。

 

『ここはお墓よ。アンタ達のね!!』

 

ここにいるはずがない。だってあいつは、進化したメタルグレイモンが倒したはずだ。

 

「何で……何で、お前がここに……!」

『エテモン!』

『ほーっほっほっほ!ばぁっかじゃないの、アンタ達!』

 

敵は、エテモンは嗤った。

 

『このアチキが!スーパースターたるこのアチキが!あの程度で死ぬわけないでしょ!地獄の底から這いあがってやったわよ!アンタ達を道連れにするためにね!』

「くっ!」

『させるか!メガフレイム!』

 

掌に先ほどと同じ高エネルギーを集め出したので、グレイモンは技を放ってそれを阻止しようとした。

しかし相手は完全体、成熟期のグレイモンの技など、当たっても意味がない。

世代の差は、どれだけ数を揃えても埋められないのだ。

そうでなくとも、今ここにいるのはグレイモンだけなのだ。

相手と対峙するには、メタルグレイモンに再び進化するしかない。

先ほどジュンの家で沢山ご飯食べたし、いけるか、と太一はデジヴァイスを握り直すが、エテモンはそれを見逃さなかった。

 

『おぉーっと!そうはさせないわよ!ダークスピリッツ100連打!!』

「うわっ!」

『ぐっ!!』

 

両手を交互に動かして、技を連発しながら太一達が進化をする隙を与えない。

グレイモンは太一を抱き込むようにして背中を向け、連打される球体を受けることしか出来なかった。

 

「グレイモンッ!くそ、卑怯だぞっ、エテモン!」

『ほーっほっほ!何とでも言いなさい!!これはアチキの復讐よ!!アンタ達選ばれし子どもを確実に倒すためなら、何だってするわ!!アチキをこんな目に合わせたこと、絶対後悔させてやる!』

 

ドン、ドン、ドン、ドン!!

 

爆発音が絶え間なく聞こえてくる。

技が当たる度に、グレイモンの身体が震える。

ダメージは蓄積していくばかりで、反撃する隙すらない。

このままではデジタルワールドに戻るどころか、こんな訳の分からない場所で、誰にも知られることなく朽ち果てることになる。

 

──嫌だ、ジュンさんと約束したんだ。大輔をよろしくって、頼まれたんだ。絶対にジュンさんの下に連れて帰るって、決めたんだ。こんなところで……!

 

一筋の風が、吹いた気がした。

 

 

 

──冥府の沼──

 

 

 

ドプン、とエテモンの下半身が沈む。

何もない、パステルカラーのマーブル模様が上下左右に広がっているだけの空間に、突如として現れたのは、まるで夜の闇のような沼だった。

ぎゃっ、とエテモンは沼に身体を取られ、バランスを崩す。

それにより、絶えず放たれていた攻撃が止む。

濛々とグレイモンの背中から灰色の煙が上がり、痛みで呻いたグレイモンはずっと強張りながら抱き込んでいた太一を離すように脱力した。

慌ててグレイモンの陰から飛び出した太一が見てやれば、グレイモンの背中は焼け爛れたように赤く染まっていた。

 

「グレイモン!!」

『太一、グレイモンにデジヴァイスを翳しなさい』

「っ、え?」

 

ひゅ、と息を飲みながら太一がグレイモンを呼べば、聞こえてきたのはグレイモンの声ではなく、全く聞いたことのない声。

誰だ、と太一が辺りを見回すと、エテモンから太一とグレイモンを庇うように、人影が佇んでいた。

歪な白い線が引かれた黒い服、異様に長い手足、そしてシルクハットを被った、つるりとした水晶のような大きな頭部。

爆風に煽られないように、シルクハットを左手で抑え、右手は何かを握ってエテモンに突き出している。

 

「だ、誰だ……?何で俺の名前……」

『今は時間がありません。太一、自分の立場を弁えないこの大莫迦者は、このワタクシが相手をしておきますから、まずはグレイモンの治療をしなさい』

「ち、治療ったってどうやって……」

『ムッキィイイイイイイ!!何なのよ、アンタ!突然現れて正義のヒーローよろしく、選ばれし子どもなんか庇っちゃって!邪魔すんならアンタも地獄に落としてやるわよっ!!』

 

沼に身体を取られて、思うように動けないエテモンだが、それが更にエテモンを苛立たせる要因になったらしい。

額に青筋を浮かべながら、エテモンは自由の両手を交互に振り回して、先ほどのように技を放ってくる。

しかし太一を助けた謎の水晶の魔人は、ふんと鼻で笑った。

 

『残念ながら貴方の出番も役目も、もう終わっているのですよ。弾き飛ばされた亡者よ、行く末を失った悪鬼よ。いい加減、夢から目覚めなさい』

 

右手を振り上げる。

その手に持っていたのは、持ち手が髑髏に彫られているステッキだった。

くるん、とバトンのように振り回し、ないはずの地面に叩きつけたような音を立てながら突き立てた。

 

バン!バン!バン!

 

水晶の魔人に当たる前に、何か目に見えない壁のようなものに技が当たって弾け飛ぶ。

涼しい顔をして技を防ぐ魔人に、エテモンは更に青筋を1つ増やして、壁を壊してやろうと躍起になって技を放った。

 

『さあ、太一。今の内です。デジヴァイスをグレイモンの傷に翳しなさい。聖なる光は悪しき者を苦しめ、善き者に癒しを与えるのです。傷を完全に治すことはできないでしょうが、痛みを和らげることは可能なはずです』

 

さあ、と促され、太一は言われるがままに、グレイモンの背中にデジヴァイスを翳す。

ほわ、と柔らかい光がデジヴァイスから漏れ、グレイモンの背中に当てられる。

しゅうううう、と言う音を立てて、みるみる傷が塞がっていった。

 

『う、ぅ……』

「グレイモン!具合はどうだ?」

『っ、タイ、チ……うん、少し良くなった……』

 

焼け爛れた背中の赤みは引いていたが、魔人の言う通り完璧に癒えたわけではなさそうだ。

それでも、あの魔人の援護をすることぐらいなら出来そうだ、と太一はグレイモンを叱咤して起き上がらせるが、それに待ったを魔人がかける。

 

『休んでいなさい。ここは貴方が察している通り、デジタルワールドでも人間の世界でもない場所です。貴方達にとっては半分の力も発揮できない未知の場所』

 

す、とシルクハットの鍔に手をかけ、深くかぶり直した魔人が、笑った気がした。

振り返った水晶の頭部には、目も鼻も口も、表情すらなかったのに。

 

『ここはワタクシの領域(テリトリー)。夢に溺れた愚か者は、このワタクシ、スワンプモンが成敗して差し上げましょう』

 

す、とステッキを横にして両手で持ちながら、魔人……スワンプモンは言った。

 

『ムキィイイイイイイイイイイイイッ!!何よ、何よ!カッコつけちゃって!アンタもアチキのこと莫迦にしてるんでしょ!?転んだってタダじゃ起きないわよ!アチキを地獄に送るってんなら、アンタもその子ども共々一緒に道連れにしてやるわ!!』

『残念ながら、ワタクシはウィル・オ・ザ・ウィプスなのです。貴方がワタクシを道連れにしたところで、門番がワタクシを門前払いするでしょうねぇ』

『訳わかんないこと言って、煙に巻こうっての!?そうはいかないから!』

『やれやれ、これだから教養のない脳筋は……まるで見境のない猿のようではないですか。おっと、失礼。貴方は猿でしたね』

『キィイイイイイイイイッ!!もーう許さない!!謝ったって遅いんだからね!!』

 

エテモンはすっかりスワンプモンのペースにはまっている。

幾つもの青筋を浮かべながら、出鱈目に技を放つが、スワンプモンは飽くまでも涼しい表情を崩さない。

どのぐらい経ったか、あれだけ激しく鳴り響いていた轟音と、エテモンの雄叫びは勢いを失くしていく。

ぜえ、ぜえ、と息を切らし、肩で呼吸をしていたエテモンが見たのは、傷1つ負っていないスワンプモン。

 

『──……終わりですか?』

 

地の底から這いあがってくるような、冷ややかな声色。

太一とグレイモンは息を飲み、エテモンはたじろいだ。

 

『なっ、何よ……何なのよ、アンタ!このアチキの攻撃を食らって、無事で済むわけ……!』

『先ほどの光景をもうお忘れで?ワタクシには貴方の術を総て弾く術があるのです。貴方は無駄にエネルギーを消費しただけですよ』

 

バリアを解いたスワンプモンは、ないはずの地面を蹴る音を立てながら、エテモンに歩み寄っていく。

エテモンは未だ、沼にはまったまま動けない。

 

『アチキはっ……!アチキはスーパースターよ!世界を統べる王なのよっ!こんなところでくたばってたまるもんですか!!』

『まだ気づかないのですか、愚か者。言ったはずです、貴方の役目も出番も終わったのだと。“ここ”にいる時点で、貴方にはもう戻れる術はないのですよ』

 

コツ、コツ、コツ。

みっともなく悪あがきをするエテモンに、スワンプモンは冷たく言い放つ。

そう、“この場所”にいる時点で、“スワンプモンがここにいる時点で”、エテモンは敗けているのだ。

“ここ”は、“そう言う場所ではない”から。

 

『さようなら、目醒められなかった愚か者。貴方に“次”はありません』

 

タンッ、と軽やかなステップを踏んだスワンプモンの身体が、高く高く浮かび上がる。

持っていたステッキの先端を上に向けたかと思うと、まるで何かを落とすように振り下ろした。

 

 

 

火雷(ほのいかづち)(やり)

 

 

 

ピシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!

 

 

 

うわ、と太一とアグモンは、暴力的な眩さと、身体を震わすほどの衝撃に咄嗟に目を瞑り、耳を塞ぐ。

それは、ほんの一瞬の出来事だった。

振り下ろされたステッキの先端に導かれるかのような、あるいは白いキャンパスを真っ二つにするように描いたような、大きな大きな雷がエテモン目掛けて落ちてきたのだ。

たった一瞬だった。太一とグレイモンが目を閉じ、耳を塞いだほんの一瞬の出来事だった。

恐る恐る目を開ければ、そこには衝撃を受けて少し抉れている沼だけで、エテモンの姿は何処にもなかった。

粘着性の泥は、雷が落ちた衝撃で抉れているも、徐々に平らに戻っていく。

見ておらずとも総てを察した太一は、ぞっとしながらも助けてくれたこともあって、素直に礼を言った。

口元は若干引きつっていたが、スワンプモンはいえいえと穏やかな口調で返してきた。

 

『間に合ってよかった。ワタクシめがいない隙を狙ったのでしょうね。そうでなければ、今頃太一達はここにはいない。暗黒の勢力は思っている以上に力をつけていますね。まさかこんなところにまで干渉してくるとは……』

「どういうことだ?そもそもここって何なんだ?」

『僕達、デジタルワールドに帰りたいんだけど……』

『大丈夫。ワタクシが送って差し上げます。ここが何処かも、説明させていただきますとも。さあ、2人とも。ワタクシに捕まって』

 

太一と、戦闘が終わったことで退化したアグモンは、両腕を差し出してきたスワンプモンの腕に左右それぞれ捕まった。

それを確認したスワンプモンは、行きますよ、と声をかけて音もなく泳ぐように前方へと移動し始めた。

その際、エテモンを拘束するために現れた沼を放って移動し始めたので、太一はあれいいのか、と訊ねたが、いつか消えるでしょう、と言う何とも無責任な答えが返ってきたので、太一は半目になってスワンプモンを見やった。

おっと、今はそれどころではない。

 

「それで、お前は誰なんだ?何で俺の名前を?」

『ここって何処なの?何でエテモンはここにいたの?知りたいことだらけで、僕達何を聞いたらいいのか、もうよく分かんないよ……』

『ええ、ええ。順を追って説明しますとも。まず、先ほども言いましたが、ワタクシはスワンプモンと言います。挨拶が逆になってしまいましたね。初めまして、太一、アグモン』

 

スワンプモンは語る。

ここは何処でもあり、何処でもない場所。狭間と呼ばれる場所なのだそうだ。

狭間と言うのは、沢山存在している世界と世界の間にある隙間のようなもので、誰でも気軽に入り込めるものではないらしい。

隣り合っている世界に出来た隙間はとてつもなく重く、生身の人間が立ち入れば一瞬でぺちゃんこになってしまうとのことだった。

ぺちゃんこになる、と聞いて青褪めた太一とアグモンだったが、太一達はデジヴァイスの恩恵でそれを免れているらしい。

何でもありだな、と太一は半目になった。

 

『じゃあスワンプモンは何で潰れないの?』

『ワタクシはここで生まれたようなものですからねぇ』

『そんなもん?』

『ええ、そんなもんです』

 

何だかはぐらかされている気がするなぁ、と思ったが太一は何も言わないでおいた。

 

『次に、何故貴方方を知っているか、でしたね。ワタクシはこの狭間から、沢山の世界を垣間見ることが出来るのです。色々な世界がありました。平和な世界、争いが絶えない世界、貴方方のような生き物と人間が共存している世界、科学が発達している世界、終わってしまった世界』

「……世界ってそんなにあるんだな」

『そっか。色んな世界を見てるってことは、僕達の世界もそうやって見てたんだね?』

『ご明察です』

 

声が弾んでいるのは、気のせいではないはずだ。

 

『それから何故太一達がここにいるか、ですが、先ほど言ったように暗黒の勢力は、こちらが思っている以上に力をつけてきている。世界の救世主たる選ばれし子どもと言うのは、あちら側にとって非常に都合が悪い存在です。なのでデジタルワールドに戻ってこられないよう、ゲートに干渉して貴方方をこちらに迷い込ませようとしたのでしょう』

「ここに迷い込むとどうなるんだ?」

『何も』

「え?」

『どうしようもできません。貴方方はデジヴァイスの恩恵で潰されることはありませんが、ここではデジヴァイスの導きも通用しない。戻ることも進むことも出来ず、永遠にこの狭間を彷徨うこととなっていたでしょう』

『ず、ずっと?ご飯も食べられないってこと?』

『ここは常に時間が進んでいると同時に、止まっているのです。お腹がすくことも、生理現象もない代わりに、死ぬことも生きることも出来ない』

「は……?死ぬことも生きることも出来ないって……結局どっちなんだよ?」

『ふふふ、子どもには少々難解でしたね。簡単に言えばここから出る術はない、ということですよ』

『ええーっ!?じゃ、じゃあどうやって戻ればいいの!?』

『言ったでしょう。ワタクシはここで生まれた。言わばワタクシの故郷です。何処に向かえばいいのかなど、ワタクシには朝飯前ですよ』

 

迷うことなく進んでいくスワンプモン。離れたらお終いだ、と太一とアグモンはスワンプモンの両腕にしがみつく力を込める。

 

「そ、そうだ。エテモン!エテモンのことも聞きたかったんだ!」

『僕達が倒したはずなのに……』

『おやおや、アグモン。貴方ともあろう方が。デジモンが死んでしまうとどうなるか、お忘れですか?』

『え?えーっと』

「どういうことだ?」

『エンジェモンの死を見ていたなら、太一も多少は知っているでしょう。デジモンと言うのは、緻密で重たいデータの塊。死んだデジモンはデータの粒子となってダークエリアに送られ、そして生まれ変わる。さて問題です。あのエテモンは一体どういう結末に至ったでしょうか?』

 

問われて、考える。

メタルグレイモンの技と、エテモンから発せられていた濃厚な闇の力がぶつかり合って、変な歪みが生まれた。

その歪みに吸い込まれて、太一達は人間界へと戻っていった。

あの時、歪みの発生源となったのはエテモンだ。つまり……。

 

「……エテモンも歪みに吸い込まれていた。死んだわけじゃなかったんだ」

『正解です』

 

顔がないはずのスワンプモンが、笑った気がした。

 

『貴方方と対峙した際は正気を失っていましたが、狭間に吸い込まれた衝撃だったのでしょうかねぇ。エテモンは意識を取り戻し、貴方方を執拗に狙っていた。げに恐ろしきは執着と復讐心です。本当に愚かしい……』

 

下手をすればこの空間に閉じ込められるだけでなく、あのエテモンに殺されていたかもしれない。

容赦も情けもない敵の仕業に、太一の背筋が凍った。

……太一達の戦いは、まだまだ続きそうだ。

 

『……おっと、お二方。残念ですが質問タイムはここまでのようです』

 

スワンプモンの言葉に、太一達の視線が前に向けられる。

目の前で柔らかく白い光が、大きく口を開いていた。

すう、と浮かび上がったのは、逆さまになったピラミッド。

ナノモンがヒカリ達の紋章を守護し、エテモンを倒すためにグレイモンが進化した、あの場所だった。

やっと戻れた、と太一とアグモンは安堵の息を吐き、その光に向かって泳ぐ。

するり、と太一とアグモンがしがみついていたスワンプモンの腕が、流れるように解かれたのは、その時だった。

 

「……スワンプモン?」

 

あれ、と太一は止まる。

少し遅れてアグモンも止まり、振り返る。

ここまで案内してくれたスワンプモンは、光の中に飛び込もうとしている太一達を見守るように佇んでいる。

太一達と一緒に行こうとはしなかった。

 

『すみませんね、お二方。ワタクシはここまでです』

「え、一緒に来てくれないのか?」

『ええ。ワタクシにはやらねばならぬことがあるので』

『やらなきゃいけないこと?』

 

アグモンが首を傾げながら質問すると、歪な線が走ったスーツの懐に手を入れる。

す、と壊れ物を扱うように優しく、そしてゆっくりと取り出したのは、淡く輝く青い光。

掌ほどの大きさの青い光を、太一とアグモンはまじまじと見つめる。

……どういう訳か、太一はその青い光が泣いているように感じた。

 

『これ、何?』

『…………この子は』

 

スワンプモンの声のトーンが、少しだけ下がったような気がした。

 

『この子はね、ただ会いたかっただけなのです。会いたいと願い、その願いが強すぎて、世界から弾き出されてしまった、可哀想な子なのです』

『?世界から弾き出された?って、どういうこと?』

『……例えば、世界を破壊しようとする存在がいたとしましょう。大勢の命を奪い、その命が住まう世界を壊そうとする者です。貴方方の世界だと、それに見合う罰は何だと思いますか?』

「……俺達の世界じゃあ、まず間違いなく死刑、かな」

『僕達の世界なら……二度と生まれ変われないかも』

『そうですね。でもこの子はそんな罰すら軽く見られるほどの罪を犯してしまったのです。だから二度と生まれ変われない代わりに、二度と死ねないこの狭間に放り出されてしまった……』

「……何だよ、それ」

 

会いたいと願っただけなのに、その願いが少し強かっただけなのに、それなのにそんな酷い罰を受けなければならないなんて、そんなのおかしい。

太一の拳が強く強く握られる。

スワンプモンは太一の気持ちが痛いほどに分かり、そしてその肩にそっと反対の手を添えた。

 

『太一、大丈夫。確かにこの子は罪を犯し、世界から弾き飛ばされてしまいました。だからワタクシが、この子が会いたがっている者のところに連れて行くのです』

「………………」

『前にも、世界から弾かれた命を運んだことがありました。その時も、ちゃんと送り届けることができました。今度もちゃんと見つけて、その方の下に大切に送り届けます』

 

今にも泣き出しそうな太一とアグモンを交互に見やった後、スワンプモンは太一達の方を向いたまま、すーっと後ろに下がった。

 

『さて、ここでお別れです。太一、アグモン。子ども達を最後まで導いてやってください。貴方方が先を走ってくれるから、子ども達も安心して走ることが出来る。ワタクシはいつでも、貴方方の無事を祈っております』

「……分かった」

『………………』

 

唇をきゅっと引き締め、何かを堪えながら、太一は振り絞るようにそう言った。

せっかく知り合えたのに、助けてくれたのに、仲間達に紹介することが出来ないのは残念だ。

でも太一にやらなければならないことがあるように、スワンプモンにもやらなければならないことがある。

太一はくるりと背を向け、光の中に飛び込もうとした。

 

『アグモン?』

 

じ、とスワンプモンの掌の光を見つめていたアグモンは、徐にスワンプモンに近寄り、その光に手を伸ばす。

青い光が、少しだけ怯えたように震えた気がした。

 

『……大丈夫』

 

目を閉じ、その光に顔を近づけながら、アグモンは囁いてやる。

 

『きっと会えるよ。どれだけ時間がかかっても、諦めないで。僕だってタイチに会えたんだ。君もきっと会えるよ。僕信じてる……君も、僕やタイチや、スワンプモンを信じて』

 

それは、無責任な言の葉なのかもしれない。

必ずという確証はない、絶対と言う保証はない。

諦めないで何て言えるのは、希望を簡単に捕まえられた者の、とてつもなく軽い言葉だ。

……それでいて、とても力強い言葉だ。

アグモンの背中を茫然と見ていた太一だったが、やがてアグモンの肩を抱くように近づいてきた。

 

「……俺も信じてる。世界から弾かれちまうほど、強く願ったんだろ?だったらもう誰も、お前を責めないよ。もしお前のこと責める奴がいたら、俺達でとっちめてやる。なあ、アグモン?」

『勿論だよ!……だから大丈夫。安心して』

『……ありがとう、アグモン、太一。貴方方は本当に優しい子だ』

 

自分達も大変なのに、こうして他人を思いやれることが出来るのだ。

きっと会える、きっと救える。

強い思いを具現化するのが、デジタルワールドなのだから。

 

『さあ、もう行きなさい。ワタクシも行きます。願わくば、もう二度と会うことのないように。ここは本来、誰も見ることのできない狭間なのだから』

「淋しいこと言うなよ、スワンプモン」

『僕達はもう仲間だよ!』

『…………ありがとう』

 

今度こそ、太一達は光の中に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

広大な砂漠と、逆さまのピラミッド。

太一とアグモンは、それをしばらく見上げた後、恐る恐ると言った様子でピラミッドに近づいた。

デジタルワールドで何日過ごしても、現実世界では数分しか経っていないと、ゲンナイは言っていた。

逆に言うと、現実世界で過ごした数時間は、デジタルワールドでは何か月も経っている、ということだ。

仲間達は、妹や後輩達は、無事だろうか。

人間界に帰ってきた時と似たような心情に見舞われた太一の額には、冷や汗が大量に流れている。

タイチ?って何も考えていないアグモンは、黙り込んでしまったパートナーを見上げた。

何でもねー、って(かぶり)を振り、仲間達に罵倒される覚悟を決めた太一は、景気づけに頬を両手で叩いた。

 

「……うし、行くぞ、アグモン」

『?うん!』

 

しかし太一の覚悟は、あっさりと打ち砕かれることとなる。

ピラミッドに近寄った途端、外の監視カメラから見えたのだろう、ゲンナイの大きな声が聞こえてきた。

数分程して、ロップモンとヒカリとテイルモンが、ピラミッドの外に出てきた。

ゲンナイから言われたのだろう、妹は顔を真っ青にさせて、走ってきたのか息を切らして、茫然とピラミッドの入り口に佇んでいた。

 

「……おにい、ちゃん?」

「おう」

「お、にい、ちゃ」

「おう」

「………………お兄ちゃんっ!!」

 

うるうるうる、とヒカリの赤い目に浮かぶ水だまり。

ギョッとなった太一が慌ててヒカリを宥めようとしたが、ヒカリの方が早かった。

ボロボロと大量の涙の粒を零して、ヒカリはだっと駆け出して、太一に抱き着いた。

大声を出して泣き喚くことはしなかったものの、歯を食いしばって太一の服をぎゅーって握りしめて、零れている涙を拭って、太一の存在を確かめるように抱きしめる。

いつだったか、ヒカリだけがはぐれて迷子になった時と同じ反応に、太一は目を細めた。

 

「……ごめんな、ヒカリ。心配かけた」

「っ……っ、お、にい、ちゃん……!ほんとに、おにいちゃん、だっ……!うっ、うぅ……!」

「うん、そうだよ。兄ちゃんだ」

「っ、お兄ちゃあんっ!」

 

ひきつけのようにしゃくり上げ、ヒカリは何度も兄を呼ぶ。

太一はそれを鬱陶しがることも振り払うこともなく、ヒカリの気が済むまで泣かせてやった。

抱き着く妹の頭を、背中を優しく摩り、彼女が内に秘めていたであろう、哀しみや淋しさを吐き出させてやる。

いつまでも治達が現れず、太一を罵倒したり心配したりする言葉が飛んでこないことに気付いたのは、ヒカリが泣きついてきた数分後だった。

 

「ヒカリ、テイルモン。治達は?」

「治達なら、修行の旅に出てるよ」

 

未だしゃくり上げて、上手く言葉を紡げないヒカリに変わって答えたのは、ゲンナイだった。

お帰り、と微笑んでくれるその姿に、どうやらゲンナイは先ほど太一達に何があったのか知らないらしい、と悟る。

それは後でゲンナイに伝えるとして、治達が修行の旅に出たと言うのはどういうことだろうか。

ゲンナイによれば、太一達が現実世界に飛ばされてしばらくはここに留まっていたのだが、太一達に追いつきたい治とガブモンがまずピラミッドから旅立っていった。

最年少以外の、残りの子ども達も1週間後には修行の旅に出たのだと言う。

修行の成果が出ても出なくても、2か月後には戻ってくる、という約束をして。

 

「そっか。じゃあ俺達はここで待ってた方がいいか?」

「そうだね、すれ違いになるとまずい。申し訳ないが、もうしばらく待っていてくれないか?」

 

分かった、と太一達はピラミッドの中に入る。

太一への断罪が少し先延ばしにされただけだったが、何はともあれ今すぐ罵倒されることはなさそうだ、と安堵しながらナノモンが待つ地下の管理室へと向かう。

無事でよかった、とナノモンからも労われ、なっちゃんがお疲れ様ってお水を持ってきてくれたので、遠慮なくそれを飲み干す。

僕もー、ってコップをもらって水を飲もうとしたアグモンが、あれ?って気づいた。

 

『ヒカリ、ダイスケ達は?』

「あれ?そういやいないな。ブイモン、まだ目覚めてないのか?」

 

昔の傷を思い出してしまったブイモンは、太一達が人間界に飛ばされる前から深い眠りについてしまっていた。

その後どうなったのか知らない太一達は、そう言えば先ほど修行の旅に出たメンバーに大輔達の名前が挙がらなかったことから、てっきりヒカリと一緒にピラミッドで留守番をしているものだと思っていた。

しかし太一が帰ってきた時、ヒカリは迎えに来てくれたが大輔達は来なかった。

ヒカリと同じぐらい、太一の事を好いていて、尊敬している大輔が、帰ってきた太一のお出迎えをしないのはかなり不自然だった。

 

「………………」

『………………』

 

途端に、静まり返る空間。

何故かその場にいる全員が俯いて、唇を引き締めていたから、え、あれ、俺何か変なこと言った?って太一達は狼狽える。

 

「……大輔くん達は」

 

数秒ほど静まり返った空間で、意を決したヒカリが口にしたのは…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灰色の厚い雲に覆われた空には、太陽の光が差し込む隙間などない。

やたら空気が重々しく、大輔と賢の足取りは軽いものとは言えなかった。

ゴクリ、と同時に息を飲む音が聞こえるほど、そこは静寂に包まれていた。

眼前に広がるのは、先が見えない程に鬱蒼と生い茂った、深い深い森だ。

これから大輔と賢は、この森に入らなければならない。

 

『……どうする?案内しておいて何だが、やはり止めるか?』

 

大輔達のすぐ後ろに佇んでいた獅子の顔をした獣人が、大輔達にそう声をかける。

唇を真一文字に結んで、眼前の森を見つめていた大輔は、声をかけられたことで我に返った。

ぶんぶん、と首を横に何度も振り、そしてキッと森を睨みつける。

 

「……止めるなんて、逃げるなんて、したくねぇ。少しでもここに希望があるってんなら、俺は行く!」

「大輔くん……うん、僕達も行くよ。今更引き返せないもの」

『うん!頑張ろうね、ケン、ダイスケ!』

 

本当のことを言えば、今すぐにでも帰りたい。

足は分かりやすい程震えているし、両手も上手く力が入らない。

噛みしめた唇は少しでも緩めたら、情けない悲鳴が飛び出てきそうだった。

……それでも、大輔達は帰れない。帰るわけにはいかない。

 

「……行くぜ」

「うん……」

『行ってきます!』

『……健闘を祈る』

 

弱気な心を叱咤し、大輔達は歩き出す。

その腕には、頑なに目を閉ざしたチビモンが眠っていた。

 

 

 

 

 

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