ナイン・レコード   作:オルタンシア

68 / 75
異端の天使

.

 

 

 

 

 

「はあっ!!」

 

勇ましい掛け声とともに、ピッドモンは両手で持ったロッドを、真上からエンジェモンに叩きつけようと振り下ろしてきた。

エンジェモンは片腕に賢を抱えたまま、もう片方の手に持ったロッドを構えて、振り下ろされたピッドモンのロッドを受け止める。

ガチガチガチ、と人間の世界にはない物質でできているであろう、2体の天使のロッドが不快な音をかき鳴らす。

互いに拮抗しているように見えるが、ピッドモンは両手、エンジェモンは片手だ。

ピッドモンはエンジェモンよりも格下の存在とはいえ、実力はほぼ互角である。

エンジェモンが伸ばした手は、徐々に折り曲げられ、押されていった。

 

『ぐぅ……!』

「エンジェモン……!」

 

腕だけでなく、エンジェモンの膝も水晶の地面につきかけている。

自分の足が地面に近づいているのを見計らい、賢はピッドモンに悟られないように、エンジェモンの腕を軽く叩いた。

それに気づいたエンジェモンは、ピッドモンから目を離さずに、賢を抱いている腕の力を少し緩める。

ピッドモンは、エンジェモンの方に注意が向いていて、僅かな変化に気づかない。

今だ、と賢はエンジェモンの腕からするりと抜け落ち、ピッドモンがいる方とは反対側へと走っていく。

 

『ぬっ!?待て、闇の存在めっ!』

『ケンを、そのような呼称で呼ぶなっ!!』

 

エンジェモンは声を張り上げながら、自由になった片手をロッドに添える。

それにより、エンジェモンはピッドモンが振り下ろしたロッドを押し返し、体勢を立て直すことができた。

ピッドモンは苦々しく口元を歪める。

 

『聖なる姿を被った悪魔め……さっさとその化けの皮を剥がせ!天使の姿を騙るなど、何たる屈辱かっ!』

 

化けの皮も何も、エンジェモンは、パタモンはパートナーデジモンとして、進化ツリーが固定されている。

何があっても、賢のパタモンはエンジェモンに進化をすることが確定しているのだ。

だから例えエンジェモンの羽が黒く染まっていようとも、エンジェモンが闇の存在であるはずがない。

何故ならエンジェモンは闇に染まると、デビモンになるからだ。

デビモンはもともとエンジェモンであり、それが闇に魅入られたことでデビモンに成ると言われている。

デビモンとはエンジェモンの宿敵であり、対でありながら、自分でもあるのだ。

しかしエンジェモンは、初めて進化をした時からずっとエンジェモンの姿をしている。

これこそが、何よりの証拠なのだ。

 

しかしピッドモンは、それを頑なに認めない。

 

『アポロトルネード!』

『ゴッドタイフーン!』

 

ほぼ同時に、技名が違うだけの、同じ聖なる竜巻が放たれる。

ゴウ、と2つの竜巻が周囲の空気を巻き込みながら、勢いを増していく。

地面や壁に生えた水晶の結晶が、強い風で罅割れ、壊れ、砕ける。

バリン、ガリ、と硬いものが壊れる音が、断続的に聞こえてきた。

砕けた水晶が竜巻に巻き上げられ、更に細かく砕けて、目に見えないほどの小さな粒子になっていく。

 

バァンッ!!

 

2つの竜巻がぶつかり合う。

威力や大きさがほぼ同じだったことで、竜巻同士は拮抗しあい、霧散する。

ちっ、とピッドモンは小さく舌打ちをした後、再びロッドを振り回してきた。

エンジェモンは迎え撃つ。

右上から振り下ろされれば、それを受け止める。

防がれた反動で弾かれたロッドを、そのまま身体を回転させて真横に振るえば、そのままロッドを縦にして防ぐ。

右手で、左手で持ち直しながら回転させ、勢いを付けて真っすぐ突くが、エンジェモンはロッドで受け流しながら身を捩って避けた。

 

『はぁっ!!』

『ぐっ……!』

 

ピッドモンの猛攻は止まらない。

エンジェモンは、防戦に徹するしかなかった。

相手を傷つけるのは、賢が望まない。

ファイル島での最終決戦。自身の宿敵であり、鏡でもあるデビモンとの戦いだって、賢は躊躇していた。

どんなに敵意を向けられようとも、悪意をぶつけられようとも、賢は最後の最後まで、デビモンを(ほふ)ることをためらっていた。

優しい子、大切な子。賢の望むことなら、エンジェモンは何だって、喜んで叶えたい。

否、叶えなければならないのだ。

だって自分は“選ばれし子供”のパートナーデジモンなのだから。

ずっとずっと、賢を待っていた。

何で待っているのかも分からないぐらい、気の遠くなるぐらいの年月を、仲間達と一緒に待っていた。

ファイル島で冒険していた時だって、よく分からないまま仲間達や賢について行っていただけだった。

仲間達が次々進化していく中でも、その自覚が芽吹くことはなく。

ようやっと自覚が芽生えたのは、デビモンとの最終決戦時。

仲間達が倒れ、子ども達も次々と倒れる中、賢に向けられた強烈な殺意を感じて、エンジェモンは、パタモンはやっと自分の存在意義を悟ったのだ。

自分はデジモンで、賢は人間。

か弱く脆い人間である賢のために、パタモンは存在する。

賢の武器となり、盾となり、手足となるために。

 

デビモンとの決戦にて、エンジェモンは1度力尽きてしまい、その後再び生を受けるまで大分時間がかかってしまった。

それは賢が、選ばれし子どもとしての戦いを拒んでいたからだ。

友達だと思っていたデジモン達の、恐ろしい一面を見てしまったから。

可愛いだけじゃない、人懐こいだけじゃない。

デジモンはデジモンでしかないのだ、人に飼われている動物と、野生下の動物が違うように。

それでも賢は、あの日の夜に前を向くと立ち上がった。

現実世界で、初めてデジモンと触れ合ったことを、大輔とヒカリと出会った日のことを思い出した、あの日の夜に。

前を向いたから、パタモンはまた賢と友達になれたのだ。

だからパタモンは、エンジェモンは決めた。

もう2度と賢を傷つけない。賢が望んだことは全て叶えようと。

自分達の役目は、この世界を覆いつくそうとする闇を葬り、平和を取り戻すことだが、きっと賢はその闇すらも救おうと手を伸ばすはずだ。

ならば自分も、そうありたい。

(ほふ)る”のではなく、“救い”たい。

闇を忌み嫌うエンジェモンとしては失格なのだろうが、それでも賢が“そう”ありたいと望むのなら、賢のパートナーデジモンとして、賢と共にありたいと願うのは、悪いことなのだろうか。

否、そんなことはないはずだ。

他の選ばれし子どものパートナーである仲間達だって、パートナーの子どもと共にありたいと願っているはずだ。

子ども達が望むことを、パートナーデジモンである自分達はできる限り叶えたい。

だからエンジェモンは、ピッドモンから賢を護っても、ピッドモンに反撃しない。

それは賢が望んでいることではないし、エンジェモンの望んでいることではないから。

 

しかしこのままではジリ貧である。

攻撃も反撃もせず、ただ防御に徹するだけでは、何も解決しない。

ピッドモンはエンジェモンと賢を完全に敵と認識し、話を聞いてくれる状態ではないのだ。

隙をついて逃げたとしても、ピッドモンは執拗に追ってくるだろう。

どうするか……。

 

……そして2人の気持ちは、少しずつズレていく。

 

──どうしよう……どうすれば……!

 

ガン、ガキン、と2体の天使がそれぞれ持っている得物を打ち合いながら争っているのを、岩みたいな塊になっている水晶の陰に隠れながら、賢は見守ることしかできない。

縋るように握りしめているデジヴァイスは、賢の手の熱が移って少し熱くなっていた。

どうしよう、どうすればいいんだろう。

前世の記憶があるとはいえ、賢はこの冒険の当事者ではない。

友人が書いた本も、朧気にしか覚えていないから、こういうことがあったのかどうかすら、賢には分からないのだ。

……前世の記憶があっても、何の役にも立たない。

賢は悔しそうな、悲しそうな、複雑な表情を浮かべて、エンジェモン達の戦いから目を逸らし、握りしめているデジヴァイスを見下ろす。

 

──タケルくんなら……タケルくんなら、どうする……!?

 

デジヴァイスのボタンを操作して、希望の紋章を映し出す。

紋章が反応する様子も、光る様子も未だない。

やはり“希望”ではなかった自分では、紋章を扱うことはできないのだろうか。

所詮は借り物でしかないのだろうか。

こういう時あの友人は、タケルならどうしていただろうか。

タケルは、どうやって乗り越えたのだろうか……。

 

2人の気持ちは、ズレていく。

 

『ファイヤーフェザー!』

 

ロッドの打ち合いをしていた2体の天使。

しかし決着のつかない打ち合いにイライラしてきたのか、ピッドモンは後ろに跳躍すると、2枚の翼を広げ、ばさりと羽ばたかせる。

沢山の燃えた羽根がエンジェモンに襲い掛かった。

それを飛んで避けるエンジェモン。

 

『っ!?』

 

しかし、その時違和感を覚えた。

身体が妙に重くなったのだ。

3対の漆黒の翼も、ぎこちないような感じがした。

しかしそれもほんの一瞬のことだったので、エンジェモンは不審に思いながらも、沢山生えている水晶を避けながら宙を舞う。

 

『逃げるなっ!卑怯な闇の使者めっ!』

『っ、ゴッドタイフーン!』

 

やはり追いかけてくるピッドモン。

エンジェモンは3対の翼を広げ、身体を回転させる。

聖なる竜巻をピッドモンに向かって放ったが、ピッドモンも同じく聖なる竜巻を生み出し、エンジェモンの技にぶつける。

すると、先ほどのように竜巻は拮抗せず、エンジェモンの放った竜巻はピッドモンの生み出した竜巻にかき消され、エンジェモンに向かっていく。

ぎょっとなったエンジェモンは、慌てて上昇した。

が、その先に、いつの間にかピッドモンがロッドを振り上げていた。

 

『しまっ……』

『食らえっ!!』

 

ドゴォ、と重たい音がして、エンジェモンの身体が上から押さえつけられるように落下していく。

運悪く、ガン、と壁から飛び出すように横切っていた水晶に叩きつけられた。

そこに引っかかることもなく、ずるりとずり落ちて力なく落ち、水晶の地面に叩きつけられる。

 

『ぐぅ……!』

『ピッドスピード!!』

 

全身に激痛が走る。

小刻みに震えながら、何とか上半身を起こそうと腕に力を入れたら、ピッドモンが追撃してきた。

は、と顔だけ横に向ければ、振り下ろされたロッドが眼前にまで迫っている。

エンジェモンは慌てて身体を横に転がして、ロッドを避ける。

ガン、と振り下ろされたロッドが水晶の地面に罅を入れた。

ゴロゴロ、と身体を転がして、うつ伏せの体勢になると翼を広げ、滑るように宙へと逃げる。

 

『待てっ!!』

 

ピッドモンも後を追う。

これほどまでに戦意がないことをアピールしているのに、ピッドモンは全く意に介していない。

いや、エンジェモンを闇の存在と決めつけているせいで、気づいていないのか。

何度も違うと言っているのに、ピッドモンは聞く耳を持たないのだ。

出来れば傷つけたくはない。

しかし、どうすれば……。

 

再び、異変が訪れる。

 

『うわっ!?』

 

ガクン、と突然身体が重くなり、バランスを崩した。

翼も思うように動かず、思わずその場に留まって自分の腕や身体を見下ろす。

それが、いけなかった。

 

『ファイヤー……!』

 

ピッドモンの声が、背後から聞こえた。

 

『フェザー!!』

 

溜めるように、振り絞った声の後の、吐き出された音。

いつの間にかエンジェモンの上を取るように上昇したピッドモンは、炎の雨をエンジェモンに降らせた。

 

『ぐあああああああああっ!!』

 

沢山の炎の雨に打たれたエンジェモンは、再度落下する。

姿を保てず、パタモンに退化して。

 

「パタモンッ!!」

 

隠れていた賢だったが、エンジェモンがピッドモンから逃げて飛び立っていったのを視界の端にとらえ、姿を見失わないように、懸命に追いかけていた。

最初に落ちた時に駆け寄れなかったのは、距離があったのとピッドモンに行く手を阻まれていたからだ。

パタモンに退化した頃に、ようやく追いついた。

しかしピッドモンは、追撃の手を緩めてくれない。

退化して落下していくパタモンに、無情にも炎の雨を降らし続ける。

いくらパタモンが選ばれし子どものパートナーデジモンで、野生のデジモンと比べたらポテンシャルがあるとは言っても、所詮は成長期だ。

成熟期の技を、ダメージが蓄積した身体で受ければどうなるかなんて、火を見るよりも明らかである。

……賢の脳裏に、ファイル島での出来事が過った。

賢を護るために、強すぎる光の力を使って、デビモンを闇の中に眠らせた、あの出来事。

賢は、知っている。

伸ばした手が届かなかった時の喪失感も、虚無感も。

だってもっと前にも、体験したから。

闇の力に利用され、悪虐非道の限りを尽くした自分を止めるために、自らの命を差し出した、愚かで愛しい“あの子”も──。

ぞ、と賢の背筋に悪寒が走る。

 

いやだ、やめて、まって、ぼくの、ぼくから、とらないで、うばわないで、ねえ

 

「パタモンッ!!」

 

火の雨が降り注がれる中、賢は落下していくパタモンから目を離さずに走り続ける。

スローモーション。

足がやけに重たい。前に進んでいる感覚がない。

まるで深い水の中を、夢の中を走っているような感覚。

それでも賢は、前へ進む。

腕を伸ばす。熱い雨が賢の頭上から降り注がれ、チリチリと髪や服を焦がす。

飛び散った火の粉が、剥き出しになっている賢の肌を焼いたが、パタモンに気を取られている賢は気づかない。

地面まで、後2メートルもない。

しかし賢の方もパタモンに近づいている。

後1メートル半、後1メートル、後──。

 

「パタモンッ!!」

 

どさっ!

 

賢は、水晶の地面を蹴った。

少しだけ滑ったが、構わず腕を伸ばす。

地面まで後数センチ、というところで、ぎりぎり賢の腕が間に合い、受け止めた。

しかし飛び出した身体は勢いを止められず、何とか受け身を取るように前転したが、そのままゴロゴロと転がっていき、生えている水晶にぶつかって止まった。

その衝撃が肺と心臓に伝わり、賢は一瞬息を詰まらせた後、激しく咳込んだ。

 

「ぅぇ、げほっ、げぇっほ!」

『っ、ケ、ン……!』

 

痛みに耐えながら、自分を庇ってくれたパートナーを見上げるパタモンだったが、その延長線上にいる悪意に気づいて目を見開かせた。

 

『ケンッ!逃げてっ!』

「っ!?」

『ピッドスピード!』

 

手に持ったロッドを、ピッドモンは人間である賢に対しても躊躇なく、振り下ろしてくる。

成熟期のエンジェモンでさえ、当たればダメージを追うほど硬いロッドだ。

あんなものが当たれば一たまりもない。

パタモンの声で背後を振り向いた賢は、すぐに視線を戻してパタモンを抱えて走り出した。

が、直後にピッドモンの振り下ろしたロッドが、賢がいた個所に抉るように突き刺され、水晶の地面がひび割れ、砕ける。

その勢いと衝撃が空気に伝わり、突風が生み出され、賢はその突風に突き飛ばされるように吹っ飛ばされてしまった。

 

「うわあっ!!」

『わああああっ!!』

 

軽い身体は宙を舞い、抱えていたパートナーを手放してしまった。

錐もみ状態になりながらも、頭部を打たないように何とか両腕で頭を抱えるように庇い、賢の身体はゴロゴロ転がっていく。

 

「うう……!」

『いった……!』

 

呻きながらも、何とか身体を起こした賢とパタモンの耳に、コツン、と何か軽いものが転がったような音がした。

振り返る。

空を飛んでいたピッドモンが、静かに水晶の地面に降り立ったのだ。

両手でロッドを持ったまま、ピッドモンは唇を真一文字に結んで、じっと佇んでいる。

ヘルメットの奥に隠されているはずの顔から、痛いほどの視線を感じて、賢は思わず後ずさった。

しかしパタモンの心は、まだ折れていない。

護るべきものがある限り、パタモンは決してへこたれない。

傷だらけの身体を叱咤させ、震える四肢を踏ん張らせて、賢を庇うようにピッドモンに立ちはだかるパタモンの目から、まだ焔(ひ)は消えていなかった。

 

『ケン……!もう一回、進化させて!』

「っ、パタモン……!」

 

ピッドモンは執拗だ。

自分達を抹殺するまで、きっと何処までも追いかけてくるだろう。

闇を忌み嫌う習性は、天使型デジモンの宿命であることは、同じ天使型デジモンに進化をする自分がよく分かっている。

しかしこのまま、おめおめとやられるつもりもない。

自分達には、まだやらなければならないことがあるのだから。

 

「……うん!」

 

この世界の闇を晴らし、平和を取り戻す。

賢はデジヴァイスを握りしめ、いつものように自身の想いを込める。

しかし……。

 

『……あ、れ?』

「え……なん、で……?」

 

何も起こらない。

デジヴァイスはうんともすんとも言わないし、パタモンの姿も天使にならない。

ディスプレイは真っ暗なまま、進化の光が飛び出していく気配もない。

何で、どうして、と賢はデジヴァイスを両手で握りしめ、見下ろす。

焦ったように何度も上下に振ってみたが、デジヴァイスが反応する様子は見られなかった。

 

「どっ、どうして……!?」

『ケン……!?』

 

まさか故障でもしたのだろうか。

いや、つい先ほどまでディスプレイは反応していたのだ、故障はありえない。

だがこのままでは、パタモンを進化させられない。

焦る賢とパタモンを他所に、ピッドモンはゆっくりと歩き始めた。

こつ、こつん、と水晶の地面を叩くような音を響かせながら、ピッドモンは確実に賢とパタモンに近づいてくる。

ひっ、と引き攣るように息を飲む。

パタモンは賢を護るべく、四つ足を踏ん張ってピッドモンを睨みつけた。

 

こつん、こつん、こつん

 

妙なプレッシャーで押さえつけられているような感覚に陥った。

その場に縫い付けられたように、賢の身体は動かない。

パタモンは痛む耳の羽を何とか羽ばたかせて宙に浮くと、大きく息を吸い込んだ。

 

『エアーショット!!』

 

殺傷力のない、ただの空気砲がピッドモンの身体に当たる。

ピッドモンはびくともしない。

打つ、空気砲を打つ。何度も打つ。

ピッドモンは、動じない。

 

こつん……

 

あと2メートル、というところでピッドモンは立ち止った。

じ、と見下ろすように俯くピッドモンから、賢もパタモンも目が離せない。

はぁー、はぁー、とどんどん強くなっていく賢の息遣いが、水晶の空間に反響した。

 

す……

 

ピッドモンが両手で持ったロッドを、ゆっくりと振り上げる。

その後の未来など容易に想像がつくのに、賢の身体は動かない。

パタモンも、賢が動かないから動けない。

 

──自分は、ここで終わるのだろうか

 

こんな事態だというのに、賢の思考は妙にクリアだった。

 

ヒュンッ!!

 

空気を鋭く切り裂く音がする。

闇を断罪する正義のロッドが、パタモンと賢に振り下ろされ……。

 

 

『ハッピー・バタフライ』

 

 

その時だ。

何処からともなく、歌うような声が聞こえた。

直後に、賢の視界を真っ白い何かが降るように横切った。

沢山降ってきたそれは、賢とパタモンの前で沢山集まって、ピッドモンが振り下ろしたロッドを防いだ。

 

『っ、これは……!?』

 

ピッドモンの焦ったような声が、真っ白い塊の向こうから聞こえてきた。

真っ白い塊は、ただ一塊になっているだけでなく、ひらりひらりと舞っていた。

 

「あ……」

 

ぽつりと、賢の声が漏れる。

見開かれた目に映ったのは、1匹の白い……。

 

「……蝶?」

 

真っ白いそれは、沢山の蝶だった。

ひらりひらりと舞う白い蝶は、モンシロチョウのように白い翅を持っている、というわけではなかった。

本当に、真っ白なのだ。

白という色が、蝶の形をしている、と言った方が分かりやすいかもしれない。

こんな蝶は見たことがなかったのだが、ここはデジタルワールドだ。

もしかしたらこの白い蝶も、デジモンの一種なのかも、と思いながらパタモンの方を見たが、ほぼ同時にパタモンも呆けたような表情を浮かべて賢の方を見やったので、どうやらデジモンではないようだと賢は悟った。

 

『やれやれ、君は相変わらずのようだね、ピッドモン』

 

先ほど聞こえてきた声と、同じ声。

何処かで聞いたことがあるような、父や兄のような、優しい安心感のある声。

その声を聞いた途端、先ほどまで緊張していた賢とパタモンの身体から、すうっと力が抜けていった。

賢とパタモンを護っていた白い蝶達が、ひらひらと舞って解(ほど)けるように1匹ずつ飛んでいく。

蝶が飛んでいったことで、塊の向こうにいたピッドモンが姿を現わした。

ひらひら舞う蝶を鬱陶し気に振り払いながら、当たりを忙しなく見渡していた。

 

『貴様……っ!何故ここにっ!?何の用だ!』

『何の用だって?──そんなの、決まってるじゃないか』

 

ひらひら舞っている蝶が、再び集まりだした。

先ほどの塊よりも大きく、そして何かを形作っていく。

それは、人のような形だった。

うごうごと蠢いていた蝶が、人の輪郭に収まるとピカッと一瞬強い光を放った。

それは、ただの人ではなかった。

賢とパタモンに背中を向けていたから、正面がどうなっているのかは分からない。

分かるのは、賢とパタモンに向けている背中に、虹色のグラデーションがかかった、蝶の翅を背負っているということ。

その頭部に、白い帽子を被っている、ということ。

 

『……君の邪魔をしに来たのさ』

 

ピッドモンと対峙したそのデジモンは、深く被った帽子に手を添え、俯かせていた顔を上げると同時に、帽子を上げる。

その奥から見えた、いたずらっ子のような色を湛えた目に、ピッドモンは苛立ちを隠さずに怒鳴りつけた。

 

『貴様……!天使の身でありながら、その悪魔どもの味方をするのかっ!』

『おいおい、ピッドモン。君の眼は節穴かい?この子たちの何処が悪魔だというんだい?可愛らしい僕らの同輩と、人間の子どもじゃないか』

『貴様こそ、何処に目を付けている!?そ奴らから漂う闇の気配が見えないわけではないだろう!?闇は須らく排除するもの!!この世から消し去るべき、忌むべき存在なのだ!!』

『……はあ、やれやれ。ここまで盲目的だなんて、いっそ哀れみすら感じるよ』

 

蝶の天使は動じない。

むしろピッドモンを小莫迦にするような態度を崩さず、ポンポンと軽い口調で言葉をかけるから、ピッドモンは益々苛立たしそうだった。

ぽかん、と賢とパタモンがそのやり取りを見守っていると、蝶の天使はくるりと振り向き、賢とパタモンと目線を合わせるように膝をついた。

蝶の天使は、エンジェモンやピッドモンと違ってヘルメットを被っておらず、その優し気な笑みを惜しげもなく賢達に向けた。

 

『やあ、選ばれし子どもと、そのパートナーデジモン。初めましてとでも言っておこうか。同輩がすまないね。あいつ、正義感は強いのだけれど、ちょっとばかし融通が利かないのが玉に瑕なんだ。同輩に代わって謝罪するよ。怖い思いをさせたね』

「え、と……」

『…………』

『まだ話は終わっていないぞっ!』

 

ピッドモンはロッドを構える。

やれやれ、と言いたげに蝶の天使は肩をすくめると、徐に立ち上がり、再度ピッドモンの方に向き直った。

 

『終わっていないも何も、君は最初から聞く耳持たずだったじゃあ、ないか。この子達は何度も、争う気はないと言っていたはずだよ?話を聞かなかったのは君だ』

『闇の存在の話など、聞く価値もないっ!それに私が言っているのは、貴様のことだっ!!』

 

ぶん、とピッドモンはロッドを振り上げる。

おっと、と言いながら蝶の天使は、賢とパタモンを抱え上げ、宙へと舞い上がった。

 

『貴様も天使であるなら、役目を果たせ!闇の存在を庇うなっ!だから貴様は“異端の天使”と呼ばれるんだっ!!』

『何度も言うけど、僕の役目は闇を打ち滅ぼすことじゃない。傷ついた世界を、命を、僕の歌で救うのが、僕の使命なんだから』

『世界が傷つくのは、闇が蔓延っているからだ!その闇で沢山のデジモンが今も傷ついている!今やるべきは闇を葬り去ることであって、傷ついたデジモン達を癒すことではない!そんなものは後で幾らでもできるだろうっ!!』

『君の言うことは一部理解してあげられるよ。僕が癒している間にも、また別のデジモンが傷ついている。元凶をどうにかしなければ、僕が癒したところで焼け石に水、というやつだ』

『なら……っ!!』

『それでも、僕の役目は闇を消し去ることじゃない』

 

何度もロッドを振り回してくるピッドモンを、ひらりひらりと躱していた蝶の天使は、凛として言う。

 

『それは、そのデジモンとして生まれ、進化をしたなら、与えられた役割を全うするのが運命だ。君がピッドモンとして生まれたことで、闇を葬ることを使命とするのと同じ。僕が僕として生まれたからには、闇を葬るのではなく、世界や命を癒すという役目を全うしなければならない。デジモンとは、そういうものだよ。それとも君は、僕にその使命を与えた神に逆らうのかい?』

『ぐっ……!』

 

図星を突かれたのか、あれだけ激しく攻撃していたピッドモンの動きが止まり、口元が歪んだ。

蝶の天使は、畳みかける。

 

『この子達もそうさ。与えられた役割があるから、こうしてこの世界に存在している。それが光であれ、闇であれ、必要だと世界が望んだから、ここに来たんだ。それを否定することは誰も、神でさえ許されない。それは傲慢というものだよ、ピッドモン』

『っ、闇も葬れない貴様が、神を愚弄するなっ!!』

 

蝶の天使の言葉に、カッとなったらしいピッドモンは、先ほどの勢いを取り返してしまい、再度ロッドを振り回してきた。

やれやれ、と蝶の天使は再び肩を竦め、賢とパタモンを抱えたままふわりふわりと舞い、ピッドモンに背を向けて逃げ出した。

蝶の翅とは思えないほどのスピードで、賢とパタモンは声を出すことすら出来なかった。

 

『これじゃあ、神への信仰というよりも、光への信仰だね。闇に対する嫌悪感が酷すぎて、自分の主張が破綻していることにすら気づいていない……。どうしてこうも依存できるんだか、僕には理解できないよ』

『……君、は、一体……』

 

ゴオゴオと耳を掻き鳴らす風の中、パタモンは辛うじて蝶の天使の言葉を拾った。

その言葉は、天使でありながら神を批判するような物言いだったので、パタモンは眉を顰める。

パタモンは、パートナーデジモンだ。

天使型に進化するとはいえ、パタモンにとって大切なのは賢であるため、神に対する忠誠心はほとんどない。

それでも、天使型デジモンにとって、神というのは何よりも重きを置いている存在だ。

蝶の翅を持っているとはいえ、身体の内から溢れている聖なるエネルギーは、何処からどう見ても天使型デジモンのものである。

それなのに、何故……。

パタモンの視線に気づいたのか、蝶の天使はまたニッコリと微笑んだが、パタモンの疑問に答えることはなかった。

 

『ファイヤーフェザー!!』

『おっと』

 

背後から追いかけてくるピッドモンが、容赦なく炎の塊を打ち出してくる。

蝶の天使は余裕そうな表情で、それをひらりひらりと避ける。

 

『本当にやめときなって。君がしていることは、闇の侵略を早めるだけだよ』

『黙れっ!!』

 

蝶の天使は対話を試みるも、やはりピッドモンは頑なだった。

振り返った蝶の天使に対し、ピッドモンは持っているロッドを出鱈目に振り回す。

 

『闇を庇うというのなら、貴様も葬ってやるっ!!』

 

……次の瞬間、蝶の天使から笑顔が消えた。

す、と吊り上がっていた口の端が下がり、全ての感情がごっそりと落ちたような表情。

金色の眼が、鋭く光ったような気がした。

その身に宿しているのは光のはずなのに、聖なる力のはずなのに、その顔にあるのはまるで深淵の闇のようで。

 

ぞ、

 

賢とパタモンの背筋が凍った。

 

『……やれやれ、君ってやつは本当に……』

 

ぽつりと呟かれた言葉は、誰にも届かなかった。

ただ蝶の天使がその表情を浮かべたのは、ほんの一瞬の出来事で、すぐに笑みを浮かべて足を振り上げた。

 

ガキィンッ!!

 

ピッドモンが振り下ろしたロッドを、高く上げた足の裏で受け止める、という器用なことをやってのけた。

ぎょっとなったピッドモンを尻目に、蝶の天使は気だるげな笑みを浮かべながらぐるりと身体を回転させる。

足の裏で受け止めたロッドを巻き込みながら、ぶん、と足を振ると、反応が遅れたピッドモンは水晶の地面に叩きつけられた。

それを、呆気にとられた表情で見つめる賢とパタモン。

蝶の天使は気にせず、音もなく水晶の地面に降り立つと、水晶の柱が彼方此方に伸びて、一塊になっている陰に2人を降ろす。

 

『ごめんよ、変なことに巻き込んじゃって。ちょっとここで待っててくれるかい?』

「え、あ、あの、えっと……」

『ダイジョブ、ダイジョブ。すぐに終わるから。ちょっとあのお莫迦さんにお灸を据えるだけだから』

 

だってピッドモンは、絶対に言ってはいけないことを言ったのだから。

 

『朝が在って、昼が来て、夜に成る…………そんな世界の在り方を、天使である君が否定するというのなら、君もまたこの世界を覆いつくさんとする闇と同じなんだよ』

 

 

 

 

 

.

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。