ナイン・レコード   作:オルタンシア

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不死鳥は天(そら)に煌めいて

 

 

 

 

 

《私が貴女のお母さんでも、きっと同じこと言ったわよ》

 

 

 

 

 

憧れの人からそう言われた時、私は酷い絶望感に苛まれた。

 

 

 

 

 

 

 

次に大輔が目を覚ました時、薄らと色づいていたはずの空には太陽が昇っていた。

しぱしぱする目を何度か瞬きさせて隣を見ると、ヒカリとプロットモンが、反対側には賢とパタモン、そしてブイモンが眠っていた。

他の先輩達もぐっすりと眠り込んでいたので、起きたのは大輔だけだった。

昨夜、と言うか昨日は1日大変だった。いきなり見知らぬ世界に飛ばされ、自分達の名を呼び慕ってくる不思議な生き物に懐かれ、大きなクワガタに追いかけられ……前半だけで割とお腹いっぱいな内容であるにも関わらず、そこまではほんの序章に過ぎず。

何とか逃れて海に出れば、今度は建物3階分ぐらいの大きさの貝に襲われる羽目になった。

大きなクワガタの時と違って、皆一方的にやられてしまったけれど、土壇場で太一のアグモンが更なる進化を遂げたのである。

グレイモン、と名乗ったオレンジ色の大きな恐竜は、苦戦していたのが嘘みたいに大きな貝……シェルモンを投げ飛ばした。

その後急いで海から離れて、宛てもなく彷徨い続けた彼らは、やがて夜を迎える。

これ以上うろつくのは危ない、ということで、今大輔達がいる湖までやってきて、一行は寝ることにした。

したのだが、やはりというか、平穏は長くは続かない。

ひょんなことから湖の主である水龍の怒りを買ってしまい、今度は治がピンチに陥った。

その治を救ったのは、太一の時と同じ、治のパートナーのガブモンであった。

蒼き狼・ガルルモンへと進化したガブモンは、その強靭な四肢と青白い炎をもってシードラモンを撃退した。

つい数時間前のことである。

昨日1日で色々ありすぎて、子ども達のキャパシティーはとっくに振り切れていた。

負担がかかった心を護ろうと、身体が無意識に休息を欲し、シードラモンに襲われた恐怖とガブモンが進化した興奮で目が冴えていた子ども達は、強烈な眠気に襲われた。

地べたで寝るのは嫌だと言っていたミミが、真っ先に横になった。それにつられるように、デジモン達や最年少である小学2年生の3人、最年長であるはずの丈が穏やかな寝息を立てて眠り出す。

太一と空、光子郎は、何故ガブモンが進化したのかが気になって、ギリギリまで議論していたのだが、結局眠気には勝てず、ものの数分で静かになってしまった。

 

「……あら、大輔。起きたの?」

 

湖を眺めてぼーっとしていたら、背後から声をかけられた。

振り返った視線の先にいたのは、つい今しがた起きたばかりと見られる空。

ぐっもーにん、って癖になっている挨拶を口にすれば、空は同じくぐっもーにん、って返してくれた。

これが太一なら、ここは日本なんだから日本語で挨拶しろ、って言ってくるのに、優しい先輩である。

太一が全然優しくない、と言っている訳では決してない。

 

 

空がきっかけになったかのように、他の子ども達も次々と目を覚ます。

まだ覚醒しきれていない脳と、しぱしぱする目。顔を洗いたいところだが、つい数時間ほど前に撃退したシードラモンがいる湖である。

近付いて覗き込む勇気がどうしても湧いてこなかったが、デジモン達が気にせず湖に近寄っていったので、大丈夫かしらん?と恐る恐る、そして素早く顔を洗って湖を離れた。

ご飯食べたら出発しようぜ、って太一が音頭を取り、子ども達は自分達が持ってきた荷物をチェックする。

デジモン達は昼食と呼ぶべき朝食を調達しに行った。

 

『………………』

「……Good Morning」

 

最後に目を覚ましたのは、ブイモンである。

大輔の隣で、身体をぎゅっと丸めて擦り寄るように眠っていたブイモンの目元は、少し腫れていた。

後で聞いたのだが、アグモン達が太一達に説明するためにプロットモンとパタモンだけを残して離れていた際、声を押し殺して泣いていたらしいのだ。

アグモン達は普段からブイモンに触らないように気を使ってくれていたけれど、太一達はそのことを知らなかったし、話してもいなかった。

ちゃんと、言おうとは思っていたのだ。だって誰かに触れられるのが怖くて堪らない、なんて重大案件である。

大輔はともかく、他の子ども達がそうそうブイモンに触れる機会なぞないだろうけれど、それでも出会った時に真っ先に伝えておかなけれなならないような内容なのに、何故ブイモンは黙っていたのだろうか。

 

 

『……その……嫌われたくなかったから……』

 

 

最初に見せてくれた、あのやんちゃ坊主っぷりは何処へ行ったのかと疑うほどに、今大輔の目の前にいるブイモンは、しょんぼりとしていた。

先輩達が忙しなく動いていると、大輔は小さいながらも何か自分に出来ることはないかって、いつもは率先して聞き回っているのだが、今は優先すべきことがある。

ブイモンに昨日のことを問いただすことだ。

どうして、大事なことだったのに言ってくれなかったのか。

ずっと待っていたって、ずっとずっと待っていたんだって言っていたのに、ダイスケダイスケって名前を呼んでひっついてきていたのに、どうしてそんな重要なことを黙っていたのか。

周りにいる先輩達も、大輔の問いただす言葉が聞こえたからか、何も言ってこない。

プロットモンとパタモンに加え、拒否されなかったもう2人の人間であるヒカリと賢も、気になって仕方ないようで、大輔の両隣に座ってブイモンを見つめていた。

3人からの圧がすごくて、これは逃げられる状況ではないと判断したブイモンは、それでも何と言ったものかと考えあぐねて、ようやく絞り出した言葉が上記の台詞である。

返ってきた言葉に、大輔ははてなと首を傾げた。

嫌われたくなかった?

出会ってまだ1日も経っていないのに、大輔がブイモンを嫌うなんて、おかしな話だと思った。

嫌いというのは、深く付き合っていく中で、どうしてもこれが我慢できないが積み重なって爆発して、生まれる感情だ。

少なくとも大輔はそう認識していた。

だから知り合ったばかりのブイモンが、自分の弱点を晒すことで大輔に嫌われるのでは、と考えるのが、どうしても理解できなかった。

 

「……えっとさ、俺達まだ知り合ったばっかじゃん?だからまだ好きとか嫌いとか……よく分かんないからさ、今は気にしなくていいんじゃないか?」

 

よく分かんないけど、と大輔は頬をかく。

俯いていたブイモンは、弾けるように顔をあげて大輔を見た。

大輔は、照れたように笑っていた。

 

「もっとちゃんと、ブイモンのこと教えてくれよ。俺、お前のこと何にも知らねぇもん。ブイモンは何でか俺のこと知ってたけどさ」

 

知らないのなら、知っていけばいい。

好きになるか嫌いになるかは、その後だ。

でもきっと、大輔はブイモンのことを嫌いになるなんてことはあり得ないだろう。

それは、プロットモンとパタモン、そしてヒカリと賢も同じだった。

 

「あ、あのね、ブイモン。上手く言えないんだけど、その、何かあったら僕やパタモンにも言ってね?僕に出来ることがあったら、力になるから……」

『そうだよ!遠慮なんかしなくていいからね!』

 

賢が何処か気まずそうに、でも真っ直ぐブイモンを見つめながらそう言った。

パタモンも張り切っている様子である。

 

「私達が触るのは平気だったもんね。大丈夫だよ、そんなことぐらいで、私達はブイモンのこと嫌いになったりしないから……」

『そうよ、そもそもこんなのいつものことじゃない。今更よ』

「ちょ、ちょっと、プロットモン……」

 

ヒカリがせっかくいい話で締めくくろうとしていたのに、プロットモンがちょっと辛辣なことを言い出したので、ヒカリが慌てて止める。

が、プロットモンの言葉はばっちり届いていたようで、ブイモンはぐぬぬと歯を食いしばっていた。

……少しずつ、調子が戻ってきているみたいだ。

 

「おーい、お前ら!そろそろ飯にしようぜ!」

 

話し終えたタイミングで太一が3人と3体に声をかける。

はーい、ってみんなでいい子の返事をしてまずは腹ごしらえを済ませてしまおうと、太一達の下へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きぃん、という空気が擦れるような音を置き去りにして、纏わりついた雲を巻き込み、白い線を描きながら飛び出していった。

 

 

 

 

 

綿菓子のような入道雲が、空に浮かんでいる。

 

 

あれがもっと大きくなると雷雲になるんだよ、ってお姉ちゃんに教えてもらったのを思い出した大輔は、雨降らないといいなぁ、と思いながら先を歩く先輩達の後をついていった。

微かに吹く風すら照り付ける太陽のせいで生ぬるく、次から次へと玉のような汗が流れ出て水分が奪われていく。

どっしりと構えている大きな太い幹に、何故かこれでもかと貼りつけられた道路標識は、日本にあるものもあればアメリカで見かけたことがあるものもあった。

車も通れないどころか、舗装すらされていない悪路なのに、一体どうしてこんなところに標識があるのか、という疑問すら、今の子ども達は抱くことはない。

先に進むにつれ、上昇していく気温に、長袖シャツを中に着ている治は、一言断りを入れると茂みに隠れた。

しばらくごそごそしたかと思うと、お待たせって言って戻ってきた治は、下の長袖を脱いで腰に巻いていた。

 

「長袖着てくるんじゃなかったなぁ……」

「そもそも何で着てきたんだよ、夏だぞ今?」

「キャンプ場は比較的涼しいって、天気予報で言ってたからさ……」

 

先を行く。鬱蒼と覆い茂った森の樹々が作った陰のお陰で、熱いのは軽減されているが、暑いのはどうしようもなかった。

楕円にぽっかりと開けた場所に出る。陰から出たことで薄暗かった視界が、一瞬だけ白く染まった。

眩しさに目を細めながらも、先頭を歩いている太一が黙々と進んでいくから、他の子ども達も置いて行かれないように必死についていく。

 

「……あら?」

 

地面から飛び出した根っこを跨いだ空の耳が、何かを捉えてふと天を仰ぐ。

傍らにいたピヨモンが、つられて上を見た。

空気を擦るような音が徐々に近づいてきて、他の子ども達も何事かと足を止めた。

 

「何の音だ……?」

 

太一がそう呟いた直後、覆い茂る樹々の隙間から見えたのは、高速で横切った黒い何か。

 

「……歯車みたいだったな」

 

ほんの一瞬しか見えなかったはずなのに、治はあれを歯車と認識できたらしい。

浜辺に建てられた電話ボックスと言い、周りにレールのない路面電車と言い、車も通れない悪路の樹々に貼りつけられた道路標識と言い、異世界であってもあり得ない光景を絶えず目にしてきた子ども達は、もう何が来ても驚かない。

 

「空飛ぶ円盤じゃないの?」

「歯車型の隕石だったりして」

「……何にしても、いい感じのするもんじゃないな」

 

それでも、子ども達の不安を呷るには十分だった。

ここでは自分達の常識は通用しない。だから歯車が空を飛んだとしても、この世界ではきっと何らおかしなことではないのだろうが……頼れるものが何もないという状況であることに代わりはなかった。

 

「……うわっ!賢?どうした?」

 

どんよりとした空気に包まれかけた子ども達を引き戻したのは、治の悲鳴だった。

他の子ども達よりちょっとだけ遅れていた最年少3人も、先輩達の言葉を聞いて、パートナー達と一緒に空を見上げていた。

視界を一瞬だけ横切った黒い何か。

何だろうね、あれ、ってパタモンとプロットモンとブイモンは呑気に会話をしていたのだが……。

 

 

 

ぞ、

 

 

 

じんわりと熱い空気が漂っているはずなのに、どうしてか分からないけれど、大輔とヒカリと賢の背筋に寒いものが走った。

ひ、と喉の奥が引き攣って、最初に動いたのは賢であった。

一瞬にして全身に鳥肌が立った賢は、表情を引きつらせながら治の元までダッシュしたのである。

いきなりダッシュし出したので、パタモンはビックリしてそんなに早くない飛行スピードを一生懸命上げて、賢の後を追った。

それが、上記の治の悲鳴に繋がる。

 

「どうした、賢?」

「………………」

 

賢は何も言わず、ただ治にしがみ付くだけだった。

不思議に思った治だが、こういう時の弟は何を言っても教えてくれないということはよく分かっているので、苦笑しながら賢の頭を優しく撫でてやる。

 

「……ん?ヒカリ?」

 

そんな治と賢をぼんやり眺めていた太一だったが、ちょいちょいと服を引っ張られた気がして振り返ると、遠慮がちに太一の服を掴んでいる妹の姿があった。

どうした?って太一はヒカリに尋ねるけれど、賢のだんまりが伝染してしまったのか、彼女も何も言わない。

普段から自己主張をしない妹だけれど、今回は輪にかけてだんまりになっていた。

困った太一は、治のように妹を撫でてやることしか出来なかった。

 

「………………」

『……ダイスケ?』

 

そんな2人を、複雑な表情で見つめる大輔。

ブイモンは気づかわし気に大輔の名を呼ぶけれど、大輔は何でもないって言って上級生の下へと走った。

 

「さ、行きましょうか」

 

様子のおかしい下級生3人を何とか落ち着かせた後、空はみんなを鼓舞するように口を開いた。

 

「そうだね、泣き言言ったって始まらないから……」

「……とは言ったものの、当てなんかないのが現状なんだよなぁ」

 

治も空に乗っかったが、珍しく太一が弱気な発言をして台無しにする。

が、太一の言うことは事実だ。そもそも何の前触れもなく異世界に飛ばされた子ども達は、まず何をすればいいのかさえ分かっていないのである。

何処に行けばいいのか、このデジモンと呼ばれる生き物達が何故自分達と行動を共にしているのかすら、子ども達には分からない。

だってデジモン達に聞いても、さっぱり要領を得ないのである。

君達は誰、ここは何処って聞いても、デジモンはデジモン、デジタルワールドはデジタルワールドだって最早哲学みたいな回答しか返ってこないし、どうして自分達の名前を知っているんだって質問も、ずっと待っていたからと答えにすらなっていない言葉だったから、殆ど諦めてしまったのだ。

分かっているのは、ここは自分達の世界じゃないって言うことだけだ。

ここにはデジモンしかいない、とデジモン達は言うので、手助けなど期待するだけ無駄である。

最初から詰んでいるのだ、この旅は。せめてこの世界を護っている神様みたいな存在が、お主らに使命を授けるとか何とか言って放り出してくれれば、まだ救いはあったのに、現実はゲームみたいにそう簡単にはいかないらしい。

さてどうしたものか、と何となしに下に視線をやった空の視界に映ったのは、満面の笑みを浮かべて空に擦り寄っているピヨモンであった。

 

『アタシはぁ、ソラがいてくれればそれであーんしん!』

 

そう言ってピヨモンはうっとりとした表情で空に甘えている。

そんなピヨモンを、空は困ったように見下ろし、小さく溜息を吐いた。

 

「そんなぁ……100%安心されちゃっても、困るんだけどなぁ。責任とれないよ?」

『……ひゃくぱー?』

「あ、いい、いい。気にしなくて……」

『せきにん、とれ?』

「いいってば、気にしないで?」

 

空が何気なく呟いた言葉を、1つも聞き漏らすまいとピヨモンは首を傾げながら、彼女の言葉をたどたどしく繰り返す。

聞こえていたとは思っていなかった空は、慌てて忘れるように言い含めたが、ピヨモンはニコニコとした笑顔を空に向けた。

 

『アタシィ、ソラの喋ってることいーっぱい知りたぁい!教えて、ねぇ?』

「そんなの知らなくていいよ!」

 

何じゃれてるんだよ、って先を歩き始めた治が呆れて空とピヨモンに声をかける。

そんなんじゃないってば、って空は憤慨しながらピヨモンと一緒に歩き出した。

そんな空とピヨモンを観察していた光子郎に目敏く気づいたテントモンが、光子郎にこっそりと耳打ちしてやる。

 

『ピヨモンは人懐っこいデジモンなんや』

「なるほど……デジモンによって性格がそれぞれ違うんですね……君はどうなんだい?」

 

鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気のピヨモンが、空と手を繋いでいるのを横目に見た光子郎の探求心に火が付いたようで、テントモンの方を見ながら目を輝かせた。

光子郎と話が出来るのが嬉しいのか、テントモンは嬉々として喋り出している。

お喋りに興じている光子郎とテントモンを目の前に、ピヨモンは空の名前を何度も連呼していた。

ずっとずっと、気が遠くなるほどずっと空達を待っていたと、初めて会った時に教えてくれた当時ピョコモン、現在ピヨモン。

空に逢えたのがよほど嬉しかったのか、隙あらばピヨモンは空に甘え、噛みしめるように空の名前を何度も呟いているのだ。

出会った当初こそ、何か用事があるのかと思って、なぁにって返事をしていたのだけれど、その度に呼んだだけーって返されるので、今ではもう何も言わなくなっている。

無視されているに等しい状況だというのに、それでもピヨモンは空の名前を呼ぶことを止めなかったのは、すごいとしか言いようがなかった。

 

──こんな甘ったれのデジモンと上手くやっていけるのかしら?

 

こっそり吐かれた空の溜息は、幸か不幸か誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂漠、だった。

 

 

宛てもなく彷徨っていた子ども達は、突如として亜熱帯の樹林が終わりを告げたのを見た。

樹林が切り取られた先に広がっていたのは、一直線を描いた地平線を境に、天色の空と綿雲、黄土色の砂漠が果てしなく広がっていた。

前に進むしか選択肢が残されていない子ども達は、砂漠のエリアに足を踏み入れる。

治と丈が嫌な顔をしたけれど、他に道が見当たらないのだから仕方がない。

太陽の光は容赦なく降り注ぎ、子供達から余裕を奪っていく。

遮るものが何もない砂漠地帯は、砂が太陽を反射して視界を歪めるほどの熱さに達していた。

上と下から容赦なく熱さが子ども達に襲い掛かってきて、必然的に上がっていく体温を下げようと防衛反応が働く。

次から次へと流れる汗を袖で拭えば、水分を吸った個所だけ色が濃くなった。

 

「……ここって、テレビで見たアフリカのサバンナってところに似てるなぁ」

 

背負ったパソコンが熱と砂にやられないかと冷や冷やしながら、光子郎は辺りを見渡して呟いた。

精密機器は水や熱、そして細かい埃などに弱いから、本当はこんな砂漠歩き回りたくないのだが、根っからのスポーツ少年の太一に訴えたところで、理解してくれるかどうかすら怪しい。

 

「それならどんなに良かったことか……」

「だよなぁ、ライオンとかキリンが飛び出してくりゃ、まだマシだったぜ」

 

治の推理によって、ここは異世界であるということが前提でインプットされている子ども達の脳内は、暑い中でも冷静であった。

丈は至極残念そうに呟いていたし、太一は周りの景色を見ながら軽い絶望のようなものを抱いている。

ここにはデジモンしかいない、とデジモン達はずっと言い張っているから、太一の言う通り今更ライオンやキリンが出てくるわけがないのだ。

実際ライオンなんか出て来たら無事では済まないが、それでも自分達が本来いるべき場所であるということが認識できさえすれば、この際肉食動物が出てきてくれても構わなかった。

だがここが子ども達の本来の世界ではない、と嫌でも認識させるのは、デジモン達の存在だけではない。

 

「そもそも砂漠に電柱が建っていること自体、ツッコミどころだよ。現実の世界でこんなんだったら、アフリカはもっと発展しているだろうに……」

 

この中では博識な治が、彼方此方無造作に建てられている電柱を見ながらそう言った。

アフリカは正確には沢山の国で成り立った大陸のことであり、その発展具合も国によって全く異なっている。

欧米のようにコンクリートジャングルが建ち並んでいる国もあれば、伝統を護り続けている国もある。

だがテレビのせいで乾燥地帯、または広大な砂漠の国で、生き物達が毎日デッドオアアライブを繰り広げているというイメージが先行してしまい、遠い地域であることもあってなかなか正しい情報が入ってこないものだ。

 

「ブイモン、大丈夫かぁ……?疲れてないかぁ……?」

『うぇ~……』

 

喉が渇き始めた大輔は、同じく熱さと暑さでひぃひぃ言っているブイモンに、力なく問いかける。

が、最早答える気力すらないようで、ブイモンが返したのはうめき声だけだった。

 

「暑いねぇ……」

「喉乾いたよぉ……」

 

ヒカリと賢も弱音を吐き始める。

まだ小学2年生の3人だ、バテるのが早いのも当然であった。

だがこんな広大な砂漠に、休めるところは愚か太陽の光を遮ってくれるような陰もない。

砂漠を突っ切るのはやはり無謀だったか?と太一と治は顔を見合わせた。

 

「……ええっ!?何よこれぇ!!」

 

突如として、ミミが叫んだので、子ども達は足を止めた。

掌を見つめているので、何事かとみんなで集まれば、ミミが持っていたのは何かが高速で回っている、時計のようなものだった。

聞けば、今自分達が何処に向かおうとしているのか確かめようと思ったミミは、父親から無断で拝借したキャンプセットからコンパスを取り出したらしい。

だがそのコンパスは、取り出した途端に使い物にならなくなった。

コンパスには磁気コンパスとジャイロコンパスと呼ばれる2つの種類がある。

磁気コンパスというのは磁石を使って地球の地場の方向を測定するものであり、ジャイロコンパスとは高速回転するコマの運動を用いて方位を知る道具だ。

ミミが持っているのは磁気コンパスである。

すなわち……。

 

「……砂みたいに見えたけど、これよく見たら鉄の粉だ。磁石にくっつきますよ」

「磁気コンパスが狂うわけだ。ミミちゃん、残念だけどそのコンパスはもう使い物にならないよ」

 

光子郎と治が言う。理科の実験で、磁石にコンパスを近づけるとどうなるか、ということを行った者はいるだろう。

あれと似たようなことが、目の前で起きている。

安いコンパスなら、一発でアウトだ。

改めて自分達がとんでもない所にいるということを、再認識させられてしまった。

ミミの絶叫が、辺り一帯に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪意というのは、人の目の届かないところで、静かに蠢くものである。

 

 

 

 

 

 

早く水を確保した方がいい、という光子郎の言葉の下に、子ども達は再び歩き出す。

砂の中の僅かな水分を吸い上げて根性を見せた雑草が、時折吹く風でかさかさと揺れる音がした。

しかし上から降り注ぐ太陽の光と、その熱を反射する砂のせいで、子ども達の頬を撫でる風は、爽やかとは言い難い。

 

「うあ~、暑い……」

「やっぱり森の中にいた方がよかったんじゃ……」

「このままじゃ、全員干上がっちゃうな……」

『はぁ……う~ん……』

「……暑いのか、ゴマモン?」

『氷が欲しい~……せめて水ぅ~……』

 

何とか暑さを誤魔化そうと、気力を振り絞って会話になっていない会話を繋げる子ども達だったが、結局暑いに戻ってしまっている。

海洋生物のゴマモンが、今にも倒れそうなのが心配で、丈は自分が暑くて疲労が溜まっているのも我慢して、ゴマモンを抱き上げてやった。

さっきの森のエリアならまだしも、こんな砂漠のエリアじゃあ川は愚か池などの水源を見つける方が難しい。

オマケにゴマモンは見た目通りならアザラシのように、寒い地域に生息しているであろうデジモンだ。

ということは、ゴマモンは寒いところに適した身体になっているために、寒さには強くとも暑さには対応できない身体のはずである。

他の誰よりもへばっているところを見ると、丈の見立ては間違いないだろう。

未だ自分達の状況を理解しがたいものの、だからと言って自分を助けて、慕ってくれている未知の生物を放っておくほど、丈も鬼ではない。

ちょっと我慢してくれよ、って肩にかけている鞄にゴマモンを乗せ、自分の身体で日陰を作ってやった。

 

「気休めにしかならないと思うけど……」

『ありがとう、ジョー……』

 

それでも丈の気づかいは嬉しかった。

 

「帽子貸してあげようか、パルモン?」

『うん……』

 

大きなピンクのテンガロンハットを脱ぎ、ミミはパルモンに被せてやる。

似合うじゃない、ってはしゃぐミミを見て、空は苦笑した。

上級生達は、概ねそんな感じで、元気ではないもののまだ気力は残っている。

問題は下級生の3人だ。

下級生達は先輩達が行くならと黙ってついてきているが、限界が近かった。

体力がない上に、身体が成長期のデジモン達と同じぐらいなこともあって、砂を反射する熱を上級生達よりも近くで浴びることになっているのだ。

足取りはフラフラだし、かいている汗が上級生達よりも若干多い。

このままでは熱中症になりかねない、と下級生達に目を配っていた治が太一に相談しようとした時だった。

 

 

「いい加減にして!!私はねぇ、今喉が渇いてて疲れてるし、歩いてて疲れてるし、貴女とじゃれてる余裕はないのよ!余計疲れるでしょ!!」

 

 

治のすぐ後ろで空の怒鳴り声がしたので、ギョッとなってみんなで立ち止まる。

空が苛立たし気に声を荒げて怒鳴るなんて、滅多にないことだからだ。

空は太一と治と同じクラスで、太一が男の子達のリーダーなら、空は女の子達のリーダーだった。

そしてリーダー同士が仲が良いから、男女で諍いがあったとしても太一と空が一緒に間に割って入るから、溝が深まったり仲がこじれたりすることが少なく、太一達のクラスは学年の中でも1番クラスの団結力が強いと評判なのである。

男子は無暗に女子を邪険に扱ったりしないし、女子も必要以上に男子を莫迦にすることが少ない。

太一自身、問題児と呼ばれているものの、それは飽くまで教師の間の話であって、生徒達から苦情が来たことは全くと言っていいほどないのだ。

というのも、太一が問題を起こす前に治が止めたり、空が諌めたりするから、生徒同士の問題に発展しないのである。

5年生にしてサッカー部のキャプテンということもあって、どちらかと言うと太一は問題を解決に導こうとする方だ。

彼が問題児と呼ばれているのは、先生の言うことを聞かない、体育以外の授業を爆睡して過ごす、宿題は忘れる、など“教師にとって”の問題児であって、決して生徒に意地悪をするような問題児という訳ではない。

何が言いたいかと言えば、そんな太一が先生と衝突したとしても、空は呆れるか後で軽くお説教をするかのどちらかで、大きな声を出して八つ当たり気味に叫ぶことが、全くないのだ。

感情のままに叫ぶところを見たことがなかったからこそ、太一も治も呆気に取られていたのである。

しかしこの暑さと熱さだ、自分だけでなく元気がない下級生にも気を回さなければならないと、ちょっとだけピリピリしていた空の気も知らないで、無邪気にじゃれついてきたピヨモンを怒鳴りつけてしまったのは、もう仕方がないとしか言いようがない。

 

『……ソラ、疲れてるの?ごめんなさい、ピヨモン大人しくする……』

 

そして、見るからにしょぼーんと元気をなくすピヨモン。

まるで料理中のお母さんに、甘えようとしたら危ないでしょって怒鳴られた子供のようだった。

自他共に男勝りと言われている空だが、それと同じくらい、母性に満ちた女性である。

そんな姿のピヨモンなんか見てしまったら、もうダメだった。

 

「あーん、分かった分かった。一緒に歩こう?」

『わーい!アタシ、嬉しい!ソーラァ、だあい好き!』

 

今泣いたカラスがもう笑った。

甘ったれなデジモンでこの先不安だという表情だが、同時に泣きだしそうな子供を見て、キュンとなって泣きやませようと甘えさせてくれるお母さんのようにも見える。

空の足にすり寄っているピヨモンは、何処からどう見てもお母さんに甘える娘だった。

 

 

 

 

 

率直な感想は“小さい”である。

大輔やヒカリ、賢などの最年少組でも入ることは困難では、と思うほど、子ども達の目の前に広がっている小屋は文字通り小さかった。

 

『ピョコモンの村にいらっしゃ~い!』

 

小屋の中からわらわらと出てきたのは、頭に青い花を咲かせた蛸のようなデジモン、ピョコモン。

ピヨモンが嬉しそうにピョコモンに挨拶をした。

何処まで行っても何も見えてこない砂漠と、そろそろ限界を迎えてきた下級生の様子に、空が怒鳴ったことで言いそびれた治が、太一に進言したのがきっかけであった。

このまま進んでも、体力と水分を悪戯に奪われるだけ、こんなところで全員倒れてしまったら元も子もない。

すると太一はポケットに突っ込んでいた単眼鏡を取り出し、覗き込んだ。

側面についているダイヤルを弄れば、景色がズームされる。

そこに、村があった。そのあたりにだけ緑が覆い茂っていて、しかも湖が見えたと言うのだ。

これは行かない手はないだろう。どんなデジモンが住んでいるのかは分からないが、今は藁にも縋る思いなのだ。

喉も乾いたしお腹もすいたし、上手くいけば1泊ぐらい出来るかもしれない。

そんな期待を込めて、子ども達は最後の気力を振り絞って、太一が見えた村へと向かった。

その結果が、“コレ”である。

 

「……見知ったデジモンがいることに喜べばいいのか、結局人間がいなかったことに絶望すればいいのか……」

『ジョウ、何処見てんの?』

 

目から光が失われた丈を心配するのは、最早ゴマモンだけだ。

最年長が故に、未だに人間がいる可能性を捨てきれない丈は、この際無視するとして、子ども達はどうしたものかと顔を見合わせる。

突如としてやってきた訪問者に対して、ピョコモン達は怯えたり怖がったりする様子は見せていない。

それどころか、これ何?これ何?成長期のデジモンもいる!何?何?って感じで、好奇心旺盛に小屋から出てきた。

とりあえず歓迎はされているようだ、と言うことで子ども達は小さく息を吐く。

 

『ねぇねぇ!なんていうデジモン?』

 

ピョコモンの1匹がじーっと空を見つめながら尋ねてくる。

へ?って間抜けな声を出してしまった空だったが、デジモン達曰く、ここに人間はいないから、ピョコモン達が人間を知らないのは当たり前だった。

 

『うふふ、ソラ達はデジモンじゃないわ。人間っていうの』

 

空が否定する前に、ピヨモンがちょっとだけ胸を張って、ピョコモン達に教えてやる。

 

『ニンゲン?』

『デジモンじゃないの?』

 

ピョコモン達が一斉に、そしてバラバラなことを訪ねてくるものだから、その場は大混乱である。

収集がつかなくなったから、ピョコモンの相手はピヨモンに押し付けることにした。

ごめんね、ピヨモン。

 

「賢くん、どう?」

「うーん……ダメみたい」

「そっかぁ……」

 

最年少組が、何とか入れないかと頑張ってみたけれど、1番小さい賢でも、入り口に顔を突っ込むことはできたが、身体を入れることは出来なかった。

何もかもがピョコモンサイズで、まるで自分達が大きくなったような錯覚に陥る。

ガリバー旅行記みたい、とミミが嬉しそうに言っていたが、何のことだろう。

 

「……1泊ぐらいできるかなぁと思ったけれど、これじゃ無理だな。現実はそう甘くない、ってことか……」

「でもまあ……休憩するぐらいは出来るだろ」

「そうですね。水もあるみたいですし、水分補給をして、身体を十分休めるぐらいは……」

 

がっかりする治を慰めるように、太一と光子郎が言った。

確かに、ここで寝ることは出来ないかもしれないが、休憩を取るには丁度いいかもしれない。

ピョコモン達の許可を取って、子ども達はようやく腰を落ち着けることができた。

 

『ねぇねぇ、ピヨモン。ピヨモンはどうやってしんかしたんだ?』

 

ピヨモンに押し付けていたピョコモンのうちの1体が、ピヨモンにそう尋ねた。

 

『ソラと一緒にいたら、いつの間にか進化したのよ』

『のよ?なんだそれ?』

『ピヨモンのことば?』

『ふふ、違うわ。これはソラが使ってる言葉。一緒にいると、ソラの言葉たっくさん覚えるから……』

『へー!そうなんだ!』

 

子ども達が各々好きなところに座り込んで休憩している中、空はピヨモンのすぐ近くに腰を下ろした。

自慢げに、そして誇らしげにピョコモン達に語っているピヨモンが、まるで小さな弟や妹にお姉さんぶる子どもみたいに見えて、思わず笑みが零れる。

途中で、ん?と疑問が浮かぶような話題が出たが、ピョコモン達はそれ以上興味がなかったのか、それをサラッと流して次の質問に移った。

 

『それより、どうしてしんかできたの?ただにんげんといっしょにいれば、しんかできるの?』

 

どうやらピョコモン達の興味は、進化の方だったようだ。

これは後から聞いた話なのだが、ピヨモンがピョコモンだった頃はどんなに頑張ってもピヨモンに進化出来なかったらしい。

それは他のデジモン達も同じで、子ども達と出会ったことでようやく進化を果たしたのだと。

普通のデジモンは、長い長い年月を経て力を蓄え、進化するのである。

アグモンやガブモンのように、グレイモンやガルルモンに進化したらまた戻るということは、殆どあり得ないのだ。

でも今の子ども達は、そんな情報を知りえない。

デジモン達も、どうして進化と退化が出来るのか、分からないからだ。

そしてそれは、近い将来に知ることとなる。

だからピヨモンは、考えうる中で最初に思いついたことを、口にした。

 

 

『それはきっと、ソラを護るため!』

 

 

それは、デジモン達にとって当たり前のことで、他の何よりも優先すべきものだった。

物心がつく頃から、何故だか分からないけれど、パートナーを護るのだと、当たり前のように思っていた。

ずっとずっと待っていた、最愛の人達。子ども達を護るために戦う力を手にいれたのだ、とデジモン達は信じて疑っていない。

 

「……私を護る、ねぇ?」

 

傍で聞いていた空は、訝しんでいた。

まだ出逢って2日しか経っていないが、テントモン曰くピヨモンは人懐っこい性格らしい。

ここに来るまでも、ピヨモンは空に甘えて、甘えすぎて空に怒られていた。

シュンとなったピヨモンに罪悪感を抱いて、結局甘やかしてしまった。

その時の顔と言ったら、まるで母親に抱っこをしてもらう直前の子どものような表情で。

 

「……ただの甘ったれのくせして、何言ってんだか……」

 

でも、と空は思い出す。

太一のアグモンも、治のガブモンも、進化を果たしたのは2人がピンチに陥った時だった。

ならば自分も……?あの甘ったれが、自分がピンチになったらグレイモンやガルルモンみたいに身体が大きくなって、自分を助けてくれると言うことだろうか?

空は想像してみる。

アグモンもガブモンも、それぞれの特徴を残した進化をしていた。

ということは、ピヨモンも大きな鳥になるのだろうか。

しかしどう想像してもピヨモンが大きくなっただけの姿しか思い浮かばず、空は吹き出してしまう。

まあ、そうそうピンチになることもないだろう、って空は頬杖を解いた。

 

 

 

 

 

 

ピョコモン達がご馳走をしてくれる、とのことで喜んでいた子ども達は、その前に喉の渇きを潤したいとピョコモン達に訴える。

案内してくれた先にあったのは、簡易な噴水だった。

覗き込むと、ゴミが浮かんでいる様子はない。

傍にいるだけで爽やかな風を感じ、ずっと熱い風に晒されていた子ども達には天国にも等しかった。

ピョコモンによると、この辺りの水はミハラシ山と呼ばれる山に水源があり、そこから流れているらしい。

ミハラシ山って?って賢が尋ねると、ピョコモン達は一斉に同じ方向を振り向き、同じ山を指した。

ピョコモン達が指した先にあったのは、渦巻きのような形をした、少し変わった山だった。

 

 

 

悪意は、すぐそこまで迫ってきている。

 

 

 

いざ水を飲もうと、下級生3人が噴水に溜まっている水に手を伸ばした時だった。

 

 

 

ぞく

 

 

 

とても暑いはずなのに、まるで全身に氷水をかけられたような寒気を覚えた大輔は、その手を何故か引っ込めてしまった。

大輔だけじゃなく、ヒカリと賢も大輔と似たような顔をして腕を引っ込める。

あれだけ喉が渇いたって言って、水を飲みたがっていたのに、一向に飲もうとしないから不思議に思った太一達は、どうしたって3人に聞こうとした、その時だった。

 

 

 

轟っ!!

 

 

 

噴水から湧き上がっていたはずの水が勢いを失くしたかと思うと、突如として火柱が立ち上がったのである。

水は一瞬にして干上がってしまい、子ども達とデジモン達は悲鳴を上げた。

 

『いったいどうして……!?』

「喉乾いてたのにー!まだお水飲んでないー!」

『だ、だいじょうぶ!あっちにいけがあるから!』

 

うわーん、って嘆くミミを宥めようと1体のピョコモンが村の中心を指した。

太一がこの村を見つけた時に見た、船が半分ほど沈没していた池のことだ。

ピョコモン達がこっちーって先導する後をついていった子ども達だったが、そこで更なる絶望を味わうことになる。

 

『……あぁああああああああ!!みずがないぃー!』

 

悲鳴にも似た叫び声を上げたピョコモン達。水なんか、何処にもなかった。

そこにあったのは、大きな窪みの中心に佇んでいる傾いた船体だった。

長年水に晒されていたせいで、遠目から見ても船体が錆びついているのが分かった。

下を覗き込めば、結構な深さがあることが分かる。

水も何千リットルという単位で溜まっていたのだろう、と言うぐらいの深さだから、その水が一瞬にして無くなってしまうなんて、まずあり得ない。

ならばとピョコモン達は、今度は井戸を案内した。

太一はロープに括りつけられた桶を放り投げるように井戸に落とす。

ロープが桶の重さに引っ張られて勢いよく落ちていくが、やがてボッと言う謎の音がしてロープが止まった。

何の音だ、と慌てて引きあげてみるが、異様に軽い。

それもそのはず、ロープの先はプスプスという音を立てて焦げており、桶は跡形もなく無くなっていたのだから。

直後に、井戸から噴水の時と同じような火柱が立った。

これはいよいよもっておかしい、と子ども達の心が1つになった時、1体のピョコモンがミハラシ山に何かが落ちていくのを見たと教えてくれた。

方角的に、先程子ども達が見た黒い歯車のことだろうというのは、すぐに推測できた。

だがそれが何だと言うのか、という空の疑問に、別のピョコモンが答えてくれる。

 

『このあたりはすべてみはらしやまのいずみがすいげんなの!だからみはらしやまになにかあったら、みずはぜんぶひあがっちゃう!』

 

でも、とピョコモン達は続ける。

 

『みはらしやまにはメラモンがいるの!』

『みはらしやまはメラモンがまもってくれてるはずなの!』

 

黒い歯車が落ちていき、そして水が干上がった。

これはミハラシ山か、メラモンに何かあったと考えるのが妥当だろう。

太一は再び単眼鏡を取り出し、ミハラシ山を覗き込む。

ほぼ同時に、渦を巻いている山の頂上が燃え上がり、その中から火の粉のように小さく燃えているものが飛び出して、ミハラシ山を駆け下りていくように見えた。

もっとズームにしてみると、その姿がはっきりと見えた。

全身が燃え盛る炎のようになっている、デジモンだった。

名前から推測するに、あれがメラモンだろう。

そのメラモンが、山から下りてきていることに、ピョコモンが驚いている。

どうやらメラモンは滅多に山から下りてこないらしい。

いつものメラモンじゃない、とピョコモン達が狼狽えていた。

 

『燃えているぅううう!!』

 

ピョコモンの村からミハラシ山までだいぶ距離があるにも関わらず、メラモンの声が轟いている。

 

『燃えている!!燃えているぅ!俺は!!今!!燃えているんだぜぇええええ!!』

 

そんなことを叫びながら、メラモンは山を駆け下りてくる。

噴水と、井戸と、そして山の頂上から火柱が立ち上がっているだけでも大参事だったというのに、そのミハラシ山の手前にある森までオレンジ色に染まってしまった。

文字通り燃えているメラモンの身体が、森を駆け抜ける度に樹々に燃え移っている。

目の前で繰り広げられている光景が信じられなくて、子ども達はその場で唖然と立ち尽くすことしか出来ない。

 

『俺は燃えてる!燃えてる!燃えてるぜぇえええ!』

 

立ち昇る炎と黒煙。咆哮のような、悲鳴のような叫び声。

山を駆け下りていたオレンジ色の点は森の中に消え、そして絶叫と共に森の奥からその姿を現した。

燃え盛る森をバックに、電柱が建ち並ぶ砂漠のエリアへと足を踏み入れたそのオレンジ色は、真っ直ぐここを目指して疾走している。

砂漠から立ちこめる蜃気楼が、周りの景色を、そして疾走するメラモンを歪めて、一層不気味だった。

 

「……みんな……」

 

迫りくるメラモンを前に、真っ先に我に返ったのは太一だった。

 

 

「逃げろぉおおおおおお!!」

 

 

太一の怒鳴り声で、同じく我に返った子ども達は、ピョコモン達とともに一斉に逃げ出した。

小さな村がピンク色と青で埋め尽くされるほどの数のピョコモン達を踏み潰さないように、子ども達は村の中心を目指して走る。

すっかり干上がってしまった湖の真ん中に、半分ほどが埋められてしまった船体に空いた穴を通じて、ピョコモン達は船の中へと逃げ込んだ。

太一と空が慌てるピョコモン達を落ち着かせるように声をかけながら、ピョコモン達を誘導している。

中に入って、上へと通じる階段付近に治と丈、光子郎とミミは下級生3人を連れてピョコモン達と共にデッキへと上がっていた。

船主が空を見上げるように傾いているせいで、子ども達やパートナー達には少々登りにくかったが、ピョコモンの足には吸盤がついているようで、ぷきゅ、ぷきゅ、という場違いな音が響いている。

なるべく沢山のピョコモン達がデッキに逃げられるように、隙間なく詰めるように光子郎もピョコモン達を頑張って先導した。

光子郎と一緒に先に逃げていたミミは、恐怖でしがみ付いてくる下級生3人を宥めるのに必死だった。

仕切りに、大丈夫だから、怖がらないでって声をかけているのが、光子郎の耳に微かに届いた。

 

 

 

ピンク色のカーペットのように密集したピョコモン達の数は、一向に減る様子を見せない。

船体の半分が地面に埋もれている船に、途切れる様子のないピンクのカーペットが総て収まるのか、段々不安になってきた頃、空はパートナーのピヨモンがいないことに気づいた。

ここに来るまでは、確かに一緒にいたはずのピヨモンが、何故かいない。

太一のアグモンはすぐ目の前で、太一と一緒にピョコモン達を船の中に誘導しているのに。

 

「たっ、太一!ピヨモン見てない!?」

「へっ!?ピヨモン!?一緒じゃなかったのか!?」

「さっきまで一緒だったんだけど……!」

『……あ、タイチ!ソラ!あそこ!』

 

一体何処に行ったというのか、と空が辺りを忙しなく見渡した時、近くで会話を聞いていたアグモンが指を指したのは、湖だった窪みの畔。

一生懸命逃げているピョコモンを、1番危ないところで先導している。

 

『みんな!こっちに逃げるのよ!落ち着いて!大丈夫だから!』

「なっ……!」

 

吐き出された言葉は、途中で失われた。

メラモンはもうすぐそこまで来ているというのに、ピョコモンを逃がすために留まって、ピョコモン達に声をかけている。

甘ったれで、空にべったりひっついて離れなかったはずのピヨモンが、空から1番遠いところで、ピョコモン達を逃がそうとしている。

気が付いた時には、空は走り出していた。

 

「っ、空!!何処行くんだ!!」

『あ、危ないよぉ!』

 

太一とアグモンが止めるも、空は聞いていない。

彼女の頭にあるのは、ピヨモンの下に行かなければという考えだけだった。

 

「ピヨモン!ピヨモォン!!」

 

ありったけの声を張り上げるも、ピョコモンを逃がすことに夢中なのと、距離があるせいでピヨモンには届いていない。

やがて懸念していたピンクのカーペットは徐々にその数を減らしていき、空が崖の下に着く頃にようやく途切れた。

逃げ遅れたピョコモンがいないことを確認し、ピヨモンは静かに息を吐いて、さあ自分も、というところでやっと自分に迫っている危機に気づく。

 

「ピヨモン!!後ろぉ!!」

 

今度は、届いた。え、ってピヨモンは先に逃げたはずのパートナーが戻ってきていることに驚いて、更に彼女の言葉を聞いて咄嗟に後ろを振り返る。

いつの間に忍び寄っていたのか、全身が燃えている炎の化身が徐にピヨモンを見下ろすように佇んでいた。

驚いたピヨモンは、慌てて翼をはためかせるも、元々上手いとは言い難い飛行能力のせいで、咄嗟に空へ飛ぶことが出来なかった。

メラモンが振るった右腕に吹っ飛ばされ、ピヨモンの身体が崖を転がり落ちていくのを見た空は、サッカーで鍛えた足に、更にブーストをかけてスピードを速めた。

 

「ピヨモォオオオン!!」

 

地面を蹴る。勢いよく転がるピヨモンの身体は、錐もみ状態で止まることができない。

出っ張った地面に身体が引っかかり、ピヨモンの身体が宙に浮いた。

飛び込むようにキャッチした空の身体が、硬い地面を滑り砂埃が舞う。

ちょっとだけ痛みが走ったが、男の子に混じってサッカーをしている空は、スライディングなんて日常茶飯事である。

このぐらい平気だ、それよりもピヨモンが。

うう、って痛みを堪えて顔を上げたピヨモンは、空を見るなり満面の笑みを浮かべた。

 

『……ソラ、アタシのこと、助けに来てくれた?』

「当たり前じゃない!全く、無茶して!怪我はしてない?何処も痛くない?」

『うふふ、平気だよ!ソラ、ありがとう!』

 

何処も怪我をしていないと分かった空は、安堵の息を漏らしながらピヨモンを抱き上げ、頬ずりをする。

思っても見なかった反応で、ピヨモンは嬉しくて嬉しくて空にしがみ付くように抱き着いた。

 

だが、まだ危機は去っていない。

 

凶悪な敵意を感じたピヨモンは、上を見る。

メラモンの手の平に、大人の拳ほどの炎の塊が浮かんでいる。

危ない、とピヨモンは空の庇護を飛び出して、メラモンに向かって飛んでいった。

 

『マジカルファイヤー!!』

 

空を傷付けさせまいと、ピヨモンは緑に渦巻く炎をメラモンに浴びせた。

それは確かに直撃したのだが、メラモンは唸り声を上げただけで、ダメージを負っているようには見えない。

 

『くっ……!マジカルファイヤー!マジカルファイヤー!』

 

それでも、ピヨモンは空を護るために技を何度も繰り出し、メラモンを攻撃する。

全く堪える様子のないメラモンは、悪意に満ちた笑みをピヨモンに向けた。

あのままではピヨモンが危ない、と他のデジモン達も船から降りてピヨモンに加勢しようとした。

 

「……っ!!」

 

それを、船主で見ていた大輔とヒカリと賢。ぞくりとしたものが背中を這った気がして、ミミにしがみ付く力を強めた。

3人とも、顔が真っ青である。

様子がおかしいことに気づいてくれたのは、彼らのパートナーだけだった。

 

『バーニングフィスト!』

 

掌に浮かんでいた火の玉が凝縮され、サッカーボールほどの大きさになったものを、メラモンがピヨモンに投げつける。

上手く飛べないピヨモンは、回避することが出来ずにまともに食らってしまった。

ピヨモン!と空の悲痛な声がこだまする。

 

「よくもピヨモンを……!アグモン、やっちまえ!」

「テントモン!お願いします!」

「ガブモン、頼んだ!」

 

駆けつけた太一、光子郎、そして治が、それぞれのパートナーに声をかける。

任せろと言わんばかりにアグモン達は必殺技を繰り出したが……。

 

「……なっ、何だぁ!?」

 

素っ頓狂な声を上げたのは、船主で戦いを見守っていた丈だった。

彼のパートナーであるゴマモンは、水中戦なら負けなしだが、陸の上では無力に等しい。

駆けつけても足手まといにしかならないのは目に見えていたので、光子郎の代わりに船主に上がってきたのだが、メラモンの異変に真っ先に言葉を発したのだ。

アグモン達の攻撃を受けるメラモンは、ダメージを負うどころかニヤニヤと笑っている。

そして、元々大きな身体が、更に大きくなっていった。

 

「どっ、どうなってるんだ……!?」

「……そうか!メラモンの身体は炎だから、炎の技は利かないんだ!」

「みんなのエネルギーを吸い取って、大きくなっています……!どうしますか!?」

 

光子郎が尋ねるが、太一も治でさえも、いい案などない。

炎は水に弱いから、せめてここに水があればまだ手はあったかもしれないが……。

 

「……おい、まずいぞ!どんどん大きくなってる!」

 

治が叫んだ。大人より少し大きい、ぐらいだったのが、今やグレイモンと同じぐらい、いや、それ以上かもしれない。

最早、逃げ場などなかった。

メラモンが不敵な笑みを浮かべながら、崖を滑り降りてくる。

子ども達の頭が、真っ白になった。

 

 

メラモンに吹っ飛ばされたピヨモンが、痛む身体を叱咤して起き上がった。

空は、無事だろうか。震える身体を何とか起こして、空の方を見やる。

ピヨモンがやられてしまったところをまともに見てしまった空は、へたり込んでいた。

 

まるで、空が泣いているように、ピヨモンには見えた。

 

『っ、ソラ……!何よ、こんなことで、負けたりしないんだからっ!』

 

 

──護らなければ、そのためにアタシは、ここにいるんだ!!

 

 

空の腰につけられた白い機械が光り輝いたのは、その時だった。

ピヨモンを傷付けられ悲しんでいた空の心と、空を護りたいピヨモンの心が1つになった時。

 

 

想いは形になって、力が生まれる。

 

 

『ピヨモン進化ぁー!!』

 

は、と空は顔を上げた。光に包まれたピヨモンの身体が、大きくなっていく。

 

 

『バードラモン!!』

 

 

光を突き破って姿を現したのは、まるで不死鳥のような炎の化身。

オレンジ色に燃える羽をゆったりと羽ばたかせ、進化したピヨモン──バードラモンは飛んだ。

崖を滑り降りてきたメラモンを押し返すその力強さに、空の目が見開かれる。

地響きと、爆風に巻かれた砂埃。

その巨体に似合わない、美しい囀りが、空を心地よく包んだ。

 

『うぉおおおおおおおお!!バーニングフィストォオオオ!!』

 

バードラモンに吹っ飛ばされたメラモンは、炎の弾を連射してバードラモンに何度も投げつける。

まともに食らっているバードラモンだったが、全くダメージを受けている様子を見せない。

恐らくメラモンと同じで身体が炎で構成されているから、炎の攻撃は効かないのだろう。

 

 

大きく羽ばたく。大空に舞い上がり、メラモンから距離を取ると、ばさりと開かれた翼に幾つもの煌めきが見えた。

 

『メテオウィング!!』

 

ばさ、と翼を振るう。炎のシャワーが、メラモンに降り注いだ。

メラモンに炎は利かない。だが、威力のある炎の塊を、何十発もうち放ち吸収すればどうなるか。

コップに注ぎ過ぎた水が溢れるのと同じように、自身のキャパシティー以上の炎を吸い取ったメラモンは、荒れ狂う体内の炎に勝てず、その場で蹲った。

小さくなっていく身体。勝ったのだと気づいたのは、メラモンの身体から黒い歯車が飛び出して行って、空中で爆発したのを、目撃した時だった。

 

『ソラ!ソラ!!ソラァ!!』

「ピヨモン!」

 

退化したピヨモンがへろへろと高度を下げながら、パートナーの名を何度も呼び、その腕に飛び込む。

空も、自分を助けるために進化を果たした、甘ったれのだけだと思っていたパートナーを迎え入れる。

勢いあまってその場で2周ほど回った空とピヨモンは、互いの無事を喜んで笑い合っていた。

空の中の、ピヨモンに対する印象はここで決まったと言ってもいいだろう。

甘ったれで、空に対する大好きっていう気持ちを隠そうともせず、それでいてとても勇敢で優しい子。

知らない場所に飛ばされ、不安や疑念が纏わりついていた空の心は、ピヨモンの愛情で少しずつ晴れていく。

 

「ピヨモン、ありがとう……!本当にありがとう!」

『ううん、ピヨモン、当たり前のことしただけだよ。だって……』

 

ソラが、大好きだから。

 

鬱陶しいと思っていたその愛情表現が、今は嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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