ナイン・レコード   作:オルタンシア

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むかしのおはなし

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上も下も、右も左も分からないマーブル模様に囲まれた空間は、いつ見ても不思議だった。

 

ゲンナイとなっちゃんは今、そんな空間をスワンプモンと名乗るデジモンと共に漂っている。

ことの発端は大輔とヒカリ、そして賢が突如現れた未知のデジモンにより、命を落としたことだ。

それだけならば不幸な事故として片づけられるはずだったのだが、同じ頃に現実世界に現れた少年から聞いた話の通りなら、その未知のデジモンを放っておくと大変なことになる。

それを阻止すべく、ゲンナイは危険を承知で禁忌である時を超えることを決めた。

なっちゃんが一緒に来たことは想定外ではあったものの、今のところ特に影響はない。

しかし時を超えている中で見た、未知のデジモンによる影響は少しずつ出始めている。

ゲンナイとなっちゃんが元居た世界も、歴史が書き換えられる恐れは十分にあった。

時間は改竄を許しても、歴史は改竄を許さない。

何処かで必ず辻褄を合わせようと、歴史の修正力が働く。

その修正力が及ぶ結果、自分達の世界がどうなるのか、誰も分からないのだ。

そうならないために、ゲンナイは色んな時間をジャンプして修正力を調整する必要がある。

大昔、まだエージェントもホメオスタシスもいない時代の、古代種と呼ばれるデジモン達が生きていた時代に飛んだのも、その1つだ。

大輔、京、伊織のパートナーであるブイモン、ホークモン、アルマジモンは古代デジタルワールドを生きた種。

ブイモン達が消えてしまえば、大輔達も選ばれし子どもとして選定されず、デジモンカイザーの悪行を止めるものがいなくなってしまう。

 

『着きましたよ、ゲンナイ様』

 

スワンプモンは、この亜空間で出会ったデジモンだ。

人間でもデジモンでもないゲンナイにとって、亜空間など何でもないところではあったのだが、時を超えるというのは前代未聞の出来事だったため、遡るにも何処から出ればいいのか分からなかった。

それを知っていたかのように、接触してきたのがこのスワンプモンである。

亜空間で生まれたというスワンプモンを、最初は警戒していたゲンナイだったが、話を聞くうちにその警戒心は解けていった。

スワンプモンがいなければ、自分も、なっちゃんも、そして“彼ら”も一生この空間を彷徨う羽目になっていただろう。

 

「ありがとう、スワンプモン」

『いえいえ、お役に立てて何よりです』

 

細長い身体、つるりとした大きな水晶のような頭部にシルクハット。

その頭部に顔はないものの、弾む声色で喜んでいることは分かる。

亜空間に浮いたスワンプモンとゲンナイ、なっちゃんの目の前に、マーブル模様とは正反対の、深い緑の景色が映し出されていた。

滲んだインクが垂らされたように、輪郭がぼやけている景色の中を覗き込む。

誰もいないことを確認し、まずはなっちゃんが足を踏み入れた。

 

『それでは、またしばらくしたら迎えに来ますね』

「ああ、頼むよ」

 

優雅にお辞儀をしたスワンプモンに礼を言い、ゲンナイも景色の向こうに飛び込んでいく。

 

やるべきことは、いっぱいあった。

 

 

 

 

 

いるのかいらないのか分からない荷物が乱雑に置かれた、冷たい煉瓦に囲まれた大部屋。

そこに誰もいないことを確認し、ゲンナイはマーブル模様の空間から飛び出した。

すた、と床に着地し、振り返る。

なっちゃんとスワンプモンが、手を振っていた。

またね、となっちゃんは言った。

ご武運を、とスワンプモンは優雅にお辞儀をした。

マーブル模様の空間が、縮むように消える。

それを見届けたゲンナイは、その部屋の扉を数センチ開け、誰もいないことを再度確認して部屋を出た。

何ともないような、初めからそこにいるような自然さを振舞いながら、ゲンナイはしれっと廊下を歩く。

向こうから自分と全く同じ服装で、フードを深く被った人影が歩いてきたが、ゲンナイは軽く頭を下げて挨拶をした。

相手も、同じく頭を下げてきた。

何度か人影とすれ違い、会釈をして挨拶をするが、誰も彼も同じく頭を下げて挨拶を返してくるだけで、怪しんでくる様子はない。

上手く入り込めたようだ、とゲンナイはこっそり含み笑いをした。

さて、とゲンナイは廊下を適当に歩きながら、当時の記憶を掘り起こす。

ここはかつて、デジタルワールドの危機に備えて、選ばれし子ども達を迎え入れるべく様々な準備を用意していた、エージェント達の施設だ。

当時、闇の勢力にそのことを気づかれ、奇襲されたうえに仲間の殆どを失い、デジたまを持って逃げる最中、ヒカリのパートナーデジモンであるテイルモンのデジたまだけ落としてしまった。

そして最悪なことに、逃げる際に敵からの呪いを受けてしまい、動きを制限されてしまった。

全てが後手後手に回ってしまい、あの時は選ばれし子ども達をまともにサポートできなかった。

だから今回はそうならないために、今から慎重に動かないと……。

 

「……ここだ」

 

たどり着いたのは、メインルーム。

ここには救世主たる選ばれし子ども達のデータが保存されており、選ばれし子ども達を護る武器であり盾となる、パートナーデジモンのデジたまが保管されている。

記憶の通りでよかった、と胸を撫でおろしながら誰もいないことを確認し、まずはガラスケースの中に大切に保管されているデジたまを確認した。

オレンジに青い筋が入っている卵や、ハートマークが散らされている卵……三者三様のデジたまが、8つ。

そのデジたまに1つずつ繋がれている、デジヴァイスと紋章。

まだ大丈夫だ、とゲンナイは口の端を吊り上げ、それから選ばれし子ども達のデータが保存されているであろう、メインコンピュータの前に立つ。

電源はつけっぱなしであったため、手慣れたように操作をした。

水色のスクリーンに、子ども達のデータが次々と映し出される。

八神太一、武之内空、泉光子郎……光が丘で彼らのデータをスキャンした際に保存したであろう、彼らの顔写真と共に、詳細なデータが記載されている。

このデータはデジヴァイスにも保存されており、デジたまに繋げることで子ども達のデータをデジモン達にインストールしているのである。

デジモン達が子ども達のことを知っていたのは、そのためだ。

ここでもそれは変わらないようで安心した、とスクリーンを更にスクロールさせて、ゲンナイは目を見開かせる。

 

「っ、なっ……!?」

 

スクロールさせていた手が止まる。

そこに書かれていたデータに、ゲンナイは驚愕した。

 

「イチジョウジ、オサム……ケン……何故……!?」

 

そこに、石田ヤマトと高石タケルのデータはなかった。

あったのは、一乗寺治と賢のデータ。

賢はともかく、何故兄の治のデータがここに記載されているのか。

賢の話によれば、兄の治は賢が7歳の頃、治が10歳の頃に亡くなったはずだ。

兄の死というトラウマにより、賢はデジモンカイザーというデジタルワールドにとっての敵となり果ててしまったのである。

それが、ヤマトとタケルに代わって、選ばれし子どもとしてデータが保存されている。

ゲンナイは再度、ガラスケースの中のデジたまを確認した。

ヤマトとタケルのパートナーである、ガブモンとパタモンのデジたま。

治と賢が選ばれし子どもとして登録されているのなら、パートナーデジモンも違っているはずだ。

しかし何度確認しても、ガラスケースの中にあるデジたまはガブモンとパタモンのもの。

どういうことだ、とゲンナイはますます混乱する。

 

──……これも、あの謎のデジモンの弊害か?

 

この世界の昔の時間軸では、ブイモン達古代種は大虐殺の末に絶滅させられた。

ゲンナイが元いた世界と時代とは全く異なる歴史を既に垣間見ているので、歴史が歪んで治と賢が代わりに選ばれし子どもとして登録されているのはおかしくないのだろうか。

 

「……確か、光が丘での戦いの記録も保存されていたはず」

 

ゲンナイは再度メインコンピュータの前に立ち、操作する。

前の時も保存をしていたから、選ばれし子ども達の顔ぶれが変わっていたとしても、そこは変わらないはずだ。

ゲンナイの読みは当たり、保存されていた光が丘の記録を再生する。

デジたまが現実世界に迷い込み、全ての選ばれし子どもの元祖とも呼べる少女、デジモンを進化させる不思議な力を持った八神ヒカリの下へ行ったのは、同じだ。

デジたまが孵り、ボタモンが生まれたことも。

その後、ゲンナイが元いた世界と時代では、ヒカリがボタモンと沢山沢山触れ合ったことでコロモンに進化し、その日の夜にはアグモンへ進化し、理性を失ったアグモンは本能がままに暴れてしまう。

そこでヒカリがアグモンを怖がって、それ以上近づかなければ、アグモンもそれ以上進化をすることはなかっただろうに、ヒカリは言葉と理性を失ったアグモンに触れ続けてしまった。

その結果、アグモンは短時間でグレイモンに進化し、迎えに来たパロットモンと戦う羽目になった。

その戦いを目撃した沢山の子ども達のうちの8人が、太一達だ。

しかしこの世界の光が丘の事件は、やはり違っていた。

 

「……大輔」

 

そこにいるはずのない子どもが、もう1人いた。

本宮大輔。2002年に、デジモンカイザーへと堕ちてしまった賢を救うために、選ばれた子ども。

元居た世界と時代では、光が丘に住んですらいなかったはずの子どもがここにいて、他の選ばれし子ども達と同じように、デジタルワールド側から“素質のある子ども”としてデータをスキャンされている。

ゲンナイは動画を一時停止させ、再度選ばれし子どものデータフォルダを開いた。

スクロールしていくと、やはり大輔のデータも記録されていた。

他の子ども達と違うのは、パートナーデジモンの記載がされていないこと。

恐らく、他の子ども達のように、大輔のデータと合うデジモンがいなかったのだろう。

賢と違って、こちらの大輔のパートナーは元の世界と時代と同じようだ。

 

《そこまでです》

 

元の世界と時代の時よりもエージェントの数が少なかったような気がしたが、もしかしたら大輔のパートナーを探しているのかもしれない。

どうやってブイモンを大輔のパートナーとして宛てがおうか、と考えていたら、突如として声が聞こえた。

女とも男とも、大人とも子どもとも取れない不思議な声を、ゲンナイは知っていた。

メインコンピュータを操作する手を止め、こっそりと笑みを浮かべると、お手上げとでも言うように両手を上げた。

 

《貴方は、誰ですか》

「……初めまして、というべきでしょうかね。デジタルワールドの安定を望む者……ホメオスタシス」

《……………》

 

声……ホメオスタシスは、何も言わない。

ホメオスタシスはゲンナイ達エージェントと同じ、実体を持たないデータの存在だ。

この世界の危機を真っ先に察知し、デジタルワールドに伝わる伝説を再現すべく、太一達を選ばれし子ども達として召喚しようとしていた者。

その準備のために、ホメオスタシスはエージェントと呼ばれるゲンナイ達セキュリティーの末端を生み出した。

勿論、元の世界と時代のゲンナイも、その1人である。

しかしこの世界では、ゲンナイはホメオスタシスから生み出されたのではない。

未来からこの世界へと遡ってきた、ホメオスタシスからすれば異端の存在だ。

闇の力を持った敵の手先と、ホメオスタシスが警戒するのは当然だろう。

他のエージェントを呼ばなかったのは、他のことで忙しかったのか、それとも他のエージェントに危害が加えられることを恐れてか……。

いずれにしても、誤解は解かなければ。

 

「申し訳ない、ホメオスタシス。いずれバレるだろうとは思っていましたが、思っていたよりも早かった。選ばれし子ども達のことを調べているのは、貴女からすれば怪しさ満載でしょう。しかし、これだけは言えます。私は、敵ではない」

《……………》

「その証拠に、パートナーが見つかっていない子どもに相応しいパートナーデジモンを連れてきましょう。いかがです?」

《……………》

 

ホメオスタシスは、是とも否とも言わなかった。

しかしそれ以上の返答もなかったので、ゲンナイはそれを是と捉え、その部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

けたたましく鳴り響く警告音。

その日の業務を終えたエージェント達は、デジモンや人間で言うところの“睡眠”状態であったが、その警告音によって全員が飛び起きる。

直後に、ドォンという爆発音が聞こえてきた。

施設が小さく揺れたのを感じたエージェント達は、何事かと爆発音が聞こえた方へと向かった。

 

それが、まずかった。

 

悲鳴が聞こえてくる。

施設の彼方此方から、絶えず爆発音や破壊音が聞こえてくる。

かのエージェントは、走った。

一心不乱に、ある部屋に向かって、真っすぐ走った。

爆発で吹っ飛んだ身体を壁にしこたま打ち付けたせいで、全身に痛みが走っている。

その際に右腕を折ったらしく、だらん、とぶら下がるように力が入らなかった。

走らなければいけないのに、力が入らない腕が邪魔で仕方がない。

無事とは言えない左手で右腕を押さえながら、かのエージェントは走る。

 

どぉんっ!!

 

「っ……!」

 

また爆発音がした。

施設が揺れ、それに足を取られてかのエージェントは足をもつれさせて転んでしまう。

 

「ぐぅ……!」

 

歯を食いしばり、小さく唸る。まだ痛みが残る身体を叱咤し、左腕だけで上半身を何とか起こした。

息が荒くなる。壁にもたれかかり、支えにしてゆっくりと立ち上がる。

足が震える。先ほど全身を打ち付けた時に、足にも怪我を負ってしまったようだ。

ズキン、ズキン、と怪我をしている個所が、心臓が鼓動を打つように波打っている。

自分達はデータの存在でしかないというのに痛みを感じるなんて、と自嘲しながらも、かのエージェントは壁伝いに歩き出した。

最早走る気力もない。

それでも、かのエージェントは進むのを止めない。

早く行かなければ、あれは、“あれ”だけは何が何でも護らなければ。

 

施設の奥の、奥の奥。

来たるこの世界の危機のために、最も大切なものを仕舞っておく、最重要にして最優先事項。

殆ど虫の息になりながら、かのエージェントはやっとそこに辿り着いた。

爆発音も破壊音も、まだ聞こえている。

恐らく仲間達は、もう殆ど残っていないだろう。

自分も、いつ消えるか分からない。

だがこの部屋の向こうにある大切なものを護らなければ。

かのエージェントは、足をもつれさせて扉に体当たりするようにぶつかった。

自動扉が開き、もたれかかっていたかのエージェントはそのまま倒れこむ。

受け身も取れず、どさりと全身を打ち付けたかのエージェントは、激しく咳き込んだ。

 

「がふっ……かはっ、はぁっ……!」

 

人間ならば確実に血を吐いていただろう。

しかしエージェントは実体を持たない存在である。

爆発で破損はしても、生命の証たる血が流れることはない。

 

「……っ、はぁ……」

 

息を整え、かのエージェントは左手を床につき、上半身を起こす。

辺りを見渡す。

ああ、よかった。ここはまだ壊されていない──。

 

 

ドガァンッ!!

 

 

ほっと力を抜いた直後に、かのエージェントの身体が紙くずのように転がっていく。

痛みが走る身体は力を入れることが出来ず、そのままもみくちゃに転がり、機械にぶつかってようやく止まった。

 

『……見つけましたよ』

 

悍ましい声に、かのエージェントはきつく閉じていた目を、何とか片目だけ開ける。

こつ、こつ、こつ、と床に響くのは、靴の音だ。

仲間のものではない。

濛々と黒煙が上がる、この部屋の出入口だった箇所。

その黒煙を掻き分けるように、ぬうっと出てきたのは、ピエロのような出で立ちをした者。

そこに佇んでいるだけで、悍ましい闇の力が漏れ出ている。

その闇に絡めとられたような錯覚に陥り、かのエージェントはピエロから目を離すことも許されなかった。

 

『世界の救世主だか何だか知りませんが……無駄なことを。嘘か本当かも分からない伝説に縋るなど、愚の骨頂。弱き者が我らに逆らうから、こうなるのですよ』

 

こつ、こつ、こつ、とピエロはかのエージェントを一瞥もせずに、通り過ぎていく。

向かうのは、部屋の奥。

大切なものが、大切に仕舞われている場所。

 

「っ、っ……ぁ、ぅ……」

 

待て、という言葉すら、喉の奥に張り付いて出てこない。

金魚みたいに、口をぱくぱくと動かすことしか出来なかった。

 

『……むっ!』

 

こつ、と靴音が一瞬止まると、ペースを速めて歩く音がする。

かのエージェントがいる場所からでは、ピエロを見ることが出来ない。

靴音が止まったかと思うと、数秒の後、ガシャアン!!と薄い板が割れる音がした。

それから再び早歩きで戻ってくると、ピエロは倒れこんでいるかのエージェントの胸倉を掴み、持ち上げる。

力が入らない身体がぶらん、とぶら下がり、胸倉を引っ張られているせいで息が詰まる。

 

「ぐぅ……!!」

『貴様、“アレ”を何処へやった!』

「っ、な、んの……話、だ……!」

『とぼけるなっ!』

 

ピエロが怒鳴る。

意味が分からず、それでも気丈に振舞い、ピエロを睨むが、ピエロは意に介さず胸倉を掴んだまま、ずかずかと部屋の奥へ向かった。

ぽいっと放り投げられる。

床にはガラスの破片が散乱しており、その切っ先が身体に突き刺さった。

痛みで呻き、目をきつく閉じていると、頭を鷲掴みされた。

 

「…………っ!?」

 

伏せたまま頭を持ち上げられる。

まるで何かを見ろ、と指図でもされているような仕草に、かのエージェントはきつく閉じていた目を無理やり開け……ギョッとなった。

 

“何もなかった”。

 

ガラスケースの中に大切に仕舞われていた、“8つのデジたま”が何処にもなかったのだ。

そんな莫迦な、とかのエージェントは愕然とする。

昨日の定期メンテナンスの時にはあったはずなのに、どうして。

 

『……ふん』

 

呆然としているかのエージェントの様子を見たピエロは、軽蔑の眼差しをかのエージェントに向けると、興味を失くしたように掴んでいた頭をぽいっと放り投げると、右の掌をそのエージェントに向け、衝撃波を繰り出した。

吹っ飛ぶエージェント。

地面に叩きつけられ、弾みながら転がっていく。

その身体が起き上がることは、もう二度とない。

背を向け、ピエロは連れてきた部下の小物達に、施設の隅々を探索するように命じた。

しかし幾ら時間が経っても、目的のものが見つかることはなかった。

 

『……伝説の再現など、やはりガセだったか……それとも、私が来るのを察して、先回りをしたか……どちらにしても、このワタシを出し抜こうなどと考えたことを、後悔させてやりますよ……』

 

そう言うとピエロは、破壊したことで丸見えになった空へと浮き上がり、飛び去って行った。

後に残ったのは、主を失った城だけだった。

 

 

 

 

 

疲れた、とゲンナイは溜息を吐き、げっそりとしていた。

そんなゲンナイに、なっちゃんは水が入ったコップを持ってきて渡してやる。

ロップモンは、お疲れーと何とも間延びした労わりの言葉をかけてきた。

ありがとう、と2人に礼を言い、受け取ったコップをあおって一気に水を飲む。

ふう、と一息。

純和風の屋敷は、ゲンナイとなっちゃん、そしてロップモンが住むには広すぎるぐらい広い。

いずれ来るであろう選ばれし子ども達のために、そして今までこつこつと集めてきた仲間達のために建てられたものでもあるから、これでもまだ狭い方だ。

そんな屋敷の一角に、ゲンナイがいた施設とよく似た部屋がある。

大きなコンピュータに、何の用途で使われるのか分からない機械類、それからデジたまを保管しておくための、ガラスの大きなケース。

その中に8つのデジたまが、あの部屋と同じように鎮座していた。

そのデジたまを眺めながら、ゲンナイはふっと笑う。

今度は、上手くいった。

 

 

時は遡る。

ホメオスタシスとの邂逅から、数か月ほど経った。

ホメオスタシスに認めてもらうため、まだパートナーが決まっていなかった大輔のパートナーであるブイモンを天界へと迎えに行ったのだが、そこでひと悶着あった。

オファニモンがだいぶごねたのである。

ブイモンをなかなか放してくれず、ゲンナイだけでなく側近の天使達も加わって長時間説得して、ようやっとブイモンを渡してくれたのだが、その条件がオファニモンも連れていくことだった。

今度は天使達が慌てふためくことになり、こちらも頑張って説得したのだが、オファニモンの態度は頑なだった。

結局ゲンナイが折れることになり、準備やら何やらがあるため、それが終わる頃に再び天界へ迎えに行くことを約束し、ブイモンを返してもらった。

再度天界に赴いた際、連れていく者が2人増えていたのには、開いた口が塞がらなかったが。

 

ホメオスタシスにブイモンを見せ、大輔とデータが適合したことで、ゲンナイは無事ホメオスタシスに認められた。

貴重な古代種ということでデジたまにはせずに、幼年期Ⅰのチコモンまで戻し、時が来るまで大切に保護することになった。

その世話役を任されたのは、チコモンを連れてきたゲンナイだ。

他のエージェント達は、ゲンナイのことをホメオスタシスが新しく作り出したエージェントと認識したようで、特に怪しむ素振りは見せなかった。

こうしてこの世界と時代のエージェント達に上手く溶け込んだゲンナイは、時々調査という名目で施設の外に出かけては、自分達の計画に協力してくれるデジモン達を探して回った。

ゲンナイ達が後手に回ってしまったのは、仲間達を闇の勢力によって失ったことも原因だが、最もな理由が他の協力してくれるデジモン達を仲間に引き入れなかったからだ。

幾ら選ばれし子ども達が世界の救世主とはいえ、たった8人の子どもだけで世界を救うなど、今考えるとなかなかに無理難題だったはずである。

それなのに、元の世界と時代の自分は敵から呪いを受け、それを緩和するために老人の姿を取っていたからと言って、子ども達のサポートもまともにしなかったのだ。

初めまして、をした時に、太一達から警戒されたのも無理はない。

しかし今回は、そうはさせない。

あの頃の記憶はまだ記録として残っているし、“彼”からも記録をもらった。

記録を何度も再生させて、何処でどのように動くかを、何度も頭の中で思い描き、シミュレーションを繰り返した。

その甲斐あってか、最初は協力を断られていたが少しずつ仲間を増やしていった。

ヴァンデモンの手下だったピコデビモンを仲間に出来たのは、大きかったと思う。

お陰で仲間に引き入れたウイルス種をスパイとして、ヴァンデモンの下に送ることが出来た。

 

しかし何より大きかったのは、こうしてデジたまを8つ、無事に持ち出せたことだろう。

前の世界と時代では、ヒカリのパートナーのデジたまを落としてしまい、敵勢力に奪われてしまった。

そのせいで前の世界と時代では更に後手に回ってしまったのだが、そうなると分かっているのだから、それを回避すればいい。

奇襲を受けた日が何時だったのかまでは覚えていなかったが、仲間になったデジモン達にも協力してもらったことで、奇襲を受ける日を予測できた。

奇襲を受けたのは、現実世界で言えば深夜の11時から翌日の1時にかけての時間帯。

エージェント達は既に眠りについていたし、こっそりと何かをするにはうってつけの時間だ。

明かりも点いていない薄暗い廊下を、ゲンナイは足音を立てないように慎重に進んだ。

幸いにもゲンナイの気配に気づいた者は誰もおらず、ゲンナイは無事にデジたまが保管されているメインルームに到着した。

光子郎がカスタマイズしてくれたハイスペックのタブレットを操作し、大きな籠を取り出し、ガラスケースの傍に置いておくと、メインコンピュータの方へ移動した。

懐からコードを取り出し、メインコンピュータとタブレットに繋いで、メインコンピュータのデータをコピーし、タブレットに全て保存した。

コードを外し、メインコンピュータを更に操作して、ガラスケースに設置されているロックを解除した。

これを解除しておかないと、ガラスケースを不用意に開けた途端、施設中に警告音が鳴るのである。

この8つのデジたまは、これから世界を救う大切な未来の英雄達だ。

孵化する前に、選ばれし子ども達と出会う前に、何かあってはいけないからという理由でとられた措置だった。

警戒は過剰にするに越したことはないのである。

 

ロックを解除したガラスケースからデジたまとデジヴァイス、紋章を、置いておいた籠に、壊れ物を扱うように入れた。

大輔のパートナーとなるチコモンは、既に避難済みなので、あとはこの子達だけだ。

その籠を持って、ゲンナイは行き以上に慎重に廊下を進んだ。

息を殺し、エージェントが休んでいる部屋の前を通る時は、更に緊張した。

冷や汗が止まらず、何度も立ち止まって汗を拭った。

汗が床に落ちる音でさえも大きく響いて、他のエージェント達に聞こえるのではと気が気ではなかった。

普段ならメインルームから15分ほどで施設の出入口に着くはずなのに、今日は30分以上もかかってしまった。

しかし、慎重に行動したお陰で、何とか施設の外に出られた。

予め待機させておいたメカノリモンに籠を持たせ、自身も乗り込んで、ゲンナイはまんまとデジたまとデジヴァイスと紋章を持って、施設を離れることに成功した。

他のエージェント達のことを考えると、思うところがないとは言わない。

しかし、相手は狡猾なデジモンだ。

いつもと違う動きをすれば、確実に怪しまれる。

自分ではない誰かが、自分と同じことをしても、ゲンナイは恨まない。

むしろそれでデジモン達が無事ならと、喜んでそれを受け入れるつもりだ。

……全てが終わったら、人間達の真似をして、エージェント達の墓でも作って、弔おうか。

実体のないデータだけの存在であり、命という概念がない自分達ではあるが、それでも選ばれし子ども達のために尽力したのだ。

その心意気を、想いを弔おう。

それが、選ばれし子ども達とエージェントを天秤にかけ、見捨てた自分ができる最大限の礼儀であり、償いだ。

 

「……さて」

 

まだやることはある。

デジたま8つと、チコモンを無事連れだしたからと言って、それで終わりではない。

むしろまだ第一段階だ。

ゲンナイは休憩もそこそこに、立ち上がった。

ガラスケースに仕舞われたデジたまのうちの2つ、“希望”と“光”の紋章が繋がったデジたまを取り出す。

メインコンピュータにまずは“希望”のデジたまを繋げると、取り出したるは2つのメモリチップ。

そのメモリチップには、オファニモンとセラフィモンのデータが記録されている。

正確には、オファニモンとセラフィモンそのものだ。

デジたまを持ち出す数日前、諸々の準備ができたのでオファニモンを迎えに行ったら、セラフィモンとケルビモンもついて行くこととなった、と聞いて頭を抱えてしまったゲンナイは、きっと悪くないだろう。

結局3体の天使達からの圧に負けて、沢山の天使達に見送られながら、オファニモン達はゲンナイについて行き、地上へと降り立った。

天界からいつも見ていた地上。その地上に足を踏み入れ、実際目の前に広がった光景を見たオファニモンが何を思ったのか、今となっては分からない。

ただやるべきことを、ゲンナイはやるだけだ。

ゲンナイによってオファニモンとセラフィモンは退化させられ、データ化され、そして小さなメモリチップに保存された。

そのメモリチップを、賢とヒカリのために選定されたデジたまに無理やり組み込んだ。

オファニモンとセラフィモンという、膨大なデータの塊だったため、デジたまに組み込んだ過程で一部のメモリが破損してしまい、自分達がかつて天界で神に仕えていた三大天使だった、ということを2体は忘れてしまったのである。

ゲンナイがそれを知るのは、2体が生まれてからなのだが、今は知る由もない。

 

無事オファニモンとセラフィモンのメモリチップを組み込んだ後は、デジヴァイスの改良だ。

子ども達の想いの力を0と1に変換し、デジモン達を進化させる力となるデジヴァイスは、当時から見てもハイテクな機械であったが、未来の世界でのデジヴァイスを見た後だと、何ともしょぼい代物にしか見えない。

まず、データ容量が少ない。

通常、デジモンとはあらゆる可能性の塊なのだ。

コロモンはアグモンしか進化できないわけではないし、グレイモンもアグモンからしか進化できないわけではない。

しかし子ども達を護る武器であり盾である必要があるので、パートナーデジモンの進化ルートは固定されている。

子ども達の想いの力がどれだけ強力であろうとも、パートナーデジモンはその力を発揮できたとしても、進化するデジモンは決まっているのである。

子ども達の想いを変換するプログラムと、固定された進化ツリーのプログラムだけでも、結構容量はパツパツだ。

他にも、デジモン達の激しい戦闘や攻撃の余波から身を護るための結界プログラム、それから逸れた仲間を探すための探索プログラムも入っているので、もうこれ以上の余裕はない。

元の世界と時代では、本当なら紋章のデータも保存できるようにするはずだったのだが、当時の技術ではそれ以上容量を増やすことが出来なかった。

苦肉の策として、紋章はタグというペンダントに嵌め込む、外付けHDDのようにするという方法を取った。

そのせいで最終決戦にて、紋章を破壊される羽目になったので、これも避けなければならない。

光子郎と話し合い、光子郎のデジヴァイスを使って、試行錯誤してタグをプログラムとしてデジヴァイスにインストールすることに成功したので、次はその作業だ。

 

「……頑張るか」

 

まだまだ、やらなければならないことが一杯ある。

ゲンナイの小さな呟きを聞いたなっちゃんと、ケルビモンだったロップモンは、お手伝いするよと申し出てくれたので、少しだけ疲れが取れたゲンナイはありがとう、と優しく微笑んで、礼を言った。

 

 

 

 

 

ぴきぴき、ぱきぱき。

薄く硬いものにひびが入って、割れる音がする。

その周りを、固唾を飲んで見守る影が複数。

ぱきり、と薄く硬いものが引きちぎられて、持ち上がる。

ぴょこん、とそこから飛び出てきたのは、小さな黒いもの。

黄色い目をパチパチさせながら、黒いのは自分を囲んで見下ろしている複数の影を、きょろきょろと見回した。

それを皮切りに、残りの7つの薄くて硬いものがぴきぴきという音を立てて、割れる。

そこから出てくるのは三者三様、赤かったり、種みたいだったり、スライムのようだったりと、様々な姿をしている。

それを見た青いスライムが、嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねた。

ミルクチョコレートみたいな色合いのものが、群がってくる小さいものを1体ずつ撫でる。

ハニーブロンドと瑠璃色の目をした女の子も、自分の足元に群がったものを1体抱き上げ、頬ずりした。

 

『……無事に生まれましたな』

 

獅子の顔をした、逞しい身体のものが呟いた。

ほ、と胸を撫でおろし、隣に佇む自分の半分ほどの大きさしかない影を見下ろす。

影は、獅子の顔を見なかった。

ただ感慨深く、そうだなと呟いただけだった。

やらなければならないことは、まだ沢山ある。

この子達が生まれたのを見届けたので、後のことはここの住人達に任せて、自分達は帰らなければならない。

それでも、あと少し。あと少しだけ、この光景を目に焼き付けておきたい。

世界は確実に、闇の侵食を受けている。

今日もきっと、何処かで誰かが泣いている。

明日も同じような朝を迎えると信じて疑わない者の命が、無残にも奪われている。

それでも、今この一時(いっとき)だけは、この平和な時間の中に身を置いておきたい。

これから自分は、再び戦いの中に身を投じなければならないのだから。

 

『ぷぷ~?』

 

最初に生まれた黒いのが、影の足元でちょこんと見上げてきた。

影の様子がおかしいことに気づいたのだろうか、しきりにふんふんと鼻息を荒くさせて匂いを嗅いでいた。

くすり、と影は笑うとその場に膝をつき、黒いのを撫でてやる。

くすぐったそうに目を細め、大きな掌にすり寄ってきた。

 

『……ゲンナイ様、そろそろ』

「……分かってるよ、レオモン」

 

獅子……レオモンと呼ばれたデジモンが、影……ゲンナイを急かす。

まだまだ、やらなければならないことは沢山ある。

この島で作った仲間達に、この島のことは全て託した。

自分は、来るべき日の時のために、サーバ大陸でまた東奔西走の日々を過ごす。

 

「いいかい、君達」

 

きゃあきゃあと好き勝手過ごしている小さなもの……生まれたばかりの、選ばれし子ども達のパートナーデジモン達に、ゲンナイは言う。

 

「君達はきっと、私のことは覚えていないだろう。それでも、君達が立派に育って、再び逢えることを楽しみにしているよ」

 

それまでどうか息災で。

ゲンナイの目じりに浮かぶ、きらりと光るものに気づかないふりをして、レオモンはロップモンとなっちゃんを連れてその場を後にした。

ゲンナイも、名残惜しそうにデジモン達を見つめた後、ゆっくりと立ち上がって背を向ける。

 

『ぷ~?』

『ぷぷ~!』

 

どうしたの?どこいくの?あそばないの?

そう言いたげな鳴き声に胸を痛めながらも、ゲンナイは振り返らない。

ぴょこぴょこついてくる音がしていたが、やがてその音も聞こえなくなる。

きっと別の何かに気を取られ、ゲンナイのことなど頭から飛んで行ってしまったのだろう。

それでいい、それがいい。

次に会う時は、子ども達がこの世界にやってきて、この島の平和を取り戻し、サーバ大陸に来た時だ。

 

「……………さて!」

 

まだまだ、やらなければならないことは沢山ある。

ゲンナイは何処までも青く澄んだ空を見上げながら、決意を新たに歩き出した。

 

 

 

 

 

.

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