ナイン・レコード   作:オルタンシア

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※本宮夫婦の名前捏造注意


みらいといま

.

 

 

 

 

 

「あんたさぁ、何か隠してない?」

 

自室に入るなり、大っ嫌いな姉がそんなことを聞いてきた。

見れば自室の出入口を陣取るように、ふんぞり返ってもたれかかり、ジトっとした目で見つめてくる姉がいた。

いきなり何なんだよ、と舌打ちしたいのを堪えて、大輔はさりげない動作でチビモンをベッドに寝かせてやる。

 

「ノックぐらいしろよ、莫迦姉貴」

「……っ、かぁ~!アンタ、ほんっと可愛くない!」

 

ぶっきらぼうに言い返してやれば、返ってくるのはいつも通りの言葉。

もう聞き飽きたとばかりに、大輔はそれをさらっと流して本棚にある漫画を取り出し、ちっとも勉強をしている様子がない勉強机に座って、漫画を読みだした。

別に、その漫画の続きが気になるとかでは、全くない。

自分はこれからやることがあるのだ、という体をとって、人の領域にずかずか入り込んできた姉を追い出そうとしているだけだ。

これから漫画の続きを見るのだから邪魔してくれるな、と無言の圧力をかけているのだが、6つも上の姉にとって、たかが小学5年生の圧力など、あってないようなものだ。

むしろその態度は、ジュンのイライラを更に加速させるだけだった。

 

今日は12月25日。

クリスマス・イヴだった昨日、12月24日、大輔達は賢の家でクリスマスパーティーをするために田町に、太一達はクリスマスの中学生のバンドコンテストに出場するヤマトの応援のために野外に設置された会場に、それぞれいた。

2組とも、それぞれのクリスマスを楽しんでいたのだが、ヤマトが所属しているバンドグループが歌を歌っている最中に、何処からともなく複数体のデジモンが現れ、コンテスト会場をめちゃくちゃにしてしまったのだ。

クリスマスプレゼントとして、後輩達が太一達のパートナーを連れてきてくれていたし、田町でクリスマスパーティーをしている大輔達を呼び戻すのは忍びなかったので、太一達だけで対処しようとしたのだが、何故か進化することが出来ずに、結局大輔達を呼ぶはめになってしまった。

大輔達と力を合わせ、何とかデジモン達をデジタルワールドへと送り返すことができたものの、それは事件の始まりに過ぎなかった。

翌日のクリスマス、12月25日の朝、それは起こった。

世界各国に突如として現れた黒いモノリス。

それはかつて賢がデジタルワールドを自分のものにするために、支配の証として、そしてデジモン達が自分に逆らえぬように特殊な電波を発信させるアンテナとして、エリアの彼方此方に建てていたダークタワーだった。

そしてダークタワーが建てられた直後に、何処からともなくデジモン達が現れた。

イービルリングやイービルスパイラルで操られているわけではない、ダークタワーから作られた無機質な操り人形でもない、正真正銘野生に生きている、正気のデジモン達だ。

知らないところに無理やり連れてこられたことで混乱してしまい、暴れ回るデジモン達を何とかしようと奮闘する大輔と賢だったが、ただ迷子になっただけの迷いデジモンを相手に、当初は苦戦した。

何せデジモンが暴れているのは、現実世界だ。

イービルリングの時のように、解放したらはい終わり、と言う訳にはいかず、デジタルワールドに帰してやらなければならないのである。

しかし操られているのでもなく、ダークタワーが化けているわけでもない、ただの迷いデジモンを大人しくさせるのは、至難の業であった。

相手はジョグレス進化したことで更に1つ上のレベルになったパイルドラモンと同じ、完全体のデジモン。

制限があるパイルドラモンと違い、好き勝手暴れる迷いデジモンに、パイルドラモンは成す術もなく、ただ一方的に嬲られるだけだったのだが、そこに差し込まれた一筋の希望の光により、形勢は逆転した。

その光を浴びたパイルドラモンは、最終段階にして最強と謳われる“究極体”、インペリアルドラモンというデジモンに進化をした。

その場で暴れていたデジモンをいとも容易くデジタルワールドへと送り返すのは勿論のこと、その巨体を宙へと浮かすと日本中に建てられたダークタワーを一瞬で破壊する、というすご技をやってのけたのである。

しかしダークタワーは破壊出来たものの、それに呼応するように現れたデジモン達は、さしものインペリアルドラモンでもどうにもならなかった。

そこで子ども達は手分けをして世界に散らばり、世界の選ばれし子ども達と協力して、迷いデジモンをデジタルワールドへと送り返すことにした。

これまでデジタルワールドへ行くには、ゲートが偶発的に開かなければ、選ばれし子どもといえど赴くことはできなかったのだが、デジモンカイザーの出現をきっかけに、新たな選ばれし子どものデジヴァイスには、ゲートを自由に開閉できる機能が追加されていた。

その機能を使い、世界中へと飛んでデジタルゲートを開け、現実世界へと迷い込んでしまったデジモン達を送り返すことに成功した。

世界中を周る、というと途方もないような徒労に思えるが、インペリアルドラモンに進化したことで、世界1周に凡そ30分強ほどしかかからずに移動できたため、子ども達は半日で日本に帰国することが出来た。

これがオメガモンなら、こうはいかなかっただろうな、と太一とヤマトが笑いながら言った時、大輔はどう反応するのが正しいのか頭を抱えてしまったのは、致し方ないと言えよう。

とにかく、大輔はそんな大役を追え、へとへとになりながら帰ってきたのだ。

大輔としてはとっとと飯食って、風呂入って、ベッドに潜り込みたいのだが、姉がそれを許してくれない。

さっきも帰ってきて早々、何処に行ってたのよ、なんてぶっきらぼうに問われたから、何処だっていいだろ、と同じように返して、何それムカつく、といがみ合ったばかりだ。

大嫌いとはいえ、喧嘩をしたいわけではないので、とっととご退場願いたいのだが、姉は大輔の素っ気ない態度など、全く気にする様子はなく、それどころかずかずかと大輔の領域(テリトリー)に入り込もうとしてくる。

 

「今までもおかしかったけど、5年生になってからますますおかしくなってんじゃない。あからさまに帰る時間遅くなってるし、クラブがない日も暗くなるまで帰ってこないし。友達とお喋りしてるー、なんて言って、お父さんもお母さんも誤魔化されてるけど、アタシの目は誤魔化せないわよ。白状しなさい。アンタ、何してんの?」

「……関係ねぇだろ」

「関係なくない。そりゃ、アンタが何してようが勝手にすればいいわよ。でもそれで何かあったらどうすんの?お父さんやお母さんが心配しないと思ってんの?自分の知らないところで子どもに何かあって、それを後から他人づてで知られる家族の気持ち、アンタに分かる?」

「………………」

「……はぁ、アンタっていっつもそうよね。こっちが心配しているのに、人の気も知らないでさ。いっちょ前に大人ぶっちゃって、ホントふざけないでよねっ!」

 

もういい、と何も言わない大輔に、ジュンは苛立たし気に扉を閉めた。

ドスドスドス、と閉めた扉の向こうからでも聞こえてくるほどの足音に、大輔はようやっと漫画本から手を放した。

椅子の背もたれにもたれかかれば、キャスター付きの椅子が軋む音がする。

 

「……何が、人の気も知らないで、だ……莫迦姉貴」

 

仰け反っていた背を前のめりにし、机に突っ伏して大輔は忌々し気に呟いた。

姉が言っていることも、分からないでもない。

しかし大輔達が行っていることは、一般人に知られるわけにはいかなかった。

ただでさえ3年前、デジモン達は現実世界へと侵略のために姿を現わし、お台場をめちゃくちゃにしたという前科があるのだ。

パソコンの向こう側にもう1つ世界があるなんて、きっと普通の人間は信じないだろうし、信じたとしてもデジモンと仲良くしたいという善良で純粋な想いを持った人間ばかりではない。

むしろデジモン達を未知の生物兵器として見る者が大半だろう。

大切な友人であり、生涯のパートナーとも呼べるデジモン達を、大人達のくだらない争いや思惑に巻き込むわけにはいかない。

この先のことがどうなるのか、大輔には分からないが、今人間がデジモンのことを知るのは時期尚早なのだ。

だから誰にも知られないように、大人達には秘密裡で事を処理しなければならないのである。

 

「泣いてたくせに……」

 

3年前、後にお台場霧事件と呼ばれることになった、1999年8月3日。

突然現れて、突然襲ってきた、白い布を被ったお化けみたいなものが、夏休みを満喫していた本宮家の平穏をぶち壊した。

すぐ傍にあると言っても差し支えないほどに、近い位置にあるビッグサイト。

1996年の4月に完成したばかりだったそこは、同年に毎年夏に行われる、とあるイベントの会場となった。

だいたいお盆の時期に行われる夏のイベント、1999年にも当然行われる予定であったが、デジモン達の襲来による被害で、その年はイベント中止の危機に陥った。

幸い、ビッグサイトで行われる以前に、会場となったことがある施設が幾つかあり、施設側からのご厚意もあって、イベントは無事行われたのだが、今は置いておこう。

ともかく、毎年行われる夏のイベントも行えないぐらいにしっちゃかめっちゃかにされたビッグサイトに、大輔達一家は監禁されていた。

本宮一家だけではない。ビッグサイトには、周辺に住むお台場の住人達が大勢捕まって、その場に待機させられていた。

そのうち、小学生以下の男女問わない子ども達が、別室へと連れていかれた。

子ども達が泣いても叫んでも、大人達が拒否をしてもそれが覆ることはなく、無慈悲にも引き離されてしまった。

大輔もそのうちの1人だ。

その頃から既に、対等に喧嘩をしていたジュンは、もう中学生だったためにそれには含まれなかった。

含まれなかったからこそ、ジュンは必死で抵抗した。

何とかして大輔を護ろうとしてくれていたことは、朧気ながらも覚えている。

しかし姉の抵抗も虚しく、大輔は別室へと連れていかれた。

その時、大輔は確かに見た。

両目から大きな粒の涙を零した姉を。

弟を護れなかったふがいない自分に怒り、そして自分達の日常をあっさりと壊した張本人を恨み、憎む姉の姿を。

……連れていかれる弟に、護れなかった自分を許してほしいと訴えてくる、その眼差しを。

ジュンのことは、嫌いだ。姉なんか、大っ嫌いだ。

いっつも偉そうにして、弟である大輔をこき使って、莫迦にして。

自分のものを使われるときぃきぃ喚いて怒るくせに、自分は平気で大輔の物を勝手に持って行って使って、そのことに対して文句を言えば、10倍20倍になって返ってくる。

自分勝手な姉が、大嫌いだった。

大嫌いだけど、大好きだった。

横暴で自分勝手だけれど、確かにジュンは大輔の姉なのだ。

互いに嫌いになんてなれるはずがないのである。

弟を連れ去ったあの化け物を、姉が許すわけがないのだ。

去年までは特に気にしていなかったのだが、実は毎年夏になると、特集としてお台場霧事件のことがテレビで放送されている。

その放送を見る度に、姉はいつも騒がしい顔面を仏頂面にさせて、口数が極端に少なくなる。

莫迦だ鈍感だと言われている大輔だが、姉も割と顔に出るタイプなので、流石に分かった。

姉は、あの化け物を、否、デジモンを恨み、憎んでいる。

そんな姉に、自分がデジモンのパートナーを得たことや、昨日今日起きた事件に関わっているなんて知られれば、間違いなく姉は大輔を止めるだろう。

止めるだけならまだしも、下手をすれば泣き喚くかもしれない。

何でアンタが、他の誰かでいいじゃない、何で、どうして。

そう言って泣きつかれてしまったら、さしもの大輔もどうしようもない。

姉は大っ嫌いだけど、姉を泣かせることだけは避けてきた。

3年前に、自分のために泣いてくれたジュンの姿を、大輔はどうしても忘れられないのである。

やると決めたことは最後までやり通すが、他の大人達に止めろと言われたって貫き通す所存ではあるが、もしも姉にバレてしまったら……。

 

「……誰のためだと思ってんだよ」

 

嫌いだ、大嫌いだ。

お姉ちゃんなんか、大っ嫌い。

でも大好きだ。

自分が嫌われるのは構わない。

でもデジモンを、ブイモンを嫌わないでほしい。

ブイモンにだって心はある、意思はある、感情はある。

もしもブイモンに、ジュンが酷いことを言ってしまったら……自分達姉弟は、今度こそ終わりだろう。

決定的な、2度と塞げないほど大きな溝が出来てしまう。

それだけは何としても避けなければならないのだ。

猪突猛進な大輔にしては、いつになく慎重なのは、それが理由であった。

白状しろ?言えるならとっくに言っている。

それが出来ないから、こうして口を噤んで、あからさまに秘密にしていますという態度をとっても、誤魔化すしかないのだ。

 

「……姉ちゃんの、ばーか」

 

苛立ちと、ほんの少しの哀しみが含まれた言葉は、きっと一生届くことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体どうしたっていうのよ、ジュン」

 

眉を顰め、勝手なことをした娘を咎める母の声が、リビングに響く。

明らかに怒っている様子の母の声色に、しかしジュンは何の反応も見せない。

何かを堪えるようにただじっと俯いて、唇を噛みしめているだけだったから、母・恵美は溜息を吐くしかなかった。

 

恵美が娘と息子の不在に気づいたのは、夕食を作り終わった時だ。

夫・幸一から、これから帰宅する、という旨の電話をもらい、夫の帰宅に合わせて夕飯の支度をしていたのだが、皿や茶わんを子ども達に運んでもらおうと子ども部屋に呼びに行った時に発覚したのだ。

最初はかくれんぼでもしているのかと思って、押し入れやらトイレやら風呂やらを見て回ったのだが、子ども達は何処にもおらず、半狂乱状態で外へ飛び出していった。

隣近所のインターホンを鳴らして、支離滅裂な説明をすれば、近所の人たちも心配をして一緒に探してくれた。

途中で帰ってきた夫も参加して、娘と息子の名前を連呼しながら探し回ること、約1時間。

2人は無事見つかった。

隣の部屋に住む若い夫婦が、公園のドーム型の遊具から出てきた2人を見つけてくれたのだ。

2人が見つかったと聞いた恵美は、駆け付けるなり2人に抱き着いて膝から崩れ落ち、幸一も安堵の息を吐いて、一緒に探してくれた近所の方達へ、妻の代わりに礼を言ってそれぞれ帰宅した。

子ども達が見つかった安堵から、次に恵美の心を占めたのは、勝手にいなくなったことに対する怒りであった。

家族で夕飯を取っている間も、その怒りが収まることはなく、いつも騒がしい本宮家には珍しく、沈黙と気まずさに包まれていた。

夕飯を食べ終わり、大輔を風呂に入れて部屋へ戻ったのと同時に始まったのは、母からの説教である。

 

「夕飯の支度手伝ってもらおうと思って、部屋に行ってみれば……お母さんがどれだけ心配したと思ってるの。ご近所の方達だって、すごく心配してくださって……」

「………………」

「おまけに大輔まで連れてっちゃって……夜に子どもだけで出かけちゃダメだって言ったでしょう?幾らアメリカより安全って言ったって、犯罪が全くないわけじゃないのよ?2人に何かあったらって、お母さんがどれだけやきもきしたか……」

「………………」

「ねえ、ジュン。どうして黙って家を出たの?遊び足りなかったとか、そういう訳じゃないんでしょ?大輔が背負ってたリュックに、お菓子とか食べ物とかも入ってたし……もしかして、家出しようとしてたの?」

「………………」

 

そこでようやく、恵美は異変に気付いた。

いつの間にか家からいなくなっていた娘と息子を見つけた安堵で、ついつい饒舌になっていたのだが、自分の声以外何も聞こえてこなかったことに、違和感を覚えた。

ジュンの声が、しなかったのだ。

負けん気の強いジュンは、例えジュン自身が悪いことをして説教を受けたとしても、それに対して反抗的な態度を取る。

曰く、悪いことをしているように見えるのは大人の都合、自分達は理由があってそうしている、とのことだ。

屁理屈だけはいっちょ前なんだから、と思いつつも、その反抗的な態度は成長している証である、と言うことも分かっている。

分かってはいるが、恵美自身も気の強い性質(たち)だ。

反抗されると条件反射で言い返してしまう。

女の子ということもあり、ああ言えばこう言う、を互いにやり返して、結果近所中に喧嘩の内容が筒抜けになることも、多々あった。

それなのに今回は、一言も言い返してこないのである。

ただ俯いて、膝に乗せた手をぎゅっと握り、作った拳が小刻みに揺れているだけだった。

 

「……ジュン?」

「………………」

「……どうしたの?黙ってちゃ分からないわよ?」

「………………」

「……ねえ、ジュン。本当にどうしたの?もしかして学校で嫌なことでもあった?」

 

ソファーに座ってじっと何かを堪えているようなジュンの前で、恵美は膝をつく。

そう言えばここのところ、ジュンの様子がおかしかった。

話しかけてもぼんやりしていることが多く、ご飯も残すことが多くなっていた。

特に何も言ってこなかったので気にしていなかったのだが、本当はずっと前から悩んでいたのを隠して、それが今日ぷっつりと糸が切れたみたいに堪えられなくなって、それで衝動的に大輔を連れて家出なんてしてしまったのではないだろうか……。

勝手にいなくなったという怒りから、心配に変わった恵美は、思いつめている娘の手助けになるべく、そっと手を伸ばす──。

 

バシンッ!

 

何かを叩きつけるような音。

同時に、恵美の手の甲にジンジンとした痛みが広がる。

恵美も、成り行きを見守っていた幸一も、一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 

「……ジュン?」

 

辛うじて幸一の喉の奥から吐き出された、娘の名前。

途端に、母の手を弾いたジュンの手が、肩が、ぴくりと震えた。

 

「…………お母さん、は」

「え?」

 

やっと聞こえた娘の声は、震えていた。

 

「……お母さん、が……心配だったのは…………どっちなの……?」

 

母親の手を弾いたままの体勢で、振り絞るように紡がれたジュンの言葉の意味を、恵美と幸一は最初理解できなかった。

怪訝な表情で娘を見れば、母の手を弾いたジュンの手の震えが、どんどん酷くなっていく。

 

「ジュン?」

「お母さんのっ!言っている“ジュン”はっ!どっちなのよ!」

 

俯かれていた娘の顔が、勢いよく上げられる。

ボロボロ、という言葉が聞こえてきそうなほどの、大粒の涙がジュンの両目から溢れ出ていた。

ぎっ、と吊り上げられた眉尻に、瞳孔が開ききった目、そして食いしばられた歯。

明らかに怒っている様子の娘に、恵美も幸一も狼狽えるしかない。

……そんな両親の姿を見て、ジュンは失望する。

どうして分からないのだ、自分はこんなにも苦しいのに、哀しいのに。

怒りに任せて立ち上がり、そしてドスドスと乱暴な足音を立てながら向かった先にあるのは、小さな仏壇。

がつ、と鷲掴みにしたものを、ずいっと両親に見せつけてやれば、2人は顔を青ざめさせた。

そして、ようやっと理解した。

娘の流した涙の意味も、怒りに呑まれた眼差しの意味も。

 

「……お父さん、お母さん……教えてよ……お姉ちゃんの名前って、何?」

「………………」

 

恵美は唇を噛みしめる。

幸一は目を閉じ、唇を真一文字に結んだ。

このまま時が過ぎるのを待つつもりなのだろうか。

そんなこと、知って(きづいて)しまったジュンが許すはずもなく。

 

「……今までお姉ちゃんの墓参りとか、仏壇に手を合わせるとかはしてたけど、何でお姉ちゃんが死んじゃったとか、お姉ちゃんがどんなお姉ちゃんだったのかって聞いたことなかったわよね。お母さん達から言ってくれたことだって……当たり前だよね。だってお姉ちゃんの名前、アタシと同じなんだもん」

 

真実を知ることが、必ずしも人を倖せにするとは限らない。

ジュンは、知ってしまった。

知ってしまった結果、ジュンの心に絶望の嵐が吹き荒れた。

これを偶然と呼ぶのか、必然と呼ぶのか、きっと誰も分からない。

分かっているのは、ジュンの名前はジュンが生まれる前に死んでしまった姉の名前を、そのまま付けられた、ということだけだ。

 

「言えるわけないわよね。死んじゃったお姉ちゃんの名前、そのまんまアタシにつけたなんて、そんなこと、言えるはずないもん。普通の親なら死んじゃった人の名前をそのままつけるなんて、そんなことしないもん」

「ジュ、ジュン……」

「やめてよ!」

 

下の階から苦情が来そうなほど、ダンッ!と右足を思いっきり床に踏み鳴らした。

本当は、手に持っている姉の写真を叩きつけてやりたかった。

名前も人生も、何もかも生きられなかった姉の分を押し付けてきた彼女に、八つ当たりをしてやりたかった。

でも、ジュンはしなかった。

辛うじて残っている理性が、それはしてはいけないと警鐘を鳴らしてきたからだ。

それだけは、やってはいけない。

どれだけ姉が憎かろうとも、恨みがましくとも、姉は既に死んでしまった人だ。

この世にいない人だ。

たった1歳で死んでしまった姉は、今のジュンのように怒ることすら出来ないのである。

 

「アタシの名前も、お母さんがアタシに買ってくれたものも、お父さんがアタシにしてくれたことも、全部全部全部!!お姉ちゃんに買ってあげたかったものなんでしょ!?してあげたかったことなんでしょ!?アタシじゃなくて!“ジュン”お姉ちゃんにっ!!」

「ジュン、待って!違うの、話を……」

「違うって何よ!!何が違うのよっ!!違うなら何でアタシにお姉ちゃんの名前をそのまま付けたのよっ!!」

「っ、それは……!」

 

ボロボロ泣きながら、何度も何度も床を踏み鳴らしながら、ジュンは両親を問い詰める。

数日前、母に頼まれて仏壇の掃除をしたことが、そもそものきっかけだ。

うっかり写真をひっくり返してしまって、写真立てから写真が落ちてしまったのを見たのが間違いだった。

ジュンと大輔が赤ん坊の頃とよく似た、そのどちらでもない赤ん坊の、可愛らしい笑顔の写真。

写真立てに納めようと裏返しにした時に見てしまった、たった5文字の言葉。

遺影代わりの写真に、自分の名前と歳が書かれていれば、賢い子どもならすぐに理解してしまうだろう。

ならば、次に尋ねたいことは決まっている。

何故両親は、死んだ姉の名前をそのまま次に生まれてくる子につけたのか。

 

「………………」

「………………」

 

しかし両親は答えない。

先ほどのジュンのように、ただ俯いて、問い詰めてくる娘の恨みがましい眼差しから逃れるように、顔を逸らすだけで、ジュンの聞きたいことを返してくれなかった。

 

──……ああ

 

強張っていた身体から、力が抜けていく。

握っていた拳もゆっくりと解かれ、怒っていた肩が下がる。

俯いて、ジュンは唇を噛みしめた。

もう涙は出てこない。

泣きすぎて目の奥にジンジンとした痛みが走り、涙で濡れていた頬も乾いて少しだけ引きつった。

大人は、いつもそうだ。

自分達が子どもだった時のことも忘れて、子どもは何も知らないと思い込んで、大切なことから遠ざける。

知らなくていいと目を閉ざして、耳を塞ぐ。

大人が思っているほど、子どもは阿保(ばか)じゃないのに。

少なくとも今回の件に関しては、ジュンは当事者だ。

だってジュンの名前はジュンのものではない。

元々は死んだ姉の名前なのだ。

知る権利はあるはずなのに、ジュンはこんなにも訴えているのに、両親は尚も口を閉ざしたままだった。

それを見たジュンの心から、怒りの炎が少しずつ燻っていく。

……それは、ジュンが両親を許した、と言う意味ではない。

 

カタン

 

静まり返ったリビングに、やけに響いたラッチの音。

は、と3人がそちらに顔を向けると、本宮家で1番小さな子ども、大輔がいた。

ドアの横レバーに手をかけ、半分開いたドアの向こうから小さな身体を覗かせた大輔の目は、戸惑いに満ちていた。

 

「だっ、大輔……!」

「……どういうこと?」

 

真っ先に我に返ったのは、幸一だった。

この話を大輔に聞かせるのはまだ早い、と判断し、ぎこちない笑みを浮かべながら部屋へ戻そうと1歩進み出たのだが、大輔の方が早かった。

 

「おねえちゃんの名まえ……おねえちゃんのじゃないの?」

「っ……!」

「しんじゃったおねえちゃんの名まえ、そのままつけたって、どういうこと?」

「……大輔、もう9時だよ。今が夏休みだからって、夜更かししちゃだめだ。」

 

問いただしてくる大輔に対して、幸一は苦笑を浮かべながら部屋へ戻るように促した。

ジュンにさえ言えないことを、まだ小学1年生の大輔に聞かせるわけにはいかないからだ。

 

しかし両親は、大輔を侮っていた。

 

今目の前で起こっていることで一杯一杯になってしまい、すっかり忘れてしまっていた。

大輔がどういう子なのかなんて分かり切っていたはずなのに、両親は目の前の問題から子ども達の目を逸らすことに必死になりすぎていた。

このことが、後の大輔と両親の関係性に影響を及ぼすことになるなんて、誰が予想できただろうか。

 

「……………い」

「え?」

 

ぽつり、と落とされた、小さな小さな声。

肩を怒らせ、震えるほどに握った拳を胸の位置まで上げながら、大輔はジュンを護るように立ちはだかった。

 

「ひどい!ひどい、ひどい、ひどい!ひどいよ、おかあさんもおとうさんもっ!!どうして!?どうしてそんなことしたの!?おねえちゃんがかわいそうだよっ!!」

 

まだ小さい大輔には、一体何があったのかよく分かっていない。

それでも、お姉ちゃんが悲しんでいることは、お父さんとお母さんがおねえちゃんを悲しませていることは、何となく分かった。

感受性の強い大輔は、人の気持ちにとても敏感だった。

誰かが哀しいと大輔も哀しくなって、誰かが嬉しいと大輔も嬉しくなった。

その人の代わりに泣いてしまうことがあるぐらい、共感性が強い大輔は、この場を支配している空気も正確に読み取っていた。

だがそれを指摘するほどの語彙を、大輔はまだ持っていなかった。

 

「………………」

「………………」

「ねえ、なんで?どうしてこたえてくれないの?」

 

もう誤魔化せないところまで来ているというのに、それでも両親は答えない。

聞けば何でも答えてくれた両親は、ジュンと大輔が1番聞きたい肝心なことに対して、何も“応えて”くれなかった。

子ども達からの信頼がみるみる無くなっていくことを理解しながら、それでも両親は子ども達からの信頼よりも、真実を明かさないことを選んだのだ。

それを目の当たりにしたジュンは、枯れたと思っていた涙が再びぽろりと落ちたのを感じながら、ぺたんと座り込んだ。

 

「もういいよ、大輔。もういいいから……」

 

姉を護ろうと奮闘する小さな弟の肩に手を置き、ジュンは何度も首を横に振る。

ジュンと大輔がここまで訴えても、両親は真実を話そうとしない。

彼らにとって、大切なのは自分達ではないということを思い知っただけだった。

 

すー、っと。

 

急速に大輔の頭が冷えていく。

 

「……もういい」

 

大好きなお姉ちゃんを悲しませる人は、苦しませる人は、みんな敵だ。

だってお姉ちゃんはいつだって大輔に優しかった。

自分が出来なくてお姉ちゃんが出来ることがかっこよくて、いつも後を追っていたし、何でもお姉ちゃんの真似をしていた。

時々喧嘩もするけれど、お節介なお姉ちゃんが鬱陶しいって思う時もあるけれど、それでも大輔の1番は、1番近いのはお姉ちゃんだ。

だからお姉ちゃんを傷つけるのは、誰だろうが許さない。

それが例え実の両親だとしても。

 

「おとうさんもおかあさんもしらない。きらい!だいっきらい!!」

 

そう宣言すると、大輔は姉の手を掴んで自室へと戻った。

お姉ちゃんと大輔の部屋は別々だけれど、今のお姉ちゃんを1人にさせたくなかったのだ。

両親が後を追ってこないのを確認し、大輔はお姉ちゃんを見上げる。

ぽろぽろ、ぽろぽろ、と先ほどとは違う小粒の涙が両目から沢山零れていた。

急いで机の上に置かれたティッシュ箱を持って、お姉ちゃんに手渡す。

ポカンとしていたジュンは、差し出されたティッシュ箱と、気づかわし気な弟の表情を見て、口元を歪ませながら小さくありがとう、と呟きながらティッシュを受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

……夢を、見ていた。

 

前世と、今世の、家族の夢。

はっきりとは覚えていない。

ただ、姉が泣いていたような気がする。

泣いている姉と、それを黙って見ているだけの両親。

その光景を扉越しに見ていた“大輔”を、《大輔》は少し離れたところで、他人事のように見ていた、そんな不思議な夢。

画面の向こう、まるでテレビのような、映画のような、そこにいるのは自分のはずなのに、ビデオで記録した映像を見ているかのような、そんな錯覚にさえ陥った。

“大輔”が扉から飛び出して、姉と両親の間に立った時、傍観者でしなかった《大輔》の意識が彼らを隔てていた薄い1枚の幕を突き破るかのように、“大輔”の中へと吸い込まれていった。

同時に《大輔》の心を支配したのは、激しい怒り。

その烈火の炎は、まるで魂を包み込まんとするほどに燃え上がり、全身から怒りの感情が沸き上がった。

その怒りをコントロールする術を、《大輔》も“大輔”も持っていなかった。

感情のままに、両親に叫び、喚き、全身で怒りを伝えた。

何と言ったのかまでは覚えていないが、両親が口を閉ざし、子ども達から目を逸らしたことで、両親に抱いていた僅かな希望が打ち砕かれたことは分かった。

すん、と激しく燃え上がっていた怒りの炎に呑まれかけていた心が、急激に冷めていった。

その日から“大輔”は、両親を両親と思うのを止めたのである。

ただ一緒に住んでいるだけの人。親の庇護がなければ生きていくことが出来ない子どもである、と言うことは分かってはいるけれど、それを差し引いても両親の態度が許せなかった。

前世で姉に対して抱いていた複雑な想いなど比ではないほどの、怒りと憎しみのような負の感情。

《大輔》としての記憶を取り戻した今でも、その怒りは大輔の中で燻ったまま、燃え尽きることはない。

色んな事がありすぎて、両親のことなどすっかり頭から抜けていたが、思い出した今はムカムカして仕方がなかった。

 

……この怒りが“大輔”のものであると分かっていても、《大輔》にはどうすることも出来ないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大輔っ!!いい加減に起きなさいっ!」

 

 

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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