ナイン・レコード   作:オルタンシア

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むかしのおはなし

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上下左右、何処を見渡しても暗闇の空間は、未来で開発された光を吸収する特殊な黒いペンキで塗りつぶされたようだった。

そんな一筋の光すら通さないほどの真っ黒い空間の中に、ぽつんと浮かぶ異彩があった。

暗闇とは正反対の白い雲と空のような青は、そのままにしておけばその空間に呑まれて消えてしまうのではと思うほどに、小さな存在だった。

へにょりとした2本の角に、幼年期には珍しい胴体と可愛らしい手足があるデジモン、チビモンは眠り続けていた。

頑なに目を、そして心を閉ざしてしまったチビモンは、きっと今自分が何処にいるのかも分からないだろう。

大好きなパートナーが傍にいないことにさえ、チビモンは気づけない。

 

『……やれやれ、やっと見つけましたよ』

 

そんな何者も拒絶するような暗闇の空間に、ぬるりと割り込んできた、人を食ったような飄々とした声。

同時に、何もないはずの暗闇に、同じくぬるりと異形の頭部が出てきた。

人間の子どもが両手で抱えるのがやっとなほどの、大きくて真っ白な水晶の玉でできた頭部の存在が、まるで裂け目や境目から内部に出る、または外部へ出るように、この空間に侵入してきた。

するり、と滑るように出てきた“其れ”は、その大きな水晶の頭部を支えるには細すぎる身体をしていた。

歪な縦の白いストライプが入った黒いスーツと、にたりと嗤った顔がやけにリアルなシルクハット。

白い手袋をした細長い手には、こちらもにたりと嗤っているドクロが持ち手についている。

ふわりと音もなく現れたその影は、地平線の傍観者・スワンプモンだ。

その昔、自身も忘れてしまった罪を犯し、咎人として世界を追放されたスワンプモンは、その罰として本来世界に関わることは禁じられている。

その禁を破れば、たちまちスワンプモンはその存在を“お偉い方”に消されてしまう。

そんなスワンプモンが、何故チビモンの前に現れたのか。

 

『まさか狭間の狭間にいたとは。さすがのワタクシもここを見つけるのに、骨が折れるかと思いましたよ。何せここはデジタルワールドに程近い狭間。ワタクシが普段漂っている世界の狭間と、デジタルワールドの間にある、更なる狭間。少しでも調整を失敗すれば、現世にうっかり足を踏み入れて、“上の存在”に叱られるどころではすみませんからねぇ』

 

コツ、コツ、と、ないはずの地面を踏みしめる靴の音が、真っ暗な空間に反響する。

通常、音が反射する条件というのは、遮断する障害物があることによって音が跳ね返る。

真っ暗闇で地面も壁すらもあるか分からない空間で、音が反響するというのはいささか疑問だが、スワンプモンにとっては歯牙にもかけない、些細なことだ。

鼻歌でも歌いだしそうなほどに、軽い足取りでチビモンに歩み寄り、表情どころか必要なパーツが何もない水晶の頭部で覗き込む。

耳を澄まさなければならないぐらい、小さく静かな寝息が聞こえてきた。

ふむ、とスワンプモンはつるりとした頭部の、下部に指を添えてキュ、キュ、となぞる。

 

『……チビモン、貴方の気持ちは痛いほど分かります。当たり前にあると思っていたものが失われ、今日と変わらない明日が来ると信じていた未来が壊され、生きる気力も存在する意味も根こそぎ奪われては、目も心も閉ざしたくなるのは当然でしょう』

 

羽織っているスーツのラベルを左手で僅かに持ち上げるように掴み、右手を差し込む。

そこからそっと差し出されたのは、淡い青を放つ掌ほどのサイズの光の玉。

ゆっくりと呼吸をするように、膨らんだり縮んだりしながらふわりふわりと浮かぶ光の玉を、スワンプモンは両手で添えるように支えた。

 

『しかしですね、チビモン。残念ながら貴方は選ばれし子どもを護るべく選定されたパートナーデジモンなのです。多少ゲンナイ様の思惑は絡んでおりますが、それでも貴方は選ばれてしまったのです。どれだけ哀しくとも辛くとも、打ちのめされて蹲っても、時はそんな貴方を置き去りにして進むだけなのです。ああ、何と残酷なことなのでしょうかね』

 

スワンプモンは更にチビモンに歩み寄り、光の玉を支える両手をチビモンに伸ばす。

そ、と両手を広げれば、光の玉は重力に従うように、ゆっくりと落下した。

光の玉がチビモンに触れた途端、淡い光を放っていた玉は一際強い光を放った。

真っ暗な空間を白く染めるほどの光量ではなかったものの、通常ならばその光量だけで眠っていた者は目を覚ますほどだ。

しかしそれでもチビモンは目覚めない。

 

『ですから恨み言を言うのも、泣き言を喚くのも、全て終わってからになさい。貴方はここで消えてはいけない。護るべきものを見失っては、貴方の心は本当に壊れてしまいますよ』

 

強い光を放った青い玉が、チビモンの中へと吸い込まれていく。

やがて光がチビモンの中に納まり、それを見守っていたスワンプモンはシルクハットのブリムをそっと摘まみ、ないはずの顔を隠すように深く被った。

 

『……“二度”も、後悔したくはないでしょう?』

 

普段よりも小さく、そして低い声で紡がれた言葉を聞くものは、誰もいない。

ゆっくりと、後ろ向きで移動すると、まるで周りの真っ黒い背景に溶け込むように、スワンプモンはその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

ぱちり、という音が聞こえそうなぐらいに、つぶらな目を大きく見開かせたチコモンの視界に映ったのは、色とりどりの景色だった。

筆を弾いた絵具の跡が飛び散ったような縹色の空には、キラキラ眩しい光の塊が浮かんでいる。

遠くに見える新緑の森とは少し違う、明るい緑色に囲まれていた。

柔らかい地面は土ではない、ふわふわとしたもので、ぐっと力を入れると少しだけ身体が沈むのが面白い。

ぽよん、ぽよん、と身体を跳ねさせて地面に沈む感触を楽しんでいるチコモンに、ぬっと影が差し込んだ。

幼年期特有の、スライムのような身体を上に傾ける。

太陽を背負った、顔が見えない大きな影が、チコモンを見下ろしていた。

 

「────」

 

影が何か言った気がしたが、チコモンはそれを理解できなかった。

きょとり、と身体を傾けると、影が小さく揺れる。

そして、す、と何かが差し伸べられた。

それがチコモンに伸びてきた時、チコモンの心の中で言い知れない感情が湧いてきた。

ぞわり、とチコモンの下の方から何かがせり上がってくるような感覚。

思わず、ぴ、と変な声を出して、ぎゅっと円らな目を閉じた。

ぴたり、と影が伸ばしたものが、それを見て動きを止める。

チコモンは目を閉じているせいで気が付かなかったが、その時影は少し寂しそうな、哀しそうな表情を浮かべてチコモンを見下ろしていた。

 

「────」

 

影がまた何か言った気がして、チコモンは恐る恐る目を開ける。

影は、相変わらず太陽に背を向けて立っていた。

目をパチパチさせながら影を見上げていると、す、と影は動き出す。

少し離れたところで立ち止まり、チコモンを見つめている気がした。

 

「────」

 

また何か言った。

相変わらず理解できなかったが、何となく跳ねて影に近づくと、影は遠ざかる。

跳ねるのを止め、じっと見つめたら、また影が立ち止まって何かを言った。

跳ねる。ついて行く。影が動く。

止まる。見つめる。影が止まる。

そこでようやく、影が望んでいることに気づき、チコモンは影の後をついて行くために、その小さな身体を弾ませながら柔らかい地面を跳ねる。

チコモンがついてくる気配を悟った影は、今度は止まらずに進み続けた。

 

どのぐらい跳ねたか。

どのぐらいの距離を移動したか。

ちょっとつかれたなぁ、って思い始めた頃に、影は立ち止った。

チコモンも跳ねるのを止めて、影の隣に並ぶ。

相変わらず緑色と縹色が半分ずつ広がっていたが、先ほどまでいたところとは違い、とても広い場所に出た。

大きな四角い、地面と同じ色をしたブロックが3つ積み上げられていたり、カラフルな玩具が成っている樹が生えているが、チコモンはブロックも玩具も知らないから、あれはなんだろう?ぐらいの認識しかなかった。

 

「────」

 

隣の影が、また何か言って動き出す。

ぴょこん、ぴょこん、と跳ねて、チコモンは影の後をついて行く。

広い広い広場の、ちょうど真ん中あたり。

す、と影が小さくなる。

不思議に思ったチコモンが、影の影からぴょこんと飛び出てみると、そこにはたくさんの同じ形をしたナニか。

カラフルな何かは時々動いていて、その度に影が小さく揺れた。

 

『……これはなに?』

 

きっとその言葉が、チコモンが初めて発した言葉だったと思う。

目を覚ます前のことを、チコモンは何も覚えていない。

気が付いた時にはここにいて、目の前に大きな影が立っていて、何を言っているのか分からないまま、その影について行った。

だからチコモンは何も知らない。何も分からない。

ここが何処なのかも、目の前にあるカラフルなナニかが何なのかも、どうして自分がここにいるのかも……自分が何者なのかも。

 

「────」

 

影が何か言っているが、やはり何を言っているのか、チコモンは分からなかった。

 

 

 

 

ぴきぴき、ぱきぱきぱき

 

オレンジ色の卵にひびが入る。

卵を上下真っ二つにするみたいに入ったひびは、ほんの僅かな時間で卵を一周し、ぱきり、という音を立てて卵の上部が持ち上がった。

ひょこり、と中から黒いお餅みたいに、ぷにぷにぷよぷよしたものが出てきて、ぴょこんと卵の中を跳ねて出てくる。

黒いのに呼応するように、周りにあった他の卵にもひびが入って、1匹ずつちっこい命が生まれてきた。

チコモンは、そんな命を見て嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねた。

それに気づいた黒いのが、きょときょとと身体を傾げながら、チコモンを見やる。

ぷくぷく、と生まれてきた8つの命から、それぞれ透明な泡が吐き出されていった。

風のない、縹色の眩しい空の彼方に、沢山のシャボン玉が吸い込まれていくように昇っていった。

 

『────』

 

自分達よりも少しだけ大きな影が2つ、今しがた生まれたばかりの命と戯れる。

卵が産まれてくるまで、チコモンはその影とずーっと一緒にいたけれど、言葉を理解することは終ぞなかった。

 

『ぷ~?』

『ぷぷ~っ!』

 

生まれたばかりの命達が、チコモンに群がる。

一緒に遊ぼう、と誘ってくれているようなので、チコモンは喜んでシャボン玉遊びに参加する。

 

『────』

「────」

 

自分達よりも少しだけ大きな影より、もっと大きな2つの影が揺らいだ。

何かを話しているようだが、チコモンには分からない。

それよりも生まれたばかりの命達と戯れる方が大事だった。

口をすぼめて、酸の泡をたっくさん出して、誰が一番遠くに飛ばせるのか、夢中になっていた。

 

どれぐらい経ったのか、縹色の空に沢山の泡が溢れてきた頃、大きな影が動く。

最初にチコモンと接触をした影だ。

もう1つの大きな影は、チコモン達から少し離れてじっとしている。

動いた影は小さくなり、何かを言うと、生まれたばかりの命達がわらわらと影に群がった。

勿論、チコモンも。

 

「────」

 

何かを言っている。

やっぱり聞き取れない、が、チコモンは真剣に影を見つめた。

いつもは分からなくても気にしないのだが、今日は、今回は何故だか真剣に聞かなければならないような気がしたのだ。

 

「────」

 

影がまた何かを言った。

小さくなった影はすっと大きくなり、そして3つの影を伴って遠ざかっていく。

 

『ぷ~?』

『ぷぷ~!』

 

生まれたばかりの命達が、影を追って飛び跳ねる。

何となくチコモンもついて行ったが、影は生まれたばかりの命達を置き去りにして、二度と戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

種はいつしか大樹へと育って、森となる。

朝と夜は何度も巡り、命が生まれては死んでいく。

 

縹色の空が、ほんの少しだけ近くなった。

 

 

ばしんっ!

 

柔らかくて弾力のあるものを弾く音がする。

コロモンは赤い目をパチパチとさせていたし、周りにいる友達も先ほどまでの騒がしさが嘘みたいに静まり返っていた。

チビモンも、何が起こっているのか分からずに、赤い目を白黒させていた。

 

チコモンだった頃の記憶は、もう殆ど霧の彼方へと置いてきてしまっている。

所々、虫食いのように覚えていることはあるが、それも友人たちと遊んで過ごしていくうちに、時間の中へ置き去りにしていくだろう。

毎日友達と追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、という1日を過ごしているから、古い記憶はどんどん追いやられていくのだ。

そんな中でも、1つだけ。

たった1つだけ覚えていて、とても大事なことがある。

それは、いずれ来る“異世界の子ども達”と出逢うこと。

どうして待っているのか、出逢って何をするのか、チビモン達はそれすら分からなかったが、それぞれが誰かを待っていることだけは覚えていた。

それぞれ違う名前だけれど、どんな姿をしているのかも、どんな声なのかも、どんな顔をしているのかも、何もわからなかったけれど、それでもチビモン達は名前を知っているだけで十分だった。

毎日、毎時間、毎分のようにそれぞれ待ち続けているそれぞれの名前を口にしては、みんなでまだかな、まだかな、ってわくわくしていた。

 

そんな日々を過ごしていた、ある日のことだ。

今日も今日とて、皆は遊ぶことに夢中になっていた。

いつもやっている鬼ごっこ。チビモンは他の皆と違い、幼年期には珍しい身体と手足がある。

そのためか、他のスライムみたいな身体をしたお友達よりも移動速度が速かった。

だから鬼ごっこでも追いかけっこでも、仲間達が追い付いたことは1度もなかった。

それは、本当に偶然だった、と言えよう。

いつもみたいに鬼を決めて、きゃあきゃあ言いながら皆で逃げて、何度も鬼を交代しながら遊んでいた時。

チビモンにしては珍しく、注意散漫になっていた。

トコモンと一緒に走っていたら、地面に埋まった小石に気づかず、躓いて転んでしまった。

ぷきゃ、という可愛い声を出しながら転んだチビモンを、鬼だったコロモンがチャンスとばかりにぴょこぴょこ跳ねて近づき、頭部のひらひらを器用に動かして転んだチビモンの背中にタッチした。

 

そして、冒頭に至る。

 

『……チビモン?どうしたの?』

 

叩かれてジンジンと痛む触手を、もう片方の触手でさすりながらも、コロモンは気づかわし気に尋ねてくる。

周りにいた皆は、何があったのかよく分からない、と言った様子でコロモンとチビモンを交互に見やっていた。

どうしたの、と聞かれたって、チビモンにも分からない。

ただコロモンの触角が自分の背中に触れた瞬間、触れられた個所からぞわぞわとした感覚が全身に広がった。

同時に、心の奥から沸き上がった、得体のしれない感情。

それはまるで、自分よりも大きくて強い存在とかち合って、圧倒的な力で捻じ伏せられそうになった時のような。

成す術もなくただ蹂躙されそうになっている時の恐怖のような。

ガチガチガチ、とチビモンの全身が震えているのは、寒いからではない。

は、は、は、と短く息を吸っては吐いてを繰り返し、見開かれた目も小刻みに揺れている。

瞬きもせず、ひっくり返った状態からコロモンの触手を弾き飛ばした体勢のまま硬直しているから、コロモンは再度どうしたの、と問いかけながら触手を伸ばしたのだが……。

 

『ひぅ……っ!』

 

伸びてきた触手を見て、チビモンは大袈裟なぐらい身体を跳ねさせ、コロモンから目を離さずにそのまま後ずさりをしてしまった。

今まで見たことのないチビモンの反応に、コロモンもトコモンも、そして周りで様子を伺っていた皆も、狼狽えるしかない。

 

『チ、チビモン?』

『だいじょうぶ?』

『おかお、まっさおだよ?』

 

皆が口々にチビモンに声をかけてくるけれど、チビモンはそれどころではなかった。

先ほどよりも呼吸が短く、荒くなっている。

下からぞわぞわとしたものがせり上がってくるような感覚が抜けるどころか、更に酷くなっていくのが分かる。

どくん、どくん、どくん、と心臓の鼓動が大きく、激しくなっていく。

皆の声が少しずつ遠ざかって行って、目の前の景色が少しずつぼやけていく。

 

ぼろ、

 

『……ぅ、ふ……っ、う、ぇえ~~ん……!』

 

透明な真珠のような、大粒の涙がチビモンのくりっとした目から、次々と零れてきたので、コロモン達はギョッとなってしまった。

あわあわって言いながらチビモンに近寄り、だいじょうぶ?どうしたの?ころんだとき、けがしちゃった?って次々声をかけてくるけれど、チビモンは聞いていないようだった。

ぼろぼろと涙を零して、ひっくひっくってしゃくりあげているばかりで、チビモンは周りの皆に気づかない。

 

『チビモン、だいじょう』

『ひぃっ!?』

 

チビモンにつられて泣きそうになっているピョコモンが、コロモンとは少し違う、根っこのような触手でチビモンに触れると、チビモンはまたもや悲鳴を上げてその場で飛び上がってしまい、皆から離れるようにまた後ずさりをしてしまう。

どうしよう、どうしたらいいんだろう。

チビモンは泣き止んでくれず、だからと言って放っておくことも出来ず、コロモン達は互いに顔を見合わせることしか出来ない。

迂闊に動いて、またチビモンを怯えさせるのは、望むところではない。

そんな風に躊躇している中、動いた者がいた。

 

『チビモン、なかないで~』

『チビモ~ン』

 

一緒に逃げていたトコモンと、普段から何かと構ってくるニャロモンだ。

とことこ、ぴょこぴょことチビモンに近づくと、ぽすっとチビモンに寄りかかるように触れる。

チビモンはびくりと震えて、目をギュッと閉じたけれど、数秒ほど経ってから目をぱっちりと開いた。

 

『ありぇ……?』

 

気の抜けた疑問の声を上げながら、未だポロポロと流れる涙を無視して、チビモンはトコモンとニャロモンを見やる。

コロモン達も、先ほどまでわんわん泣いていたチビモンが突如泣き止んだので、目をパチパチさせっぱなしだ。

まだ涙は零れているけれど、一応泣き止んだらしい、と判断し、コロモン達は恐る恐るチビモン達に近寄っていった。

 

『だいじょうぶ、チビモン?』

『……う、ん……あの、ごめんね……?』

 

コロモンが代表して尋ねると、チビモンははっと我に返り、気まずそうに俯きながら謝罪をしてきた。

コロモン達は、いーよいーよ、ってニコニコ笑いながらチビモンを許した。

確かにびっくりはしたけれど、それよりもチビモンが泣いてしまったことの方が重要だ。

これから出逢うであろうパートナーの子ども達も大切だが、そのパートナーの子ども達を待っている仲間も、コロモン達は大事だ。

何かチビモンに哀しいことがあって泣いてしまったのなら、放っておけない。

だからどうして泣いてしまったのかって尋ねたけれど、返ってきたのは、

 

『わかんない……』

 

であった。

そのしょんぼりとした姿と態度で、チビモン自身何が起こったのか、本当に分からないのだろう、ということが理解できたので、コロモン達はそれ以上追求しないことにした。

ただ1つ、気になることがあるとすれば。

 

『トコモンとニャロモンはへいきやったみたいですけど、どうないしてですのん?』

 

モチモンが興味津々、と言いたげに身を乗り出して尋ねてくる。

チビモンの様子がおかしくなったのは、コロモンが触れてからだ。

鬼ごっこでチビモンにタッチをしただけなのに、チビモンはそれを大袈裟な動作で振り払い、がちがちに震えて、心配したピョコモンが触ったらそれがもっと酷くなって、最終的にわんわん泣き喚いてしまった。

どうしよう、どうしよう、って皆がオロオロするなか、トコモンとニャロモンが真っ先に動いて、チビモンを安心させるように触れたら、ぴたっと泣き止んだ。

コロモン達もぽかん、となったけれど、本人はもっとキョトンとしていた。

つまり、コロモンとピョコモンが触れたら泣いて、トコモンとニャロモンが触れたら泣き止んだのだ。

何故コロモンとピョコモンが触れたら泣きだしてしまったのか、トコモンとニャロモンと何が違うのか。

モチモンの疑問に、しかしチビモンは困ったような表情を浮かべて、首を横に振るだけだった。

 

『……でも』

『?』

 

ぽつり、と零した小さな声は、静まり返った森の中でも十分聞こえるほどだった。

 

『……むかしも、こんなふうに、ぞわぞわってなって……ないたこと、あるきがする……』

 

遠い遠い昔。

もう霧の向こうに置いてきた記憶の彼方。

皆と出逢うずっとずっと前にも、こんな風に泣いて、誰かを困らせてしまったような気がする。

それが誰だったのか、いつだったのか、何だったのかも、忘れてしまったことすら覚えていないような。

そんな遥か遠くの空を見上げる眼差しが、まるで今にもその空に向かって飛翔(はば)たいていってしまいそうな気がして、寄り添っていたトコモンとニャロモンはぞわりと寒気が走った。

無意識に身体を寄せて、2体で挟むようにくっつけば、チビモンはキョトンとトコモン達に目を向ける。

その目がいつもの、やんちゃでいたずらっ子なチビモンの目だったから、トコモンとニャロモンは小さく息を吐いた。

 

『……あの、さ』

 

もじもじしながら話しかけてきたのは、ツノモンだ。

無口、というよりも恥ずかしがり屋で口数が少ないツノモンが、珍しく声を上げたから皆で一斉にツノモンを見やる。

ほぼ同時に8対の視線を受けたツノモンは、びゃっ!?とか言いながら飛び跳ねて、近くにいたタネモンの背後に隠れてしまったものの、それでも疑問が勝ったようでタネモンの身体から覗き込むように、チビモンに尋ねる。

 

『そ、その……さわられるのがだめなのって、コロモンとピョコモンだけ?トコモンとニャロモンはへいきだったみたいだけど……オレたちは、だいじょうぶ、なのかな、って……』

 

尻すぼみになっていくツノモンの声だったが、ツノモンの疑問はしっかりと皆に届いていた。

全員で顔を見合わせた後、葛藤しながらもツノモンの疑問を解消すべく、チビモンに謝りながらコロモンとピョコモン以外の皆で順番にチビモンに触れていくことにした。

結果は、知っての通りだ。

 

『……ごめん、みんな』

『チービモン!ごめんじゃないだろ?』

『そうよ、チビモンがわるいんじゃないんでしょ?』

 

皆が嫌いなわけではない。

むしろ好きだ。チビモンの1番大切なものはパートナーの子どもだけれど、コロモン達だって大事な友達で、大好きな仲間なのだ。

これまでくっつきあうことが殆どなかったから、まさか大好きなコロモン達と触れ合うことを拒絶してしまう体質だったなんて、チビモンは知らなかった。

同時に、真っ青になる。

これから出逢うはずのパートナーの子どものことも、皆みたいに拒絶しちゃったらどうしよう、と。

逢うのを楽しみにしているのに、早く逢いたいのに、それだけは確かな気持ちなのに、もしもパートナーの子どもに触れられなかったら……。

そんな不安な気持ちを見抜いたかのように、トコモンとニャロモンがまた2体で挟むようにして、ぎゅっと引っ付いてきた。

 

『だいじょーぶだよ、チビモン!』

『トコモン……』

『いまからしんぱいしても、しょうがないでしょ?はなせばわかってくれるかもしれないし、アタシたちみたいにへいきかもしれないじゃない!』

『ニャロモン』

 

ぎゅぎゅ、と引っ付いてくるトコモンとニャロモンに、ざわざわしていたチビモンの気持ちが少しずつ治まってくる。

ぴょん、とコロモンがチビモンに触れないように、ぎりぎりの距離まで近づいて、いつものほやんとした笑みを浮かべた。

 

『ねえ、チビモン。どんなこがくるのかわかんないのは、みんないっしょだよ。ボクも、タイチってなまえはしってるけど、タイチがどんなこなのかはしらない。だから、はやくあって、タイチのこといっぱいしりたいっておもってる。チビモンは?』

『……おりぇも、ダイシュケのこと、なまえしかわかんないから、はやくあっていっぱいしりたい』

 

アタシもーおいらもーワテもー、と皆がコロモンとチビモンに賛同する。

知りたいのは、知ってほしいのは、皆一緒。

 

『だいじょーぶ。もしチビモンがダイスケのことさわれなくても、それでダイスケがかなしいおもいしても、ボクたちでいっぱいチビモンのいいところ、ダイスケにおしえてあげるから!』

 

好かれたいのも、嫌われたくないのも、皆一緒。

チビモンがいい子なのは皆知っているから、ダイスケがチビモンのことを嫌わないように、いっぱいいっぱい話してあげるから、だから。

 

『こわがらないで、チビモン。チビモンがいいこだから、きっとダイスケだっていいこだよ』

 

根拠のない理屈だ。

意地悪なデジモンがいたら、きっと鼻で笑っていただろうけれど、でも何故だろうか。

コロモンが言うと、とても力強い言葉に聞こえるのは。

 

『…………うん』

 

ぎゅ、と結んだ唇が歪む。

せっかく泣き止んだところだったのに、コロモンの根拠のない、それでいて力強い言葉に、チビモンは泣きそうになった。

 

『ほな、みなはん。これからはチビモンにはさわらんようにしまひょか』

『だなー。ちょっとさみしいけど、チビモンがなくよりマシだな!』

『おにごっこするときは、なんかいいほうほうがないか、かんがえなくちゃね!』

 

他の皆も、誰もチビモンを責めなかった。

面倒くさいとか、鬱陶しいとか、誰も言わなかった。

 

──ダイシュケも、こんなふうにいってくれるかな

 

まだ見ぬパートナーに想いを馳せながら、チビモンは大切な仲間達の優しさに身を委ねるように、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もない。

 

眩く輝く太陽も、そよ風でカサカサ揺らぐ緑の葉っぱも、いろんな絵具が飛び散ったような縹色の空も……自分を肯定してくれた友達も、何もない。

上も下も、何処を見渡しても、真っ暗な空間が広がっているだけだった。

光さえも飲み込んでしまいそうなほどの暗黒の空間に、ブイモンはぽつんと座り込んでいた。

その赤い目は心を閉ざしたブイモンの心情をそのまま映し出したみたいに虚ろで、きっとブイモンは今自分が何処にいるのかも分かっていないだろう。

だってブイモンには何もないのだ。

居場所も友達も生きている意味も、全部全部奪われたブイモンには、何も残っていないのだ。

……何かを思うことも、考えることも出来ないぐらいに、打ちのめされてしまったのだ。

 

とす、

 

音すらも死んでしまった暗黒の空間に、聞こえるはずのない音が聞こえてきた。

全てを拒絶しているブイモンは気が付かない。

ただそこに座り込んでいるだけだ。

 

とす、

 

音が近づいてくる。

一定の間隔で鳴る小さな音が、少しずつ少しずつ、近づいてくる音と共に現れたのは、空よりも濃い青。

 

とす、とす、とす……

 

俯き、光を拒絶した赤い目に、近づいてきた音の正体が映った。

 

『ねえ』

 

ブイモンしかいないはずの空間で、ブイモンのものではない声がした。

ブイモンは気づかない。

 

『ねえってば』

 

声が聞こえる。

先ほどよりも少し強い口調で、苛立っているようだった。

ぴくり、と力なく放られているブイモンの手が一瞬だけ痙攣した。

しかし、それだけだ。

顔を上げる様子は見られない。

 

『……ねえ』

 

声がワントーン低くなる。

とす、と更に声の主が歩み寄ったかと思うと、俯いているブイモンの顔を無理やり上げた。

何も映さない虚ろな赤い目に入ってきたのは、暗闇とは正反対の真っ青と、自分を見つめる赤い目。

 

“ブイモンがいた”。

 

『………………』

 

ぼんやりと、ブイモンは“ブイモン”を見た。

自分と全く同じ顔、同じ色をした、同族の者。

何が起こっているのか分からず、ブイモンと“ブイモン”は見つめ合う。

時間も存在しないような暗黒の空間で、どれぐらいの時間が流れただろうか。

 

『…………っ、ぁ、あ……!』

 

じわりじわりと、心の奥と足元から沸き上がってきたのは、一体何だっただろうか。

自分でも分からない感情が全身を駆け巡り、何も映っていなかったはずの虚ろな赤い目が、“それ”を認識してしまった。

もう二度と会えないはずの、同胞の色。

……二度と会いたくない、同胞の色。

 

『っ、は、ぁ、あ、あ゛……っ!』

 

は、は、は、と上手く呼吸が出来ずに、息が乱れる。

力なくだらんとぶら下がっていた腕が、見えない地面にぺたりと座り込んでいた足が、それを繋ぐ身体がガチガチと震える。

何で、なんで、どうして、“ブイモン”を見つめる目を離すことが出来ず、少しずつ光が戻っていく赤い目が小刻みに揺れた。

 

『…………………………………………………………………………………………………………………………………っ!!!』

 

そして、気づく。

“ブイモン”の両手が挟むように、自分の顔を掴んでいることに。

瞬間、ぞわぞわぞわ、と背中に悪寒が走った。

 

ばしんっ!!

 

息が止まる。目の前が一瞬だけ真っ暗になる。

“ブイモン”の手を振り払うように、ブイモンは頭を抱えた。

ガチガチガチ、と震える身体は止まってくれず、顔に残る肌の感触と未だに背中を走るぞわぞわとした感覚が、こびりついて離れない。

ぎり、と鋭い爪がブイモンの肌に突き立てられる。

 

『……自分を傷つける勇気なんか、ないくせに』

 

そんなブイモンを、“ブイモン”は冷めた目で見下ろす。

聞いているのかいないのか、ブイモンの両目から沢山の涙が、次から次へと溢れて止まらなかった。

小さく唸りながら、息を乱しながら、ただただ時間が過ぎるのを待つように蹲るブイモンを見た“ブイモン”は、ぎりっと歯を食いしばった。

 

『……ずるい』

 

握りしめた拳が震えている。

鋭い爪が皮膚を突き破り、痛みが掌から伝わってくるが、その握り拳を解くことはなかった。

つぅ、と人間の物とは違う黒い血が、握られて隙間のない指の間からぽたりと零れる。

 

『ずるい、ずるい、ずるい。ずるいよ、お前。そうやって弱いふりして、傷ついたふりして、ダイスケからいっぱい“好き”を貰ってるくせに、自分にはもう何もないなんて言ってさ。ふざけんな、ふざけんなよ、お前っ!!』

 

“ブイモン”が喚く。

その目には、ブイモンと同じように涙が滲んでいた。

 

『“そこ”は元々俺の居場所だったのに!俺の、俺だけのダイスケだったのに……っ!ケッコンして、子どもが出来たって、特別なのは俺なんだって……っ!なのに、何だよ!ダイスケも、ヒカリも、ケンもっ!パタモンやテイルモンだって、傍にいてくれたのに、それも忘れて、自分は、独りぼっちだって、めそめそして……っ!!』

 

感極まってボロボロと涙を零す“ブイモン”の、必死の言葉もブイモンは聞こえていない。

目を閉じ、耳を塞ぎ、暗闇の中で蹲るだけで、目の前に差し伸べられた手すら見えていないブイモンに、“ブイモン”の言葉は届いていないのだ。

それすら“ブイモン”は、腹立たしい。

ずかずかと歩み寄ったかと思うと、頭を抱えるブイモンの手を掴んで、無理やり引っ張った。

ぞわり、とした悪寒が、ブイモンの背中を再び走る。

ひゅ、と息を飲んだブイモンは、乱れた呼吸を更に乱して、“ブイモン”の手を振りほどこうと暴れた。

だが相手は同じ“ブイモン”だ。恐怖で硬直して、上手く動けないブイモンの抵抗など、無意味に等しかった。

 

『……そんなに嫌なら、返せよ』

 

ブイモンの両腕をがっちりと掴んだ“ブイモン”が、低く唸るように言った。

 

『返せよ。元々俺のだったんだ。俺の場所だったんだ。もう何も見たくないなら、何もしたくないなら、俺に返せよっ!!ダイスケを返せっ!!』

 

見たくなかった。

何も、考えたくなかった。

重い石を背負い続けて、それで何も得られないのなら、そんな石など捨ててやりたかった。

 

……捨てる勇気なんか、なかったくせに。

 

『返してよぉ……っ!!』

 

痛みが籠った声が、暗闇の中で反響する。

 

そこでようやく、ブイモンは“ブイモン”を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い竜は眠り続ける。

 

何も見たくないから、何も聞きたくないから。

 

何も、考えたくないから。

 

 

暗闇の揺り籠の中は、傷ついた心を癒してくれないと、分かっていながら。

 

 

 

 

 

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