ナイン・レコード   作:オルタンシア

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選ばれし子ども達

 

 

 

 

 

 

「なあ、賢が首から下げてるのって、ペンダントか?」

「これ?違うよ、これ時計なんだ」

「え?そうなの?」

「うん、懐中時計って言うんだって。ここ押すとね、蓋がパカって開くんだ」

『わあ!ホントだ』

『ねえ、トケイ?って何?』

「えっ、プロットモン時計知らないの?」

「時計って時間を教えてくれるもんだよ。今12時とか、5時とか」

『ジカンってなんだ?』

「……えーっと、あとでお兄ちゃんに説明してもらうから、それでいい?」

『?うん、いいよー』

「……え、えーっと、賢くんの懐中時計、金ぴかで綺麗だね!」

「お、おう!蓋の鳥とか、すっげーな!」

「えへへ、でしょ?すっごく気に入ってるんだー。……でも」

「?」

「これ、何処で買ったのか全然覚えてないの。いつからあるんだっけってお母さんに聞いても、分かんないって言うんだよ」

「自分で買ったんじゃないの?」

「ううん、だって買った覚えないもん。お兄ちゃんにも聞いてみたんだけど、知らないって……」

『ケンがもっと小さい頃とかは?小さい頃のことってあんまり覚えてないじゃん』

「それもないなぁ。確かにちっちゃい時のことって記憶には残ってないけど、僕がちっちゃい頃はまだお兄ちゃんとお父さんと一緒に暮らしてたし、その頃のお兄ちゃんは今の僕と同い年だったから、お兄ちゃんが知らないのはおかしいもん」

「……私も」

『ヒカリ?』

「私も、そうなの。このゴーグル。いつ買ったのか全然覚えてないの」

「え?太一さんとお揃いで買ったとかじゃないの?」

「ううん。違うみたい。いつ買ったのか思い出せなくて、私もお母さんに聞いたんだけど、いつだろうねって……おかしいなって思ったんだけど、でもどうしても捨てたりする気になれなくて……」

「ヒカリちゃんもなんだ。僕も、この懐中時計、ずっと持ってなきゃって思って手放せないんだー」

「大輔くんのホイッスルもだよね?」

「……うん」

『……みんな、どうしてあるのか分からないけど、大切なもの持ってるの?』

『何かすっげー偶然だな』

「不思議だねー」

『ねー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きなコンピューターのスクリーンに映し出されたのは、海にポツンと浮かぶ孤島であった。

鋭角に聳え立っている山を中心に、四季が1つの場所に集められたように、色とりどりの光景を映し出している。

君達が今いるのはここだ、とアンドロモンは手のひらサイズほどある手元のパネルに手を乗せる。

地図がズームされて、外で見た工場が映し出された。

 

「……本当に島だったんだ」

 

丈が何処か呆然と呟いていた。

徐々に現実を受け入れつつあった丈であったが、やはり目の前で事実を突きつけられたことは、大変なショックであったようだ。

 

 

機械に巻き込まれた黒い歯車を取り除こうとしたら、その歯車に意識を乗っ取られたアンドロモンは、心をウイルスに犯され、攻撃的なデジモンに変貌してしまった。

本来なら争い事は好まない、機械型のデジモン達を取り仕切るようなボス的存在だったのに。

本当に申し訳ない、と正気を取り戻してからも隙あらば謝罪してくるアンドロモンを宥めつつ、太一はあの言葉の意味を聞く。

 

「なあ、選ばれし子ども、って何だ?俺達はその、選ばれし子ども、って奴なのか?」

 

それは、正気を取り戻したアンドロモンが、太一達に向かって言い放った言葉だった。

エラバレシコドモ?何それ?って首を傾げる子ども達を見て、驚愕の表情を浮かべたアンドロモンは、詳しい話をすると言って案内したのが、大輔達最年少組が見つけたこの管理室だ。

大きなコンピューターは、現実世界ではまずお目にかかれないもので、思った通り光子郎がだいぶ興奮していたが、今はその話ではないので、光子郎にはまず落ち着いてもらうとして。

 

『……デジモン達から何も聞いていないのか?』

『ほえ?』

『え?オレ達?』

『……なるほど、分かった』

 

キョトンとしているアグモン達を見て色々と察したらしいアンドロモンは、短く息を吐いた。

どうやら本来ならデジモン達から色々と教えてもらう手筈だったらしい。

ジトリ、と太一がアグモンを睨むと、え、えへ?と可愛らしく誤魔化した。

 

「お前なぁ~!」

『そ、そう言われても~!ねぇ、みんな、何かあったっけ?』

『え、えーっと……?』

『な、何だったっけ……』

 

太一に詰め寄られたアグモンは、ガブモン達の方を振り向いたが、似たような反応だった。

これはダメだと悟った太一は、アンドロモンの方に向き直る。

 

『まずは、デジヴァイスを……』

「デジヴァイス?」

『ここに飛ばされた際に、白い機械がお前達を導いたはずだ。聖なるデバイス、それがデジヴァイスだ』

「これのこと?」

 

ショルダーバッグの持ち手につっかけてある白い機械を指差すミミ。

アンドロモンは頷いた。

 

『それを持って、みんなで円になりなさい。そしたらデジヴァイスを、中心に向けるんだ』

 

不思議に思いながらも、太一達は言われた通りに輪になって、白い機械……デジヴァイスを中心に向ける。

デジヴァイスの小さなディスプレイから、白い光が飛び出していった。

うわ、と驚いてひっくり返りそうになった子ども達だったが、何故か腕が空中に固定されたように動かない。

腕に力を入れていないにも関わらず、だ。

どうして、と思う前に、中心に集まった光が合流すると、どんどん大きくなって形を変えていく。

光を割って現れたのは、半透明の人間の男性だった。

 

「え!?」

「に、人間!?」

 

子ども達は驚いた。

ここにはデジモンしかいないとデジモン達は言っていたのに、治の推理でここは自分達がいたところではないと半ば諦めて現実を受け入れつつあったのに、目の前に現れたのは会いたいと願っていた人間だった。

年は20代後半から30代前半の青年に見える。

焦げ茶色のセミロングの髪を無造作に結んでおり、白いローブを羽織っていた。

 

《初めまして。デジタルワールドにようこそ、選ばれし子ども達。私の名はゲンナイ。このデジタルワールドの安定を望む者だ》

 

青年は、ゲンナイと名乗った。

 

《君達のそばにいるデジモン達だけでは、きっとさっぱり要領を得ないだろう。なのでデジヴァイスに記録として、保存しておいた。これは君達の世界でいう録画のようなものだから、私からの一方通行になることを許してほしい》

 

何だ、って子ども達はちょっとがっかりする。

せっかく人間に会えたのに、質問することも出来ずただ一方的に向こうの話を聞くだけだなんて。

だが次の言葉で、子ども達はさらに驚愕することになる。

 

《始めに言っておくが、私は人間でもデジモンでもない》

 

ゲンナイは、この世界の調和と平穏を望む、セキュリティーシステムの末端だという。

この世界の1番偉い神様から指令を受けて、それを子ども達に伝える役割を担っているらしい。

 

《まず、この世界のことを教えよう。ここは先程も言ったが、デジタルワールドと言う名の、君達の世界とは別次元に存在する世界だ。所謂異世界という奴だ。だからここには君達のような人間は存在していない。人の姿をしたデジモンはいるがね》

「……治の仮説は正しかったってわけか……」

 

丈が眉を顰めながら呟いた。出来れば当たってほしくなかった仮説であったが、それでも治が早い段階でここは自分達の世界ではないと言ってくれたお陰で、だいぶ心構えは違ったので有難いと言えば有難いが。

 

《君達の世界にあるパソコンを介してくることが出来る、それがこの世界なんだ。君達とこの世界はとても密接に絡み合っていて、切っても切り離せない、まるで双子のような関係なんだよ。……君達の世界で、今何か異変は起きていないかい?》

 

にこやかだった表情が一変し、真剣なものとなった。

ゲンナイの最後の言葉に、心当たりがある子ども達の肩がピクリと一斉に動いた。

録画でしかないゲンナイの映像から目を離して、それぞれ隣にいる仲間と目配せをする。

ゲンナイの言う通り、今太一達の世界は異変だらけである。

乾燥地帯で洪水が起きたり、亜熱帯で雨が全く降らなかったり、太一達がこの世界に来る直前は季節外れの雪が降った。

だがどうしてゲンナイがそれを知っているのだろうか。

録画のゲンナイは、子ども達が戸惑っている様子など知らず、そのまま話を続ける。

 

《……単刀直入に言おう》

 

本題に入る。

ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。

 

 

《君達をここに呼んだのは、この世界を救ってもらうためだ》

 

 

シン、と空間が静まり返った。

 

《今、この世界は邪悪な意志の脅威にさらされている。我々も抵抗したのだが……所詮は戦闘能力が皆無に等しい、セキュリティーシステムの末端だ。とても敵わなかった……》

 

目を閉じ、俯くゲンナイの握った拳は、震えていた。

 

《この世界の光の守護者達も、力及ばず封じられてしまった。そこで我々は、この世界に伝わる言い伝えを実現させることにした》

 

曰く、世界が暗黒の力に覆われた時、別の世界から“選ばれし子ども達”がやってきて世界を救う、というものらしい。

本当か嘘かも分からない、眉唾物の言い伝え。

しかしそれに縋らなければならないほど、ゲンナイ達はひっ迫していたのだ。

 

《何故自分達が、とみな思っているだろう。だが事態は深刻なのだ。何故ならこの世界の状況が君達の世界にも影響を及ぼしている。君達の世界の異変は、そのせいなのだ》

 

だからこそ、

 

《どうか、我々に力を貸してくれないか。こんな一方的なメッセージで頼むのは本当に心苦しいのだが……》

 

映像のゲンナイは、苦しそうな表情を浮かべながら頭を下げた。

子ども達は困惑する。

いきなりそんなこと言われたって、と誰もが表情で語っていた。

当たり前である、子ども達はいつも通りの日常を過ごそうとしていたのだ。

サマーキャンプに出掛けただけだったのだ。

3日間のキャンプを終えたら、みんなお家に帰って、夏休みをダラダラしたり宿題をしながら過ごしていく予定だったのだ。

それが、突然壊された。不思議な機械、デジヴァイスに導かれ、異世界へと飛ばされてしまった。

デジモンと名乗る不思議な知的生命体と、宛てもなくただ彷徨っていた矢先に聞かされたのは、この世界を救ってほしいという一方的なお願い事。

Yes以外の選択肢なんて、あってないようなものである、あんまりだこんなのは。

文句を言うことすら、今の子ども達には許されない。

このやるせない気持ちを、何処に、誰に、ぶつければいいのか。

 

 

 

……でも、はっきりとNoを突きつけることも、子ども達には出来なかった。

今世界中で起こっている異変が、デジタルワールドによる影響のせいだと聞かされて、そんなの知らないと突っぱねるほど冷徹な子は、ここにはいなかった。

ここに飛ばされてからずっとずっとついてきているデジモン達。

やっと会えたって、ずっと待ってたって言って嬉しそうに縋ってきて、子ども達を護るのだと豪語している彼ら。

最初こそ警戒したものの、彼らの言葉にも態度にも嘘偽りはなく、ピンチになった時は本当に護ってくれた。

あんなに凄い力を持った彼らだ、自分達を手にかけるつもりなら、最初からそうしているはずである。

 

《デジモン達は、いわば君達の“武器”だ。何の力もない子ども達に戦えなんていうほど、我々も非道ではない。むしろこの世界の問題は、本来なら我々が解決しなければならないのだ。だからこそ、我々も出来うる限りのサポートをするつもりだ。デジモン達は、そのサポートの一環だと思ってくれ》

 

子ども達が返事をすることが出来ないのと同じように、映像のゲンナイは子ども達からの返事を受け取ることは出来ない。

話は、まだ続いていた。

 

《デジモンは本来、長い年月をかけて次の世代へと進化する。一度進化すれば余程のことがない限り前の世代に戻ることはない》

 

けれど、パートナーデジモン達は違う、と言う。

 

《この世界のエネルギーはデータや情報だ。デジモン達が進化するのに、必要不可欠なものだ。だが長い年月を経て強くなるデジモンを育てる余裕は、我々にはない。そこで君達を呼んだのだ。デジモンが進化するのに必要な力を、君達は持っている。デジヴァイスは、君達のその力を増幅、制御し、そしてパートナー達に進化に必要なエネルギーとして与える役割を持っている。君達だけに与えられた、特別な力だ》

 

本来ならゆっくりと時間をかけて進化するデジモン達だが、邪悪な意志を振り払うために子ども達とそのパートナーに与えられた特権。

時間をかけずに進化を促すから、その反動で退化を引き起こしてしまうらしい。

ゲンナイのその台詞を聞いて、眉を顰めたのは治だけだった。

そしてそんな治に気づいたのは、両隣にいる太一と空だった。

 

《まずは、そのファイル島に巣食う邪悪な意志を祓ってほしい。ファイル島は総ての始まり、総ての命が生まれる場所と言われている。その島が陥落してしまったら、世界は終わりだ》

 

半ば脅し文句のようにも聞こえる懇願に、子ども達は息を飲んだ。

 

《今、私がいるところからでは、君達と直接コンタクトを取ることが出来ないんだ。妨害されているらしい。君達が来る頃までに何とか妨害を退けることが出来ないか、出来る限りのことはするが、もしもそれが叶わなかったときのために、この映像を残しておいたんだ》

 

どうやら間に合わなかったらしい。

もし間に合っていたら、太一達はもっと早い段階で覚悟を決められただろうし、ゲンナイに文句を言うことが出来ていたであろうに。

 

《ファイル島に巣食う邪悪な意志を振り払うことが出来たら、きっと君達と会いまみえることが出来ると思う。その時はアンドロモンがいる工場に来てくれ。そうしたらこんな一方的なメッセージなんかではなく、きちんと話をすることが出来るはずだ。私に言いたいことを総てぶつけてくれて構わない。罵倒される覚悟は出来ている》

 

何処か哀しそうに、でも気丈に振る舞うゲンナイ。

他の世界から助けを求めなければならないほどに、切羽詰まっている状況なのだ。

子ども達は、何も言えなかった。

 

ザザッ、と映像が一瞬乱れた。

 

《……もっと詳しく話してやりたいが、今私がこの映像を録画している場所も、そろそろ危ない。敵が近づいてきたようだ。だが君達をサポートするため、ザザッ、アイテムをアンドロモンに、ザーッ、きっと君達の役に立つ、ザーッ》

 

ノイズが酷くなってきた。声も少し焦っているように聞こえる。

色々と、もっと聞きたいことがあるのに、情報を一方的に与えられるだけなんて、拷問である。

光子郎が今にも声を張り上げそうなぐらい、顔を真っ赤にしていた。

 

《……この世界を救えるのは、君達だけ、ザザッ、ピーッ、頼む、選ばれし、子ども、た、チ……》

 

 

ブツン……

 

 

映像は、ここで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《コウシロウ、と言ったね。そのパソコンを貸しなさい。ゲンナイ様から預かった、便利な機能を君のパソコンにインストールしよう》

 

光子郎のパソコンが動くようになったのは、常時稼働しているこの工場内を賄っている巨大電池から漏れたエネルギーを、何らかの方法で受信したからだろう、というのがアンドロモンの見解だった。

だから恐らく、ここから離れてしまったら再び停止してしまうだろう、とのこと。

これから先、光子郎のパソコンは必要不可欠なものとなるはずである。

光子郎は目に見えて喜び、誰にも触らせないようにしていたパソコンをあっさりと差し出した。

相手は機械だ、太一と違ってパソコンを乱暴に扱ったりはしないだろう。

巨大なパソコンからコードを取り出し、光子郎のパソコンと繋ぐ。

スクリーンから海に浮かんでいる孤島の映像が消え、代わりに見たことのない文字の羅列が次々と書き込まれていった。

そのスクリーンと同じ文字の羅列が、光子郎のパソコンにも映し出されている。

先程テントモンから教えてもらったデジ文字だ。

何て書いてあるのかなぁ、と興味津々でスクリーンを覗き込む光子郎を、アンドロモンは微笑ましく見つめた。

 

 

作業はほんの数分ほどで終わってしまったので、子ども達がゲンナイのことを相談する時間はなかった。

コードを引き抜き、パソコンを光子郎に返す。

子ども達も、興味津々に光子郎の周りに集まった。

 

「ありがとうございます!」

《追加した機能は先程も言った、ここから離れてもデジタルワールドの空気に漂っている微量なエネルギーをパソコンの電気に変換して使用できる機能だ。残量を気にせず使えるし、ここのメールアドレスも追加しておいたから、何かあったら遠慮なくメールをしなさい。こちらも何か情報を掴んだらメールをするから》

 

はい、と光子郎は返事をした。

 

《それから、ゲンナイ様から預かったアイテムだ。デスクトップにアイコンがあるだろう?》

「えっと……あ、これですね?テント……?」

《このコードを》

 

そう言ってアンドロモンが差し出したのは、細いコードだった。

2つあるコネクトは、1つはパソコン、もう1つは何とデジヴァイスに繋げるらしい。

アンドロモンに促され、光子郎はコードを使ってパソコンとデジヴァイスを繋げる。

 

《デジヴァイスを何処か適当に……そこら辺でいい、そこに向けなさい。そしたらテントのアイコンをダブルクリックするんだ》

「分かりました」

 

キーボードの下にあるパッドの左側を、2回素早くクリックする。

デジヴァイスのディスプレイから光が伸びた。

うわ、と子ども達は短い悲鳴を上げて、顔を庇ったりひっくり返ったりと三者三様の反応を見せる。

無機質な床に辿り着いた光の筋が、三角形の形になった。

筋が三角形に向かってデジヴァイスから飛び出して、光がすうっと消えていく。

あ!と最初に声を上げたのは、大輔だった。

 

「テントだ!」

『すっげー!』

 

太一達が止める間もなく、大輔とブイモンは群れから飛び出してテントに向かって走っていく。

待ってよ!って賢とパタモン、それからヒカリとプロットモンが駆け出した。

テントの縦の大きさは大人程、奥行きは外から見ると1人分ぐらいしかない。

役に立つ便利な道具、ってゲンナイは言っていたのに、これではみんなで寝れそうになさそうだった。

頭上に沢山の疑問符を浮かべながら、誘うようにまくり上げられている入り口に、まずは大輔が四つん這いになって中を覗き込む。

 

「…………う、おおおおおおおおおおおおおお!?」

『うわ、ダイスケ!?』

「え、え?何、なに?」

「どっ、どうしたの大輔くん!?」

 

中を覗き込んだ途端、雄叫びを上げた大輔に、傍にいた賢達だけでなく、その様子を遠巻きに見守っていた太一達もびくーって肩を震わせる。

 

「すげーすげー!ブイモン、ほら、来いよ!」

『えっ!?ちょ、待ってダイスケ!』

 

興奮した大輔は、心配そうに見守っている先輩達や友人達のことなどすっかり忘れて、相棒を呼びながらテントの中へ入ってしまった。

ブイモンは迷わず大輔のすぐ後を追って、賢とヒカリは顔を見合わせて一瞬悩んだ様子を見せながらも、ブイモンが入った後に、それからパタモンとプロットモンも慌ててテントの中へ、次々と入っていく。

 

「わああっ、何これ!!」

『すっごいねー!』

「広ーい!」

『何これ、どうなってんの?』

 

警戒心を全く抱かない最年少とそのパートナーデジモンは、躊躇なくテントの中に入って、感動の声を上げている。

止める間もなく、あっと言う間の出来事を見守っているしかなかった太一達だったが、どうやら危険はなさそうだと判断して、テントに近付いていく。

リーダーの頭角を見せ始めている太一が、まずはテントに顔を突っ込んだ。

 

「……は?」

「おい、どうした太一?」

 

入り口に顔を突っ込んだ体勢で硬直してしまった太一に、治が声をかけた。

何も答えずにそのままするすると中へ吸い込まれるように入ってしまったので、みんなで顔を見合わせた後、次々中に入る。

 

「……何これ?」

「きゃあああっ、すごーい!」

 

空が唖然と呟き、ミミは感嘆の言葉を漏らした。

テントの中は、外見とは裏腹に広々とした空間になっていた。

外見は人が1人入るのがやっとと言った感じなのに、中は子ども達とデジモン達が全員入ってもまだ余裕そうだった。

それだけではない。

真ん中に簡易だが調理ができる暖炉が置いてあり、その下にはふわふわのカーペットが敷かれていた。

テントの縁に沿ってぐるりと置かれていたのは、子ども達念願のベッドだった。

初日の夜は運よく路面電車を見つけて、そこを寝床にすることができた。

アクシデントにより、深く眠ることが出来ずに結局そこら辺で野宿することになってしまったが。

路面電車を見つけられたのは、殆どラッキーのようなものだ。

次に寝るところにも都合よくベッドの代わりになるようなものがあるとは限らないし、だからと言って寝る度にあの湖に戻るのは面倒くさい。

だからこのテントを貰えたのは、とてもありがたかった。

これから夜をどうやって過ごすか、雨風をどうやって凌ごうか、考えるだけで億劫だったのだが、これならゆっくりと身体を休めそうだ。

あれ、と部屋を見渡していた大輔が、何かに気づいた。

 

「どうした、大輔?」

「太一さん、ベッド、6個しかないよ?」

 

言われて気づいた。ベッドの数を数えたら、6つしかなかった。

デジモン達はそれぞれのパートナーと一緒に寝ればいいとして、ベッドの数が圧倒的に足りない。

最年少3人とそのパートナーに1つのベッドを使わせたとしても、残りのベッドは5つ。

1人が見張りに出ていれば全員使えるが、そもそも男女が同じ空間で寝るのも……と上級生が気まずそうに顔を見合わせていると、光子郎が思い出した。

アンドロモンがインストールしてくれたアイテムは、これだけではなかった。

テント1、と書かれたアイコンの他にテント2と3があるのだ。

もしかして、と光子郎は慌ててテントの外に出て、先程アンドロモンが教えてくれた手順を繰り返し、テント2と3のアイコンをそれぞれダブルクリックする。

テント1と形状が同じテントが出てきた。

 

「空さん、ミミさん、ヒカリさん、来てください!」

 

中を覗き込んで確認した光子郎が、女子を呼ぶ。

呼ばれた女子達は最初に出したテントから出て、光子郎がひょっこりと顔を出しているテントに移動する。

そちらも似たような作りだったが、ベッドの数は3つだった。

どうやらゲンナイは男子と女子でテントを分けてくれていたらしい。

良かった、と胸を撫で下ろして、テント3を調べる。

 

「きゃああああああああああっ!!うそっ!本当に!?」

 

ミミが悲鳴を上げた。

無理もない、テント3はシャワールームだったのだ。

もう2日も身体を洗っていない。

女の子を体現しているミミにとっては、とても我慢ならない状況だった。

入りたい!と今にも服を脱ぎだしそうなミミを宥めて、まずは男子と女子それぞれのテントを確認しようということになった。

 

「俺とブイモン、ここー!」

『ここー!』

「あー!大輔くん、ずるい!じゃあ、僕とパタモンここ!」

『わーい、ふっかふかー!』

 

テントに入って目の前、奥にある2つのベッドに、大輔とブイモン、遅れて賢とパタモンが突撃していった。

ぼふん、と程よい硬さのクッションに身を投げ、きゃあきゃあとはしゃぐ最年少を尻目に、太一達はテントの中を隈なく調べる。

見れば見るほど不思議だった。

外からは人1人ぐらいしか入れないほどの小さなテントでしかないのに、中は広々空間で、前にテレビで見た、モンゴルの移動民族の住居みたいだな、と治は思った。

 

「……ちゃんと寝られる場所が確保できれば、とは思っていたけれど、まさかここまでとはね」

「いいじゃん、雨風凌げるんだから、文句は言いっこなし!な?」

「いや、別に文句じゃないんだけど……」

 

上機嫌の太一が、治の肩を組んでニッコニコである。

あからさまだなぁ、と治は苦笑した。

 

 

一方、女子のテントの方。

広さは男子のテントと同じぐらいだろうか。

ベッドの数が少ないせいで、使える空間は男子より広い。

それぞれのベッドの横にヒカリの肩ぐらいの高さの小さな引きダンスがあったので、ヒカリは恐る恐ると言った様子でタンスの引き出しを引いた。

あ、と声を漏らした後、慌てて他のタンスの引き出しの中も見やる。

空さん!ってヒカリは興奮したように空を呼んだ。

 

「どうしたの、ヒカリちゃん?」

「こっ、これ!あの、これ!見てください!」

 

興奮して上手く言葉を発せないようだ。

傍らにいるプロットモンが慌てている。

空はピヨモンと共にヒカリとプロットモンに近付き、ヒカリが指さしている引き出しを覗き込んで……絶句した。

 

「……あああああああ!!うっそ!お着替えまである!!」

 

後からついてきたミミとパルモンも同じように引き出しの中を覗き込んで、悲鳴を上げた。

そこには、空が今着ている服と全く同じ服が丁寧に畳まれて入っていたのだ。

どうして、って空は困惑である。

確かに2日も同じ服、同じ下着で、せめて洗濯したいとは思っていた。

ゲンナイが子ども達へのサポートの一部として、寝床を用意してくれたのは本当にありがたかったし、しかもシャワールームまでつけてくれていた。

だから最悪、下着類はシャワーで簡単に洗って使い回してしまえばいいか、って思っていたのだが……。

まさかと思って下の引き出しを開けると、ご丁寧に下着類が入っているではないか。

しかもパジャマまで!

 

「ゲンナイさん……」

 

空は困惑しながらゲンナイの名を呟いた。

映し出された映像のゲンナイは、間違いなく男性だった。

彼は人間ではないと言っていたが、見た目が立派な成人男性であるために、女子の下着を彼が用意したのかと思うと、色々な葛藤が浮かんでくる。

しかもよくよく見れば、自分が普段身につけている下着とよく似ていた。

空の服が引き出しに入っていたことにより、ミミも最後のタンスの引き出しを開けて、自分の服があることを喜んでいるが、彼女はどうやら気づいていないらしい。

ヒカリもまた然り。

……知らぬが仏、黙っていよう、と空は葛藤と共に引き出しを閉じた。

 

 

男子にも聞けば、やはり着替えが用意されていたらしい。

これからの冒険が少し楽になりそうだ、と男子は単純に喜んでいた。

先程ちらりと過ぎった疑惑は無視しようと、空は曖昧に微笑む。

 

「……でも、着た奴はどうするの?タンスに入れておけばいいのかな?」

「そしたら前に着た奴、そのまんまってこと?」

 

最年少の男子2人が至極当然の疑問を上級生達にぶつける。

あ、って子ども達が一瞬硬直したが、アンドロモンが苦笑しながらまた光子郎に教えてくれた。

テントのデータをインストールしたのと同時に、データ化されたデジモン──メカノリモンとガードロモンと言うらしい──も一緒にインストールしてくれたらしい。

何故?と問えば、光子郎のサポートのためだと言う。

自律プログラムが施されており、光子郎がパソコンで何かやっているのを察知すると、光子郎が何をやっているのか自己判断し、サポートをしてくれるそうだ。

更に、

 

《君達が着ている服も、コウシロウ、君のパソコンにインストールしておいた洗濯機のデータで洗濯できるから、安心しなさい》

「本当!?」

 

そのことに一番喜んだのは、ミミであった。

両手を上げてその場で小躍りするほどに喜んでいる。

他の子ども達も、これから先ずーっと同じ服を着て旅をする羽目にならずに済むことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。

……治だけが、険しい表情でアンドロモンを見ていた。

 

 

 

 

 

 

「……よう、シケた面してんな」

「……太一」

 

とりあえず明日に備えて今日は休みなさい、とアンドロモンに言われたので、子ども達は早速貰ったばかりのテントを使うことにした。

本来サマーキャンプに来ていたのだから、どうせなら外で!と言い出したミミの提案に、反対する理由もなく、一行は屋上にテントを設置し、男子と女子で別れて眠りにつく。

ベッドはフレームがなく、クッションと毛布だけの簡易なものだったが、それでも地面何かよりは随分マシである。

これから先ずっとベッド無しの地べたで野宿生活を覚悟していただけに、この支援はとても有難い。

2日ぶりのシャワーを順番に浴びて、自分達が普段使っているのと似たようなパジャマを着こんで、それぞれのベッドに潜り込んだ。

デジモン達は初めてのベッドに警戒した様子ではあったが、子ども達が躊躇なくベッドに寝転がるのを見て、遠慮なく布団に入った。

ふかふかで気持ちいい、とデジモン達はすっかりベッドを気に入ったようで、ベッドに入ってから数秒程で寝入ってしまった。

子ども達も、2日ぶりのベッドで嬉しくて興奮しきっていたが、その内ベッドの心地よさに誘われて、すーという寝息がテント内に静かに響いた。

ぐったりとクッションに身を任せ、明日に備えてその身体を休めている子ども達を尻目に、治はテントの外でぼんやりと座り込んでいた。

その表情は、険しい。

何か考え込んでいるようで、組んだ両手の甲に口元を隠すように乗せて、じっと一点を見つめていた。

そんな治に気づかない親友の太一ではない。

ばさり、とテントの入り口を覆っていた布が捲り上げられ、長考にしていた治が気付いて振り返ると、口元に笑みを浮かべて、テントの中から顔を覗かせている太一がいた。

意識が思考の海に沈んでいたために、いきなり呼びかけられた治はビクリと身体を大袈裟に震わせて硬直していたが、声をかけてきたのが太一だと知ってジト目で睨み付けた。

 

「まだ起きてたのか?」

「それはこっちの台詞だっての……何か気になることでもあったんだろ?」

 

よっこいせ、と親父臭い掛け声と共に、太一は治の隣に座り込んだ。

うん、まあ、と治は何処か歯切れ悪く返事をする。

 

「何だよ、言ってみろよ」

「果たしてお前に言って半分も理解できるのかな?」

「言ったな、コノヤロー!」

 

悪戯っ子の笑みを浮かべる太一に、同じような笑みを浮かべて返す治。

ぼさぼさ気味の髪に両手を伸ばしてぐしゃぐしゃにしてやれば、やめろ!と笑いながら抗議された。

ひとしきり笑った後、2人同時に深い溜息を吐く。

一瞬の間。

 

「……で?マジで何考えてたんだよ」

 

見上げても、工場の煙突から出て行く灰色の煙に遮られているせいで、夜空に散らばる星は見えない。

それでも太一は重心を後ろにやって、両手で上半身を支えながら空を見上げた。

治は、立てた右の膝に右の腕を乗せて、気だるげに構える。

 

「……ゲンナイさんが言っていたこと、お前覚えているか?」

「ゲンナイさんが?お前みたいに一字一句覚えているわけじゃねーけど……この世界と俺達の世界は無関係じゃなくて、こっちの問題を解決しねーと帰れねー、ってことだろ?」

「まあ、ざっくり言うとそうだね。でも僕が引っかかってるのはそこじゃないんだ」

「あ?どういうことだ?」

「この世界、ひいては僕達の世界のためにデジモン達と一緒にこの世界を冒険するのは、全然構わないよ。そうしないといけないのなら、僕は喜んでやるよ。お前もだろう?」

「そりゃあ、な。頼まれたら嫌とは言えねえよ。俺らの世界にも影響があるってんなら、何もしねーわけにはいかねーって」

「うん、そうだよな。お前はそう言う奴だ。でもそれはどうでもいいんだ。ああ、どうでもいいってそう言う意味じゃないからな?えーとつまり、僕が言いたいのは、そこじゃないんだ。世界を救うことに関しては、僕も異論はない。そこじゃないんだ、僕が気になっているのは」

 

ふう、と溜息を吐いて、治は太一と同じ体勢をとり、空を見上げた。

 

「……ゲンナイさんが言うには、デジモン達が進化するために僕達の力が必要なんだろう?そしてこのデジヴァイスがその手助けをしてくれる……僕はそこが引っかかってね」

「?どういうことだ?」

「引っかかったと言うより、言い方が気になった、と言った方がいいかな?ゲンナイさんの言い方、あれじゃまるで僕達は、デジモン達が進化するためのエネルギー源として呼んだみたいじゃないか」

「何だよ、要するに拗ねてたってことか?」

「おい、何でそうなるんだ!」

「違うのか?」

「……もう、それでいいよ」

 

後ろにしていた上半身を戻して、また右膝に腕を乗せる体勢を取った。

 

「僕達を体のいいエネルギー源として呼んだのかって思うと、ちょっとした不信感みたいなものはやっぱ抱いちゃうなーって……」

「お前はそう言うところあるよなー。難しく考えすぎだよ、もうちょっと気楽にいこうぜ?」

「お前は呑気すぎるんだ」

「いいんだよ、いいんだよ。俺はこれで。難しいことはぜーんぶお前が考えてくれんだろ?」

「……太一」

「ありがとうな、治。お前が難しいこと全部引き受けてくれるお陰で、俺は安心して突っ走れるよ」

「……突っ走りすぎて空に怒られるなよ?」

「その前にお前が止めてくれるんだろ?」

「いっつもお前の首根っこ掴んで止める僕の身にもなってくれ」

 

軽口を叩き合った後、一瞬間を置いて2人は声を出して笑った。

 

「はーあ……確かに難しく考えすぎかな、僕は」

「そーそー。まずは世界を救うことを考えようぜ!難しいことはゲンナイさんに逢ってから、ぶつけりゃいいよ」

「だな。あの話ぶりだと、いずれゲンナイさんに逢えるみたいだし」

「それまでに質問したいこと、纏めとけよ。俺はよく分からねえから、お前に全部丸投げするわ」

「まーたそんなこと言って……だったら僕も面倒なことは全部お前に丸投げさせてもらおうかな」

「あん?面倒なことって……」

「そうだなぁ?例えばみんなを引っ張るリーダーとか?」

「げえ、マジか」

「僕はリーダーには向いてないよ。なあ、サッカー部のキャプテン?」

「うるせー、サッカー部の副キャプテン」

「サッカー部の副キャプテンは空だろう?」

「じゃあ2人で副キャプテンってことで」

「おいおい、いいのかそれ?」

「俺が決めた!」

「それ職権乱用って言うんだぞ」

「はっはっは!……さあて、そろそろ寝ようぜ。明日も早いんだからさ」

「ああ」

 

夜が、更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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