朝日が、僕を襲う。嫌に明るい太陽が僕を嘲笑うように煌めく。
いつの間にか眠っていたようだ。
「……姉さ、ん?」
無意識に僕は姉さんを呼んでいた。
「……みや、び」
寝言だろうか、姉さんの声が聞こえる。
よかった、まだいてくれた。姉さんがいるだけで、漠然とした安心感に包まれる。
「……落ち着いてる」
自分を見つめ直して、そう呟く。
姉さんが言っていた言葉が、脳裏に過る。
――冷静さは時間が持って来てくれる。
どんなことも、時間が経てば冷静に考えることが出来る。だから、どうにもならなくなった時は、それから距離を置くのが最適なのだ、と。恐らく三年前の経験を元にした話。
今なら話せる。
そう確信して、扉に手をかける。だけど、手に力が入らない。
手が震えていた。部屋から出ることに――姉さんと会うことに恐怖を感じているのだ。
「……ッ」
無理矢理、力を入れる。慎重に、音を鳴らさないように気を付けながら扉を開けた。
姉さんは廊下で倒れるように眠っていた。
ずっと待っていてくれたんだ。少し嬉しい気持ちになるが、出てこれなかった自分に罪悪感がのしかかってくる。
――それなのに。
「ごめ、んね……、みや、び……」
小さな声で、確かに姉さんはそう言った。
「……違うよ、姉さん」
いつも、いつも姉さんは全てを自分のせいにしていた。常に自分を卑下して、それが間違っていないと信じていた。
だけど、それは違う。
姉さんがやっていることはすべて正しかった。そして、これからもずっと正しい。
ずっと、ずっと、姉さんを見続けた僕が言うのだから間違いない。
悪いのは、間違っているのは僕だ。何もかもに嘘を吐き、姉さんを裏切っていた僕だ。
「姉さん」
一度だけそう言ってから、姉さんが起きるのを待つ。
無理に起こさず、姉さんが起きてからにしよう。
元々僕が悪いのだ。
だから、正直に、全部話そう。いや、話さないといけないのだ。
――けど。
「……姉さんは、僕のこと、どう思ってたのかな」
もう関係が壊れても構わない。
だから、今までの僕に姉さんはどう思っていたのか。今の僕にはそれが気になる。
「――んぅ」
姉さんが寝返りをうつ。
そんな時でもないのに。見惚れてしまいそうになる。
姉さんはそれぐらいに――綺麗だ。
そういえば、僕はいつ姉さんを好きになったのだろう。
今ではハッキリと『好き』と言い切れる。姉としてではなく、一人の女の人として。
だけど、それがいつだったのか分からない。記憶に残っていない。
本当に、いつなのだろう。
姉さんが起きるまでの間に。
姉さんに本当のことを言うまでの間に、全てを思い出したい。
今のまま、――姉さんが僕に笑ってくれるまでの間に。
姉さんが大笑いしてから三ヶ月後。僕と姉さんは、叔父さんの家から遠く離れた場所で二人暮らしをすることになった。
嘘を吐くことにも慣れてきた僕は、姉さんを笑顔に出来る理想の弟を手探りに演じ始めていた。
「うわ、ひっろ……。いい感じだね、雅」
「うん、とっても広い」
『完全記憶能力』は、理想の弟を演じるのには十分過ぎるモノだった。
今まで吐いた嘘を全て記憶し、それに合わせて嘘を重ねる。
ソレを再び記憶し、更に嘘を重ねる。
そうしていく内に、『白井雅』という全く別の人間が生まれてくる。
僕――白井雅は『白井雅』という人間を、今まで吐いた嘘という『設定』に基づき、演じる。
頭の中には絶対に消えない『台本』があって、困ったときはソレを見ればいい。
僕は自分で作り出したマニュアル通りに動けば、それでよかった。
「わくわくするね、姉さん」
「だね。……でも、ごめんね。また転校させちゃって」
「ううん。新しい学校も楽しいし、もう友達も一杯出来たよ!」
「まだ一日目じゃなかった?」
「そうだよ。でも、みんな凄く優しくて、すぐに仲良くなったんだ!」
その時転校した学校は、僕達の事件を知らなかった。先生にも話していなかったので、気を遣ったり、無邪気な毒をくらうこともなくなった。
「そっか、よかったね、雅」
そう言って、姉さんは僕の頭を撫でてくれた。力が少し強くて、髪がぐしゃぐしゃになったけど、とても暖かい気持ちになれた。
「えっと、叔父が出した条件はっと……」
唯一の持ち物だった携帯を――その時はまだガラケーだった――取り出して、メモ帳を開く。
僕の記憶によれば、叔父さんに出した条件は二つ。
――白井雅に負担を一切加えないこと。
――白井雅を大学まで卒業させること。
はぁ、と姉さんは小さく溜息を吐いた。
「雅ばっか。ちょっとは私のことも心配しろっての」
「うぅ、ご、ごめんなさい」
「違う、違う」
そう言って、姉さんは笑った。僕が全ての原因だというのに、姉さんは知らない。
「結局――全部私が悪いから」
既に自責症がつき始めていたのだろう。姉さんが時々見せる悲しそうな笑顔は、小さく、確実に僕を傷つけていった。
「姉さん! 部屋とかって、どうするの?」
「雅には日当たりの良い部屋を上げるね」
「ありがと、姉さん!」
その時はまで気付かなかったけど、今考えてみると、姉さんはこの頃から引き篭もる準備をしていたのだろう。
パソコンなどの機器が熱に弱いことを知って、通気性やら色々と引き篭もるには最適な部屋をさらっと手に入れていたのだから。
「でも、叔父さん、こんなに一杯お金使ったけど、大丈夫なのかな?」
家に、パソコン、それに家具も一式揃えたのだから、物凄い出費だったはずなのに。
そんな疑問を僕は持っていた。だけど、それを姉さんはあっさりと解決してしまう。
「あぁ、大丈夫、大丈夫。あの人、相当のお金持ちみたいだし」
「……え?」
一ヶ月間、一緒に住んでいたのに、僕は気付かなかった。
お父さんやお母さんと同じような生活をしていたし、料理も質素で普通なモノだった。
だから、姉さんがすぐに『お金持ちだから』という結論に至った理由が分からなかった。
「……ん? あぁ、私がいた部屋さ、あれ、多分物置部屋だったんだろうけど、高そうなモノばっかだったんだ。もし、あれが凄く大事にしているモノだったら、そんなところに私を入れる訳がない。だからお金が余るほどあったからなんとなく買った、みたいな感じなんだと思う。集めるにしても統一性がなかったから、高いものを片っ端に買ったんだろうね」
「……?」
なんとなくは理解していたが、『白井雅』を演じ、小さく小首を傾げた。
「あぁ、ごめん、分かりにくかったね。簡単に言うと、お金持ちがするようなことしてるから、お金持ちなんだろうな、ってこと」
「そうなんだ。僕、全然気付かなかったよ!」
全然気付かなかった。姉さんの観察眼が異常なまでに鋭いことに。
いや、事件のせいで鋭くなったというべきか。とにかく、姉さんは異常なまでに物事を冷静に見るようになっていた。
まるで一度きりの、間違えてはいけない『何か』をしているかのように。
――まだ分からない。いつ、姉さんが好きになったのか。
その『何か』が何なのかを理解したのが、それから七ヶ月後。つまり、事件から一年後。
僕が『白井雅』という存在を演じ、『姉さんの笑顔を守る』ことに完全に依存してしまった頃。
転校した私立中学校で出された『何のために生きるのか』という宿題を手伝ってもらったのだ。
「――姉さん、僕らは何のために生きてるの?」
「また、面倒臭い宿題出たの? ――うわ、危なッ!?」
絶賛プレイ中のネットゲームを進めながら、姉さんは答える。
「うん、そうなんだ。僕、こういうの分からなくて……」
「んー、私にとってはゲームかな」
「……ゲーム?」
「うん、ゲーム。シュミレーションゲーム、だよ。無限数の選択肢の中で十個ぐらいの正解を選び続けて、何回か失敗したら社会的に死亡するゲーム。一回もリセット出来ない超クソゲー、って感じかな」
「…………」
吐き捨てるように、姉さんは言った。優しい口調の中に、絶対的な確信を持って言った。
「ごめん、今のは理解しなくていいよ。学校が求めている答えは「『何のために生きるのか』を探す為に生きてます。だから『何の為に生きるのか』に答えはないと思います」みたいな感じだと思うよ」
「え……? 答えないの?」
「そう、『答えがない』ことが答え。屁理屈って言われたら屁理屈なんだけどね。それが一番有名な答え。雅の通う学校はそういう答え好きでしょ?」
「うん。屁理屈とか、そういうの好き」
生徒全員が「えぇッ!?」と叫ぶようなことが沢山あって、姉さんがいたらツッコミで過労死すると僕は確信している。
「じゃあ、正解だと思うよ。今の覚えた?」
「えっと、「『何のために生きるのか』を探す為に生きてます。だから『何の為に生きるのか』に答えはないと思います」だよね?」
「流石だね、雅。よく出来ました」
そう言って姉さんは頬を優しく撫でてくれた。
ことある度に姉さんに撫でられていたからか、この頃には撫でられるだけで温かい気持ちになるようになっていた。
「あはは、やっぱり、雅って犬みたいだよね」
ネットゲームを中断して、姉さんは頭を撫で始める。
「犬……?」
「うん。なんか、撫でられた時の反応とか犬みたいで可愛いな、って」
「か、可愛い……?」
突然そんなことを言われたせいか、顔が一気に赤くなるのを自覚した。
「うん、可愛い。なんだろ、ミニチュアダックスフンドみたいに、甘え下手で守ってあげたくなる感じ。分かる?」
「ん……。多分、分かる……」
「そっか。うん、偉い、偉い」
撫でられる時間はほんの少ししかなくて物足りない気持ちもあったが、それ以上に心地いい気持ちがあった。
姉さんは今の僕――『白井雅』を必要としている。
姉さんの言葉にはそんな意味が含まれていた。僕が依存し、演じている『白井雅』に愛情を持って接してくれている。
それが嬉しくて、嬉しくて、もう何もいらなくなる。
これ以上、僕は何もしなくていい。僕は『白井雅』のままでいいんだと思えてくる。
姉さんの笑顔を守れば、姉さんが愛情をくれる。魅力的で危険な姉さんの愛情という麻薬に、僕は薬物依存したのだ。
「……あ、そうそう」
思い出したかのように、姉さんは振り向く。
愛情に浸っていた僕は少し遅れて「何?」と返した。
「今の答え、つまりは『答えがない』が答えっていうのは、沢山あるからね。まぁ、まだ雅は経験しないだろうから、何かは言わないけどね」
「……えぇ、何なの? 凄く気になる……」
「だから、そのうち分かるって。まぁ、私もまだ経験してないから、分かんないけどね」
――あぁ、そうか。
「そうなの? 分からないのに、なんで分かるの?」
――姉さんが言っていたのはコレのことか。
「はい来た、『分からない』から分かるの」
――『分からない』が答え。
「うぇ……、なんか、ズルいよ姉さん……」
――今になって、ようやく気付けた。姉さんの言いたいことは、分かっていたはずなのに。
「もっと雅は勉強しないとね。学校で学べないことを……って言いたいけど、雅の中学校なら十分に学べそうだよね……、うん、学校で沢山勉強して来なさい」
――姉さんが好きになったのはいつか。
「はーい。でも、姉さんも、勉強を教えてね」
――それに答えなんかないんだ。
「分かってるよ。雅が私のこと頼ってくれるなら、――信用してくれるなら、いくらでも教えてあげる」
――だって『答えがない』が答え、なんだから。
雅視点で、姉弟の過去を遡っている感じの話です。
次で、ちゃんといざこざは終わらせます。
そして、有紀の心の内が視れるはず。(誤字ではない)
関係無いですが、一から書き直したいです。はい。