まさか叫ばれるなんて予想外だけど、それでも、まだ想定の範囲内だ。正直、もう少し最悪のパターンも考えれた。
私の予想通り、雅が反応した。それだけは想定が出来た。
雅はいつも陰で私のことを見てくれていたんだろう。それを利用する形になったのは、やはり心痛い。
「やっぱり、そこにいたんだね、雅。まぁ、だから話したんだけど」
「…………」
雅は、ただ押し黙る。
私が吐いている『嘘』が何なのかを、探そうとしているかのように。
「お母さん、嘘なんて吐いてないよね……?」
「……お母さん、嘘、って何」
私の言葉を、有紀は受け止めず、雅は受け止めた。
冷静になれ。自分を言い聞かせる。
まずは、自分の気持ちを。本音を告げる。それが先だ。
「二人とも、私を信頼してくれるのは凄く嬉しい。けど、だからこそ二人から信頼されなくなるのが、怖かった。ずっと、ずっと、――辛かった」
雅が、私に嘘を吐いている。それは信頼されていなかったからなのか、そう思うと胸が締め付けられるぐらいに辛かった。
だけど、実際は違った。
私を信頼しているからこそ、私に信頼されようと嘘を吐いていた。
私が好む『弟』を演じようと。そんなことしなくてもいいのに。
それを知れた時、私は嬉しかった。だから、今度は私の番だ。
「…………」
「僕は信じる。何が起きても、ずっと、姉さんを信じる!」
そんなことは知っている。私がそうだったように、雅だって、有紀だってきっと、きっとそうだ。
「でも、雅は、それが出来なかったよね」
私が雅の嘘を全て受け止めてくれる。そう思ってはいたのだろう。だが『もしも』が怖かったのだろう。
もしも、私が雅の嘘を知って、拒絶するかもしれない。そんなあり得ない可能性に、怯えていたのだ。
「……ッ」
図星。表情が物語っていた。
「一緒だよ」
雅の頭を優しく撫でる。
「私が雅に吐いた嘘は「雅の期待しているほど、私はいい人じゃない」ってこと、それなのに私はなんでも出来るような口ぶりで話していただけ」
「…………」
雅は何も答えない。
「分かってくれた?」
「……分からない。分からないけど、僕はこれからも姉さんを信じる」
「分かった。私は私の出来る範囲で、その信頼に応える」
雅に吐いていたのは、嘘と言えるほどのモノではない。ただ、自分に自信がないだけだ。
今もまだ、私は雅がいつか失望するのではないか、と考えてしまっている。今までのように隠すことなく、そのことを知ってほしかった。
今度は私の意思で、私の口で、私のタイミングで、知ってほしかった。
優しく、雅を抱きしめる。二度と離れていかないように、強く、長く、時間を掛けて。
「……雅、有紀と話させて。二人っきりで。聞き耳も禁止。私を信頼して、それに私は応えるから」
「ズルいよ、姉さん。あとで、僕もはなしたいことがあるから、時間作ってね。……いつでもいいから」
小さく笑って、雅は部屋を出て行ってくれた。
やっぱり、雅は優しい。単純で、非力で一途だった。
「お母さん……?」
有紀はまだ、私が言ったことを理解していないようだ。理解したくないのかもしれない。
まだ、有紀は幼い。精神的にも、幼く、だけど、『いい子』を演じようと、無理をしていたんだろう。
「ごめんね、有紀」
「どうして、どうして、謝るのッ! お母さんは何も悪くないのに!」
そして、有紀は『お母さん』という存在を神格化している。どんなことをしても怒られない、何をしても許してくれる。『お父さん』という存在とは正反対の、優しい存在だと。
勿論、私はそんな人間ではない。――そもそも、有紀の母親ですらない。
「そう、だね。お母さんは嘘を吐いていない。嘘を吐いたのは、私だから」
「……何を、言っているの? 意味が、分からない……、だって、そんなの……ッ!」
有紀は小さな悲鳴を上げる。理解していることを、受け付けないかのように。
もしかしたら、このまま騙し続けた方がいいのかもしれない。有紀は自分の想いをもねじ曲げて、私を信じようとしてくれている。
その信頼を、私は有紀を騙し続けるという形で応えるというのも、ひとつの方法だ。
有紀の、現実から目を背けようとする姿に、心が揺れる。――いや、歪む。
「……ッ」
この歪みを受け入れてしまえば、有紀は希望を失わずに済む。
偽りの希望を、本物の希望だと信じたまま、有紀は幸せなままでい続ける。例え誰かに事実を告げられても、それまでの『思い出』が、事実を捻じ曲げる。
自分が信じたモノに――『真実』へと変貌して。
そうなる前に、私は伝えないといけない。有紀の母親として、最後の役目を果たさないと。――『お母さん』という存在を、本当の有紀の母親に返さないと。
「私は……、あなたのお母さんじゃないの。今までずっと、ずっと、騙してた。……本当に、ごめんね、有紀」
「嘘だッ! 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だッ! そんなの絶対に信じないッ!」
半ば食い気味に、有紀はそう喚き散らした。
当たり前だ。
今まで母親だと信じていた人が、――しかも、自分が母親だと信じた相手が、本当の母親ではない、など、信じたくも、聞きたくもない。
「……ごめんね、有紀。言い訳にしかならないけど、……こうするしかなかった。有紀は昔の雅にそっくりだった。そんな子が、雅みたく怯えていて――どうしても放っておけなかった」
あぁ、そうだった。たった二週間のことだというのに、自分でも忘れかけていた。後々になって、都合のいい『言い訳』を作っていた。有紀の為だ、と。
結局は自分の為じゃないか。雅に守られてばっかりだった自分の立場を、有紀を利用して守る立場に昇華しようと、そんなくだらない理由で私は有紀の『お母さん』を演じたのだ。
こうして人は自分の記憶を都合よく改竄していくのだな、と痛感した。やっぱり、自分はそういう人間なのだ、とも。
「どう、して……、そんなことッ、言うのッ! そんな嘘、聞きたくない。ボクは絶対に信じないッ!!」
目が見えないというのに、まだ風邪も治っていないというのに、有紀は無理をして立ち上がった。
ふらふらと、立っていることすら精一杯だというのに、必死に歯を食いしばって、痛々しい傷跡が残っている目を見開いてまで。
予想外だ。もう、食い下がらないと思っていた。
「……ぁ」
有紀の体が力なく倒れる。
「……ッ、有紀!?」
咄嗟に動くも、間に合わず、有紀はベッドにそのまま倒れてしまう。
「……ぅ、お母さ……」
意識朦朧としたまま、有紀はそう呟いた。呟いて私の腕を強く握ったまま、いきなり眠ってしまった。
「……現実逃避」
思いついた言葉を小さく呟く。自分にも起きた、ソレだ。
体が、無理矢理そうさせたのだろうか。これ以上、精神的な負荷がかからないように。
「……ごめんね、有紀。……本当に、ごめん」
答えが無いことが答え。――雅に教えたちょっとしたトンチのようなモノ。
これには二つの意味がある。
一つは、答えなんて見つけなくてもいいモノ。――つまり、答えを求めるのではなく、求める過程に意味が存在するモノのことだ。
誰かの受け売りか、自分で考え出したのか、その辺は一切記憶に残っていないが、私が割と気に入っている解釈だ。
そしてもう一つは、何をやっても無駄なモノ。――つまり、どんな選択をしても失敗に終わってしまうが故に、答えを出してはならないという最悪の問いの答え。
そしてこの問いが、世の中には嫌になるほど蔓延っているのだ。――例えば、今のように。
有紀の爪が、腕に食い込む。徐々に痛みが広がり、やがて小さな赤い筋が流れる。
「……血。そんなに、信じたい、の……?」
もう、冷静を装うことが出来なかった。涙が零れ、流れている血が薄まる。
――やっぱり、私は最低だ。
一度流れた涙は、止まることを知らない。ずっと、ずっと、流れ出る血を薄め続けていた。
午後の五時を過ぎて、有紀は目を覚ました。
「お母さん、おはよう」
いつもと変わらない、いつもと同じ明るさで。いつもよりもずっと、甘えん坊になって。
「……うん」
だから気付いてしまう。有紀の、小さな抵抗に。
「あのね、有紀。私はね――」
「えへへ……、お母さん、やっぱりいい匂いだ……」
食い気味に、私の言葉を遮って、顔をうずめる。
何があっても、私を『お母さん』にしようとしているのだ。そうやって、自分の都合のいい『真実』を作りだそうと。
見えていないのだから当然なのだが、有紀は自分の手が赤く色づいていることに気付いていない。
「ごめんね、有紀」
「お母さん、大好き」
もう、私の話を聞こうとはしない。事実を、絶対に認めようとしない。そんな有紀の態度が、辛くて、悲しくて、そして――今まで犯した自分の罪なのだと、認識させられた。
「有紀――」
「もう、ボクを一人にしないよね?」
有紀の心は既に純粋ではなくなっている。『お母さん』に愛される為なら、どんなことだってするようになっている。
本当の『お母さん』を認めようとすらせず、今、目の前にいる『お母さん』に愛されようと。
「……ッ。ごめん、ねッ!!」
軽い音を鳴らした。耳に纏わり付くように、その音が響く。頬を、平手で全力で叩いたのだ。一切の加減無く、ただ、自分の想いという名の、都合のいいモノを込めて。
手がじんじんと痛む。手に染みこんでいくような痛さが残り続けていた。
だけど、それよりも、心が痛かった。
こんな方法しか思いつかない自分が――それ以外の選択肢を閉ざした自分自信の醜さが露呈しているのだから。
「……お母さん?」
有紀は、呆然と小さく呟く。見えない視界を彷徨わせて、朦朧と私に手を伸ばす。有紀の縋るような姿を見て、抱きしめたい衝動にかられる。
有紀を悲しませないようにするはずだったのに、こんなにも傷付けている。
何度も何度も、心が揺れる。こんなにも、自分は揺れやすいのかと呆れてしまうほどには。
「どうして、叩く、の? お母さん、ボク何か、悪いこと、した……? どうして、急に、だって、お母さんはずっと優しくて……、お母さんは、お母さんは……」
「私は有紀のお母さんじゃないッ!! どうして、どうして、分かってくれないの!! 有紀のお母さんはもう、五年前に死んでるッ! 私は、あなたを自分の立場をもう一度築く為に利用した――有紀が言う『お母さん』とは全然違う、最低な人間なのッ!!」
もう、何も考えられなかった。ただ、思ったことを、どうにもならない感情と共に吐き出してしまった。
「……|ッ、知ってる、よッ!! 知ってるよ、そんなことッ!! お母さんに弟はいないんだからッ!! 親戚がいないから、お母さんはボクと一緒に生活出来るように、って一人で出て行ったんだ!! お母さんは言ってたんだ。何回も、何回も、「必ず戻ってくるから」って……、「来年には必ず」って、言ってたんだから!!」
「……ゆう、き……?」
「『お母さん』のこと、間違える訳ないじゃないか……、。どれだけ……、どれだけ『お母さん』と同じ匂いがしても、同じぐらい愛してくれても、どれだけ優しくても、『お母さん』と他の人の区別ぐらいつくよ。でも、お母さんが、ボクの『お母さん』だって、言ってくれて、それが嬉しかったんだ。だから、無理矢理、自分自身を騙して、お母さんが本当の『お母さん』だって信じて、なのに、なのに……、どうして、どうしてなのッ!! ずっと、このままでよかったのに。どうして、急に、本当のこと、言うの……ッ!! どうして、騙し続けてくれないのッ!!」
ずっと隠していたことを、有紀はさらけ出した。――さらけ出してくれた。
受け入れがたいソレを――己を偽ってまで心の中に鍵をかけた、ありのままの『事実』を。
有紀は、本当に『お母さん』が好きなのだろう。だから、死んだことを受け入れられなかった。
そんな時に、私が、私の都合だけで『お母さん』を名乗った。
「……ごめんね。私のせいで。もう、何も隠さない、から、さ。だから……――」
――だから?
自分で言った癖に、その先が声に出てこない。口が固まってしまったかのように、動かないのだ。
「もう、いい。もう……、知らない」
冷たい口調で、有紀はそう言った。
「…………」
何も言えなかった。有紀の全てを諦めたような口ぶり、心の傷口を更に抉っていく。
「もう、お母さんのフリはいいから」
「……ッ」
――私はもう必要ない。
有紀はたった今そう告げたのだ。
「放っておいて。……――一人にさせて」
「…………」
必要ないと断言された私に、かける言葉なんて、一つもなかった。
「……ごめんなさい」
小さく、有紀にそう言って、部屋を出て行く。
どうすればよかった?
このあとどうすればいい?
何か出来ることはないのだろうか?
必死に考える。考えて、考えて、だけど、何も思いつかない。
「……雅と、相談しよう」
結局、私は雅に頼るしかないのか。
これだけは、どうしても一人で解決したかったのに。
――やっぱり、私には無理だったのだ。
恐らくあと3つで完結します。完結したら書き直します。頑張りたいです。