――やっぱり、こうなった。
予想はしていたんだ。蹲りながら、そう思う。
お母さんが、『お母さん』じゃないと気付いたのは、結構最初からだった。
『お母さん』の本名は、柊姫妃奈。だけど、あの明とか言う奴はお母さんのことを『白井』と呼んでいたところからだ。
最初から、違和感はあった。
身長が縮んでいたりとか、雅兄ちゃんがいたりとか、いろいろと。
だけど、お母さんのことを信じたかったし、『お母さん』が生きているということを信じたかった。
――……信じたかったなんて言ってる時点で、もう『お母さん』がいない、ということを認めているというのに。
本当に。本当に――
「――もう、嫌だ。みんな、酷いよ」
一人になった部屋で、そう呟く。
まるでボク一人しか、この世界には存在しないかのような、異常な静けさ。
だからこそ、自分が一人ぼっちなのだと、痛感させられる。
『お母さん』も、お父さんもいない。お母さんとも、雅兄ちゃんとも関わるのを拒絶してしまった。あんな酷いことを言ったのだ、もう、積極的には関わってこないだろう。
本当は大好きなのに。
例え、ボクを騙していたとしても、それがボクの為だと、恐らく『愛情』を持って接そうとした結果なのだ。
それにボクは甘んじていただけ。自分の都合のいいように。
「……酷いのは、ボクの方じゃないか」
ボクの為に、やってくれたことを、都合よく受け入れて。都合が悪くなったら、拒絶する。
『お母さん』には負けるけど、お母さんはボクを愛してくれた。本当の子供のように、もしくは第二の弟のように、優しく、愛情を持って接してくれた。
ボクはそれに応えて、たった一ヶ月だったけど、ボクもお母さんが大好きになった。それこそ、本当の親子のように、お母さんと呼ぶことに違和感すら覚えなくなるくらいには。
優しくて、ボクや雅兄ちゃんのことをずっと想っていてくれて、子供っぽいところもあって、でも、ちゃんとした判断が出来て。
大切な、大切な、もう一人の『お母さん』だ。
――なのに。そんな大切な人を、ボクはただ、ただ利用した。
「……酷いなぁ」
本当に、酷い。
「『お母さん』……、ごめんなさい」
どれぐらい経ったのだろう。ボクは何も考えられないまま時計の音を聞いていた。
お腹が鳴る。そういえば今日はまだ何も食べていない。お母さんと雅兄ちゃんはもうご飯を食べているなんてこと、――ボクだけ何も食べていない、なんてことが起きているかもしれない。
『悪い子』のボクなんて見捨てられるかもしれない。
あってほしくない可能性が嫌というほど浮かび上がってくる。
だけど、いい可能性は一つも思い浮かばなかった。
例えば
「有紀、お腹空いてる?」
お母さんが、いつもと変わらないまま、話しかけてくるとか。
「……うん」
驚きながらも、そう応える。同時にもう一度お腹が小さく鳴った。
「そっか。じゃあ、一緒に食べよう。まだ体調悪いんだし、ちゃんと食べないとね」
「うん」
昨日と何も変わらない、優しいままのお母さんだった。安心すると同時に、何故なのかと疑問に思う。
リビングに着いて、お母さんに手伝ってもらって椅子に座る。いい匂いが広がっていてまたまたお腹が鳴った。
「いただきます」
お母さんと雅兄ちゃんが仲よさげにそう言う。お母さんと雅兄ちゃんは何かあったのだろうか、雰囲気がいい方向に変わっている気がする。
「……いただきます」
遅れてボクも返事する。
結局、お母さんも雅兄ちゃんもいつもと変わらないまま、接してくれた。
「……どうして?」
ご飯が終わって、お母さんが食器を片付け始めた頃になって、ボクはようやくそう切り出すことが出来た。
「ん? どうしたの有紀?」
お皿を洗いながら、お母さんが尋ね返してくれる。雅兄ちゃんは黙々と何かをやっている。
「どうして、普通なの? ボクは、あんなこと……したのに」
「そうだなぁ……。私に、有紀のお母さんは無理だった。それは、嫌になるぐらい分かった。心が折れた、根本からポッキリと」
明るく、なんでもないように、お母さんが話す。
「だったら!」
お母さんが言っていることは「全部駄目だった」ということだけだ。何も解決していない。そのことが、普通に話せていることと関係なんてないはずだ。
「だから、お母さんっていう呼び方は本当のお母さんに返してあげて。それが一番だと思う。それで、今までのことは――忘れて」
「……忘れる?」
そんなこと、出来る訳がない。そんなことをすれば、今までの思い出、全てが消えることになってしまう。『お母さん』ではなくても、お母さんは大切な大切な人なのだ。
「そう。私がお母さんだったことは帳消し。何もかも無かったことに――は、無理か。でも、出来るだけ、私がお母さんだったことは、無かったことにして欲しい」
「どういう、こと?」
どうして、そんなことを言うのだろう。訳が分からなくなって、嫌な可能性ばかりを考えてしまう。
お互いが全てを忘れて何も無かったことにする。そうしてボクと別れておしまい、とか、
「私に有紀のお母さんは無理だった。本物がいたから。偽物は本物には勝てない。だから、本物のいないモノの偽物になろう、って考えたんだ。雅と二人で」
雅兄ちゃんは集中しているのか話に入ってこない。話していることにも気付いてないかもしれない。
「本物のいないモノの偽物?」
そんな言葉、知らない。本物がいなければ、偽物も存在なんて出来ない。お母さんの発想は、本当によく分からないことばかりだ。
「そう。私は有紀の『お姉ちゃん』になる。――なりたい、かな」
「……お姉ちゃん?」
「うん。有紀は一人っ子でしょ? だから本物のお姉ちゃんはいない。だから私が先に偽物のお姉ちゃんになる。本物だと偽って。血も繋がっていない言葉だけの関係を、本物と同じぐらいに。――私と雅のようにしたい」
「…………」
ボクとお母さんの『お母さん』という関係を一度リセットして、新しく『お姉ちゃん』という関係にしよう。
お母さんは多分、そう言いたいのだ。
だけど。
「それに、何の意味があるの」
ただ、呼び方が、関係が変わるだけだ。今までのことを忘れるなんて無理だし、だから、それに意味なんて。
「意味なんて無いよ。ないから、だからこそ、そうしたい。そうでもしないと、有紀を近くで守れないから」
「近くで、守って……。――だから、どうして」
どうして、そこまで、ボクを守ろうとしてくれるの。酷いことを言って、期待を裏切って、最低で、最悪な、赤の他人のボクを。
「……有紀は、もう、私の『家族』だから。だから、手放したくない。ずっと、ずっと一緒にいて欲しい。これから色んなことが起きると思う。嫌なことも良いことも。その全部を、私はやりたい。余計なお世話だけど私は、有紀に愛情を持っている。明確で、助けてあげたいっていう『家族愛』を持っている」
「ボクが、『家族』……?」
「そう、『家族』。だから、私は絶対に有紀を見捨てない。大事な弟だから。雅と同じ、大切な、大切な」
「……弟」
考えてみる。
例えば、そう納得したとして
何もかも、困ったらお姉ちゃんに頼って、そうやって依存することが出来る。
「……うん。分かった。ボクはお姉ちゃんの弟になる」
なら、それでいい。また、お姉ちゃんも、雅兄ちゃんも、そしてボク自身も騙してしまおう。
「…………」
「……お姉ちゃん?」
「ありがとう、有紀。これからも、一緒に、いつまでも『家族』でいようね」
「……うん」
これでいい。これでいいから、ボクはお姉ちゃんと一緒にいたい。いつまでも、ずっと、ずっと。
――お母さん。ボクは、やっぱり悪い子みたいだ。
久しぶりに、本当のお母さんを心の中で呼んでみる。
そんなことないよ。なんて、どこかで言ってくれているといいな。
解決しているような、していないような。そんな感じで終わりました。
一応、次で終わりです。