――事故から一週間後。
丁度良い室温に調節された病室の中で、正午の日光を浴びながら私は小さく溜息を吐いた。
事故によって右足を盛大に骨折した私はあと一週間弱は入院生活を送らないといけないらしい。
漠然と有り待った時間をどうやって潰そうか考えても、そのほとんどが「歩けない」という理由で廃案になってしまう。
最近になって、松葉杖有りでなら何とか歩けるようになったのだが、それでもまだまだ何かをするような余裕は無い。――要するに、あと一週間ほど暇が続くのが憂鬱なのだ。
病室の廊下側にいるため外の景色を見ることも出来ないし、最新機器で充実している癖に病室にはテレビもない。――この病院は私に何か恨みでもあるのだろうか。
そんなことを考えていると、ステップを踏むような特徴的な足音が聞こえてきた。この足音の主は柊姫明さん。以前もお世話になったこの病院の看護師だ。
「よ、暇人」
「第一声から酷いですね……」
私が溜息を吐いている間に、柊姫さんはベッドの横にある椅子に座って大きな欠伸をかいた。
寝癖だらけの髪と相まって一層『看護師』よりも『ニート』の方が似合っている。
「また暇潰しに来たんですか?」
この人は暇さえあれば「暇潰し」と称して患者のところに行き世間話をするのだが、そのせいで本来の職務を全う出来ていないらしい。
普通に考えればそんな人間すぐにクビになりそうなものなのだが、「柊姫さんがいないならこの病院には来ない」と言ってしまう患者も結構いるらしく、それが原因でクビにならないそうだ。
「暇潰しも兼ねてるが、今回は事務報告がメインだな」
「事務報告?」
「まぁ、要するにお隣さんが出来る、ってことだ」
「お隣さん、ですか……。その人について聞いたりしてもいいんですか?」
同年代なら、話でもして時間を潰せるかな、などと思いそんなことを聞いてみる。だが、返って来た答えは実に突飛な物だった。
「俺の甥だ」
「……は?」
「だから俺の甥だ。十二歳だから、話し相手にもなるだろ」
「……まさかとは思いますけど、その子の面倒を見ろってことじゃないですよね?」
「その通り。流石だな」
無性に腹が立つドヤ顔でそんなことを言われたせいで、理不尽な脱力感に襲われる。
「んじゃ、そんな訳でよろしくな」
「え、ちょ、ちょっと、柊姫さんっ!?」
捨て台詞のように告げてから颯爽と柊姫さんは病室から出て行った。あの人と話していると無駄に疲れるから、本当に厄介だ。
「姉さん、疲れた顔してるけど、大丈夫……?」
しばらくして、そう言いながら病室に入ってきたのは双子の弟、白井雅。
私の唯一の家族であり、理解者であり、恩人であり、最も心強い味方だ。
私にとって雅の存在は大き過ぎるモノになっている。雅がいるだけで漠然とした安心感に包まれ、どんなことでも出来るような気持ちになれる。
事故の日から雅への依存はより一層強いモノになっている。どうせソレに関して何か言う人はいないし、いても治す気なんてさらさら無い。
「……姉さん?」
雅が心配そうに尋ねる。
「え、……ごめん、何だっけ?」
余計なことを考えていたせいで雅の話を聞き逃していたらしい。
「ううん、別に。それより、柊姫さんとどんなことを話していたの?」
「柊姫さんの甥が隣のベッドに来るらしくて、面倒見てくれって頼まれたんだ」
「そうなんだ。僕に手伝えることがあったら何でも言ってね。学校も終わったし、僕なりに頑張るからさ」
そういえば、雅が在学している中学校は今日が終業式らしい。結局、中学校には一度も通わずに終わることになりそうだ。
「ありがと。頼りにしてるよ」
そう言って、いつものように雅の頭をくしゃくしゃにする。綺麗に顔を綻ばせる雅の表情は純粋とか、無垢とか、そういう言葉がよく似合う。
「そ、それじゃ、僕は一回家に帰るね。す、すぐ帰ってくるから!」
しばらく撫でていると、雅はどこか照れたように顔を赤らめて、バタバタしながら病室から出て行った。
最近になって雅はそんな行動を多く取るようになって来た。
避けられているような気もするが、その割には毎日面会に来ていたりと矛盾した行動をしている。
「……そういえば、今回の件もコレが原因だったっけ」
避けるような態度について責めるように尋ねてしまったのが原因で、喧嘩になったのだった。
「何であんなに厳しく言っちゃったんだろう……」
雅が私をどう思うが向こうの勝手だ。雅だけがソレを決めていい唯一の人間であり、他の何者も意見を言ってはならない。そんな当然のことを無視して、私は雅を責め立ててしまった。
――そもそも、雅が今も私に好意を持ってくれていること自体がおかしいのだ。
何も出来ない癖に、全てから逃げた癖に、馬鹿みたいに姉ぶったことを言っている人間に好意を抱いてくれている。
そんな『異常』なことを、当然のことだと錯覚し、「嫌っているかもしれない」などという
そんな、言わば『禁忌』に等しい愚行をしてしまった愚姉に、変わらない態度で接してくれている賢弟を、どうして私は疑うことが出来たのだろうか。
時間が経てば経つほど、そんな気持ちが私を押し潰そうとする。
「――姉さん?」
「うわっ!? って、なんだ、雅か、驚かさないでよ……」
突然、雅が視界に現れ、私は思わず声を上げてしまった。考え事をすると、周囲が見えなくなるのは私の悪い癖だ。
「今日の姉さんは何か変だよ? ずっと怖い顔してて、えっと、その……――」
「……ごめん。今度から気をつけるね」
半ば無理矢理に話を終わらせて、私はスマートフォンに視線を移動させた。それは私と雅の中で共通する「話の終わり」を意味する暗黙の合図だ。
雅は何か言いたげだったが、それでも言葉を飲み込んでくれた。
私は、怖かったのだ。
私が雅について悩んでいることを、雅に対する罪悪感に苛まれていることを、知られてしまうのが、何よりも怖かったのだ。
「…………」
「…………」
小さな沈黙が流れる。私達にしては珍しい、そして一週間ぶりの沈黙だった。
数十分はかかると思った静寂は、柊姫さんの来訪によってあっさりと打ち破られた。
今回は暇潰しではなく、仕事としてこの病室に訪れた。――即ち、甥を病室に運んできたのだ。
甥を寝かせる手際の良さは、いつもの様子を見ている身としては驚愕の一言だった。
他にも何人か看護師がいたが、何もせずに――というか、何も出来ないまま、柊姫さんが全て終わらせてしまった。
「名前は柊姫有紀。まぁ、コイツのこと頼むな」
最後にそう言い残して柊姫さんが帰るまで、私も雅も思わず見惚れていた。
柊姫さんが去ってから、ようやく「凄い……」と素直な感想が漏れた。
「う、うん。本当に凄いね」
さっきまでの気まずい沈黙など忘れて、私は雅と小さく頷き合った。
それを会話のきっかけにすることが出来たのは、本当に柊姫さんに感謝するしかない。
結局、面会時間が終わるまで、いつも通りの時間の過ごし方をすることが出来た。
「今日から病院にお泊りしたいなぁ……」
「一日ぐらい我慢しないとダメだよ? 私だってその方がいいと思うけど、ちゃんとルールは守らないと、ね?」
「でも、「ルールは破る為にある」って姉さん言ってたじゃん……」
「時と場合による、とも言ったけど?」
「うぅ……、そ、そうだけど」
「まぁ、仕方がないよ。……ほら、また明日ね」
「……うん。また明日」
いつも通りの別れを、いつも通り惜しみながら、雅との一日はこうして終わった。
「……眠れない」
一週間経っても、どうも病室のベッドには慣れない。一週間連続でそう呟いて、ぼぅっとくだらないことを考える。
二日置きに変わる、『くだらない』テーマは『記憶』、『知性』、『優劣』。
その全てが、雅に関係することだった。
私と雅は、双子というよりも歳の離れた姉弟のような付き合い方だ。要するに、雅の精神年齢は五歳ほど幼い。
その原因は雅の持つ『完全記憶能力』にある。
物心が付いてから今に至るまでの全てを、一切の漏れ無く記憶する。そんな脳を持って雅は生まれてしまったのだ。
一見、優れた力に見えるチカラだが、今の雅を見ると決してそうとは思えない。
人は不必要と判断した情報を「忘れる」ことによって、情報を整理、収納し、適切な時に適切な情報を取り出すことが出来る。
だが、雅は今までの――一五年間の些細な情報から重要な情報まで『同価値』であり、『最重要』の情報として、異常な正確性を保ったまま記憶している。
異常な量の情報を、整理出来るはずもなく、いつ、どんな時にどんな情報が引き出されるかも分からないまま、今を生きている。
更には、正確性を保つために脳の他の機能を圧迫し、様々な発達障害を引き起こしている。幸いにも、そのどれもが軽いモノであり、周囲からは「子供っぽい」や「幼い」程度にしか感じられていないそうだ。
そんな雅がいるからこそ、『記憶』とは何なのか、『知性』とは何なのか、『優劣』の判断基準とは何なのか、を考えていた。
「……そういえば、
当時の私は、勉強するよりも友達と遊んだり外で走り回ったりする方が好きだった。
よく先生や両親からは落ち着きのない子だと言われる、典型的なアウトドア派の小学生。 それが元々の私だった。
友達も、それこそ『親友』と呼び合えるような仲のクラスメイトも多くいた。
それがたった一つの、 それも誰が言ったのかさえ覚えていないような誤解で、一瞬にして砕け散った。
その後、私は家に引き篭もり「どうしてこんなことになったのか」を考えていた。
考えること以外何もしなかったと言ってもいい。
考えて、考えて、分からなくなったことはインターネットで調べて、おかげで偏見と独断、その他諸々の捻くれ思考を持ったわけだが、これはこれで世界が百八十度変わったように思えて楽しい。
過去から逃げるように、様々なことを考え続けた私の脳は考えることに特化した。つまり、過去の自分とは真逆の方向に特化したのだ。
そうして出来たのが、今の不甲斐ない自分。これが正しい判断だったのか。無理にでも学校に通い続けるべきだったのでないか。それとも……――
「……んぅん」
そこまで考えたところで、隣のベッドから小さな寝息が聞こえた。
「……有紀、か」
隣に立てかけてある松葉杖を使って、有紀の隣の椅子に座る。
そういえば、何が原因で有紀は入院することになったのだろう。
私に背中を向けて、赤ん坊のように蹲って眠っている有紀は、とても健康そうに見えた。
有紀の寝相は雅にとてもよく似ていて、どこか親近感を覚える。
「懐かしいな……」
ふふっ、と小さな笑みが漏れる。
今では私を守れるぐらいには立派になった雅だが、私がアウトドア派の時は立場が間逆だった。
些細なことで錯乱、最終的には泣き出していた雅を私は必死に守っていた。それこそ、今の雅と同じかそれ以上に必死だった。
――これからもずっと、私が守ってあげるからね。
そんなことを言ったのが、五年前だったはずだ。それから二年後には守られる立場に堕落するなんて、その時の私は全く予想していなかっただろう。
「……ありがと、有紀」
有紀は何もしていないのだから、礼を言う必要は無いのかもしれない。
だが、忘れかけていた大切なモノを――今の私にとって何よりも大切な、『雅との思い出』を取り戻させてくれた。
それだけで、私にとっては礼を言う理由に十分なり得るのだ。
「……寂しいよ」
誰もいない姉さんの部屋で僕、白井雅は小さく呟いた。
姉さんがいつも寝ているベッドに寝転び、大きく息を吸い込む。
まだ、かろうじて姉さんの香りが残っていて、とても落ち着ける。
でも、姉さんがいないと、この部屋はやっぱり寂しい。
――五年前の|四月一七日。
僕の『完全記憶能力』がクラスメイトにバレてしまった時、僕は友達を失った。
それまで仲良くしてくれた友達みんなが化け物を見るような目で、僕を見た。
僕はその目が怖くて、ただ泣くことしか出来なかった。それなのに、姉さんは僕を必死に守ってくれた。
その後、すぐに転校して僕はその小学校を卒業し、今もクラスメイトのみんなには『完全記憶能力』のことはバレていない。
全部、全部、姉さんのおかげだ。僕は姉さんがいないと、何も出来ない。
今までも、これからも。
「……ありがと、姉さん」
姉さんは「弟を守るのは姉の仕事」と言っていた。多分、姉さんにとって僕を守ることは、小さなことなんだと思う。
でも、それでも、僕は「ありがとう」を言わずにはいれなかった。
「好きだよ。姉さん」
言いたくても言えない、とても大切なこと。姉さんの匂いに包まれながら、僕は小さく呟いた。
――姉としてじゃなくて、たった一人の女の人として、僕は姉さんが大好きだ。
かなり遅れてようやく一章が完成しました……。死力を尽くして、視力を落として、頑張りましたので、読んでいただけるとありがたいです。
これで、登場人物は全員出揃いました!(多分)。
二章は受験があるのでかなり遅れると思います。忘れた頃に会えるかな、と。
えっと、Twitterやってますので、是非フォローください。
IDは Co_dependence です。