ゆりかごに揺られているような、優しい揺れを感じて私は目を覚ました。
何に揺られたのだろう。そんなことを考えながら、まだ脳が覚醒していない間の曖昧な雰囲気を漠然と楽しむ。
ゆっくりと、自然な速度で回転し始めた脳で「何が揺れたのだろう」と考える。
完全に脳が覚醒したところで、タイミングを見計らったように「
ほんの数秒、何が起きたのか理解できずに停止してしまったが、勢い良く布団をめくったことで状況は理解出来た。
「有紀、何してるの?」
「えへへ……、だって、久しぶりに
有紀は不安そうに少し見当外れな場所を見つめる。
昨日も思ったが有紀はどこか雅と重なる部分がある気がする。何というか、母性本能をくすぐる雰囲気を纏っているような、そんな感じだ。
「ううん。ダメじゃないよ。急だからびっくりしただけ」
恐らく有紀にとって「お母さん」はとても大切な存在なのだろう。だから、こうやって有紀の「お母さん」だと嘘を吐くのはいけないことだ。だが、ソレ以外に有紀を落ち着かせる方法が思い付かなかった。
「本当? よかったぁ……」
有紀はほっと安心したような、それでいてどこかぎこちない顔になって、私に抱き着いて来た。見事と言ってもいい自然な動作だったせいで、一瞬思考が追いつかなかった。
甘え上手。有紀の第一印象はそんな感じだった。
自分の気持ちを言葉ではなく行動で表すというのは、雅とは真逆だ。
いや、雅の場合は私を見てそうなったのだろう。
「……お母さん? どうしたの?」
ほんの僅かな沈黙だったはずだが、有紀には気付かれてしまったようだ。有紀は抱き着くのを止めて小首を傾げた。
「ううん、何でもないよ」
そう言って有紀の頭を撫でる。
最近になって気付いたが、私は何かを誤魔化そうとすると人の頭を撫でるのが癖になっているらしい。
「んにゃ……、くすぐったいよぉ……」
有紀は目を細めて気持ちよさそうに表情を緩ませる。ぎこちない笑顔を見せる有紀は、本当に安心しているようだった。
「――何が起きてるんだコレは」
有紀と戯れるのに集中していたらしく、私は明さんの特徴的な足音を聞き逃していたらしい。
明さんは驚いたような、戸惑っているような、そのどちらとでも取れる目で私と有紀を見比べて小さく唸る。
その様子に私は少し違和感を感じた。いつもの明さんならニヤニヤと気持ち悪い笑顔でからかうぐらいはしそうなのだが。何か、明さんにとって『異常』な出来事でも起きているのだろうか。
明さんが思考に耽っているのに釣られて、私も何が『異常』なのかを考える。
――だから
「……だ、誰なのッ!?」
有紀の声を振り絞ったような叫び声には、かなり驚いた。
「……有紀?」
私の後ろに隠れた有紀から、異常なまでの震動が伝わってくる。全身が恐怖に寄って震えているようだった。
「だ、誰なの……。い、いや……、い、イジメないで……」
恐怖で声が出なくなって来ているのか、有紀は掠れた声でうわ言のようにそう呟いた。
「有紀、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だよ、この人は何もしないから」
考えるよりも前に体が――口が動いていた。
有紀が母親だと勘違いしている私ならば、もしかすれば落ち着かすことが出来るかもしれない。この時、既に私は有紀を『守らなければならない』対象として――かつて、雅がそうだったように――見ていた。
何の根拠も自信もない行動だったが、幸いにも私の予想は当たっていたらしく、有紀はすぐに落ち着いてくれた。
「有紀、大丈夫?」
「う、うん……。ごめんなさい、お母さん。……えっと」
落ち着いたからと言って、明さんに対する恐怖が拭えたという訳ではないらしい。有紀は私の背中にしがみついたまま、私にしか聞こえないような小さな声で答える。
「――明さん、何かしたんですか?」
しばらくの間を開けてから、私は少しキツい口調でそう言った。
「いや、俺じゃない。俺の兄貴――有紀の父親のせいだ。……白井、ちょっと話がある。出来れば二人で話したい」
いつもなら冗談、もしくは聞かなかった振りでもしてやり過ごすのだが、明さんの真剣な目を見て、私は小さく頷いた。
「有紀、ちょっと明さんとお話してくるね。だから、それまで静かに待ってて」
「……うん。き、気をつけてね」
「ありがと、有紀」
再び、有紀の頭を優しく撫でてから明さんの補助付きで病室を出た。
「……お前、どうやって、有紀と話した?」
病室を出てすぐ側にある休憩スペースに座って、明さんはいつものヘラヘラした態度とは真逆の真面目な口調でそう尋ねた。
「私は何もしてません。有紀が私のことを母親と勘違いしたみたいで……」
「そうか。それでさっき有紀がお前のことを「お母さん」って言ったんだな」
「……はい。――それよりも、有紀の父親って……」
「あぁ、有紀は父親から虐待を受けていた。今回入院することになったのは……、父親に目を潰されたから、だ」
「……やっぱり、ですか」
予想通りの聞きたくなかった事実を聞いて、下を向いてしまう。
有紀にとって母親はとても大切な存在だ。それなのに、私を母親と勘違いをする。もし目が見えているのならば、そんなことは絶対にない。
分かっていたが、やはりソレを受け入れるのは少しキツい。
「なぁ、白井。お前、有紀の面倒見てやってくれないか?」
少しの沈黙の後、明さんは改めてそう切り出した。
「いいですよ。有紀の本当の母親が来るまでは、母親役もしますし」
私はあくまで冗談のつもりでそう言った。しかし、明さんの苦虫を噛み潰したような表情を見て嫌な予感がした。
「――有紀に家族はもういないんだ」
「どういうことですか!?」
私は思わずそう叫んでいた。
「……そのままの意味だ。有紀の父親は有紀の目を潰した後、自殺した。母親は五年前に死んだ。確か事故死だったはずだ」
「そん、な……」
言葉が出なかった。
私は、自分が母親じゃないことを、本当の母親が来た時に話そうと思っていた。それまでの代理としてなら、母親役を演じてもいい、そう思っていた。
だが、その母親は――有紀のたった一つの心の支えは、もういない。
しかも、有紀は私のことをその母親だと勘違いしてしまっている。
もし、有紀に私が嘘を吐いていることがバレたら、有紀の心には取り返しの付かない傷が付くかもしれない。
「なん、で……、私こんなことを……」
そもそもの原因は私だ。――今までの全てがそうだったように。
私の勝手な判断で、勝手に動いて、そして間違える。それも、多くの人を巻き込んで。
多くの人を巻き込んで、その人の優しさに甘えて、その人の生活を変えてしまう。そんな中で、私は今ものうのうと生きている。
――またか。
奥歯を噛みしめる。嫌な音が聞こえてくる。病院という静かな空間の中で、その音は何倍もの大きさで聞こえてきた。
――また、私は過ちを犯したのか。
「……おい、白井ッ!?」
肩を強く揺らされて、そこに明さんがいたことを再び思い出した。
「あ、明さん。私、どうしたら、有紀に、なんて言えば……?」
混乱で、言葉が上手く紡げない。
そんな私に対して明さんは、いつもと同じようなヘラヘラした笑顔に戻った。だが、それでも私の目から視線を絶対に離さなかった。
「……有紀の面倒、見てくれるか? ――有紀の母親として」
明さんは私を諭すようにしてそう言ってくれた。
明さんはこう言いたいのだ。――自分の責任は自分で取れ、と。
「……っ」
そんなこと、私に出来るのだろうか。今まで、ほとんどのことを逃げた私が、責任を取るなんていうこと、出来るのだろうか。
「……姉さん? それに、明さんも、どうしたの……?」
不思議そうな顔をして、雅は私と明さんを見比べる。わざわざこんなところで話をしているのを疑問に思ったらしい。
「有紀について、ちょっとな」
明さんは雅に、有紀について私に話してくれたこと全てをそのまま説明した。
「……え、えっと、つまり、有紀君は目が見えなくて、お父さんとお母さんもいない。それで、姉さんのことをお母さんと勘違いしちゃってる、ってこと……?」
「そうだ。有紀は虐待を受けたせいで、誰にも心を開かなかったんだが、どうやら子供は例外らしくてな。それでお前らに任せようと思ったんだ」
雅にも分かるように、それでいて私がやってしまったことを上手に隠しながら、話してくれた。
「そっか……。うん、分かった。僕も頑張るっ!」
「まぁ、そういう訳だ。
誰かに頼ってもいい。明さんが、遠回しにそう言っているような気がした。
明さんは意図してそう言ったのか、それともただの偶然なのかは分からない。だけど、最も信頼している相手を――雅を頼ってもいい、と気付かされた。
その後、明さんは別の看護師に言われて、心底面倒臭そうな顔をしてどこかに行った。
あの姿がなければ、多分モテていそうなのだが、などと思ってしまう。
「一緒に頑張ろうね、姉さん」
雅に手伝ってもらいながら病室に戻っていると、雅が目を合わせてそんなことを言った。
「うん、頑張ろう」
雅がいるのなら、何とかなるだろう。そんな気持ちになる。雅がいることで、私も余裕を持つことが出来た。
私も、有紀にとって――例え、嘘吐きと呼ばれる結果になっても――そんな存在になりたい。
そうすれば、今まで逃げてきたことからも、真正面から向き合えるようになるのではないか。
――私は有紀の心の支えになりたい。
これは私の自分勝手だ。
自分で犯した過ちを、誰かに頼ってでも解決する。
独りじゃ何も出来ない私の、弱くて、成し遂げられるかさえ分からない、私の自分勝手な目標だ。
えっと、ほんのちょっとだけ(千文字ぐらいの追加をちょっとと言うのならば)文章を追加しました。これからもよろしくお願いします。