「――どうしてこうなった」
私の呟きは、雅と有紀の喧嘩で掻き消えてしまう。
「なんで姉さんとそんなに引っ付くの!」
「だって五年間も会えなかったんだもん! ちょっとぐらいいいじゃんか!」
雅と有紀は、絶賛喧嘩中である。
どうやら、有紀が私の側にずっといるのが雅は気に食わないようだ。
雅と有紀は睨み合ったまま――有紀は少しずれた場所を必死に睨んでいる――膠着状態に陥ったところで、私は小さく溜息を吐いた。
先程までのシリアスな雰囲気はどこに行ったのだろうか。明さんの言う通り同年代ならば怯えることはないようだ。
それでも、私の背中に隠れて小さく震えながらなので、虎の威を借る狐と言ったところだ。深層心理の部分では「お母さん」以外の人間に対しての恐怖心が植え付けられているのだろう。
その恐怖心を少しでも取り除くのが、今のところの私の目標ということになる。人のために何かをする、なんて雅に対して以外なら何年ぶりだろうか。
「姉さん、どうしたの?」
「お母さん、どうしたの?」
雅と有紀の声が重なる。それすらも気に食わないのか、むっとした表情をしてお互いをもう一度睨み合う。
小動物の威嚇のように、怖いというよりは可愛いといった威嚇をし合う二人。このままでは平行線を辿るだけだな、ともう一度溜息を吐く。
「はいはい、二人とも喧嘩しないの。これからずっとそんな調子だと疲れるよ」
主に私が、と言う言葉は伏せておいて、さながらお母さんぶった姉と言った風に二人をなだめる。異常に懐いている雅のおかげで、そういうのは得意――なはず――だ。
「「だって!」」
「だって、じゃないの」
尚も食い下がろうとする二人の頭を軽くしわくちゃにする。
「うぅ……、姉さん、止めてよ……」
「ん……、お母さん……」
やっぱり、この二人は似ている。撫でられた時に見せる表情なんて、兄弟なんじゃないかとさえ思えてくるほどだ。
例えるなら、甘え下手な子犬と甘え上手な子猫といったところだろうか。両方とも可愛いが、やはり別の部分も感じられる。
好奇心旺盛で興味のあることにどんどん突き進んでいく雅と、マイペースで自らの欲求のみをありのまま満たそうとする有紀。
その好奇心の元と欲求の元がどちらも私にあることは正直、嬉しい限りだ。
具体的に言うならば、全てが私の間違いによる
「……っと、まだ十一時ちょっとか。案外時間経つの遅いな」
「そういえばボクお腹空いていたんだ……」
「僕も朝ご飯食べてない……」
何気なく視線を移した壁掛け時計を見て、何となく口に出す。朝食は必要ないと言っていたのだが、雅や有紀のことを考えると必要かもしれない。
その証拠に、雅と有紀の腹の音が重なって聴こえた。
「そういえば、有紀って何が好きなの?」
「ボク? ボクはお母さんと一緒に食べれるなら、何でもいいよ!」
「ぼ、僕もそうだよっ!」
「お、おう……」
どこかで聞くような典型的な言葉だが、こうも嬉しそうに言われると気恥ずかしい気持ちになる。
既に二人はライバル関係になったようだ。仲良く、むぅと唸りながら睨み合っている。
犬猿の仲ということわざは、どこかの国では犬猫の仲と言うらしい。この二人を見ていると言い得て妙である。
しかし、二人とも空腹には耐え切れないらしく、ベッドに倒れこんでしまう。
「うぅ……、お腹空いたぁ……。死んじゃう……」
「死ぬぅ……」
どうやら、二人の空腹は限界まで達しているらしく、何度も何度も可愛らしい腹の音が聴こえる。
これ以上の争いは無駄だと気付いたのか、二人は昼食が運ばれるまで無言のまま腹の音の合唱を繰り広げていた。
「……んぅ」
「ん……」
昼食が運ばれて物凄い勢いで食べたかと思うと、二人とも眠ってしまった。
出来るならば隣のベッドで寝て欲しいのだが、有紀は布団の中に潜り込んでいるし、雅は椅子を上手に使って即席のベッドを作って熟睡している。
どちらもしばらくは起きないだろう。今のうちに、面倒臭そうな要件を済ませていた方がいいかもしれない。
「……明さん、そこにいるのバレバレですよ」
そう言って、病室の扉の方に視線を送る。
「気付いてんのかよ……」
つまらなそうな顔をして明さんはしぶしぶ病室に入って来る。私が言わなければそこでずっと突っ立っているつもりだったのだろうか。
「それで、何の用ですか?」
「あの後、有紀の母親は一人っ子だったこと思い出したんだ。でも、どうやら上手く言っているみたいだな。お前、どうやって弟のこと説明したんだ?」
「説明なんてしてないですよ。病室入ったら有紀が泣いてて、あやしていたら雅が嫉妬して喧嘩が勃発、なんだかんだで今に至る、って感じです」
「そうか。まぁ、聞かれてもすぐに答えられるように、説明とかは考えておけよ」
どうやら明さんは本当にそれだけ言いに来たらしい。
「……なんか、今回はやけに関わってきますね」
ふと、疑問に思ったことを言ってみる。明さんは有紀に関することになると、何かがおかしい気がする。
「なっ!? んな訳ねぇだろ、俺は行くぞ!」
図星だったらしく、典型的な台詞を残して病室を出て行った。耳を真っ赤にして言い放たれたソレは実に説得力の欠けたモノだった。
そして、それは私にある疑惑をもたらした。
「……ショタ好き?」
「ホモじゃねぇよ!」
すぐさま否定するところがますます怪しい。明さんの魔の手から有紀を守らなければいけない、と新たな目標を脳内で追加しておく。
「はぁ……、まさかこんなことになるなんて」
明さんがいなくなってから、私は思わずそんなことを呟く。
半引き篭もり生活の所為で独り言が多いことは自覚しているが、自覚していたところですぐに治るはずもなく、時折雅から「姉さん、誰と話してるの……?」と言われては凹む日々が過去にはあったりする。
自然と雅と有紀の事を考える。
確かに、雅と有紀の関係は面倒臭いことになっている。
恐らく、今は頭の中で都合のいい解釈が起きているのだろう。
しかし、もし有紀がその矛盾に気付いた時、私は再び嘘を吐くことになる。――それも、最もタチの悪い、嘘を。
ただでさえ、私は自分を有紀の母親だと偽っている。そして、その次は有紀の持つ純粋な母親の情報を捻じ曲げることになる。
だが、いつまでもこのままという訳ではない。いつか、私は有紀に本当のことを言う必要がある。
具体的には、二週間後。私が退院し、有紀が明さんに引き取られるその日。
その日に、私は真実を言うか、お別れをすることになる。
だから、嘘を重ねれば重ねるほど、その時の有紀の悲しみは計り知れないモノになってしまうだろう。
それこそ『絶望』という言葉を身を持って実感させてしまうかもしれない。
「……私は、ソレに耐え切れるのかな……」
結果として、私の心配は杞憂に終わることになる。
それから、クリスマスやら年越しやら、様々なイベントがあった一週間、有紀は雅に関する矛盾に気付くことなく生活した。
恐らく、『母親には存在しないはずの弟』という認識よりも前に『母親を取り合う自分と同じような人』という認識の方が強かったからなのだろう。
私の足も予定よりかなり早く完治し、その時には松葉杖無しでも十分に歩けるようになっていた。まだ走るなどの激しい運動は厳禁だそうだが、退院までの期間を短くしても構わないと言われた。勿論断ったが。
雅の方は『完全記憶能力』を一切使わずに冬休みの課題に取り組んでいて、私も手伝っているのだが、まだ半分も終わっていない。
「間に合わなさそうだったら、写すから!」
とは本人談だが、だったら最初から写せばいいのでは、と思ったのは秘密だ。雅は雅になりに自分のルールがあるらしい。
ちなみに、この一週間で明さんは病室に訪れたのは三十回を越え、無駄な熱心さ故か何とか有紀も心を開き始めている。
と言っても、一問一答の肯定と否定のみのやり取りをする程度のものだ。
勿論、明さんの話し方によっては、それで十分意思の疎通も出来る。
それに、いつもの明さんならばそういうのは上手だ。精神面のケアに関しては、病院も一目置いていると、誰かが言っているのを聞いたこともあるし、自分で豪語もしていた。
しかし、有紀に接するときに限って、どこかぎこちないやり取りをしている。
転校生に話し掛けるコミュ障のような話し方で、見ているとイライラする。
――あと、一週間。
私が有紀の母親として、雅が有紀のライバルとして、仲良く、また、喧嘩をしながらも生活していける期間だ。
私は、既にどうやってお別れをするのかを考え始めていた。
有紀が白井姉弟の病室に移動してから一週間が経った。
「……くそっ」
俺は時間を見つけては――あるいは仕事をサボっては有紀の元に行き、なんとか心を開かせようと躍起になっていた。
何故か、と聞かれれば『これからの為』としか言い様がない。例え、どれだけ白井達に心を開こうが、俺や大人達に心を開かなければこの先、どんな場所でも生きていくのは難しい。
それに、義姉との、有紀の母親との約束がある。
五年前。一時的に他の場所へと引っ越し、そこで十分な余裕を持ってから有紀を引き取ろうとしている。と聞かされ、俺はそれの手伝いをしたかった。
あの人は本当にいい人だった。いい人だからこそ、俺の愚兄なんかに騙される結果になったとも言える。
俺は勝手に責任を感じ「やらせてください」と土下座までして言ったのだが、あの人はそれを断った。
それでも俺は食い下がらなかった。今思えば、あの時無理矢理にでも手伝えばよかったのだ。それなら、あの人は死ななかったかもしれない。
『私がもし、有紀を助けることが出来なかったら。――もし、あの子を守る人がいなくなったら、貴方が助けてあげて』
それがあの人との約束だ。そして、今がその時だ。有紀を守る人間は――
「……あ」
そこで俺はあることに気付いた。
「そうか、これでいいんだ。今のままで問題ないんだよ」
これは一種の屁理屈だ。周りが聞けば呆れ返るような、理不尽で、無茶苦茶なことだ。
「これなら、全て上手くいく。今残っている問題が、
今、俺が抱えている問題も、白井姉弟が抱えている問題も、全て丸く収めることが出来る方法。
「……子供の面倒はちゃんと母親が見ないとな」
受験勉強もせずに小説書くのに集中しちゃってます、落ちたら慰めてください。
とりあえず、安定のフライングです。
ついでに時間が一気に一週間飛ぶという暴挙しています。
あと、色々と考えていた続きが全部使えなくなったんですけどどうすればいいですか?