報われなくてもいいから、惚れた相手のために命をかけた二人の話。
長編のプロットとして書いてみました。こういう話の需要はあるでしょうか。ご意見を頂きたいです。
某所に投稿した短編に、描写を追加して投稿しています。

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報われない恋に命をかけた、魔王の側近と死霊術士の少女の話

 彼は勇者ではなかったし、彼女もお姫様にはなれなかった。

 

 自分たちは、主役になんかなれない。それは彼ら自身が、一番よく知っていた。

 

 だが、おとぎ話の主人公になれない自分たちでも、誰かのために、あの人のために生きていきたい。

 

 これは、そんなある二人の物語である。

 

 

「ははははははははは!」

 

 白の大理石でできた、広大な空間。そこに漂う荘厳な空気と、濃密な魔力。それはどこかしら、巨大な神殿を思わせる。そしてその場に、その空気には不似合いな哄笑が響き渡った。

 先ほどまでここには、激しい剣戟の音が鳴り響いていた。よほど凄まじい戦闘が行われていたのだろう。よく見れば、広間の壁や柱のあちこちに戦いの余波と思われる損傷があった。

 勝ち誇った顔で、剣先で相手を指して笑う黒衣の騎士と、剣にすがって立ち上がろうとする白衣の騎士。どちらも同じくらい傷ついているが、その勝敗は明らかだ。

 

 倒れているのは、いわゆる「勇者」と呼ばれる男。滅びに瀕しているこの世界の最後の希望。魔王を倒し邪神の復活を食い止めるために、数多の冒険と死闘をくぐり抜けて、ここまでやってきた。

 しかし勇者は魔王に至る道の途上、最後の障害として立ちはだかった黒衣の男に、あえなく敗北を喫することになったのだ。

 もう彼には、まともに歩く力すら残されていない。

 

「無様だな! 貴様はそこで、そうやって這いつくばるのがお似合いだ!」

 

 黒衣の騎士は、そう言って彼をあざけった。

 いわゆる「魔王」の片腕、暗黒の剣士と呼ばれた騎士クラウスは狂喜している。さもあろう。彼はついに念願の勇者退治を成し遂げたのだ。

 しかし、いかにも嬉しそうな外観とは裏腹に、彼は心の中で奇妙な感慨に浸っていた。

 

 ――勝った? 俺が、こいつに?

 

 その感慨はどこか半信半疑で、困惑にも似たものだった。

 

 ――今まで、一度も勝った事なんて、無かったのにな。

 

 そう、一度もである。勇者とクラウスは、勇者が勇者となる前から、そして、彼が魔王の側近となる前からの付き合いだ。

 

 学園時代、彗星のごとく現れた編入生。平民でありながら抜群の魔術と剣術の才能を示し、明るく快活な人柄は、同級生のみならず、上級生や下級生、教員や学外の有力者にまで一目置かれる。

 無鉄砲で身分にこだわらない性格は、トラブルの元となることも多い。しかし、持ち前の勇気と行動力でそれらを解決していく青年。――勇者は、まさに学園時代から勇者だった。

 

 そして同じ学園に在籍していたクラウスは、そんな勇者のことが死ぬほど大嫌いだった。

 凡人の己では、決して超えられない才能を持つ勇者のことが、根暗で陰険な自分では、決して得られない友人たちを持つ勇者のことが、殺してやりたいほど憎かった。

 

 ――汚らわしい平民ごときが、私に勝てるものか!

 

 初めてクラウスが勇者の存在を認識したのは、学園で行われた模擬試合だった。その時の彼は、自分がただの平民に負けるわけがないと思っていたし、実際にそう口にもした。

 

 ――お前に身の程と礼儀というものを教えてやろう!

 

 だが、敗れたのはクラウスの方だった。

 無様に、とても無様に彼は地面に這いつくばり、級友からの惜しみない賞賛を浴びる勇者を、下から見上げることになった。あの時の屈辱は、忘れようもない。

 

 その後も、クラウスは何度も勇者に戦いを挑んだ。嫌がらせじみた事も繰り返し、勇者を貶める事に必死になった。

 しかしそのたびに、クラウスは勇者に敗れ、その力の――、いや、その人間としての差を思い知らされた。

 

 そして敗北するたび、彼の勇者に対する憎しみは強くなり、ついにこんな所まで来てしまった。

 

 最後とはいえ、今、その勇者に勝ったのだ。喜ばないでどうするのか。

 

「――っ。……どんな気分だ! 最大の目的を前にして這いつくばる気分は! はっ、はははははは! 何とも惨めな様じゃないか!」

 

 ――……はは。

 

 心の中でも笑ってみたが、その笑いは自嘲混じりで、とてもか弱い。

 夢想していた瞬間がようやく訪れたというのに、クラウスの心中は複雑だった。嬉しいような、寂しいような、空しいような、そんな気分だ。もっと晴れやかな、清々しい気持ちになるのかと、そう思っていたのに。

 

「ケイン!」

 

 そのとき、広間にもう一人の声が響いた。二人の戦いを見守っていた女が、倒れた勇者に走り寄る。勇者と対になっているような、可憐な白い装束。自らも剣を携えた、勇ましい剣姫。

 勇者には、常に美しい姫が寄り添っている。この大陸に古くから伝わる、おとぎ話の通りだ。

 

「ケイン! しっかりしてケイン!」

 

 勇者の名を呼ぶ彼女の悲痛な声は、彼に対する真摯な想いにあふれている。

 

 ――まあ、そうだよな。

 

 クラウスは、勇者にすがりつく姫の姿を直視できず、一歩引いて、思わず目を背けた。

 

 ――惨めな(ザマ)は、俺の方だ。

 

 本当は、勝ってなどいない。あいつにすがりつく彼女を見れば、今度も自分の負けは明らかだ。そんなことは分かっている。分かっているのだ。

 

 ――でも、いい。それでいいさ。……それが、当然だ。

 

 クラウスにとってそこにいる姫は、勇者よりももっと、ずっと古くからの付き合いだった。

 

 クラウスがある大貴族の家の従者として仕えていたころ。彼女はその家のお嬢様だった。物心ついた頃から、彼は常に彼女に付き従い、彼女の望みを叶えるために、全てを優先させてきた。

 貴族の子女ながらに剣をたしなむお嬢様は、クラウスよりずっと強かった。自由奔放な彼女に、従者だった彼はよく振り回されたものだ。剣の稽古と称して打ちのめされたことは再三だし、城から抜け出す彼女に付き合わされて、色々な所に行った。城に戻った時は、大抵二人で並んで怒られたが、それすら彼にはかけがえのない思い出だ。

 

 ――私の従者が無礼を働きました。次は、私が相手をしてあげる。

 

 あの、クラウスが勇者と初めて会った模擬試合の後、無様に敗れた従者に代わり、彼女は勇者と木剣を交えた。

 

 ――あなた、強いのね。名前は? ……そう、ケインね。憶えておくわ。

 

 その時の様子を、気絶していたクラウスは直接見ていない。ただ、それをきっかけとしてお嬢様と勇者は結びついた。

 模擬戦でよく鉢合わせるようになり、やがて私的な場面でも共にいることが多くなった。初めは好敵手として成り立っていた彼らの関係は、少しずつ変わっていった。彼らは学園生活の中で、反発しながらも惹かれ合っていき、そして、今に至ると言っていい。

 

 己でも理解している。クラウスが勇者のことを、殺してやりたいほど憎いと思うのは、剣の才能のせいでも、周囲から慕われるカリスマのせいでもない。

 

 これは自分の、単なる嫉妬だ。

 

 あの男がお嬢様の傍にいるのが、許せなかった。お嬢様があの男に微笑みかけるのが、許せなかった。

 自分が魔王の配下に身を堕としたのも、結局はそのくだらない妬みのため。自分はどこまでも、つまらない人間だ。

 

 でも――

 

 ――お嬢様が幸せなら、それでいいさ。

 

 今は素直にそう思える。まあ、素直に――と言うには、勇者をその胸に抱えて泣く彼女の姿は、彼にとって、あまりに目に痛々しいが。

 

 彼が抱いていたお嬢様に対する感情が、恋と呼べるものだったのかどうか、それは今この時になってさえ、クラウスには分からなかった。そんなことは、考えてみることすら恐れ多い。こんな状況になってもまだ、彼は彼女の従者だった。

 

 だが、彼にも分かっていることが一つある。そう、結局自分は最後の最後まで、勇者に負け続けたのだと。

 しかし最後に一度だけ、一応ではあるが、剣の勝負には勝った。ならばある意味一勝一敗。引き分け――、痛み分けということで満足するべきではないか。そんな風に、クラウスは自分自身を慰めてみた。

 

「……ふ」

 

 こんな大事な場面で、そのようなアホらしいことを考えている自分がおかしくなって、クラウスは少し笑みを漏らした。

 ここまで来てしまったのだ。最後まで、舞台で踊りきらなければ。

 

「――ふ、はっははははは! 女に哀れみを受けるとは、情けないとは思わないか? ええ? ははははは! 所詮貴様は平民、何もできない、汚らわしい平民なのだ! ――間もなく魔王様が、貴様らの言う『邪神』を復活させる! 貴様らはそこで、指をくわえて黙って見ているがいい!」

 

 そう大仰な捨て台詞を吐いて踵を返し、勇者と姫から遠ざかる黒衣の男。彼が広間から出て行った後、巨大な扉が轟音を立てて閉じられた。

 

 ――我ながら、ずいぶんと板についたもんだな。

 

 静寂に包まれた扉の奥で、彼はまた感慨にふけった。

 自分の役者ぶり、悪役ぶりに、ますます笑いがこみ上げる。それはそうだ。色々あって魔王の側近となってから、もうずいぶん経っている。

 学園時代の思い出も、今は遠い。

 

 国を捨て、魔王軍に身を堕とした裏切り者。

 彼を知る人は、故郷と国を裏切った卑怯者と、彼をそしるのだろう。それは事実だ。では、彼の友人はどう思うだろうか。いや、そんな者はいない。ならば、彼の家族は――。いや、彼には家族などもいない。

 クラウスは幼い頃、貧民街で野良犬のように捨てられていたところを、お嬢様の両親に拾われた。しかし、一生をかけて恩義に報いるべきその人々は、もうこの世にはいない。だからこそ、彼にはお嬢様を守ることが、人生の全てだった。

 

「……汚らわしい、平民、か」

 

 クラウスはつぶやいた。この言葉は、もう自分の口癖のようなものである。その言葉で、彼は勇者を罵り続けてきた。――笑える話ではないか。クラウス自身、貴族でもなんでもない平民、いや、それ以下の存在なのに。

 

 ――お嬢様、どうかあのような汚らわしい平民と付き合うのはおやめ下さい!

 

 ――クラウス、どうしてそんな哀しいことを言うの。

 

 ――高貴なお嬢様の血が穢れます!

 

 ――やめてクラウス。……やめて。

 

 ――平民など所詮、お嬢様と釣り合う身分ではないのです!

 

 ――やめて! あなたの口から、そんな話は聞きたくないわ!

 

 高貴な家柄であるお嬢様に、下賎なあの男が分不相応に近づいた。そう自分で思い込むための方便だったのかもしれない。しかしこの言葉が、自分がお嬢様に愛想を尽かされる原因の一つだったことも、今ではよく分かっていた。

 

「――ごほッ!」

 

 こみ上げてきたものを抑えきれず、クラウスは咳き込んだ。口を押さえた手が、鮮やかな朱色に濡れている。その手を握りしめて、彼は微笑む。

 さっき彼自身が言ったとおり、勇者が倒れた今、魔王の野望を阻止できる者は誰もいなくなった。――つまりはゲームオーバー。ここで世界はおしまいだ。

 

 だが少し、彼にとっては困ることが一つあった。

 

「俺は――」

 

 ――俺は別に……、邪神の復活なんか、どうだっていいんだけどな。

 

 クラウスは、やたらと長い階段を上る。奥から伝わってくる凄まじい魔力の気配。この先に魔王がいる。魔王は今、邪神復活のための儀式に没頭しているところだろう。

 そうだ、邪神の復活など、どうでもいい。世界の支配やら破滅やら、そんなくだらないことはどうでもよかった。

 

 ここに自分がいるのは、ただただ、自分からお嬢様を奪った勇者への嫌がらせ、腹いせのためだ。そしてその目的は、既に達成された。

 

 だとしたら。だとしたらどうするのか――

 

 

「終わったのですね」

 

 階段の途中、柱の陰から黒いローブの娘が出てきた。彼女はクラウスの「同僚」で、魔王の幹部の一人だ。世間では、闇の死霊術士などと呼ばわれている。

 

「ああ、終わった」

 

 この娘も彼にとっては、学園時代からの腐れ縁だ。同期から二人も魔王の幹部を輩出した学園。きっと大騒ぎだろう。いや、勇者と姫もその学園出身だから帳消しになっているのか。

 

「満足したよ」

「……」

 

 相変わらず少し笑みを浮かべて、クラウスは言った。この娘だけは、彼の積年の想いを知っている。

 

「――それで、どうするのですか?」

 

 魔王の指示を破り、勇者と戦ってきた愚か者に、娘は相変わらずの冷たい、無感動な声で尋ねた。――これからお前はどうするのだ、と。

 

 ――そうだな。

 

 この娘はきっと、最後まで愚かな選択肢かしないクラウスに、呆れているのだろう。

 だが腐れ縁でしかない自分に、彼女は律儀に、こんなところにまで付き合ってくれた。

 

 ――きっと彼女は自分の、唯一の、ただ一人の大切な友達だったのだ。

 

 そんな事は照れくさくて言えないが、これまでの彼女に、そして、これから自分が彼女に頼もうとしていることに、彼は大きな感謝と、少しの罪悪感を覚える。

 

「決まってる」

「……」

 

 ――そうだ、決まっている。

 まっすぐ娘を見つめるその瞳には、雲一つない。クラウスは胸を張って答えた。

 

「これから、俺たちが魔王を倒すんだ!」

 

 

「――それで、どうするのですか?」

 

 そう聞きながら、黒いローブの娘は床に目をやった。彼が上ってきた階段には、点々と血の跡が残っている。

 

 ――いやだ。

 

 騎士服の黒に隠れてわかりにくいが、脇腹から、おびただしい血が流れている。それがまるで、失われていく彼の命そのもののようで、彼女は胸を締め付けられる。

 

 ――いやだ。死なないで。

 

 だが、そう言って彼に取りすがっても、彼はきっと、困ったように笑うだけだろう。

 今にも口から出かかりそうになるその言葉を、彼女はぎゅっと飲み込んだ。

 

「決まってる」

 

 まっすぐ自分を見つめるその瞳には、決して自分は映っていない。彼女はそれを知っている。彼の頭の中には、いつもあの「お嬢様」の姿があった。――それしか無かった。自分の入り込む余地など、はじめから無かった。

 

「これから、俺たちが魔王を倒すんだ!」

 

 彼がそう言うことも、彼女はずっと前から知っていた。彼の事は、言われなくてもよく分かる。

 あのお嬢様なんかよりも、私が、彼の事を一番よく知っている。

 

 思えば、彼女と彼は長い付き合いになる。魔術の才能を見込まれて、彼女が学園に拾われたとき以来だ。二人が初めて出会った時のことを、彼女は今も、鮮明に覚えている。

 

 ――忌まわしい死霊使いめ。

 

 彼女が扱う魔術は、一風変わったものだった。

 忌むべきものとして、ずっと古くに滅びたはずのその技を、どうしてか彼女の家系は受け継いでいた。しかしその術のために、彼女はずっと周囲から迫害され続けてきたのだ。

 

 学園が彼女を受け入れたのは、別に彼女を哀れんだからではないだろう。ただ、珍しい魔術体系を保護するためという、学術的な見地からの、極めて合理的・利己的な判断からだったはずだ。

 

 ――あなた、死者を魔術の媒介にするのですって? よくそんな恥知らずな事ができるわね。

 

 ――貴様のような汚らわしい娘が、どうしてこの学園にいるのだ?

 

 ――お前のような者は、消えてしまった方が世のためだ。

 

 ただでさえ貴族の子弟が多く、平民には厳しい学園だ。その中で、彼女は外にいた頃と変わらない、いや、それにも増した迫害を受けた。

 しかし、それを理不尽だと思ったことは無い。

 死霊術――。それは死者の魂を弄ぶ、穢れた業だ。こんな術はいっそ自分ごと絶えてしまえばいいと、彼女自身、常に思い続けてきた。

 

 そう、あの日が来るまでは。

 

 ――……女子一人に、よってたかって何をしている。

 

 そこに彼――クラウスが現れたのだ。いつものように他の生徒に取り囲まれ、殴られていた自分を、彼は助けてくれたのだ。

 あの時彼が自分を助けたのは、どうしてだったのだろう。有名な平民嫌いの彼が、平民の、それ以上に穢れた術の使い手である自分を、どうして助けようと思ったのだろう。今でも理由はよく分からない。

 

 ――死霊術? ……ああ、君があの。

 

 ――……い、いや、違う。今のは別に、君を見下して言ったんじゃない。

 

 ――……困ったな。…………頼むから、泣かないでくれ。

 

 でも、彼はあの時、確かに自分に手を差し伸べてくれた。誰からも、自分自身からさえも蔑まれ続けてきた彼女に、初めて暖かい言葉をかけてくれた。それだけが、彼女にとって重要なことだった。

 

 ――……まあ、いいんじゃないか?

 

 ――死霊術だって、きっと誰かの役に立てるさ。その方法をこの学園で探せばいい。

 

 自分の業が、きっと誰かの役に立つ。彼にとっては、深い意味の無い言葉だったのかもしれない。そんな事を言ったと、彼はもう忘れているに違いない。でも、その言葉が今日まで、どれだけ自分の支えになったのか。

 

 ――あの娘は忌まわしい死霊使いなのでしょう?

 

 しかしあの「お嬢様」は、自分の従者が彼女をかばうことが、許せなかったらしい。

 

 ――皆そう言っているわ。そんな子と付き合うのはやめなさい。

 

 お嬢様が彼にそう言いつのる場面を、陰から見たことがある。だが、それは果たして、お嬢様自身の対面のためだったのだろうか。

 

 ――あんな子に構うのは、やめなさい。

 

 自分も女だから分かる。あのお嬢様はあの時、本当は彼のことを――

 

 ――……なぜ、そんな事を仰るのですか。

 

 ――……え? ……クラウス?

 

 ――……お嬢様には、関係の無いことです。

 

 大切な主人にそう言い放った彼の言葉が、死霊術士の冷えた胸に、今も消えない火を宿らせた。

 

 彼の「お嬢様」が彼から離れ、例の「勇者」と親密になっていくのを、彼女は昏い喜びと共に眺めていた。彼とお嬢様が仲違いする原因が、自分にあった事もよく知っていたのに、それを口に出そうともしなかった。

 「お嬢様」は彼の全てだ。彼は自分の全てをお嬢様に捧げることが、当然のことだと思っている。でも――、ならきっと、あのお嬢様がいなくなれば、彼は自分を見てくれる。見てくれなくても、傍にいてくれる。

 

 この想いの名前を、自分は知っている。

 だが、この想いがかなうと、そう思った事は無い。

 自分はただ、彼の側にいられるならそれで良かった。

 

 しかしそんなよこしまな願いは、いつか報いを受けるものだ。彼女には、彼が今、自分に何をさせようとしているのか、よく分かっていた。

 それはきっと彼女にとって、この世で最も残酷な仕打ちである。

 

「……『魔王』は、この先の儀式の間にいる」

 

 わかりきっていることを、彼は改めて口にした。

 魔王――。仰々しい名前だ。魔物を率い、諸国を蹂躙し、世界の破滅を企む存在。彼女と彼の主でもある。

 しかしその実態は、ただの人間に過ぎない。異常な、人間離れした強さを持っていようとも、魔物でも神でもない、ただの人間だ。

 邪神の復活というのも、魔王なりの理由があってのことらしいが、そんな事は彼女には関係ないし、興味もない。彼女はただ、彼の願いを叶えられればそれでいい。

 

「『姫』と『勇者』は俺が止めた。あとは、魔王を倒すだけだ」

 

 彼は、大切な「お嬢様」のことを「姫」と呼んだ。

 邪神復活の儀式には、高貴な姫が生け贄として必要だ。魔王は今、勇者が自らその姫を自分の元に運んでくるのを待っている。

 勇者と戦わず、黙ってその先へ通すこと。それが、彼が魔王から与えられた指令のはずだ。でも、彼はそうしなかった。

 

 誰も、勇者でも魔王には勝てない。勇者と姫が儀式の間に進んだところで、勇者は死に、姫は生け贄となるだけだろう。

 その結果を拒むのなら、誰かが勇者を止める必要があった。

 

 そもそも彼が故郷を裏切り、魔王の配下になったのも、それが原因だ。魔王がその野望を叶えるために、「お嬢様」を欲している。それを知った彼は、自ら魔王についたのだ。全ては「お嬢様」を守るために、勇者にはできないことを、自分がしようと。

 彼はずっと、自分の最も大切な女性に嫌われてもずっと、その人を魔王から守るために、あえて彼女の敵として、卑怯者として振る舞ってきたのだ。

 

「勇者は姫と尻尾を巻いて帰る。生きて帰って、きっと二人でお幸せに暮らすだろうさ」

 

 ――その皮肉だって、ただの強がりだ。それも私には分かる。

 「二人で」なんて思っていない。あなたは「お嬢様」さえ幸せなら、それでいいのだ。

 私の事だって、きっとどうでも――

 

「……すまない、メルヴィナ」

「――!」

 

 優しく自分の名を呼ぶ声に、死霊術士はうつむかせていた顔を上げた。

 

「お前の技を、こんなことのために、使わせたくなかった」

「……え?」 

「きっと何かの役に立つって、言ったのにな」

「…………覚えて、いたの?」

 

 あの日、自分を助けてくれた彼が、自分にかけてくれた言葉。

 

「こんなことのために、言ったんじゃなかったんだ。お前は優しい奴だから、その力も、きっと誰かの役に立てられる。本当に、そう思ったんだ」

「……」

「でも、これが最後だから。頼む、俺に力を貸してくれ」

 

 メルヴィナと呼ばれた死霊術士は、視界がにじむのをこらえながら、ゆっくりとうなずいた。

 

 

 儀式の間に、魔王の骸が横たわっている。魔王が集めた魔力が、制御する者を失って暴走している。

 メルヴィナはそれを為した存在を、床に座り込みながら呆然と見ていた。

 

「――、――――――!」

 

 空気を震わせる雄叫びが響く。

 その口から漏れる音は、もはや人間の声ではない。

 

 強い怨念を残した死んだ騎士を、死霊術によって復活させれば、生前の何倍、何十倍もの力をもったアンデッドに生まれ変わる。

 彼女の前に立っている黒衣の騎士は、生前の面影を残しただけの、ただの亡霊だった。

 

 誰も、勇者ですら魔王には勝てない。

 そうだ。自分が魔王に勝てないことなど、彼は当然知っていた。だから――

 

 ――お前の力で、俺を、アンデッドにしてくれ。

 

 メルヴィナの力で恨みの亡者となった彼は破壊的な力を示し、自分を殺した魔王を、その手でたやすく引き裂いた。

 

「――――、――――――――――――!」

 

 圧倒的な黒い瘴気を発散しながら、亡者は次の獲物を探している。少しでも力を増幅するため、制御のための術式なども組み込まなかった。今の彼は、ただ生者を憎み、殺すだけの存在だ。

 そしてこの儀式の間において、生きている者はあと一人、他ならぬメルヴィナ自身しかいない。

 

「……おいで」

 

 優しい微笑を浮かべ、メルヴィナはクラウスだったものに両手を差し伸べた。

 黒い魔力で一回りも二回りも大きく見えるようになった彼が、赤く光る目を揺らしながら、彼女の側に近づいてくる。

 

 術士である自分が死ねば、彼も安らかに眠ることができる。

 

 アンデッドに生前の記憶など無い。彼は何のためらいもなく、自分を殺すだろう。――それでいい。それが、よこしまな自分に対する報いなのだ。

 しかし死ぬ前にもう一つだけ、彼女には叶えたい願いがあった。

 

「初めて会った時から、ずっと」

 

 彼の耳に、人間の声はもう届かない。だからこそ、ずっと言いたかったその言葉を、今なら言える。

 

「……ずっと、あなたの事が、好きでした」

 

 言い出したら、その想いはもう止められない。

 

「……あの人よりも、私のことを見て欲しかった」

 

 堰を切ったように、メルヴィナの口から言葉が溢れだした。

 

 あなたの不器用な言葉が好きだった。照れた表情が恋しかった。強いところも、弱いところも、全部、全部が愛おしかった。あなたと共にいる時が幸せだった。ずっと、ずっとこの時が続けば良いと思っていた。

 何より――

 

「――私、あなたに死んで欲しくなかった……!」

 

 あの人のことを忘れて、自分と生きてと言いたかった。彼がどんなに自分を蔑んでも、私だけはあなたを想っていると言いたかった。彼の胸に飛び込んで、ただ愛していると叫びたかった。

 こうなる前に、彼が生きている間に、伝えられる勇気が自分にあったら、どんなに良かっただろう。

 涙を流しながら、彼女は自分の思いの丈を彼にぶつけた。

 

 

 でも、アンデッドとなった彼の虚ろな瞳は、ただ闇を映しているだけだ。

 

「……一緒に、逝きましょう」

 

 奇怪な呻きを上げながら、亡者は剣を振り上げる。両手を差し出したまま、彼女はそれを受け入れた。

 恐怖は無い。これで彼と、本当に一緒になれる。そんな気がしたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………どうして」

「……」

 

 剣は、メルヴィナの首に触れるか触れないかの所で、ぴたりと静止している。

 

「私も、連れて行って」

「……すまない」

「あなたがいない、世界なんて」

「……」

 

 亡者の瞳には、澄んだ光が戻っていた。

 手に持った剣を取り落とし、彼は無言で彼女を抱きしめた。

 その腕には、ある強い意志が籠っている。

 

「もうすぐここは崩壊する。お前はここから逃げろ」

「……いや」

「今ならまだ、間に合うはずだ」

「――いや!」

「……頼むからお前は、生きてくれ」

「いやです! いやだ! 私も、一緒に――」

 

 その言葉を遮るように、彼はより強く、彼女を抱きしめた。

 

「俺なんかについてきてくれて、ありがとう」

 

 体を離し、微笑みながら死霊術士を見る彼の目には、確かに彼女の姿が映っている。

 口づけすら残してくれないのは、それが彼なりの誠実さだと思っているからだろう。

 

 彼は、最後までお嬢様を裏切らない。

 そんな彼のことが、彼女にはどうしようもなくもどかしく、愛おしい。

 

「さようなら、メルヴィナ」

 

 最期の瞬間、彼は彼女の名前を呼んだ。

 

 亡者の体が、淡い燐光を残して、空気の中に溶け出していく。

 全てが終わった後、儀式の間には、塔の崩れゆく音と娘の嗚咽だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 はるか昔に行われた、魔王と勇者との戦い。その結末は、魔王が邪神召喚の儀式に失敗し、自ら滅びたとしか伝わっていない。

 魔王の側近として仕えていた者たちのことも、今ではその名前すら分からない。

 

 ただ、魔王軍の中でもただ一人だけ、戦いが終わった後もどこかに落ち延び、ひっそりと生きていた者がいるという。

 

 

 彼は勇者ではなかったし、彼女もお姫様にはなれなかった。

 それでも、彼らは確かに、誰かのために生きたのだ。


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