クリスマスツリー中止の連絡があった日の放課後。私は絢辻さんにあの時の神社に連れてこられていた。
いくら苦手意識を持っている私でも、珍しく余裕のなさそうな絢辻さんの様子を見たら断ることが出来るわけがない。というか……絢辻さんの誘いは基本的に断れない。
絢辻さんが怖いとかそういうのではなく、あの時、心に生まれた強固な何かが、絢辻さんと私を固く結びつけて離さないような、そんな磁力に近い何かの力が働いているから。
まあ、この時期にここに連れられるということは、だいたいそういうことなのだろう。実際、私の予想は当たった。
絢辻さんは神社につくなり、周囲に人がいないか確認する素振りをしてから大きく深呼吸をした。
……そして、私に後ろを向いて。
「あーもう! 最悪最悪最悪最悪、サイッッッアク!!」
絢辻さんの、声が裏返るくらいの絶叫。私はまるで地縛りでもあったかのように、一歩すら踏み出すこともできない。
「知ってるわよ! どうせ予定が間に合わないとか難癖つけてきて、実際は金と権力で飾り付けたツリーを見せびらかしたいんでしょうよ! 私達のプライドを、情熱を奪っておいて……意地汚い奴らの集まりよあんなの!!」
まくり立てるような勢いで怒りをぶちまける。情緒不安定とは聞かされていたが、実際それを目の当たりにするのは初めてで……見事に気圧されてしまった。
「ああもう許せない! いくら私達が高校生だからといってそれは舐めすぎ! 絶対に許せない!!」
そう言い切った絢辻さんは、肩で息をしていた。私が掛ける言葉はどこにも見当たらない。
普段絶対に表に出さない、心からの恨み、怒り、叫び。空気を伝って私の鼓膜に伝わったのは絢辻さんの声だけでなく、並々ならぬ思い、激情。
しばらく、水を打ったように静まり返る。ゆらりと、絢辻さんがこちらを向いて、静かに言った。
「……悪かったわね、付き合ってもらって」
「大丈夫。私も、今日の話は心底腹が立ったから」
「そうね。……絶対に許せないわ」
絢辻さんは目元を拭った。心なしか目が赤く見える。泣いていたのだろうか……?
『全ての人に、等しく幸せを』。泣いていたにせよそうでないにせよ、あの手帳の言葉は紛れもなく本気だったのだと、私は噛み締めていた。
「スッキリした?」
「ちょっとだけだけど。それに、橘さんに聞いてもらっていつもよりスカッとした」
「そういうものなの?」
「そういうものよ」
「まあ……絢辻さんがそれでいいなら、いいんだけど」
何となく、絢辻さんが吹っ切れたような感じがした。私は発散に上手いように使われてしまったのだと思い、でもそれが嫌ではなく……とりあえず、苦笑いした。
「……それで、戦略はもう決まってるの?」
「ええ、あたしを見くびらないで」
戦略というのは、中止を通告した市の担当との話し合いの時の戦略。私は絢辻さんが普通に話し合いで和解しようなんて到底思えなかったし、実際そうらしい。
学校外だから猫を被る必要もないし。
私にだけに見える絢辻さんの笑みは、大抵嫌な予感がする笑み。もっとも、今はそれが私に向けられていないのが幸いではあるが。
「……けれど」
「けれど?」
「……あなたにちょっとだけ、迷惑かけるかもしれないけれど」
たった今私に向けられた。嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
「……ほんとにちょっとだけ?」
「……?」
今また口角が不気味に上がった! これは……もう……何が来るか怖いけれど……。
「……覚悟するよ、絢辻さんと一緒にいるって決めた私が悪いんだし」
「あなた、下手な男よりも肝すわってるわね。あたし、そういう人嫌いじゃないわ」
「はいはい……」
絢辻さんはたまによくわからないことを言う。私はちょっと呆れた。
閑話休題な雰囲気。
「……ねえ」
すっかり落ち着いた絢辻さんが私を見つめ、こちらに近寄る。声は柔和で、甘えているようにも……いや、私の錯覚?
「……ん?」
「こっち」
絢辻さんはそっと、しかし強引に私の手をとって神社の縁側に向かう。やっぱり、絢辻さんの手は私のそれと比べて美しく、できれば並んでほしくない。
でも……今日の絢辻さんの手、なんだか熱い。
そして、絢辻さんに促されるままに、私は縁側に座った。絢辻さんも、その隣に座る。絢辻さんの突然の行動に、私は困惑した。
それに絢辻さんの雰囲気が、なんだか……ふわりとしているような、そんな風にも感じられるような。
「絢辻さん……?」
「詞《つかさ》」
「えっ?」
「詞って、呼んで」
……やっぱり、絢辻さんは分からない。急な提案に私は戸惑う。
「急に、どうして?」
「……深い意味はないわよ。ただ……絢辻という名字が、嫌いだから」
そう言うと、絢辻さん――ううん、詞は深く息を吐き出す。姉にコンプレックスがあるから、なのだろう。……いや、それ以上のものがある気がする。あんなにこじれた二面性を持っている、詞なのだから。
にしても、詞、か。……私は、この名前の響きが、何となく好きだ。
「分かった、詞」
「ありがと。えっと……」
「純奈。下の名前、覚えてなかったの?」
「そんなわけないじゃない。ただ、橘さんという印象が強すぎて、とっさに出てこなかっただけ……」
絢辻さん、橘さん。お互いに名字がの印象が強すぎて、みんな中々名前で呼んでくれない。もっとも、交友関係が狭めなのもあるのだろうけれど。私は特別仲がいい相手は梨穂子、あと仲がいいと認めるのはシャクだが……棚町。それくらいだし。
詞に至っては……思い浮かばない。
「……名前で呼び合うとさ、なんだか特別に思えるの。特に、家族でも親戚でも何でもない……お互いの秘密を共有している、純奈のような」
だからこそ、そんな言葉が詞から出てくるのだろう。
「特に絢辻さんなんかは痛っ」
「詞」
「……叩くことないじゃん」
「あたし、手が出るのが早いから」
「全く……」
私はわざとらしく頬を膨らませる。詞は……なんだか楽しそうで何よりです。
じゃあ、私も楽しませてもらおっかな。
「詞」
「何?」
「呼んだだけ」
「……何それ」
「分かんない」
やっておいてなんだけど……すごく、照れくさいんだけど。
「純奈」
「何?」
「呼んだだけ」
「……なんか照れくさくならない?」
「……うん」
詞も同じようで。同じ感情を持ってるって分かるとなお照れくさくなって、思わず身体が揺れて足が動いてしまう。
……この感じ、嫌いじゃないけれど。
「……ねえ」
「うん?」
「純奈は、わたしとの関係がいつまで続くと思ってる?」
「……また、突然何を」
「創設祭が終わって、2年生が終わると……わたし達、受験生じゃない? きっとそれも、すぐ過ぎてしまって……大学、社会人、そして気がつけば……って。最近、そういう妄想をするようになってきて。……不安で」
詞は、たまによくわからないけれど、たまに可愛いというか……すごく、弱くなる。
私は詞のそういう一面は、素直に好きだ。
「……詞は、私との関係が続くことを望んでいるってこと?」
「そう、ね。わがままは言わない。今より遠くなってもいいから……完全に切れる、ということだけは嫌なの」
……私は、知らず知らずのうちに詞にそういう思いを抱かせてしまったようだった。私は単に、詞のことを知りたいと思っていただけなのに。
「だって……わたしにとって、初めての大切な人だから」
……不思議だった。詞の言葉に、人を包むような……いや、ちょっと違うか。包むというか、むしろ人に包ませるような吸引力……? うーん、どうたとえればいいか分からない……。
けれども、裏の詞が持つ攻撃的な雰囲気というのは完全に消え去っていたし、その言葉は私の奥深くに強烈に植え付けられた。
「……詞?」
詞が、私の身体に身を寄せる。私の問いかけに、詞は何も返さない。
「……」
無言には、無言をもって。私は何もせずに、詞の温もりを受け入れた。詞は私に体重を預け、そして……小さく、すすり泣いていた。
詞の、揺れ動く気持ち。おそらくたくさん傷つけられて、歪な形になってしまった心の、その核からの叫び。……私には、多分それを受け止めるだけの器量はないんだけど。
でも……私だから、受け止めてもらいたいんだろう。たとえ、私が受け止め切れなくても。
「……ありがと」
詞は私からそっと離れた。そして、一呼吸置くと……まるで幻想だったかのように、柔和な雰囲気は吹っ飛んでしまった。
「よし、切り替えたわ。もう大丈夫」
「ん」
「ツリーの件は絶対上手く行く。あたしを舐めないで」
詞は、黒い強気の笑みを浮かべた。
私の苦手な詞が帰ってきて、私は心底安心した。