「一番最後の時間の体育は、中々こたえるものがあるなぁ……」
放課後。普段の私なら真っ直ぐ帰るに限る。今日みたいな疲れている日ならなおさら。
……なのだが、今日はそうしないことにしている。お昼前に早退した、絢辻さんのお見舞いにでも行こうかと考えているからだ。
大丈夫だ、って言われて。距離が遠ざかるような気がして。
でも、あの一言でせっかく近づき始めた絢辻さんとの距離が遠ざかるのは、どうしても嫌で。
保健室から教室に戻る最中、迷惑を覚悟で私は心に決めたんだ。あんなことで大人しく一歩下がったら絶対にダメ。怖がらないで、ただひたすら押していけ、純奈。
実は私と絢辻さんの家はそこまで遠くない。ほんの少しだけ帰り道からそれるだけで、絢辻さんの家には着く。
なんで場所を知っているのかというと、まあ……偶然遠目に絢辻さんが家に帰るところを見たから、としか。ほとんど帰宅ルートが同じだから、帰るタイミングが被るとそういうことが起こるわけで。
ちなみに絢辻さん側が私の家を知っているかどうかは分からない。
一回風邪を引けば分かるかもしれないけれど……あ、でも絢辻さんはどうせ委員の仕事とかで私のお見舞いどころじゃないだろうし、それにお見舞いに来てくれるのは……。
「純ちゃん、だ~れだ!」
「
「ええ~っ!? 即答にもほどがあるよ~……」
というか、ほぼ梨穂子ただ一人、って言っていいような存在なのかも。私と梨穂子が離れ離れになる未来なんて想像できないし……。
「だって純ちゃんって呼ぶのは梨穂子くらいしかいないし」
「あれ~、じゃあ橘さんって呼んだらバレなかったかな」
「そもそも今更、梨穂子の声なんて間違えるはずないし?」
「えへへ、純ちゃんって耳が良いんだね」
「うーん、それってちょっと違う気がするんだけど……」
梨穂子は見ての通り、ちょっと間が抜けているというか、まあ……端的に言えば超癒し系のいい子。梨穂子と話すと、私はいっつも元気になる。
棚町には渋々救われているのを認めざるを得ない、みたいな感じなのだが、梨穂子に関してはむしろ感謝を思い切り伝えたいって感じ。何回かちゃんと口に出して、ありがとうって梨穂子に伝えているのだが、梨穂子はそのたびに私にもありがとうって言ってくれる。
……ほんっっっとに、梨穂子と幼馴染で良かった。梨穂子がいなかったら、私、学校に通えていたかどうかってレベルまで行っていたことがあったし。
ちょっと気がかりなのは梨穂子にもらったものを私はちゃんと返せているか、釣り合っているかってところなのだが……。
「え~っと……そうだ。純ちゃんって今から帰るところなの?」
「うん。あ、でも……」
「でも?」
うーん、しかし梨穂子と久しぶりに帰れるチャンスと被るのはちょっとツイてないかも。……でも、絢辻さんに会いたいし……。
「クラスメイトのお見舞いに行こうかなって思ってて」
まあ、梨穂子には悪いけれどこっちを優先させようかな。どうせ途中まで梨穂子と一緒に帰れるし。
「クラスメイト? それって誰なのかな?」
「絢辻さん。多分、名前は知ってると思うけど」
「うん。なんか色々やってる、すっごい人だよね」
「当たり。その認識であってる」
さすがにあんな完璧で活動的な人物はクラスが違くても知れ渡っている。ひょっとしたら学年を飛び越えて、全校レベルでも結構知っている人がいるかも。
「そんな人でも風邪を引いちゃうんだね~。頑張りすぎちゃったのかな?」
理由はさすがに誰にでも推測出来るとは思う。でも、梨穂子が純粋すぎて眩しい。
「多分そうなんだと思う。私この前に仕事手伝ったんだけど、帰る時にはもう真っ暗だったんだ。それがここ最近毎日続いていたんだと思うから……」
「そうなんだ~。でも……絢辻さんと私って全然接点ないから、お見舞いに行きたいのは山々だけど、迷惑になりそうだから止めておいた方がいいよね」
接点のない絢辻さんにも、梨穂子はお見舞いに行きたがっている。
梨穂子は優しい。ほんとに優しい。私は何度、この優しさに包まれて救われたのだろう。私とは正反対で、私には持っていない純粋な優しさを梨穂子は持っている。
……でも、私は梨穂子にコンプレックスを抱いて、遠ざけるということは絶対にしないと思う。なんだろう、その……おひさまの光みたいな優しさに、甘えられる場所を私が求め続けているから、なのかな。
端的に言えば、私は、梨穂子なしでは生きられない。
「うーん、それならそうだろうね。でも、絢辻さんならなんだかんだ気にしないと思うけどね、絢辻さんもすごくいい人だから」
「そうなの? でも、やっぱりやめておくよ。ちょっと怖いし」
「ん、分かった」
私はちょっと残念そうな梨穂子の頭の上に軽く手を置いた。梨穂子はそれに嫌がる様子もなく、えへへ~、と満足そうにニコニコした。
幼馴染の頃からずっと、私と梨穂子はこんな感じ。そういうスキンシップは、もういつものこと。
でも、身体が大人になっていくにつれて、梨穂子が私に触れたり、私が梨穂子に触れるときに、何かあたたかくて、ぽかぽかするものが、身体の中から生まれて幸せな気持ちになるような、そんな感覚を覚えるようになっている。
まあ、でも……その感覚は、それ以上でもそれ以下でもなくて、別に恋とか、そんなものでもないと思う。……恋したことないからわかんないし、そもそも女の子同士だし。というか私に女の子が好きという趣味はないし。
もっと私の心から言葉にしたいことがあるから、ちょっと脱線するけど続ける。梨穂子に限って女の子同士の恋に発展するなんてことは、尚更ありえない。もし、本当にもし、梨穂子との今の関係が更に進展するんだとしたら……それは恋とも友情とも違う、もっと別の、誰も名前をつけることが出来ないような、そんな関係だと私は思う。
「じゃあ、途中までだね。一緒に帰れるのは」
「うん。……久しぶり、だね」
「そうだね~、茶道部の活動があったり、そもそもクラスが別だから会える頻度が減っちゃったからね~……」
去年、すなわち私と梨穂子が高校一年生のときは同じクラスだったから、話す機会はまだあった。別のクラスとなった今年に入って、そういう機会が一気に減ったのだから、やっぱりクラスは同じのほうがいい。
もし棚町まで別のクラスになってたら、私どうなってたんだろ。
「だね。……寂しい?」
「……ちょっとだけ」
「ふふ。梨穂子はかわいいなぁ」
反射的に私は梨穂子がかわいいと言ってしまう。だっていかにも寂しそうに眉をハの字にして、親指と人差し指でまるで小石を持つかのように『ちょっとだけ』のジェスチャーをして、しまいには小さくって甘えたいって声で『ちょっとだけ』って。
そんなの。かわいいに。決まってる。
さて、私にかわいいと言われた梨穂子はあっという間に頬がほのかに赤く染まった。照れてる照れてる。かわいい。
「純ちゃんもかわいいよ~っ!」
梨穂子の反撃。かわいいって言いながら、照れ隠しのまんまぎゅうってされた。
「うっ……やばい、今のわりと効いたかも……」
……いくら梨穂子に恋をしないとはいえ、可愛いものは可愛いし効くものは効くのだ。
「……純ちゃん? お~い」
「あっうん! 大丈夫、なんでもないなんでもない!」
意識飛びかけてた。危うく、梨穂子の可愛さに殺されるところだった。
お見舞いにいきまーすって言った直後にお葬式だなんて冗談じゃない。
……梨穂子には、勝てそうでいて結局大逆転負けを喫するのが私なのだ。