久しぶりの梨穂子との家路は、元々の距離自体が普段より短いこともあるけれど、それでもずいぶんと短く感じた。寄り道もしたのに、それでも短いと思った。
「えっと、この辺で別の道かな」
「そうなの?」
「うん。それじゃあ、またね」
「また一緒に帰ろうね。ばいば~い」
ニコニコと小さく手を振る梨穂子に手を振り返し、私は絢辻さんの家に向かって歩き出す。絢辻さんの家に突然行くのはちょっとだけ不安だったけれど、梨穂子と一緒に帰ったおかげでだいぶ和らいだような、そんな気がする。
「ありがと、梨穂子」
この独り言が漏れちゃうのは、もう仕方ないよね。
さて、絢辻さんの家はというと帰り道を外れて本当にすぐにある。軽く脇道を眺めたら偶然帰る瞬間を目撃するくらいだから、本当にすぐだった。
梨穂子のぬくもりが、私の不安を優しく包んでくれた。そのぬくもりがほどけないうちに、私は絢辻さんの家のインターホンを押す。お見舞いに来た、と伝えると、程なくして玄関のドアが開かれる。
「詞ちゃんにそんな友達がいたなんて、私、嬉しくなっちゃう」
なんて、出てきた絢辻さんのお姉さんに言われながら、すんなりと絢辻さんの部屋に案内してもらった。
前に絢辻さんと帰ったときに会った女の人って、この人だったのかな。なんか、梨穂子以上の天然って感じがする……。
友達にこういう人がいるんだったらまだいいんだけど、お姉さんとかにこういう人を持つのは私は嫌かなぁ……美也という存在がいるし……。
「お邪魔しまーす……」
梨穂子以外の友達――絢辻さんに関してはまだ友達と言っていいのかどうかさえ怪しいけれど――のお部屋にあがるのは滅多にないことだった。というか、ほぼほぼ初めてと言ってもいいんじゃないかも。
そんな絢辻さんのお部屋はすごく綺麗に片付いていた。なんだか私と同い年の部屋じゃないような、そんな気がした。
本棚には学校の教科書の他に参考書や受験生がよく使っているのを見る赤本。小難しそうな文豪の小説や、自己啓発本。……それに混じって、結構最近の話題になっている小説もあって、ああ、ちゃんと女子高生なんだってちょっとだけ安心はしたけれど。
あと、絢辻さんのお部屋にはCDプレイヤーもあった。どんな音楽を聴くのかな、って思ってCDラックを眺めたけれど、どうやら絢辻さんは本当に何でも聴くらしい。絢辻さんがいかにも聴きそうなクラシックの他にもジャズだったり洋楽だったり、意外にも私達の間で流行っていたポップスの曲も十分にあった。心なしか、クリスマスに関連する曲が多いような気もする。
で、そんな絢辻さんは……ベッドで寝ていた。さすがに起こすのもあれだし、寝顔を見るのも、ちょっと気が引ける。
というか絢辻さんの寝顔を目撃したら、悶え転がって私は霊柩車に直行すると思う。
「ん……誰か、いるの?」
「あ……」
ベッドで身体が起きる音が聞こえる。どきり、と心臓が跳ねる。もうここに来ちゃったからには、覚悟を決めなくては。
「起こしちゃった、かな。ごめん」
私は絢辻さんの寝ているベッドのそばに、そっと近づいた。絢辻さんの匂いが鼻をかすめて、ほんの一瞬、くらり、と来そうになった。
「えっ!? あ……」
驚かないはずがない。私だって梨穂子が突然お見舞いに来たら驚くんだ、ほんの最近まで全く話す機会のなかった私が突然、絢辻さんのお部屋にいるんだから……。
いくら私が絢辻さんの心配をしていても、この行動はさすがにまずかったかな。また、『大丈夫』って言われて突き放されるんじゃないかな……。
「う、ううん、いいの。もしかしてだと思うけど……お見舞いだったり、するのかな」
絢辻さんはすぐに、学校で見る『いつもの』柔らかくて清廉な表情になった。それでも緊張で、私の鼓動は落ち着きを忘れたかのように加速度的に早くなっていく。
「う、うん! そのつもりで来たんだ」
「ほんとに?」
「ほんとだって。絢辻さんは大丈夫って言っていたけど、それでも……」
身体が震えているのが分かる。息が、私の吐き出す空気が、芯を失ってブレるのが分かる。
でも……私はできるだけ、心のままに、必死に言葉を紡いでいく。
ここで引いたら、もう二度と絢辻さんと話せないかもしれない。だから……立ち向かって行くんだ。
「……それでも。私は絢辻さんのことが心配で、絢辻さんの頑張っている姿がとても好きで……何か、出来ないかなって思って。私、あの後も絢辻さんのことで頭がいっぱいだったの。嫌われたかな、とか、また前の関係に戻っちゃうかな、とか……思っちゃって……」
途中から私は、何を言っているのかよくわかんなくなってきた。けれど、絢辻さんは何も言わずに私の言葉を聞いてくれた。
「だから……だから。いきなり家に来ちゃうような、不器用な私だけど……私は、絢辻さんのために……私は……えっと……」
……ダメだ。頭が真っ白になって、次につなぐ言葉がなんにも出てこない。視界には、ぎゅっと組み込んだ私の両手。焦りと不安が私の精神をぐうっと締め付ける。どうしよう、どうしよう。どうしよう……。
「……ありがとう。すごく、嬉しい」
「……ふぇ?」
絢辻さんの柔らかな言葉に私は顔を上げた。あっけにとられて、多分間抜けな顔を晒してると思う。でも……それをすぐに取り繕うような余裕は私には全くなかった。
「あなたの気持ち、伝わったから。本物、なんだね」
心底救われた。私は間違ってなかったんだ。
熱のせいなのか、ほんのり上気した絢辻さんの顔。私はその絢辻さんの顔を見て、一息ついて安堵した。頬の筋肉がすっと、緩んだ。
「良かった……突然押しかけて迷惑かけるかもって思うと不安だったんだ」
「ううん。あなたの気持ちは嬉しいわ」
「絢辻さん……ああ、だめだ、嬉しくてにやけちゃう」
「ふふっ、変な橘さん」
「変かも」
安堵か、それとも絢辻さんと話が出来ていることに対してなのか。……あれ、私、絢辻さんに元気をもらってる。おかしいけれど、もしかして私の心はそれを望んでいたのかもしれない。
「ごめんなさいね、お茶も出せなくて」
……絢辻さん、なんて真面目なんだろう。
「そんな、風邪引いているのにそれは逆に悪いよ。……ちょっと待ってて」
「ん? 何か、あるの?」
「えっと、これ。帰りに友達と選んで買ってきたんだ。絢辻さんの好みかどうかは分からないけど……」
多分、この定番のチョコチップクッキーなら間違いないよね。私は帰りに梨穂子と選んだそれが入っている箱を、絢辻さんに渡す。
「え、いいの? ……ありがとう。甘い物は心が落ち着くから、とても嬉しい」
絢辻さんは驚きを隠せない様子で、素直に受け取ってくれた。内心すごく不安だったけれど……。
「良かった。絢辻さんの好みが分からないから、無難なものになっちゃったけれど」
「ううん。そういうのって、気持ちが大切なのよ」
絢辻さんは私があげたチョコチップクッキーの外箱を眺めながら、そう言った。
「だって、いくら高くて美味しいものでも、気持ちがこもっていないものは嫌でしょ?」
「確かに。高いものあげとけば喜ぶでしょ、みたいなのは嫌だなぁ」
「もしかすると、自分の権力だとか財力だとかそういうのを見せびらかす、なんて目的もあるかもよ?」
「あー……言われてみれば」
こういう目的でプレゼントする人いたら、ほんとに嫌になる。とはいえ、その本心を私は見破れないと思うし……なんだかんだ、喜んでしまうと思うし……。
「……ちょっと話が逸れちゃったね。とにかく、あなた達のお見舞いのプレゼント、ちゃんと私を想って選んでくれたんだって、私は感じたの」
……絢辻さんの言葉はありきたりで無難な優等生って感じなんだけど、でも私にはそれが絢辻さんの本心なんだ、としか思えなかった。
絢辻さんの瞳には、何も混じっていない。思い込みかもしれないけれど、私はそう思ったんだ。
「うん。焼き芋だとか、アイスだとか、あとケーキがいいだとか……その子が食べたいのも混じってた気がするんだけど……まあでも、帰りに二人でスーパーに寄って、あーだこーだ言いながら選んだのは違いないよ」
結局梨穂子はお見舞いのクッキー以外にも我慢できずにお菓子を買ってたし。
「そっか。ほんとに、仲がいいんだね」
少し羨ましそうに絢辻さんは言ってくれた。そういえば、絢辻さんには深い友人関係の噂を全く聞かない。だとすると私は、絢辻さんに悪い話をしてしまったのかも……。
でも、ここでもし仮に『それほどでもない』なんて謙遜してしまったら、それは梨穂子に悪い。
「……うん。それは胸を張って言わないと、その子に失礼だから」
だから、私は……こんな感じのかっこつけたこと言って、自分の株を高めることで絢辻さんへのダメージを回避しつつ、梨穂子にも配慮した。ちょっと私が性格が悪い人みたいだけど、仕方ないし……事実私の性格って悪い方だと思うし。
「ふふっ、そっか」
絢辻さんはくすりと笑った。その笑顔が、私の心を見透かされているような感じがして……少し、背筋がぞくりとした。
でも……この感覚、嫌いじゃない、かも……あはは、私ったらほんとに変だ。