狂騒の花束   作:YOTUYA

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第三話

 

 

 三宮三葉が元同僚の腹部に華麗な膝蹴りをお見舞いした翌日。彼女が属するシノア隊は表参道地下鉄跡地に足を踏み入れていた。

 罅割れた壁、点滅を繰り返す電気の切れかかった蛍光灯。薄暗い通路の端には、吸血鬼が家畜に着せる白を基調とした服装をした人間達が生気のない瞳で座っていた。

 薄気味悪い光景にも、三葉は動じることなく、隊員に先行して奥を目指す。

 昨日、彼女たちが救出した少女の話によるとこの先には、自分らよりも多い七人の吸血鬼が潜んでいるらしい。だからこそ、敵地侵入には奴らが眠る朝を選んだ。

 なにせ彼女たちのゴールはただ一つ、吸血鬼の殲滅なのだから。

 

「着いたぞ、ここがB3フロアだ」

 

 吸血鬼が潜むといわれるフロアに辿り着く。そこにも相変わらず、生気のない人間達が座り込んでいた。

 

「……な、なんか怖いなぁ……」

 

 後ろで早乙女与一の声が聞こえた。

 

「……ん?」

 

 直後、前方の柱の影から白いローブを着た男が現れる。

 その瞬間、世界から音が消える。

 三葉は心臓の鼓動が一際大きく跳ね上がるのを感じた。

 そして二度目の鼓動よりも早く、本能が教えてくれる。

 吸血鬼(てき)だ、と。

 

「総員攻撃準備ッッ!!」

 

 彼女が叫ぶと同時に隊員たちが一斉に鬼呪装備を抜刀する。

 

「仲間が呼ばれる前に殺━━」

 

 言い終わる前に、隣を黒い風が通り過ぎた。

 いや、風じゃない。百夜優一郎だ。

 

「おおおおおおおおおおおおッ!」

 

 奴は雄叫びを上げながら吸血鬼へと突貫し、手にした刀で心臓を突き刺した。

 吸血鬼は血を吐き、あっけなく灰となって霧散する。

 

「……ッ!」

 

 一先ず危機は脱した。しかし、それでも三葉は彼の独断を許せず、歯を食いしばる。

 

「馬鹿が……ッ! あれほど独断専行はする……なと……」

 

 怒りで視界が狭まっていた。

 そのせいで、彼の頭上で剣を振り下ろそうとする新手に気づくのが遅れた。

 

「百━━」

「優さんッ!!」

 

 三葉より先にシノアが叫ぶ。

 その瞬間、百夜優一郎は剣が自身の脳天に辿り着くよりも速く振り返り、吸血鬼の胴体を切り裂いた。

 なんだその力は。

 三葉は彼の背中を見つめながら驚愕する。その傍らでシノアは事前に知っていたかのような余裕でパチパチと拍手をした。

 

「グレン中佐の秘蔵っ子ですからわかっていましたが、これほど強いとは」

「さすが優くん!」

「ま、俺よりは弱ぇけど」

 

 彼女だけじゃない、早乙女や君月さえも、彼の力に驚き気遅れする様子はない。

 

「こいつらはいったい……」

「ふふ、どうです、みっちゃん。これがグレン中佐お気に入りの問題児たちです」

 

 シノアが不敵に笑む。

 

「だからきっと、中佐はみっちゃんに彼らを託したんだと思います」

「……?」

「だって、問題児のお世話は得意でしょ?」

 

 彼女の言葉で、真っ先に頭に思い浮かんだのは幼馴染みの顔だった。

 なぜだか、少しだけ顔に熱を帯びる。すぐに三葉は我に返り、ここが敵の根城であることを思い出す。

 

「いろいろと不満はあるが、それは全部後回しだ」

「あら、そうですか」

 

 名残惜しそうな表情をするシノアを尻目に、三葉は新人三人の方へと視線を向けた。

 

「おまえら浮かれるな、まだ敵は五人い━━」

 

 刹那、彼女の後方にあったガラスの壁が勢いよく砕け散る。

 

「な……ッ!?」

 

 三葉は咄嗟に振り向く。そこには破片を身に纏った二人の吸血鬼の姿があった。

 

「みっちゃんッ!」

 

 後方へと重心を移動し、間合いを━━、

 

「あぐ……ッ!」

 

 しかし、それよりも速く吸血鬼の手が彼女の首を掴んで身体ごと持ち上げる。

 気がつけば、シノアたちはあっという間に吸血鬼たちに取り囲まれていた。その数はざっと見て七人。三葉は情報と数が合わないことに困惑した。

 

「…………どういう……ことだ……。情報と違う……」

「ははは! それは誰が出した情報だ?」

 

 目の前の吸血鬼は心底愉快そうに笑う。その男の言葉に、三葉の頭には泣きながら話していた少女の姿が浮かんだ。

 

「はは、人間は醜いよな。家族や仲間を人質にされたら平気で裏切る」

 

 心の奥底から沸々と怒りが込み上げてくる。

 しかしそれでも、吸血鬼からの拘束を解くことはできない。

 どれだけ心が熱くなろうと、どれだけ許せない理由があろうと、奴らの力の前ではなんの糧にもならない。

 視界が歪んでいく。食いしばった声が涙となって溢れようとしていた。

 まだだ、まだ泣くな……。

 私には、まだやるべきことがある……。

 そう心に言い聞かせて、三葉はできたばかりの仲間たちを見つめた。

 私が枷となって動けずにいる。ならば、やらなければならないことは自ずと理解できた。

 彼女はありったけの力を込めて叫ぶ。

 

「あたしのことはもういい……ッ!!」

 

 死ぬなら私独りで死んでやる。

 もう二度とごめんだ。私のせいで誰かが死ぬのは。

 誰かの大切な人を奪うのは。

 

「早く逃げろォォォ……ッ!!」

 

 

「━━悪い遅刻だ、三宮」 

 

 

 

    ★    ★    ★    ★

 

 

 監視哨での俺の朝は、ドンドンと激しく叩くノックから始まった。

 

「大尉大変っす! 大尉!」

「……入ってまーす、ぶりぶりぶりぶり」

「あ、すいません。……んだよ大かよ、臭ぇななに食ってんだよ」

「…………」

 

 傷ついた。

 癒すために再び眠りにつこうとした時、さっきよりも激しくドアを叩かれる。

 

「って、冗談言ってる場合じゃないんすよ大尉! このままじゃ新人さんたちが危ないんすよ! いいっすか!? 入ります!」

 

 そして勢いよくドアが開かれる。そこにいたのは昨日助けた少年と、その少年を預けた二等兵の男。

 俺は半身を起こして迎える。

 

「……どーした、こんなバカみてぇな朝━━」

「大変っす大尉!」

 

 彼は酷く狼狽していた。ただ事ではないことは感じられたが、これじゃ会話にならない。

 

「一回深呼吸して、落ち着いて話せよ」

「……はい」

 

 二等兵は言われた通り丁寧に呼吸をし、ゆっくりと話を始めた。

 

「吸血鬼はよく、捕まえた子どもを使って俺らを罠に嵌めることは知ってますよね?」

「ああ、よく見る手だけど」

「そうなんすけど、ここらの吸血鬼はわざと子どもを救わせて、その子に嘘の情報を吐かせて隊員たちを誘き寄せて殺してるらしくて」

「そうなのか。……でも、それがどうかしたか? 俺は誘き寄せられてないぞ?」

 

 それどころかこうして作戦が筒抜けになってる。なのに、どうしてそこまで焦る。

 

「実は新人部隊の子たちも大尉と同じように小さな女の子を助けてて、大尉が寝た後に集まって会議してたらしいんす」

「えー」

 

 マジかまずった。

 おまえらの残党処理だなんて伝えたら三葉が騒ぎ出すと思って隠してたんだ。構わず情報共有しておくべきだった。

 

「……よくもまあ聞き出せたな。身内を人質に取られてるはずなのに」

 

 そう言って少年を見る。

 彼のその瞳は年齢とは逸脱した、本来抱く必要のない覚悟を秘めているように思えた。

 その隣で二等兵は頭を掻きながら少し恥ずかしそうに笑う。

 

「いやー、実は小さい妹がいまして……」

 

 言いながら、彼は少年の頭を優しく撫でる。

 

「いまの子どもたちは変に大人びてしまってますから。我慢して押し殺した言葉を吐き出させるのに苦労しました」

 

 簡単に言うけれど、中々できることじゃないと思った。

 俺は男から少年へ視線を落とす。

 

「……これで良かったのか、少年」

「もう、嫌だから……。こんな毎日……」

「そうか……」

 

 それだけ聞いて、俺はベッドから下りて身支度を始める。

 

「一人で行くんすか?」

「行くとしたら、な。……ただ、その女の子はどう思ってんのかなって。……よし!」

 

 制服に着替えた俺は部屋を出る。

 向かったのは、監視哨の休憩室。真っ白いベッドが均一な間隔で並べられ、仕切り用のカーテンが隣で役目が来るのを待っている。

 その一つに、短い髪をした少女が座っていた。誰かから貰った瓶の飲み物を両手で包み込んでまま俯き、声を出さずに泣いている。

 

「嘘ついたから泣いてんのか?」

「━━ッ!?」

 

 少女は身体を震わせて振り向き、慌てて奥の出口へ走った。しかし、それを誰かが阻む。あの少年だった。少年が両手を広げ、強い眼差しで立っていた。

 

「健くん……」

「もう、やめよう……?」

 

 少年は言う。しかし、少女は大粒の涙を流して激しく首を横に振って崩れ落ちた。

 

「やだ……やだやだやだやだ……! パパとママとずっといっしょにいたいもん……!」

「ずっとこのままでいいの……?」

「いい……! このままでいい……! なんでそういうこと言うの……健くんだって……パパとママが殺されちゃうかもしれないんだよ……!?」

「わかってる……わかってるけど……」

 

 そして次第に少年も目から涙を零していく。それでも必死に言葉を紡いだ。

 

「でも……だれも笑顔じゃないんだ……」

 

 それは、俺たちの知らない日々の欠片。

 血を吸われ、最低限の食事を与えられて生かされるのだろうか。

 幾度も幾度も大切な人の首筋に牙を突き立てられる光景を見てきたのだろうか。

 それでも怪物が往来する地上に出るよりはずっと安全で、ずっと楽だっただろうか。

 その苦悩を背負う親の背中を見てきた子どもたちは、どんな願いを抱いてきたのだろうか。

 

「ぼくは……ッ!」

 

 その答えがいま、はっきりとわかった。

 

「ぼくはみんなと笑っていたいんだ……ッ!」 

 

 いつの間にか握りしめていた俺の右手が、爪に切り裂かれて血涙を流す。

 退く理由なんていくらでもある。戦力が整っていないだとか、相手に地の利があるだとか、他にやるべきことがあるだとか。

 でも、そんなことはどうでもいい。軍人である前に俺は一人の男だ。

 絶対的不利な状況でも、命を投げ捨てることになろうと、いまここで少年の願いを叶えずしてなにが藜稜花(せんし)か。

 

「うるさい……ッ!」

 

 少女が叫びながら手に抱えた瓶を窓に向かって投げる。窓ガラスが甲高い破砕音を立てて散っていく。

 

「私だって……ッ! 私だってずっとそう思ってるもん……ッ! みんなで楽しく生きたいって思ってるもん……ッッ!! でも……なにもできないじゃん……なにもしてくれないじゃん……! みんな吸血鬼に殺されちゃうんだから……!」

 

 きっと少女は何度も見てきたんだ。

 差し伸べられた救いの手が悲鳴を上げながら千切れていくのを。

 何度も繰り返してきたんだ。希望の光が消えていく光景を。

 不甲斐ない。

 あまりにも不甲斐ない。

 帝ノ鬼と掲げていながら、小さな子ども一人すら救えない程に俺たちは弱い。

 

「それでも……何回でも信じようよ……。ぼくらにはまだそれしかできないから……」

 

 それなのに、彼はまだ信じてくれる。信じようとしてくれている。

 

「あ、ああ、ああああああああああああああああああ……ッ!」

 

 少女の悲痛な叫びが剣となって胸に突き刺さる。

 身体が動かない。声も発せなかった。

 いや、動いたところで、声を発したところでなにができる。

 俺がもっといろいろな経験を積んでいたらなにかしてあげられたのか。

 例えば兄貴みたいに。

 

 ━━死者(あにき)はなにもできないわよ。できるのは生者(あなた)だけ。

 

 鬼の手が突き刺さった剣を無理矢理に引き抜く。

 削られたように広がった傷口から血と共に刀を握らない理由が流れていった。

 

 救わなきゃいけない、から、救いたい、へ。

 

 漠然とした想いは確固たる意志へと変貌する。

 

 兄貴が昔言っていた。

 人間は現在に対してはあまりにも無力だが、未来に対しては無敵だ、と。

 いまここで彼らの未来を守れるのは俺しかいないんだ。

 

 吹き抜ける風に誘われるように、俺は割れた窓の方へ進んでいく。

 

「表……道……地下……」

 

 背中越しに聞こえてくる消え入りそうな少女の声。

 嗚咽交じりで呼吸もままならない筈なのに、それでも必死に告げようとしていた。

 

「そこに……から……だから……!」

 

 毎日毎日殺し続けた本当の願いを。

 

 

「みんなを助けてください……ッ!!」

 

 

 やっと聞くことができた。聞かせてくれた。

 もう一度信じてくれた。

 会って間もない俺を。そして、あいつらを。

 

「……ッ! ……ッ!」

「もうなにも言わなくていい」 

 

 なにかを伝えようとしてくれる彼女を諭す。

 敵が何人いようがやることは変わらないんだ。それにもう、

 

「開けてくれたこの道だけで十分だ」

 

 精一杯の笑顔を見せて俺は窓から飛び出す。

 一瞬、自分でも驚くぐらい力が入った。

 地面に着地して走り出すまで零点一秒。眼前のビルの屋上に辿り着くまで一秒。

 身体は風を切り裂き、大気を追い越す。壁を足場に飛ぶこともできた。

 

 ━━馬鹿ね。

「その方が楽だから」

 

 あっという間に目的地━━表参道地下鉄跡地入り口まで到着した。

 準備することも落ち着く必要も時間もない。俺はそのままの勢いで闇に身を投げる。

 そして、壁から壁へとバネのように跳ねながら奥を目指す。

 

「ッッ!!」

 

 一秒も止まるな。

 止まっていいわけがない。

 絞り出せ力を。思い出せあの言葉を。

 

「あたしのことはもういい……ッ!!」

 

 死者はなにも守れない。

 だから代わりに守れ。

 

「早く逃げろォォォ……ッ!!」

 

 死んでるやつが守りたかったものも、守ったものも。

 

「悪い遅刻だ、三宮」

 

 全力で踏み出した身体は地面すれすれを滑空し、三葉のもとへ辿り着く。そして彼女を抱きかかえるように奪い取り、

 

「切り咲け━━凌霄鬼(のうぜんかずら)

 

 宙に浮いたまま吸血鬼の首筋に紅刀を添えた。

 それだけでいい、あとは追いついた大気が背中を押してくれる。

 肉を切る感触を感じた後で、俺の足が地面を擦りながら着地した。

 

「りょう……か……」

 

 抱えられたまま呆然とする三葉の瞳から一筋涙が流れる。

 

「おい! なに泣いてんだ、バーカ」

「……ッ!」

 

 彼女はそこで自身が泣いてることに気づいたらしく、必死に涙を拭う。

 

「ち、違う……! これはおまえが飛んできた時の砂が……!」

「誤魔化してんじゃねぇよ!」

「ほ、ほんとだぞ……! 決して安心したとかそういう━━んっ」

 

 俺はできる限り優しく三葉を下ろし、頭を撫でて黙らせる。

 

「んだ、遅れて登場でヒーロー気取りかよ!」

 

 背中越しに誰かが騒いでる。振り向くと、百夜が鋭い目つきでこっちを睨んでいた。とりあえず俺は親指を立ててはにかんでみる。

 

「おう、待たせたな新人!」

「けっ! 別に待ってねぇつーの!」

 

 と言いながら彼が視線を切ったとき、少しだけ口元が緩んだように見えた。

 それがなにを示しているのか考えていると、遠くから君月のため息が聞こえてくる。

 

「ったく、俺たちだけで十分だっての」

「はは。そう言いながら君月くんも安心してそうだね」

「はあ!? 全然安心してねーし!」

 

 なんだか気恥ずかしくなってきた。

 安心、してくれたんだ。恥ずかしいけど、なんか力湧いてくるわ。

 その時、シノアが敵から視線を逸らさないまま手に持った鎌で地面を小突き、隊員全員の集中力を砥ぐ。

 

「さあ、一先ずお話はそこまで。心強い大尉も来てくれたことですし、やりましょうか。六対六ですが、このメンバーなら勝てるでしょう。ねえ、みっちゃん」

「ああ、どうやら二級武装の吸血鬼しかいないようだからな」

 

 三葉も鬼呪装備を発現し、目の前の敵に対して構えた。

 状況はとてもシンプル。ただ目の前の吸血鬼は全力で殺せばいいだけ。決着が早ければ早い程、戦況は一変する。

 援護するか、援護されるか。

 とても単純でとても大事な場面。まあ、こんなとこで殺されるようなら端から殲滅部隊なんて向いてなかったってことだ。

 俺は刀の峰で自身の肩を叩きながら、大尉らしく声を上げる。

 

「ほんじゃまあ、行きま━━」

「吸血鬼ぶっ殺すッッ!!」

 

 百夜が勢いよく飛び出す。

 鳴り響く金属音、それがそれぞれの殺し合いの引き金を引いた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 人間も吸血鬼も一緒くたに叫んで目の前の相手に突っ込んでいく。

 

「くそっ! 俺が唯一輝く場所だってのに!」

「はッ! だせぇな化け物ッ!」

「ああ!? てめぇあの時のッ!」

 

 俺が対する相手は少年を助けた時にいた若い男の吸血鬼だった。

 

「いねぇとか言っといてやっぱ仲間いたんじゃねぇかよッッ!!」

 

 苛立ちを籠めながら振り下ろされる剣を、紙一重で姿勢を低くして横に避ける。

 

「初対面以上仲間未満だ馬鹿野郎ッッ!!」

 

 俺はガラ空きの奴の首元へ刃を振り上げる。

 

「ただの知り合いじゃねぇか……ッ!」

 

 しかし、奴は苦しい顔をしながらも身を翻して躱した。

 

「んにゃろ!」

「家畜風情がッ!」

 

 周りとは一線を画した、刃と刃の交えない剣戟が始まる。

 斬る、避ける、避ける、斬る、斬る、避ける。

 牽制し合った最小の攻撃と最大の防御。お互い鍔迫り合いは心底嫌いらしい。

 

「おいおい! 力に随分自信がねぇみてぇだな吸血鬼さんよぉぉ!!」

「黙れやッ!! こちとら目の前で剣叩き折られてんだよッ!」

「この際一本も二本ももう変わんねぇだろうがッ! ……ッ!?」

 

 吸血鬼の鋭い突きが頬を掠める。

 油断した。たかが二級武装、それでも身体能力の差は大きい。

 だったら、

 

「あああああああああああああああああああッッ!!」

 

 その差は想いで埋めろ。

 譲れない約束で燃やし尽くせ。

 

「甘いんだよ家畜がッ!!」

「ッ!?」

 

 一閃の速度が上がり、俺の左肩を抉るように切った。

 

「見ろよ……ッ! 力の差なんて歴然なんだよッッ!!」

 

 痛みよりもまず感じたのは怒り。

 こっちがどれほどの想いで刀を握ってると思ってやがる。

 どれほどの命背負ってると思っていやがる。

 

「上等じゃねぇか……ッ! いいぜとことんやってやるよカス野郎ぉぉおおッッ!!」

 

(━━みんなを助けてください……ッ!!)

 

 思い出せ、少女の願いを。

 

(━━ぼくはみんなと笑っていたいんだ……ッ!)

 

 思い出せ、少年の涙を。

 

(━━稜花、おまえはやればできる奴だ。兄貴の俺が言うんだから間違いない)

 

 いままでのありったけの感情(きおく)を詰め込んで、叩き斬れ━━ッッ!!

 

「な……にぃッ!?」

 

 全身全霊の一閃が奴の左肩を切り裂く。

 

「これで相子だクソ野郎ォォォオオッッ!!」

「調子乗ってんじゃねぇよ家畜ゥゥゥウウッッ!!」

 

 そして再び、一滴の血を浴びるために千の(くう)を切り刻む。

 

『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!』

 

「一人撃破ッ!!」

 

 そのとき、後方から感情に身を任せた三葉の声が響く。

 

「一歩下がれ早乙女ッ!」

「うん……ッ!」

 

 間髪入れず彼女は苦戦する早乙女の援護に回った。

 

「交代だ優ッ!!」

「君月ッ!!」

 

 相性の悪い相手を交換する二人。

 

「しーちゃんッッ!!」

 

 惜しげも無く全力で鬼の力を開放するシノア。

 誰一人として怯むことなく、躊躇することなく最善の一手を行使していた。

 久しぶりだ、戦場で人間の声を聞くのは。

 

「全員負けんなぁあああああああああッッ!!」

 

 溜まらず叫んだ。背中越しに感じるあいつらに、何より自分自身に向かって。

 振り切る刀に力が籠る。更に速度を増した刃が吸血鬼の二の腕を深く切った。

 

『━━ッ!!』

 

 視線が交差する。

 その瞬間、俺たちは初めて刃を衝突させた。

 

「死ねぇええええええええええええええええええええええええええッッ!!」

「舐めるなァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 その衝撃は爆風を起こしながらジリジリと空間を揺らす。

 手を痺らせてる暇なんてない。

 退く意味も無い。

 負ける理由はもっと無い。

 振れ、振れ、振り続けろ━━ッ!

 

「あああああああああああああああ━━ッッ!!」

「おおおおおおおおおおおおおおお━━ッッ!!」

 

 激突する度に吹き飛びそうになるぐらいの風が暴れる。

 轟音を上げながら地面が、壁が割れた。

 

「二人目ェェェェッッ!!!」

「俺の方が先だ君月ィィぃイイッ!!」

「バカ優ッ! 俺の方がどうみても早かっただろうがぁぁぁああああ!!」

「どうでもいいから早く私を助けて下さぁぁぁいッッ!!」

「こっちも終わったよみんな……ッッ!」

「このまま一気に終わらせるぞッ!!」

 

 その一声一声がとてつもなく力をくれる。

 苛烈さを増す剣戟の中で、あいつらのことが羨ましいと思った。

 そしてそれは、熱く燃え滾る心の中に冷静という燃料を投げ込む。

 眼前に迫る大気を切り裂ような疾風の一撃を前に、俺の心は肉体を半歩後ろに引っ張った。

 

「……ッ!!」

 

 空を切る剣と驚愕する吸血鬼。

 飛来した絶対の隙を前に、もう意識せずとも全身が最高の一瞬で動き出し、

 

 ああ、わかるぞ。これは自分で思っていても恥ずかしくないくらいの、

 

 ━━喜びなさい、

 

 至高の刹那を以て、奴の腹部を両断した。

 

 ━━その一刀は今迄で一番美しいわ。

 

「やっぱ……化け……物じゃんか……ッ!」

 

 その声が気配と共に灰となって消失する。

 

 終わった。

 

 その直後、身体中が一気に重くなった。刀を地面に突き刺し、倒れそうになるのを必死に堪える。

 その最中、頭上の岩肌がミシミシと亀裂を伸ばして崩壊する。

 

 ━━檻が壊れるわ。

 

 崩れていく天井が穴を空け、屈するかのように日の光を通していく。

 

 この薄暗く、笑顔の消えた世界を初めて覆った空は、

 

 透き通るような澄んだ色をしていた。  

 

 

 

    ★    ★    ★    ★

 

 

 

「あー、疲れた……」

「おいおい、一番の上官が一番に疲弊してどーすんだよ」

 

 俺を背におぶって歩く君月くんが溜め息交じりにぼやく。

 

「いやいや、見てたでしょ君月くん。俺のあの鬼神の如き戦い振り」

「確かに凄かった。でも、二級武装相手だろ?」

「まぁねー」

 

 多くの人間を救えたというのに彼は意気消沈気味だった。

 目の前に地上への階段が見えてくる。降りようかと思ったけど、君月くんはおぶったまま一段一段丁寧に進んでくれた。

 

「シノアと三葉から聞いた。おまえはたった一人で一級武装、しかも貴族と渡り合ったって。でも、正直━━」

「強そうに見えなかった?」

「……失礼ですけど」

 

 安定しない口調はきっと、不信感の表れだと思った。

 でも、それを抱いているのは彼だけじゃないのを知ってる。日本帝鬼軍の中の大半は君月くんと同じ気持ちだろう。

 でも不意に、別に気にしたことなんてなかったのに、彼には信じて欲しいと思った。そう思ったのは多分、この背中に兄貴の面影を感じた部分も多い気がする。

 

「長い話だけど聞く?」

「ああ」

 

 彼がそう返事をしたから、俺はいままで自分からは誰にも言わなかった話をする。

 

 

「幼い頃、目の前に転がってた女性の死体に口づけしたことがあったんだ」

 

 

「…………」

 

 君月くんの足が止まった。

 本能が胸の辺りに迸る痛みを誤魔化すかのように、俺はいつの間にか笑っていた。

 

「あはは、ひどーい……。知りたいっていうから教えたのに引くなんてー、降ーろーせーよー!」

 

 言いながら軽く暴れてみる。しかし、

 

「あぁぁ!? 引いてねぇーしッ! そんなヤワじゃねぇしッッ!!」

 

 君月くんは決して俺を降ろそうとしなかった。

 

「本当にー?」

「マジだマジ! 引いちゃいねぇ、引いちゃいねぇけど」

「いないけど?」

 

 訊くと、彼は身体に力を入れて俺を背負い直し、

 

「生半可な気持ちで聞くべきじゃないと思いました」

 

 そう言ってくれた。

 あはは、温けぇ。

 君月くんは何事も無かったように歩みを再開し、俺たちは地上の光に出迎えられた。そこで彼はもう一度足を止める。

 

「あの、着いたんすけど」

「え」

「地上。着いたら降ろすって言いましたよね?」

「…………君月、ごめん」

「なんすか?」

 

 俺は意を決して、もう一つの秘密を吐露する。

 

「お漏らししてしまいました」

「はぁあああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 絶叫する君月くんの背中を、冗談だと笑いながら飛び降りる。服を脱ぎ捨てて確かめる彼に背を向けて、俺は空を仰いだ。

 気分が良い。光がこんなに温かいなんて感じたこともなかった。

 

「……稜花」

 

 呼ばれて向くと、俺の隣にポツンとちっこい金髪ツインテールの女が凄く重く苦しそうな表情をして立っていた。

 

 ━━深刻そうね。……もしかして……できちゃった?

 

 え。

 

 脳がフル回転を始める。

 

 待て待て待て待て待て待て待て。相手は誰だ?

 百夜か? 待て、あんな我の塊を三葉が気に入るはずない。なら、君月? 女なんて興味ねぇよみたいな雰囲気出しといてやる時はやる奴なのか? もしかして大穴の早乙女? 無害そうな顔して夜はオラオラ系なの? ありえないありえないぞぉぉおおお!

 

「━━ッ!」

 

 散々に精査した脳は驚愕の予測を弾き出す。

 まさか、

 まさか、てめぇかシノアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

「ちょ、ちょっと! 稜さんが怖い顔でこっちを睨んでます!」

「わわ……ほんとだ……! 僕怖いよ、優くん……」

「あ? あんなんでビビってんじゃねぇよ。ほら、君月を見習え。睨み返してんぞ」

「糞大尉がぁ……。クソじゃねぇ、糞だ……」

 

 う、うるせぇ寝取り共が。

 付き合ってないから厳密にはそうじゃないけど、俺たちが仲良いの知ってるじゃんか少しは遠慮しろや……。

 

「稜花……、ちゃんとこっち見てよ……」

「へ……?」

 

 そんな甘えた声で言われても、まともに見られないんですけどぉぉぉぉぉおおおおお。

 

「ど、どうした三葉……」

 

 重心を後ろにして恐る恐る尋ねると、彼女は下唇を強く噛み、勢いよく頭を下げる。

 

「すみませんでした……! あたしの力不足で大尉の手を煩わせてしまい……!」

「ち、力不足で俺の手を!? 俺はなにもヤッてねぇぞ!?」

「あたしがもっとしっかりとしていればこんなことには……!」

「しっかりとスる!? なにを!? ナニをスるの!?」

 

 慌てふためいていると、彼女は困惑した表情でゆっくりと頭を上げる。

 

「ん? あ、あの上手く伝わってない気がするのですが、吸血鬼に殺されそうになったあたしの為に、大尉を危険な場所へ飛び込ませてしまって申し訳ないと」

「んだよ、そういうことかよ驚かせんなぶっ飛ばすぞ」

「す、すみません……!!」

 

 そう叫んだ三葉は、目を強く閉ざしてぶっ飛ばされるのを待ち始める。

 安堵とその生真面目さに俺は思わず笑みが零れた。

 

「……目を開けろ三宮」

 

 三葉は警戒しながらゆっくりと目を開ける。

 その姿すら愛くるしくて、手が勝手に彼女の頭へ伸びた。

 

「ん……」

 

 三葉はくすぐったそうに顔をしかめるけど、振り払うようなことはしなかった。

 

「確証のない情報をそのまま鵜呑みにしたのはいただけないが、自分の命で仲間を守るあの時のおまえの判断は間違ってないよ。大尉として、あの瞬間のおまえを俺は評価する」

「はい、ありがとうございます……」

 

 それから俺は「でも」と続けて、彼女の身体を引き寄せて抱きしめる。

 

「にゃ……!? な……な……!?」

「藜稜花としては、その判断を全力で否定する。おまえにはどんな犠牲を払ってでも生きていてほしい」

「ま、待って稜花……!」

 

 離れようと強く抵抗する彼女を、それよりも強い力で征服して、

 

「三葉が生きててよかった」

 

 ありのままの気持ちを伝えた。

 

「りょ……か……」

 

 三葉の力が弱くなっていく。

 そして、身を委ねるようにゆっくりと手が下りていく。

 

 許されたと思った。

 すると、いままで気にならなかった彼女の髪から漂う甘い香りと、制服の隙間から覗く白い肌が異様に艶やかで美しく感じた。

 

 心臓の鼓動が一際大きく跳ねる。

 

 その瞬間、彼女の腰に回した左腕と、

 

 金色の髪に添えた右手が、

 

 桜色の炎で焼かれ始めた。

 

「あらー? こんな往来でお熱い抱擁ですかー?」

「━━ふぅんぬッ!」

「ぐへぇっ!?」

 

 こじ開けるようにシノアの囁きが聞こえ、三葉は咄嗟に飛び跳ねて俺の顔面に頭突きする。俺の身体が後ろへよろけて離れていく。

 

「ばばばばばばばばばかかぁぁああああ……ッッ!!」

 

 頭を抱える俺に向かって三葉は顔を真っ赤にして叫び、ドカドカとどこかへ歩き去っていく。

 

「痛ぁぁぁ……」

「あははは、すごい音しましたね」

「おまえのせいだろうが……」

 

 あー、まだくらくらする。

 視界のおぼつかない中、右腕を誰かに掴まれる感触がした。見ると、シノアが鋭い眼差しで俺の制服の袖を捲り上げる。現れたのは傷一つない綺麗な肌だけ。

 

「さっき、燃えてましたよね?」

 

 俺は彼女の手を軽く叩いて引き離す。

 

「見られてたか」

「ええ、ばっちり」

 

 捲り上げられた袖を直している間も彼女は俺の腕から視線を動かさなかった。

 

「ずっと考えていました。三年前、貴族と戦っておきながらどうしてあなただけが生き残れたのか」

「……その答えは見つかったかよ」

「いえ。……でも、その片鱗を垣間見た気がします」

 

 シノアの読みは正解だった。

 あの炎こそが俺の根幹。生き残った術であり、生まれつき持った呪いでもある。

 

「稜さん、あなたは━━」

 

「大尉ぃぃいいいいいッ!」

 

 シノアがなにかを言い掛けた時、遠くから少年を連れて走ってくる二等兵の男の声が割り込んでくる。晴れ晴れとした爽やかな笑顔で手を振ってきた。

 なんだかそれが嬉しくて、俺も大きく手を振り返す。 

 

「おーっす! あんまほいほい外出ると危ねぇぞー!」

 

 すると、光に反射した水の粒と共に俺の横を一人の女性が走り抜けた。

 

「健……ッ!」

「お母さん……ッ! お母さん……ッ!」

 

 少年が二等兵の手を放し、必死に彼女に向かって走る。そして、力いっぱい互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合った。

 

「本当に……! 生きてて良かった……!」

「うぅぅぅ……!」

 

 涙を堪えようとする少年と目が合う。俺は親指を立てた右手を突き出し、安心させるように笑顔を作る。

 そのとき、糸が切れたように少年がボロボロと大粒の涙を流し始めた。

 

「なるほどー、稜さんはあの子の為にここへ来たんですね」

「まあ、そんなとこだな」

 

 厳密にはもう一人いるんだが。と、俺は百夜たちの輪に入って、泣きながらなにかを訴える少女を見つめる。

 立て続けに無邪気な感情を見せられると、さっき抱いた俺の感情は邪気に満ち溢れていると嫌でも自覚してしまう。

 

「おまえは昨日、俺のことが羨ましいって言ってたけどさ」

「はい」

「あの時は嬉しくてその気になってたんだけど、しっかりと深く考えればあんな良いものじゃねぇわ」

 

 金色に引き立てられた綺麗な横顔を見て思う。

 俺は心底あいつのことが好きだ。

 でも、あの時、両手が桜に燃えたあの瞬間に俺は、

 

 あいつの身も心も陵辱したい思っていた。

 

 シノアはゆっくりと視線を下ろす。

 

「そうですか……。残念です」

「ああ。おまえは出逢えるといいな、そういう奴に」

「はい……」

 

 彼女はそれだけ言って、俺に背を向けて隊員たちの輪へと向かっていく。

 きっとあいつは、薄々勘付いていたんだと思う。それでも俺に、そうであることを強制させようとしていたのかもしれない。

 

 藜稜花は三宮三葉を純粋に愛してる、と。

 

 ほら、見ろ。さっきまであんなに澄んでいた空が色褪せて見えてきた。

 

「大尉、どうしたんすか空なんて眺めて」

 

 少年の母親と話をしていた二等兵がやって来る。

 

「いや、本当に俺には誰もいないなって思って」

 

 顔も見ず、俺は素直に心情を吐き出した。

 

 

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