第五話
≪緊急警報! 緊急警報! 吸血鬼たちの襲撃がありました!≫
喧々囂々としたサイレンに包まれた深い夜の新宿の街は激越な戦場と化していた。
天空を吸血鬼が操縦する回転翼航空機が飛び交い、それ目掛けて人間が量産型鬼呪装備の矢を放つ。地上でも吸血鬼と人間が刃を交差させながら殺し合っていた。
≪兵士のみなさんは西へ! 吸血鬼の軍勢が押し寄せてきています!≫
耳がその声をはっきりと拾う。
西だ。
西に行けば、三葉に逢える。
「ひ……ひぃぃぃ……ッ! ば、化け物だ……ッ!」
俺を見る隊員の男がなぜか悲鳴を上げて腰を抜かした。
こんなところで腰抜かしてんじゃねぇよ危ねぇだろ。
「く、来るなぁぁぁ……!」
男は酷く怯えながら、地を這って俺から離れていく。
待て行くな、そっちは。
「いあ━━」
その瞬間、男がいた場所にミサイルが降り注いだ。
爆発音と爆風を放ちながら、地面が黒い煙を天まで伸ばす。一拍遅れて、俺の足元に所有者を失った片腕が転がってきた。
拾おうと伸ばした手は桜色の炎に包まれている。
手だけじゃない、足も胴体も顔も、煩わしい程に絡みついていた。
「ぁぁ……ぁぁ……三葉ぁぁ……!」
焼けていく自我の中で、あいつへの想いだけが俺を人間たらしめていた。
早くあいつに逢わなければ、俺は俺じゃなくなる。
三葉、
「三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉三葉━━ッッ!!」
どこにいる━━ッ!
そのとき、指し示すかのように遠くで爆発が起きた。
ミサイルとは別のなにか。
きっとあそこだ。あそこにいるんだ。
「ミツバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
★ ★ ★ ★
新宿五丁目、交差点。
闇夜の中、日本帝鬼軍の中佐である一瀬グレンは仲間たちと共に吸血鬼の殲滅に勤しんでいた。
「てめぇ強いなおい」
「……そう? キミは強くないね」
相手は金髪碧眼の一級武装所持者。故に簡単に倒されてはくれない。
「んじゃ━━」
「ッ!!」
グレンは足に力を籠めて一瞬で奴との間合いを詰め、呪術で造られた起爆符を彼の顔面に張りつける。
「━━ちょっと、本気出すわ」
刹那、起爆符が轟音を響かせて爆裂した。
視界を覆う煙が風に連れ去られる。
晴れた世界に奴の死体が残っていてほしかった。しかし、そこにいたのは傷一つない吸血鬼の姿だけ。
「……いまの避けんのかよアホ」
「爆発が遅い。それにあんな古い呪術が吸血鬼に通用するとでも?」
「はぁー、たまん……ねぇ……ッ!?」
そのとき、グレンは頭上から強い何かを感じた。その方向を見ると、こちらを見下ろしながら不敵な笑みを浮かべる長髪の吸血鬼が立っている。
しかし、こいつじゃない。
吸血鬼よりも格別に質の悪いなにかが━━、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
『ッッ!!?』
天から響く人間のものとは思えない絶叫が、グレンとその周りにいる生物すべての動きを止めた。戦うことを忘れ、視線を注ぐ。
まず捉えたのは、桜色。
屍の上に咲くといわれる花弁と同じ色。
それは次第にこちらへと近づいていき、次に映ったのは炎。
桜色をした高濃度の炎が咲き誇っていた。
万物を焼き尽くす炎が落下してくる。そう認識していながら、誰一人としてその場を動こうとしない。
「あれ、このままだとみんな死ぬね」
『━━ッッ!!』
長髪の吸血鬼━━フェリド・バートリーが可笑しそうに呟いた瞬間、全員の思考が廻りだす。
「全員退避しろッッ!!」
グレンがそう叫んだ直後、桜ノ焔が戦場の中心に衝突する。
起爆符の比にならない程の大爆発を巻き起こし、辺り一面を漆黒の煙が覆った。
「ぐ……ッ!」
グレンは発せられた爆風に吹き飛ばされ、地面を何度も転がっていく。
「グレン様……ッ!」
彼のチームメイトである花依小百合が地に伏せるグレンの身体を支え起こす。遅れて、残りの仲間たちが痛めた身体を抑えながら、彼の周りへと集結していく。
眼前に広がった燃え盛る桜色の世界を前に、十条美十が目を見開いて驚愕する。
「な、なんなのよこれ……」
地面はおろか廃れたビルにまでその炎は燃え移り、そこから飛び回る火花は花弁のように宙を漂い続ける。その幻想的な光景は、燃えるというより咲くといった方が正しいのかもしれない。
「グレン様……これはいったい……」
いまだ思考が追い付かない雪見時雨が無意識にグレンに助けを求めた。
グレンは重い腰に鞭打ってゆっくりと立ち上がり、その炎の奥を見据える。
微かに見える人の影。彼はそれが何者であるかを知っている。
「五子、幻術で女どもを隠せるか」
「あ? なんでそんなこと……」
「早くしろッ!」
グレンはその人影から一切目を逸らさずに命じる。
尋常ではない様子に戸惑いながら、五子典人は自身の鬼呪装備で幻術の展開を試みる。しかし、結果はグレンが望むようなものではなかった。
「無理だ。鬼の力が充満しまくってて上手く作用しない」
「ちっ! やっぱそうか……」
「はあ!? これって鬼の力なの!? ありえないわよこんな……ち、から……」
美十が言いながらなにかに勘付いた様子を浮かべる。この時ばかりはグレンは彼女の鋭さを呪った。
そして美十の勘は仲間たちへと伝染していき、
「藜大尉、ですか……?」
小百合がグレンを真っ直ぐと見つめて告げた。
彼はそこですぐにそうだと返事はできない。そうしてしまえば、奴の正体が露見してしまう。それだけは絶対に避けたかった。
『グレン……!』
『グレン様……!』
しかし、ここまで見られてしまったなら意味なんて無いのかもしれない。
「だぁー! そうだよ! あいつだ、藜稜花だ!」
グレンは半ば投げやりになりながらこの惨状を齎した桜の名を呼ぶ。
「……とことん生意気なガキね」
「おまえは結構気に掛けてたもんな、美十」
「はああ!? そんなんじゃないわよッ! ただ書類仕事もまともにできないから教えてやってただけよ! じゃなきゃ溜めに溜めるんだからあのバカッ!」
「はははは! それは俺も知ってる」
特にあいつが大尉になって一年目は大変だったと、思い出すだけで自然と笑えた。
そして同時に刀を握る手にも力が入る。
あんな小さかったガキが、いまは眼前で迷惑なほどに大きな存在となっている。このまま放置してしまったら、あの長髪の吸血鬼以外は全員焼け死ぬ。
そう確信を以てグレンは刃を構えた。
桜ノ焔に呪われた奴が苦しそうに前傾姿勢でゆっくりと近づいてくる。
一歩一歩、地を踏みつける度に風と熱気が放たれる。
その犯された空気を浴びるだけでグレンたちは激しい悪寒に包まれた。
「五士、女組の顔ぐらいは隠せねぇか?」
「それくらいならできるけどよぉ、なんで女組なんだ?」
「あいつは女相手には無敵だ」
「なんだそのナンバーワンホストみたいなやつ」
うだうだ言いながら五士が煙管を吹かして幻術を展開したことを確認し、グレンは再び目の前を━━、
「話は終わったの?」
金髪の吸血鬼━━百夜ミカエラが迫る。
まさに間一髪、グレンは奴の剣を刀で受け止めた。
「バカか! いまは俺よりあっちが先だろうが……ッ!」
「結局殺すんだから関係ないよ」
「……はぁ」
無表情で吐き捨てる彼にグレンは少し呆れる。
第三の勢力が加わった乱戦の中では優先順位を瞬時に判断し定め、その上で不用意に突貫していかないことが基本。それすらわからないまま、戦場に立っていたというのか。
次第にグレンは呆れを超えて笑い始めた。
「ははっ! わかんねぇなら教えてやるよ!」
「……何を言っている?」
それはこっちのセリフだ。
もういるぞ後ろに━━桜の鬼が。
「その髪色、あいつの好きな女の髪にそっくりだ」
文字通り音も無く、鬼が奴の背後で桜色に輝く刀を振り下ろす。
それなのに、まだこの吸血鬼は気づかない。刻一刻と自分の命が焼き尽くされていることを。
「━━ミカちゃん、これは貸し三つくらいかなー」
稲妻かと感じる程の激しい音を立てて、フェリドと桜鬼の刃が交差する。
「ッッ!!」
その音にミカエラは目を見開きながら振り返る。
そこでようやく奴は、自身が死の間際に立っていたことを自覚したらしい。
「ミツバじゃ、ナい……ッッ!!」
「誰それ」
「アアアアアアアアアアアアアア━━ッッ!!」
獣のような叫び声に、桜ノ炎が意志を宿しているかのように伸びる。そして荒れ狂う波が如く、長髪の吸血鬼を飲み込まんとした。
目と鼻の先にいたグレンだからこそ認識できた、フェリドの額を流れる一筋の汗。熱気で流すには今更過ぎる。
勝てるのか━━?
「うるさい」
凍てつくような酷く冷たい声が聞こえた。
その直後、鼓動のように空間が振動する。
見れば、フェリドの右手が桜ノ鬼の腹部に深くめり込んでいた。
「ガァ……ッ!!?」
そして、鬼は血反吐を吐き零しながら、まるで弾丸のように後方に吹き飛ばされる。
目の前に聳え立っていたビルを貫き、そのまま視認できない距離まで。
「あちちちちぃ……。火傷しちゃったよ、それもかなり治りの遅いやつ」
フェリドが悲しげな表情で自身の右手を撫でる。
ただそれだけだった。
それだけで済んでいた。
見ろよ、こんだけのことやってんだぞ。
アスファルトの地面にすら咲いて、ビルが原型を留めなくなるまで焼き溶かしてんだよ。吸血鬼だってこの短時間で三十は灰にしてる。
それなのに、
それなのにこいつは、
「ッ!」
言い表せられない程の怪物に気を取られていた隙を突かれ、グレンはミカエラに刀を弾き飛ばされた。
「くっそ……」
グレンは自身の死を確信する。
しかしその時、心のどこかで待ち望んでいた援軍の声が響き渡る。
「グレン!!」
手塩にかけて育てた期待の新人、百夜優一郎の声が。遠くから駆け寄ってくる新設部隊のガキたちが。
だが、それよりも先に目の前の死神が囁き、
「死ね」
一瀬グレンの胸を無慈悲に剣が貫いた。
★ ★ ★ ★
「グレン!!」
黒煙覆う月下、三宮三葉属するシノア隊は、危機に瀕する一瀬グレンを確認した。
鬼呪促進剤を服用し、一気に距離を詰める。
しかし、戦地に近づくにつれて、彼女の意識は他へと深く奪われていく。
桜色の炎。
幻想の産物にしか見えないソレを目撃した三葉には、目の前で貫かれている上官の姿などよくできた絵画程度にしか認識できなかった。
「なんだ、これは……」
彼女が驚愕した理由、それは初めて目にした感動ではなく、その炎から発せられる既視感から。
知っている。なぜかはわからない。
しかし、私はこの炎が誰かを知っている。
「━━ッ!」
三葉はその小さな身体を大きく振りながら、その”誰か”を必死で探した。目の前で悉く変化する戦況には目もくれずに。
会わなきゃいけない。
見つけなきゃいけない。
ただ漠然とした感情に一生懸命になれた。
なぜなら彼女の瞳には、この咲き乱れる炎が苦しんでいるように見えていたから。
「みっちゃんッッ!!」
「ッッ!!?」
怒号に似た声が三葉の意識を引き戻す。
彼女の視界に広がっていたのは、四人の吸血鬼貴族とその兵士たち。そして、武器を構えた仲間たちと手負いのグレン中佐。
完全に三葉は取り残されていた。
「じゃあ、吸血鬼殲滅部隊家畜化計画を始めようか」
長髪の吸血鬼貴族が笑う。
その瞬間、三葉の全身が恐怖と寒気に浸かっていく。そこでようやくスイッチが入り、彼女は自身の鬼呪装備を顕現させた。
身の丈程もある大斧。その切っ先が定めたのは、青い髪をした女性貴族。肩につくくらいの髪をしたその吸血鬼は、レイピア型の一級装備を携えて不敵に微笑んでいた。
「戦うな……時間を掛けすぎた。新宿は捨てる……総員離脱態勢ッ!」
そのとき、上官であるグレンの声が響く。
条件反射で三葉の重心が後ろに下がる。しかし、それを百夜優一郎の声が邪魔をした。
「ちょっと待ってくれ……! 向こうにはミカが……! 俺の家族がいるんだ……!」
取り残されていた三葉には彼の言葉が一ミリも理解できない。
「じゃあここで皆殺しにされればいいってのか……?」
「それは……」
何かに苦悩する優。
なにもわからない状況に置かれ、三葉は再び探してしまいそうになる。その度に自制を繰り返して首を振る。
ここにはいない。
きっとどこか遠くにいるはずだ。
ならば、大丈夫だ。ここよりも危険な場所なんてありはしない。
「……わかった」
想いを殺して優はそう告げる。
「総員ッ! 陣形を崩さずに新宿城壁内まで退がれッッ!!」
銃声のようにグレンの声が響き渡る。と同時に、三葉たちシノアたちは後方へと大地を蹴り飛ばした。
しかし、
「逃がさないよ」
それよりも速く、フェリド・バートリーが回り込んでくる。
「構うな走れ……ッッ!!」
グレンが叫び、奴に向かって刀を振るう。
臆して緩んだ足に再び力が入った。
上官の一閃を悠然と避けるフェリドの横を突き抜ける。
だが、またしても、
「ダーメ」
フェリドが眼前のグレンの腹を蹴り飛ばし、左腕を伸ばしてその先にいた優の肩を掴んだ。
「ますはキミから━━」
瞬間、彼の左腕が宙に舞う。
吹き踊る血液の雨。金髪の吸血鬼━━百夜ミカエラは自身が切り飛ばした腕なんてしがにもかけず、一直線に優の元へ駆けつけた。
「僕と一緒に逃げよう優ちゃん……!」
「ミ、ミカ……! ちょっと待━━」
ミカエラが有無を言わさずに優を抱き抱え、陣形から外れていく。
「優さん……!」
「余所見、してていいのかしら?」
『ッッ!!』
連れ去られる仲間の名を叫ぶシノアの死角から、遥か後方にいたはずの女性貴族が現れる。彼女は涼しく微笑み、その手に持ったランスをシノア目掛けて突き立てる。
「くそが……ッ!」
白銀の突撃槍がシノアの腹部を貫く寸前、君月士方の双剣が此れを防ぐ。
「君━━」
「じゃあ、私はこっち♪」
三葉の背後で楽しそうな声が鳴る。
振り向いた彼女の脇腹を強烈な左足の一撃が襲う。
「あが……ッ!?」
三葉は身体を湾曲させ、地面に何度も打ち付けながら吹き飛ばされていく。
陣形は完全崩壊。残るシノアと早乙女与一も敵に囲まれてしまった。
なら、戦うしかない。
万が一の可能性を掴むしかない。
彼女は土塗れの身体でゆっくりと立ち上がりながら、そう決心する。
対するは先程の吸血鬼━━チェス・ベル。
レイピアを抜き、空いた片方の手指を傍らで燃え盛る桜ノ炎へと伸ばす。そして焼け焦げた指先を濃艶な瞳で見つめ、舐める。
「あはぁ、いま私とっても気分が良いから、徹底的に遊んであげるぅ」
「……気安く
三葉は目の前で行われたその、彼の苦しみを助長するかのような行為に酷く苛ついた。
━━それは私のものだ。
「ッ!?」
不意に咲いた自身の思考に困惑する。
「ははっ! これが誰だかあんたにもわかるんだぁ!」
チェスが腹を抱えて笑う。
彼女の言葉から、この至る所に咲き誇る桜ノ炎から、その答えが導かれるまでそう時間は掛からない。
こいつだ。
この吸血鬼が、三年前、藜稜花を英雄へと変貌させた存在なのだ。
「……でも、ダメぇ。あいつは私のものだから」
「……ッ」
彼女から発せられる圧力が増していく。
表情は笑顔でも、赤く光る双眸が怒りに堕ちている。
三葉は大斧を握る手に力を籠めた。
━━この戦いに三宮三葉は勝てない。
敗因は二つ。
一つ目は身体能力の差。同じ女であれど、人間と吸血鬼とでは天と地ほどに開いてしまっている。戦闘慣れをした三葉だとしても、その差は埋められない。
しかし、それだけなら万に一つは可能性があった。
それを潰したのが二つ目、集中力の欠落である。
生死を懸けた瞬間を前にしても、視界の端々に咲く桜にちらつく”あの男”の影を拭えていない。
それは相手にしても同義だが、同じ土俵の上に立ってしまえば意味はない。
━━故に、この戦いに三宮三葉は勝てない。