狂騒の花束   作:YOTUYA

6 / 6
第六話

 

 

 二年前。

 日の光が近い夏のある日。

 

「三葉、俺の弟に会ってくれないか?」

「弟? 蓮隊長にはご兄弟がいらしたのですか?」

 

 軍人で賑わう昼時の食堂で三宮三葉は、向かいに座る分隊長━━藜蓮にそんなことを言われた。

 上官の頼みなら二つ返事で了承するのだが、初めて耳にする情報に彼女はつい食事の手を止めて訊き返してしまう。

 その返事は予想してなかったのか、目の前の彼は目をパチクリさせ、吹き出すように笑った。

 

「あー、そうかそうか! おまえには言ってなかったか!」

「…………」

 

 三葉は無意識に口を尖がらせる。 

 藜蓮に尊敬以上の感情を抱いていた彼女にとって、彼に関して知らないことがあるのは面白くなかった。更には目の前でこんなに悪気ない笑顔を見せられれば、尚更気分は悪くなる。

 

「はははは! そうなんだ実は俺には弟がいてな。ちょうどおまえと同い年だ」

「へぇー、そうなんですかー」

「稜花っていうんだが、こいつがまた手の掛かる……どした、三葉? 笑顔が怖いぞ」 

「いえ、別に」

 

 三葉はそう言ってスープを一口、スプーンで掬って飲む。

 そしてすぐに、上官に向かってする態度ではなかったと冷静になった。

 

「す、すいません……! なんと失礼な態度を……!」

「あ、いいっていいって。こっちこそ悪かったな、別に秘密にしてたわけじゃなかったんだが」

「い、いえ……」

「…………」

 

 彼の申し訳なさそうな表情と視線が三葉の心を絞めつける。耐え兼ねた彼女は強引に話を戻した。

 

「で、で! その弟さんと会ってほしいというのは!」

「ん、あ、ああ……。実は俺の弟が一昨日除隊処分になったんだ」

「除隊処分、ですか……それはまた」

 

 やらかしましたね、と続けようとした三葉は堪えた。

 なにも、やらかしただけが除隊の理由ではない。ましてやこんな素晴らしい方の弟だ、なにか他の理由があるのだろう。

 

「12歳で殲滅部隊に配属されるくらいには腕も才能もあるんだが、仲間との付き合いがこれっぽっちもダメでな」

「あー、それはまた致命的な」

「だろ? 特に初対面の人が相手だと妙に大人しくなる」

 

 チームプレイが基本な我々殲滅部隊にとって、それはあまりにも大きな問題だ。確かな信頼関係が無ければ背中なんて預けられないのだから。

 

「だから、三葉にはあいつの仲間になってほしいんだ」

「仲間、ですか……。……わかりました、蓮隊長の頼みとあれば断る理由はありません」

「お、サンキュー!」

 

 彼は満面の笑みで嬉しそうに炒飯を頬張る。

 任務中の鋭く厳しい姿とは真逆な無邪気さについ三葉は顔を緩ませ、見惚れた。

 蓮隊長の部隊に入ってようやく一年。何度厳しい言葉で彼に泣かされたことだろう。それでも任務が終わればこうして笑顔で側にいてくれる。

 その度に自覚する。

 

 ━━ああ、あたしは心底あなたのことが好きだ。

 

「よし! なら、明日会おう!」

「明日ですか? でも、明日は任務が」

「おう、任務を終わらせた後に三人でどっか飯でも食いに行こうぜ」

 

 彼は口元に米粒をつけて笑う。

 

 

 これが、三宮三葉が見た藜蓮の最後の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

「がは……ッ!!」

 

 砲弾のような右脛の一撃が三宮三葉の腹部を抉り、彼女を現在へと引き摺り降ろす。

 鈍重な衝撃が身体中に迸り、大斧は手から抜け落ち、吹き飛ぶこともできずに地に伏せて悶えた。

 

「あが……ぁぁ……ぉえ……!」

「あはははっ! さすがにもう無理かぁ!」

 

 チェス・ベルが足元の斧を蹴り飛ばし、馬乗りになって三葉の上へとのしかかる。

 体力の限界、三葉には抵抗する力すら残っていなかった。

 それでも、ケラケラと笑う吸血鬼の顔を、見上げたままじっとすることはできない。

 

「……待って……ろ……! いま…………殺ろし……やる……!」

 

 そよ風に煽られるような中身のない右手をチェスの首元へ伸ばす。だがしかし、その手は首に達する前に、遊ばれるように吸血鬼の左手が重なる。

 

「お手々、繋ぎたかったぁ?」

「く、そ……ッ!」

「……ほらほらぁ、せっかく伸ばしたのに押し戻されちゃうよぉ?」

 

 チェスはいまの三葉がギリギリ押し返せる微かな力で押していく。

 

「……ッ! ……ッ!」

 

 完全に弄ばれている。

 涙がこぼれる程に屈辱的であるのに、三葉はそれでも諦めることができない。

 それでも、仲間の為に頑張ることがやめられない。

 

 

「お願いします正気に戻ってください、優さん……ッ!!」

 

 

「ッッ!!」

「おぉー、少し強くなったぁ」

 

 遠くからその仲間の声が聞こえた。

 あたしの周りにいる数少ない同世代の同性。そいつの頑張っている声。

 いつもからかってきて、話だって中々合わないけれど、それでも大切な仲間で、

 

「ぐぅぅぅ……ッ!」

 

 __親しい友人だ。

 

「もっと強くなったよぉ! すごいじゃん!」

 

 あいつがあたしのことどう思っているのかはわからないさ。

 ただの暇つぶしのおもちゃくらいにしか思ってないかもしれない。でも、それでもいいんだ。

 例えあたしの一人よがりだったとしても、あいつが立ち上がるなら、

 

 

「うらぁぁぁ……ッッ!!」

 

 あたしが隣で支えよう。

 

 

 気がつけば、三葉は半身を起こし、その右手は吸血鬼の喉元まで辿り着いていた。

 あと少しで触れられる。

 

「あ……」

 

 だが、そこで本当の限界が訪れてしまった。

 三葉の手が質量を消して、だらんと力無く地に落ちていく。

 

 しかしそれを、吸血鬼が受け止め、自身の頬に添えた。

 

「…………」

 

 チェスは笑みを止め、ただ静かに触れさせながらこちらを見つめる。

 困惑する三葉だが、次第に息を呑む。

 

 月光を背後に、桜色に照らされた姿があまりにも幻想的で。

 きっと、いまこの瞬間、この世で彼女が一番美しい。

 

 殺すべき敵を見て、三葉は初めて涙を流す。

 

「…………」

 

 哀愁に染まったチェスの顔がゆっくりとこちらへ近づいていき、甘い匂いを漂わせながら首筋に埋まっていく。

 直後、鋭いなにかが突き刺さる痛みが巡った。

 

「あああああああああああ……ッ!!」

 

 大した痛みではないのに、たまらず声が溢れた。

 滲む視界に映る桜色の炎を前にして、死にたくないと素直に思えたから。

 

 たった数日。それでも守りたいと思える仲間ができた。

 

 果たせずにいる約束がある。

 

 そしてなにより、放っておけないやつがいる。

 

 だから、まだあたしは、

 

「りょ……うか……」

 

 死の淵に立たされた時に三宮三葉が初めに思い出したのは、

 尊敬し愛した男の顔ではなく、

 如何した事か、彼とは遠くかけ離れた世話の掛かる上官の顔だった。

 

 

 

 そして、少女の願いに呼応するように、門が開く。

 

 ただし、これは救済ではなく、

 

 世界を桜色の煉獄に鎮めるべくして開かれた地獄の門。

 

 色情に溺れた少年の叫びが木霊する。

 

 目睫に存在する美しさを蹂躙し、陵辱する為に。

 

 さあ、咲き誇れ━━西桜鬼(さいおうき)

 

 

 

 

 

 

「━━ちゃん……ッ! みっちゃん……ッッ!!」

「おい……! しっかりしろ三葉……!」

「三葉ちゃん……!」

 

 三宮三葉が目を開けた時に視界にいたのは、涙を零すシノアと額や頬から血を流した君月と与一の姿だった。

 

「みっちゃん……ッ!」

 

 起きているというのに、シノアは何度も何度も必死に三葉の名を呼ぶ。

 彼女の声が頭に響く。叫ばれながら起こされるのはこんなにも苦痛だったことを知った三葉は、あのサボり魔大尉に心の中で謝りながら半身を起こした。

 そこでようやく彼女が意識を取り戻したことに気づいたシノアは、勢いよく三葉に抱き着いた。

 

「お、おいシノア……」

「よかった……ッ! 本当によかった……ッ!」

 

 普段は見ることのない、心に素直な親友の姿に三葉は頬を赤く染めながらも微笑む。

 

「まったく、騒がしいやつだなおまえは……」

 

 しかし、その笑みも長くは続かない。

 

 それほどまでに見渡した世界は、無惨だった。

 蔓延する生命を焦がした匂いと重苦しい空気。至る場所で地割れが発生し、その隙間からは桜色の炎が燃え盛り、時折噴火のように激しく噴き上げる。更には、ビルを包む焔が火花を散らした空を覆っていた。

 地と天を蹂躙する炎は、傍観者を焼き尽くさんと蛇のように暴れ回っている。

 この光景に名をつけるならば、桜花ノ地獄だった。

 

「おい、あんま悠長にしてられねぇぞ」

 

 君月がそう言って、遠くへと三人の視線を促す。

 そこにあったのは、巨大なクレーターの中央で殺し合う青髪の吸血鬼と桜色の炎に包まれた鬼の姿。

 

「アハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 桜鬼が天高らかに狂喜染みた笑い声を発しながら刀を振る。その一振りから放出される桜色ノ炎が荒波のように広がって大地を灼いた。

 迎え撃つ吸血鬼は手にしたレイピアで刺し穿つ。その凝縮された一撃は紅い閃光と化して桜の波に穴を空けて裂く。

 

「あはは、これだけじゃ足りないッ! あなたもそうだよねぇ!!?」

 

 その閃光は桜鬼の傍らを抜けて後方にあったビルをも貫く。

 

「……ッ!」

 

 三葉はそれを初めて目にした。それはつまり、あの吸血鬼が自分の前では本気ではなかったことの証明。

 しかし、彼女の心に悔しさなんて湧かない。湧けるほど向き合っていなかった。

 故に、これは神からの罰だと感じた。

 命を懸けた戦いに半端な心で応じた自分自身への天罰。自分の愚かさが生んだ地獄なのかもしれない。

 それでもまだ、三葉が意識を保っていられたのは傍らで聞こえてくる仲間の優しい寝息のおかげかもしれない。

 

「なにか、あったんだな……」

 

 三葉の言葉に三人が同時に頷いた。

 しかし、詳しく話す時間は無いと、頭上で弾ける火花が訴える。

 

 そのとき、

 

≪そうよ、あんたはそれでいいのッ! 欲望に身を任せて血の一滴まで犯してあげなさいよッッ!!≫

 

 姿の無い、狂ったような笑い声が空間を埋め尽くす。

 その発生源が桜鬼の握っている刀だと三葉たちが知覚したのは、二者の衝突によって生じた爆風が奴の纏う桜炎を凪いだ瞬間だった。

 

 だが、気づいたのはそれだけじゃない。

 

 その須臾の間に垣間見えたのは、黒い角。

 赤い双眸。

 帝鬼軍の制服。

 あの狂喜に満ち溢れた横顔はまさしく、

 

「稜花……?」

『━━ッ』

 

 シノア隊は絶句する。

 仲間だけではなく上官までもが歪な存在と化してしまったことに。

 

「いやー、まったく人間は次から次へととんでもないものを生み出すねー」

 

 突如として響いた慣れない声に、三葉たちは一斉に振り向く。

 立っていたのは長髪の吸血鬼━━第七位始祖フェリド・バートリー。血まみれのグレン中佐を、襟を掴んで引き摺りながらここまで歩いてきた。

 思わぬ来訪者にシノア隊の面々は目を見開き、身体を強張らせる。

 そんな警戒心剥き出しの三葉たちを見下ろすフェリドは、

 

「休戦しよっか♪」

 

 ニッコリと笑った。

 そのまま、グレンの身体を三葉らの前に投げ捨て、咳き込む彼を見下ろしながら言った。

 

「あの桜色した鬼がなんなのか、キミたちも知りたくない? 彼ならきっと知ってる」

「…………」

 

 吸血鬼の言葉に、三葉の視線がグレン中佐に向いてしまう。

 静かに彼と目が合った。しかし、すぐに視線を切られる。

 そこでもう彼女は、中佐がなにかを知っていることを確信した。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」

「あはははははははッッ!! もう本当に最高なんだからぁッ!」

 

 桜と赤。双つの光がぶつかり合って弾けて飛び散る。その欠片が蝶のように宙を舞いながら、大きな熱風と共にこっちにまで流れてくる。

 余りの熱さに目を伏せて再び開いた瞬間、激しい金属が響き渡る。桜鬼の一刀が剣諸共に吸血鬼の身体を遥か後方へと弾き飛ばした音だった。

 青髪の吸血鬼は、呆然と立ち尽くすしかしていなかった他の吸血鬼たちを巻き込みながらその身体を瓦礫の山に打ち付ける。

 それでも、何食わぬ顔で立ち上がり、桜鬼を眺めて笑みを浮かべた。そして再びその化け物の下へと飛び出そうとした。

 そのとき、彼女を足を倒れ伏せた血まみれの吸血鬼が掴む。

 

「お、おやめ……ください……! これ以上は私たちまで……!」

 

 それはいまこの場にいる百人程の吸血鬼達の総意。この激戦に攻撃に加わることもできなければ、咲き誇る桜炎に退路を断たれて逃げることもできない。ならば、終わらせるしかなかった。

 チェス・ベルは周囲をゆっくりと見渡し、もう一度その吸血鬼の顔を見て、

 

「なに言ってるかわかんなぁぁい♪」

 

 笑いながらその足枷を切り飛ばした。

 弱者の願いも空しく、彼女は空高く舞い上がっていく。直後、先程まで立っていた場所に桜炎の荒波が押し寄せた。

 

『イギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 

 炎に包まれて暴れ悶える吸血鬼達の夥しい絶叫も、いまの彼女には全く届かない。届くのは目の前に立つ最愛の男の狂笑だけ。

 闇夜を舞いながら、視界に入れるだけで身体が熱く火照りだしてしまう程の彼に穿つ剣。

 三葉には一突きに見えた。しかし、真には五十。殺意の凝縮された赤き閃光の雨が降り注ぐ。

 それは彼の存在ごと広範囲に大地を貫いて爆発した。

 土煙が大きく天へと立ち昇る。

 それが風に連れ去られるより先に、黒い影が飛び出した。

 

「血を吸え」

 

 チェスはかすり傷一つついていない男の姿に一切動じず、力を高めて迎え撃ってみせる。

 より一層に激しく赤と桜が衝突する。

 

「すごいなー、さっき僕の右手を焼いた時とは別人じゃないか」

 

 目の前で同胞が焼き殺されてもフェリドは笑っていた。

 そして次第に、顎に手を置いて考えるような表情をし、

 

「……キミの従者って、あんなに強かったっけ?」

 

 背後の物陰に顔を向けて問いかける。

 直後、その影から、三葉たちがここに来るまでの道中に刃を交えた吸血鬼貴族━━クローリー・ユースフォードが姿を現した。

 彼は自らの従者の変わり果てた姿を眺めるも特に感情を露にすることは無い。

 

「引き上げられてるね、お互いに」

「だよねー。どうしようか、このままだったら直に二人は僕に追いつく。手に負えなくなる前にどうにかしたいんだけど」

 

 と言いながらフェリドは足元へと下ろし、横たわるグレン中佐の胸板を踏みつける。彼が苦悶の表情を浮かべるもお構いなしに淡々と問う。

 

「優ちゃん以外にも人体実験したの? いい加減やめなよそういうの」

「…………」

 

 中佐は何も答えない。

 しかし、視線はゆっくりとこちらへと向いた。

 

 三葉は息を呑む。

 その目がなにを求めているのかはっきりとはわからないけれど、きっと見定められているのだ。あたしが藜稜花の真実を知るに足る人物なのかを。

 

 それでも目は逸らさなかった。

 相応しいかどうかなんてどうでもいい、ただあたしはここであいつを切り捨てるつもりなんて毛頭ないぞ。

 

「藜稜花は、それでも人間だ」

 

 虚空を見つめ直した一瀬グレンがそう告げる。

 

「性欲の枷が元々存在しない者。たとえ死体でも、自身が死ぬその一瞬でも、それ女であれば欲情し、陵辱できる。自我を失える程に身を堕とすことができる」

 

 彼は誰かに伝えるでもなく、ただ独りで清廉と詠う。

 

「だがそれは、なにか長期的な洗脳を受けたわけでもなく、人体実験の被験者でもなく、トラウマや至高な教えがあったわけでもない」

 

 その瞳は、どこか懐かしい記憶を思い出すかのような、

 

「ごく自然に咲いた花━━色情ノ異端者(あかざりょうか)

 

 切ない色をしていた。

 

「その濃度の濃い欲望によって周りよりも少しだけ鬼に愛されただけの、ただの人間だ」

 

 まるで時間が停止したように、三葉たちは言葉を失う。彼女たちだけではない、何百と生きてきた吸血鬼ですら無言で、苛烈に笑うあの桜ノ鬼を眺めていた。

 

 藜稜花に特筆すべき背景はなにも無い。

 ただこの時代に産まれ、ただ親を亡くし、ただ兄と共に生きてきた。その過程に於いて心的外傷や命を賭した危機も一切無い。

 ただ兄の背を追って軍に入り、武器を握ったら貴族と単騎で渡り合えるくらいに覚醒した。 

 ただそれだけだと、目の前の男は言っているのだ。

 

 ありえない。馬鹿げている。ふざけるな。狂ってる。

 三葉たちの抱いた感情は多種多様で、誰よりも先にその感情を表に出したのはフェリドだった。

 

「あはははは! なにが人間だ、ただの化け物じゃないか! たった十六年平凡に生きてきただけで僕らを殺せるほど強くなった? 冗談じゃないさ!」

 

 三葉には、彼が怒りを越えて笑っているように見えた。

 何百年と生きてきた道程を、いままでの苦悩と悲嘆を、突如としてどこからともなく飛来してきた少年に焼き尽くされるかもしれないという理不尽さに怒っている。

 そう、三葉は勝手に思った。

 なにせ、彼女は人間なのだから。

 嬉しいことには笑って、苦しいことには泣き、つい自分自身の感じたことが真実であると勘違いしてしまうような、ありふれた人間だ。

 違うところがあるとすればそれは、その真実によって自分と誰かの大切な人を殺してしまった過去を有していること。

 

 それが現在、真価を発揮しようとしている。

 

 一時抱いた感情に身を任せるのではなく、考えて、考えて考えて真実を導き出す。その精錬技術はシノア隊の隊員たちの中で彼女が一番上だ。

 

 ━━誰此れ構わず女性に欲情して陵辱する? とんでもなく酷い男じゃないか。兄とは似ても似つかない最低な弟だ。

 

 あの朝の恐ろしい顔はそれだったのかと、三宮三葉は知った。 

 

 ━━でも、あいつは堪えていた。ギリギリのところで振り払っていたんだ。

 

 あの時の奇行がそれだったと、三宮三葉は知った。

 

 そして、彼女は思い出す。

 

 いつかのあの日の笑顔と涙を。

 共に食事をしたことを。

 珍しく他愛のない話で盛り上がれたことを。

 吸血鬼に殺されそうになったところを助けられたことを。

 頭を乱暴に撫でられて慰められたことを。

 

 色情ノ異端者と過ごした日々を。

 

 

 三宮三葉は答えを得た。

 

 ━━なんだ、あいつはただの人間じゃないか。

 

 

「どうする? いまのうちに殺す?」

 

 クローリーが剣の柄を握って一歩踏み出すとと同時に、三葉が立ち上がった。その微かに地を踏みしめる音に、この場にいる全員の視線が一斉に集束する。

 

「み、みっちゃん……?」

 

 信じられないというような驚き震えるシノアの声が聞こえてくる。それでも三葉は振り返らずに、一歩進んだ。

 

「みっちゃん……ッ!」

 

 次は激しく叫んで、シノアが三葉の腕を掴む。三葉は思わず振り返ると、そこには大粒の涙をぼろぼろと流す彼女の姿があった。

 あれ程流しておきながらまだ零せるのかと、三葉は驚いたがそれ以上に自身の為に泣いてくれるのが嬉しかった。

 

「なにを、しようとする気ですか……?」

「あいつの暴走を止めに行く……」

「やめてください……」

「行かせてくれ……」

「やめてください……ッ!!」

 

 痛いくらいに腕を掴む手に力を籠められる。それでも構わず前に進もうとすると、胸元を寄せて抱えるように必死に泣きながらしがみついてきた。

 

「離してくれ……」

「嫌だ……! 嫌だ嫌だ嫌です……ッ! 隊長は私です……柊シノアです……ッ!! みっちゃんはまた隊長の命令に背くんですか……ッッ!? 私たちを殺そうと……」

「━━ッ」

 

 深く心を抉られる。

 あの日の記憶がフラッシュバックを起こして酷い嘔吐感に苛まれた。

 それでもすぐに抑えられた。

 なぜなら、あの時と状況も理由も違うのだから。

 燃え盛る桜ノ檻を見て、三葉は決意を固め直す。 

 

「シノア、あたしはあいつもおまえたちも、みんな救う為に行くんだ」

 

 それでもシノアは聞き入れない。泣きじゃくりながら、子どものように身体にしがみつくだけ。それを傍らで眺めるだけの君月も与一も、きっと彼女と同じ気持ちなのかもしれない。

 

「みっちゃんが行ってなにになるんですか……ッ!!? あんな化け物になにができるっていうんですか……ッ!!」

 

 シノアは心情を包み隠さず吐き出す。藜稜花は化け物であると、素直に言えなければ彼女を止められないと判断したのだ。

 だがしかし、三葉は止まらない。

 

「まだ果たしていない約束があるんだ……大切な人と交わした約束が……!」

「それでも止まって……ッッ!! 私はみっちゃんのことがすごく好きなんです……!」

 

 三葉は桜よりも熱いなにかを腕越しから感じる。潰れるくらい抱きしめるその胸元からシノアの感情が流れ込んでくるようで、

 

「怒りん坊で……全然話しかけてくれなくて……稜さんといるといつも邪魔者扱いされて……でも、それでも……ッ!!」

 

 彼女と目を合わせた途端に、  

 

「私の大切な親友なんです……ッッ!!」

 

 心を貫かれてしまった。

 

「あ……ああ……」

 

 三葉は彼女から顔を逸らして、零れ落ちる涙を必死に隠す。

 彼女が言葉の強さを真正面から実感した瞬間だった。 

 

 たった一言で、涙が溢れるくらい幸せになれるのか。

 

 抑えることができないくらいの勇気をくれるのか。

 

 皮肉にもその一言が、三葉を桜へと導く道筋に光を灯した。

 助けたい存在の中に親友が加われば、もう如何様にも止まれない。

 止まるわけにはいかない。

 

 三葉は桜色の空を見上げながら、かつてを追想する。まだあの人が隣にいてくれた日々の残像を映しながら、背中越しの彼女に問いかける。

 

(━━いいこと教えてやるよ、三葉。俺たち人間にはな、仲間以上の親友っていう関係の相手とだけ交わせる約束っていうのがあるんだよ)

 

「そうだな、私たちは親友だよシノア」

「みっちゃん……?」

 

(━━それは生きてるうちに一度しか使えない、貴重な言葉だ。おまえにいつかそんな相手ができたなら) 

 

「なら、おまえは知ってるか? 親友同士が交わせる特別な約束のことを」

 

(━━絶対に譲れない現実が目の前に現れたなら、笑顔でこう言え)

 

 愛しい笑顔が焼き消える。死しても尚、あの人に頼ってばかりだと情けなさと懐かしさで一層涙が零れた。

 それでもいまの三葉はそれを我慢しない。この刹那に抱いた感情を受け入れて、力に代えて前に進まなければいけないのだから。

 

「知らないなら教えてやるよ、シノア。その約束っていうのは━━」

 

 答えは得ている。

 有り余る勇気も貰った。

 ならあとは、この世で唯一の親友へ振り返り、溢れる涙も消せない想いも総て、総てを剥き出しにして、

 

 

「一生のお願い、ってやつだ」

 

 太陽のように無邪気に笑えばいい。

 

 

 安心しろ、シノア。あいつもおまえも、全員守って戻ってくるから。

 

 あれほど強く握られた腕が、流れるように抜け落ちる。

 

 そんなに泣くな、おまえの願いを叶えるまで死ぬつもりはないから。

 

 三葉は溢れる涙を拭って前を見る。

 二者の狂気に臆した彼女はもういない。

 一面に広がる桜世界に、確固たる覚悟を持って足を踏み入れていく。

 

「勇敢だね。名前、聞いてもいい?」

 

 フェリドの隣を通り抜けようとした時、彼にそんなことを訊かれた。

 どうして家畜と蔑む者の名前を聞くのか理解できない。でも、いいさ。

 知りたければいくらでも教えてやる。

 

「三宮三葉、ただの弱い人間だよ」

 

 そして、三葉は地にめり込むくらい足に力を籠めて地獄へと飛び出した。

 

 立ちはだかるは桜炎の暴流。近づく者をすべて焼き払わんとするその波が天高く舞い上がって蔽い被さる。

 三葉は限界まで姿勢を低くしながら走り抜けた。

 

「あああああああああああああああああああああ━━ッッ!!」

 

 まだこんなに力が残っていたのかと驚いた。

 降り注ぐ赤い破片と桜ノ雨を掻い潜り、何度も削れた地面に足を取られる。

 それでも彼女は走る。走り続ける。

 一歩一歩強く踏み出す度に、何度も何度も思い返す。走り続ける原動力を。

 

 仲間をこの桜色の檻から出したいから。

 ただ一人の親友を守りたいから。

 鬼と化した稜花を見ていられないから。

 我を忘れるほど彼女を求めるあいつに苛立つから。

 あの日、彼と交わした約束を果たしたいから。

 

 どれか一つではなく、どれが一番でもない。

 ただ、どれか一つでも欠けていたらいま彼女は走れていない。

 

「チェスゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!」

「稜花ぁあああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 まだ遠い。

 遥か前方で衝突する双つの狂気の余波が三葉の頬を掠めた。

 

「……はは、人がこんなに頑張っているというのにおまえは」

 

 流れる血を意にも介さず、彼女は走りながら笑った。

 

 部屋に籠りっきりだから、人の気も知れないんだ。簡単に暴走してしまうんだ。

 まあ、半分はあたしの監督不行き届きだから責任は取るさ。

 

 だから、この戦いが終わったら、いろんな人と他愛のない話をしよう。

 

「ちくしょうちくしょうちくしょうッッ!!」

「━━ッ!」

 

 振り向いた時には、精神が憔悴しきって暴走した吸血鬼が剣を振り上げていた。

 仕方がない。こんな地獄の中で、同胞に貫かれるか鬼に焼き殺されるかの選択しか存在しないとしたら、できるだけ多くの敵を道連れに躍起になるのも仕方がない。

 例え道連れにするそれが、この桜世界を終わらせる女でも。

 

「ちくしょォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 

 銀色の刃が振り下ろされる。

 三葉の顔を目掛けて、真っ直ぐと鮮やかに。

 

 避けられない。防ぐのも間に合わない。

 だったら、耐えるしかない。

 

 いや、耐えられるのかこれを。

 

 その刹那、 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 少しだけ甲高い雄叫びが木霊して、刃の軌道が大きく逸れる。

 黒い影が吸血鬼に横から突進して吹き飛ばしたのだ。

 彼女には誰かなんて一瞬でわかった。

 なにせここまで一緒に行動を共にしてきた仲間なのだから。

 三葉は困惑と驚愕で声を荒げる。

 

「与一、どうして……ッ!」

「わかんないよ……ッ! 身体が勝手に……! 」

「くそ……邪魔するな……!!」

 

 吸血鬼が怒りに満ちた表情で起き上がり、剣を構えて彼へと突貫する。

 その時、三葉はようやく気づいた。

 早乙女与一が鬼呪装備を持っていないことを。

 彼が本当に感情に身を任せてここまでやって来たことを。

 

「ッ!!」

 

 三葉は咄嗟に与一の前に出て両手を広げて庇う。

 そして結局、自分は死ぬのかと確信した。

 

 しかし、その確信もすぐに露と消える。

 彼女らの背後からもう一人の仲間の影が飛来したのだから。

 

「これ以上バカが増えてんじゃねぇよ……ッッ!!」   

 

 君月士方。

 金属音を鳴り響かせながら、彼は手にした双剣で吸血鬼の刃を受け止める。その背には与一の鬼呪装備が掛けられていた。

 

「君月くん……!」

「笑ってんじゃねぇよバカ与一……!」

「ごめん、でもありがとう……!」

 

 君月が力一杯に吸血鬼を弾き飛ばして間合いを取らせる。その隙を見て与一も武器を受け取って構えた。

 

 待て、なにをしているんだこいつらは。

 どうしてこんな危険な場所に平気で飛び込める。

 おまえらには何も関係ないだろう。

 なんで。

 どうして。

 

「なんか難しそうな顔してんな、おまえ」

 

 彼女の心中を察するかのように君月が真顔で振り向く。

 

「忘れたのかよ、俺たちが初めて会った時に中佐が言った言葉」

 

(━━ここにいる奴らが仲間だ。仲間は家族以上の存在、命懸けで守れ) 

 

「三葉ちゃんは地下で僕らを命懸けで助けようとしてくれたもんね、逃げろって」

 

 与一が静かに彼女の横を通って前に出る。

 決して大きくはない二人の背中。それを眺めながら三葉は無性に腹が立った。立ちすぎて少し涙が出たから下唇を噛みしめた。

 

「どうして……ッ!」

 

 まだまだ何も知らない新人のくせに。

 黒鬼を持ってるだけのくせに。

 たった数日前に逢ったばかりのくせに。

 

「おまえさ、いちいち言葉にしないとわかんない奴なんだな」

「でも、あの時の三葉ちゃんと同じ理由だと思うよ。僕たちがいまここに立ってる理由、それは━━」

 

 そう言って、彼らは静かに、それでも確かに、

 

       「仲間だからだ」   「仲間だからだよ」

 

 眩しいくらいに笑っていた。

 

 三葉は疎外感を感じていたわけじゃない。

 四人は以前からの知り合いであったらしいから、時折話についていけないことがあっても構わなかった。

 それでも、そんなまだ浅い関係であっても吸血鬼に捕まった時は仲間だと強く意識できたし、正しい選択もできた。

 あたしはちゃんとこいつらを仲間だと思えている。

 その真実だけで十分だった。

 だけど、シノアの時といいこの瞬間といい。

 

 言葉にされるだけでこんなに、

 

 涙が溢れるくらいこんなに、嬉しく思ってしまうんだ。

 

「……ッ!」

 

 感情に身を任せないのが彼女の専売特許。三葉はすぐさま涙を振り切って彼らに背中を預けた。 

 まだやるべきことがある。泣くのはその後でいい。

 

「なるべくすぐに終わらせてくる……!」

「おう、期待しないで待ってやるよ」

「うん。でも、死んじゃだめだよ」

 

 三葉は地面を蹴って再び苛烈な戦場を駆け抜ける。

 

 その最中、彼女は強く実感した。

 仲間の心強さと独りじゃなにもできない無力さを。

 あの二人がいなければ死んでいたと。

 

 ━━稜花、おまえはこんな状況でもたった独りで生き残ってきたんだな。

 

 三葉は彼の強さをようやく知った。

 

 そのとき、不意に足が浮く。

 彼女は自分が空高く引っ張り上げられたことに気づいた。

 直後、さっきまで踏みしめていた大地が桜炎の波に飲み込まれる。

 

「まったく、ほんとに……!」

 

 怒りしか宿っていない声が響く。

 三葉は自身を抱える存在に視線を移す。

 燃え盛るような紅い髪に、見惚れてしまう程に整った顔。

 しかしいまは、寒気がする程の形相で闇夜を背に激昂していた。

 

「なにやってんのよあんたの弟は……ッッ!!」

 

 名は十条美十。悪鬼ではなく、日本帝鬼軍の大佐である。

 その怒りの矛先はもうこの世界にはいない男に向けられたものだった。

 

「十条、大佐……?」

「ああぁぁッ!?」

 

 そのしわよせが三葉にも降りかかる。彼女は自身の制服の襟を掴まれるのを感じた。そして、大きく振りかぶられる。

 

「ちんたら走ってないでさっさと飛んでいけぇええええええええええええええッッ!!」

 

 三葉の身体が虚ろな空へと放り投げられた。

 

 見ろよ、覚えのない怒りに巻き込まれてあたしはボール扱いだ。

 笑っていないで、焼き付けろ。

 それもこれも全部おまえのせいなんだからな。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ━━ッッ!!!」

 

 彼女は眼下にいる藜稜花を確然と捕捉する。そして、鬼呪装備を顕現させ、盾のように構えて立ち昇る赤い閃光と桜ノ炎を防いで落下する。

 

 ようやく来た。

 ようやくここまで辿り着いたんだ。

 

「おまえは聞いてくれるか、あたしの願いを……!」

 

 地へ降ろさんと爆風が三葉の身体を押し上げて抵抗する。

 

「ここまで来るのに改めて気づかされたんだ……! 親友がいることがいかに幸せか……! 大切な仲間がいることがいかに心強いか……! そして、独りがいかに弱いか……!」

 

 赤い閃光が破片が斧を潜り抜けて、三葉の頬を、脇腹を、足を切り裂く。

 

「おまえは十分強いから、そんなこと思ったことも無いだろうな……! それでも、やっぱり人間は独りじゃない方がいいぞ……!」

 

 舞い上がる桜ノ炎で髪を結んでいた紐が焼き切れ、金色の長い髪が靡く。

 

「覚悟はできてる……ッ! おまえがどれだけの闇を抱えていても……! あたしはそれを受け入れて隣にいる……ッ! だから……だから……ッッ!!」

 

 その一言を告げるのに二年も掛かった。

 あの日、あたしは土砂降りの雨の中であいつに泣きながら謝ることしかできず、言えなかった。

 

 ━━遅くなって悪かったッ!

 

「あたしと仲間になるぞ稜花ぁああああああああああああッッ!!」

 

 その時、ある種の奇跡が起きる。

 桜色の炎となって自壊する空気と赤い閃光に裂かれた風、その両者が衝突して発生する振動が三葉の声に強く共鳴し、ソレをより遠くへより深くへと響き渡らせた。

 心の深奥へと呼びかけるような鮮麗な声は、桜の世界に閉じ込められたすべての者に届き、その歩みを立ち止まらせる。

 それは狂気に満ちたあの二人も例外ではなかった。

 

『ッッ!!?』 

 

 その双壁が頭上の三葉を認識する。 

 そして、柄を握る手に力を籠めて、構えた。

 両者にとって三葉は突如として出現した邪魔者でしかない。

 

 それは三葉自身も理解している。

 だから必死に考え、着地した直後に横へ飛び退けるしかないと思った。

 

 そして、風の抵抗を散々に受けた彼女の身体が大地を踏んだ。

 しかしその瞬間、切り裂かれた足に激痛が迸り、彼女の思考を停止させる。

 

「ぐ……ッ!」

『━━ッッ!!』

 

 その隙を、容赦なく双つの刃が薙ぐ。しかし、

 

「綺麗な声を聞かせてくれたお礼だよ」

 

 三葉の目の前を白い影が割り込んでくる。

 そしてソレは、瞬く間に青髪の吸血鬼を吹き飛ばし、桜鬼の刀を地に叩き落した。

 

「フェリド……バートリー……ッ!?」

「話は後だと思うけどな、みっちゃん」

「……ッ!」

 

 奴の言う通りだ。三葉は激痛を振り払って大地を蹴り上げる。

 そしてこの戦いの最後の一歩は、フェリドの背中を踏みしめていた。

 恩を仇で返すことになるけれど、これが最善最短の道。

 

「くそー、これだから人間は!」

 

 許せ、フェリド。これでおまえら吸血鬼も救われるんだから。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

 身体と精神に残留する力を最後の一滴まで振り絞って、三葉は高く跳び上がる。

 殺意に満ちたあいつの紅い瞳と目が合う。

 

 ━━殺したいか? そうだろうな。

 敵にまで助けられてここまで辿り着いたような弱者だ、いてもいなくても何も変わらないさ。

 

 でも、すまない。

 

 あたしにはおまえが必要みたいなんだ━━。

 

「……っ」

 

 その時、藜稜花を包み込む桜炎が勢いを弱めた。

 そしてその隙間から見える彼の瞳が一筋の涙を流した。

 

「ミ……ツバァァ……」

「はは……!」

 

 それは自分本位な考えかも知れない。ただの独り善がりかもしれない。

 その涙の理由を、三葉は期待した。

 

 きっと、

 

 おまえにもあたしが必要なんだ、と。 

 

 彼女は笑いながら涙を流す。

 

 

 それは正解だった。

 藜稜花はずっと三宮三葉を探し求めていた。

 自我が燃え尽きるその一瞬まで、彼女のことだけを考えていた。

 故に、この戦いはここで終わる。

 

 三宮三葉の勝利で終わる。

 

 

 ━━あたしはここにいるぞ。ここにいるから、

 

 

 三葉は静かに彼の燃え盛る頬に手を触れ、

 

 

 ━━いい加減に戻ってこいバカ稜花ッ!

 

 

 目を閉じて唇を重ねた。

 

 

 そして、自分という存在を感じさせる為、強引に舌をねじ込んでいく。

 

 

 それが決め手であろうかと、藜稜花を包んだ桜炎が霧散していく。

 それだけじゃない、空と大地に咲き誇っていたすべての炎が静かに枯れていく。

 

 

 そして、少女の願いに呼応するように、門が閉じる。

 

 目睫に存在する美しさに満たされ、純みきった想いに諭されながら、

 

 色情に溺れた少年は静かに眠る。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。