「......」
緋月昇は大赦本庁書史部記録課の自分の机に突っ伏していた。仕事はもうやった。もうやることはない。なんなら明日のぶんも楓花のぶんも終わらせた。もう、何もすることがない。帰るだけだ。帰るだけなのだが。
「どこに帰れと...どの面下げて帰れと言うんだ...くそっ...」
夏凜の表情は見えなかった。でもわかる。声音と仕草、それだけあれば事足りる。
「泣いてた...泣かせてしまった...」
その事実がさらに重くのしかかる。
「くそ...」
視界はまた闇がかっている。いつもなら夏凜が払ってくれるのだけれども、今回ばかりはそうもいかない。かと言って自力でどうこうできるわけでもない。さてどうしたものか。
「おや、緋月君。」
不意に背中から声がかけられる。
「春信さん...」
「また相当参ってるようだね。そうだ、陽本君が呼んでいたよ。面会に行ってあげたらどうかな。」
「楓花が...わかりました。」
そそくさと立ち上がり、大赦病院へ向かう。
「君は少し、頼ることを覚えたらいい。一人でなんでもできるほど、君は万能じゃないのだから。」
去り際に春信さんはそう言った。
万能じゃない。そんなことはわかっている。でも...頼る、か...それは巻き込むことじゃないか...?それは避けねばなるまい。
でもそれでは結局俺は一人じゃないか。頼ることなんて出来やしない。それじゃ結局何も変わりやしない。どうすればいい。
「ははっ......」
答えは出ないまま、自嘲的な笑みだけがこぼれる。やれやれだぜ全く。
とまぁ、そんなこんなで歩いていたら大赦病院の受付に着いていた。面会の申し込みをし、すぐに許可が出て示された病室に向かう。もうここに来るのは何度目だろう。園子もしばらくここにいた。
病室の扉をノックする。
中からどうぞー、という声。
「...元気か、楓花。」
「先輩...はい、まだちょっと痛いところはありますが、心は元気そのものです。」
「そうか。何よりだよ。」
傾いた太陽の光が楓花の銀髪に当たって光っている。楓花の笑顔とも、闇がかっている視界とも相まって、直視できない。
「先輩は...そうですか。嫌われちゃいましたか。そりゃそうですよ。」
「...バレたか。いや...わかるよな、楓花なら。...そうだな。」
楓花の尋常ではない観察眼を持っている。
陽本楓花にとって緋月昇は憧れの先輩であった。その憧憬が、彼女の技術を伸ばしている。
「全く...先輩は毎度毎度全部が全部自分のせいって思うのを直してください。人っ子一人がどうこうできるキャパシティを先輩はとっくにオーバーしてるんですから吐き出さないと...それこそ私の両親のように...」
「んなことできるわけあるかよ...」
「私は、先輩だったら...何されてもいいですよ。どれだけ傷つけられても、いいです。」
「ふざけるな!」
思わず声が荒ぶる。
こんな心を楓花にぶつけなんてしたら...!
「やっぱり怒りますよね。...多分ですけど、夏凜さんの怒ってる理由はそれと似たようなものですよ。なんでもかんでも受け止めている、相談もしない。無理ばっかりしている。勇者部六箇条でしたっけ、確か『悩んだら相談』と『無理せず自分も幸せであること』って文言があったはずです。さて先輩。守れてますか、これを。」
「残念ながら、全くだ...」
「はぁ...先輩ともあろう人が言われないと分からないなんて...これは相当参ってますね。」
「耳が痛いな...」
「ちゃんと夏凜さんに謝るんですよ?それと、抱えてるもの、下ろせる分下ろしてください。私もこんな先輩もう金輪際見たくないですから。」
「そうだな、そうするよ。...ありがとう楓花。少し楽になった。」
「それならよかったです。...私の退院はまだ未定です。もうちょっと待っててください。」
「あぁ、わかった。またな、楓花。」
会話を終え、緋月昇は病室から出る。
その表情は少し晴れていた。
「ただいま。」
「おかえり、のぼるん。」
「...夏凜は?」
「にぼっしーは自分の部屋にいるよ〜」
「そうか。園子...ちょっと夕飯遅くなるけどいいか?」
「そっか、今日はのぼるんの担当か...いいよ、のぼるん。」
「ありがとう。ちょっと待っててくれ。」
乃木家に帰って、園子と話して、そして夏凜の部屋に向かう。不思議だ、歩いているだけなのに全身の感覚は鋭く鋭敏になっている。いつもと同じ速度で歩いているはずなのに、気持ちゆっくりと視界が動いている。
「ふぅ...」
閉ざされた部屋の扉をノックする。
「はいはーい...ってのぼっ...!?」
出てきた夏凜を抱きしめる。
「ごめん、夏凜...でもありがとう...」
「昇...私こそごめん...あんなこと言って...本当にごめんなさい...」
「いいんだ...もういい...でも、これだけは言わせてくれ。」
「...何よ。」
「愛してる。」
「...ほんと、そういうところよ。」
「残念ながら緋月昇ってのはこういう男なのさ。わかってたくせに。」
「...えぇ、そうだったわね。」
夏凜は少し離れて俺を見る。
「昇。」
「...なんだ、夏凜。」
「その...愛してる、わ...私も...」
「ふふっ...はははっ...」
「んなっ!?笑うな!」
「笑うって...あーもう可愛いなぁ!」
「ちょ!?またいきなり抱きつくな離しなさい!二回目はいらないわよ!」
「一回目は欲しかったんだな?かー、可愛いやつめ!おまけに素直じゃないときた!」
「そんなこと言ってないわよ!いいから離せバカ昇!」
「離すかよ!ずっとそばにいるさ。」
「──ッ!?」
ようやく夏凜は真っ赤になった。
そろそろ効かなくなってきたなこれ。
「のーぼーるー...!」
「わかったわかった。それじゃご飯作ってくるよ。今日はそうだな...うどんにするか。」
「っ...はぁ、そうね。何か手伝う?」
「いいよ、ゆっくり待っててくれ。その代わり、とってもおいしいの作るから。」
その日の乃木家の食卓は、個人の好みの太さや弾力に合わせた麺と味付けをしたうどんが並んだという。
同時に、今まで滅多に見ることのなかった年相応とも言える緋月昇の屈託ない笑顔もそこにあったのだ。
『ごちそうさまでした〜』
「はい、お粗末さまでした。」
これにてみのり第一部、完!
次から第二部...ではなくサイドエピソードとか思いついたネタとかを時系列に沿って書いていこうと思います。
次回からは『乃木さんちの今日のごはん』!
第1話は「緋月昇のこだわりラーメン」
ラーメンといえば...?
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