迷宮演義 作:AD
「持ち込めた薬はからっけつ。オラリオでの生活はどうしたものやら」
――――……?
「何にせよクソ爺を頼るのだけは、たとえ送還されたって御免被る」
声が、聞こえる?
「あー、そういやぁヘファイストスの姐御もこっち来てるんだっけ。 ……たかるか?」
声だけじゃない。体の内から響く鼓動に、ひょうひょうと寂しげな風の音、ぱちりぱちりと火の音。
何が、起きた?
「おん? あー、お目ざめかい? 思ったよりも早かった……てか早すぎるくらいに早いねぇ。治療してる時も思ったけど、お前さんの体ナニでできてんの? 何か三つ目だしさ」
「ここは、封神台では、ないのか?」
「ホーシンダイ? なんだいそりゃ」
重い瞼を持ち上げて、声のする方へ眼を向ける。
少しばかり目は霞んでいるが、色も形も認識できる。
「そうか、私は生きているのか」
「あぁ、私に感謝しなよお前。昔の貸しを持ち出してまでこちらに持ち込んだ薬を、景気よくぜーんぶ使ってやったんだ」
そうか、生き残ったのか、私は。
しかしあの死に体、瀕死の状態から回復に至る治療……薬?
腕を持ち上げて、握る。握る事が、できる。
この感触であれば、起き上がる事もできるだろう。
体が壊死する程の鍛錬を重ねたあの時と比べれば、何という事のない疲労感でしかない。
ましてや太公望と殴り合いに及んだあの地での状態を思えば、平常と言っても差し支えない程。
「おいおいおい、起きるのはまだやめ――ておかなくても平気そうだな。本当にどんな体してんだよ」
「……助けていただき、感謝します」
「よせよせ、お互いさまだ。こっちは下界を甘く見て、あの炎天下の中でぶっ倒れてたんだ。下手すりゃそのまま天界へ送還されてたかもしれないところを助けたのはお前だよ」
「しかし、私の背で目覚めてすぐ、瀕死の私を治療するだけの余裕はあったのでしょう。ならば、あの状況下から抜け出すのはそう難しくはなかったはずでは?」
「こっちは所詮暇つぶしで下界に降りてきた程度の情熱しか持ち合わせてないんだ。あのまま還っても『やっちまったなぁ!』ってネタにするぐらいかねぇ」
何にせよ、命の恩人であるには違いないと下げた頭へ降ってきた言葉の意味が理解できない。
天界? 送還? 死んでも還るだけ?
何を言っている?
そう、そもそも、ここは何処か?
「どういう意味でしょうか?」
「あん? あ、それ本気で言ってるね。いやいやいや、でもさ、下界の子たちの間ではもう常識になってんじゃないの?」
「下界の、子たち?」
「えぇぇ…………記憶、無くしてるわけじゃないよね?」
「それなりに生きたとはいえ、いまだ若輩の域を出ぬ齢です。そうそうボケるものではない」
「若輩って、お前さんいくつよ?」
「正確に数え続けていた訳ではないのですが、おおよそ300歳程でしょうか」
「……私達神から見れば確かに若輩だけどさぁ。エルフでもないだろうに300歳って。あぁいや、三つ目だし何かしらの変わった種族かね?」
誰何された事で、現状に対する不信感が増していく。
殷の兵士だった。
金鰲島の道士だった。
何よりも、殷王朝の太師として、あった。
私は今、どこに在る?
「確認をさせて頂きたい。ここは何処でしょうか」
「オラリオへ続く街道からちょっと外れただけと信じたい荒野。ちなみに私は好奇心に従って街道から逸れて迷った!」
「胸を張るような事ではないと思いますが」
そのような地名は聞いた事がない。
無い、が、どうにも嫌な予感が頭を離れてくれない。
この地で目覚めた際に疑った宝貝による催眠や空間への隔離の可能性は、この状況では低いと言わざるを得ない。
そんな事をするのならば、何故。
そう、何故。
「お? え、ちょ、この状況で鞭を取り出すって何する気よお前」
腰に、禁鞭が吊るされている?
体が動く?
「てかそれ治療してる時も思ったけど、ヤバくね? 何か触れちゃいけない気配がムンムンしてるんだよねぇ」
「お聞かせ、願いたい」
「待って、その眼光はやめて、心臓止まりそうになるから」
「殷。さもなくば周。金鰲島に崑崙山。聞きおぼえのある地名は?」
「極東っぽい響きだねぇ。生憎と聞いた事はないが」
「では失礼を承知の上でもう一つお聞かせ願いたい。この地が、オラリオなる場所が如何なる場所か」
「――――あー、何となく察した。そういう事かい。現実は小説より奇なりとは言うが、いやはや」
察した、だと?
「お前、正直に答えな。なに、悪いようにゃあしないさ」
正直、心情としては答えて良いと思っている。
この目の前の女は、敵にしては杜撰に過ぎるし、信頼はできないが信用はしていいと感じているのは事実だ。
「ちなみに私達、神に嘘は通じない。真偽がわかるんだ。……名は?」
「聞仲。聞太師とも呼ばれる」
「宜しい。で、ブンチュウ君は……そうさな、イン? とかいう場所から来た」
「その様に認識して頂いて結構です」
「オラリオ、ファミリア、私のような神について、何も知らない」
「その通りです」
「君の種族は?」
「……仙人。正確には道士、ですが」
「ッ!」
300年の生に裏打ちされた勘が、警鐘を鳴らしている。
受け入れがたい現実が迫ってきている、と。
苦虫を噛み潰したような、痛ましいものを見るかのような顔をした、目の前の女性がそれを運んでくるのだろう。
「ここに、この荒野のど真ん中にどうやって来たのか、分かっていないね?」
「ええ、それもその通りです」
「――――お前さん、やっぱり迷子だね。それも道に迷ったんじゃない。世界から迷子になったんだ」
あっさりと言い放たれた言葉に、やはりと思う自分と、そんな馬鹿なと思う自分がいる。
やはりと肯定した自分は、これまでの情報から。
馬鹿なと否定した自分は、その様な話は聞いた事がないという自分の常識から。
「悪いが私も専門外だし、これに関してはあまり吹聴しない方がいいと思うよ。神々は好奇心旺盛だからね」
「吹聴したら、どうなると?」
「ホラ吹き、頭のおかしくなった人の子として見られれば御の字だけどね、最悪神々のおもちゃにされる。そうでなくても、額に目のある種族はないんだ。倍率ドン、ってやつさ」
「私よりも遥かに多様な特徴を持っている
「居ない。断言していい。この世界に生きる人の子の種族は、ヒューマン、エルフ、ドワーフ、パルゥム、アマゾネス、そして多様な獣人種」
どの種族も、聞いた事はない。
「獣人種のメジャーな所で言うなら、ウェアウルフ、シアンスロープ、キャットピープル、ボアズ、ラクーン。マイナーな所でルナール辺りかな」
「それは……」
「聞いた事がない、だろう? でもね、これは神々が、天界から下界の様子を見ていた遥か昔から変わっちゃいないんだ」
「…………」
「神々は文字通り世界を見つめてきた。そんな中で、仙人や道士って言葉はあるよ」
「ならば! ……ッ!?」
「察してくれたようだね。頭の良い子だよ、君は」
言うな。
「その言葉が登場するのはね、神々の誰もが聞いた事があって、そして誰もいつからあるか分からないおとぎ話の中さ」
――――――むかーしむかし、なんて使い古された……むしろこれが原典かってくらい古いお話。
凄い力を持った化け物が、何度も何度も世界を作っては壊すっていうひっどいお話でさ?
でも最期はそんな凄い化け物を『仙人』や『道士』が倒すんだ。
世界は平和になりました。もう世界が壊される事はありません。ハッピーエンド。
――――――ところがどっこい、化け物は悪あがきをしていました。
その悪あがきの結果、世界は再び壊されて、まっさらに。
そこからまた新たな命が芽吹き、世界は再び輝きだした、ってね。
「要は創世神話さ。そっから神が生まれ、世界をかき回して世界を形作った。さて、道士のブンチュウ君」
おとぎ話、だと?
それがおとぎ話だと?
そうであるならば、私は。
「心当たりがあったようだね。その化け物の名前、言ってごらん?」
「……歴史の道標」
「大正解。さて、私が言った迷子の意味はわかったかな?」
「…………」
未来、だというのか。
それも果てしない程の。
「信じられないというのも無理はないよ。私自身、荒唐無稽なお話をしているなぁって自覚はある」
だとしたら、殷は、私の仕えた殷は。
「ま、とりあえず頭の中を一度からっぽにしてみなよ。ほら、水でも飲んでさ」
「……水?」
「君も私も運が良いよ。この岩陰の裏、水場だったからねぇ」
渡されたコップで揺れる水面に映った私の顔を、すぐに己だと認識できなかった。
この情けない顔をした男が私だと?
あぁ、飛虎、お前はこんな顔をした私を笑うのだろうな。
笑って、背を叩いて、しっかりしろとでも言ってくれるのだろう。
「そう、まずは落ち着くのが一番さ。なぁに、生きてさえいれば何とかなるもんさ」
ぐい、と飲み干して一息ついた途端に、意識が遠のくのを感じた。
ッ……何か薬を盛られた?
「ゆっくり休むといい。疲れた体じゃあいい考えも浮かばないさ」
――――いや、今さら、か。