テクスチャの少女   作:明神阿良也のオタク

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悪魔讃歌

 美しいものを数えた。

 

 星。まだ西の空に僅かに滲む赤紫から広がる藍色の夜空に散りばめられた宝石の様な星。

 

 空。雲を浮かばせた、蒼く澄んだ空。飛行機雲が横切るのもいい。

 

 海。濃い青色の海。飛沫が白くギャップを作る。覗き込めばそこには別世界が広がっている。

 

 野花。道端に咲いた花。名前も知らないような、コンクリートのヒビから空に向かって茎を伸ばす花の姿は。

 

 

 それらを塗りつぶす紅。斑に飛び散った鉄の臭いに酔った。絶望の表情が私の肌を朱色に染める。

 

 

 Ave satani.(嗚呼、悪魔よ)

 

 何故私にこのような祝福を与えたもうたのですか。

 窮屈で仕方がないのです。悦楽に溺れたいのです。

 その時が来るまで私は眠っています。

 擦り寄る猫に刃を振るいました。でも足りません。

 卑しく生きる浮浪者の命を刈り取りました。充足には程遠い。

 足りないのです。

 極上の贄に銀の刃を突き立て、流れ落ちる鮮血に舌を這わせて肉を噛みちぎりたい。

 

 私をねじ曲げたのは貴方でしたか? 

 生ゴミの臭いが立ち込める初夏のあの部屋で、私に囁いたのは。

 私には思いもよらないことでした。

 彼等は絶対者だったのです。

 それでも私が()()思い付いて、それを実行したのは。

 貴方が私に囁いたのではないですか? 

 

 きっと最後には、貴方が私を喰らうのでしょう。

 貴方の真似をしました。

 彼女を救い、そして最後には喰らうのです。

 その日は近付いています。もう一年もないでしょう。

 私は彼女の神になりました。そして彼女を喰らう悪魔となります。

 貴方は私の教祖でした。ですから、貴方が私を死に導くのもまた道理なのでしょう。

 

 Ave satani.(嗚呼、悪魔よ)

 

 尊ぶべきモノを見つけました。

 矮小な小娘。一度私が凶器を手にしたのなら、彼女の柔肌にはたちまち朱が走るでしょう。

 彼女が私を貴方の呪縛から解き放つのでしょうか。

 いいえ、きっと不可能なのでしょうけれど。

 引き裂きたくて仕方がないのです。彼女に刃を突き立てたのなら、一体どれほどの悦楽がこの身に刻まれるのでしょう。

 知らせたくて仕方がないのです。全てを打ち明けた時、彼女は一体何を言うのでしょう。

 

 殺してください。私を。

 他ならぬ貴方が私を刈り取るのです。

 そのぬらぬらと光る眼で私を見て。

 蛇のように私を飲み込んでください。

 私は貴方の正体を知っています。

 いえ、きっとこの世の誰もが知っている。

 葛藤の中に現れる貴方は、ひょいと理性を打ち崩し人を獣に貶す。

 

 アヴェ・サタニ。悪魔よ。

 

 私は貴方を崇めてはいない。

 だけど貴方は私を視、また私も貴方を視ている。

 未だ揺れる私は、堕ち切っていないとでも言うのですか? 

 母を殺し、父を殺し、そして私は──

 

 殺しました。絶望に歪みました。殺しました。愉悦に溺れました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました。殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺しました殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺───

 

 A──aaaaaaaaaa……

 

 視るのは遠い未来の話。屍の上に立った私は、気がふれていました。

 歪だなと、そう悪魔が嗤って。

 

 

 

 

 

 

 

「は、くだらない」

 

 夢見は悪いという程でもなかった。奇妙な夢だったが、私に害があったわけでもない。ただただ奇妙で、そしてくだらない妄想の中の産物。夢に意味などないというのが世間一般の常識だが、同様に私も夢が見せる未来など信じてはいない。

 オカルトの類を否定することはしない私でも、未遭遇の未知を肯定することはしないのだ。

 

 喉の奥にへばりついた乾いた唾液に不快な心地を味わわされながら、キッチンに出てコップの水を飲み干した。

 

「どうしたんだい?」

 

 同じく起き出してきたのか、後ろから祖母に声をかけられる。齢70を超えながらも未だに矍鑠とした彼女は私のことをよく気遣ってくれる。一生かけて返すくらいの恩を受けたと言っても過言ではないだろう。

 

「ちょっと目が覚めただけ。暑かったから」

「そうかい。何かあったら言うんだよ。あたしは紅里の味方だからね」

「うん、ありがとう」

 

 どうやら、本調子でないことを簡単に見抜かれるくらいには顔に出ていたらしい。暑さのせいで背中に貼り付いた汗濡れのシャツを後ろに引っ張って、体を冷ました。流石にシャワーを浴びた方がいいか。

 

 朝食の準備を始めた祖母を尻目に浴室へ向かう。

 身を清めるという行為は、日本において遥か昔から行われてきた禊に通ずる。この程度で私にこびりついた血の匂いを落とせるはずもないが、気持ちを改めることくらいは可能だった。

 

 透明な湯が肩から腕、指先を伝って流れ落ちる。

 破綻者たる自覚はある。擬態できることも知っている。

 或いは、このまま平穏に生きることだってできる。

 

 ほとんど毎朝、考えるのだ。本当に自分が幸せになるには。迷いからではなく、己を定めるために。

 真の幸いはこれであると。修羅に非ず、ただ畜生である。これこそが私の幸いだと定めてしまった。初夏のあの部屋で、初めてナイフを手に取ったあの瞬間から。

 零れ落ちる命を眺めて、虚ろに天井を見つめる底抜けに昏い瞳を直視してから。

 スっと心が軽くなった。多幸感が胸を埋め尽くして、甘美に酔った。私を押さえつけていた見えざる手が払いのけられたようにも感じられた。心を引き留めていた楔が抜けた。

 

 殺せと叫ぶでもなく、ただ己がままに在れと、そう言う心に蛇が忍び寄る。

 

 お前の愉悦が(これ)であると。

 

 修羅でもなく、ただ人を殺すだけの快楽殺人鬼。傍目から見ればなんと愚かなことだろう。しかし、後悔はなかった。生まれたその瞬間より、私がここに落ちるのはきっと決まっていたのだから。

 

 制服に着替えて、朝食を摂る。なんてことの無い食事風景で、祖母もまさか探ってくるようなことはしない。

 いい祖母だと思う。身寄りのない私を引き取り、学校にまで通わせてくれる時点でそれは明らかなのだが。

 

 諸処の始末をして、家を出る。まだ少しだけ大きいローファーはしかし、しっかりと私の足に馴染んでいた。

 五月とは思えぬ真夏日。空から照らす太陽がじわじわと露出した肌を焼こうとする。

 シオカラトンボが私の少し前の地面から飛び立って、一瞬だけ並走した。昆虫に意思は宿らない。さほどの興味もなかった。

 

 校門という境界は、私たちに明確に学校の内外を区別させ理解させるための存在である。少なくとも私は、この門を通り抜けた瞬間に意識が変わる。その内容は一日への奮起であったりめんどくさい行事への倦怠であったりと日によって異なるが。

 テストが明けた今日の気分は、テストの結果への興味と、最近感じる視線についてだった。

 

 

 今日は変則的時間割で、一日でテストの結果が全て返ってくるようになっていた。それほど熱心に勉強したわけではないが、高校一年の勉強で躓くわけもなく、それなりに高成績を残したと思っている。未だ全ての教科が返ってきたわけではないが、現時点では私がクラス一位らしかった。

 

 

「やっぱり紅里は凄いよねぇ」

「陽菜もちゃんと授業受ければもっと取れるよ」

「うーん、お昼過ぎはついウトウトしちゃって……」

 

 昼休み。課題として出されたテスト直しをさっさと片付けようと赤ペンを手にテストの解答用紙と解答を開いていた私に、陽菜が話しかけてくる。地頭は悪くないくせに成績が芳しくない陽菜は、それなりにテストの点数を気にしているらしい。とは言っても中の下には入っているはずだし、中学では調子がよければそれなりに上位に入っていることもあった。よく分からない。

 

 そのタイミングで、クラスの男子二人が近付いてくるのが見えた。あまり話したことは無いが、確かそれなりにクラス内でもやかましい二人だ。相応にクラスカーストなんかも上位なのだろう。それは私が自分の行動を変える理由にはならないが。

 誰に絡まれようとも適度に愛想良く振る舞う。無駄に視線を集める必要は無いので、ことを荒立てたりはしない。

 

「市村、クラス一位なんだって?」

「そうらしいね」

 

 尤も、それを抜きにして──

 自分の感情だけで話をするのならば、こいつはあまり好きじゃなかった。

 

「すげーじゃん! なあ、今度俺にも勉強教えてくれよ。今回あんまり点数良くなくてさ、期末ちょっと不安なんだ」

 

 二人組のうち、背が高い方。梅田がぐいぐいと攻めてくる。こんな時、普通の高校生ならどうするだろう。実際にやるかどうかはさておき、口約束くらいはせざるを得ないのではないか。

 

「まあ、テスト期間になら構わないけど」

「マジか、やった」

 

 なんとなく、陽菜の方を見やった。彼女は少し気まずげな、嫌そうな表情でこちらを見ていた。その奥に潜む感情の色を、私は見抜けない。だけどどうやら彼女は梅田に、この男子達に好い感情を抱いていないらしい。

 

「間宮も教えてもらうんだろ?」

 

 今度は陽菜に向かって梅田が言う。すると彼女は先程までの表情を一瞬で消し去って、実に楽しみそうに笑う。

 

「うん、私も御一緒させて貰うかもっ。紅里はね、すっごく教えるの上手なんだよ」

 

 付き合いの長い私には、わざとらし過ぎるように感じられる弾んだ声。いい人趣味も大概だなと思う。瞳の奥も笑ってはいない。

 ……梅田は、使えるか? いや、どうせ大したものじゃない。ツマミにもならないだろう。流石にクラスメイトを()()()に使うのは不可能だろうから。

 

 それはそれとして、最近不審なくらいクラスで話しかけられるようになった。梅田を筆頭に男子数名と、陽菜と仲がいい女子達。クラスに馴染んできたせいで会話が増えたのだとしたら大したことでもないのだが、少し急な気もする。

 

「あんまり期待されても困るけど」

「大丈夫だって。ほぼ満点じゃねぇか」

「点が取れるのと教えられるのは別だからね」

 

 話は終わったかと、一旦区切りを付けるために席を立った。避けられない場合を除いて、あまり長く話していたい相手ではない。これは少しくらい報いてくれなければ大損じゃないかと、自販機で今しがた買った紅茶を飲みながら考えた。そう、上手くいくはずもないが。

 

 陽菜とは、話をしなければいけないだろう。彼女の趣味に口を出すのは気が進まないが、彼女のそれはいつか崩れるような気がしてならない。

 

 

「どうかしたんですか?」

「ん、ああ、瑞乃。いや、大したことじゃないんだけどね」

 

 備え付けられたベンチに腰掛けてぼうっとしていると、ちょっと通りかかった瑞乃に話しかけられる。意外とよく出会うなと、少し作為的なものを感じたが気の所為だろう。思考を中断する。

 

 こちらを少し心配そうに見つめる蒼色の瞳を見つめ返した。

 

「そう言えば、最近出かけることなかったよね。近々どこか遊びに行かない? お金がかからないところで」

「空いてる日なら大丈夫ですけど……いいんですか?」

 

 急だったかもしれないが、最近は瑞乃と接する機会が減っていた。友人(◼◼◼◼)として遊びに誘うことは何らおかしくないだろうし、瑞乃の事情も全て知っている私には彼女も気兼ねなくいられるはずだ。

 

「うん? 何が?」

「あの間宮さん? と一緒にいる時の紅里さんは、すごく楽しそうだから」

「…………そう、見えるんだ」

 

 一瞬、湧き上がった歓喜と動揺を。どうやって切り捨てればいい。


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