もしも、比企谷八幡に友人がいたら   作:一日一善

14 / 29
読書の秋ということで、3連休に3話出すつもりが、作者がスポーツの秋に魅力され、遅れました。
今回は長いので、暇なときにお読みいただければ幸いです。



第13話

放課後、俺たちが部室に行くと雪ノ下が小難しげな本を手に待っていた。

 

「では、始めましょう」

 

その言葉に俺たちは頷く。そして、何故か戸塚もいた。

 

「戸塚、無理に付き合わなくてもいいんだぞ」

 

「ううん、いいよ。ぼくも話聞いちゃったし。それに、八幡たちがどんなことするのか興味あるし……。お邪魔じゃなかったら、付き合いたい、な」

 

「そ、そうか。じゃあ……、付き合ってくれ」

 

無意識のうちに「付き合ってくれ」の部分だけ男前に言ってしまった。だってさ、ジャージの袖をきゅって掴みながら上目遣いで付き合いたいなんて言うんだぜ?

ここで決めなきゃ男がすたる!……まぁ、戸塚は男の子なわけですが、はぁ。

 

「少し考えたのだけれど、一番いいのは川崎さん自身が自分の問題を解決することだと思うの。誰かが強制的に何かをするより、自分の力で立ち直ったほうがリスクも少ないし、リバウンドもほとんどないわ」

 

「まぁそりゃそうだろうな」

 

俗に言う「あんたごろごろしないで勉強したら?」だ。これを言われると「んだよ、今からやろうと思ったのに!あーもうやる気でねぇわー」となると同じだ。

 

「で、具体的にはどうすんだ?」

 

「そうね……」

 

そこからは色んなことを試した。が、ことごとく失敗した。

アニマルセラピーは川崎が猫アレルギーとのことで中止、拓也の嫌がらせとも取れる葉山による説得、無事撃退され俺も拓也も腹を抱えて笑っていた。それから第三者に頼るという戸塚の意見も平塚先生が撃退されて終わった。

もういいかげんだれか貰ってやれよ、ほんと。

 

 

 

 

 

 

さて、時刻はもうじき午後七時半。

夜の街が活況するにはいい頃合いである。

 

「千葉市内で『エンジェル』という名前のつく飲食店で、かつ朝方まで営業している店は二店舗しかない、らしい」

 

「そのうちの一軒がここ、ということ?」

 

雪ノ下はネオンと電飾がぺかぺかと光、『メイドカフェ・えんじぇるている』と書かれた看板を胡散臭そうに見る。その横には「お帰りにゃさいだワン♪」と獣耳の女の子が手招きをしているイラストが描かれた立て看板まである。

……何これ。おかえりにゃさいだワンってお前犬なの猫なの?

 

「千葉にメイドカフェなんてあるんだ……」

 

「甘いな、由比ヶ浜。千葉にないものなどない。どこかの流行を勘違いして取り入れてしまうのが千葉だ。見ろ、この結構どうしようもない残念な感じ。これが千葉クオリティだ」

 

常に東京の煽りを受けるくせに、変なところで千葉らしさにこだわり、一捻り加えたがるのが千葉なのだ。

 

「ぼく、あんまり詳しくないんだけど……その、メイドカフェってどういうお店なの?」

 

戸塚は看板の文言を何度も読んでいたが理解できなかったようだ。そりゃまぁ『萌え萌えメイドタイムを一緒に過ごしませんか?』とか書かれても意味がさっぱりわからない。

 

「いや、俺も実際行ったことないからよく知らないんだ……。で、まぁそういうのに詳しい奴呼んだ」

 

「うおんむ。呼んだか、八幡」

 

そうして、改札口から現れたのは材木座義輝だった。初夏だというのに、コートを羽織り、ふうふう言いながら汗をかいている。

 

「うわ……」

 

由比ヶ浜がちょっぴり嫌そうな顔をする。だが、それを責めるのは酷ってもんだろう。なぜなら俺の方がもっと嫌そうな顔をしているのだから。

 

「……自分で呼んでおいてなぜそんな顔をするのだ」

 

「そうだぞ、せっかくきてきてくれたんだ、そんな顔してやるな」

 

拓也、お前は自分の眉間を見てから物を言え。シワだらけだぞ。

材木座には既にメールで事の次第を伝えてある。その結果がこの『えんじぇるている』だった。

 

「材木座、本当にこの店なんだろうな」

 

「ああ、間違いない」

 

材木座は自分のスマートフォンを操作し、グーグル先生に教えてもらった情報を表示させた。

 

「この通り、市内にある候補は二つ。そして、川崎沙希なら間違いなく、こちらを選ぶと我のゴーストが囁いている」

 

「どうして、わかるんだ?」

 

材木座のやけに自信満々な答えに俺はごくりと息を飲む。

くっと材木座は喉の奥で笑った。

 

ーー違う、こいつにあるのは自信なんてもんじゃない、確信だ。

 

「まぁ黙って我についてこい……。メイドさんにちやほやしてもらえるぞ」

 

こいつ……。

そこまで言うならついていこうじゃないか。その約束された場所、蜜溢るる黄金の地、神聖モテモテ王国へ!

人類にとっては小さな一歩だが、俺にとっては大きな一歩を踏み出したときだった。

ぐいっとブレザーの裾を引かれた。振り返ると由比ヶ浜がむーっと膨れっ面である。

 

「……」

 

「……なんだよ?」

 

「べっつにー。ヒッキーもそういうお店行くんだなって思って。……なんかヤな感じ」

 

そう言ってぐりぐりと指先でブレザーをこねくり回す。やめろ、毛玉になる。

 

「……いや意味わかんないし。主語述語目的語使って話せっつーの」

 

「てか、これって男の人が行く店じゃないの?あたしたち、どーすればいいの?」

 

「案ずるな女郎」

 

「誰がメロンよ……」

 

いや、メロンであってるぞ。どこがとは言わないけど。

 

「こんなこともあろうかと潜入捜査用にメイド服を持ってきている」

 

そう言って、材木座は背中からクリーニング屋さんのビニールがついた綺麗なものを取り出した。

 

「ボフンボフン。では戸塚氏、参ろうか……」

 

ああ、そっちなんだ。グッジョブ。

 

「え。な、なんでぼく……」

 

じりじりと近寄ってくる材木座。いつもなら戸塚を助けてヒーローになる俺だが、このときばかりは動くことができなかった。

み、見てみたい……。

ついに戸塚が壁際に追い詰めらる。材木座が本当のモンスターに見えた。

 

「さぁ戸塚氏……、さぁ、さぁさぁさぁっ!」

 

目の前の現実を否定しようと戸塚は滴を溜めこんだその大きな瞳をぎゅっと瞑る。

 

「やめとけ」

 

その言葉と同時に材木座に正義の鉄拳が繰り出された。

拓也め、余計なことをしよって。

 

「た、拓也ぁ……!ありがとう!」

 

そう言うと戸塚は勢いよく拓也に抱きついた。

しまった、正しい選択肢を誤ったか。

 

「わざわざ、用意したようだが、どうやら必要ないみたいだぞ」

 

「そうね、ここ、女性も歓迎しているみたいよ」

 

言われて、雪ノ下の指す文字を見ると、確かに書いてあった。

 

『女性も歓迎!メイド体験可能』

 

おいおい、看板に偽りないのな。本当にメイドタイムできちゃうじゃん。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、男女六名で『えんじぇるている』に入る。

 

「お帰りなさいませ!ご主人様!お嬢様!」

 

と、おきまりの挨拶を頂き、テーブルに通された。

由比ヶ浜と雪ノ下はメイド体験とやらに向かい、席についているのは残った俺たちだけである。

 

「ご主人様。なんなりとお申し付けください」

 

そう言って猫耳カチューシャを付けた赤フレームメガネのお姉さんがメニューを差し出してくる。メニューにはごちゃごちゃと色々書いてあるが、こういうのは材木座に任せとけばいいだろう。

そう思って横に座る材木座に目を向けるが、身体を縮こまらせて、かなりのハイページで水を飲んでいた。

 

「何、どうしたの」

 

「む……。わ、我はこういうお店自体は好きだが、入ると緊張してしまってな……。メイドさんとうまく話せないのだ」

 

「……あっそ」

 

ぷるぷると震える手でガラスのコップに超振動を与え続ける材木座は無視することにした。

対する向こうは何故か盛り上がっていた。

 

「彩加、何飲む?」

 

「ん?拓也とおんなじのがいいなぁ……」

 

会話だけ聞けば、ただのカップルである。

……返せよ!俺の戸塚ぁ……。

飲み物が決まったのか、拓也はテーブルに置かれた鈴を鳴らす。

 

「お待たせいたしました、ご主人様」

 

「えっと、カプチーノ二つ、お前らは?」

 

「俺も同じので」

 

材木座は固まったまま動かない。何こいつ、凍ってんの?

 

「ご主人様がお望みでしたらカプチーノに猫ちゃんなど描きますが、いかがいたしますか?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

オプションを断ったもののメイドさんは嫌な顔一つせず、「かしこまりました。少々お待ちくださいませ♪」と営業スマイルを浮かべてくれる。

さすがはプロである。メイドカフェが人気なのは上っ面ではなく客に対して楽しい時間を楽しんでもらうというサービス精神が溢れているからなのだろう。

と、その中にやけに動きの悪いメイドさんがいる。

……と思ったら由比ヶ浜だった。

 

「お、おまたせしました。……ご、ご主人様」

 

その言葉を言うのはよほど恥ずかしかったのか、真っ赤な顔でカップを置く。着ているのはわりとプレーンな主流のメイド服だ。スカートが短く胸元が強調されているやつだが。

 

「…………」

 

「に、似合うかな?」

 

由比ヶ浜はトレイをテーブルに置き、控えめな速度でその場でくるりと回ってみせた。

 

「あ、ああ。まぁ、な」

 

「そか……よかった……。えへへ、ありがと」

 

正直、驚いた。

相変わらずアホっぽいのだが、しおらしい態度と恥ずかしそうな表情が相まっていつもとは違う印象を受ける。

 

「やー、でもさー、昔の人はこれ着て働いてて大変だったろーねー。これ着て掃除したらメイド服、クイックルワイパーみたいになっちゃいそうだよ」

 

前言撤回。やはり由比ヶ浜は由比ヶ浜である。

 

「お前、喋んなければいいのにな」

 

「なっ⁉︎どういう意味だっ⁉︎」

 

トレイで頭叩かれた。ご主人様に手を上げるとは……。

 

「何を遊んでるいるの……」

 

聞き慣れた冷たい声がして振り返る。そこには大英帝国時代のメイドさんがいた。

 

「うわ、ゆきのん、やばっ!めっちゃ似合ってる。超きれい……」

 

確かに由比ヶ浜の言う通り、本当に似合っている。

 

「それで、雪ノ下、結果は?」

 

「残念ながら、このお店に川崎さんはいないみたいね」

 

「ちゃんと調べていたのか……」

 

「もちろん。そのためにこの服を着ているのよ」

 

雪ノ下はきちんと潜入捜査をやっていた。ちゃんと見習えよ由比ヶ浜さん。

 

「今日は休みとかじゃなくて?」

 

「シフト表に名前がなかったわ。自宅に電話がかかってきていることから考えても、偽名の線もないと思う」

 

「そうなると、俺たちは完全にガセネタに踊らされていたことになるんだが……」

 

横に座る材木座をじろりと睨む。材木座は一人唸り始める。

そこに助け舟を出したのは意外にも拓也だった。

 

「まぁ、しゃーないだろ。結果論だ」

 

残っていたカプチーノを飲み干し席を立つ。

 

「もう夜もだいぶ更けてるし、今回はここで解散としよう」

 

でも、まぁ、由比ヶ浜はメイド服が着られて嬉しいそうだし、いいお店も見つけられたし。とりあえずよしとしとこう。

 

 

 

 

 

 

 

次の日、腕時計の針は午後八時二十分をさしていた。

俺は待ち合わせ場所である海浜幕張駅前の何やら尖ったモニュメント、「通称・変な尖ったやつ」に寄りかかる。

これから向かうのはもう一軒のエンジェル『エンジェル・ラダー天使の階』だ。

俺は着慣れない薄手のジャケットをなじませるように羽織り直す。

黒い立ち襟のカラーシャツにジーンズ、足元はロングノーズの革靴。普段ならまずしない着こなしだ。

待ち合わせ場所に最初に現れたのは、拓也だった。

 

「おう、早ぇな」

 

「いや、今来たところだ」

 

拓也は俺とは違いどこか着慣れた様子だった。ジャケットは黒というよりは紺に近く、下は黒のパンツで、ぱっと見サラリーマンに見えなくもない。が、いつもと違い、髪をきちんとワックスで固めていた。

 

「お前、印象変わりすぎだろ……」

 

「そのセリフは鏡を見てから言うんだな」

 

それとほぼ同時に戸塚がやってくる。

 

「ごめん、待った?」

 

「いや、俺たちも今来たところだ」

 

戸塚はユニセックスな印象を与えるややスポーティな服装だった。ゆったりめなカーゴパンツにややぴったりのTシャツ。ニット帽を浅めにかぶり、首にはヘッドホンが掛けられている。

少し遅れて材木座も現れた。

 

「ふむぅ。待ち合わせ場所はここでいいはずだが……おおっ!八幡ではないか!」

 

小芝居のウザさにイラッときたが、見つかってしまっては仕方ない。

 

「……お前、その格好、何。なんで頭にタオル巻いてんの?ラーメン屋さんなの?」

 

「ふぅ、やれやれ。大人らしい格好といったのは貴様らではないか。故に働く大人のスタイル、作業衣とタオルをチョイスしたのだが……」

 

「……お前の場合、ボケてきたのか、本気で来たのかよくわかんねぇんだよなぁ」

 

全くもってその通り。まぁ、置いていけばいいだけだし別にいいや。

俺がそう結論出すのと由比ヶ浜が歩いてくるのはほぼ同時だった。

由比ヶ浜はきょろきょろと携帯電話を取り出す。こちらに気づいてないようだ。

 

「由比ヶ浜」

 

俺が声をかけると、由比ヶ浜はびくっと反応し、こちらを恐る恐る見る。

 

「ヒ、ヒッキー?あ、ヒッキーだ。一瞬わかんなかった……。そ、その格好……」

 

「んだよ。笑うなよ」

 

「ぜ、全然そんなんじゃないからっ!その、いつもと違い過ぎてびっくりしただけで……」

 

わーとかはーとかへーとか言いながらじろじろ見てくる。

 

「これ、小町ちゃんが選んだでしょ?」

 

「ああ、よくわかったな」

 

「やっぱりね……」

 

何かを納得する由比ヶ浜。……何がわかったんだ。

由比ヶ浜はチューブトップにビニール製のブラストラップを右肩にかけ、左は外してある。上にはデニム生地の裾野短いジャケットを羽織っている。下は黒いチノに金ボタンがあしらわれたホットパンツ、足下はといえば、ややヒールの高いミュールだった。

 

「なんというか、大人っぽくはないな……」

 

「はぁ⁉︎どこが⁉︎」

 

まぁ、スタイル分上乗せで女子大生くらいには見えるか……。

 

これでほぼ揃った。あとはもう一人、

 

「ごめんなさい、遅れたかしら?」

 

暗い夜の中にあるぶん、その白いサマードレスは鮮やかだった。下に履いた黒いレギンスが細い脚をしなやかに見せている。

本当、性格さえまともならなぁ……。そう思わずにはいられない。

 

「時間通りね」

 

そう言うと雪ノ下はさーっと全員の姿を流し見る。

 

「ふむ……」

 

そして、材木座から順に指をさす。

 

「不合格」

 

「ぬぅ?」

 

「不合格」

 

「……え?」

 

「不合格」

 

「へ?」

 

「合格」

 

「ん」

 

「不適格」

 

「おい……」

 

何故か合否判定がされていた。しかも俺だけなんか違うだが……。

 

「あなたたち、ちゃんと大人しめな格好でって言ったでしょう」

 

「大人っぽい、じゃなくて?」

 

「これから行くところを考えてみろ、ある程度の値段がするレストランやホテルなんかはドレスコードがあるのが常識だ」

 

「お前、そんなんよく知ってるな」

 

「来る前にググったからな」

 

流石はグーグル大先生である。

とりあえずこの中でジャケットを着ているのは俺と拓也だけだ。戸塚は結構ラフな格好だし、材木座はラーメン屋な格好だし。

 

「あ、あたしもダメ?」

 

由比ヶ浜が確認すると、雪ノ下は少し困ったような顔になる。

 

「女性の場合、そこまでうるさくはないけど……。でも、エスコートするのが比企谷くんだとすると、ちょっと厳しいかもね」

 

「いやいや、ジャケットジャケット」

 

「服装は誤魔化せても目の腐り具合が危ういわ」

 

…………そんなに?

 

「入店を断られて二度手間やななるのも嫌だし、由比ヶ浜さんはうちで着替えたほうがいいかもね」

 

「え、ゆきのん家、行けるの⁉︎行く行く!……あ、でもこんな時間に迷惑じゃない?」

 

「気にしなくてもいいわ。私、一人暮らしだから」

 

「この子、できる子だっ⁉︎」

 

由比ヶ浜が大げさに驚く。何、その基準。

 

「じゃあ行きましょうか。すぐそこだから」

 

そう言って雪ノ下が見つめる先にあったのはこの一帯でも特にお高いことで知られるマンション、しかもオレンジの光を放つ摩天楼のだいぶ上。おおう、こいつひょっとしてブルジョアジーか……。

 

「戸塚君、せっかくきてもらって申し訳ないけれど……」

 

「ううん、全然いいよ。みんなの私服見られて少し楽しかったし」

 

「じゃあ、由比ヶ浜が着替えてる間、俺ら飯食ってるからさ。終わったら適当に連絡くれ」

 

「うん、そうする!」

 

残された男たちは自分の腹の減り具合を確認するように黙った。

 

「して、何を食す?」

 

材木座が腹を撫で繰り回しながら、聞いてきた。

俺たちは顔を見合わせる。

 

「ラーメンだよね」

「ラーメンだろ」

「ラーメンだよな」

 

 

 

 

 

 

改札前で戸塚と材木座と別れる。美味しいラーメンを食えて二人には満足してもらえたようだ。

 

「さて、行くか」

 

「おう」

 

駅から離れるとホテル・ロイヤルオークラへと向かう。二人とは今度はそこで待ち合わせだ。

改めてホテルの前に立ってみると、その大きさに少したじろぐ。明らかに高校生が入ってい建物ではない。

それでも、内心ドキドキで建物に入る。由比ヶ浜からのメールにあった待ち合わせ場所はエレベーターホール前だ。

 

『今着いたけど、もういるー⁇』

 

由比ヶ浜からメールが来る。

着いたって言っても……と、周囲を見渡してみる。

なんだかいい匂いのする美人のお姉さんに話しかけられた。

 

「な、なんか、ピアノの発表会みたいになってるんだけど……」

 

「ああ、由比ヶ浜か。誰かと思った」

 

「お前本当、発言は残念だよな」

 

持ち前のアホっぽさでなんとか由比ヶ浜と気づいたが、これで取り澄ましていたらたぶんわかんなかった。

 

「せめて結婚式くらいのことは言えないの?さすがにこのレベルの服をピアノの発表会と言われると少し複雑なのだけれど……」

 

そう言って今度は漆黒のドレスを纏った美女が現れる。

誰か、などと間違いようなどない、雪ノ下雪乃だ。

 

「だ、だってこんな服着たの初めてだもん。ていうか、マジでゆきのん何者⁉︎」

 

「大袈裟ね。たまに機会があるから持っているだけよ」

 

「普通はその機会自体ないんだけどな。こんなのどこで売ってんだよ?レまむら?」

 

「レまむら?初めて聴くブランドね……」

 

素で返された。こいつレまむら知らないとかウニクロも知らんないんと違うか。

 

「おい、そろそろ行くぞ」

 

拓也がエレベーターのボタンを押す。

エレベータの中はガラス張りで、幕張の夜景を彩っていた。

最上階に着くと、再び扉が開く。

 

「おい……、おい、マジか。これ……」

 

そこには明らかに俺が踏み入れてはいけない空気が流れていた。

……やっぱ帰んない?と俺がアイコンタクトを送ると、由比ヶ浜がぶんぶんぶんと凄い勢いで頷いている。

 

「きょろきょろするなよ八幡」

 

慌てふためく俺をよそに拓也は何故か余裕のある顔をしている。

 

「……なんでお前そんな冷静なんだよ」

 

「郷に入れば郷に従え、だ自分を役者だとでも思えばいい、背筋を伸ばして胸を張って顎を引け」

 

小さな声でアドバイスを送ってくれた。そう、俺は俳優、そう思えば堂々とできてるような気がした。

 

「……あなた、そういう心得でもあるのかしら?」

 

「大体ググれば出てくる」

 

「……呆れた」

 

そう言うと雪ノ下は拓也の右肘をそっと掴んでいた。

 

「……すまん、これは知らん」

 

「あなたは大人しくしていればいいわ。由比ヶ浜さん、同じようにして」

 

「う、うえ?」

 

わけがわからないよ……と言った表情ながらも由比ヶ浜は大人しく雪ノ下の指示に従った。要するに俺の右肘に手を添えた。

 

「では行きましょう」

 

言われるがまま、俺は由比ヶ浜と歩調を合わせてゆっくりと歩き始めた。開け放たれた重そうな木製のドアをくくるとすぐさまギャルソンの男性が傍にやってきて、すっと頭を下げた。そのまま男性は一歩半先行し、バーカウンターへと俺たちを導く。

そこにはきゅっきゅっとグラスを磨く、女性のバーテンダーさんがいた。憂いを秘めた表情と泣きぼくろがとても良く似合っていた。

……ついうか、川崎じゃん。

学校で受ける印象とは違い、気だるげな感じはしない。

 

「川崎」

 

俺が小声で話しかけると、川崎はちょっと困ったような顔をする。

 

「申し訳ございません。どちら様でしたでしょうか?」

 

「同じクラスなのに顔も覚えられてないとはさすが比企谷くんね」

 

感心したように雪ノ下が言いながら、スツールに腰かける。

 

「同じクラスが三人いて気づかれないのは、俺からしても割とショックなんだが」

 

多少緊張がとれたのか、いつもの態度に戻る拓也は、雪ノ下の隣に座った。

 

「や、ほら。今日は服装も違うし、しょうがないんじゃないの」

 

そうフォローを入れながら一つ椅子を開けて由比ヶ浜も座る。

空いてるのは拓也の隣だ。オセロなら俺たちの負けだったな。

 

「捜したわ。川崎沙希さん」

 

雪ノ下が話を切り出すと、川崎の顔色が変わる。

 

「雪ノ下……」

 

その表情はまるで親の仇でもみるようなもので、はっきりとした敵意が見て取れた。

 

「こんばんは」

 

そんなことは知ったこっちゃないと言わんばかりに、雪ノ下は涼しい顔で夜の挨拶をする。二人の視線が交錯する。怖い。

同じ学校の人間である雪ノ下がいるということは、こいつもそうなのかと言わんばかりに川崎の目が今度は由比ヶ浜の方に向く。

 

「ど、どもー……」

 

その迫力に負けたのか、由比ヶ浜は日和った挨拶をした。

 

「由比ヶ浜か……、一瞬わからなかったよ。じゃあ、彼らも総武高の人?」

 

「あ、うん。同じクラスのヒッキーとたっくん。比企谷八幡と佐藤拓也」

 

軽く会釈すると、川崎はどこか諦めたように笑う。

 

「そっか、ばれちゃったか」

 

別段、隠し立てするでもなく、川崎は肩を竦めてみせた。ことの終焉を悟り、全てがどうでもよくなってしまったのかもしれない。

学校で見せるのと同じ、かったるい空気を醸し出して、ふっと浅いため息をついてから、俺たちに一瞥をくれてやる。

 

「……何か飲む?」

 

「私はペリエを」

 

それに答えて雪ノ下が何か言った。な、何?ペリー?

 

「あ、あたしも同じのをっ⁉︎」

 

「あ……」

 

俺も言おうと思ったのに。

 

「俺はジンジャエールで」

 

くそ、その手があったか、ファンタとかダメかな?

 

「比企谷だっけ?君は?」

 

待てよ、ペリーさんが飲み物だよな……。別にハリーとか言わなくていいよな、それにジンジャエールが行けるってことは飲み物の名前出せば……。

 

「俺はMAXコー」

 

「彼には辛口のジンジャエールを」

 

言いかけた途中で雪ノ下に思いっきり遮られた。

川崎は苦笑い交じりで「かしこまりました」というと慣れた手つきで注ぎ、コースターの上に置いた。

お互い、なんとなく無言でグラスを合わせると口をつける。すると思い出したかのように雪ノ下が言った。

 

「……MAXコーヒーがあるわけないじゃない」

 

「マジで⁉︎千葉県なのに?」

 

MAXコーヒーのない千葉県なんて千葉県じゃないだろ。

 

「……まぁ、あるんだけどね」

 

ぼそっと川崎が呟きを漏らすと、雪ノ下がちろっと川崎の顔を見る。ねぇ、何?お前らなんでちょっと仲悪そうなの?

 

「それで、何しに来たのさ?まさかそんなのとデートってわけじゃないんでしょ?」

 

「まさかね。横のコレを見ていっているなら、冗談にしたって趣味が悪いわ」

 

「あれぇ、おかしいなぁ、この流れで何で俺に被弾がくる」

 

「ふっ、諦めろ、お前はこっちに堕ちたんだよ」

 

こいつが完全にこっちに来るのも時間の問題のようだ。このまま二人だけで話をさせていると俺たちが死にそうだ。そこで俺から口火を切る。

 

「お前、最近家帰んの遅いんだってな。このバイトのせいだよな?弟、心配してたぞ」

 

俺がそう言うと川崎は例の、ハッと人を小馬鹿にした癪に障る笑い方で笑った。

 

「そんなこと言いにわざわざ来たの?ごくろー様。あのさ、見ず知らずのあんたにそんなこと言われたくらいでやめると思ってんの?」

 

「クラスメイトに見ず知らず扱いされるヒッキーすごいなぁ……」

 

妙なところで由比ヶ浜に感心されてしまった。だが、俺も川崎のことを知らなかったのでイーブンだろう。

 

「ーーああ、最近やけに周りが小うるさいと思ったらあんたたちのせいか。大志が何か言ってきた?どういう繋がりか知らないけどあたしから大志に言っとくからきにしないでいいよ。……だから、もう大志と関わんないでね」

 

川崎は俺を睨みつけてきた。

関係ないやつはすっこんでろ、という意思表示だろう。

 

「止める理由ならあるわ」

 

しかし、雪ノ下はここで引き下がるような人間ではない。

 

「十時四十分……。あなたの魔法はここで解けたみたいね」

 

「魔法が解けたなら、あとはハッピーエンドが待ってるだけなんじゃないの?」

 

「それはどうかしら、人魚姫さん。あなたに待ち構えているのはバットエンドだと思うけれど」

 

二人の掛け合いは余人の介入を許さない。皮肉とあてこすりを繰り返す。だからさ、なんで仲悪いの?初めて話すんじゃないの?怖い。

 

「……ねぇ、ヒッキー。あの二人何言ってんの?」

 

ああ、由比ヶ浜。お前みたいな庶民がいるとほんと落ち着くなぁ…。

十八歳未満が夜十時以降に働くのは労働基準法で禁止されている。この時間まで働いているということは川崎は年齢詐称という魔法を用いてるわけだ。そしてそれは雪ノ下によって解かれてしまった。

 

「やめる気はないの?」

 

「ん?ないよ。…まぁ、ここはやめるにしてもまたほかのところで働けばいいし」

 

その態度に少しイラついたのか、雪ノ下はペリーを軽く煽る。

 

「あ、あのさ……川崎さん、なんでここでバイトしてんの?あ、やー、あたしもほら、お金ないときバイトするけど、年誤魔化してまで夜働かないし……」

 

恐る恐る由比ヶ浜がそう口を開いた。

 

「別に……お金が必要なだけだけど」

 

まぁ、そりゃそうだろ。働く理由なんてお金のためってのがほとんどのはずだ。やりがいや生きがいとかについては俺はわからん。

 

「あー、や、それはわかるんだけどよ」

 

俺が何気なくそう言うと、川崎の表情が変わる。

 

「わかるはずないじゃん……あんなふざけた進路書くような奴にはわからないよ」

 

覚えていたのか。

 

「別にふざけてねぇよ……」

 

「そ、ふざけてないならガキってことでしょ。人生なめすぎ」

 

そう言うと川崎は壁にもたれかかる。

 

「あんたも、……いや、あんただけじゃないか、雪ノ下も由比ヶ浜も佐藤にもわからないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いているわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」

 

俺を睨みつける川崎の目には力があった。邪魔をするなと、そう力強く吠える瞳。しかし、俺には理解されないことへの嘆きと諦め、そして理解してもらいたいという願いがあるように思えてならない。

そう、俺がここまで理解できるのだ、こいつが黙って終わるはずがない。

 

 

 

 

「よし、今日は帰るぞ」

 

 

 

 

と、思ったんだけど。あれぇ?

 

「……はぁ?」

 

毒気を抜かれたのか、川崎の声がやけに間抜けに聞こえる。

まぁ、俺としてもいくつかわかったことはある。あとは俺たちでなんとかすればいい。

 

「だな、もう帰ろうぜ。正直眠い」

 

「あなたたちね……」

 

「ま、まぁまぁ。ゆきのん、今日はもう帰ろ?」

 

雪ノ下は呆れたようにため息をつくと、何かを言おうとするが、由比ヶ浜がそれを押し留めた。由比ヶ浜なりに、察するものがあったのだろう。

 

「……そうね、今日は帰るわ」

 

伝票も確認せずにそっと数枚の紙幣をカウンターに置くと立ち上がった。由比ヶ浜も雪ノ下に続いて椅子から立つ。

その背中に声をかける。

 

「由比ヶ浜、後でメールする」

 

「……へ?え、え。あ、うん。わかった。……待ってる、ね」

 

間接照明のせいか由比ヶ浜の顔はやけに赤く見えた。

二人を見送ってから、俺たちはグラスを傾けて川崎に向き直る。

 

「川崎。明日の朝時間くれ。五時半に通り沿いのマック。いいか?」

 

「はぁ?なんで?」

 

川崎は再び冷たい態度をとる。けれど、その次の言葉で態度を変えさせる自身が俺にはあった。

 

「少し、大志のことで話しておきたいことがある」

 

「……何?」

 

怪訝な、というよりはむしろ、敵視するような目で俺を見る川崎。

 

「ま、それは明日来ればわかるさ」

 

そう言って拓也が残りのジンジャエールを飲み干したのと同時に俺たちは立ち上がった。

 

「川崎、お前にぴったりな言葉を教えてやろう。『Life becomes harder for us when we live for others, but it also becomes richer and happier.』俺は頑張ってる人が大好きなんだよ」

 

「ちょっと!」

 

そう呼びかける声を無視して俺たちはかっこよく、この場を去ろうとした。

 

「ちょっと!お金、足りてないんだけど!

 

……おい、雪ノ下。俺たちの分は払ってないのかよ。

キザなセリフを吐いた拓也は俺に五百円を渡し、「……あとでメールするわ」と言い残し先に帰った。

ちなみにジンジャエールは一杯940円だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、といっても俺は寝ておらず、朝五時過ぎのマックで二杯目のコーヒーを啜っていた。

あれからホテル・ロイヤルオークラを後にした俺たちはそれぞれ家に帰った。帰宅してから小町にいくつかお願いし、ここで時間を潰していた。

 

「来たか……」

 

そこには気だるげに靴を引きずって川崎沙希が現れた。

 

「話って何?」

 

疲れているからか、いつもより一層不機嫌そうな川崎が問う。

 

「まぁ、おちちゅけ。……まぁ、落ち着け」

 

……いや、ビビってるとかじゃないから。本当だから。

 

「みんなもうじき集まる。もう少し待ってくれ」

 

「みんな?」

 

川崎が怪訝そうな顔をしていると、再び自動ドアが開くと、雪ノ下と由比ヶ浜がやってきた。

二人と別れた後、俺は由比ヶ浜にメールを送った。

雪ノ下の家に泊まることと、その旨を両親に連絡を入れておくこと、翌朝五時に雪ノ下と通り沿いのマックに来ること。以上の簡単な業務連絡だ。

 

「またあんたたち?」

 

うんざりとした表情で川崎はため息をつく。しかし、もう一人不機嫌な奴がいる。由比ヶ浜はふてくされたようにしてこっちを見もしない。

 

「何、あいつ寝不足?」

 

俺は雪ノ下に問うてみるが、雪ノ下も首をひねる。

 

「さぁ?……そういえば、あなたからメールが来てから露骨に不機嫌になった気がするわ。何か卑猥なことでも書いたの?」

 

「勝手に犯罪者扱いするのやめてくんない?っつーかただの業務連絡なんだから不機嫌になりようがねぇだろ」

 

そんな俺たちの間に割って入ってくる影が二つ。

 

「やー、さすが私のお兄ちゃんだなー。肝心なところで気が利かない」

 

「そうか?今回は由比ヶ浜がお花畑すぎなだけな気がするけどな」

 

「おー。小町、今回は拓也の方が正しいぞ、俺はただ業務連絡しただけなんだからな」

 

「妹さんも呼んでいたの?」

 

雪ノ下が少しばかり意外そうな表情で聞いてくる。

 

「ああ、頼みたいことがあったんでな、小町、連れてきてくれるか?」

 

「うん」

 

そう言って小町が指した方向には川崎大志。

 

「大志……、あんたこんな時間に何してんの」

 

川崎が驚きとも怒りともつかない顔で大志を睨んだ。だが、大志も譲らない。

 

「こんな時間ってそれはこっちのセリフだよ、姉ちゃん。こんな時間まで何やってたんだよ」

 

「あんたには関係ないでしょ……」

 

会話を切ろうとする川崎。だが、その論法は俺たちには通じても家族には通じない。今までは一方的な会話を切ったり、その場から去ったりと、いくらでも川崎に逃げ道はあった。だが、今はそれができない。周りの俺たちが逃がさないし、何より朝、外にいるその現場を押さえられてしまっている。

 

「関係なくねぇよ、家族じゃん」

 

「……あんたは知らなくていいって言ってんの」

 

大志が食い下がってくると、川崎の声は弱々しいものになっていた。

 

「川崎、なんでお前が働いてたか、金が必要だったか当ててやろう」

 

俺が言うと、川崎は俺を睨みつける。雪ノ下と由比ヶ浜は俺に興味津々の眼差しを向けた。

これはそこまで難しいことではない、考えてみればヒントはある。

川崎が不良化したのは高校二年になってから、と川崎大志は言った。たしかに、川崎大志の視点からはそうだろう。だが、川崎沙希の視点から言えばそうではない。

 

「大志、お前が中三になってから何か変わったことは?」

 

「え、えっと……。塾に通い始めたことくらいっすかね?」

 

川崎は俺が言おうとしたことを察したのか、悔しそうに唇を噛んでいる。

 

「なるほど、弟さんの学費のために……」

 

由比ヶ浜が納得したように口にしたが、俺はそれを遮る。

 

「違うな。大志が4月から通えてる時点で入学費も教材費も払い終えてる。もともとその出費は織り込み済みなんだろう。逆に言えば、大志の学費だけが解決している状態なんだよ」

 

「そういうことね。確かに、学費が必要なのは弟さんだけではないもの」

 

雪ノ下はすべて理解したのか、ほんのわずか、川崎に同情めいた視線を向けた。

そう、総武高は進学校だ。高校二年のこの時期から受験を意識する者も少なくない。大学に行くまでも、お金はかかるのだ。

 

「大志が言ってたろ。姉ちゃんは昔から真面目で優しかったって。つまりそういうことなんだよ」

 

俺がそう結論を言うと、川崎は力なく肩を落とした。

 

「姉ちゃん……。お、俺が塾行ってるから……」

 

「……だから、あんたは知らなくていいって言ったじゃん」

 

川崎は慰めるように、大志の頭をぽんと叩いた。

どうやらいい感じにおさまりがついたようだな。めでたしめでたし。

そう思ったのだが、川崎はきゅっと唇を噛みしめる。

 

「けど、やっぱりバイトはやめられない。あたし、大学行くつもりだし。そのことで親にも大志にも迷惑かけたくないから」

 

川崎の声は鋭かった。その固い意志に大志は再び黙り込む。

 

「あのー、ちょっといいですかねー?」

 

その沈黙を破ったのは小町の呑気な声だった。

 

「何?」

 

「やー。うちも昔から両親共働きなんですねー、それで小さいころの小町、家帰ると誰もいないんですよ。ただいまーって言っても誰も答えてくれないんです」

 

俺も口を噤み、小町の話に耳を傾ける。

 

「それで、そんな家に帰るのが嫌になっちゃって小町五日間ほど家出をしたんですよ。そしたら両親じゃなくてお兄ちゃんが迎えに来て。で、それ以来兄は小町よりも早く帰るようになったんですよー。それで兄には感謝してるんですねー」

 

川崎はどこか俺に親近感にも似た眼差しを向け、由比ヶ浜の瞳は少しうるっとしている。いや、ただテレ東六時台のアニメ見たかったから早く帰ってただけなんだが。

 

「で、結局何がいいたいわけ?」

 

「まぁ、つまりですね、沙希さんが家族に迷惑かけたくないと思うのと同じくらい、大志君だって沙希さんに迷惑かけたくないんですよ?その辺をわかってもらえると下の子的に嬉しいかなーって」

 

「…………」

 

その沈黙は川崎のものだった。と、同時に俺の沈黙でもあった。

 

「……まぁ、俺もそんな感じ」

 

大志がぽそっと付け足すように言った。川崎は立ち上がるとそっと大志の頭を撫でる。いつもよりほんの僅か柔らかい笑顔だった。

それでもまだ問題は解決していない。金銭の問題は高校生にとってかなりシビアだ。ここでぽーんと百万だの二百万だな渡せればかっこいのだが、そんな金は持っていないし、何より奉仕部の理念に反する。

ならばここはひとつ、俺の錬金術の一端を授けてやろう。

 

「川崎。お前さ、スカラシップって知ってる?」

 

 

 

 

 

 

朝方五時半の空気はまだ肌寒い。欠伸交じりに俺は遠ざかる二つの影を見送っていた。二人は時折笑い声がさざめくように肩を揺らしていた。

 

「きょうだいってああいうものなのかしらね……」

 

朝靄の中で、雪ノ下はぽつりと漏らした。

 

「どうだろうな。結構人によりけりじゃねぇの。一番近い他人って言いかたもできるしな」

 

実際、よくわからん距離感にいるのが兄弟だと思う。一番近いのに他人で、他人だけど一番近い。

 

「一番近い、他人……。そうね。それはとてもよくわかるわ」

 

雪ノ下は頷き、そしてそのまま顔を上げない。

 

「ゆきのん?」

 

その様子を怪訝に思ったのか由比ヶ浜がそっと雪ノ下の顔を覗き込んだ。雪ノ下はすぐに顔を上げ、由比ヶ浜に微笑みかける。

 

「さ、私たちも一度帰りましょうか」

 

「う、うん……」

 

雪ノ下の態度にどこか釈然としない由比ヶ浜だったが、頷いて肩にかけたバッグを背負い直した。俺も自転車の鍵を外す。

小町の方を向くと、拓也に背負われて幸せそうな寝顔を晒していた。

 

「俺も一緒に送ってやるから寝かしといてやれ、いつもならまだ寝てる時間だろうしな」

 

「そうか、頼むわ。じゃあ、お疲れ」

 

「うん、また明日、じゃないか、また学校で」

 

由比ヶ浜が小さく手を振ってくる。雪ノ下はぼーっと俺たちを見つめていた。

 

「普通逆じゃないかしら……。気をつけてね」

 

「ああ、じゃあな」

 

そう返すと同時に手でチャリを引く。

 

「で、なんでお前さっきの会話に入ってこなかったんだよ」

 

この男、メールで送るだけ送って、あとは何もしなかったのだ。

 

「んー、俺はあのバーで川崎に言ったことが全てだったからな、それに、お前がいるから心配してなかったし」

 

つくづく変な奴だと思う。俺に信頼を寄せるなんてお前くらいだよ、本当。

 

「そういやぁ、あれどういう意味だよ」

 

「『人のために生きる時、人生はより困難になる。しかし、より豊かで幸せにもなれる。』とある哲学者の言葉だよ」

 

なんだよ、初めからわかってんなら言えよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

試験期間一週間の全日程を終了し、休みが明けての月曜日。今日は試験結果がすべて返される日だ。

一つの教科が終わるたびに、由比ヶ浜がわざわざ報告しにくる。

点数が上がったらしく、テンションが高い。

俺の方はというと相変わらず、国語は学年三位を死守していた。数学は九点。おい、漸化式ってなんだよ。

そして、今日は職場見学の日でもあった。

俺たちが向かうのは海浜幕張駅。俺は戸塚と拓也の三人グループ、のはずだった。どうやら運悪く、五つくらいの班と被ったらしく、戸塚の周りには女子が数名まとわりついていた。その中には葉山のグループもあったようで、何故か別グループのはずのいつもの男子三人組と三浦たち、由比ヶ浜の姿もあった。なので、結局、俺と拓也で回ることになった。

俺たちが選んだのはとこだか名前を聞いたことがある電子機器メーカーだった。こういうメカ系は見ているだけでも楽しいぶん、退屈はしなかった。

 

「あれだな、死ぬまでにはガンダムか人工生命体とか見たいよな」

 

突然こいつは何を言いだすんだ?だが、わからなくもない。そんな夢を見れるくらい数十年の技術の進歩は素晴らしいのだから。

 

「人工生命体ならペッパー君で十分だろ」

 

実際、それくらいが丁度いい按配だと俺は思う。

 

「夢がねぇなぁ、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

拓也と入れ違うかたちでかつかつと硬質なヒールの音が聞こえてくる。

 

「おや、比企谷、ここへ来ていたのか」

 

平塚先生は珍しく白衣を脱いでいた。

 

「先生は見回りですか」

 

「まぁそんなところだ」

 

そう答える先生だが、目線は生徒ではなく、メカメカしい機械へと注がれていた。

 

「ふぅ……日本の技術力は凄いな。……私が生きているうちにガンダム作られるかなぁ」

 

今は巷ではガンダムが流行っているのだろうか。

俺たちが歩き始めると、その足音に気づいたのか、平塚先生も同じ歩調で横に並ぶ。

 

「ああ、そうだ比企谷。例の勝負のことなんだがな……」

 

そう話を切り出したものの、どこか言い澱む。

 

「……不確定要素の介入が大きすぎてな、今の枠組みの中では対処しきれない。そこで、一部仕様を変更しようと思う」

 

「俺は別にいいっすけど……」

 

どの道、この勝負のルールブックは平塚先生なんだし、抵抗するだけ無駄というやつだ。

 

「具体的には決まってるんですか?」

 

「いや……、少し扱いに困る子がいてな」

 

そう言って平塚先生は頭をかく。思うに拓也や由比ヶ浜がそうなんだろう。特に拓也だ。あいつの観察眼というか、人と対峙した時に負けるビジョンが見えない。拓也に勝てるやつなどいるのだろうか。いるとしても、それこそ魔王みたいな人物に違いない。

 

「ふむ、メカメカロードはここで終わりのようだな」

 

メカメカロードってなんだよ。

 

「新たな仕様が決まったら、また改めて連絡する。何、悪いようにはせんさ」

 

俺はそれを見送ってから出口へと向かう。平塚先生と喋りすぎたようだ。誰もいないエントランスの周囲を見回してみた。

そこで、見覚えのあるお団子を見つけた。

緑石に座り込み、膝を抱えて携帯をいじってる女の子。

 

「あ、ヒッキー、やっときた。もうみんな行っちゃったよ?」

 

「あ、ああ。悪い、俺の中のロボット魂が騒いでだな……。いや、そう言えばまだ拓也が残ってるはずなんだが」

 

「たっくんならさいちゃんとサイゼ行ったよ?」

 

おのれ、何度裏切れば気がすむんだ!そろそろ俺の堪忍袋も限界だ。逆襲の八幡を震えて待っていろ。

 

「……お前は行かねぇの?」

 

「ん?あたしはほら、ヒッキーを待ってたっていうかなんというか……」

 

胸の前で人差し指どうしを突き合わせて、顔を真っ赤にしていた。

 

 

 

 

「……俺さ、優しい女の子って嫌いなんだ」

 

 

 

 

「え?」

 

突然の俺の告白に大きな目を見開く由比ヶ浜。

 

「優しい女の子って誰にだって優しいだろ?そんな優しさは俺みたいなやつを勘違いさせて、いつだって期待さしちまうんだ。ほんの一言の挨拶でその気になるし、電話なんてかかった日には着信履歴を見て頬が緩んじまう」

 

こんな独白をするつもりなど、微塵もなかった。が、考えがまとまらず、頭で思ったことが次々と口から出ていく。

 

「そうやって期待して、勘違いして、俺は…」

 

続く言葉は由比ヶ浜に遮られ出てこなかった。

 

「……バカだなぁ、ヒッキー。あたしは、ヒッキーだったからあのとき、友達になりたいって思ったんだよ?」

 

誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない。あいつと会ったときに言われた言葉を思い出した。

 

「捻くれ者のくせに、人一倍優しい。私はそんなヒッキーが大好きなんだもん」

 

心の何処かで俺はやはり希望を捨てられなかったのだろう。知らない間に距離が縮まっていくなかで、このなんとも言えない関係を言葉で肯定してほしかったのかもしれない。

 

「まぁ、その、なんだ……ありがとな由比ヶ浜」

 

「よろしい!……じゃあ、行こ?ヒッキー」

 

そう言って由比ヶ浜は俺の手を取る。

百戦錬磨の強者。負けることに関して最強だった俺は今日、人生二度目の勝ちを味わった。

 

 

 




よくよく思い返せば、一期は割とギャグ要素が強かったので、シリアスの壊しようがなかったですね。
感想等お待ちしています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。