あいつが泊まりにきてからしばらくたった。夏休みも中盤から終盤に差し掛かるところだろうか、俺は小町の自由研究の手伝いに追われながらもなんとか終わらせようとしていた。珍しいこともあるもんで、小町は俺に丸投げするのではなく基本的に自分の力で終わらせようとしていた。あいつの飯を食ってからやけにやる気に満ちている気がする。
そんな中、時計はじきに11時を刺そうとしている。
午後からの夏期講習に向かうべく、準備をしなければならない。こういうのって行くまでがだるいんだよな。
俺にも作用しろよ、やる気スイッチ。
そんなことを適当に思いながら着替えていると、インターホンが鳴った。
再配達を頼んでおいたアマゾンだと思い、玄関口で印鑑を握り締めて扉を開けてみると、そこには意外な人物がいた。
「や、やっはろー」
茶色のお団子髪、夏らしい服に身を包み、キャリーバッグを両手で支える由比ヶ浜結衣が立っていた。
「……今日はお前かよ」
「?」
休みに立て続けにこうも俺ん家に人が来るなんて初めてだが、連続で来られると案外疲れるんだな。その点リア充はこんなの日常茶飯事だろ?あいつらのスタミナは無尽蔵なんだろうか。
「なんか用か?」
由比ヶ浜は家に来るのは2度目のはずだ。1度目は会ってないから知らんけど。
「あ、あの……、小町ちゃん、いる?」
おそらく、小町となんぞ約束でもしていたのだろう。
「小町ー、お友達が来たわよー」
母親さながらに小町を呼ぶと、いつのまにかバッチリ着替えた小町が下りてくる。お前、さっきまでTシャツ一枚だったじゃねぇかよ。
「結衣さん、いらっしゃーい。ささ、上がってください」
「うん、ありがとー。じゃ、じゃあ。お邪魔します……」
そう言うものの、由比ヶ浜は一呼吸おいて上がった。
まぁ、わからなくもない。他人の家というのは普通は落ち着かないもんだ。……いや、我が物顔で上がっていくやつもいるから違うのか?
「ま、座れよ」
「あ、ありがと」
椅子を引いて由比ヶ浜に勧めるとしずしずと由比ヶ浜は席に着く。少し遅れてキッチンに飲み物を取りに行った小町が戻ってきてカップを置く。
「で、お前、何しに来たの?」
由比ヶ浜が俺んちにくる理由がてんで分からないので尋ねると、彼女は大事そうにかかえたキャリーバッグを指す。
「あの、小町ちゃんにお願いしてたサブレのことなんだけど……」
由比ヶ浜は膝に置いたキャリーバッグを開ける。
中から現れた毛むくじゃらの生き物は俺めがけてまっしぐらに突っ込んでくる。やめろ、そんなに舐め、ちょ、舐めるな!……もしかして俺は甘いのか?
「で、このワンちゃんなんで連れてきたんだ?」
顔から引き剥がしたサブレは今度は永遠と俺の足元をぐるぐる回って離れていくそぶりを見せない。
「うち、これから家族旅行行くんだ」
家族旅行ねぇ……。そういや、親父が今朝夏休み中に旅行するから予定空けとけとか言ってたっけか。母ちゃんもやけに乗り気だし、宝くじでも当たったのか?
「結衣さんもですか!実は我が家も行くんですよ」
ご覧の通り小町までしっかり乗り気である。……旅行先で毒殺とかされないよね?死ぬ時くらいはいい所で死なせてやるとかそんなんじゃないよね?名探偵来ないよね?
「で、その旅行がどうしたって?」
「あ、うん、旅行行ってる間、ちょっとサブレを預かってほしいなーって」
由比ヶ浜に上目遣いで「ダメ?」と聞かれてしまった。
可愛い。
しかし、それで屈しないのがこの俺である。二つ返事で了承するわけにはいかない。
「……わざわざうちに預けなくてもいいだろ」
こいつなら仲良い奴なんてほかにもいるだろうし、最近じゃペットホテルなんて言う手もある。
「優実子も姫菜とペット飼ったことなくってさ。最初、ゆきのんに頼んでみたんだけど、今、実家にいて駄目だって……」
由比ヶ浜は一瞬、気遣わしげな表情を見せて口ごもる。そのことに気づいた小町が続きを促した。
「雪乃さん、どうかしたんですか?」
由比ヶ浜は少し言い淀んだあと、俺に視線を向けた。
「う、うん……。ヒッキー、ゆきのんと連絡取ったりしてる?」
「いや、俺連絡先知らないから」
小町にも視線で問うが、首を横に振った。
「あたし、結構メールとか電話とかしてるんだけどさ」
「どうかしたのか?」
「電話しても留守電だったりして、あとでメール来たり。内容はいつも通りなんだけど、遊びに誘っても予定詰まってたり……」
「ははぁ……」
そりゃ避けられてるんだ。って言ってやりたいところだが現状ではそうとは限らない。ここはもう一人に聞いてみるとしよう。
「ちょっと待ってろ」
「?」
数少ない俺のアドレス帳から奴の番号を見つけるのにそう時間はかからない。
「もしもし」
「『……はい、こちら119番。火事ですか、救急ですか』」
「おう、火事だ、今すぐお前の頭を鎮火しろ」
夏は人をおかしくするって言うし、しょうがないさ。
「お前、夏休み中に雪ノ下と会った、もしくは連絡とったか?俺の家に泊まりに来た後だ」
「『お前ん家泊まった後か?会ってるぞ、割と頻繁に』」
会ってんのかよ。
「で、どんな感じだった?」
「『会ったって言っても夏期講習でなんだけどな、なんかやけに疲れてたな。俺を見つけては「母さんも姉さんもいい加減に……」とか「どうやったら時間が取れるのかあなたも考えてちょうだい」とかそんな愚痴を永遠と休み時間に聞かされるんだけど。あと少しで理性が飛びそうなんだけど。そろそろやばいんだけど。……ねぇ、八幡、助けt』」
最後の方は良く聞き取れなかったが、どうやら雪ノ下は純粋に忙しいだけのようだ。あいつのあの様子からしてそれは間違いない。
「よかったな、由比ヶ浜、普通に忙しいだけみたいだぞ」
「ほ、本当⁉︎」
「ああ、確かな情報だ。安心しろ」
かわいそうに、次に見るとき、彼は俺の知る彼ではないのだろう。
「そっか、そっか。……えへへ、良かった」
先ほどと打って変わって嬉しそうな顔を見せる。
周囲に敏感なだけに、あの車を見て以降、雪ノ下が自分を遠ざけてるのではないかと葛藤していたのだろう。まぁ、杞憂に終わってようだが。
「あ、それで、ペットホテルも考えたんだけど、この時期はみんな考えることは同じみたいで予約とかとれなくてね」
「そこで小町の出番なわけだよ、お兄ちゃん」
意気揚々と踏ん反り返る小町。
まぁ、由比ヶ浜とメールしてるみたいだし、話の流れで申し出たんだろうな。
「こういう機会は多いに越したことはないからね」
そう小声でつぶやく小町。犬を押し付けられるのが多いに越したことはないってどうゆうことですか。将来はペットショップ店員をやれということでしょうか。
「まぁ、あんま期待はすんなよ。俺は面倒を見るよりも見られるほうが得意なタイプだからな」
もうかれこれ17年も養われてるんだからベテランといっても過言ではないだろう。
俺のすぐ横に腹を出して寝転んでいるサブレをわしわししながら答えると、そのサブレを小町に奪われる。
「サブレちゃんのことは小町に任せてくださいっ!すぐに小町なしではいられない身体にしてあげますよっ!」
サブレを寝とる気満々の小町である。
「それはちょっと困るけど……。たっくんもおんなじこと言ってきたんだよねー」
あいつの場合、本当に帰って来なさそうで怖い。
「でも、うん、じゃあよろしくお願いします」
まだどこか不安げな顔をしていたが、由比ヶ浜はぺこりと頭を下げた。そして、手首の内側に目をやり、腕時計を確認する。
「あ、そろそろ行かないと。ママたち待たせているから」
「ではでは、お見送りしますよ」
二人が階段を降りていくのを横目に見ていたが、由比ヶ浜の顔から迷いが消えていた。サブレのこともそうだが、雪ノ下のことも同じくらい気がかりだったのだろう。
それが解決したんだ、心から旅行を楽しめるだろう。
我が家に解き放たれたサブレは部屋の中を徘徊している。猫がいるからその匂いに反応してるのかね。
そのかまくらといえば、正面からサブレを見据えている。どうやらサブレに興味津々のようだ。恐る恐るちょっかいを出すかまくらを無下にすることもなく、うれしそうにはしゃぐサブレ。
その光景はどこか見覚えがあった。
夏休みにもなって思い浮かべる程度にはもしかしたら俺はあの空間を居心地よく思っているのかもしれない。
あれから時間は過ぎて、由比ヶ浜が家に犬を預けてから2日がたった。
そんな中俺は夏期講習で川崎と会ったり、戸塚と映画を見に行ったり、平塚先生に会ったりと割と濃い数日を過ごしていた。
そして今日、由比ヶ浜が引き取りに来る日である。
そろそろ夕飯の準備を終えようかという時間に、インターホンが鳴らされた。おそらく由比ヶ浜だろうと思い、扉をあけて確認すると案の定由比ヶ浜がいた。
「あ、やっはろー」
「おう」
「はい、これお土産」
がさっと紙袋を渡された。
「地域限定なんだよ!」
「へぇ……」
紙袋の中をちらっと見てみると由比ヶ浜の言うようにご当地お菓子だった。小分け包装なので学校や職場でも分けやすい。なんとも由比ヶ浜らしいと言ったらあれだが、空気の読んだお土産だ。
「それで、サブレは?」
「ああ、元気だよ。小町」
俺が家の中に呼びかけると、サブレを抱きかかえた小町が玄関までやってくる。
「小町ちゃん、ありがとー!」
「いえいえ」
小町が抱えるサブレを撫でつつ話をつづける。
「迷惑かけなかった?」
「そんなそんな。一緒に遊んで楽しかったですよ」
その答えに気を良くしたのかサブレにも話しかける。
「ほらほら、サブレー。お姉ちゃんですよー」
当のサブレは「わふ?」と首を傾げたまま動かない。
「サブレぇ⁉︎」
忘れられたことがあまりにショックだったのか大きな声を出す由比ヶ浜。それに驚いたサブレは小町の腕から離れ俺の足の周りをうろうろしている。俺はそれを捕まえてキャリーバッグにそっと入れ、ファスナーを閉じて由比ヶ浜に渡す。
「ほれ。2日もすりゃお前のことも思い出すだろ」
「うぅ……、忘れないでほしかった……」
サブレは隙間からこちらを覗きくーんと鳴いた。
「……じゃ、またな」
たいして可愛がってもなかったが、いざ別れとなると込み上げてくるものがある。それもそんな顔されたら尚更だ。
「結衣さん、またサブレ連れて遊びに来てくださいね」
「行く行く!絶対行くよ〜」
「ええ、ぜひ。両親のいるときに、菓子折りを持って挨拶がてら」
「そうだね、ご両親に御挨え、ええ⁉︎い、いやそれはまだ早いというかもうちょっと先と言うか」
そのセリフを聞くと小町の瞳が怪しく光り、ムフフと一人で笑っている。そこまでしてサブレが欲しいのか。
「とにかく、また遊びに来てくださいね。小町、待ってますから」
「うん、ありがとね」
由比ヶ浜はサブレと荷物を持って玄関を出ようとする。と、そこで昨日会った平塚先生に言われたことを思い出した。
「そういや、平塚先生から聞いたんだけど、花火大会に雪ノ下がもしかしたらいるかもしれないぞ。あのイベント自体が自治体主催らしいからお偉いさんが家族で来たりするんだと。どうしても自分の目で確かめたいなら行ってみたらどうだ」
「そうなんだ……。わかった。行ってみーー」
由比ヶ浜は何か思いついたのか一呼吸置いた。小さく深呼吸すると、視線を俺に向ける。
「そ、その……、花火大会、一緒に行かない?サブレの面倒をみてくれたお礼ってことで。なんか奢るし」
「だってよ、そういうことなら小町も行こうぜ」
二人っきりでいく、という選択肢も片隅に浮かんだが、お礼ってことなら小町も行くべきだろう。
小町の方を見るとやれやれと小さくため息をついていた。そういう気遣いを他の人に向けられないからごみいちゃんなんだよとか呟いてたが、聞き流した。
「あー、誘っていただいて申し訳ないんですけど、小町、これでも受験生でして……。お礼ってことでもどこか遊びに行くのは無理かもです……」
「そっか……。そうだよね」
「すいません。で・も・っ!でもですね。小町、買ってきて欲しいものはあるんです。あー、でも小町にはその時間がない!困ったなー。結構量があるから結衣さん一人だと大変だなー」
わざとらしい棒読みのあと、ちらっとこっち見たぞこいつ……。
「はぁ、……由比ヶ浜」
「?」
「行くか、二人で」
「う、うん! じゃあまた後で連絡するね!」
そう言って由比ヶ浜は元気よく我が家を飛び出して行った。これでよろしいでしょうか小町さんや。
「助けてく……。切りやがったなあいつ」
いきなり電話してきて切るとはなんとも自分勝手な奴だ。休憩時間だから良かったものの、やっぱり携帯は切った方がいいな。
「誰が愚痴ばかりですって?」
突然後ろから冷たい声が聞こえる。嘘だろ、さっきまでいなかったじゃねぇか。ヤードラット星人と仲良くなったのか?
「お前だよ、お前。ノイローゼになるわ」
別に隠すことではないので正面から言ってやる。多少なら聞きに徹してやろうと思ったが、あいつにも言った通りいい加減限界である。
「だいたい、ぐちぐちとお前らしくないんじゃないの?お前のお姉さんだろうが母親だろうが自分を貫くのがお前だと思ってるだかな」
「……無理よ、昔から姉さんには何を言っても敵わないし、お母さんの言うことは絶対なのよ」
雪ノ下は家族の話を持ちだすと途端に顔に暗い影を落とした。
「そりゃあそうだ」
「え?」
どうやらこいつは何やら思い違いをしているらしい。
「お前のお姉さんだろ、そりゃあ大学生と高校生っていう差に加えて、向こうは沢山の対人経験まで持ち合わせてるんだ。それに母親だってそうだ。そのお前の姉さんよりももっと人生経験が豊富にあって、もっと対人経験もあるような人なんだろ?そりゃまだ高校2年のお前がいくら頑張ろうと無理に決まってるだろ」
「そうよね……」
俺の言葉を聞いてしゅんとする雪ノ下。
「けどよ、それはお前一人の場合だろ?」
「?」
今度は心底不思議そうな顔をする。
「お前のお姉さんに勝てない?じゃあ、俺を頼れ、比企谷を頼れ、由比ヶ浜を頼れ、彩加を頼れ、義輝を頼れ、三浦を頼れ、川崎を頼れ、なんなら最悪葉山にだって頼ったらいい。お前には周りにこんだけ頼っていい奴がいるんだ。一人で勝てないなら周りに頼って勝てばいい。誰かに力を借りれるってのも立派なお前の力なんだから」
「…………」
雪ノ下は黙って俺の次の言葉を待っている。
「お前の母親に勝てないなら、他の家族を頼ればいい。お前の父親に頼ってもいい、もちろんお姉さんに頼ったっていい。その上で、たくさん迷惑をかけてやればいい。それが家族だろ。俺はお前の母親に会ったことはないが、子どもを愛していない親はいないと思うぞ」
「…………」
俺の話を聞いてもなお、雪ノ下は沈黙を貫いている。
結構強気に言ったが、思っていることは伝えたつもりだ。
雪ノ下のように、自分を貫くのはとても大切なことだ。今のご時世、自分に自信が持てない由比ヶ浜のような人間の方が多いくらいだし。
だが、一人だけでは必ず人生のどこかで躓く時がある。自分一人ではどうしようもない時がくるのだ。上から目線で申し訳ないがな。
おそらく、雪ノ下にとってその壁が今来ているのだろう。
「……思ってもいないことだったわ」
「そりゃ、そうだろ。今の今まで友達いなかったんだろお前?」
わからないこともない。実際、小学校、中学高は友達がいなくても自分の力でなんとかなるとイキってしまう時期も確かにある。しかしそれは社会を舐めている子供特有の現象だと俺は思う。何かしらの理由をつけて今の自分を正当化させたいのだろう。
しかし大抵の人間は大人になった途端に周りの人間のありがたさを知っていく。
まぁ、何が言いたいかと言えば、俺から見たらどこか子どもっぽいのだ。最近の雪ノ下雪乃は。
「そうね」
しかし、その笑みに俺は彼女の成長を感じた気がした。
「私も、頼ってみようと思うわ、周りを」
「おう、いいんじゃねぇの。最初から頼るもいいし、お前なりにやった上で駄目なら周りに頼るのもいいんだからな」
「だ、だから、その……」
「なんだ?」
「……また、話聞いてもらってもいいかしら?」
「……ま、ほどほどにな」
どこか大人になったように感じる彼女を見ると、いつもよりも数段、魅力的に見えた。
雪ノ下雪乃は馬鹿じゃない。自分の意見しか受け付けない愚か者でもない。むしろ、人よりたくさんのことを吸収できる容量のいい人間なんだろう。ただ、周りの誰もが彼女にそれを教えなかった。ひたすら嫉妬や憎悪という悪意だけを向けられた彼女は自分自身しか頼れるものがなかっただけなんだろう。
本当に他人を信じることができた時、彼女の周りには自ずと人が集まるのだろうと思う。
無論、その後の授業が俺の頭に入ることはなかった。
14巻出ますね。
楽しみなような残念なような不思議な気持ちです。