また、新しいアンケートを設けました。参考にさせていただきたいので、ご回答いただけるとありがたいです。
地域のつながりがなくなったとか、ご近所関係が希薄になったとか、そんな言説がちょいちょい飛び交う。
そりゃそうだ。町内会長だ市長さんだと言われても顔が思いつくやつなんて若者にはほとんどいないだろう。最近は地域密着なんて掲げてるところもあるらしいが、成果は芳しくないのがほとんどだ。
けれど、俺たちが地域という存在をようやく感じ取れるときがある。
それが今日みたいな日だ。
家を出て、駅までの道のりを歩いていると、俺と同じ方向へと進む人が多い。中でも女性の浴衣姿がよく目立った。
電車の中では仲睦まじい男女や家族連れの波に呑まれてしまい、隅へ隅へと追い込まれていく。
密やかに呼吸を続けること数分。ようやく目的の駅だ。
開いたドアから降りて、人の流れに逆走するように待ち合わせ場所に向かった。
柱に寄りかかっていると、校内で見覚えのある連中が何人か通りかかった。もしかしたら知り合いの一人や二人いるかもしれない。そんなことを考えていると、下駄を鳴らして歩いてくる女の子を見つけた。
下駄を履き慣れていないのか、その足取りは危なっかしいく、思わずこちらから2、3歩駆け寄ってしまった。
「あ、ヒッキー。ちょっと、ばたばたしちゃって……、遅れちゃった……」
申し訳なさそうにしながらも、満面の笑みを浮かべる。
「いや、それは別にいいんだけどさ」
お互い向かい合ったものの、なんとなく沈黙してしまう。
「まぁ、その……その浴衣いいな」
なんで浴衣褒めてんだ俺は。中身のほうを褒めないとダメだろ。ただ、向こうはどうやら察してはくれたようだ。
「あ、あああありがと」
そしてまた沈黙、どうすんだよこれ。
固まってしまった空気をなんとかしようと口を開いた。
「……とりあえず、行くか」
「……うん」
歩き出す俺の後ろ下駄特有のかぽかぽという音を立てて追いかけてくる。
そして、俺が改札に入ろうとした時だった。
「あ、あのさ、一駅くらいだから歩いていかない?」
時計を見るとまだ、時刻は4時前を指していた。
「いいけど、何だよ急に」
時間的には全然余裕があるし、俺のなけなしのお金を使わなくて済むのはありがたいが、由比ヶ浜の意図が見えなかった。
由比ヶ浜は一呼吸置いて言葉を紡ぐ。
「……ほら、こんな機会めったにないじゃん?だから、もうちょっとヒッキーと一緒に……、その、楽しみたいって言うか……」
由比ヶ浜の言葉はどこか要領を得ない内容だった。
俺みたいなやつといて何が楽しいのか理解できないが、本人が楽しいって言ってるんならそれでいいのだろう。
「そうか、じゃ、行くか」
「うん!」
そこから再び歩みを進めようとしたとき、不意に由比ヶ浜がバランスを崩した。
「ひゃっ」
短い悲鳴とともに由比ヶ浜がこちらに倒れこんできた。そして俺は自然とそれを受け止める。
「………」
「………」
目と鼻の先にお互いの顔がある。由比ヶ浜は急激に頬の色を赤く染めていく。
「ご、ごめん……」
「ん、大丈夫か」
なんとか平静を装ってはいるが、俺の心臓の鼓動は自然と早まっていく。……何故だか、今年の夏はやけに暑く感じる。地球温暖化が進行しているからだろう。
「ほら」
「え?」
「……だから、手。……また転んだら危ないだろ」
「……えへへ、ありがとう。ヒッキー」
……だから、少しばかり大胆になってしまうのは仕方ないのだ。
日本の夏。遺伝子レベルで刻まれているのか、いやがおうにもワクワクしてくる。
しかし、今の俺には何故だかそれだけには思えなかった。
今日は千葉市民花火大会当日。
小町ちゃん情報によると八幡と由比ヶ浜が一緒に行くらしい。友達がリア充に近づいていくことに喜びを感じつつも、どこか置いていかれたような少しの寂しさを家で一人噛み締めているところに携帯が鳴った。が、しかし、画面に映ったのは見慣れない電話番号だった。
「もしもし?」
間違い電話の可能性を考え、普通に電話をとる。いつもはボケればツッコミが返ってくる奴らばかりと連絡してるせいか、真面目に返すのは久々な感じがした。
「『佐藤くんかしら?』」
電話の主は雪ノ下雪乃だった。連絡先を教えたものの、電話でのやり取りはしたことがなかったため、俺の知らない電話番号だったのも当然だ。
「雪ノ下?なんか用か」
こいつから電話してくるくらいだ、もしかしたら厄介なことになっているかもしれない。
かなり警戒しながら雪ノ下の言葉を待つ。
「『実は、その……』」
どうやらかなり言い淀んでいる様子だ。声色から緊張しているのがこちらまで伝わってくる。
「『花火大会に一緒に行って欲しいのだけれど』」
一体何を言うん……だ……??
「……え?」
「『……だから、千葉市民花火大会に一緒に行って欲しいのよ』」
「……理由は?」
まだ、まだ驚くような時間じゃない。理由次第では一緒に行くことがなんら不思議なことにはならない。
「『頼ってくれって言ったのはあなたよ。自分の言ったことくらい、責任とってくれるわよね?』」
ちょっと待て、文面も酷いが、答えになってないぞ。それに頼りたいってことはあいつらにも声をかけている可能性もあるのか。それは非常にまずい。
「他の奴にも電話したのか?」
「『いいえ。あなたが初めてよ。駄目なようなら由比ヶ浜さんや、仕方なく比企谷くんにもかけるつもりよ。それでもダメなら最悪自分でなんとかするわ』」
どうやら最悪の事態は免れたようだ。……にしても、やっぱこの面子は友達だと思ってるのかね。
俺からしてみれば、大した関係もなかったが、義輝や川崎でも友達だと思っている。
しかし、彼女や八幡の場合はそもそも友達というものへの見方が違うんだと思う。
これは俺の憶測に過ぎないが、彼らの中では友達=親友という図式が成り立っているのではないかと思う。だから、彼らは無闇矢鱈に友達という言葉を使いたがらないのではないだろうか。
同時にそれは、彼らにとって友達というのが重い言葉とも取れる。
「わかった。今日は暇だったし。他にも誰かくるのか?」
「『……いいえ。あなただけよ』」
「了解、時間決まったらまた連絡してくれ」
「『ええ、また』」
短いやり取りを終えた俺は携帯を切った。
次に連絡が行くのがあの二人なら俺に受ける以外の選択肢はない。雪ノ下からのお願いなんてあいつらが断われるわけがないからな。我ながら友達思いのいいやつである。これを機にいい加減少しくらいの距離は縮めて欲しいものだ。
対照的にこっちは同じシチュエーションながらそんな甘い考えは出来ない。数日前にどうにもならなかったら頼れと言ったばかりで今日の電話である。これが意味するのは雪ノ下だけでは解決出来ない、もしくは雪ノ下姉が絡んでいるの二択だろう。
前者ならばどうにかなりそうな感じはする。雪ノ下は解決できないような無理難題はふっかけてこないからな。
だが、後者、てめぇは駄目だ。なんであの人とこんな短いスパンで会わなきゃならんのだ。
頼むからそれだけはやめてくれ。
心の底からそう願いながら、俺は雪ノ下からの連絡を待った。
雪ノ下からメールで届いた待ち合わせ場所に向かう。
俺の周りにも同じように浴衣姿の男女や家族連れが花火大会へと足を運んでいる。夏において花火大会というのは老若男女問わず盛り上がるイベントなんだろう。
雪ノ下からの呼び出しがなければ俺もひっそりとその一員になれたんだがな。
決まったことに文句を垂れても仕方がないので、気を紛らわすためにイヤホンを付けて歩き出す。
最寄駅から乗り継いで行き、目的地である改札口にたどり着いた。
どうやら雪ノ下はまだ到着していないらしく、俺は流れ行く人混みの中、一人立ち止まっていた。
遠目からだが、浴衣姿の女の子が転びそうなのが見えた。しかし、近くにいた彼氏らしき人物に支えられたことでことなきを得ていた。
男の方から手を差し出し、女の子がその手を掴む姿はなんともロマンチックな雰囲気を周りに撒き散らしていた。
何やら見覚えのあるようなシルエットだったが、人違いだろう。あいつがあんな大胆な事をするとは考えられないしな。
それから10分ほどたっただろうか。未だに雪ノ下は待ち合わせ場所には現れなかった。
待ち合わせ場所を間違えたのではないかと思い、携帯の画面を覗いた時だった。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」
いつもの冷たさは鳴りを潜めていたが、こんな透き通った声を聞き間違うはずがない。
「おう、10分以上待っ…た……わ」
振り向いてみるとそこには浴衣姿の雪ノ下が佇んでいた。基本的には何を着ても似合うと思っていたが、浴衣は俺が見た雪ノ下の中で一番だった。
まさに現代の雪女という言葉が似合うだろう。俺一人、時代に取り残された感覚を覚えた。言うまでもないが、もちろん褒め言葉である。
「……そこは、嘘でも誤魔化すものよ」
だからと言って言葉まで雪女になることはないと思う。
「…その、ど、どうかしら。あまりこういった衣装は着ないのだけれど」
そう言って雪ノ下はその場でくるっと回って見せた。
「どうって、すげー似合ってるし、綺麗だと思うけど」
寧ろそれ以外なんと言えばいいのか俺には思いつかない。残念ながら俺はツンデレでも捻デレでもないので、もっと気の利いた褒め言葉なんてのは期待されても困る。
「そ、そう。……あ、ありがとう」
自分から聞いといて何を照れてるんだと思うが、表情から察するに、意外と褒められることに慣れていないのかもしれない。
にしても、少し変な感じだ。
まぁ、今は余計な詮索は必要ない。
「それで?俺、未だに呼び出された理由聞いてないんだけど」
本題はこれだ。一体何が待ち構えているのやら。
「言ってなかったかしら?」
おう、こちとら微塵も聞かされてないぞ。
「……別に、大した理由ではないのよ。ただ、……その、一緒に花火大会に行かないかしらと思って」
「……本当に?」
嬉しさや驚きよりもまず出てきたのは心配だった。心の中ではまだ誰かに頼ることにためらいがあるのではないか。悟られないように俺を誘うことで誤魔化しているのではないかと。
「ええ、だめ……だったかしら?」
が、どうやら考えすぎだった。その表情からそういった感情は読み取れない。
それと同時に違和感の正体に気づいた。
今日の雪ノ下はやけに素直なのだ。
「いや、別にだめじゃないけどさ、そういうことなら普通に誘えばいいんじゃねぇの?」
何故ああも面倒くさい誘い方をしたのか。それにあの誘い方だったら別に俺じゃなくてもいい気がするんだが。
「ちょっと試したのよ。由比ヶ浜さんから、比企谷くんと花火大会に行くと聞いていたからそれを利用させてもらったわ」
「……要するに、本当に頼った時に助けてくれるかどうか試したわけね」
「ええ、まぁ、そうなるわね」
あ、危ねぇー、俺が友達思いじゃなきゃホラ吹き野郎になるところだったぜ。ま、実際に試されたのはその部分だがら問題ないわけだが。
「そういうこと。で、本当に行くの?このまま」
「あら、まさか私一人置いて帰るつもりかしら?」
どうやら、このお嬢様はエスコートを必要としてるらしい。そんな大役を任されては放棄するわけにもいくまい。
「じゃ、行くか。……ん」
そう言って俺はお嬢様に手を差し出す。
「?」
当の彼女はその意味がわかっていないらしい。
「ほら、転んだら危ないだろ」
「……いえ、下駄の時の歩き方くらいわかっているから必要ないわ」
雪ノ下はそのまま一人で美しい歩き姿のまま進んでいく。
何がお嬢様だ、俺。
やっぱり何だかんだ、雪ノ下は雪ノ下のままだった。
その後ろ姿に目を奪われながらも、雪ノ下の後を追った。
我ながら、やっていることがらしくないと気付いているわ。
電話で人を試すなんて。
……でもしょうがないじゃない。やり方がわからないのだもの。
「頼ればいい」
彼からしたらなんでもない、当たり前の感覚で言った言葉なのでしょうね。
でも、私にはその選択肢が輝いて見えた。
私は勝手に自分でどうにかしなければならないと思っていた。
昔から誰も頼れないならずっとこのまま、自分でどうにかするしかないんだって。
その考えは変わってないし、変えるつもりもない。
だってそれが私、雪ノ下雪乃だもの。
けれど、彼の言うように一人ではどうしようもなかった、母さんも、姉さんも。
だから、その選択肢は私に可能性を感じさせてくれた。姉さんも彼らと一緒なら、母さんも、父さんや姉さんが一緒ならって。
今思えばおかしな話ね。彼と出会ってまだ、数ヶ月しかたってないのになぜか不思議と信用できると思うなんて。
……少し、羨ましいわ、彼と一年いた比企谷くんが。
無い物ねだりをするのは好きじゃないけれど、どうしても思ってしまうわ。もし、彼ともっと早く出会っていたらってね。
「何を考えているのかしら。私は」
そんな呟きを残して、クローゼットから浴衣を取り出す。
「……たまには、素直になってみようかしら」
彼なららしくないって思うかもしれないわね。はたまた気づかないのかしら。
そんなことを考えながら着付けをする。
その時だけは、いつもは付き合いで着るこの浴衣もどこか可愛らしく見えた気がした。