歩みを進めるとともにあたりは次第に暗闇が満ちていく。
次第に辺りも騒がしくなり、花火大会の会場に近づくにつれ人の数も自ずと増えていく。
だがしかし、俺の一歩先を行く彼女が霞むことはなかった。
それどころか、街灯に照らされた彼女はその存在をより明確にさせている。
「一つ、言い忘れていたわ」
突然足を止めて雪ノ下はこちらを向く。
「なんだよ」
今更冗談だったとかはやめろよ。
「実は、この花火大会、姉さんも来ているのよ」
「そうか、帰るわ。楽しんでこいよ」
間髪入れることもなく、俺は持ってきたハンドバッグを肩にかけ直し、踵を返す。
「待ちなさい」
「ぐぇっ」
が、そうはいかないらしい。後ろから服の襟をがっしりと掴まれる。そのおかげか歩幅も揃ったので、今度は隣同士で歩き始めながら会話を続ける。
「会うとは一言も言っていないのだけれど」
「じゃあなんでわざわざそれを俺に伝えたんだよ」
会わないのなら俺にわざわざ伝える意図がよめない。
「この花火大会、自治体主催だから、姉さんも出席しているのよ。もしかしたら意図せずに出会ってしまうかもしれないでしょ?だから一応、念のためにと思ったのよ」
なるほど、言い換えれば出会ったとしても自己責任ってことね。
まぁ、そういうお偉いさんは特等席みたいなのがあるだろうから、会う可能性なんてほとんどないだろうし、本当に念のためって感じか。
「そういうこと、焦って損した」
「あなたの場合、自業自得じゃない」
「ま、それもそうか」
だからといって、高校生相手に会って即やり返すのはいかがなものかと思う。仮にも大学生でしょ、あの人。
そういうのを見ると改めて姉妹なんだなとは思うが。
気づけば辺りには屋台があちらこちらに見え始めた。それに合わせるかのように周りの喧騒も大きくなっていく。
「そういや、来たのはいいけど、何すんだよ。屋台回るのか、花火見るのかとかないと思うけど」
雪ノ下は考えるようなそぶりを見せ、しばらくしてから口を開いた。
「……そうね、花火は見るのは確実として、その前に屋台も回っておきたいわね」
考えた割にはほぼ俺の意見の復唱だった。まぁ、本当にそれしかないのだからしょうがない。
しかし、その様子から本当に花火大会を素直に楽しもうとしているのがわかる。
その姿はどこにでもいる女子高生となんら変わらない。
「じゃ、早速回ろうぜ、早めに席取りとかしときたいからさ」
「ええ、そうね」
自然と声のトーンがいつもより数段高い。こういうときの雪ノ下は機嫌がいい証拠だ。短い付き合いだが、だんだんと癖がわかってきた。
さて、どこから見て回ろうか、そう思いあたりを見渡すと、ピンク色の髪の毛の女の子と目つきの悪い男の子、それに加えて、何やら見覚えのあるクラスメイトがいた。
だが、何やらあまりいい雰囲気ではなさそうだ。
……まったく、手が焼ける友人達である。
「……雪ノ下、手分けして買ってこようぜ、時間効率もいいし、色んなもん買えていいだろ?」
「……それもそうね」
「じゃあ、十分後にまたここで」
「ええ」
少し寂しそうな顔をのぞかせたか雪ノ下だったが、すぐに元の表情に戻る。申し訳ないことをしている自覚はあるが、俺は自分だけのうのうと楽しめるような人間じゃない。
さてと、間に合うか?
屋台がある辺りまで進んだ俺は、由比ヶ浜と一緒に小町のお買い物リストなる謎のメモを見ながら屋台を回っている。
それにしても小町よ、花火を見た思い出ってなんだよ、お兄ちゃん恥ずかしいよ……。
だが、それでもそれが小町なりに気を使っていることがわかるし、こんだけお膳立てされて何もわからないほど鈍感じゃない。
だからこそ、余計に過剰に反応してしまう。
揺れているのだ、自分の中の冷静で冷徹な自分を信じるか、由比ヶ浜を信じるのかで。
「ね、ね、何から食べる?りんご飴?りんご飴かな?」
そんな俺の気など知りもしない由比ヶ浜は俺の袖を引っ張っている。
「それ、リストにないだろ…」
由比ヶ浜はむーっと名残惜しそうにりんご飴を見つめていたが、改めてリストを見つめ直す。
「じゃあ、どれからにする?」
「常温でも大丈夫なものからって考えるとわた……」
「やばい!ヒッキーこれPS4当たるよ!」
俺の話を遮った由比ヶ浜は宝釣に釘付けになっている。
「いや、当たんねぇから……。っつか人の話は聞けよ」
「え?でも、紐繋がってるじゃん」
「ああ、だが、見えるものが全てとは限らないけどな」
全く良くできたシステムだと思う。祭りのような特殊な環境下だと、いつもなら出来る冷静な判断が出来なくなる。一回500円という法外な値段にもかかわらず、人々が目を向けるのは当たるかもしれないという可能性。いうなれば、誰でも出来るギャンブルだ。
だがしかし、ギャンブルと異なり当たりはまず出ないとみてもいい。それでも人々は嬉々としてお金を払う。実際は当たればよし、程度にしか思っていない。それ以上に祭りでやったことに意味を見出しているのだと俺は思う。
だからといって俺はやらないがな。
屋台のおっちゃんに睨まれた俺たちは、こっそりと逃げ出すようにわたあめの屋台へと移った。
「わぁ、なんかこういうの懐かしいかも!ね、どれにする?」
懐かしいというのは、アニメのキャラや戦隊ヒーローがプリントされた袋のことだろう。
たしかに、俺が子供の時もこんな感じだった気がする。今でも子ども受けはいいのか、周りの子どもたちもちらほら持ち歩いているのが見えた。
「中身はおんなじだからどれでもいいだろ。これお願いします」
俺は手前にあったピンクの袋を指して、500円払う。
わたあめに続けて、ラムネ、たこ焼きと買っていく。
「次は、焼きそばかな?」
「そうだな。さっきあっちにあったような気が……」
くるりと向こうを見たとき、こちらを見ている人に気がついた。すると、その人はこちらに小さく手を振って近づいてくる。
「あ、ゆいちゃんだー」
「お、さがみーん」
由比ヶ浜もそれに応じて、小さく手を振って歩み寄る。
で、……誰?
こういうときは存在感を薄めて背景に徹する、もしくは他のことをして、忙しい風を装うに限る。あくまでこちらから干渉するのは悪手なのだ。
で、とりあえずこいつ誰。
そう思ったのは向こうも同じなのか、由比ヶ浜に目線で説明を求める。
「あ、うん。そうそう同じクラスの比企谷くん。こちら、同じクラスの相模南ちゃん」
同じクラスだったのね。相模さんとやらに軽く会釈をする。
そのとき、目があった。
その目は久しく見ていなかった嘲笑の眼差しだった。
「あ、そうなんだー!一緒に来てるんだねー。あたしなんて女だらけの花火大会だよー。いいなー、青春したいなー」
「……。あはは!何その水泳大会みたいな言い方!」
由比ヶ浜はちょっと言葉に詰まったようだったが、調子を合わせるようにして笑う。
だが、俺は微塵も笑う気にはならなかった。
てっきり俺に向けられたとばかり思っていたあの目は、俺だけではなく、由比ヶ浜結衣が連れている男、を通して、由比ヶ浜にも向けられたものでもあったのだ。
「えー、いいじゃんいいじゃん。やっぱ夏だしそういうのいいよねー」
心が冷めれば、頭が冷める。
相模の視線を受けた俺はさっきまでの温かさが嘘のように冷え切っていくのがわかった。
ああ、また心得違いをするところだった。
初対面の俺と相模南は当然お互いのことなど知らない。
だが、彼女にはクラス内でのカーストという情報だけはある。
忘れがちだが、由比ヶ浜はクラス内でも最上位に位置している。その相手がカースト最下位の俺。
だとすれば、その目は必然だったのだろう。
こればっかりは俺の配慮が足りなかった。確かに最初は気づいてたはずなのに、いつのまにか消えていた俺の落ち度だ。
これが俺ではなく、同じくカースト最上位の葉山だったり、カーストもクソもない拓也ならこうはならなかったんだろうか。
住む世界が違えばまだよかった。同じ世界にいるだけ、なまじ面倒くさいのだ。
どっちにしろ、これ以上、一緒にいる由比ヶ浜が笑われるのは見ていられない。笑われるのは俺だけで十分だ。
そう思い、由比ヶ浜の元を離れようとした時だった。
「いいでしょ!さがみんも、いい人見つかるといいね」
「……え?」
相模の嘲笑の眼差しが止まり驚愕に変わった。
「じゃ、あたしたち、用があるから。……いこ、ヒッキー」
「ちょ、おい……」
固まったままの相模を置き去りに由比ヶ浜は俺の手を取り素早くその場を離れる。
それからしばらく歩き、肉眼では相模が見えなくなったあたりで由比ヶ浜は止まった。
「……お前」
「なんかさ、さっきのは嫌だったから」
由比ヶ浜はその手をまだ離してはくれない。
「いや、あそこは俺が離れればそれで」
「違う、……違うよ、ヒッキー」
何も違わないだろ。あのまま離れていれば万事解決。
俺さえあの場にいなければ全て丸く収まったのに。
これでは、由比ヶ浜の今後の相模との関係にも影響する筈だ。そのリスクを犯してまでする行動では
「私が、ヒッキーのことが大好きだから」
俺の時間が止まった。周りの喧騒も耳に届かず、由比ヶ浜以外の人が視界から消えていく。
「自分の好きな人が、よく知りもしないのに、あんな風に見られるのは嫌だったから」
その目は真剣そのもの。いつもの誤魔化すような、優柔不断な由比ヶ浜結衣はいなかった。
その姿を見ていると、冷めきった筈の心の中の温かさが再び灯り始めるのを感じる。
「……そうか、……なんだ、その、あ、ありがとな」
「うん!」
思考停止により、ろくな答えも返してやれなかったが、由比ヶ浜はそれだけで満足だったらしい。
「さあ!気を取り直して焼きそば買いに行こ!」
「……りんご飴」
「へ?」
「買うんだろ?」
「う、うん!買う買う!ヒッキーにもちゃんと半分あげるから!」
「いや、いらんわ」
いつにも増して身体が熱い。いつものようなくだらない論理が頭に出てこない。
理由は自分が一番わかっている。
けれど、今だけは、今だけは言葉にしたくなかった。
俺のチープな言葉で表したくなかった。
今この瞬間を目に、脳裏に焼き付けたかった。
結局一度も離れることのなかった繋がれた手を見ながら心の底からそう思った。
「さがみんもいい人見つかるといいね」
その声を聞いて、足が止まる。
入れ違うように、見覚えのあるピンクの髪の女の子が目つきの悪い男の子の手を掴み、クラスメイトを置いて、人混みの中に消えていった。
……ああ、そうか、そうだよな。人間ってのは成長するんだ。
心のどこかでお節介を焼かなきゃ立ち止まっているばかりだと思ってたんだろうな俺は。
だが、おそらく、由比ヶ浜は自力で見つけたのだろう。周りに塗られてばかりだった自分のキャンバスの中に彼女自身の色を。
自分だけの芯を、大切なものが何かを、彼女は知ったのだろう。
遠巻きながらそう察することができた。
それによりこれから失うものも増えるだろう、女子の事情は詳しくは知らないが、陰口も増えるかもしれない。
しかし、それは、人生を豊かにするための肥料となる。
大げさな表現ではない。譲れないことが出来るだけで人はどこまでも強くなれるのだから。
一つ、憂いがなくなった俺は軽い足取りで屋台を周り、雪ノ下の待つ場所へと戻る。
「……遅い」
「いや、申し訳ない」
自分の中ではそう長く立ち止まった感覚はなかったが、時計を見れば予定時間より10分オーバーしていた。
雪ノ下は屋台で買ったであろうかき氷を片手に木に寄り添っている。
「まぁいいわ。それより、花火を見る場所がもうないようだけれど」
日は完全に沈み、辺りはすでに花火を見るために準備を進める人がほとんどだ。
「安心しろ、花火大会なんだからビニールシートくらいは持ってきてるからな」
俺はハンドバッグから4人家族が全員で座れるほどの大きさのビニールシートを空いたスペースに広げる。
「……少し、大きすぎないかしら?」
「しょうがないだろ、家にこれしかないんだから」
仮に小さいやつをもって言ったとしても文句言うだろお前。
内心そう毒づきながら、俺は買ってきたものを並べる。焼きそばから始まり、フランクフルトやフライドポテトとジャンクフードのオンパレードだ。
「……よく食べるのね」
「まぁな、祭りってのもあるけど」
祭りの屋台は良くできている。祭り特有の高揚感から不思議と多少値段が高かろうと迷わずに買ってしまう。
だが、それを含めて祭りと呼ぶのだと思う。
一方の雪ノ下の方はカキ氷以外にはラムネを握っているだけだった。
時間的にも晩飯どきだ。腹は減らないんだろうか。
「……食うか?」
手元にあるフライドポテトを差し出す。
「いいの?」
「ああ、ちょっと買いすぎたのもあるし」
テンションに合わせて買い物はするべきじゃないな。
由比ヶ浜に後で請求してやろうか。
「そう、じゃあ、いただくわ」
雪ノ下は恐る恐る手に取り口にする。その様子からこういうのは慣れていないのだろう。ドリンクバーの一件があるので、案外すんなりと受け入れられた。
「……おいしい。けれど塩っ気が強すぎないかしら?」
「ごもっともだが、たまに食べるもんだから大丈夫なんだよ」
ほかのものにも興味が湧いたのか、物色するように眺めている。
「……別に食べたきゃ食べていいからな?」
「……本当?」
普段なら「……いくらかしら」とか言ってくると思うんだけどなぁ。
八幡がよく言う黙ってれば可愛いどころじゃない。
素直な雪ノ下はその数段上だ。
俺の中ではもはや別人説まで出てきている。
本当に理由はなんだ?表情からは読み取れんが、俺の知らないここ数日でかなり余裕が出来たのだけは様子からわかる。
……聞いてみるか?
「……なぁ、雪」
「あっ!! ゆきのん!!」
突如として現れた声に俺の声は掻き消された。……このアホっぽい声、はぁ。
「ゆ、由比ヶ浜さん?」
「ヒッキー!本当にゆきのんいたよ!あ、たっくんもいる!」
おい八幡、飼い犬が逃げ出してるぞ。
ちゃんと面倒みなさいって小町ちゃんに言われてるでしょ。
それに本当にいたってなんだよ。雪ノ下はいつから空想上の生き物になったの?
「お前、…はぁ、急に、…はぁ、走るなよ」
息も絶え絶えで遅れて八幡がやってくる。
由比ヶ浜の足元をよく見ると下駄だった。
お前それで走んなよ。どっかのカップルはこけてたぞ。
「何してんだよ、お前らこんなとこに二人で」
由比ヶ浜に質問責めに会うと面倒なため、こちらから先に仕掛ける。
俺も雪ノ下もほとんど知ってるけどね。
「え、えっとねー、な、なんて言うんだろヒッキー!」
「……普通に花火大会に来たでいいだろ」
おお、照れてる照れてる。
あの後は知らないが、上手くいったのはわかった。
小町ちゃんの名前を出さなかったのは素直に成長だと思うぞ八幡。
それと、由比ヶ浜よ、お前、雪ノ下に花火大会八幡と行くって伝えたんじゃなかったっけ?
「……それより、なんでお前らもいんだよ」
まぁ、こう切り返されるわな。
「とりあえず、こっち来て座れよ」
余裕があったビニールシートに招き入れると満員となった。
左から俺、雪ノ下、由比ヶ浜、八幡の順になって座る。
「まぁ、言ってしまえば、雪ノ下からの依頼だな」
「依頼?」
八幡は雪ノ下の方を見る。つられて由比ヶ浜も体ごと向けている。
「ええ、とても個人的なものよ、友人としてね。頼みごと、と言った方が適切かしら」
その受け答えに二人とも驚いている。特に由比ヶ浜はそれが顕著に見えた。
「ゆ、ゆきのん、あ、あたしも友達だよね⁉︎」
なるほど、自分が相談されていないことに不安を覚えたのだろう。
「もちろんよ。ただ、今回きっかけを作ってくれたのは佐藤くんだったから真っ先にお願いしたのよ」
「そっかぁ、よかったぁ」
ほっと一息つく由比ヶ浜の隣では怪訝そうな八幡。
「(誰?この雪ノ下に似た人)」
「(驚くなよ?なんと妹さんだ)」
「(嘘だろ⁉︎)」
和気藹々と騒いでいる両隣で密かに視線でやり取りをかわす。
側から見れば、仲睦まじい女の子同士と、それを挟んで視線を交わす男同士というなんともカオスな状況だ。
すると不意に「ドン」と音がする。どうやら花火が打ち上がり始めたようだ。
「わー、綺麗」
「そうね」
「ああ」
「……普通じゃね」
「……ヒッキーの馬鹿」
「所詮、国語三位ね」
「待て、雪ノ下。それだとそれ以下の俺も入る」
「……そもそも国語三位関係なくね?」
暗闇の中、四人揃って交わされた会話はいつもと変わらなかった。
おまけに、雪ノ下の毒舌までも復活である。
そんないつも通りの雪ノ下に俺は謎の安心を覚える。
あの時の素直な雪ノ下が素だったのかはわからない。けれど、俺が知る雪ノ下雪乃は今の姿だ。
初めてみる生き物を親と見るやつと似たようなもので、人の最初の印象はそう簡単に変えられない。
でも、それでも、あの雪ノ下をまた見たいと思うのはなぜだろうか。
花火はラストを飾るようにどでかい花火が次々と打ち上がる。
消えゆく花火を見るたびにその想いが強くなるのを感じた。
四人で並んでみる花火大会は、俺にとってこの夏の忘れられない思い出となった。
アンケートのご回答ありがとうございます。
前回よりもたくさんの意見をいただけて嬉しいです。
半数の方が、一人で十分とのことで、私と同じ意見でした。
最初から見ていただいた方は何となく察していると思いますが笑
自分はハーレムがあんまり好きじゃないので笑
ちなみに、ここが分岐になります。
最初の話が派生すれば、姉ルートが出来上がりです。
なので一応、アンケートを設けました。
アンケートで書いた4人の候補のうちの一人が雪ノ下陽乃でした。
次回からそのまま文化祭編です。