『ダークファルスの撃退に成功しました。アークス各員の協力に感謝します』
ロビーに鳴り響くアナウンスが、アークス達に事態の収束を報せる。胸の内でホッと息を吐き、少女は辺りをぐるりと見渡した。
互いの無事を喜ぶ者。
ドロップ品で一喜一憂する者。
世話しなく次のクエストへ赴く者。
ショップエリアは変わらず、いつもの雑踏を見せている。
もう何年も続くこの光景。技術の進歩と共に、かつて難敵と謳われた大敵たちは、今ではアークスたちの手軽な収入源と成っている。
しかし、それでも。
少女はそこにある"いつもの光景"に安堵した。
「よかった。今回も無事に終わったみたいですね、先輩」
皆の無事を心の底から祝うように、少女は満面の笑みを浮かべて青年に問い掛けた。
「相変わらず、ヘパは大袈裟だな。あんなの、今時大した相手じゃないぜ?」
ドロップ品が芳しくなかったのだろう。端末を眺める神妙な面持ちを呆れ笑いに隠しながら、青年は少女──ヘパティカの問いに応えた。
不敵にも取れるその返答だが、ヘパティカはそれに口元を小さく歪める。
ヘパティカが先輩と呼ぶ青年──スダマは腕利きのアークスだ。その実力は折り紙付きで、巷では『英雄』などと呼ばれることだってある程だ。
確かにアークスの戦力は底上げされ、今や緊急警報だって緊迫感を失いつつある。
それでも。だからと言って油断出来る程、奴らは弱い相手ではないのだ。
現に今でも、ダーカーやダークファルスの模倣体による死傷者は後を絶たない。自分たちが強くなったからと言って、敵が弱くなったわけでもないということを、ヘパティカはよく知っていた。
以前スダマから、ヘパティカはこう問われたことがある。
『お前にとって、強さとはなんだ?』
以来ヘパティカの脳裏には、いつもその言葉が張り付いていた。
「せ・ん・ぱ・い! そういう油断が命取りになるんですよ? 現にさっきのクエスト、何度か耐久値が真っ赤になってたじゃないですか!」
「うっせえなあ。そりゃあ危ない場面はあったけど、怪我無く勝ったんだからいいじゃねぇか」
「それは……そうですけど……」
如何にも鬱陶し気に、スダマは首元を掻いている。ヘパティカはそれが気掛かりだった。
今回は生きて帰ってこられた。でも次は? その次は?
彼は強い。並ぶに及ばずとも、自分だってそれなりに腕はあると、ヘパティカは思っている。
しかし、それとこれとは話が別だと、ヘパティカは常日頃から考えていた。
何故なら、彼女は知っていたから。
スダマという人間が今、いったいどれ程危ない橋を渡ってここに立っているのかを。
「そんなに心配すんなって。お前のことは、ちゃんと俺が守ってやるからよ」
違う、貴方は全然分かっていない。
無造作に頭を撫でられる感触に顔を赤くする。
口を衝く言葉を、ヘパティカは既のところで飲み込んだ。
くしゃくしゃと髪を乱雑に梳く指が、それ以上は言うなと言っている気がしたから。
「さてと。それじゃあ仕事も片付いたことだし、そろそろ行くとしようぜ」
「もうですか? まだ時間には早いと思うんですけど……」
端末を確認すると時刻は『AM 11:40』を表している。指定されていた時刻は『PM 12:00』。尋ねるにしたってこの時間は早すぎる。
「今日のためにこちとら睡眠削って練って来たんだ。それに、今から行けば少しくらい準備も手伝えるだろ?」
スダマの弁に、ヘパティカは飽きれたような、嬉しがるような、曖昧な微笑みを返す。
そう言われてしまっては自分が一向に断れないのを、スダマはちゃんと知っているのだ。
「よしっ。それじゃあ気合入れて行きますか!」
平手を拳でパシリと打って、スダマはニッと破顔した。
♢
「もう来たのか? すまんがちょっと遅れててな、まだこっちは準備中だ。適当に座って待っててくれ」
「ふふっ。それを見越して手伝いに来ちゃいました! カミトさん、何か手伝えることはありますか?」
(いや、それは俺の発案だろ)
たったと小走りでヘパティカは部屋の奥へと駆けていく。それをジトリと半眼で見やりながら、スダマは部屋の中をぐるりと見渡した。
今日のために一部改装したと言っていたが……なるほど。
左右の壁に均等に配置された食器棚や調理器具。
その真ん中には、おそらく対決用なのだろう。二つ並べられた簡易の台所で、一人の青年が世話しなく手を動かしていた。
その環境は紛れもなく、『料理対決』をするに相応しい様相となっていた。
「……俺の仕事はなさそうだな」
視界にある台所は二つ。そこに作業する人間が一人ずつ。
食器やらは粗方用意されているため、スダマに介入の余地はほとほとない。
しかしこれから対決をするというのに座ってくつろぐというのも、彼の性分には合わなかった。
結局手持無沙汰な両手を組み、戸口の前でウロウロと歩く等して時間を潰していた。
「スダマ。悪いが奥の部屋に居る妹を呼んできてくれないか?」
「おっ、了解した」
そんな声が掛ったのは、いよいよ準備が完了するその手前。彼の脳裏に「こんなことならギリギリを攻めて尋ねていれば」と後悔の念がチラつき始めた頃。
普段よりやや早い足取りで、スダマは指示された部屋へと向かう。
「ん? いいや待て。あいつ今妹って言ったか?」
スダマは彼の家族構成をまるで知らなかった。一応カミトとの付き合いはそれなりに長いが、思い返せば部屋を訪ねる機会はかなり少なかった。
その時ここにはカミトしか居らず、スダマはカミトの家族に一度も会ったことがなかった。
予想外の角度の情報に少々戸惑いつつも、スダマはいよいよ目的のドアの前に立つ。
「ていうか、初めましての相手にこんなことさせるか? いや、即答で了解したのは俺だけどよぉ……」
そもそも自分はどんな顔をしてこの部屋に乗り込めば良いのか。
私室に全く知らない奴が行き成り乗り込んで来たら、それは不審者以外の何者でもないのではないか?
万一それで嫌われでもしたら、一生癒えぬ傷が生まれてしまうかもしれない。
第一に、カミトの妹とはいったいどんな容姿なのだろう?
「ええいままよ!」
散々に考えた末、スダマは思考を放棄した。
奮起の声を上げながら、一思いにドアを開け放つ。
「──えっ?」
ドアを開いた先。
薄暗い部屋の中に、全裸の少女が居た。
いや正確には全裸ではない。
真っ白な肌の上には、漆黒の下着の類が身に着けてある。
少女が背中を向けて肩越しにこちらを見つめているため、その視界に背面しか映っていないのが彼の唯一の救いだった。
胸の前で衣服を広げているのを見る限り、彼女はきっと着替えの途中だったのだろう。
小さく振り向く頭に合わせて、短く切られた髪がさらりと流れる。
一部黒く染まっているが、全体的に白い髪。
不思議そうにスダマを見つめる紅蓮と紫紺の
妹と呼ばれた少女の容姿は、確かにカミトのそれと酷似していた。
──さて。
(どうすんだこの状況!?)
そんな心の声に反し、スダマの体は機敏に反応する。
何故ならスダマは
きっと鼓膜を劈くような鋭い悲鳴が轟くのだろう。
きっと首がもげるような苛烈な張り手を打たれるのだろう。
経験に基づく条件反射なのか、スダマは完全に防御の姿勢を取っていた。
……しかし。
「?」
眼前の少女は叫ぶとも暴力を振るうともしない。
怯えるスダマに、ただ何事かと小首を傾げるだけだった。
この時直ぐに行動すればよかったのだろう。謝るだけ謝って、とっとと退出すれば事態は軽く済んだのだろう。
しかし予想外に生まれた心の余裕が、スダマに思考の余地を与えてしまった。
停止する五体に反し、今度は脳がフルスピードで思考する。
整理する。
この状況下で彼に与えられた選択肢は三つ。
一つ。ドアを閉め、一目散に部屋を退散する。
二つ。敢えて堂々と目的の伝言を伝え、何事もなかったかのようにここを立ち去る。
三つ。取り合えず謝る。全力で、謝る。
熟考する。
一つ目の選択肢を選んだ場合、スダマの社会的地位が危ぶまれる。そもそも戻った先にはカミトと
二つ目の選択肢を選んだ場合はどうだろうか。いいや一番ないだろう。二人にバレるとかバレないとか以前に、スダマの
三つ目の選択肢ならばどうだ。いいやもうこれしかない。誠心誠意謝って、状況を説明して、なんとか少女に納得してもらうしかない。
結論。
使用した時間はたっぷり三秒ほど。
そこに至るにはもうどうしようもない程時間は過ぎているのだが、それでもスダマはそこに至った。
ならば、後は行動するのみ。
遅かろうが早かろうが、そうしなければ死が待っていることを、スダマは本能的に直感していた。
意を決して、スダマが一つ深く呼吸をした──その時だった。
「どうしたの?」
「……へ?」
少女の方から声を掛けられた。
予測と異なり過ぎる状況に、折角立てた彼のプランは一気に瓦解する。
紛乱の一途を辿るスダマの思考は、半自動的にその質問に返答を送っていた。
「い、いや! 準備が出来たって言うから呼びに来て……それで……!!」
(って、なに普通に答えてんだ俺!)
不覚を打った。状況は完全に悪化してしまった。
あろうことか、この状況でスダマは少女と会話をしてしまった。
一刻も早くここを立ち去りたいスダマに、"応答する"という居座る理由が出来てしまったのだ。
それでも、決壊した思考からわずかに残る理性を引っ張り起こして、スダマは先に決めた謝罪をすべくもう一度息を吸って……。
「あっ、そうか! お兄さんがお兄ちゃんの対戦相手なんだねっ!」
「──ッ!? 馬鹿野郎そんな恰好でこっちに来んな!!」
そして、またしても不発した。
あろうことか。少女はこちらへ体ごと振り向き、スタスタと歩み寄って来たのだ。
警戒する素振りを微塵も見せず、嬉々とした笑顔をその相貌に乗せて。
「ありがとう。ボクに教えに来てくれたんだよね?」
「えっ……? あ、ああそうだ! それが俺の仕事だからなっ!」
最早やけくそだった。
有する常識の悉くが覆されたスダマは、パンクした思考をかなぐり捨てて条件反射の返答を繰り出す。
半裸の少女と対面する、脂汗をダラダラ垂らすアブない面持ちの青年。
加えてその情緒が不安定とくれば、必然的に絵面はこれ以上ない程の犯罪臭を醸し出していた。
「なるほどなるほど。お兄さんは仕事熱心なんだね?」
「あたぼうよ! なんたって俺は、ここに料理をしに来たんだからな!」
それがなんの裏付けになるのだろうか。
そんなことを反芻する余裕は、今のスダマにはない。
彼は文字通り、現状を打破することでいっぱいいっぱいだったのだ。
「ふふっ。そっかぁ」
これならばドアを閉めて逃げ出した方が幾分もマシだったと、脳裏に後悔の念を積層させ始めた直後。
「いぃ……ッ!?」
素早く身を躍らせた少女が、瞬く間にスダマの懐へ潜り込んだ。
「──ッ!!」
一縷の抵抗さえ許さず、少女はその胸倉をむんずと掴んで勢いよく引き寄せる。
スダマの頭部は少女の肩の上へ万力の如き力で寄せられ、たちまち彼の視界から少女の肢体が掻き消えた。
頬から落ちた汗が静かに床を打つ。
悲鳴もうまく呑み込めない、抵抗の"て"の字も浮かばぬ閃撃の強襲。
主観的に見ても客観的に見ても、この体勢は本日史上最高に危険だ。
これがせめてもの抵抗だと、スダマは己が無罪を主張するように両手を天井へと掲げた。
状況に一切理解が追いつかぬまま、間抜けな姿勢で硬直する。
その耳元に、そっと少女の唇が添えられ──
「それじゃあ、一体いつまでボクのハダカを見てるのかな。お料理をしに来た、スケベなお兄ぃさん?」
瞬間。
スダマは悟った。
どうしようもない程理解してしまった。
ああ、これは