「ああ、それをそこに……そうだ。よしっ、準備はこれで完了だな」
その言葉を受けて、ヘパティカはほっと小さく息を吐く。
眼前にはヘパティカの想像を遥かに上回る器具や食器類が配置されている。
元々カミトは
流石に家電の類は共用となっているが、包丁やまな板、取り皿などの小物は全て二人分揃えてあった。
「色々して頂きありがとうございます、カミトさん。元々企画はこっちの発案だったのに……」
「条件はフェアじゃないと面白くないからな。俺自身、今日の対決が凄く楽しみだったんだ」
屈託ない相貌で、カミトは小さく口元を緩める。
カミトは普段あまり表情が表に出ない。きっと、本当にこの日を待ちわびていたのだろう。
ヘパティカの言う通り、元々勝負をけし掛けたのはスダマの方だった。
どのような会話があったのかはヘパティカの預かり知らぬ所だが、カミトの何気ない一言にスダマが飛び付いたらしい。
「でも驚きました。カミトさんって妹さんが居たんですね」
「ああ。今日来てるのは下の妹のエミナの方だ」
下のということは、上の妹も居るのだろうか?
エミナ。その名前にヘパティカは聞き覚えが無かった。
その事実に、ヘパティカは少し違和感を感じていた。
確かにお互い、家族に関する話までするような間柄でもない。
でも、身近に暮らす人間を知らない程疎遠というわけでもないのだ。
これまでその気配すら臭わせなかった彼が、急にその存在を明かした意図は何だろう?
「それにしても、先輩遅いですね。なにかあったんでしょうか」
やや強引に話題を変え、ヘパティカはその思考を頭から追い出した。
もし意図的に家族に関する話題を伏せていたのなら、きっとカミトには理由がある筈だ。
それならば、他人が安易に詮索していいものではない。
それに事実として、ヘパティカはスダマの様子も気になっていた。
現にカミトの指示で数分前に
もしやカミトの妹とやらは不在だったのだろうか?
いいや、だとしたら彼はとっくにこの場に戻っている筈だ。
「ひょっとすると、『洗礼』を受けてるのかもな」
「……洗礼?」
カミトが何処か楽し気に呟いた。
全く予想もしなかった単語に、ヘパティカの紅唐色の髪がふわりと揺れる。
その直後だった。
「まっ、ちょっと待て! やめろ! はーなーせーッ!!」
「だーめっ!
「──!?」
ドアの向こうから聞き馴染みのある悲鳴が飛び込んできた。それに応えるのは、カミトの妹、エミナと思わしき少女の声。
あまりにも突然の出来事に、ヘパティカは声にならない悲鳴を飲み込む。
しかし対するカミトは、何故か納得したように小さく頷いて、
「まあ要するに、案外仲良くやってるかもなってことだ」
先とは違い、今度は明確にその表情を綻ばせた。
「えっと、それは──」
──どういう意味ですか?
口から出かけたその言葉が行く宛を見失う。
理由は問うまでもなく、件の悲鳴の主が、開かれたドアから部屋へと戻って来たからだ。
それが平時と変わらぬスダマであったら、ヘパティカは平静を保っていられたのだろう。
しかし、それは到底不可能な事象だった。
「見て見てお兄ちゃん! 変態さんを捕まえたよ!」
開け放たれたドアから現れたのは、下着姿の少女に組み伏された
後ろ手に両手を抑えられた姿勢。
力なく上げられたスダマの相貌と瞳が交差する。
「違う、違うんだ! 俺は誓って、この子に指の一本だって触れてねぇ──ッッ!!」
「……」
まるで助けを求める子犬のように、スダマはヘパティカを見るなり決死の形相で捲し立てた。
それに応じるように、ヘパティカは穏やかな相貌で歩み寄る。
ヘパティカは知っていたのだ。
普段やや変態的言動が目立つ彼だが、しかし誰彼構わず蛮行をするわけではないことを。
お調子者の彼だが、間違っても友人の妹に手を出すような男ではないと。
「……先輩」
スダマの前にかがみ、ヘパティカは菩薩の如き笑顔を見せる。
パアっと伏せられていたスダマの表情に光が刺し、「助かった」と言わんばかりに瞳を輝かせる。
その笑顔に応えるようにヘパティカは小さく息を吸って──
「本当に見損ないました。サイテーです、先輩」
冷ややか言葉と共に、ヘパティカは絶対零度の双眸を
♢
「初めまして! ボクはお兄ちゃんの妹の、エミナって言います! よろしくねっ、スダマお兄ちゃん、ヘパティカお姉ちゃん!」
快活な声が室内に響く。
カミトの隣で小さくお辞儀をし、エミナは二人に向けてニコリとはにかんだ。
一方笑顔を向けられた二人の相貌はやや引き攣っている。
まあ、当然だろう。
「さて。全員揃ったことだし、それじゃあそろそろ始めようぜ」
「始めようぜじゃねぇよもう終わってんだよ色々と!」
「なんだよやらないのか? 折角こんだけ準備したってのに……」
「あーもう分かった! 分かったからちょっと待ってろ!」
部屋の隅で不貞腐れたように座り込み、大声でスダマが捲し立てる。
どうやら彼の思考は既にキャパオーバーしていたらしく、思考の整理を付ける時間が必要なようだ。
「そういえば、私たちはなにをするんですか?」
ふと思った。
ヘパティカはお世辞にも料理が上手いとは言えない。こうやって呼ばれたからには自分は審査役としてここに居るのだろうが、調理中はなにかするのだろうか。
「……」
「もしかして、なにも考えていなかったり……?」
明らかにカミトの表情が曇った。
わざわざエミナを呼びつけたのには理由があってのことだろうと思ったのだが、どうやらそんな考えは彼にはなかったらしい。
申し訳なさそうなその相貌が、言葉にするまでもなく伝えてきた。
「ねぇねぇ! それなら今度はボクと遊ぼうよ!」
会話が聞こえたのか、エミナは人懐っこい笑みを浮かべて提案する。
しかしヘパティカはその提案を図り兼ねていた。
料理対決と言ったが、その料理自体は自分たちの昼食となる。
それを作って貰っている横で遊ぶことなど、ヘパティカには考えられなかったのだ。
「それだっ!」
「うわぁ!? きゅ、急に大声を出さないでください先輩!」
「ヘパティカ!!」
「は、はいっ!」
突然立ち上がったスダマは、ヘパティカの肩をグワシッと掴んだ。
大声に充てられたヘパティカはそれを振りほどくことも出来ず、気を付けの姿勢で先輩の言葉を待つ。
「俺らが戦うんだ。お前にも戦って貰うぞ、ヘパティカ」
「……戦う?」
意味が分からない。
大体戦うと言ってもなにで戦えと言うのだろうか。
「模擬戦だ! ヘパと
……はい?