「それはなにをやってるんだ?」
「こうやって手に油を塗ってやるとひっつかないし、肉の脂も逃げづらくなるんだ。転がすのも10回程度にしとけよ? あんまりやり過ぎると、今度は圧縮されて固くなっちまうからな」
「へ、へぇ……」
見よう見まねで、取り敢えず言われたことを実践する。
最早対決の熱気は影を潜め、カミトの料理教室へとその姿を変容させつつあった。
ふとやるせなくなって、スダマは眼前に移る映像に目を向ける。
「ヘパティカ、押されてるな」
モニターに映し出されるのは二人の戦闘風景。
調理中でも見れるようにというカミトの機転だ。
戦闘は依然エミナが攻め、ヘパティカがそれを凌ぐという状況が続いている。
「あの子、エミナにはお前が戦い方を教えたのか?」
「いや。俺は模擬戦の相手をするくらいで、特別なにかを教えたりはしてないよ」
ならば教導役は別に居るのだろう。
スダマがヘパティカたちに模擬戦を提案したのは、なにも公正を取るためだけではない。
エミナがスダマに掴みかかったあの時も、組み伏され連行される時も、確かにスダマは抵抗をしていた。
もう少し時間があれば拘束も振り解けただろうが、あの一瞬はエミナが完全にスダマを支配していた。
その時彼は一つの考えに至った。
コイツとヘパティカをぶつければ、彼女に良い刺激を与えることが出来るのではないのかと。
予想は的中した。
エミナの戦闘スタイルは自分ともヘパティカとも異なる、対人戦での体の使い方を熟知したモノだ。
きっとヘパティカは今頃こう考えているに違いない。
『この少女に技術で負けている』と。
「本当は、お前らに妹を会わせるつもりはなかったんだ」
「……どういうことだ?」
丸めた種をフライパンにそっと起きながら、カミトはポツリと、独り言のように続ける。
「昔の俺は、全部を守ろうとしてた。ただの人間のクセして、人の枠を超えた理想を本気で追っていた。だから、仲間とは関わって欲しくないと思ってたんだ」
そうすればきっと彼女らは戦場に立つ。
危険な場所に自ら赴いてしまう。
そしたらもう守れない。
そしたらもう救えない。
「失うのが怖かった。また一人になるのが嫌だった。でもそんなのは所詮理想でしかなくて、どれだけ手を伸ばしたところで届く筈もなかった」
知っていた。
その思いはカミトのしてきた無茶の数々を見れば誰だって分かる。
しかし彼の口からそれを聞くのは、これが初めてのことだった。
内容に反して口調が穏やかなのは、きっと彼の中で転機があったのだろう。
それを今語るということは、つまり。
「そんな時、アイツに言われたんだ。『ボクがお兄ちゃんを守るんだ』ってな」
カミトは自ら己が強者であることを強いてきた。
そして功績を積み上げるにつれ、今度は環境が彼に『英雄』であることを強いた。
そうして身動きが取れなくなっていく彼を救ったのが、エミナという一人の少女だったのだ。
全くどこかで聞いたような話だと、スダマはフッと口元を緩める。
「まあ要するにだ。アイツは見掛けよりずっと強いぞってことだ」
この時初めて、カミトは調理の手を止め、スダマの双眸を見据えた。
その瞳は、とても誇らしげに輝いている。
「……なんだ? つまりはお前、シスコンなのか?」
「そう思ったことはないんだが……案外、そうなのかもな」
恥ずかしがるように頬を指で掻きながら、カミトは破顔する。
その相貌には以前のようなトゲはなく、柔らかい。
きっとカミトがこんな顔が出来るようになったのも『家族』の存在があるのだろう。
「そっか……それじゃあ、こっちからも一つ言っとくぜ」
──パァンッ!!
隣接する部屋から炸裂音が轟く。
モニターを見れば、ヘパティカの脳天にエミナの蹴りが突き刺さっていた。
ニヤリと、スダマは獰猛な獣の如き笑みを浮かべる。
「俺の
画面越し。
ふらりと上体を揺らすヘパティカの口元が小さく釣り上がった。
それはまるで、何処かの誰かのように。
♢
「──えっ?」
小さく響く疑問の声。
一瞬生まれた、彼女の明確な『隙』だ。
(逃がさない!)
「──ッ!?」
この戦闘が始まって初めて、エミナの相貌に焦りの色が浮かんだ。
顳顬に打ち込まれた脚を掴み、ヘパティカはエミナの機動力を完全に制圧したのだ。
彼女はなにも無闇に突っ込んだわけではなかった。
待ち構える二の手を敢えて喰らうという選択肢を取ったのだ。
受ければ次が来る。
避ければ次が来る。
それは攻撃を確実に当てるための思考だ。
ならば、
文字通り、肉を切らせて骨を断つ。
無論肉体へのダメージは深刻だ。
下手を打てばその時点で勝敗が決していた可能性も十分考えられる。
だが、ヘパティカは立っている。
点滅する視界を堪え、超えるべき相手を見据えている。
この時ヘパティカは間違いなく、『駆け引き』に於てエミナの先を行っていた。
「ああ──ッ!!」
奮起する。
震える四肢に発破をかけ、ヘパティカはエミナの体躯を振り上げ、渾身の膂力を以て叩きつけた。
「ぐぅう……ッ!?」
しかし、エミナも速い。
即座に思考を切り替えた彼女は、両腕のバネを駆使してその威力を極限まで殺し切った。
「……ッ!!」
インパクトの瞬間。
ヘパティカの意識が緩んだ瞬間を見逃さず、エミナはその顎を蹴り抜いて拘束を脱する。
そのまま一先ず距離を取らんと、付いた腕で大きく飛んだ。
これで再び仕切り直し。
振り出しに戻って、また連撃の押収が始まる。
──ヘパティカの持つ手が、『二の手』までであれば。
「ふっ──!」
発走する。
鍛え抜いた脚力を爆発させ、退避するエミナを追走する。
一の手はそもそも当てることを想定しなかった。
二の手は完膚無きまでに相殺された。
故に控えていた必殺必中の一撃。
ヘパティカの『三の手』が、満を持して起動した!
「くっ……!?」
エミナはヘパティカの『策』に気付いた。
だがそこに至るには、あまりにも遅過ぎた。
エミナはもう行動してしまった。
体の制御が不能な空中へと退避してしまった。
もう、逃れられない!!
「は──ッッ!!」
咄嗟に身を固め、少しでも威力を落とそうと行動する。
しかし、間に合わない。
「────!?」
炸裂する。
打ち出されたのは全力の加速による超威力の拳。
反応が遅れたエミナに、それを遮るのは到底不可能。
拳は、吸い込まれるようにエミナの腹部を貫いた。
「ぐっ……ううっ……!!」
吹き飛んだ。
空中で仕留められたエミナに堪える術はない。
床をゴロゴロ転がりながら対面の壁に当たってようやく止まる。
「はぁ……はぁ……はっ──」
両脚が腑抜けた。
片膝を付いて、なんとか地に伏すのを堪える。
エミナに一撃見舞いはしたが、やはり受けたダメージは深刻だった。
乱れた息を整えもせず、ヘパティカは倒れ伏すエミナを凝視する。
手応えアリだ。
今の一撃で仕留めた感触があった。
だが──まだだ。
「ゴホッゴホッ……!! いっ……たぁ……」
腹部を抑えながら、ゆらりとエミナは立ち上がる。
「えへへ……いいの貰っちゃった」
エミナはどこか照れたように頬を掻く。
痛いと言ってはいるが、その相貌には相変わらず笑顔があった。
「どうして──」
──そんなに頑張るんですか?
ヘパティカはなにもエミナを気遣ってこんな言葉を掛けているわけではない。
彼女自身未だ跳ねる肩は収まらず、蹴られて以降揺れ続ける視界だって健在だ。
壁に手をつき、体を支える両の足は小刻みに震えている。
立ちはしたが、やはり今の攻撃はかなり効いていた。
これは決闘ですらない、ただの模擬戦だ。
無理をしてまで、無茶をしてまで続けるようなモノじゃない。
故に気になったのだ。
何故そこまで奮起するのか、と。
「守りたい人が居るんだ」
何処かで聞いたような言葉だった。
エミナは壁からそっと手を放す。
完全にとは言えないが、戦う力は少しずつ戻ってきていた。
「その人は凄く強くて、ボクなんかじゃ足元にだって届かなくて……」
その言葉には憶えがあった。
その想いには憶えがあった。
それは常日頃、
「いつも守ってくれるんだ。かっこよくて、大好きで、『英雄』みたいで……でも、皆を守るその人を、守ってくれる人は誰も居なくって……」
その想いも知っている。
いつも無茶ばかりして、ボロボロになって帰ってきて、そして、変わらぬ笑顔を見せてくれる。
本当に、
「だから決めたんだ。ボクが、その人を守るんだって」
「!?」
ヘパティカの双眸が弾かれたように見開いた。
それは以前、スダマの口から聞いた言葉と酷似していた。
彼はヘパティカに言った。
『守りたい人を守れるくらいには強くなれ』と。
眼前に立つ少女は、正にその体現だった。
「なにもかもをして来た人なんだ。ボクなんかより、いっぱいいっぱい努力して来た人なんだ。だから──」
再起する。
再び構えを取り、エミナの双眸に鋭い輝きが再燃する。
「──
腑抜けた四肢に、もう一度力を込める。
充てられるように。
当てられたように。
ヘパティカはエミナの視線に応えた。
「全く……ご飯が食べられなくなっても知りませんよ?」
「大丈夫! お兄ちゃんの料理は死んでも食べるって決めてるんだ!」
屈託ない笑みに堪らず苦笑する。
束の間。
ヘパティカの双眸に、これまでとは別種の輝きが灯った。
構える。
負けないようにと思っていたが、やめだ。
ここから先は──勝つために策を練ろう。
「さあ、教えてよヘパティカお姉ちゃん。あなたの……強さの秘密をさっ!」
♢
「んで、結局どっちが勝ったんだ?」
床に大の字になって転がる両者を見て、スダマは問う。
肩で大きく呼吸をする両者は、
「私の勝ちです!」「ボクの勝ちだよ!」
競うように宣言した。
そして二人は驚いたように目を見開き、互いに見合って朗らかに破顔した。