「わあ──っ」
食事の前にサッと汗を流した後。
会場へと戻ったヘパティカは、テキパキと用意されてく対面のテーブルを見て感嘆の言葉を飲んだ。
ヘパティカより一足先にシャワーを終えたエミナが、カミトと共にせっせと会場を準備している。
ほとんど会話もジェスチャーもない、アイコンコンタクトと呼吸を読んで進められるカミト達の準備風景。
こんなことに連携しなくても良いと思う反面、その信頼関係の深さに感心する。
こちらも試しにと、ヘパティカはスダマにふっと視線を送った。
(そこのお皿を取ってください)
果たして。
「……?」
急に送られてきた視線に戸惑うように小首を傾げ、何故かスダマは決めポーズを取った。
無駄にかっこいいのが少し腹立たしい。
隠しもせず、ヘパティカは盛大に肩を落として落胆した。
「先輩、それはなにをやってるんですか?」
自分で自分がいたたまれなくなって、ヘパティカは早急に話題を転換した。
先ほどからスダマは火も点いていないコンロの前で仁王立ちしている。
料理はもう出来ているのであれば、さっさと盛り付けないと冷めてしまうではないか?
「こうやって、焼いた後に五分くらい蒸らしてやると旨くなる……らしい」
「らしいって……」
曖昧に笑うその表情を見る限り、この話題については深く触れない方が賢明そうだ。
程なくして蒸らしの工程が完了したらしく、スダマは満を持してその蓋を開けた。
途端に美味しそうな匂いが辺りに立ち込める。
激しく体を跡ということもあって、ヘパティカの腹の虫がか細く鳴いた。
「まっ、対決は対決だ。公正なジャッジを頼むぜ?」
「任せてください。食べ物に関して、私は絶対に嘘を吐きませんので!」
爽快な笑顔を浮かべるヘパティカ。
その晴れ晴れとした表情を受け、スダマはやはり曖昧に笑うのだった。
♢
「それじゃあ、審査を頼む。どっちの皿からにしようか」
「俺! 俺が先で頼む!」
(ひ、必死だ……)
ビシッと片手を振り上げ、決死の形相でスダマが提案する。
苦笑を堪えながら、ヘパティカは黙って差し出された皿を受け取った。
「へぇ……」
盛り付けられたハンバーグは意外にも小奇麗に整っていて、普段彼が作る物より数段気合が入っているのが伺える。
そっと隣の席に目をやると、エミナも同様に瞳を輝かせていた。
「そ、それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
慣れない状況にやや表情を固まらせつつ、手を合わせる。
恐る恐るの相貌で、ヘパティカは満を持してスダマの料理にナイフを入れた。
「……!?」
美味しい。
しっかりと火が通っているにも関わらず柔らかい身。
噛んだ瞬間に口いっぱいに広がる玉ねぎとひき肉の甘味の濁流。
盛り付けられたものを見た時から察してはいたが、やはり普段の味より格段に良い。
スダマは普段レシピを見ながら探り探り調理をしているのだが、今回は目の下に隈が出来る程資料や材料集めに専念していた。
その苦労の成果が、しっかりと味へと変わって現れている。
「美味しいです、先輩!」
「うんうんっ! スダマお兄ちゃんってお料理上手だったんだね~!」
コメントを述べながら頬いっぱいに頬張る姿に、ヘパティカは自分のことのような誇らしさを感じていた。
これは間違いなく良い出来だ。
故に、ヘパティカは失念していた。
それを作った本人が、何故一向にその表情が晴れないのかを。
「んじゃ、次は俺の番だな。そうだ言い忘れてた。向こうに白飯も炊いてあるから、欲しくなったら自由に取ってってくれ」
「ほ、ホントですか!? ありがとうございます!」
その吉報についつい声が大きくなる。
反射的に食いしん坊が露呈したことに顔を赤くしつつ、ヘパティカは差し出された皿を遠慮がちに受け取った。
「えっ……」
そこから先の言葉は出てこなかった。
提示された皿は、まるで高級なレストランかのように洒落た盛り付けが施されていたからだ。
(これを本当に、あのカミトさんが……?)
ヘパティカもスダマ同様、カミトに料理上手な印象は欠片も持っていなかった。
故に動揺は大きい。
先とは違う心情で、恐る恐るそれにナイフを入れた。
「これは……っ!」
綺麗に丸く整えられたそこにナイフを入れた途端、中からぶわっと肉汁が溢れ出た。
それに凄く柔らかい。
スダマの物も勿論柔らかかったのだが、こちらはナイフを入れる時に一切の抵抗感もなかった。
呆気にとられながら、ヘパティカはゆっくりと口へと運び込む。
「──!?」
ふわりと、溶けてなくなった。
途端に流れ込む素材の旨味に、ヘパティカは思わず目を剥く。
スダマが努力の味とするならば、こちらは研鑽の味だ。
好評を受けたにも関わらず彼の表情が優れないのも、悔しいが頷ける。
これは、一般家庭で出せるそれを遥かに凌駕していた。
「……」
先のように隣に視線を送ると、エミナはただ黙々と、貪るようにハンバーグを頬張っていた。
自分だって似たようなものだ。
さっきからずっと相応しいコメントを考えているが、一向にそれを表現出来ずに居るのだから。
「だあ畜生! こんなんもう結果出すまでもないじゃねぇか!」
大声を上げるスダマはぐぬぬと低く唸りながらカミトを睨む。
……あれ?
「まあ、そうかもしれんが……」
カミトの表情は優れない。
その瞳は伏せられ、嬉しさどころか悔しさを滲ませている。
何故? 勝負には既に勝ったも同然だと言うのに。
理解の追いつかない状況に白旗を上げ、ヘパティカは隣のエミナへと助けを求めた。
「え、エミナさん。カミトさんは一体……っ!?」
泣いていた。
口いっぱいにハンバーグを詰め込んだ相貌で、エミナは大粒の涙を滝のように流していた。
「見間違いだと思ってたけど……違ったんだ……やっぱりお兄ちゃんは……ううぅ……」
賢明に咀嚼し、頬張ったモノを一気に飲み込む。
どうやらエミナにはカミトの思考が伝わっていたらしい。
しかしこれでは一向に話が見えない。
混乱するヘパティカは、もう一度エミナに問いかけた。
「ご飯食べた時、お兄ちゃんの目がね? 『服を脱げ』って言ってたの。だから見間違いだと思ってたんだけど……嬉しい、嬉しいよぉ……やっとお兄ちゃんがボクを見てくれたんだ……うわああああ……っ!!」
(え、ええ……)
大号泣だった。
なんだその理屈はと、ヘパティカは半眼で睨む。
エミナの次の行動を見るまでは。
「ちょ、ちょっとエミナさん! なんで服脱ぎ出してるんですか!!」
「止めないでヘパティカお姉ちゃん! お兄ちゃんが待ってるんだ……ッ!!」
「意味が分からないですー! カミトさんが本気でそんなこと言うわけないじゃないですか! 冷静になってください!」
決死の形相でヘパティカはエミナを抑え込む。
しかし狂騒状態であるからか、先の手合わせよりも随分力が強い。
ならば礼節を以って説き伏せようと先まで食べていた皿に視線をやるも、出された料理は全て完食されていた。
意外とちゃっかりしているエミナである。
ともかく。
このままでは突破されてしまうと、助けを求めてカミトの方へと視線を戻し──ん?
「先輩。どうして逃げようとしてるんですか?」
「えつ!? い、いやあほら、負けて悔しくて? ちょっと泣きそうだから外の空気でも吸ってこようかと……」
「嘘ですよね?」
「……ち、違うぞ」
絶対なにかやっている。
ヘパティカの思考が超高速で精査を始めた。
今上がっているキーワードは『料理』、それも『とびきり美味しい料理』だ。
次に『脱衣』。
この二つの組み合わせに、ヘパティカは聞き覚えがあった。
それは以前、スダマが急に自炊を始めた頃のこと。
どうして急に? と問うたヘパティカに、スダマはこう答えていた。
──『んなもん、おはだけが見たいからに決まってんじゃん』。
「カミトさん! 先輩になにか変なこと言われませんでしたか!?」
「へ、変な……?」
「なにか先輩の料理に対する意気込みとか、熱意とか!」
「ああその話か。いやあ驚いたよ。まさかスダマが芸術性を求めて料理してたなんて──うおっ!?」
気付けばカミトの襟元を掴み上げていた。
驚愕に見開く瞳を覗き、最後の問を投げ掛ける。
「その、芸術性とは……なんのことですか?」
「んっ、知らなかったのか? 料理にある到達点。『おはだけ』のことだよ」
……は?
なんじゃそりゃである。
そんな摩訶不思議で荒唐無稽な話を、この人は信じたのか?
呆れを通り越して仄かな恐怖を感じた。
カミトはこれまで、何人にこうして騙されて来たのだろうと。
「騙されてますよカミトさん! 料理にそんなふざけた芸術性はありませんっ!」
「そ、そうなのか? いやでもスダマは確かに──」
「ないです! ないったらないんです〜〜ッ!!」
引っ掴んだ襟をブンブン振り回して、文字通り全力の講義を仕掛ける。
だが──災厄の火蓋は、既に切って落とされていた。
「騙したの……?」
いつの間に移動したのか。
会場から抜け出そうとしていたスダマの前で、エミナが白い顔で立っていた。
「ねぇ。騙したの? スダマお兄ちゃん」
その瞳に普段の輝きはなく、変わるように深い絶望が宿っていた。
「いっ、いやっその……確かに間違った情報は伝えたかもしれんが……」
「そっか……そうなんだ──」
前髪でその表情は隠れている。
ただヘパティカは、背筋に走った冷たさで、その表情をいち早く悟った。
「やっぱり騙したんだね。
「ヒッ──!!」
ギラリと、エミナの双眸が怪しく輝く。
もう完全に目が据わっていた。
「ねえ、楽しい? ボクの気持ちを弄ぶのって、楽しい?」
「ま、待て! 誤解だ! 先ずは話をさせてくれ!!」
「うん、いいよ? それじゃあほら、あっちのお部屋に行こ?」
「い、嫌に決まってんだろ!? おぉいヘパ! 見てないで助けてくれよ!!」
懇願するスダマの声。
弾かれたように、ヘパティカの意識が引き戻される。
そうだ。
流石に、このままスダマを放置してしまうのは心が痛む。
そう思い、ヘパティカは一歩諸悪の権化に踏み出し──
「──あっ」
既の所で思い止まった。
彼女はある解へと至ってしまったのだ。
このままスダマをエミナに預ければ、もしかしたら彼のスケベ癖も幾分か治るのではないか? と。
それにスダマはヘパティカになんと言った?
そう。彼は『公正なジャッジ』を彼女に求めていた筈だ。
「先輩」
「な、なんだ?」
「しっかり、お説教されて来てくださいねっ」
とても。とてもいい笑顔で、ヘパティカは顔を青くする先輩に手を振った。
つまるところ、スダマは
非常に非情で、公正なジャッジである。
「ヘパティカお前! 俺に死んで来いって言うのか!? おっ、おいやめろ放せ! 俺はっ、俺は無実──」
──ピシャ。
絶叫が、閉じられたドアに遮られる。
嵐が去った室内に、ヘパティカは安堵の溜息を吐いた。
「いいのか? あれ、多分相当ヤバいぞ」
「そういうカミトさんは何故止めなかったんですか?」
「……嘘吐きにくれてやる情けなんて無い」
無表情のまま、カミトはぶっきらぼうに吐き捨てた。
彼は彼で、騙されたことへの憤りがそれなりにあるらしい。
「そうだ。カミトさん、一つ聞いてもいいですか?」
「ん? なんだ珍しいな」
ヘパティカ自身もそう思う。
思えばこれまで、スダマ以外の人物と込み入った話はして来なかった。
何故ならヘパティカの疑問は、全てスダマが解消してくれていたから。
だがこれは、そのスダマから出された課題だった。
「カミトさんにとって、『強さ』ってなんですか?」
ヘパティカはエミナの『理由』を知った。
そしてその内容が、自分のモノと似ていると思った。
だから気になったのだ。
「強さか。以前の俺なら、誰かを守る力とか、誰にも負けないのが強さだとか、多分そんな風に考えてたと思う」
「今は、どうなんですか?」
「そうか……そうだな──」
一瞬天井を見上げるような素振りをして、カミトはヘパティカを正面から見据えた。
「友人を、家族を。命を預けた仲間を信じ抜く意思が、『強さ』だと思ってる」
「信じる意思、ですか?」
それは、ヘパティカが予想もしてなかった回答。
「俺一人があっちこっち駆け回ったところで、違う別の場所で、皆は危険に遭ってる。昔の俺は、それが気が気でなかった。そのせいで身動きが取れなくなったことだって何回もあった」
それは、誰しもを守ってきたカミトだからこそ言える、彼の答え。
「だから、信じることにしたんだ。アイツらは強い。俺が居なくたって、アイツらは俺よりずっと凄い戦果を持って帰ってくる。だから心配なんて必要ない、ってな。そしたらグッと力が湧いた。普段よりもずっと体が軽くなった」
これは言うなれば普通のことだ。
彼は以前より背負い過ぎる節がある。
デューマンであることを抜きにしても白すぎる表情。
誰とも関わろうとしなかったのはきっと、関わればそれを守ろうとしてしまうからだ。
強い筈だ。
カミトは非現実を追い求め、そして何度も掴み掛けた。
高みを知る人間が、こうして自分たちと同じ土俵に降りて来たのだから。
「だから、今の俺にとっての強さは信じることなんだ。……なんか、気恥ずかしいな、これ」
苦笑しながら、カミトは小さく頬を掻く。
結局、カミトの回答もヘパティカの求める答えとは違った。
だが確信を得たこともあった。
これまで何人にも同じ質問をし、そして全員が別々の答えを返した。
「いいえ。そんなことはないです。とっても参考になりましたから」
ヘパティカは破顔する。
そう。
結局『理由』なんて、当人の心の在り方で変わるのだ。
それを他人に聞いていた時点で、そもそも自分は方向性を間違えていたのかもしれない。
自分の間違いに気が付けた。
それだけでも、彼女の中では大きな前進となる。
「そろそろ、先輩を助けてあげましょうか。流石にそろそろ、あの人も反省したと思うので」
「ああ、そうだな。俺も少し心が痛くなって来てたんだ」
扉を開けたら、彼は一体どんな反応をするだろう。
怒るだろうか?
安堵するだろうか?
もしかしたら、助けへの嬉しさから抱き着いて来るかもしれない。
これだけ長く傍にいるのに、やっぱりまだまだ分からないことだらけだ。
迎えに行こう。
答えを確かめるために。
未だ答えは見付からない。
それでもいつか必ず見つけられる自身がヘパティカにはあった。
何故なら。
今も過去も、そして未来だってきっと。
彼女の『理由』は、いつだって彼の傍にあるのだから──。
【食戟のアークス 完】