バカとダ・カーポと桜色の学園生活   作:慈信

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第八十話

 

 朝日が昇ろうとする黄昏時。僕は桜公園を歩いていた。

 

 昨日の夕方、ムラサキさんが兄であるリオから帰国命令が下され、今日この島を発つ事になった。

 

 今日の何時なのかは知らないけど、彼女の性格を考えると僕たちに突然の帰国を報告するより、このまま何も言わずにこの時間に去ろうとする気がする。

 

 そんな予感を昨夜から胸に抱き、僕はほとんど眠れていなかった。

 

 眠たくて閉じてしまいそうな瞼を必死に開きながら公園を横切っていく。

 

 それから更にしばらく歩くと港が見えてくる。僕らが修学旅行の時に船に乗った時の港だ。

 

 そこではフェリーが朝日を浴びながら輝きを放っていた。

 

 その輝きの中ではただひとり対照的な空気を纏った少女がいた。

 

「やっぱり、何も言わずに行くつもりだったの?」

 

「えっ!?」

 

 僕の声に驚いたムラサキさんが勢いよく振り向き、僕の姿を確認すると同時に申し訳なさそうに目を逸した。

 

「な、何故……ここに……?」

 

「外国に発つにはまず本島の空港に行かなきゃいけない。そのためにはまず船に乗る必要がある。そして君の性格を考えればなんとなくこの時間に行こうとするんじゃないかってね」

 

「…………」

 

「何も言わずに行くなんて、らしくないじゃん。僕はともかく、生徒会のみんなには礼儀を持って接していた君がさ」

 

「…………」

 

 僕の言葉に返事もせず、ムラサキさんはただ俯いたままだ。

 

 微かに見える瞳からは光が感じられず、どっぷりとした底なし沼のようにただ濁ったものしか見えなかった。

 

「このまま……帰っちゃうの?」

 

「……ええ」

 

「それは……君がお姫様だから?」

 

「私は……自分の感情より優先すべきことがあるの」

 

 それを言われると、僕にはどうしてやればいいかわからなくなる。

 

「……ごめんなさい」

 

 ぽつりとムラサキさんは謝罪を口にする。

 

「お別れ……なの? また、会えたりできないのかな?」

 

「…………」

 

 ムラサキさんは僕の疑問に答えない。いや、そもそも答えられないのだろう。

 

 ムラサキさんの国はとてつもなく遠くて、そう頻繁に会える距離でもないし、僕個人の力でどうこうできるものでもない。

 

 今離れてしまえば、恐らく眩暈もしようほどの時間会うことはできないということだろう。

 

「……うっ」

 

 ムラサキさんから微かにしゃくりをあげる声が漏れた。

 

 やっぱり、本当は彼女だってこの島を離れたくないのだろう。僕だって、こんな形で会えなくなるなんて嫌だ。

 

 でも、僕がいくら我儘言ったところで個人がどうこうできる問題ではない。

 

 なんか、情けないよね。離れたくないと泣いている女の子が目の前にいるっていうのに、僕は何もできやしない。

 

 そういえば、ほんの少し前にもこんな気持ちを味わったんだったっけ?

 

 確か、天枷さんが退学すると知らされた時にも。僕だけでなく、多くの生徒たちが束になって抗議しても大人の権力には叶わず、卒業という形で見送ることしかできなかった。

 

 でも、今回はそれすらできない。本当の意味で自分が無力だという現実を突きつけられる瞬間だ。

 

「……私、この島に来て……よかったって思ってる。あなたとの初会は最悪だったけど……それでも、退屈はしなかった。面白いことだって色々あったわ。だから、この島に来て、風見学園で生活できて、本当に嬉しい」

 

 何かをこらえ、それでも懸命に笑顔をつくって言った。

 

 嘘……というわけではないだろう。彼女がこの島で得た思い出は紛れもなく本物だろう。けれど……

 

「お別れ……なのね」

 

 本当はそんな言葉なんて吐きたくないのだろう。相変わらず目は寂しいままだ。

 

 船に乗ろうと足を踏み入れようとするムラサキさんを見て、僕は思わず手を取った。

 

「あ……吉井?」

 

「本当に……本当にこのまま別れちゃっていいの?」

 

「本当もなにも……もう、決まったことなんだから」

 

「でも、そんなのが君の本心なわけないよね? こんな形でお別れなんて、納得できるわけないじゃないか」

 

「そんなの……私だって納得できないわよ。でも、しょうがないじゃない……だって、私が帰らないと……みんなに迷惑がかかるかもしれないのよ? 私の我儘で、みんなを犠牲になんて……できないわよ」

 

 それはそうだろう。自分の我儘で誰かが傷つくのを喜べるわけがない。でも、だからって……。

 

「それでも……やっぱり納得できないや」

 

「だからって、それで留まれるわけじゃないわ。私が我儘を通そうとすれば兄様があなた達に危害を加えるかもしれないのよ。あなただけならともかく、他のみんなだって危ないかもしれないのよ。それとも、あなたに兄様を止められる?」

 

 それを聞いて僕の心は揺れた。

 

 ムラサキさんの兄さんがどれだけのものを持っているのかはわからないけど、彼女の態度から察するに僕ら庶民の感覚では計り知れないほどのものを有しているのだろう。

 

 そんな奴相手にして僕が適うかどうかなんて、簡単に想像ついちゃうよ。悪い方向に。でも……

 

「みんなには悪いけど……僕はもう、誰かが別れたくないって泣いて叫んでるのにそれをただ見過ごすなんてできないから。だから、みんなを巻き込んででも君を助けようって思うんだ」

 

「本気で言ってるの? あなたは本気で兄様に対抗しようと……それも、自分の友人を巻き込んで?」

 

「うん。これはもう僕個人の我儘だからただ謝るだけじゃ許しちゃもらえないかもしれないけど……それでも僕はみんなに謝って、それからみんなを巻き込む。必死に土下座して、例え踏まれても蹴られても……それでも土下座してみんなと一緒にムラサキさんを助ける」

 

「吉井……」

 

「自分なんかのために友達を巻き込むなんて……って言いたいのはなんとなくわかるよ。想像でしかないけど、もし僕が同じ立場だったら自分もそうしてたかもしれないしね。でも……それでも僕は、こうして目の前で女の子がみんなと別れたくないって言うなら……例え世界を敵に回しても、友達だと思ってる奴からあれこれ言われても、嫌われても、僕は目の前の人の笑顔を取り戻してやるさ! もう……もう二度と後悔なんてものを味わうのはゴメンだから!」

 

「あなたは……」

 

『そうだ! やはり貴様はそうでなくてはな、同士吉井よ!』

 

 不意に聞こえてきた第三者の声に、僕とムラサキさんは驚いて振り返る。

 

「友のために自分が傷つこうと、そして仲間を巻き込んででも友を助けようとする心意気。俺は感動したぞ」

 

「す、杉並君……?」

 

 な、何故杉並君がここに……? いや、よく見たら杉並君だけじゃない。

 

「ムラサキさん……国に帰っちゃうって本当?」

 

「何にも言わないで帰っちゃうなんて、せっかくお友達になったのに……寂しいなぁ」

 

「そうね。せめて理由を聞かせてほしいわね」

 

「ああ。別れの一言もなしに行くなんてひでぇぜ」

 

「このまま俺たちに何にも言わないで帰るって言われて、納得できるかよ」

 

 小恋ちゃんや茜ちゃんに杏ちゃん、そして渉や義之もいる。

 

「別にお前がそれで納得してるってんなら何も言わないが……」

 

「そんな心情ではないということは儂でなくともわかると思うぞい」

 

「……目は涙で揺れてる」

 

「……友達と別れたくない気持ち、よくわかる」

 

 それに雄二に秀吉、ムッツリーニと霧島さんも。

 

「あなたたち……何故?」

 

「何故もなにも、私たちだってこのままムラサキさんとお別れなんて嫌なんだよ」

 

 更にななかちゃんまでここにいる。まだ僕以外の人間には言ってない筈だろう、ムラサキさんはこの状況にただ戸惑うばかりだった。

 

 それでも少し経って冷静さを取り戻して必死に口を動かそうとする。

 

「あなたたちは……本気ですの? 私が我儘を言ってここに留まろうとすれば、あなたたちは……」

 

「さて? 仮にそれが本当だとして……吉井よ、お前はそれに屈すると思うか?」

 

 杉並君は僕に視線を移して尋ねてくる。

 

「そんなの……するわけないじゃないか。ムラサキさんが別れたくないなら、僕はそれを全力で助けたい!」

 

「まあ、そうだろうな」

 

「それが明久君だもんね♪」

 

「俺たちだって、明久と同じなんだぜ」

 

 義之が言うと、全員が笑顔で頷く。

 

「俺たちを見くびるなって事だよ! 危害? 迷惑? んなもん、関係ないね! それにな……あんなすかした野郎に負けると思ってるのか? この俺様が」

 

「それには同感だ。あの独裁者じみたパツキン野郎は気に食わねえからな」

 

「み、みんな……」

 

 僕は震えた。まさか、僕と同じように思ってる人たちがこうして集まってくれるなんて。

 

「それに、今ここで明久に手を貸す条件を突きつけてやって俺も当面の楽しみを増やせるからな」

 

「返せ、僕の感動を!」

 

 雄二の一言でせっかくのいい雰囲気が台無しになった。

 

「雄二の言うことはともかく……儂らは巻き込まれてもいっこうに気にせんぞ」

 

「……転校したくないのはみんな同じ。私たちも手を貸してあげる」

 

 でも、これだけ仲間がいるのなら……それはどんなに頼もしいことか。

 

「みんな……いいの?」

 

「ここでんなくだらねえこと聞くなって!」

 

 僕の質問に渉が笑顔で僕の背中をパンパン叩きながら答える。見るとみんなも同じような顔をしていた。

 

「……うん!」

 

 みんなを見て僕も決心を改める。後は、本人がどうしたいかだが。

 

「ムラサキさんはどうする? やっぱりお兄さんと一緒に帰りたい?」

 

「そ、それは……」

 

「まあ、ここでムラサキさんが帰るって言っても素直に返すつもりはないけど」

 

「ちょ、質問しといて私の意思は無視するつもり!?」

 

「だって元々ムラサキさんって、素直じゃないところあるしぇぶごぉ!?」

 

 ちょっとした冗談のつもりだったのに、割と本気めの腹パンを受けた。

 

「生意気なのよ! あなたなんかに言われずとも、自分の進む道くらい、自分で決められるわ! 私は……まだここにいたい。みんなの傍に、これからもです!」

 

 ムラサキさんがいつもの調子を取り戻して宣言した。

 

「ですから、私は兄様の言葉に逆らいますわ!」

 

 力強い言葉と共にムラサキさんは手を差し出す。

 

「ですから……私と道を共に歩んではいただけませんか?」

 

「あったぼうよ! 美少女の頼みとあれば例え火の中水の中だ! 面白くなってきたぜぇ!」

 

 ハイテンションな渉を始め、全員が強く頷く。

 

「任せろ! 大船に乗ったつもりでいろ!」

 

 杉並君も協力する気満々なようだ。敵となった時はその不気味さも相まって学園のあちこちにいた仕掛けによって翻弄されたけど、そんな人が味方になるとこれほど頼もしく感じるとは。

 

 これなら例え相手が王族であっても勝機はかなり見えてくるのではないか。

 

「そういえば、今思い出したんだけど……なんでみんなここに? ていうか、ムラサキさんの帰国のことをどうして?」

 

「ああ、杉並に呼び出された」

 

「俺もだが……小恋たちもか?」

 

「う、うん。ムラサキさんが大変だからすぐここに来てくれって」

 

「ムラサキさんが帰国するかもしれないって聞いたよ」

 

「いえ、ですからそれをどこから……? 偶然あの場にいた吉井以外誰にも言ってない筈ですが……」

 

「まあ、考えられるのは……」

 

 雄二が視線をある方向へ移し、僕らもそれに釣られてある方向を見る。

 

 視線の先では杉並君が不敵な笑みを浮かべ、ムッツリーニはカメラの手入れをしている。

 

「ふふ……非公式新聞部の情報収集力を甘く見てもらっては困るな」

 

「……この島で俺たちの知らないものなどない」

 

 ……どうしよう。この2人が相手では僕も迂闊な真似はできないかもしれない。

 

「えっと、じゃあ……今どんな状況かってのはわかる?」

 

「ふむ……」

 

「……ムラサキの兄が無理やり帰国させようとしている。その理由も少量だが掴めている」

 

 なんて情報力。この2人が組めば国を滅ぼすこともできそうで怖い。

 

「……ちなみにもうひとつ情報をくれてやる」

 

「ん?」

 

 ムッツリーニが僕のもとへ歩み寄るとこっそり耳打ちしてくる。

 

「……お前がムラサキの所へ行ってると聞いて白河が若干不機嫌になってる。宥めるなら早急に済ませておけ」

 

「え……?」

 

 ムッツリーニに言われ、ななかちゃんの方を振り向くと、ななかちゃんは笑顔のままだ。

 

 でも、なんでだろう? ムッツリーニの言葉の所為か、その笑顔が異様に怖く感じるんだけど。

 

「えっと……ななかちゃん?」

 

「ん? 何かな、明久君?」

 

 ななかちゃんは笑顔のまま僕に近づく。けれど、僕は何故か後ずさってしまう。

 

「ん? どうしたのかな、明久君?」

 

「え、いや……別に……」

 

「ん~?」

 

「その……ごめんなさい! 決して、決してななかちゃんをないがしろにしてたわけじゃないんです!」

 

 僕は土下座をしながらななかちゃんに謝った。

 

 おかしい……。本当ならムラサキさんのためにと決めてた筈なのに、僕は今なんのために土下座しているのだろうか。

 

「何で謝るのかな? 別に私怒ってないよ?」

 

「そ、そうだよね……うん。ななかちゃんがこの状況で怒るなんて……」

 

「私には微妙な言葉だったのに、ムラサキさんに対してはあんなに熱い言葉を送るんだ~なんて、怒ったりしてないよ~」

 

「本当にすんませんでしたぁ!」

 

 僕はコンクリートに穴が空かんばかりに土下座を繰り返した。

 

「明久……」

 

「なんとも締まらんのう」

 

「先程までの雰囲気は何処へ行ってしまったのかしら……」

 

 なんか、みんなから呆れたような視線を送られてる気がするけど、まずはななかちゃんのご機嫌を直さなければ。

 

 最後にグダグダとなってしまったが、僕たちはこうしてムラサキさんを助けようと奮起することを誓ったのだった。

 

 

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