お目汚しの作品かもしれませんが、一層「Fateシリーズ」を面白く思ってもらえるよう、「異世界魔法は遅れてる!」を既読の方を楽しませ、未読の方には興味を持ってもらえるよう、頑張りたいと思います。
なにより、自分が楽しんで書くことができればと。
それでは、よろしくお願い致します。
始まりの■■
――――始まりに、黄金を見た。
物心がつくか、つかないか。まだその境をやっと越えたばかりの、古い古い記憶。それでも鮮やかに思い出すことのできる、始まりの記憶。
ある春。桜が蕾にいよいよ濃い色を蓄え始めていた頃。
その日は珍しく、父が朝から何かと忙しなさそうにしていた。
朝食を終えた俺は親父――
尤も、当時はそんな小難しい感想ではなく、「なんかいつも寂しいな」程度の感覚しか持ち合わせてはいなかったが。
父はどんな男だったかと問われれば、『寡黙な男だった』という形容が思い浮かぶ。
感情はあっても、表情を忘れてしまった、そんな石像のような人間。車椅子に乗るか、杖を突くかして、ただ穏やかに時を過ごす魔術師。時間があれば家のベランダに置いたロッキングチェアに座って、どこともしれない茫洋とした空の向こう側を眺めているような人だった。
まだ俺が幼い頃は何を言うことなく膝の上に己を抱え、あやすでもなしにただ時間を過ごすことも多く。それが自分にとっては当然でのことであったからこそ、その日の彼は強く記憶に残っていたのだ。
思い返せば動き回る父の顔に浮かんでいたのは、或る種の笑みであったように思う。それは酷く歪で、そして過分に密やかなもの。
そこに含まれていたのは、時間の経つことの速さへの焦燥と、息子を魔道に引き込むことを諦めきれない己の業の深さへの諦念と、力及ばず喪った妻への祈りと――俺に魔術を教えられる、確かな喜びだったのだろう。
「
そう、親父が俺を呼んだ。生まれて初めて聞いた、親の厳しい声。
その響きの強さに怯み、掠れた声で返事をして。やがては恐る恐る書斎に踏み込んだ。
這入ってすぐに感じたのは、そこかしこから漂ってくる、古い紙とインクの匂い。
そして、どこか暖かいような、不思議な気配。
俯いていた顔を上げてしかと前を見れば、脚が悪いはずの風光が何の支えもなしに立ち上がっていた。右の手の平を上向きに広げ、何かを見せてくる。
興味を擽られて覗き込もうとしたが、背が届かない。背伸びをするが、まだ足りなかった。それに気付いた彼が苦笑を漏らすと、遊んでいた左手で後頭部を掻いてから屈み込む。
その仕草の妙な子供っぽさに、知らず知らずの間に強張っていた心が緩まされた。
「見てごらん」
そう、穏やかに言った父親の掌に在ったのは――
それは初めて見るもの。しかし、どこか懐かしい気さえするもの。この雰囲気を感じたのは、いつだったか。到底思い出せないような、ありえないくらい昔のお話のような。
瞼を刺す光を受けて、意識を現実に返す。そうすれば、組まれた形の精緻さに、放つ色の美しさに、纏う空気の清冽さに、感じられる力の温かさと、確かさに、何故か、目を奪われた。
金の円陣がひときわ強く輝く。
すると。
掌の上で皺に陰影を作り、そよ風を招いては辺りを煌めかせながらゆらゆらと踊っている。
そんな舞踏はそこそこに、炎は緩やかな螺旋を描くようにゆっくりと逆巻き始め、一点に凝縮していく。収束するに比例して光量はだんだんと増していき、それも頂点に達しようとしたところで、ふっと、熾火がかき消えるように輝くのを止めた。
手に残るは、琥珀よりも貴い、黄金に透き通った結晶――。
どうしようもなくその輝きに惹かれて、気がつけばそれを手に取っていた。
「父さん、これは……?」
思わず飛び出た疑問。それに彼は何も読みとれない無表情のまま、静かに答えた。
「これは
結局は分からず仕舞い。初めて聞いた言葉ばかりで、応答は要領を得なかった。それに、現象については説明されていても、手に取った宝石のような結晶については、何ひとつとて教えてもらえていない。
首を傾げたままの俺をじっと見つめ、親父は更に言葉を紡いだ。
「――私は、お前に問わなくてはならない」
目に浮かぶ色は複雑で、まだ幼い俺にはよく分からなかった。思い出すこともできないが、たぶん悲哀や忍耐、覚悟といったものであったのだと思う。
それでも、分からないなりに真剣さを感じ取り、居住まいを正した。
そんな俺の様子を見て、父は息子が一語一句聞き違えることのないように、丁寧に語を継ぐ。
それは連綿と血をもって紡がれ、継がれてきたもの。
「――お前は、魔術を学ぶか? ……私の跡を継ぎ、道を歩んでくれるか?」
そう、問われた。
* * *
季節を二巡りした、そのまた先の初夏。ドイツ、ハルツ山地の奥深くの森。
山は例年より早くに青い新緑を越え、黒く見えるほどの万緑を映えさせ始めている。
最低限の修練を経た俺は、父の風光と共に結社の本拠地である古城の前に立っていた。
あの時の、魔術を志すかを問うた父親への返事は「是」であった。
あの魔術行使を見て、俺は確かに神秘に惹き込まれた。――魔道に堕ちたのだ。
そんな息子の答えを聞いて、最初に浮かべようとしていた表情は、たぶん痛ましげなものだったのだろう。感情をほとんど表に出せないというのに、悲しそうな色を見せた親父。それでも結局は安心からか、笑ったような雰囲気を見せた。漏らした息の色は楽しげで、例え顔色を読み取れなくとも分かること。
終いにはたどたどしい手付きで頭を撫でてくる。気が回っていないからか、それともただ慣れていないだけなのか、その手は首がもげそうなほどに荒っぽかったけれど。それでも、俺は親の様子に釣られて、嬉しさだけを感じていた。
反面、それからの修業は過酷だった。我ながら幼い体と心で、よく耐え切ったと思う。
手始めに「良い魔術師とは身体が出来ているものだ」と言われ、隣に開かれていた剣術道場に叩き込まれた。営んでいたのは朽葉鏡四郎と言う、父の義弟である人。彼の妻の雪緒が俺の母の妹にあたる人であり、つまり道場主は多少遠くはあるが、叔父にあたる親戚であった。
折よく転居先を探していた彼らに、霊脈を管理する魔術師であり、一帯の大地主でもある風光が土地と建物を用意したのだ。それを恩に感じてか、それはもう扱かれた。ほんとにもう扱かれ尽くした。
とはいえ、剣の技量そのものを身につけることは求められることはなく。叔父も俺があくまで魔術師――神秘学者になるのが目的であるとは聞いていたし、なにより自分は幼すぎたから、多少の無茶はあっても無理はさせられなかった。
それらはあくまで普通の小さい子供にさせることではないだけで、基本的には単純な素振りを中心とした体力と足腰作りに収まるもの。
修練の日々、その途中からは朽葉家の長女の初美も加わるようになった。
ふわふわと柔らかでありながら、一度櫛を通せば艶をもって流れる、先祖返りの蜂蜜色の長い髪。強い意思を感じさせる、翡翠の玉のように綺麗な瞳。そうした日本人離れした容貌を持つ色白のその少女は、とても勝ち気で、負けず嫌いで、そして世話焼きな女の子。
目を閉じないように、心を強く持って苦難を耐えるような女の子だった。
――なによりこの
同い年であるのに、刃を振るえば既にその剣閃に理が宿り、剣を握るまでもなく自然と理想的な呼吸を作る武の才を持っていた。
おかげで「自分の方が先に始めたから」という意識を持ち、追いつかれないように努力を惜しむことはなかった。今では良い切磋琢磨をできたのだと思えること。
家では魔術と、それに付随する語学の勉強が待っていた。魔力の扱いや魔術回路の開き方などの実技的なことより、神秘に関する知識や各魔術基盤の術式構築の考え方などについてなどの座学的な内容のほうが多く。望んでも肝心な魔術回路を介しての術の編み方は教えてもらえず、不満を言っても暖簾に腕押しで。その度に違うことを頑張りなさいと諭されるばかり。
目に見える神秘は、掌から赤い炎を生み出す魔術のみしか学べなかった。
ほとんど褒められることはなく、不備があれば淡々と指摘されるだけの日々。
それでも頑張り、時に鏡四朗さんや初美に励ましてもながら努力を続け、しかしいよいよ
曰く。よく頑張った。ようやく盟主に紹介できる、と。
唐突な言葉に呆けている頭をひと撫でされ、準備は済んでいるから行くぞ、と声を掛けられる。
我に返った時には既に機上の人。気が付いた時にはフランクフルト近郊のホテルにいた。そこで目に映ったのは、表情がないのにも関わらず今にも笑い出しそうな雰囲気を醸す父の姿。
どうも俺はずっと鳩が豆鉄砲を食らったような様子のままでいたらしく、それが可笑しかったとのこと。幼いながらに羞恥心のままに落ち込んだが、それも僅かな時間。国を跨ぐ大移動は確かに体力に消耗させたようで。部屋を別れて一人になれば、然程も経たないうちに眠りに落ちた。
* * *
――夢を、見ていた。酷く遠く、朧気な景色。
それは亡き母の遺した、ルートヴィヒの呪い。
救われない未来を教える、
それに染まって命を落とした、己の母が見せるもの。
これから幾度となく見せられるもの。その初めての記憶。
――
そんな名前の、悲しい呪いだ。
上げられぬ瞼の裏に、父の話でしか知らない母の姿が映る。
黒ずんだ書物を片手に、幼子の苦しみに満ちた旅路を嘆いて。幻影の彼女は、えもいわれぬ
そして、ただ眠れと。来る困難の前に、今だけは心休まる時をと。
そう告げて。
どこまでも深い慈愛をもって、願うのだ。
――その感情、その源泉は、同時に彼女の救われない過去をも示すもので。
思わず声を上げようとして、でも、間に合わなかった。
――人好きのする笑顔を浮かべる、青薔薇を胸に彩った黒衣の男性がこちらを見下ろしていた。
――巨大な赤い竜が、口に炎を湛えた
――黄金の輝きをその身に宿す、赤毛の少年が目を丸くしてこちらを見ていた。
――ぬいぐるみに囲まれて、人形のような容貌の少女が安らかに眠っている。
――蜂蜜色の髪の少女が、泣き腫らした目でこちらに微笑んでいた。
――蟲が蠢き、少女の嗚咽が聞こえる薄暗い無数の洞穴がある。
――狂ったように哄笑を上げ、街を切り裂く魔術師が見える。
――雪空の下、暗い青い髪の男が滂沱の涙を流していた。
――赤い外套を着た、髪を二つに分けて結んでいる少女が呆然としている。
――神父服を着た背の高い男が、厭らしい笑みを浮かべて対峙している。
――――
脳裡に流れ込むのは、思い出すことを許されない記憶。
母親の手にする物語が見せたのは『これから』の光景。つまり――未来のこと。
なれど全ては幻に。群青に溶けて何も残らない。
これは、或る幸薄き女が残したもの。
ただ一人の子の為に、愛した夫の為に、その幸福を一心に祈ったが故に成し得た、一夜の奇跡。
それは世界を何も変えられないけれど、しかし確かに在った母の愛――。
◇ ◇ ◇
Fate/Crossing Peak
◇ ◇ ◇
世界が赤い。いや黒い。
空が焼け爛れてしまったようだ。目に痛いほど赤い。
雲が全ての色を大地に落としてしまったようだ。吸い込まれそうなほど黒い。
地を走り人を舐る炎が厭に赤い。焔が渦巻いて映るビルの影が怖いほど黒い。
赤い、黒い。分からない。
気がつけば、悲鳴と怒号が消えていた。よく分からないけれど、耳にナニカが当たっている。
――違う。それは、俺の手だ。
――耳を塞いでいた。目もできるなら瞑りたかった。でも、生きたいから。
だから、閉じる訳にはいかない。
だから、死から目を逸らす。
父さんは母さんを助けに戻った。
母さんはいいから逃げてと叫んだ。
その音が届くよりも前に、家は崩れてしまった。
結局、一人。
ある人は体が半分以上建物の下敷きになって潰れているのに、助けて助けてと泣いていた。
ある人はこの子だけでも生かしてと、黒焦げになった赤ちゃんを差し出した。
ある人はどうにか息をしていて、瓦礫の隙間から腕を伸ばして俺の足首を掴み縋り付いた。
全部、全部、振り払う。
嗚咽が聞こえる。叫声が聞こえる。嘆きが聞こえる。恨みが聞こえる。
真っ黒な音が、脳を犯した。
――――。
――うん、聞こえない。聞いてはいけない。生きなきゃ、だって、母さんが。
歩く。気付けば、目前に炎の壁。行き先を変える。宛はない。でも生きなきゃ。
既に炎に手足は焼かれている。
灼けた空気が喉を焦がす。
降り落ちる灰が肺を潰す。
回る煙が目を鼻を、これでもかと痛めつける。
――後悔するのは全部後。
――償うとしても全部後。
――まずは生きてから。全部それから。生きているのは自分だけ。
今この地獄に見送られたのは自分だけ。
歯を食いしばって、
――重い空気を感じる。それは、上から。
気になって、空を仰ぎ見た。
――すると、
そこに、
それとも、あれは
――黒い、太陽……?
何故か靄がかったように、はっきりと見ることができない。
理解しようとすると、ノイズの如く不規則な像の崩壊が起きた。
それでも見通そうとしたら、頭に走り抜けるような激痛が。
……眩暈がする。
――そのせいで。
すぐ側で崩れて行く建物の残骸に、気付くことができなくて――。
* * *
「誰か! 誰でもいいっ! 誰もいないのか! 生きていてくれ――誰かっ!」
必死な男の人の声。悲痛さすら感じさせる絶叫。
それを、流れ込んできた瓦礫の下から聞いていた。
助けを求めようと、声を上げようとする。――出なかった。喉が潰れてる。
どうにか建材の破片の隙間から右腕を突き出した。弱々しいが、男の声のした方向に手を振る。
「――――!」
息を飲む音。それが聞こえた気がするのは、男の驚愕と喜色が伝わるよう。続いて、全力で走っていることの分かる大きな足音。すぐ近くで止まった。
「――死ぬなよ! 頼むから死なないでくれっ! 生きていてくれっっ――!!」
痛いぐらいの力で手首を掴まれた。間を置かずに聞こえる、積もった残骸を取り除く音。それが近づくにつれ、白い光が増してくる。
空が見えた。髭の生えた、草臥れたおじさんの顔が目に映る。
「あぁ……生きてる! 生きてた! ――本当に、良かった……!」
俺の右手を押し抱いて、心の底から嬉しそうに呟いた。そのまま完全に瓦礫から救い出す。
人を助けたというのに止めどなく涙を流すその様は一種異様で、どこか
「ありがとう――! ――生きていてくれて、本当にありがとう……!」
そう繰り返す彼は本当に嬉しそうに、感謝の言葉だけを言っていた。
そう、「よく頑張った」でも、「よく生きていた」でもなく。
ただ、「ありがとう」と――。
その言葉の理由は分からないけれど、そう言ってもらえるなら、自分が生き延びた価値があるのだと思えた。己が生きていて良いのだと、信じることができた。
顔がぐしょぐしょのおじさんは、取り繕うこともなく、手放しに俺の生存を喜んでいる。伸ばしたままの手を額に押し当て、滂沱と涙を流している。
……その、誰かのことを純粋に喜ぶ姿がとても美しいものに見えて。
悲鳴すら枯れた心に、深く、深く、刻まれた。
――――あぁ、きれいだ。
そんな感慨の果てに、掴まれていた自分の腕が彼の手をすり抜けて。地面に、ずり落ちる。
瞬間、絶望に染まる顔。
慌てて脈をとった男の人は、俺が生きていたことに安堵し、それから何かを決意したように頷いて手を胸に当てた。
――なにか、暖かい、気配……?
疑問を口にする気力はもはやなく。その温度を分け与えるように己の腹に手を当てる男の様子を、ただぼんやりと見つめていた。
――嗚呼、己が死んでいく。
――許されないのに、許されたつもりになってしまった。
――俺の心が、俺の心の生存を許さない。
――自分で自分を殺す。
間違いなく、その日に自分――どこかの家の、士郎は死んだ。
しかし、やがて生き返る――衛宮、士郎として。
その始まりに――――黄金を見た。
お読み頂きありがとうございます。
序章終了、本編開始までしばしありますが、お付き合いいただければ幸いです。