Fate/Crossing Peak   作:甘風

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 桜ちゃんは欲求の程度がだいぶ低いところで留まってしまう可愛い子。

 ……よろしくお願いします。


陽の差す学舎 後編

「本当にごめんなさい、先輩」

 

 もう、何回目だろうか。桜は正座をして肩を縮こまらせ、ひたすらに謝り続けている。

 意識を失っていたのはほんの数秒のこと。ごく短い間、衝撃で酸素が抜けて正体不明となっていた。それでも不覚は不覚だが、ともかく。

 

 気がついてから、幾度となく「いいよ。大丈夫だから」と伝えている。それでも彼女は握った拳を畳んだ膝の上で震わせるばかりで、全く受け取らずにふるふると首を振るばかり。伏し目がちな涙に腫らした瞼と傍目にも痛々しく、遣る瀬なさと罪悪感を誘われる。どうにもならないこの状況にほとほと困り果てた。

 

 

 天井を仰いで長く嘆息し、小さい唸り声のようなものを漏らす。

 

 ――やがては下を向き、言葉が出なくなってしまう。

 

 

 

 偶々、沈黙(それ)が揃う。不意の無音が訪れた。だからこその、転機。

 

 

 

 何も言わず、治療の魔術を組み立てる。――適性が無いための、低級な魔術行使。それを桜に施す。両の掌から散る翠の燐光は揺らめいていて、酷く弱々しかった。

 

 

 

 ……それでも、自分が傷つけてしまった女の子を治すのには十分なもの。

 

 

 

 少女が驚きを顔に浮かべる。でも、それを表に出していた時間は短かった。唇を固く結び、両腕を伸ばして俺の胸に当てる。程なくして、温かく場に満ちる、大きな翠光が灯った。――全身を覆う、じんわりとした快感。その健全な悦さに、細い息を漏らす。

 

 

 

 ――――大切なのは言葉を交わすことでなくて、気持ちを伝えることだったのだ。

 

 

 

 ……どれくらい、時が経ったのだろうか。ずいぶんと長い間こうして向かい合って、癒やしあっていた気がする。

 ――本当は、桜の癒術が掛けられる前に頭と首の痛みも引いて口の中の傷も治っていたけれど。そんなことは忘れたくなるほどに、とても心地よい一時(ひととき)だった。

 だが、そう翠緑に揺蕩う暇があるはずもなく。実際の時間はさほどは過ぎない内に、どちらからということもなく互いに手を止めた。名残惜しいが、やっと、諦める。

 

 

 

 

 顔を見交わす。自分から口火を切った。

 

「やっぱり、これはなんか仕掛けられたのかな」

 

「だと思います。自分で言うことではないですけど、あんなの私じゃないですから。……正気じゃありませんでした」

 

 頬を赤らめるが、それは恥じらうといえるような淡いものだけではなく。晒した嬌態と、あっさりと術に掛かった醜態とを恥じているのだろう。滲む空気はなんとも複雑だ。

 

 

「……あれは、どういう種類のものだったんだと思う?」

 

 

 気を紛らせるための問い。しかし、沈黙を返された。

 彼女が浮かべたのは、検分と思案の表情。

 長い長い空白。気不味さすら呼ぶそれはひたすらに冗長だ。

 

 耐えられなくなって怪訝な目を向ければ、桜はぷるぷると震えだした。

 

「…………の……くです。」

 

「え?」

 

「――感情のっ、増幅ですっ!」

 

 常の彼女なら有り得ないくらいに強い口調。というか大きい声。

 それに面食らっていると、顔を真っ赤にさせた桜が更にまくしたてた。

 

「困ってて、不安で、ほんのちょっとだけいい雰囲気で、だから――って何言わせるんですかっ、士郎さん!」

 

 内容も感情もぐちゃぐちゃなそれ。盛大に墓穴を掘っている。

 俺はいっそを目を白黒させて、上擦ったまま「さ、桜?」とどもりながら返す。

 

 

 ――仄めかされるだけで辛いのに、好意が明らかな言葉を吐かれてはたまらない。

 

 

 そんな意味も込めて呼ばれた自身の名前を聞いて、彼女も少し落ち着いたよう。

 

 

「操られていた、訳じゃないんですよ。でも……」

 

 告げる声は、切なさをも感じる悔恨の色に染まっていた。

 消沈して興奮も収まったのか、穏やかにぽつりぽつりと話し出す。

 

「たぶん、精神操作が中心の何かです。でも、外から感情なり思考なりを植え付けるものではなくて、元からあるものを増させるものなのだと思います」

 

 そう言いながら、また淡く頬を染める。

 釣られて時分も多少顔が熱くなるが、確かに手綱をとって心を律した。

 同時に、これを上回るくらいの慰めの感情も自然と浮かぶ。――あんなほんの僅かすら察知できない精神干渉があるか、と。

 

 目の前の少女は俺よりもよほど抗魔力が高い。というより自分が特殊な魔術特性であることを考慮しても、彼女の神秘への抵抗力は世間の水準と比べて大きく上回っているのだ。

 しかしそれを今、破るか、掻い潜った上での魔術行使がされた。その技術の高さがひたすらに恐ろしく、もっと言えばそれを知覚できなかった事実が尚更に身を竦ませる。

 ……()()桜の空気にあてられて冷静でなかったとしても、あまりに自分に非のある失態だ。

 

「――いくらなんでもタイミングが良すぎるからさ、多分、サーヴァントの仕業、宝具によるものだろうって思う。なら、どうにもならないこともあるんじゃないかな」

 

 宝具。英霊を象徴する道具、逸話、伝説が、人々の信仰の力のもとに形を得たもの。

 

 

 またの名を、貴き幻想(Noble phantasm)

 

 

 その力は絶大で、文字通りの切り札といえる。それを向けれては、警戒もしてない人の身などひとたまりもない。だからこそ、宝具ならばこの埒外の結果をもたらしてもおかしくないと考えられるだろう。

 

 

 

 ――だけれど、分からないこともある。

 

 

 

 桜が、そうですねと、同意してから続けた。

 

「結局、何がしたかったんでしょうか。ああやって私たちが……」

 

 頬に刺す赤味を増させながら、目を反らして言いあぐねた。助け舟を出す。

 

「揉み合ってた時に?」

 

 頷くが、その言葉選びに少し弱ったような表情をする。

 

「――その言い方も聞き方によってはちょっといやらしいですけど……。……はい、揉み合ってた時に、なんで何もしなかったんでしょうか。隙だらけ、だった訳ですし」

 

 …………。考えるが、思いつかない。

 

「分からないな。今の段階じゃ、なんとも言えない。……ごめん」

 

 桜はかぶりを振って否定するが、不甲斐ないのは変わらない。せめて、いくらかの考察をする。どうせ今襲われていないなら、そんな時間だけはあるだろう。

 念の為、今いる棟ごと解析を掛けるが、生命や神秘物の反応はない。それは完璧な隠形かもしれないが、であれば輪をかけて考えるだけ無駄だった。

 

「……こんな序盤に札を切ってくるんだから、たぶん手札の多いライダークラスか、魔術に精通したキャスタークラスの誰か、それくらいしか考えられないや」

 

 終ぞ、有益な答えなど出せなかったし、出せそうにもなかった。

 

 

 

「――これ以上は、水明さんにも相談しましょう。……行き詰まっちゃってしょうがないです」

 

 一息ついた上での桜の言葉。……内容には異論はないが。

 

「……どうやって?」

 

 とても切実な疑問。取り繕うことなどできなかった問い。……あの惨状をどう説明するのか。

 

「――? ~~~~っ!」

 

 最初に間の抜けた疑問符を掲げたが、次の瞬間には、ぼんっ、と擬音が聞こえてきそうなほどに顔を茹で上げた。実にたこたこ。

 

 そりゃそうだ。あの光景は俺だって水明には言いたくない。ちょっとした独占欲と、なにより大きな羞恥心、そして当の彼女への配慮。桜も詳細に思い出そうものなら、憤死に至るのも否めないだろう。

 

「全部言うぐらいなら舌噛みきって死にますっ」

 

 予想と概ね一致したことを、早口で言い切る桜。その息も絶え絶えといった様子は哀愁と笑いを誘う。忍ばしきることができず、小さく吹き出せばぽかぽかとお腹を殴ってきた。――それはそれは可愛らしい動き。

 

「もうっ! 笑わないでくださいっ!」

 

 そんな弁を聞き届けられる筈もなく。微笑みと大笑とが混ざりそうな具合だった。口の端を釣り上げすぎて頬が痛い。どうにか耐えていたようだが、遂には桜も可笑しくなってきたよう。

 

 

 

 そうやって。

 

 

 

 ――花が、ほころんだ。

 

 

 

 ――そう、この笑顔だ。見ていて癒やされる、小輪の花のような笑顔。本当に、安心する。

 

 

 

 先刻の不穏な様子と全く違った姿に、今更になって心の芯から安らいだ。

 そういう俺の様子に、桜は気付いているのかいないのか。どうしましたか、とでも言いたげに目を向けられた。今は、そんな何の変哲もない動作さえ愛おしい。……大切に、思える。

 

「いや、なんでもない」

 

 それだけ言って手を伸ばし、彼女の頭の上に乗っけた。ほんのちょっと首を竦ませるが、すぐに元通り。むしろ嬉しげに首を伸ばして、口角も上げた。ゆるゆるな表情。三度(みたび)四度(よたび)撫でれば、猫のように目を細めた。手を頭の形に流すように下げながら髪を梳く。さらりとした手触りをひときしり楽しんでから、そのまま頬に場所を移し、五本の指を添える。

 

 

 ぱっと手を離した。桜はそれに満足したように息を漏らし、ふいと目を逸らす。

 

「こんなことしてる場合じゃなくてですね……」

 

 嬉しいですけど、今はそんな場合じゃないでしょうと、口を尖らせる。

 

「そうだな、悪い」

 

 なんのげなしに目線を追う。

 

 

 

 ――その先には、日の落ちた宵闇の空があった。

 

 

 

 底に青を孕んだ、墨に浸されてゆくように黒味を増させていく紺碧。

 僅かな時間で相貌を変えてゆく、酷く気まぐれにさえ感じられる夜空。

 

 夜陰がその色を濃くするに連れ、星々は輝きを確かに強めていた。

 

 

 

「――夜、ですね」

 

「――あぁ」

 

 急がないとな――。その自分の言葉は、音になっただろうか。

 

 

 

 

 

 ――膨れ上がる魔力。迸る殺気。頭上に現れた、暴力的なまでの神秘。

 

 

 右手の聖痕が、きりきり痛む。

 

 

 突如現実に割り込んできた、危急を告げる異変。

 

 

 

 

 ――――サーヴァント。

 

 

 

 

 

 

  *   *   *

 

 

 

 

 

 思考形態が戦場での()()に変わっていく。古ぼけたペンキが剥がれ落ちるように、保っていた余裕が顔から消えてしまっていっているのを自覚した。

 

「――桜はこの棟の屋上で待機、常に状況をよく把握しておいてくれ」

 

 恐らく、件のサーヴァントがいるのは本棟の屋上。水明もいる場所。あいつなら確実に校庭に、そうでなくても校舎内を戦場(フィールド)に変えるはずだから、この別棟の屋上は安全なはず。流れ弾が飛んでくるような相手だったら怖いが、問題はそこだけ。伏せ札ということを生かして最大の利益を得るならばそれが最適。

 その考えのもと指示を飛ばすが、いまいち想像よりも反応が鈍い。見れば緊張の面持ちでこそあれ、何が起きたのか分かっていないような風情。そこでようやく合点がいく。

 

 マスターであるがための、敵のサーヴァントの知覚。それは桜には知りようがないこと。

 

「……サーヴァントがいる。それも水明が調べに行った起点のところ。結界を仕掛けた奴か、それを見つけて餌場にしてたやつか。――あるいは遠坂のサーヴァントかもしれない」

 

「……先輩。それって――」

 

「――単純に水明がヘマした可能性もある。むしろそれを念頭に入れなきゃだ」

 

 そう。そっちのほうがあり得るのだ。

 悪い方にばかり思考を傾けても駄目だと、そう、己に言い聞かせた。

 

 分かりました、と首を縦に振った桜。そのまま「念話を繋げておきますね」と言われる。

 

「いや、水明の方はやめとこう。今、状況を知るには一番いいけど、もしタイミングが悪くて集中を切らさせたりしたら、ものすごく下手(まず)い」

 

 彼ならどうするか――。それを考えての判断。確実に自分たちが不利にならない戦場を作り出ことを最優先にする。

 顔を見合わせ、深く頷き合った。そのまま駆け出す。

 桜は言った通りに屋上へ。自分はまず本棟へ。行動を別にしてからもその速度は緩めない。一息に魔術回路のスイッチを起動。

 

 

 

 頭の中で、撃鉄が落ちるような音がした。

 

 

 

 本棟、屋上前の階段。息を整えること、しばし。

 警戒はたっぷりと。一歩一歩確かめるように階段を上がり、最後の踊り場へ。

 息を潜めてドアノブに手をかける。同時に、空間探査の魔術の行使。

 

 

 

 ――――!

 

 

 

 覚えのある魔力の塊の、人智を逸した大跳躍。

 

 

 慌ててドアを開け飛び込む。目に映るは、校庭へと落ちてゆく青い影。

 

 

 

 猶予は、なかった――。

 




 一人称ですが、視点変更をした一話を挟んで戦闘へ。

 さておき。
 お読み頂きありがとうございました。
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