「なんだよ。消しちまうのか、もったいねえ」
声が、響いた。
二人して、弾かれたように振り向く。
十メートルか、十五メートルか。幾らかの距離を隔てた上空。
薄雲に霞む月光の下、そいつは俺達を見下ろしていた。
階段室のそのまた上。給水塔の上に立つ、夜に溶け込む深い群青。持ち主の身長より長い深紅の魔槍が両肩に乗せるように、横一文字に背負われている。
――対比される二つの色が、酷く目を引いた。
奴の吊り上がった口元は粗暴で、獣臭じみたものが風に乗って伝わってくる。
……獣の視線は涼やかだった。
この異様な状況において、俺らを十年来の友人みたいに見つめている。
――これは
男から感じる武威と嗅ぎ取れる異常性に、内心冷や汗を掻きながらどうにか動揺を表に出さないよう嘯いた。
「ハッ。そりゃそうだろ、こんな悪趣味な結界」
「……それとも、これはあなたの仕業?」
身構えている遠坂が俺の前に出つつ、語を継いで獣じみた男に質問する。
それぞれが言葉を投げかける中で咄嗟に取り出せる道具を探り、使えるものを吟味した。
――既に嵌めている齟齬のグローブ。上着の内ポケットに潜ませておいた水銀を封入したピルケース。結社の証たる青薔薇の魔力結晶。そして、肌身離さず持ち歩いている八鍵の秘薬が少々……。
はっきり言って心もとないが、それでもどうにかするしかなく――。
「――いいや? そんな小細工を弄するのは魔術師の役割だ。俺たちはただ、命じられたままに戦うのみ――。……だろう? そこの兄さんよぉ」
そうして思案を巡らせていれば、男は茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、遠坂の横の何もない空間に言葉を投げ掛けた。
その言葉、動作で、先程より確かめられなかった疑念が確信に変わる。
――やはり、遠坂は既に召喚を済ませているらしい。彼女のサーヴァントは、霊体化しつつもこの場に確かにいるようだ。
魔力視の魔術を使った形跡はないし、霊視などの魔眼の持ち主であるようにも思えない。ならば直接あの青身の男の目には霊体――遠坂のサーヴァントが見えてるのだろう。
そして、同時に分かるのが、こいつもまたサーヴァントだということ。
しかし、これらに気付いていると、知られるわけにも行かない。
――ここで一つ方針が決定し、自身は縛られた。
それは、絶対にここで真意を見せる訳にはいかなくなったということ。
この二人、いや三人が聖杯戦争の関係者ならば、自身が既に関係者だという事実を隠し通した上で、この苦境を切り抜けなくてはならない。迂闊に助けを呼ぶ行為をすれば、さらなる窮地を呼びかねない。
サーヴァント。
魔術師が挑むのは無謀と言われる相手に、挑まなくてならないこの状況。まずは他所に居る桜か士郎に落ち着いて状況の把握をさせなくては――。
遠坂は俺の存在を気にしているのか、少し後ずさってからは唇を噛むばかりで何も言わない。獣の空気をまとう男も、薄い笑みを貼り付け、肩に寄りかからせた紅い槍を弾ませるかの如く揺らすばかりで、これまた口を開かない。
決定的なことがないまま数秒が過ぎる。
その間に素早く周囲を見回した。
四方を囲まれたこの場で戦うのは不利。潜在的には敵になりうる遠坂がいれば尚更だ。
階段室までが約十五メートル、一番近い屋上の端までが約二十メートル余り――こちらは校庭の方を向いている。距離、奴がいる方に向かう危険性、扉を開ける時間、飛び越える時間……。
諸々検討し、遠坂を抱えてフェンスを飛び越え、校庭に場所を仕切り直すのが最善だと判断。
右の彼女の様子を窺えば、同じ様に周りに目を配り、逃げ出す機会を見計らっているような風情を見せていた。
そこに降ってくる声。
「ほう、大したもんだな、お嬢ちゃんら。何も分からない様で要点だけは抑えてやがる」
あーあ、これなら面白がって声を掛けたのは失敗だったか、などと、楽しげにも、気怠げにも取れる態度で男は言い放つ。遊ばせていた槍を片手に持ち替え、弄びながら回転させる。
――そして、濃密な魔力の籠もった穂先を横に向け、静止させた。
高まる緊張。
どちらということもなく聞こえてくる、唾を飲み込み喉を鳴らす音。
――遠坂達と、青き英霊。双方に気付かれないよう魔力炉の回転数を上げ、回路に通しておく魔力を増やす。同時に、士郎へ状況説明と救援要請をしようと念話の
「お、坊主。なんだよ、やる気満々じゃねぇか」
いいねぇ。隣の女のためか?――と、そう遮られた。
あっさりと魔力の高まりに勘付かれたことに心の中で舌打ちをするが、是非もなし。ならば、隠す必要もないと開き直り、一気に回転数を上げ、魔力炉心を唸らせる。
――Arc critica!〈――魔力炉、即発臨界!〉
短縮した語句。ラテン語をベースにした、結社の代名詞たる魔術。
脳裡で唱えた言葉に呼応し、
遠坂はよろめくが、即座に全身に強化魔術を掛けて凌ぐ。
対して、群青の男はこいつはなかなか――などと呟いた。
纏う魔力によってその色味を増した真紅の尖槍を構えると、踏み込みで貯水槽を壊しながら、シィッッ!と掛け声一過、こちらに一直線に突っ込んでくる。
慌てず見切り、最低限のバックステップで躱した。
砕けた貯水槽と屋上の床を見て、男の槍の迅さと威力の高さに戦慄する。そんな自分の心の裡などどうでもいいかのように男はニの太刀――槍なのに太刀というの妙な例えだが――を振るった。
――自分ではなく、宙に浮いている遠坂を狙って。
マージンを取り過ぎだ、などと思う暇もない。彼女は跳び過ぎてしまっていた。
ごく一瞬の隙、しかしそれは命を刈るに充分すぎるもの。
――当然の話として、強化した足で勢いよく回避を繰り出せば跳躍は高くなる。滞空時間という名の隙が増えてしまう。
そこを狙われてしまえば、躱すことなど出来はしなかった。
「っっっ! すまん遠坂っ!」
致命だけは避けたかった。謝りながら、遠坂に向けて指を鳴らす。咄嗟の典礼魔術による
無色の熱を伴わない爆風に従って、少女の痩身が吹き飛んだ。
ほんの少し前までその少女がいた空間を真紅の魔槍が食い散らすように穿つ。
――彼女は防御の魔術を展開していた。槍撃の威力を和らげるためだろう。
――だが、フェンガースナップの鳴る直前、それを解いていた。
――つまり、意図は通じていたということ。
――しかし、つまりは指弾のダメージも通っていたということ。
臍を噛む。どうにかもっといい方法はなかったかと、酷く自身を責めたい気持ちになる。だが、どう思い返しても自分に他に打つ手はなかった。
――ならば、今はできるをことする他ない。
魔力炉に激情という形でさらなる薪をくべ、限界を引き延ばす。体中の魔力が蠢いた。
即応し、即決して相方のダメージを厭わず、最悪を避けんと味方に躊躇なく攻撃した少年。
僅かの時間で防御の魔術を張り、その上で少年の言葉に反応し、意図を察してその防御を解いて攻撃を受け入れた少女。
蒼き英霊は若いながらも戦いの技術と覚悟を見せた
「おいおいやるじゃねぇか坊主も嬢ちゃんも――っ!?」
「――Augoeides sagittent trigger!〈――光輝術式即応展開、及び射出!〉」
感心するかの如く口角を上げながら、褒め言葉らしきことを言いかけた槍使いのサーヴァントに間髪をいれず攻性魔術を打ち込む。
魔術の手順の段階化。詠唱と動作を一組の小さな魔術として定式化し、更に大規模な魔術を構成するための魔法陣を
それに連動して術式を記憶から読み出す記憶術――魔術基盤に体内の魔術回路を通じて接続できない魔力炉式の魔術師が、基盤へと高速でアクセスをするために生み出した記憶から直接術式を読み出す技術。
これまでの研鑽による唱句そのもの短縮。威力と引き換えにした詠唱の音の欠落による術の簡易化。ガバラの秘術たる
いくつもの技術をもって紡がれたそれは、文字通り刹那の時間で詠唱が終えさせ、琥珀色に輝く魔法陣を中空に描いた。間断を許さず、その魔法陣から一つの光条を射ち出して敵を爆破する。
それを確認する前に、自身に身体能力強化術式、身体強度向上術式を付与。
爆煙と光炎とが目隠しをする中、その隙を突こうと脇を通り抜け遠坂の方へ走った。
――が。
「んなもん効かねぇよ」
爆発の後、煌めいている光膜を払い飛ばしながら、青身の男はつまらなさそうに魔槍を振るった。
「――っ!」
咄嗟の最低限の防御こそ間に合ったが、勢いは殺しきれず吹き飛ばされる。
宙を滑る
既に男は隙を逃さず追撃せんと駆け出している。
だが、その後頭部に宝石――
それを見て、彼女による援護だと確信する。
「わりィ助かった!」
「んなの良いからどうにかしなきゃでしょうが!」
感謝の言葉への、普段被っている猫をかなぐり捨てた声での指摘。余りにご尤もなことと、その勢いの良さに場違いにも苦笑いつつ、遠坂の作ってくれた時間で自身が特に得意とする炎術を編む。
「――Flamma est lego.Vis Wizard……〈――炎よ集え。魔術師の怨嗟の如く……〉」
敵の周囲を取り囲むように顕れた数個の魔法陣から、唸りを上げて吹き出す炎。それは吸い込まれていくかのように倒れたままの男へと直進する。
「だから効かねぇって言ってるだろうが!」
紅焔が接触した瞬間、跳ね起きた彼奴は心底鬱陶しそうに集まる炎を払おうと槍を振り回す。
――しかし、簡単には振り解けない。確かにその身に接触した炎は色を失い、その術式を解かれている。それでも、その大本の魔法陣へは影響を及ぼせていない。
その様子から、思索を深める。
――やはり、奴に時間重視のの光輝術式が効かなかったのは、術式防御や解術の類ではなく、対魔力によるものだろう。
ただ、幸いにも程度はさほど高くないように思える。ならば、大魔術か広範囲への一撃で――。
「あぁもう面倒くせぇ! 面白ぇんだかつまんないんだかどっちだ! 坊主っ!」
不満を告げる大声。
――思考の海から浮上する。
意識の浅層で次手を検討しながら声のした方を見遣れば、男は指先に魔力光を灯していた。そしてあっと言う間もなく空中に文字の如き印を刻み込む。
――ルーン魔術。
そう察したのも束の間、赤い魔法陣ごと術が消し飛ばされた。
「っ!」
奴の肩越しに遠坂の慌てたような表情が見える。
だが。
「そう心配するなって」
蒼き
――そう、とりあえずの時間稼ぎならこれで十分だ。
詠唱をもって奴の周囲に魔術を紡ぐ。その魔術は重力式。指定領域の重力法則を操作する魔術。
此度は加重の方向に舵を取る。
「――Gravitatem〈――重力式、展開〉」
凶手を遂げんとするその速度が鈍る。
すかさず同種の魔術を繋いだ。
「――Gravitatem.Bis coniunctum〈――重力式、二重連結〉」
ほぼ完全に足が止まった。それでもなお駆けんとするが、重力場がそれを許さない。
これはただの魔術の重ね掛けにあらず。
「――Gravitatem.Tern coniunctum〈――重力式、三重連結〉」
膝をつく。僅かに体を動かすのも辛そうだ。射殺さんばかりにこちらを睨む。
これは魔術と魔術を繋ぎ、その間に一切の時間を消す物。
「――Gravitatem.Quadr contexitur!〈――重力式、四重連結!〉」
呪詛を感じさせるほど厳しくこちらを見つめる顔が、勢いよく地面と激突した。這いつくばり、ピクリとも動けず。指先さえ震えるばかり。
――これは連結秘法。魔術を連ね、一つの魔術として束ねる秘術。
ここに、蒼き槍使いの拘束が完成した。
ダメ押しにもう一つ、直接言霊の魔術を掛ける。
「Et cadens in terram〈這いつくばれ〉」
こちらは手応えなく弾かれた。だよな、と独りごちる。
やはり対魔力は範囲系の魔術まで干渉することはできないようだった。ランクが高ければ無理やり受け流せると聞くが、奴はそこまでではないらしい。ましてや、神秘による場への干渉ではなく、場の法則への干渉であるが為に尚更防ぎづらいようだった。
とはいえ、この重力式も長くは持たない。
現に、本当に少しずつではあるが、両手の人差し指に魔力光を灯し、ルーンを書いている。
フサルクの“N”《ナウシズ》の逆字と、“U”《ウルズ》の正字、それぞれの原型か。束縛を弱め、増した力で領域外へ脱出、といったところだろうと予測する。“E”《エワズ》当たりも足すかもしれない。念の為、術式を当て特に補正しないまま乱干渉する。これでもう少し時間が稼げた。
さて――。
「逃げるぞ!」
そう言い、走る勢いを保ったまま遠坂の腰に手を回す。
「ちょ、やっ!?」
いきなり伸ばされた腕に慌てたようにやや抵抗するが、構わずそのまま引き寄せた。
「口閉じろ。舌噛むぞ」
一拍、深く息を吸う。
「Nutus.Multitudo decresco……〈質量低減、重力軽減……〉」
自身への重力操作の詠唱。加えて身体能力強化と遠坂ごと肉体を防護する術式も編む。
目測で端まで距離は二十メートル弱、高さは三メートルと半ばほど――そのまま足に力をため、一息にフェンスの縁へと鋭角に飛び上がる。
「しっかり掴まれ。――落ちるなよ」
勢いを殺さぬまま膝下に左腕を通し抱える。いわゆるお姫様だっこの形だ。
――Via gravitas〈――重力路、形成〉
内心で言霊を紡ぎ、空間への重力操作の魔術を組み上げる。
フェンスの天辺に着地し、そのまま跳ぼうとすれば、そこで遠坂が怒鳴った。
「っととそんな事言われても! ――ああっもう! 失敗したらただじゃ済まさないんだから!」
言いながらも腕を伸ばし、自身の首を中心にしっかりと腕を回す。
「んなミスすっか! てか失敗したら仲良くお陀仏だっての!」
そんな軽口を一つ。
フェンスを足場にほぼ真横に跳ねる。自然の引力を感じられたのは刹那にすら足りない一瞬。一転してなめらかに、ほぼ垂直に近い挙動で屋上から校庭へと落下する。速度は自由落下のそれを超え迅速。なれど、地面に激突するか否かのところで一気にその速度を緩め、柔らかく着地をした。
淀みない魔術行使の結果として行われる制動。跳躍から着地まで、一秒の半分にも満たない短時間での所業。
――命からがらといった印象だが、結果としては大過なく。
ひとまずの逃亡は、確かに成功した。
ようやく戦闘開始。全四回と言いつつ次回はほとんど会話。
というか遠坂を警戒しつつも見捨てたりするような発想がないのが水明クオリティ。
……お読み頂きありがとうございます。