とうとう、士郎はそれ以上何も言わないまま遠坂を追った。一人、取り残される。
さほど時を置かず、自分も後を追おうとして――立ち止まった。
「そこにいるんだろ」
振り向いて言い放てば、魔力と影の蠢く気配。それが指向性をもって形をなした。
黒の中から滲み出るように人間――間桐桜が現れる。
彼女が使っていたのは位相断層と転換の魔術。
平たく言えば、世界の裏側に紛れ込む魔術だ。
「ばれてましたか」
「そりゃ、あれだけ分かり易くされればな。――事前に隔離の結界を張ってくれてたのは桜だろ? 俺が広げた時、重なった違和感がなければ気付けなかったよ」
俺が
「クドラックの一件から、空間加工の技量がまた上がったんじゃないか」
「……そうですね。技術的な意味で言えば、あの人の魔術はすごく参考になりますし、相性もいいです」
気不味そう、というよりかは、愉快ではないといったような雰囲気を目の前の少女は醸す。
――クドラック・ザ・ゴーストハイド。
自己の存在する位相をずらし、世界の裏側から高みの見物を決め込みながら『こちら側』に魔術を通すと言う、遥か高みの神業を平然とやってのける怪物。
――結社の理想を求めた果てに、全人類の死を救済だと信じるに至った、狂気の求道者。
その性質が故に盟主が手に掛けること出来ず、半世紀以上に渡って死と絶望を撒き散らし、その度に慟哭し続けた、悲しき男。
奴が街を切り裂き、千夜会が隠蔽しきれないほどの虐殺を為そうとしたときだった。
士郎の特異性が完全に判明し、その特殊さと『夢を嗤う男』が味方になるという、いくつもの偶然があったからこそ成し得た奴の滅び。
あの事件には桜もそれなり以上に関わっていて、しかし最後まで外側にいた彼女は冷静に奴の魔術を見続けていた。――そこで目にした魔術の数々は、彼女の属性である架空元素・虚とは非常に親和性が高いもので、確かな今の糧となっている。
クドラックの専門であった、"空間"はまさしく"ありうるが、物質化しないもの"であった。
「――とまぁ、それは良いとしてだ。桜、状況はどこまで把握している?」
確認の問い。
「えっと、水明さんが遠坂先輩と校庭に走っている辺りからは見ています。先輩――士郎先輩の指示で屋上から見ていたのですけど、応戦し始めたぐらいの時にこっそり降りてきました。その時ぐらいに空間加工の魔術は私が張り直しておきました。……前の魔術が凄まじい轟音を出したので」
あれでは周囲にバレてしまいますよと怒るが、あの状況でそんなことを考慮できるはずもなく。自身への正当化と桜の言い分の正しさの間で、ただ渋い顔をするしかない。
「あと、先輩とは開放する形で念話を繋ぎっぱなしだったので、その辺りの情報もですね。……聴覚強化もしていたので、先輩とあの青いサーヴァントとのやり取りもだいたい耳に入っています」
ある程度はこちらの事情を汲んでくれたのか、耳に痛い諫言は早々に切り上げて流々と説明をされた。
成る程。
「なら、話は早いか。……悪いが、今夜は衛宮の家に寄るのは避けてくれ。念話は繋げたままでいいけど、一応こっちに影響が出ないようにしてくれると助かる。……本当に悪いな」
「……ということは、先輩の家に呼ぶんですね?」
不安げに揺れる瞳。誰を、を欠落させた言葉。――胸が痛む。
「あぁ、そうだ。……ごめん、としか言えない」
――これは桜の想いを踏みにじりかねない行為だ。
今はまだ、確かに士郎の好意は
……少なくとも、士郎にはその気配がある。
それらが分かっていても、この手を選ぶしかなかった。今は遠坂の信頼を勝ち取るのが最優先で、桜の心情は後回しにすることしか出来ない。
――彼女がどれだけの思いを向けているかなんて、よく分かっているというのに――――。
……大切な妹分が悲しむのは、嫌で仕方なかった。
嫌悪と、後悔の念が満ちる。
――しかし。
「――――大丈夫です。姉さんに
予想外に、力強い言葉。
内容に反して僅かに響きが揺れてはいたけれど。そう宣う顔は凛々しく、あまりにも眩しい。
……俺のせいだというのに、安心させられてしまう。
「――そっか。なら、頑張れ」
手を伸ばして彼女のくしゃくしゃに髪をかき混ぜる。くすぐったそうだが、抵抗はされなかった。
指の動くままに、髪が跳ねて遊んだところに白い首筋が見えて――固まる。
…………。
……………………。
……。
……………。
再起動。たっぷり九秒経過。
「……なぁ、桜さんや。つかぬ事を訊きますがね。その首筋のやつ――なんだよ?」
どう見てもキスマークですよねそれ?
目の前の少女ははぽかんとしている。
「お前らは、俺が、真面目に働いてる時に――何をしてたのかな?」
知らず知らずのうちに、言葉を区切って威圧していた。
ようやく朱色が顔を昇ってくる。遅ぇよ。
「なるほどなるほど。ついさっきまでしっぽりしけこんでたから自信があると? ほー、元気でいいんじゃない? ―――凄い胆力だなぁ」
主に俺に対して、だが。……桜は成長したなぁって喜んだ気持ちを返せ!
当の彼女はあうあうと声にならない声を上げている。知るか。
「せ」
「セ?」
はて、何を口走るつもりなのかな?
「せ、先輩に訊いてくだひゃい!」
言い出して脱兎。ふざけんないつものとろさはどこ行った。
内心を流れる恨み言は止めどなくとも、体はついていけず。呆れと疲れからの苦笑が漏れる。
――ま、仲が進んだっぽいのに免じて、良しとしますかね。
ため息ともつかない忍び笑いを口に留めて、ゆっくりと歩き始めた。
* * *
「頭が痛いわ……。私と同い年よね、貴方たち」
ほんと嫌になっちゃうと、遠坂が悔しげに言い捨てる。――十分だと思うんだがな。結界の消去なんて、専門じゃなければするだけ無駄なものなんだし。
魔術師の工房を潰すときぐらいしか、普通は役に立たないだろう。
屋上。
最後の呪刻であり、起点でもある屋上の七角の紋章を消そうと、俺は膝をついて魔力光の灯る両手を向けていた。既に七つあった基点のうち、四つまでをあのサーヴァントに遭遇するまでに士郎たちと俺とで解除してあり、残りの三つのうちの二つもつい先程終えている。
「水明と同じ括りにされても困るぞ、遠坂。解析まではともかく、このレベルの結界を消すのは俺にはだいぶ辛いんだからな」
「……その解析できるってのがおかしいのよ。その呪刻は私でも材質も術式も分からないものなの。それをあっさり看破するなんて、やっぱりふざけてるわ」
妙な言い合いをする二人を横目に、魔力を消失させつつ術の逆式を掛けて結界を消去する。
――――終了、っと。これなら再利用もされないだろう。
とうとう士郎でさえこの印に宿った過去を見通せなかったようで、仕掛けたのが何者かは分からなかった。だが、基点に向いた場所は全てかき乱しておいたのだし、もう二度と学校に結界が張られることはないだろう。自身の技量的には本当にぎりぎりで、想定よりも一枚落ちる術式だったから助かった。
「はいはい。遠坂も士郎も無駄な言い合いはやめたやめた」
「――もう終わったの?」
遠坂は目を丸くする。実態は無理やり無効化しただけで、自分も詳細は理解出来なかったのでけれど。まぁ、それは言わなくてもいいだろう。
「おうよ。遂に誰がやったのかは分からず終いだったが、とりあえず張り直されることは無いと思うぜ。まぁ、相手がキャスターだったらどうにもならんが」
最後の台詞にどうにも微妙な顔をする二人。――いや、案外とここまで分かりやすいのはフェイクかもしれないと思うのだが、それは俺だけか。
「そう、それならもう良いわね。――ちょうどここなんて人が来る心配もないんだし、終わらせてしまいましょう」
出し抜けに居住まいを正して、問う体勢を整える遠坂。それに待ったをかける。
「さっき襲われたばかりのここで?」
「――――っ。えぇ、そうね。……じゃあ、どこで話すって言うのよ」
笑みを浮かべて指し示す――士郎を。
彼のぽかんとした表情。いやだってまともにゆっくりできる場所なんて拠点の
「ちょっと遅いけど夕飯も食べながら話そうか。お腹も空いただろうし」
食事の誘い。開襟の鉄板ネタだと思うのは寂しい想像力だろうか。
「……それ、もしかしなくても俺の仕事?」
おずおずと尋ねてくる赤毛。
「当然。よろしくな。――こいつの料理は美味いんだ」
最後の言葉は遠坂に向けて。当の彼女は呆気にとられた顔をする。
「呆れた……。呑気なものね」
苦々しい表情でそう言う。否定は出来ないなぁ。
不意に遠坂が眉を寄せた。そういえば、と小さく手でも叩きそうな風情。
「ずっと訊かなかったけど。衛宮くんも結社の一員でいいのね?」
「――今更だな。その通りだよ」
相棒の方を見る。意図を察して頷いた。
「では、改めて。遅ればせながら遠坂のご当主にご挨拶を」
彼が慣れない様子で、格式張った礼をする。そのぎこちなさが少し可笑しい。
「――
それに彼女が応じた。
「――そう。なら、私も礼に則る方が良いわね」
堂に入った姿で礼を取る。
「私は遠坂家六代目当主、遠坂凛よ。八鍵との協約に従って、今夜までは過剰な干渉を控えるわ。――これでいいかしら」
含みを持つ、俺に向けられた響きのある言葉。
やはり、彼女は抜け目ない。魔術師の礼の交換で、行動を縛ろうとしていたのが察せられている。それを信用せざるを得ない形で返された。
「頼んだ。――この状況は不可抗力であって、こちらに争う気はないんだ。不可侵を約束してくれると有り難い」
「……いいわよ、別に。マスターじゃないなら、
今、を強調する。想像通り、警戒されている。前に言われた通り、これから
――と、そこまで考えたところで士郎からの念話の
(……追跡が止まった。ランサーはしばらく廃墟で休んだ後、新都の冬木教会に入っていった)
――それは。
危うく、声が喉元まで出かかった。どうにか平静を装って飲み下す。
(……中は探ったか)
(無理だ)
(理由は?)
(結界もあるし、なによりあそこの
(……そうだったな。――なんだって、中立地帯にサーヴァントなんているんだよ……)
現実に吐き捨てそうになる。酷く焦燥感に襲われた。
しかも、たった今思い出していた遠坂と教会の前回の結託を考えれば――暗い予想が脳裡を掠める。とんだ茶番の可能性。
あのサーヴァントによる襲撃が遠坂による、罠であるということ。
当然士郎も、遠坂と言峰の四次での約定は知っている。今の神父である、言峰綺礼が目の前の少女の後見人であることも。
だからこその念話の選択。強張った表情。
考え過ぎかとも思う。だが、彼女がサーヴァントを出し渋ったのもよほど筋が通る。あの慌てようと零れた愚痴は本心に見えたが、どうだか。
朝も言った通り、遠坂が結界を張った見込みは低い。夜の今でも、それは変わらない。実際に話をして、その考えへの確信はますます深まっていた。
そこへ過った、一抹の不安。
――鬼が出るか蛇が出るか。賽はもう投げられている。
長く無言でいれば不審を抱かれる。ならば、止まることなど出来なかった。
「じゃあ、士郎の家に行こうか」
予定通りの言葉。しかし予想とはかけ離れた心境。努めて、明るさを心がける。
「それなら楽しみにしてるわ、衛宮くん」
そう朗らかに言って、歩き出した彼女。
そして唾を飲み込み、横に並んだ彼。
その顔には僅かばかりの硬さがあるようにも思えたが、慣れたものがよく見なければ気付けない程度。それに倣って、どうにか動悸を沈めて付いていく。
酷く冷たい、嫌な汗が一垂れ、背中を流れていった――――。
遠坂姉妹との関係がなかなかにややこしいです。それに水明と士郎のズレも表面化してきました。
……お読み頂きありがとうございます。