それでは、よろしくお願いします。
皆、押し黙った。目を見合わせるが、誰も口火を切らない。
「悪いが遠坂、それは答えづらい質問だ。……だが、お前に対しては誠実でありたいとも思っている。だから、念話で打ち合わせをすることを許してほしい」
水明の言葉に、遠坂が目を細めた。その目を隠すように前髪を二本指で弄りながら、引き締めていた口元を緩める。
「……そう。そんなこともできるのね。しかも、それを明らかにしてでも確実なすり合わせと友好を得たいと――」
嘆息をひとつ。そして、手を開いて指し示すような仕草。
「――いいわ。待つから、どうぞ」
それに三様に頷いた。
(で、どうするのさ)
緩い輪になって座ってから、最初に尋ねたのはハイデマリー。
(まず、結社の理念については俺がぼかしながら言う。これが狂えば
(了解)
(よろしく、水明君)
自分と彼女の返答。それは彼にとっても満足なものであったようだ。任せろ、と言わんばかりに緩く握った拳を胸に当てている。
(この街に居る目的、ね。……完全に聖杯な訳だが、馬鹿正直に言うわけにもいかないしな)
水明の弁。元から住んでいた俺はともかく、水明たちに関しては全くその通りだからこそ非常に困ること。言った張本人は悩ましげに顔を伏せていた。
そんな彼の様子を察して、妹弟子が怪訝そうにする。同じく、自分も眉を寄せた。
(何か考えがあるんだろ、水明。言ってくれ)
鋭い視線を投げかけながらそんな確認をすれば、躊躇いがちな思考が返ってくる。
(……あるにはあるんだがな。出来れば避けたいんだ)
(それはまた、どうして?)
(…………っ。……士郎。お前の曖昧な過去を理由にするって手でもか?)
気不味そうに、心底厭そうに言い切きった。思わず、取り繕うことが間に合わずに表情が固まってしまう。それを見て、水明がやはりといった風情で顔を顰めた。
数拍を置いてやっと我に返り、表情筋の強張りを無理やりながら解く。油の差し足りない機械のようにぎこちないのは自覚していたが、それでもゆっくりと息を吐きながらどうにか顎を引いた。
(――そうか)
唇を強く結ぶ。
(それでも、それが最適なら――その手を選ぼう)
決意は固めた。後は自分次第。マリーが心配の色を瞳に浮かばせるが、首を振って応える。
(……分かった)
吐息を飲み込んでの師匠の返事。こちらの意思を読み取ったのか、深呼吸と共に背筋を伸ばした。
全員、遠坂の方に向き直る。
幾分かの間。その沈黙は長いが、これからのことを思うと余りに短い。
――ある程度ぼかすが、いいか。
そう前置いて話し出した水明を横目に、俺は彼との邂逅の日を思い出していた。
それは四年前。年の暮れも見えてきた冬の頃。
粉雪が寒さを知らせ、それを舞い散らす風が尚更に外気が冷たいことを教えてくれていた日。
それはこの屋敷を、八鍵水明が切嗣を訪ねてきた日だった。
奇しくも、それは養父の命日のこと。
そう、俺が初めて、『魔術師』と出会ったお話。
* * *
そろそろ爺さんの墓参りでもしようかな。そう思い立った昼下がり。
今日は学校は休み。藤ねえも大学はなくて、一緒に昼ご飯を食べてから一足先に菩提寺に行った。
それは自分が鈍いという自覚は有っても、彼女を一人で行かせてあげた方が良い、ということぐらいは分かったからだ。
少し前に昼食を食べ終えて。
外出用にダウンコートを羽織った藤ねえに、切嗣さんのお墓に一緒に行こうと誘われた。それを目を合わせないようにして断れば、覗き込むように不思議そうな顔を向けられる。「しばらくしたら行くから」と声を掛ければ、彼女は少し思案するように指を顎にかけた。
そうして幾らかの間を置いて浮かべたのは――とても、綺麗な微笑。たぶん、街中で出そうものなら男も女も問わず、誰もが目を奪われてしまうであろう程に綺麗な表情だった思う。実際、自分も思わず魅入られたように固まってしまっていた。
そんな俺にその微笑みと共に近づいたかと思うと、うりうりと後ろから抱きつくようにして頭を撫でてくる。ひときしりそうしてじゃれついてきた後、今度は前に回り込まれて、ぎゅうと、しっかりと力強く、それでいて柔らかに抱き締められた。
そして、ぽふ、と頭に乗った顎。それが動いて、「ありがとう」と一言が降ってくる。
泣きそうに嬉しそうな、それでいて年上らしく落ち着いた、女の人の声。
……どれくらい、そうしていただろうか。
身長差があるから、俺は胸のあたりに顔をうずめることになってしまうお隣さん。
その、いつもお姉さんをしてくれる人の穏やかな鼓動を感じて。人柄を表すようなお日様みたいな良い匂いに包まれて。身悶えしたくなる気恥ずかしさと嬉しさに襲われて。……でも、突っ返すような気持ちにはなれなくて。
だから、おずおずと抱き返して、抱き合って。
そうやって、ただずっと――悼んで、慰めあってた。
……けれど、現実にずっとそうしている訳にいかなくて。数分抱き合った後に、ゆっくりと身を離した。互いに少しはにかんで、顔を見交わす。
それもまた、やはりわずかのこと。突然、藤井ねえがいつものように底抜けに明るい、脳天気な声で話し出す。
「なら、お姉ちゃんが先に行って掃除とか済ませちゃうから、士郎はお線香だけ上げてね。――そうやって手間かけさせられた分、お夕飯には期待しちゃうから」
いや、やっぱりどこか言葉の息遣いの端々がしっかりしていて、完全に普段通りとはいっていない。ちょっと湿っぽく、そして大人っぽい響き。でも、どちらにしたって藤ねえらしい、ふざけているようで気の回る、お調子者で優しい言葉だった。
そんな複雑な印象の言葉を言い置いて、彼女は玄関へと駆け出した。
言われた通り、今夜は豪勢にしようと心に決めて後を追う。既に外に出ているらしく、開け放たれた引き戸の向こうに白雪が深々と降り、時に風に吹き乱される様が見えた。厳しい寒さを感じさせるその景色はさほどの間もなく閉められた戸に遮られる。そのまま「行ってきま―す」と、元気のいい声。……今度こそ、いつもの通りのお姉さんの声だ。
そのことに安心して、小さく息をつく。
それも束の間。どたどたと騒がしい足音を立てながら何故か戻ってきた彼女が勢いよく扉を開け放ち、開き直ったように言い放つ。
「道具全部忘れた!」
…………。
全く、藤ねえらしいと言えば藤ねえらしい……。
何も言わず反転して、必要なものを用意しに行く。箒とかは近くの共同のものを使えばいいから、持たせるのは線香とライターと、小さな蝋燭。そしてお花を買うためにお財布。それらを袋に入れたところで、あるものが目に入った。……うん、これもあったほうが良いな。
そのいくつかの物を小脇に抱えて、玄関に戻る。
見れば鼻頭を赤くした藤ねえが、手をこすりながら待っていた。
「はいよ、藤ねえ」
「あ、士郎。ありがとう」
そう言って手提げを渡す前に、上がり框の上から二の腕を掴んで、そっと体を引き寄せた。そして後ろ手に持っていた編み物――マフラーを首に緩く巻き付け、毛糸帽子を目深にかぶせる。
「今日は寒いんだから、しっかり着込まなきゃ。ほら、残りは自分でやって。これも持って」
親切の照れ隠しに突っけんどんにそう言って、二十枚入りのティッシュを上着のポケットに突っ込んだ。
そんな自分の子供っぽい態度にか、あるいはバレバレの気遣いにか、そんなものにだろう。温かみのある小さな笑みを零して、「ありがとう」とまた頭を撫でられた。……ちょっと嫌。
その感情が顔に出てしまえば、今度は小さく吹き出された。そのことにますます不機嫌になって、だんだんとへの字に曲げた口の歪みを増させていく。
そうした口の角度での抗議も限界に達した頃、彼女は愉快そうに謝り、また撫でてきた。今度はあやすように、終いにぽんぽんと頭を叩いてくる。……もう、子供扱いばっかしてさ。
でも結局不満は飲み込み、口角を上げて送り出した。
自分がそれを少し気に入らなくても、あの人が切嗣を慕っていたのは本当だし、その気持ちは未だに引きずってしまう位に本物だった。
なのに二人で挨拶をしに行ったら、あの普段は抜けた様に振る舞う年上の女の人も、義理とは言え切嗣の子供である俺に遠慮して、あるいは親の死に泣こうともしない俺を心配してしまうだろう。たくさんの気持ちを我慢してでも、お姉さんらしくしようとしてしまうだろう。
それは、きっと良くないこと。
泣きたいなら泣けばいいのに。そう無責任に思ってもしまうが、そうさせる原因の俺がそれを口にするなんてとんでもないことな訳で。例え下手な気遣いが見透かされようが、口が裂けても言えなかった。
だから、せめて時間は置いて出掛けようとしたのだ。
それも十分かと思うくらいには時間が経った頃。そろそろ時間だし行こうかと腰を上げた時、インターホンが鳴った。
こんな時間に誰だろう。新聞の勧誘とかだったら嫌だな。そう思いながらも、「はーい」と大きな声で返事をする。嵌めようと手に取っていた手袋を置き、巻いていたマフラーを
土間に降りて足元から這い上がる冷気に震えながら、訪問者を迎えようと戸を開く。
「はい、どちら様ですか?」
そこには自分と同じくらいの年に見える、男子中学生らしき少年が居た。
暗緑を基調とした上品なデザインの制服――たぶん県内の浅谷市にある私立の中学校のものだったと思う――の上に、いささか学生には重たそうに思える黒の厚手のコートで身を包んでいる。
その彼は見た目の年齢に不釣り合いな慇懃な笑みを浮かべて、これまた見た目の年齢に不釣り合いな程に畏まった口調で、挨拶を告げた。
それは、よく慣れた様子のもの。
「初めまして。私は、八鍵水明と申します。不躾ながら、所用があって直接お宅に参りました。――衛宮切嗣さんはご在宅でしょうか?」
――ただ、その大人びた態度とは裏腹に、子供のような頑固さを思わせる、意志の固そうな榛色の瞳が印象的だった。
* * *
少年の声色で掛けられた、少年らしからぬ言葉。その
なにより、内容が問題だった。
「えっと、その、親父は……」
咄嗟に何か言おうとして、結局には言葉が右往左往。
その俺にか、言い淀んだ先にか、訪問者の少年は困惑と少しの驚きのようなものを顔に浮かべている。そのまま俺が続けるのを待つように、穏やかに微笑んだ。
「その、父は一年前に、逝去、してます」
使い慣れない表現を喉元から出すのと、悲しみを思い出す事を言うのとで、声はつっかえつっかえになってしまった。
その様子と言葉にだろう。表情が驚愕と僅かな落胆と、――そしてそれを覆ってしまうぐらい強い悔恨の念を孕むものに変わる
「――っ。これは無作法を失礼しました。……お悔やみ申し上げます」
丁寧な謝罪と愁傷の文句。
これまた聞いたことのないような慇懃さに面食らうが、おかげで我にも返った。
どうにか気にしないよう伝えるが、上手く言えただろうか。その傍らに考える。
――何を理由に、この人は訪ねてきたのだろう?
その思いを確かめるため、口を開いた。
「今日は父の命日なんです。これから私も墓参りに行くところなのですが、よろしければ一緒に供養してやってもらえませんか」
そこまで言って、もうひとつ。
「――いえ、まずはその前にどうぞ上がってくださいな。……父に何の用があったのか、あなたと養父がどういう関係であったのか、その辺りをお話頂ければ嬉しいです」
目前の彼は息を吐き、しかし頷く。
「そういうことなら。……失礼します」
会釈を一つして、玄関に踏み込む。どことなく気品を感じさせる所作でローファーを脱いで揃えると、また小さく頭を下げてからこちらを見てきた。
――と、案内しなきゃか。
気合を入れるように細く息を吐く。
場所は居間でいいだろう。お茶は来客用の良いのがあったかな。そう考えながら、指し示すように手を伸ばす。
「――では、こちらに」
先導して、すぐに。控えめな声音で声を掛けられた。
「すみません。失礼かもしれませんが、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか」
相変わらず使われる、同年代の子供が使うとは思えない言い回しに身が強張るが、それは苦笑と共に押し流した。「はい」と短く答えれば、生真面目な様子で尋ねてくる。
「――先程は養父と、そう仰っていましたが、あなたは衛宮さん――切嗣さんの息子、ということなのですか」
息子なら俺も衛宮姓だということに気付いたのか、爺さんの名前を言い直した八鍵さんは少しばかり居心地悪そうにしていた。
「えぇ、はい。……六年前の新都の火災は知ってますか」
「それはもちろんで――っ。……もしかして、君は」
目を見開いて、台詞は途切れた。取り繕う余裕が足りなくなったのか、微妙に敬語が薄まる。
「はい。あれで私は焼き出されて、あの人に拾われました。――どうぞ、座ってお待ち下さい」
元々建物の中を動くだけの、特に長さなどない道程である。然程もかからず目的地の居間に到着すると、着席を勧めてから茶を出すために台所に向かった。
――と、その前に戸棚かな。来客用の茶器と茶葉、茶菓子の一式はそこに入っている。
「あ、いえ。お構いなく」
そんな己の背中に言葉が掛けられた。
「……それより、すみません。先程から非礼ばかりを」
居間に案内したのは失敗だったか。台所が直接繋がっているから、お茶を淹れるために離れて流れを切るということも出来ない。
そんな事を考えながら薬缶を火にかけ、柔らかさを心がけて応じる。
「それこそお構いなく。ご存じなかったのでしょう」
それよりも他に言いたいことがあった。
「それよりも、すみません。……その話し方、どうにかなりませんか。恥ずかしながら自分は敬語には慣れていないので、合わせるのが正直大変で」
当惑して様子で「いやそれは――」と言いかける彼の
「それに、明らかに同い年ぐらいの子供にあんまり綺麗な言葉遣いをされるのはどうしても違和感がありますし、自分の不出来さを目の当たりにするようでちょっと
冗談めかしてそう言えば、八鍵さんは考え込むように黙り込んだ。内心を言っているようで、その実当たり障りない理由付け。こちらの心情的な問題を押したなら、彼にとっても聞き入れやすいだろう。
実際はネコさんのところでバイトしているから、敬語に慣れていないということはない。でも、目の前の彼に合わせた言葉を使うのは大変というのも事実だった。
「いえ、やはり私はこのままで。そちらが崩す分には結構ですから」
「……そんな訳にはいかないでしょう」
お客さんですからと、口には出さなかった言葉。
やりとりに釣られて思考まで堅くなっている。その事に気付いて一人呆れと笑い混じりに嘆息すると、不審そうな色の顔を向けられた。
――おっと、これはいけないな。
かぶりを振って余計な念を落とす。まずは、作業。
急須に入れておいた熱湯を湯呑に戻し、その間に上等な茶葉を茶漉しに入れてまだ温かい急須に嵌めた。そのまま同じ様に十分に温まった湯呑から、程よく冷めたお湯をゆっくりと急須に
色と香り、どちらも十分な出来であることを確認して満足する。
「粗茶ですが」
言った端からの謙遜と共に出されたお茶に、参った参ったとでも言いたげに両手を上げてひらひらと振る訪問者の少年。
「悪かった。悪かったです。こっちもどうにか普段の話し方にするから、そっちも勘弁してくれ」
どこが粗茶さ、明らかに物も腕前も上等じゃねぇか。
悪童じみた響きを持ったそのぼやきがどうにも可笑しくて。……少し、笑ってしまう。
そんな時、手でも打ちそうな気配を漂わせながら少年が呻く。
「あぁ、とんでもないこと忘れてた。――名前、聞いてなかったな」
――――。
本当だ。なんでそれを忘れてたんだろう。
反省を込めて、しっかりと彼を見据えて口を開いた。
「――俺は、衛宮士郎。切嗣の養子の、士郎だ」
お読み頂きありがとうございます。