シークレット・スクワッド・ジャム 作:MN
レンにはまず、あの煽りの達人に勝負を挑む理由がない。フカ次郎のように金欠でもないし、かといってアリスのように興味が湧いたわけでもない。
キリトのなんの悪意もない目に、レンは思わず「う」と唸った。
「いや、私は……」
「レンや、どうか……どうか私の雪辱を果たしてくれ……」
映画の名シーンばりにフカ次郎がレンに懇願する。
断ろう。そう瞬断し、丁重に申し上げようとしてガンマンの背後に記されているプールの額を見ると、卒倒しそうになる。
あれを現実世界に還元すれば、しばらくは金には困らないほどの額だ。前々から行きたいと思っていたパンケーキ屋や、気になっていた服に簡単に金を出せる。
そう考えると、レンのあまりに柔らかい決断が揺らいだ。
しだいに『やる』『やらない』の天秤の傾きが均衡になる。
「そういうことか。別に無理にする必要なんてないからな。アリスみたいにハマったら最後。それはレンにもわかるだろうし」
「もちろんわかってるよ」
キリトのアドバイスにレンは首肯する。
フカ次郎、アリスと連続していいところまでいったふたりを傍観していた観客たちはそれぞれ散り、片手で数えられる程度しかいない。
今なら人目もそこまで気にする必要がないし、やってみよう……かな。
天秤の傾きが定まった。
とはいってもやらないと豪語していたレンは今更恥ずかしくなってしまった。
だから、さっさとやって、さっさと終わらせよう。
「五秒で終わらせてやる」
「頼みます、レン」
アリスの声援を受けて、レンは入門ゲートに立った。手をかざし、カウントダウンが始まると同時に大きく後ろに下がった。
「レン?」
フカ次郎がその奇怪な動きに首を傾げる。しかしレンは無言で十分な距離をとったあと、走り始めた。
カウントダウンはまだ終わっていない。
レンの専売特許はそのスピードにある。本気で走ればGGO内で五本の指に入るほどの速さであることは間違いない。
だから、トップスピードに至った状態でガンマンに挑むつもりなのだ。
その速さ、チーターをも超える。
カウントダウンがゼロになって少し遅れてからレンはゲートを潜った。
残り五秒。
愚直に突撃すれば三秒足らずでたどり着くだろう。しかしキリトの時よりも圧倒的な短時間で攻略されるのは、ゲーム側としてもおいそれと許しはしない。
ガンマンの目はレンを捉える。
弾を撃つことすら時間の無駄だ。そんな矛盾した制約条件の中ではじき出した最適解に従い、ガンマンは冷静に照準を定めた。レンに伸びる赤い線はたったの二本。
超スピードで接近するレンは、左右への回避行動が非常に難しい。そう見ての必要最小限にして、最も効果的な弾道だった。
誰かの悲鳴に似た何かが聞こえた。たぶんフカ次郎だろうか。しかしその意識すら削り、レンは直進した。
ガンマンのいつもの煽りの言葉はなかった。代わりに、二発の弾丸がレンに送られた。
残り四秒。
必中。
そう誰もが思った。
どう、避けるか。それを三人の誰もが思った。
ターンなど、あのスピードでは無理。止まれば落ち着いて回避できるが、それも無理。
無理無理づくしのオンパレード。
……そしてレンは、その場にコケた。
そのすぐ上を風切り音が通り過ぎる。コケたと言っても、それだけでも前に進んだ。一般プレイヤーの全速力と同じくらいの速さで転がった。これがフィールド上ならダメージが入るはずだが、このゲームは弾を避けるゲームだ。そんなダメージは考慮されていない。
コケた勢いのまま進んだレンは綺麗に立ち上がり、走り始めた。
残り三秒。
ガンマンに焦る様子はない。焦るはずもない。ただ挑戦者の動きを見切り、的確に弾丸を撃ち込む。
そうプログラムされている。
このままだと、あともう一度撃ったところでもう、これ以上ガンマンにできることはない。レーザー弾を除いて。
狙いを定める。
込める弾丸は三発。デコイ、フェイク、本命の順だ。もちろんレンがもう一度コケるという可能性も想定した予測線であり、同じ手は通用しない。
残り二秒。
――とった。
そう確信したのだろう、ここで初めて「You're loser!」と初めて言葉を発した。放たれる弾丸。予測線に沿って、レンを確実に捉える――――はずだった。
鋭利な息を吐き、レンはすでに飛び上がっていた。ガンマンは全くの予想外のことに、最後の奥の手であるレーザー銃に手を伸ばすのが一瞬だけ遅れた。
残り、一秒。
ようやくレーザー銃を手にしたガンマンは人の速度を超えた驚異的な速さで手首の向きを変え、銃口をレンに向け、引き金に指をかけた時。……すでにレンは、鼻同士が接触するほど接近していた。
激しく正面衝突したレンは、微塵も顔色を変えないガンマンの足元にぐったりと倒れていた。その胸には被弾エフェクトが煌めいていた。それを見たフカ次郎たちは落胆のため息を漏らした。いけたかと期待していたが、どうやらガンマンの勝ち、なのか。
しかし。
「Noooooooooooo!!!!」
そう言って、突然ガンマンが膝を折って叫んだ。
痛みはないが、強烈なノックバックに頭を抱えながら起き上がったレンに上から降ってきたのは、背後の小屋の窓が開いて雪崩のように溢れてきた、多額の金だ。
「ちょっ、待っ! ふぶぶぶぶぶぶ!!」
避ける暇などなく、あっという間にレンは下敷きになってしまった。
一般に、リザルト画面が現れて操作をすることで現れた金を一括回収できるのだが、今のレンは指先一つ動かせない。
「レンやーーーー」
フカ次郎が急いでレンの下に駆け寄り、雪かきの仕草で金の中からレンを探す。キリトとアリスも加わってすぐに掘りだされたのだが、差し出されたキリトの手をガッツリ掴み、今にも泣き出しそうな目のレンが一言。
「もうやだあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
と情けなく喚き散らした。
そして、一部始終をビデオに収めていた誰かがとあるタイトルをつけて投稿された。
『最短記録五秒。体当たりでガンマンを黙れせる』という動画はキリトの時以上に反響を呼んだことは言うまでもなく、レンにさらなる受難を呼び寄せることとなるのは、まだ先の話である。
◆
「あははははははは!!」
その笑い声は可愛らしいものではなかった。
腹の底から沸き上がる、ドスの利いた笑い声。歴戦の風貌の彼女からそれは、本当に愉快さゆえだが猛者の空気を醸し出していた。
アマゾネス。アマゾネス。鍛え上げられた肉体は男にも負けない。
目尻の涙を拭い、今まで見ていた動画をそっと閉じた。
「ボス、レンさんってやっぱりすごいですね。でも、やっぱり、ぷぷぷ」
黒髪ショートの緑のニットキャップ、長身のトーマが口元を抑えながら言った。
デバイスをストレージにしまったボスことエヴァは、ストロー付きのリンゴジュースに手を伸ばした。
ここはSHINC全員が金を出し合って賃貸しているとある個室だ。それ以外のオプションは一切ないが、彼女たちは特に気にしない。SJも、明日が本選だ。今日すでに予選が行われ、本選出場チームがGGOで張り出されている。
明日に控えた本選、予選除外チームがあまりにも有名どころ過ぎて余裕など一切できない試合になるとボスが判断したからだ。
クラレンスとシャーリーの凸凹ながらも恐ろしい連携や、言うまでもなくレン達のど根性精神。マシンガンを撃つことにしか頭にないZEMAL、MMTMにTS……これだけならまだなんとかなりそうだが、さらにBoB優勝経験者であるシノン率いるSAと、とキリト率いるKAが特に注意だ。ソロで優勝経験があるということは、SJではそれぞれのメンバーが役割を担うが、ソロだとそうはならない。索敵、牽制、攻撃。どの分野においても劣ることのない能力を有しているということだ。もちろん複数人でチームを組むから多少の違いはあるはずだが、それに順応できなければまずSJに参加すらしないだろう。
シノンのスナイパーはシャーリー以上。キリトの剣はピトフーイ以上と考えるべきだ。
予選除外チームが多く、予選から参加できるチームが少ないと講義もあったらしいが、運営から『そういう』SJと言われるとさすがにどうしようもないだろう。
「さて、今の動画を見てわかるようにレンは確実に強くなっている。あの恐ろしい速度だけではなく、回避能力も上がっている。接近戦を得意とするレンたちにどう立ち向かうターニャ?」
「接近戦はオレたちに分が悪い。だからまず、遠ざけること。でもそうするとフカ次郎のグレランとエムの狙撃が来るから……中距離がベストだね」
ターニャと呼ばれた銀髪に蛇のような目つきの女が要点のみを抑えたシンプルな回答を出す。
「そうだ。では、どうする。本戦フィールドは当日にならないとわからない。ソフィー」
「――アイテムだね。臨機応変と言いたいところだけど、そんなのは確実じゃない。だから、私たちにができる最大限かつ魅力的なアイテムがいる」
腕を組んだまま、ボスに次ぐ巨体のソフィーが、机の木目を睨みつけながら答えた。
結局毎回レンと誰の邪魔のない状態で戦うことができていないのだ。だから今度こそはと彼女たちの士気はすでに高まっているのだ。
レンのガンマンに体当りする動画を何度も見ている赤毛のローザ、サングラスを手入れしているアンナ。計六人でSHINCである。
「ローザ、もういいでしょう」
「あと一回! あと一回だけ見させてよ、トーマ!」
懲りないローザは最後に野太い笑い声を残すと、ようやくスイッチを切り替えて目つきをアマゾネスのそれにする。
「敵の機動力を削ぐことができて、私たちから離れさせないようにするためのアイテムといったら……うん、あれだ」
「あれってなあに? もったいぶないでよ」
アンナがピカピカになったサングラスをかけ、くいっと縁を指で上げる。
ローザがその画期的なアイテムをふたつ、ボスに具申する。
「……うむ。では今から早速買い占めに行こう。仕方ないが、この出費はレンを倒すことにある。全員、二ヶ月分のおやつ代は覚悟するように」
これならいけるという確信と、しばらくおやつ抜きという狭間に、彼女たちはやるせなさを感じながら微妙な表情を浮かべて拳を突き上げた。
◆
クラインにGGOから招待は来なかった。それは当然だ。クラインはGGOで一目置かれるほどの活躍をしたことがない。そもそもビギナーだ。
風林火山のメンバーは誰もGGOをプレイしようとはせず、結局ひとりでほそぼそとプレイしていた。
そんな彼がなぜ予選を突破できたのか……。
それは、偶然である。
予選の上位四チームが本選に出場できるのだが、クライン以下リズベット、シリカの三名のSRKはギリギリ四位だった。主に漁夫の利で敵を倒し、最後は実力者に弄ばれて敗れた。
キリトに誘われたが、リズベットとシリカはクラインと連携の練習をしていた。キリトとチームになれば、無条件で本選に臨める。
だがそれでいいのだろうか。もちろんキリトを非難するつもりなど毛頭ない。運営が、それに値するプレイヤーだと判断したのだ。
ゲーマーとしてこの上ない名誉だが、その恩恵を受けようとしている自分たちに疑問に感じたのだ。
『一から勝ち残って、優勝するからこそゲームってのは楽しいんだろ?』
そんなクラインのあまりに純粋な言葉に、ふたりは胸を打たれた。
キリトには申し訳ないが、今回はクラインとSJに挑む。それにアリスがペアというのなら、剣をメインウェポンにするはずだ。……きっと邪魔になるだろう。
予選で浮かび上がった課題は、対応力が致命的なほど低いことだ。練習したとおりにしか動けない。だから、イレギュラーなことに対応できない。それがまさに敗因だった。
本選を明日に控えた三人は、予選の中継動画を見て大反省会を開いていた。
「……ここですね」
シリカの言葉に、クラインが動画を一時停止した。
「ここは俺が焦ってスモークを焚いたのが問題だな」
再生速度を下げて、今一度現場検証する。
強襲を受けたクラインが焦ってスモークグレネードを投げたせいで敵の位置を把握できなくなり、アサルトライフルを抱えたシリカが敵を視認できなくなる。
次々と降ってくる弾丸の雨に反撃しようとシリカが適当に音にした方向に撃つ。
最悪の展開だ。
その後、短時間で接近され、そのことに気づきすらせずに各個撃破される自分たちを見た。三人とも目を覆いたくなるほどの惨状に、よくこの実力で本選に出れるものだと嫌気がさす。
「俺たちは圧倒的に経験が足りない。身体能力はその辺のプレイヤーよりはいいんだが……活かしきれていない。……難しいもんだなあ、GGOは」
「そりゃあそうでしょう。私たちはなんたって初心者なんだから。キリトたちと同じ舞台に立てるだけ奇跡ってもんよ」
陽気にリズベットが言った。SAO、GGOでいつもお世話になっているメイスの代わりに、GGOではショットガンを手にしている。
「ま、それもそうだな。一応もう一度確認しようぜ。俺たちは基本的に戦いに行かない。向かってくる敵を迎撃するだけ。OK?」
「そうですね、ですが前回のSJではずっと同じ場所にとどまっているとモンスターが現れると聞きました。それはどうしましょう?」
シリカの脳裏によぎるのは、モンスターを銃で倒すとその場に無数のモンスターが出現する罠だ。さすがに全く同じことはしないと思われるが、どうしても不安が残る。
「とにかく移動し続ける。サテライト・スキャンを見て、できるだけ敵と距離をとって戦おう」
ライオン、チーター、トラ、クマ。そんな肉食動物の大乱闘に飛び込もうとする、チワワ。
正面衝突をすれば、まず生き残れない。それほどにも弱い三人は、『いかにして勝つか』ではなく、『いかにして生き残るか』に重点を置いた戦法で本選に臨む。
果たして彼らが開始早々通過儀礼によって脱落するか、最後に笑うか。それはまだ、誰にも分らない。
【クラインチーム SRK】: 【シリカ】【リズベット】
【キリトチーム KA】: 【アリス】
【シノンチーム SA】: 【アスナ】
【レンチーム LPFM】: 【ピトフーイ】【フカ次郎】【エム】
ガンマニアではないので、銃の描写は曖昧にいきます。
それでは。